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本編
38. 告発の果てに
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レオが儀式の扉に消えたそのすぐ後から、僕は眠ることをやめていた。横になれば、瞼の裏に浮かぶのは彼の笑顔ばかりだった。
リュカの思惑を止めるために、夜ごと任務の記録を洗い直し、現場に足を運んだ。
報告の行間に沈む違和感を掬い上げるように。わずかな痕跡を、見逃すまいと。
魔力暴走はさらに頻度を増していた。次の出動の報が下るたび、胃の奥が冷たく軋んだ。
石畳を走り、結界の残骸を調べ、散らばった破片を拾い集める。
息を継ぐ間も惜しみ、ただ空白を埋めるように動き続けた。
瞼は鉛のように重く、指先はいつしか震えを覚えたまま戻らなくなっていた。
その日も瓦礫にまみれた路地で調査をしていた。ふと足がもつれ、膝をついた石の冷たさが、意識をかろうじて現実に繋ぎとめる。
掌を突いた先で、鈍い光がちらついた。瓦礫に埋もれかけていた小さな金属片――掴み上げたそれは、袖口を飾るカフスだった。
白銀の地に彫られた、精緻で見紛う余地のない刻印があった。
――Lyuca.V。
息が詰まった。
この地点は、アブソーバの裏任務で一度だけ訪れた。軍の公式記録には存在しない、封印された現場だ。
その再調査に、僕は独断で戻ってきた。
一部の者にしか知られていないはずの場所で見つけたのは、リュカのカフスだった。
あの人は、ここに来ていた。記録にも、誰の記憶にも残らずに。
胸の奥で燻り続けていた確信が、ようやく輪郭を得た。
彼を疑う理由を、やっと示せる。
僕はそれを懐に押し込み、ふらつく足どりで帰還した。その夜も眠ることはなかった。
◇
軍務局の会議室は、石壁に囲まれた窓のない空間だった。重苦しい冷気が沈み、並ぶ高官たちの肩章が鈍く光る。
いつもならリュカがこの席に立つが、今日は僕が直訴を願い出て、ようやく許された。
息を整える余裕もなく、卓上に証拠を置いた。小さな金属音が響き、張り詰めた沈黙に細いひびを入れる。
「先日の魔力暴走地点で拾いました」
言葉と同時に、喉が焼けるように乾いた。
白銀のカフスに刻まれている名に、視線が一斉に吸い寄せられ、低いざわめきが生まれた。
だが、誰一人として、顔色を変えない。
氷のような沈黙が戻り、やがて、そのまま場を覆い尽くしていく。
「……東雲。君が言いたいことは何だ」
正面から向けられた低い声に胃が縮み、背中に冷汗が滲んだ。
それでも言わなければならない。
「このカフスはヴァレリウス隊長のものです。彼の行動記録には、この現場への訪問はありません。それなのに、私物が現場で発見された」
短い間が落ち、やがて氷のような声が続く。
「それで……?」
「彼が……この暴走に関与している可能性を示す証拠です」
言葉を言い終えた瞬間、室内の温度がさらに下がった気がした。
誰も頷かない。
「だが東雲、その現場はまだ正式には調査対象にすらなっていなかったはずだ。なぜ、君がそこにいた?」
「それは……申し上げられません」
喉が詰まり、答えになっていないとわかっていても、口を動かすしかなかった。アブソーバの存在をここで口にするわけにはいかなかった。
黙したまま、ただ視線を伏せる。
沈黙が、疑念に火をつける音がはっきりと聞こえた。
「……まさか、君が暴走の痕跡を偽造したのではないだろうな」
「あるいは、精神の不安定さから幻覚を……」
机上の白銀が、ただの破片に戻っていく。
「……証拠としては心許ないな。これだけでは動けん」
「君は最近、任務でも判断を誤っていると聞く。それに今日も、魔力の不安定さが目立つ」
「判断力に支障をきたしているのなら、君をこの任務から外すべきだ。無属性ゆえの限界が、ついに表れたのかもしれんな」
反論しようと唇を開くたび、舌は乾いて張りつき、声は喉の奥で砕け散った。
「休養を取れ、東雲。優秀な者を、妄言で潰すわけにはいかない」
信じてもらえない。それだけでなく、疑われている。
視界が揺れ、机の縁を掴む指に冷や汗が滲んだ。白銀の光は霞み、形を失っていった。
◇
会議室を出ると、廊下には昼の光が満ちていた。眩しさは痛みに近く、目を細めても逃れられない。
世界は何事もなかったように明るく、静かで、残酷だった。
「……隊長を告発したって……」
「まさか」
背後から、兵士たちの小声が漏れた。
言葉の端は途切れ、はっきりとは届かない。だが、自分の名と共に囁かれているのはわかった。
その気配が、全身に纏わりつくように離れない。
懐に抱えたはずの重みは消え、胸には空洞だけが残っていた。
立ち止まれば、すべてが崩れてしまう。だから、前に進むしかない。
石畳の反響が、誰の足音かもわからないまま追いかけてくる気がして、僕は足を引きずるように、ただ前へと進んだ。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
次話では、千景の前に立ちはだかる、静かで巧妙な悪意を描きます。
