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本編
天城レオニス視点:VI. 届かなかった指先
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石畳を割って魔力の奔流が噴き上がり、夜気を裂く咆哮が城壁を震わせた。
暴走に呑まれた精霊は紅く爛れた翼を広げ、理性を失った瞳で空を切り裂く。
群がる魔物は黒い濁流のように城下へ押し寄せ、兵の槍列をあっという間に蹂躙した。
「退け! 門を死守しろ!」
声を張り、剣を振り抜く。
刃に宿す光が閃き、迫る巨躯を両断した。血の匂いが濃く広がり、断末魔の叫びが耳を灼く。
次々と押し寄せる波を薙ぎ払うたび腕は痺れ、息が荒くなる。だが一歩でも退けば、城門は破られる。――ここで止めるしかない。
その時、空気が異様に凍りついた。
吐息が白く煙り、皮膚の上を刃のような冷気が這う。
視線を向ければ、崩れた瓦礫の上に立つ二つの影があった。
リュカ=ヴァレリウス。
そしてその隣に、見間違うはずのない人影――
「……千景、さん……!」
そこに立っていたのは、紛れもなく彼だった。
呼びかけに、千景さんの肩がわずかに震えた。けれどこちらを振り向くことも、声を返すこともなく、ただリュカの隣に立ち尽くしている。
「天城――いや、勇者殿とお呼びしたほうがよろしいか」
ヴァレリウスの声には嘲りと挑発が滲んでいた。
次の瞬間、鋭利な氷槍が雨のように降り注ぐ。
「疾風環!」
剣を翻し受け止める。衝撃で腕が痺れ、凍結した地面が砕けた。
――この冷気。忘れるはずがない。あの時、自分を襲った魔法と同じだ。
思い返せば、あの戦闘のことがずっと胸に引っ掛かっていた。
千景さんに怪我を負わせてしまったあの日、俺は敵の左腕を斬り伏せた。
そして翌日、現場にいなかったはずのヴァレリウスが、怪我を負った左腕を吊っていた。
それだけではない。魔力暴走が激しかった地点には、決まって氷属性の痕跡が残されていたが、今目の前で繰り出された氷槍は、それと全く同じ気配を纏っているではないか。
「やはり……お前だったのか!」
怒りに視界が赤く染まり、地を蹴った。
「颶翔斬!」
だが振り下ろした剣は透明な防壁に弾かれ、鋼をも断つ一撃が鈍い音を立てて虚しく火花を散らした。
壁の向こうに、千景さんがいた。魔力を注ぎ、確かにリュカを守っている。
その姿は疑いようがなく、彼自身の意志のようで――
「千景さん……どうして……!」
ヴァレリウスの指先が千景さんの顎を掴み、強引に顔を上げさせた。
抵抗はない。むしろ瞼を伏せ、迎え入れるように唇が重なった。
浅い口づけでは終わらなかった。角度を変え、舌が深く押し入る。
壁越しにさえ湿った音が響き、千景さんの喉から洩れる震え混じりの吐息が、熱を帯びて耳を灼いた。
唇の隙間から溢れた唾液が顎を伝い、糸を引いて垂れた。
ヴァレリウスはそれを舌先で啜り上げ、貪るようにさらに深く唇を抉る。
千景さんの胸が苦しげに上下し、押し殺した声がもれるたびに、濡れた水音がいっそう激しく絡み合った。
耳を嬲る淫らな音が繰り返されるたび、理性が焼き切れそうになる。
「やめろ……やめろぉっ! 千景さんに触れるな……っ!」
血が滲むほど拳を叩きつけても、壁はびくともしない。
目の前で千景さんの肩が震え、呻きがもれた。その響きがどうしても快楽の声に聞こえてしまい、身体の内側が焼け付くように熱くなった。
ヴァレリウスは唇を離し、赤く濡れた口端を愛でるように撫でた。吐息を愉しむその仕草が、残酷なまでに官能的だった。
怒りと嫉妬で視界が揺れた。剣を振り上げても、壁は揺るがない。
――奪われる。
その恐怖と怒りが血より濃く全身を駆け巡った。
次の瞬間、大地が鳴動した。ヴァレリウスの周囲に無数の氷柱が立ち上がり、夜空を裂くように結晶が舞い踊った。
光を受けた結晶は星のごとく煌めき、荘厳な輝きに包まれた彼の声が響いた。
