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7 45度の敬礼

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ゼンジが振り向いた先には、松明を持ったブタのようなモンスターが立っていた。
それは、口を大きく開け、左目を異様に光らせながら、ゼンジを睨みつけていた。

「うおぉーーーーっ!け、警棒ぉーっ!」

出現した警棒を素早く握り、ホルダーから取り出すのと同時に、伸ばすために腕を振った。
しかし慌てていたため、振るのと同時に手からすっぽ抜け、ブタに向かって飛んで行った。
警棒はブタの腹に当たり、その場に落ちた。

それでもブタは、ピクリともしなかった。

「ハァハァ。ど、どうしたんだ?」

恐る恐る近付くと、怪しく光る左目には、根元まで深く刺さった警棒の持ち手部分が出ている。それが松明の明かりを反射していた。

「ハァハァ、死んでる、のか?ハァハァ、ぶつかった時か?」

勢い良くぶつかった時に、幸運にも警棒がブタの目に刺さり、息の根を止めていた。

「ふ~。ラッキーだったな」

よく見るとブタは、背後の折れた木に寄り掛かった状態で、立ったまま死んでいた。

「そう言えば警棒がニ個出た。幾つも出るんだな」

警棒を拾おうと思いブタに近付いたその時、右の方から声が聞こえた。

「助かっ」

突然近くで声が聞こえたため、ゼンジはその場で飛び跳ねた。

「ぬわぁ~~~!」

声に驚き、変な声を出した。

「ったぁ~~~!」

声の主も驚いたのか大声を上げた。

ゼンジは声のする方を見ると、泥だらけの少年が立っていた。さっきのブタと闘ったのか、服はボロボロだった。帽子を目深に被っているため、表情は確認出来ない。
よく見ると、泥に混ざって血が流れている。

「ハァハァ。ビビったぁ。ハァハァ。血だらけじゃないか。大丈夫か?」

「大丈夫じゃ…この血は妾の血ではない…妾をかばって……」 

そこまで言うと少年は、視線をゼンジの後ろへと逸らした。
ゼンジは振り向き視線の先を追うと、うつ伏せで人が倒れていた。

「えっ!?」

(自分が足を引っかけたのは、あの人かな?ヤバイな、息はあるのか?てか『わらわ』って…女の子か?)

「あそこで倒れているのは君の仲間なのか?」

「妾を守るために、みんな死んでしまった…もう、妾の護衛は誰もおらぬ…」

そう言ってうつ向いた少年の耳が、尖っている事に気付いた。

(耳が尖ってる…え?今死んでるって言ったのか)

「死んでるのか!!」

ゼンジは驚き、再び振り向いた。

しかし直ぐに、目の前の現実から逃げるように目を背け、食道から込み上げてくるものを無理やり飲み込んだ。
そしてまた、逃げるように思考を切り替えた。

(あの人も耳が尖ってる。人間じゃないのか?エルフかも)