しばらく心が痛む展開が続きますが、彼の想いや選択を、どうか応援していただけたら嬉しいです。
***
リュカの思惑を止めるために、夜ごと任務の記録を洗い直し、現場に足を運んだ。
報告の行間に沈む違和感を掬い上げるように。わずかな痕跡を、見逃すまいと。
魔力暴走はさらに頻度を増していた。次の出動の報が下るたび、胃の奥が冷たく軋んだ。
石畳を走り、結界の残骸を調べ、散らばった破片を拾い集める。
息を継ぐ間も惜しみ、ただ空白を埋めるように動き続けた。
瞼は鉛のように重く、指先はいつしか震えを覚えたまま戻らなくなっていた。
その日も瓦礫にまみれた路地で調査をしていた。ふと足がもつれ、膝をついた石の冷たさが、意識をかろうじて現実に繋ぎとめる。
掌を突いた先で、鈍い光がちらついた。瓦礫に埋もれかけていた小さな金属片――掴み上げたそれは、袖口を飾るカフスだった。
白銀の地に彫られた、精緻で見紛う余地のない刻印があった。
――Lyuca.V。
息が詰まった。
この地点は、アブソーバの裏任務で一度だけ訪れた。軍の公式記録には存在しない、封印された現場だ。
その再調査に、僕は独断で戻ってきた。
一部の者にしか知られていないはずの場所で見つけたのは、リュカのカフスだった。
あの人は、ここに来ていた。記録にも、誰の記憶にも残らずに。
胸の奥で燻り続けていた確信が、ようやく輪郭を得た。
彼を疑う理由を、やっと示せる。
僕はそれを懐に押し込み、ふらつく足どりで帰還した。その夜も眠ることはなかった。
◇
軍務局の会議室は、石壁に囲まれた窓のない空間だった。重苦しい冷気が沈み、並ぶ高官たちの肩章が鈍く光る。
いつもならリュカがこの席に立つが、今日は僕が直訴を願い出て、ようやく許された。
息を整える余裕もなく、卓上に証拠を置いた。小さな金属音が響き、張り詰めた沈黙に細いひびを入れる。
「先日の魔力暴走地点で拾いました」
言葉と同時に、喉が焼けるように乾いた。
白銀のカフスに刻まれている名に、視線が一斉に吸い寄せられ、低いざわめきが生まれた。
だが、誰一人として、顔色を変えない。
氷のような沈黙が戻り、やがて、そのまま場を覆い尽くしていく。
「……東雲。君が言いたいことは何だ」
正面から向けられた低い声に胃が縮み、背中に冷汗が滲んだ。
それでも言わなければならない。
「このカフスはヴァレリウス隊長のものです。彼の行動記録には、この現場への訪問はありません。それなのに、私物が現場で発見された」
短い間が落ち、やがて氷のような声が続く。
「それで……?」
「彼が……この暴走に関与している可能性を示す証拠です」
言葉を言い終えた瞬間、室内の温度がさらに下がった気がした。
誰も頷かない。
「だが東雲、その現場はまだ正式には調査対象にすらなっていなかったはずだ。なぜ、君がそこにいた?」
「それは……申し上げられません」
喉が詰まり、答えになっていないとわかっていても、口を動かすしかなかった。アブソーバの存在をここで口にするわけにはいかなかった。
黙したまま、ただ視線を伏せる。
沈黙が、疑念に火をつける音がはっきりと聞こえた。
「……まさか、君が暴走の痕跡を偽造したのではないだろうな」
「あるいは、精神の不安定さから幻覚を……」
机上の白銀が、ただの破片に戻っていく。
「……証拠としては心許ないな。これだけでは動けん」
「君は最近、任務でも判断を誤っていると聞く。それに今日も、魔力の不安定さが目立つ」
「判断力に支障をきたしているのなら、君をこの任務から外すべきだ。無属性ゆえの限界が、ついに表れたのかもしれんな」
反論しようと唇を開くたび、舌は乾いて張りつき、声は喉の奥で砕け散った。
「休養を取れ、東雲。優秀な者を、妄言で潰すわけにはいかない」
信じてもらえない。それだけでなく、疑われている。
視界が揺れ、机の縁を掴む指に冷や汗が滲んだ。白銀の光は霞み、形を失っていった。
◇
会議室を出ると、廊下には昼の光が満ちていた。眩しさは痛みに近く、目を細めても逃れられない。
世界は何事もなかったように明るく、静かで、残酷だった。
「……隊長を告発したって……」
「まさか」
背後から、兵士たちの小声が漏れた。
言葉の端は途切れ、はっきりとは届かない。だが、自分の名と共に囁かれているのはわかった。
その気配が、全身に纏わりつくように離れない。
懐に抱えたはずの重みは消え、胸には空洞だけが残っていた。
立ち止まれば、すべてが崩れてしまう。だから、前に進むしかない。
石畳の反響が、誰の足音かもわからないまま追いかけてくる気がして、僕は足を引きずるように、ただ前へと進んだ。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
次話では、千景の前に立ちはだかる、静かで巧妙な悪意を描きます。
しばらく心が痛む展開が続きますが、彼の想いや選択を、どうか応援していただけたら嬉しいです。
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