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本編
天城レオニス視点:VII. 光なき道へ
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視界が赤黒く滲んだ。
扉を吹き飛ばした瞬間、地下の冷たい空気が肺を裂き、息が凍りつく。
結界の向こうで、千景さんが、汚されていた。
鎖に繋がれ、晒された肌が、奴の手で嬲られている。
肌を打つ音が、濁った水音のように響く。何度も、何度も、絶え間なく。
剣を振るうたび、儀式で見た“あの光景”が頭をよぎった。
たとえ幻でも、壊れていく千景さんを見るのは、もう耐えられなかった。
結界を斬る音が悲鳴のように反響し、気づけば剣を放っていた。
刃では届かないのなら、この手で何かを変えたかった。
なのに、血が滲むほど拳を叩きつけても、結界はびくともしなかった。
殺してやりたい。今すぐその喉を裂き、千景さんを奪い返したい。
心からそう思っているのに、後ろから犯され、嗚咽を漏らす千景さんを見て、身体が凍りついたように動けなくなった。
目を逸らしたいのに、逸らせない。
白い肌に、涙に濡れた睫毛に、震える唇に、目が釘づけになった。
――やめろ。見るな。これは、見てはいけない光景だ。
そう言い聞かせても、芯に灯った熱が消えず、呼吸が浅く乱れていく。
名を呼ぼうとしても声は出ず、それどころか、下腹部の疼きが強まっていった。
こんな状況で、どうして。
自分の身体が、彼を救いたいと叫ぶ一方で、震える腰や濡れた声に、昂ぶりで応えてしまっている。
最低だ。
俺は何を見ている。何に興奮している。
あんなにも、守りたいと願った人を――。
「俺は……なんで……こんなの見て、興奮してるんだよ……!」
思わず漏れた叫びに、千景さんがこちらを見た。
涙に濡れた瞳が、真っすぐに俺を責めていた。
――気づかれた。
俺の醜さも、弱さも、すべて見抜かれた。
結晶が脈動を強め、赤紫の光が爆ぜた。
鎖が弾け飛び、千景さんの身体がふわりと宙に浮かぶ。
その身に光が絡みつき、灰を含んだ艶のある黒髪が、銀へとゆっくり染め上げていく。
淡い青の瞳は紅の深淵に溶け、血に濡れた宝石のような輝きを放った。
白磁の肌が浮かび上がり、呼吸のたび、胸元が艶めかしく震える。
鎖から解き放たれ、宙に浮かぶその姿は、凍てついた彫像が命を吹き込まれたようだった。
あまりにも美しく、そして、ぞっとするほど恐ろしかった。
ヴァレリウスが血を吐いて崩れ落ちる。
千景さんはその中で、穏やかに微笑んでいた。
あまりにも穏やかで、美しくて、涙が出そうだった。
「ねぇ、レオ。どう思う?」
その声は、優しく、残酷だった。
勇者は魔王を討たなければならない――その理が、遠く霞んでいく。
千景さんが俺の手を取り、掌を舐めた。
それだけで下腹部の熱がより一層強まった。
「君が勇者なら――僕を、殺してくれますよね?」
その囁きが耳に触れた瞬間、何かが壊れる音がした。
それが自分の心なのか、勇者としての誇りなのかも、もうわからなかった。
何も答えられずにいる俺から身体を離すと、二人の間に風が通り抜け、髪を揺らした。
剣を構えようとしたが、腕が動かなかった。
「……レオ」
視線が絡む。どこか遠いところを見つめるような目で、彼はかすかに微笑んだ。
「君は――光の中にいなきゃ、だめですよ」
その一言が時間を止め、千景さんの姿は風に溶けて消えていった。
「……千景さん……っ」
何も言えず、何もできず、ただその場に立ち尽くす。
焦げた石の匂いが、鉄の味を孕んで肺を刺した。
「……逃げた、のか」
何から?
――俺から?
