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第46話
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「ねえ、おかあさん」
幼子の声だ。それも男の。
しかし、その見た目には似つかわしくない、いや、戦場においてはこれも仕方なしか。発せられた声はアルトボイス、ただトーンが低い。
いまいち状況が理解できていないのか、疑問と不安に埋め尽くされた表情のまま母に連れられて、家を出たのだ。
「どうしたの?」
母の声には焦りが見える。何を焦っているのか。仕事に遅れそうなのか。いや、いつもの朝以上に、幼い少年の母は取り乱していたことだろう。
「どこにいくの?」
齢、十にも満たない彼には何もわからない。普段通りに学校に行くものだと思っていたのだ。
「ジョンもおいてきちゃったし……」
彼の疑問に答えるほどの余裕が彼の母親には無かった。少しだけ強く手を握って、幼い少年の手を引いて歩き出す。
母も息子も茶髪の、一目見れば家族だと分かるほどに似ている。
「マルコ。今はママについて来て」
「おとうさんは?」
「お願い」
蹲み込んで、母は息子の両肩に手を置いた。何も聞かずに信じて欲しい。
「帰ってくるから。また会えるから、今は我慢しなさい」
母にも不安があるが、それを目の前の息子に見せるわけにはいかない。彼女は、少しでも気丈に振る舞わなければと、心理的な重圧を感じている。
「うん……」
マルコも従わざるを得なかった。母に心配をかけるのは幼心でありながらも、気が引けたのだ。
陽光が差し始める早朝、普段以上の忙しなさが渦を巻いている。
人の波が我先にと前へ進む。
「ジョンは?」
マルコは気になったのだ。尋ねられずには居られなかった。
「マルコ」
「ねえ、おかあさん……」
唇を噛み締めるような顔を見せてから、母は歩き始めた。
「大丈夫、また会えるから」
母は言い聞かせることしかできない。息子を叩き起こして、避難する。戦争に巻き込まれて死にたくなどない。不安と責務がのしかかる。
敵国の陽の国は容赦がない。などと言った情報が出回っていた。無防備な者も殺して、兵士など関係なく蹂躙している。
この地もいずれ戦場になる。その前に安全な場所へ逃げなければ。
「マルコ!」
名前を呼ばれてマルコは歩き始める。戦争の脅威が音を立てて近づいていた。
子供心にはわからない。
何が迫っているのか。何が起きているのか。母が大人たちが眠たい朝に家族を叩き起こして、可愛がっていた犬のジョンを置いて家から逃げるように出た理由も。
そして、マルコはもう父と会うことができないということも。
知るのはきっと今ある全ての最悪が過ぎ去った後だ。もう少しだけ、大人になってからだ。
マルコは一抹の不安を抱きながらも、家の方へと向けていた顔を、母の背中に向けて、駆け足で追いかける。
僅かな明るさの道を巨大な黒が音を立てながら歩く。
内の一機、その中に居る一人の少女は短く浅い呼吸をする。
「はあっ……、はあ……」
玉のような汗が額に滲む。不快感を覚えながらも美空はリーゼの歩む足を進める。
街を抜けた先にあったのは道路のみの荒野。敵影も無い。
『少し休むかい?』
尋ねる九郎の声には疲労の色は薄い。間違いなく、最も体力を消費しているのは美空だ。
「冗談でしょ……?」
こんな敵地のど真ん中で、のんびり休憩をするなどと言う考えは美空には思い浮かぶはずもなかった。
これだけ開いた場所で無防備に休むことなどできるわけがない。
『まあ、リーゼの外殻は硬いんだから攻撃にはそれなりに耐えられる』
「だとしてもロッソが来たら……」
余りにも危険すぎる。
『まあ、君がいいって言うなら良いんだけどね』
阿賀野と九郎には休憩は不要であった。九郎はこう言った疲労には慣れていた。体力的な余裕が充分にある。
阿賀野はと言えば、脅威的なバイタリティからパッチワーク・リーゼをも乗りこなしており、疲労を一切感じさせない動きをしている。
阿賀野には今までの戦闘、進軍行為には疲れを感じるようなものは無かったのだ。
「少しだけ……」
日が覗く中、その空を見上げながら美空は答えた。
『まあ、そこまでの時間も取れないから一時間とかそれくらいなんだけどね』
日が昇り始める中、彼らは荒野の真ん中に立っている。
『君もそれで良いかい?』
九郎が阿賀野に確かめる。
『ああ、構わねぇよ』
阿賀野は興味なさげだ。阿賀野は早く進みたいものだとばかり思っていた。
この二人の歩みを止めたのは紛れもなく美空である。
仕方がないと言うような部分がある。アスタゴに上陸してから、リーゼの起動時間は四時間を超える。ここまでの起動は誰も経験したことがない領域だ。
だと言うのに、阿賀野と九郎を見ているとまるで自分が足を引っ張っているのだと感じてしまう。いや、足を引っ張っているのは間違い無いのだろう。
「悪いと思ってる」
美空が謝るが、九郎も阿賀野も気にした様子は一切見せない。それがどうしてなのかは美空には分からない。
ただ、阿賀野の感情を語るとするならば、一言で済むだろう。
『大丈夫だ。俺はお前に期待なんかしてねぇからな』
迷うことなく、言い澱むこと無く阿賀野は口にした。
『足を引っ張る事に一々、文句は言わねぇよ』
阿賀野の言葉は余りにも正直すぎた。
彼女は阿賀野の期待通りの動きはしないと想定していた。その上での、この発言だった。
だが、何と言われても美空は気にしない。阿賀野の言葉を全て受け止め、ストレスを溜めるほど、美空は愚かになったつもりはない。
