僕は勇者に救われたくない

御堂あゆこ

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本編

55. 君を愛している

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 言葉のあとに、静寂が降りた。
 何も返ってこない。音もなく、僕の心だけが、そこに取り残される。

「君が嫌がるのは当然です。あんなに僕の世話をしてくれたのに……あの夜、身勝手な欲望で君を汚した。だから……限界なら受け入れます。今まで、本当にありがとう」
 立ち上がろうとしたとき、手首を掴まれた。
「……レオ?」
 その手は熱を帯び、震えていた。
「……千景さん……ごめんなさい」
「君が気に病むことはありません。今は、生きていられることをありがたく思っています。君と蘇芳のおかげです。だから、レオ……ありがとう。僕はもう――」

 言い終える前に、強く抱き寄せられた。
 息が詰まるほどの熱が耳にかかり、鼓動が跳ねた。

「――あの夜、頬を紅潮させて、瞳を潤ませて、震える唇を噛みしめる貴方を見て……どうしようもなく、触れたくなったんです」
「……僕、そんな顔を……」
「守るって決めたのに、この手で壊してしまいそうで怖かった」
「……僕はもう、一度壊れています」
「そんなこと言わないでください! 千景さんは、誰よりも綺麗で、気高くて、優しい人です。どれだけ傷ついても、他人の痛みを見捨てない。――たとえ“魔王”と呼ばれていた時でさえ、貴方は殺す相手を選んでいたじゃないですか。悪人の魂を浄めるように、もう長くは生きられぬ者に安らぎを与えるように。どんなに歪んでいたとしても、貴方はずっと……貴方のままでした」

 レオの声が、真っ直ぐ胸の奥へと沁み込んでいく。

「そんな貴方に、俺は何度も救われた。……あの日、毛布をかけてくれたときから、ずっと……ずっと、貴方が好きでした」

 ――嬉しい。そんなふうに、想っていてくれたなんて。

「……でも、俺には、隣にいる資格がない。貴方は、俺が蘇芳を殺したと知っても……まだ、好きでいてくれますか?」
「……え?」
「神罰を発動させた後、貴方と蘇芳の繋がりを通して、彼を犠牲にする策を考えたのは……俺です。“貴方を生かすため”だと言い聞かせて……本当は、貴方の中から蘇芳を消したかった。……俺だけを見てほしかった」
「そんな……」
「わかっています。最低です。……それでも、貴方が、俺以外の人と生きる世界を受け入れることが、俺にはできなかった」
「……君の我儘で、蘇芳を……?」
「……はい」

 彼の瞳は、取り繕うことも、言い逃れることもせず、真っ直ぐに僕を見つめていた。

「……ひどい人ですね」
「……っ、そうです。貴方を守るふりをして、自分の欲を押しつけた。だから俺は、もう――」
「僕だって同じです」
「……え?」
「僕だって、殺してほしいと、自分の我儘を君に迫りました。蘇芳だってそうです。……どれだけ僕が嫌だと言っても、結局は自分の考えを通した。皆、自分の願いを諦められなかっただけです。君だけじゃない」

 あの夜の記憶が、静かに蘇る。
 優しくて、傲慢で、それでも愛おしかった存在。
 痛みはまだ残っている。けれど、思い出すと、自然と微笑みがこぼれる。
 こんなふうに前を向いていられるのは、他でもない、レオのおかげだ。

「千景さん……やっぱりまだ、蘇芳のことを――」
「違います」

 思わず声が強くなった。
 レオが驚いたように目を瞬く。

「……最後まで聞いてください」
 声に、熱がこもっていく。
「自分の願いのために生きることは、罪ですか? もしそうなら、僕はもう、それ以上の罪をいくつも重ねてきた。それでも――」
 
 心の奥底に溜まっていた想いが、確かな熱を帯びて言葉になっていく。
 僕はレオの目を真っ直ぐに見つめた。もう、逸らしたくはなかった。
 
「それでも、生きたいと、今は思っています。君と蘇芳が繋いでくれたこの命を、今度こそ大切にしたい。だから、もう逃げない。罪からも、本当の願いからも――僕は、自分の意志で、君の隣に立ちたいんです」

 レオの瞳が揺れた。

「だから、教えてください。……レオの“本当の願い”を」

 レオは小さく、唇を震わせた。

「……千景さんに、蘇芳よりも俺を好きになってほしい」
「……だったらもうそれは実現しています」
「……俺だけを見てほしい。……千景さんに触れたい……誰にも触れさせたくない! 俺のことしか考えられなくなるくらい……甘やかして、泣かせたい」 
「……っ!」

 ――僕だって、レオに触れたい。君のことばかり考えて、もう何度も泣いてしまっている。

「……ずっと二人で、生きていきたい。貴方を、愛しているんです……っ!」

 あの日、同じ言葉を聞いたときは、受け止められなかった。
 でも今は違う。
 頑なだった心の奥に、温かな光が灯っていく。

「僕も同じ気持ちです。レオ、僕も君を愛しています。“隣にいる資格”なんて関係ない。お互いがお互いを想い合っている。……それは、二人で生きていく理由にはなりませんか?」
「千景さんっ……ごめんなさい……俺……」

 謝罪なんて、いらなかった。
 彼の想いが、痛いほどに伝わったから。
 僕は、言葉の代わりに唇を重ねた。涙の味に、二人の想いが溶け合っていた。

 唇を離すと、レオは目を見開いていた。
 息が触れあう距離で、視線が絡まる。
 次の瞬間、彼の腕が僕を強く引き寄せる。
 再び唇が重なり、角度を変えて、何度も、何度も、呼吸を交わす。

 たとえまた傷つくことがあったとしても――もう逃げない。
 君と共に、生きていくと決めたから。

***
【作者コメント】
 ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!
 次話では、心も身体もすべてが通じ合う夜を描きます。
 残すところ、あと2話となりました。
 11/2(日)の更新(11:00頃/20:30頃)で完結となります。
 どうか最後まで、千景とレオの行く末を見届けていただけると嬉しいです。
***
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