言葉にして初めて、それが現実になった。
あれほど近くにいたのに、また見失った。
蘇芳に導かれ、ようやく辿り着いたというのに。
彼を探し続けた日々が脳裏をよぎる。
どんな術を使っても、どんな痕跡を追っても掴めなかった。
あの日、突如として目の前に現れた蘇芳に言われた。
――導いてやろう、と。
その言葉だけを信じ、ここまで来た。
だからこそ、今は問いたださずにいられなかった。
「……お前は最初から、こうなることをわかっていたのか」
闇の奥で、赤紫の光が揺らめき、一人の男が姿を現した。
その瞳の奥に宿る光は、千景さんが纏ったそれと、とてもよく似ていた。
足音もなく近づいてきた彼が答える。
「知っていたさ。この先どちらへ向かうかは、お前次第だと」
「俺を……利用したのか」
「導いた。それだけだ」
「千景さんの居場所はわかるんだな」
「当然だ。あれは私を巡っている。私もまた、あれの中に在る」
「……なら、案内してくれ」
その言葉に、蘇芳はゆるやかに目を細めた。
「行くのは構わない。だが、ひとつだけ答えろ」
「……何だ」
「見つけたとき、お前はどうする」
即答できなかった。
蘇芳の声音は冷たく、それでいて妙に人間らしい情を帯びていた。
「千景を殺すのか。それとも、また手を伸ばすだけで――届かずに終わるのか」
喉が詰まり、言葉が出なかった。
「……お前には、わかっているはずだ」
蘇芳がこちらを真っ直ぐに見据えたまま、静かに告げる。
「どちらの選択も、そこに“光”はない。――ならば、お前が創るしかないだろう」
言葉の余韻だけを残し、彼の輪郭は赤紫の光に溶けていった。
空気が静まり返り、どこか遠くで滴る水音が響いた。
残響のように、千景さんの声が甦る。
――君は、光の中にいなきゃ、だめですよ。
光――もしそれが正しさを指すのなら、俺はもうそこにいない。
奴に汚される千景さんを見て、仄暗い欲望すら抱いてしまった俺が、“正しい”わけがない。
それが“救いの力”を意味するなら、俺はとっくに失っている。
世界を救うための力を持ちながら、俺が願ったのは――千景さん、ただ一人の救済だった。
勇者になっても、あの人を守れなかった。奪い返すこともできなかった。
それでもあの人は、祈るようにそう言ったのだ。
まるで、自分がもう戻れない場所を見上げるように。
俺は剣を手に取り、静かに扉の向こうへと歩み出した。
未だ見ぬ、光と闇の境界へ向かって。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、静かに、しかし確実に変化していく千景の姿を描きます。
***
扉を吹き飛ばした瞬間、地下の冷たい空気が肺を裂き、息が凍りつく。
結界の向こうで、千景さんが、汚されていた。
鎖に繋がれ、晒された肌が、奴の手で嬲られている。
肌を打つ音が、濁った水音のように響く。何度も、何度も、絶え間なく。
剣を振るうたび、儀式で見た“あの光景”が頭をよぎった。
たとえ幻でも、壊れていく千景さんを見るのは、もう耐えられなかった。
結界を斬る音が悲鳴のように反響し、気づけば剣を放っていた。
刃では届かないのなら、この手で何かを変えたかった。
なのに、血が滲むほど拳を叩きつけても、結界はびくともしなかった。
殺してやりたい。今すぐその喉を裂き、千景さんを奪い返したい。
心からそう思っているのに、後ろから犯され、嗚咽を漏らす千景さんを見て、身体が凍りついたように動けなくなった。
目を逸らしたいのに、逸らせない。
白い肌に、涙に濡れた睫毛に、震える唇に、目が釘づけになった。
――やめろ。見るな。これは、見てはいけない光景だ。
そう言い聞かせても、芯に灯った熱が消えず、呼吸が浅く乱れていく。
名を呼ぼうとしても声は出ず、それどころか、下腹部の疼きが強まっていった。
こんな状況で、どうして。
自分の身体が、彼を救いたいと叫ぶ一方で、震える腰や濡れた声に、昂ぶりで応えてしまっている。
最低だ。
俺は何を見ている。何に興奮している。
あんなにも、守りたいと願った人を――。
「俺は……なんで……こんなの見て、興奮してるんだよ……!」
思わず漏れた叫びに、千景さんがこちらを見た。
涙に濡れた瞳が、真っすぐに俺を責めていた。
――気づかれた。
俺の醜さも、弱さも、すべて見抜かれた。
結晶が脈動を強め、赤紫の光が爆ぜた。