美空の乗るリーゼは一時的に機能を停止させた。
幼子の声だ。それも男の。
しかし、その見た目には似つかわしくない、いや、戦場においてはこれも仕方なしか。発せられた声はアルトボイス、ただトーンが低い。
いまいち状況が理解できていないのか、疑問と不安に埋め尽くされた表情のまま母に連れられて、家を出たのだ。
「どうしたの?」
母の声には焦りが見える。何を焦っているのか。仕事に遅れそうなのか。いや、いつもの朝以上に、幼い少年の母は取り乱していたことだろう。
「どこにいくの?」
齢、十にも満たない彼には何もわからない。普段通りに学校に行くものだと思っていたのだ。
「ジョンもおいてきちゃったし……」
彼の疑問に答えるほどの余裕が彼の母親には無かった。少しだけ強く手を握って、幼い少年の手を引いて歩き出す。
母も息子も茶髪の、一目見れば家族だと分かるほどに似ている。
「マルコ。今はママについて来て」
「おとうさんは?」
「お願い」
蹲み込んで、母は息子の両肩に手を置いた。何も聞かずに信じて欲しい。
「帰ってくるから。また会えるから、今は我慢しなさい」
母にも不安があるが、それを目の前の息子に見せるわけにはいかない。彼女は、少しでも気丈に振る舞わなければと、心理的な重圧を感じている。
「うん……」
マルコも従わざるを得なかった。母に心配をかけるのは幼心でありながらも、気が引けたのだ。
陽光が差し始める早朝、普段以上の忙しなさが渦を巻いている。
人の波が我先にと前へ進む。
「ジョンは?」
マルコは気になったのだ。尋ねられずには居られなかった。
「マルコ」
「ねえ、おかあさん……」
唇を噛み締めるような顔を見せてから、母は歩き始めた。
「大丈夫、また会えるから」
母は言い聞かせることしかできない。息子を叩き起こして、避難する。戦争に巻き込まれて死にたくなどない。不安と責務がのしかかる。
敵国の陽の国は容赦がない。などと言った情報が出回っていた。無防備な者も殺して、兵士など関係なく蹂躙している。
この地もいずれ戦場になる。その前に安全な場所へ逃げなければ。
「マルコ!」
名前を呼ばれてマルコは歩き始める。戦争の脅威が音を立てて近づいていた。
子供心にはわからない。
何が迫っているのか。何が起きているのか。母が大人たちが眠たい朝に家族を叩き起こして、可愛がっていた犬のジョンを置いて家から逃げるように出た理由も。
そして、マルコはもう父と会うことができないということも。
知るのはきっと今ある全ての最悪が過ぎ去った後だ。もう少しだけ、大人になってからだ。
マルコは一抹の不安を抱きながらも、家の方へと向けていた顔を、母の背中に向けて、駆け足で追いかける。
僅かな明るさの道を巨大な黒が音を立てながら歩く。
内の一機、その中に居る一人の少女は短く浅い呼吸をする。
「はあっ……、はあ……」
玉のような汗が額に滲む。不快感を覚えながらも美空はリーゼの歩む足を進める。
街を抜けた先にあったのは道路のみの荒野。敵影も無い。
『少し休むかい?』
尋ねる九郎の声には疲労の色は薄い。間違いなく、最も体力を消費しているのは美空だ。
「冗談でしょ……?」
こんな敵地のど真ん中で、のんびり休憩をするなどと言う考えは美空には思い浮かぶはずもなかった。
これだけ開いた場所で無防備に休むことなどできるわけがない。
『まあ、リーゼの外殻は硬いんだから攻撃にはそれなりに耐えられる』
「だとしてもロッソが来たら……」
余りにも危険すぎる。
『まあ、君がいいって言うなら良いんだけどね』
阿賀野と九郎には休憩は不要であった。九郎はこう言った疲労には慣れていた。体力的な余裕が充分にある。
阿賀野はと言えば、脅威的なバイタリティからパッチワーク・リーゼをも乗りこなしており、疲労を一切感じさせない動きをしている。
阿賀野には今までの戦闘、進軍行為には疲れを感じるようなものは無かったのだ。
「少しだけ……」
日が覗く中、その空を見上げながら美空は答えた。
『まあ、そこまでの時間も取れないから一時間とかそれくらいなんだけどね』
日が昇り始める中、彼らは荒野の真ん中に立っている。
『君もそれで良いかい?』
九郎が阿賀野に確かめる。
『ああ、構わねぇよ』
阿賀野は興味なさげだ。阿賀野は早く進みたいものだとばかり思っていた。
この二人の歩みを止めたのは紛れもなく美空である。
仕方がないと言うような部分がある。アスタゴに上陸してから、リーゼの起動時間は四時間を超える。ここまでの起動は誰も経験したことがない領域だ。
だと言うのに、阿賀野と九郎を見ているとまるで自分が足を引っ張っているのだと感じてしまう。いや、足を引っ張っているのは間違い無いのだろう。
「悪いと思ってる」
美空が謝るが、九郎も阿賀野も気にした様子は一切見せない。それがどうしてなのかは美空には分からない。
ただ、阿賀野の感情を語るとするならば、一言で済むだろう。
『大丈夫だ。俺はお前に期待なんかしてねぇからな』
迷うことなく、言い澱むこと無く阿賀野は口にした。
『足を引っ張る事に一々、文句は言わねぇよ』
阿賀野の言葉は余りにも正直すぎた。
彼女は阿賀野の期待通りの動きはしないと想定していた。その上での、この発言だった。
だが、何と言われても美空は気にしない。阿賀野の言葉を全て受け止め、ストレスを溜めるほど、美空は愚かになったつもりはない。
美空の乗るリーゼは一時的に機能を停止させた。
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