「まさか、君は…」

その言葉に、少年は驚いた顔をして、おもむろに否定し始めた。

「わ、わら、私も護衛じゃ…です。そこに倒れているお方が王女です。実は、わら、わたく、私は王女の影武者です。男です!」

そう言って指を差した先には、血塗れになった三人が折り重なって倒れていた。

「王女様!影武者?男!?」

それはまるで、身なりの良い少女を守るように、ニ人の大人が覆いかぶさっていた。
ゼンジは駆け寄ったが、すでに三人とも事切れていた。

「死んでる……うっぷ」

ゼンジは初めて人の死に直面した。

自衛官であるゼンジの使命は、人の命を、平和を守る事である。しかし、だからと言って平和な日本で戦争は皆無であり、人が死ぬ事は無いのだと、心のどこかで思っていた。

それがこの世界に来て、突然逆転したのである。自分自身も死に目に遭い、目の前には年端も行かぬ子供が傷だらけで絶命している。

だが、現実を受け止めようとはしなかった。

「ハァハァ。そんなはずはない。ゲームの中だ。生きてるだろ。そうだリセットすれば良い」

心臓の鼓動が速くなり、体中の血液が猛スピードで駆け巡る。
声に出して否定しようとしても、頭では理解していた。

「リセットすれば……」

顔を上げると雨粒が当たり、熱くなった体を冷ましていく。それは残酷にも、これは現実であると告げられているようだった。

「何て世界だ…」

ゼンジは膝を突き、ようやく現実を受け止めた。

焦点の合わない目を、倒れる少女の顔に合わせた。

(そっくりだ……影武者?だとすると、やはりあの子も女の子だな…こ、この人たちは死んでるのか)

何とも言えない気持ちになり、視線を逸らしたが、逸らした先にも護衛と思われる数人と、大量のブタのモンスターが倒れていた。

「!?何だこれは!?何があったんだ!」

「王女を守りながら闘ったんですが、オークの数が…多すぎて…皆……お、王女を守るために…死んでしまいました……わ、私はどうすれば良いのか…」

「オーク?あのブタの事か?と、とにかくここは危険だ。まだ他にもオークがいるかもしれない。取り敢えずここを離れよう」

しかし、ゼンジの体は鉛のように重く、立ち上がる事が出来なかった。

(体が重い……HPが少ないからか?いや、心のダメージのせいだろうな)

「嫌だ!皆と一緒に行く!」

「そんなこと言ったって、もうみんな死ん」

ゼンジの言葉を遮り、少年が大声を張り上げた。

「嫌だ!離れない!私もここで…死ぬ」

少年の瞳は全てを諦めていた。

(一体何なんだこの世界は!こんなに簡単に死を口にするなんて…何がファンタジーだ!これのどこが憧れの世界なんだ!)

「何言ってるんだ!折角助かったんだ。君まで死ぬことはないだろう!」

「どうして!どうして私だけが…私なんかが生きていても…彼女が…王女が生きていないと意味がないんです…私なんか死んだ方が…皆のため……一人にして…下さい」

「彼女の死を、誰かにちゃんと伝えてやらないと可哀想だろ」

「王女の死を喜ぶ人がいても…悲しむ人なんていない!私もここで死んだ方が良いんだ!私なんて必要ない!王女の死を伝えたところで、どうせ私も殺されるんだ!ここでみんなと一緒に死にたい!」

ゼンジはアーノルド王の言葉を思い出した。

~「無様だな。勇者でもない貴様など必要ない!とっとと自害せよ!」~

(くそっ!勝手に殺すな!)

「殺されるくらいなら、殺し…」

その時、心臓が大きく脈を打ち、視界が歪み始めた。そして、意識が遠退きはじめる。

「死んだ方が良い…」

少年の震える声が聞こえ、我に帰ったゼンジは大きく深呼吸をした。

「死んだ方が良い人間なんていないんだよ。そんな簡単に死ぬなんて言うな!戻れないなら何処か別の場所で生きればいい!」

(何故こんなに熱くなっているんだ?まるで、自分に言ってるみたいだな)

「どうせ見つけ出されて殺されるんだ!」

「それなら強くなれば良い。そうだ!殺されないように、強くなれば良いんだ!」

「でも…もう誰も助けてはくれない」

ゼンジは殺されそうになった時、誰一人として助けようとはしなかった城の人間を思い出した。

~「助けてくれ!誰か助けてくれぇ!」~

目を強く閉じて頭を振った。そして目を開けて少年を見据えた。

(一人にしては駄目だ)

「それでも…辛くても、格好悪くても生きるんだ。彼女らが生きていた証は、君しかいないんだ!一緒に行くぞ!そして一緒に強くなろう!」

少年の目に活力が戻り始めた。その目でゼンジを見つめ返した。

(綺麗な瞳だ。全てを見透かされてるような気がする)