「聞け、人間たちよ。恐怖も絶望も、すべては糧となる。目覚めの時は近い。魔王は還る。世界は新たな王を迎えるのだ!」
奴の腕に抱かれた千景さんが、光に溶けていく。
「千景さん……っ! 行くな!」
叫んだ時には、もう誰もいなかった。残されたのは、凍りついた静寂だけだった。
剣を支える腕が震えた。
――なぜ、あの時、ほんの数刻前に声をかけられた時、もっと言葉を尽くさなかったのか。
掴まれた袖を振り払い、拒むように背を向けたのは俺だ。あの沈黙が、どれほど彼を傷つけたか。
――神罰継承の儀式。
一年に及ぶ苦行の果てに俺はそれを継承した。
そして同時に、俺の特殊能力、祝詞の魅了が覚醒した。
昔から、なぜか人に好かれやすかった。失敗しても責められるより許されることが多かった。
笑顔で声を掛けるだけで、敵意が和らぐことすらあった。
儀式を経て、その能力が強化され、覚醒した。
言葉を発するだけで、相手の不安も怒りも鎮め、好意と信頼を引き出すことができる。
それは祝福であり、呪いでもあった。
儀式の最中、俺は何度も幻影を見せられた。
家族が殺される光景。
次に、千景さんが殺される光景。
何度も、何度も、繰り返し見せられた。
その苦痛の果てに、俺は悟ったのだ。
――彼が、俺にとって世界の全てだと。
儀式が終わった後、千景さんが魔王復活を企てたという噂があることを知った。
だが、そんなこと信じるわけがなかった。
あんなに優しくて、心の美しい人が、そんなことをするはずがない。
信じていた。疑う理由など、どこにもなかった。
それなのに、手にした力を恐れ、無意識にさえ千景さんを縛ってしまうかもしれないと距離を置いた。
彼を手に入れたい気持ちと、彼の気持ちを踏みにじる恐怖の狭間で、俺はそうすることしかできなかった。
――その愚かな選択が、彼をヴァレリウスの掌に追いやったのだ。
「千景さん……俺は、あなたを……」
言葉は血の味に変わり、追うべき影はもうどこにもなかった。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、千景が“真実”と向き合うため、踏み入れてはならない扉を開きます。
すべては、守りたいもののために――。
***
暴走に呑まれた精霊は紅く爛れた翼を広げ、理性を失った瞳で空を切り裂く。
群がる魔物は黒い濁流のように城下へ押し寄せ、兵の槍列をあっという間に蹂躙した。
「退け! 門を死守しろ!」
声を張り、剣を振り抜く。
刃に宿す光が閃き、迫る巨躯を両断した。血の匂いが濃く広がり、断末魔の叫びが耳を灼く。
次々と押し寄せる波を薙ぎ払うたび腕は痺れ、息が荒くなる。だが一歩でも退けば、城門は破られる。――ここで止めるしかない。
その時、空気が異様に凍りついた。
吐息が白く煙り、皮膚の上を刃のような冷気が這う。
視線を向ければ、崩れた瓦礫の上に立つ二つの影があった。
リュカ=ヴァレリウス。
そしてその隣に、見間違うはずのない人影――
「……千景、さん……!」
そこに立っていたのは、紛れもなく彼だった。
呼びかけに、千景さんの肩がわずかに震えた。けれどこちらを振り向くことも、声を返すこともなく、ただリュカの隣に立ち尽くしている。
「天城――いや、勇者殿とお呼びしたほうがよろしいか」
ヴァレリウスの声には嘲りと挑発が滲んでいた。
次の瞬間、鋭利な氷槍が雨のように降り注ぐ。
「疾風環!」
剣を翻し受け止める。衝撃で腕が痺れ、凍結した地面が砕けた。
――この冷気。忘れるはずがない。あの時、自分を襲った魔法と同じだ。
思い返せば、あの戦闘のことがずっと胸に引っ掛かっていた。
千景さんに怪我を負わせてしまったあの日、俺は敵の左腕を斬り伏せた。
そして翌日、現場にいなかったはずのヴァレリウスが、怪我を負った左腕を吊っていた。
それだけではない。魔力暴走が激しかった地点には、決まって氷属性の痕跡が残されていたが、今目の前で繰り出された氷槍は、それと全く同じ気配を纏っているではないか。