鎖が弾け飛び、千景さんの身体がふわりと宙に浮かぶ。
その身に光が絡みつき、灰を含んだ艶のある黒髪が、銀へとゆっくり染め上げていく。
淡い青の瞳は紅の深淵に溶け、血に濡れた宝石のような輝きを放った。
白磁の肌が浮かび上がり、呼吸のたび、胸元が艶めかしく震える。
鎖から解き放たれ、宙に浮かぶその姿は、凍てついた彫像が命を吹き込まれたようだった。
あまりにも美しく、そして、ぞっとするほど恐ろしかった。
ヴァレリウスが血を吐いて崩れ落ちる。
千景さんはその中で、穏やかに微笑んでいた。
あまりにも穏やかで、美しくて、涙が出そうだった。
「ねぇ、レオ。どう思う?」
その声は、優しく、残酷だった。
勇者は魔王を討たなければならない――その理が、遠く霞んでいく。
千景さんが俺の手を取り、掌を舐めた。
それだけで下腹部の熱がより一層強まった。
「君が勇者なら――僕を、殺してくれますよね?」
その囁きが耳に触れた瞬間、何かが壊れる音がした。
それが自分の心なのか、勇者としての誇りなのかも、もうわからなかった。
何も答えられずにいる俺から身体を離すと、二人の間に風が通り抜け、髪を揺らした。
剣を構えようとしたが、腕が動かなかった。
「……レオ」
視線が絡む。どこか遠いところを見つめるような目で、彼はかすかに微笑んだ。
「君は――光の中にいなきゃ、だめですよ」
その一言が時間を止め、千景さんの姿は風に溶けて消えていった。
「……千景さん……っ」
何も言えず、何もできず、ただその場に立ち尽くす。
焦げた石の匂いが、鉄の味を孕んで肺を刺した。
「……逃げた、のか」
何から?
――俺から?
言葉にして初めて、それが現実になった。
あれほど近くにいたのに、また見失った。
蘇芳に導かれ、ようやく辿り着いたというのに。
彼を探し続けた日々が脳裏をよぎる。
どんな術を使っても、どんな痕跡を追っても掴めなかった。
あの日、突如として目の前に現れた蘇芳に言われた。
――導いてやろう、と。
その言葉だけを信じ、ここまで来た。
だからこそ、今は問いたださずにいられなかった。
「……お前は最初から、こうなることをわかっていたのか」
闇の奥で、赤紫の光が揺らめき、一人の男が姿を現した。
その瞳の奥に宿る光は、千景さんが纏ったそれと、とてもよく似ていた。
足音もなく近づいてきた彼が答える。
「知っていたさ。この先どちらへ向かうかは、お前次第だと」
「俺を……利用したのか」
「導いた。それだけだ」
「千景さんの居場所はわかるんだな」
「当然だ。あれは私を巡っている。私もまた、あれの中に在る」
「……なら、案内してくれ」
その言葉に、蘇芳はゆるやかに目を細めた。
「行くのは構わない。だが、ひとつだけ答えろ」
「……何だ」
「見つけたとき、お前はどうする」
即答できなかった。
蘇芳の声音は冷たく、それでいて妙に人間らしい情を帯びていた。
「千景を殺すのか。それとも、また手を伸ばすだけで――届かずに終わるのか」
喉が詰まり、言葉が出なかった。
「……お前には、わかっているはずだ」
蘇芳がこちらを真っ直ぐに見据えたまま、静かに告げる。
「どちらの選択も、そこに“光”はない。――ならば、お前が創るしかないだろう」
言葉の余韻だけを残し、彼の輪郭は赤紫の光に溶けていった。
空気が静まり返り、どこか遠くで滴る水音が響いた。
残響のように、千景さんの声が甦る。
――君は、光の中にいなきゃ、だめですよ。
光――もしそれが正しさを指すのなら、俺はもうそこにいない。
奴に汚される千景さんを見て、仄暗い欲望すら抱いてしまった俺が、“正しい”わけがない。
それが“救いの力”を意味するなら、俺はとっくに失っている。
世界を救うための力を持ちながら、俺が願ったのは――千景さん、ただ一人の救済だった。
勇者になっても、あの人を守れなかった。奪い返すこともできなかった。
それでもあの人は、祈るようにそう言ったのだ。
まるで、自分がもう戻れない場所を見上げるように。
俺は剣を手に取り、静かに扉の向こうへと歩み出した。
未だ見ぬ、光と闇の境界へ向かって。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、静かに、しかし確実に変化していく千景の姿を描きます。
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