「生きていた……証」

少年はそう呟くと、王女の元へと歩き始めた。
そして、王女の頬に手を添えた。

「……ために……の…」

何かを呟き、王女の手を両手で握りしめた。そしてしばらくの間、動こうとはしなかった。
別れを告げているのだろうと、ゼンジは静かに見守った。

「ありがとう」

はっきりとそう言った少年は、静かに王女の指から指輪を外すと、それを胸の前で握りしめた。

「これは彼女が……王女が生きた証です」

その指輪は優しく輝いていた。
振り向いた彼女は、指輪をはめて寂しそうに呟いた。

「ありがとう」

その声は震えていたが、どこか落ち着く綺麗な声だった。

「気にするな。いや、自分は何もしていない。もう少し早く来たところで、何も出来なかったと思う。怒鳴ったりして悪かったな」

「いや、わら、私の事を助けてくれました。ありがとうございます」

そう言って泣きそうな顔で、ぎこちなく笑顔を作った。ゼンジも無理やり笑顔を作った。

「よく頑張ったな。泣きたい時は泣いて良いんだぞ」

そう言って少年の頭に手を置いた。

「……大丈夫。それより王女達を埋葬したいのじゃ…と思います。手伝ってくれませんか?」

「勿論だよ」 

少年の頭をポンポンと触って答えた。

「あなたは土魔法は使えますか?」

「魔法は使えない。そうだ、これならある。大楯」

すると大楯が目の前に現れた。

「なんじゃ!?お、お主、錬金術師なのか!?」

少年は慌てて言葉遣いがおかしくなった。

「ん?違うぞ。自衛官だ」

「ジエイカン?聞いたこともないのじゃ…です。それはどう使うんですか?」

「これで掘る!」

そう言って大楯の下部を地面に叩きつけた。
しかし、意外というか案の定、土は掘れそうもなかった。

「ダメか。何か他に良い手は……そうだ」

(さっきブタにぶつかった時、レベルが上がった音がしたな)

「ステータスオープン」

(やっぱりレベルが上がってる。スキルは覚えてないか)

ゼンジはオークが持つ松明を見て、再び少年を見た。

「火葬でもいいか?」

「モンスターに食べられるのは嫌なのじゃ…です。お願いします」

「分かった」

その後、王女たちを一か所に集め、立ったまま死んでいるブタのモンスターから松明を奪い取った。

「火を点けるぞ。いいか?」

彼女は深く頷いた。
それを確認して、松明を投げ入れた。火は徐々に炎へと変わって、王女たちを包み込んで行く。
ゼンジは、45度の敬礼をした。これは自衛隊における、脱帽時の死者に対する敬礼である。

「これ以上ここに居ると危ない。最後まで見送れないが、そろそろ出発しよう……と言っても行く当てはないんだが」

「そうですか。では、あちらに行きませんか?私たちが乗っていた馬車があるはずです。今後何かの役に立つ物があるかも」

「そうだな。君がいいならそうしよう」

少年が指差した方向は、ゼンジが逃げてきた方向とは反対側だった。

『ガッチャン』

ゼンジの頭の中で、再びあの音が鳴り響いた。

(!?今のはなんだ!ロックが掛かったような音だな?)

「まさか!!警棒!」

警棒は現れなかった。

(攻撃対象がいなくなると、正当防衛が解除されて、ロックが掛かるみたいだな)

「どうかしましたか?」

少年は、突然大声を出したゼンジに驚いていた。

「大声を出してすまない。何でもないんだ。行こうか」

ゼンジは、オークの目に刺さった警棒は諦め、足元に落ちていた警棒を拾った。それを縮めてホルダーに収納し、右足に巻き付けた。

それからニ人は無言で歩き始めた。

少年は、何度も何度も振り返っていた。


(女神様、こちら自衛官、
隠してるみたいだけど、どう考えても、この子が本当の王女様ですよね?どうぞ)
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