「やはり……お前だったのか!」
怒りに視界が赤く染まり、地を蹴った。
「颶翔斬!」
だが振り下ろした剣は透明な防壁に弾かれ、鋼をも断つ一撃が鈍い音を立てて虚しく火花を散らした。
壁の向こうに、千景さんがいた。魔力を注ぎ、確かにリュカを守っている。
その姿は疑いようがなく、彼自身の意志のようで――
「千景さん……どうして……!」
ヴァレリウスの指先が千景さんの顎を掴み、強引に顔を上げさせた。
抵抗はない。むしろ瞼を伏せ、迎え入れるように唇が重なった。
浅い口づけでは終わらなかった。角度を変え、舌が深く押し入る。
壁越しにさえ湿った音が響き、千景さんの喉から洩れる震え混じりの吐息が、熱を帯びて耳を灼いた。
唇の隙間から溢れた唾液が顎を伝い、糸を引いて垂れた。
ヴァレリウスはそれを舌先で啜り上げ、貪るようにさらに深く唇を抉る。
千景さんの胸が苦しげに上下し、押し殺した声がもれるたびに、濡れた水音がいっそう激しく絡み合った。
耳を嬲る淫らな音が繰り返されるたび、理性が焼き切れそうになる。
「やめろ……やめろぉっ! 千景さんに触れるな……っ!」
血が滲むほど拳を叩きつけても、壁はびくともしない。
目の前で千景さんの肩が震え、呻きがもれた。その響きがどうしても快楽の声に聞こえてしまい、身体の内側が焼け付くように熱くなった。
ヴァレリウスは唇を離し、赤く濡れた口端を愛でるように撫でた。吐息を愉しむその仕草が、残酷なまでに官能的だった。
怒りと嫉妬で視界が揺れた。剣を振り上げても、壁は揺るがない。
――奪われる。
その恐怖と怒りが血より濃く全身を駆け巡った。
次の瞬間、大地が鳴動した。ヴァレリウスの周囲に無数の氷柱が立ち上がり、夜空を裂くように結晶が舞い踊った。
光を受けた結晶は星のごとく煌めき、荘厳な輝きに包まれた彼の声が響いた。
「聞け、人間たちよ。恐怖も絶望も、すべては糧となる。目覚めの時は近い。魔王は還る。世界は新たな王を迎えるのだ!」
奴の腕に抱かれた千景さんが、光に溶けていく。
「千景さん……っ! 行くな!」
叫んだ時には、もう誰もいなかった。残されたのは、凍りついた静寂だけだった。
剣を支える腕が震えた。
――なぜ、あの時、ほんの数刻前に声をかけられた時、もっと言葉を尽くさなかったのか。
掴まれた袖を振り払い、拒むように背を向けたのは俺だ。あの沈黙が、どれほど彼を傷つけたか。
――神罰継承の儀式。
一年に及ぶ苦行の果てに俺はそれを継承した。
そして同時に、俺の特殊能力、祝詞の魅了が覚醒した。
昔から、なぜか人に好かれやすかった。失敗しても責められるより許されることが多かった。
笑顔で声を掛けるだけで、敵意が和らぐことすらあった。
儀式を経て、その能力が強化され、覚醒した。
言葉を発するだけで、相手の不安も怒りも鎮め、好意と信頼を引き出すことができる。
それは祝福であり、呪いでもあった。
儀式の最中、俺は何度も幻影を見せられた。
家族が殺される光景。
次に、千景さんが殺される光景。
何度も、何度も、繰り返し見せられた。
その苦痛の果てに、俺は悟ったのだ。
――彼が、俺にとって世界の全てだと。
儀式が終わった後、千景さんが魔王復活を企てたという噂があることを知った。
だが、そんなこと信じるわけがなかった。
あんなに優しくて、心の美しい人が、そんなことをするはずがない。
信じていた。疑う理由など、どこにもなかった。
それなのに、手にした力を恐れ、無意識にさえ千景さんを縛ってしまうかもしれないと距離を置いた。
彼を手に入れたい気持ちと、彼の気持ちを踏みにじる恐怖の狭間で、俺はそうすることしかできなかった。
――その愚かな選択が、彼をヴァレリウスの掌に追いやったのだ。
「千景さん……俺は、あなたを……」
言葉は血の味に変わり、追うべき影はもうどこにもなかった。
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