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しおりを挟む「一からお話しいたします。少し、本題から逸れる場合もありますが、ご容赦ください」
と前置きして、彼は話し始めた。
「まず、あの娘は……ユリアナは私の実妹です。私が生まれたハーゼンベルク家は、ご存じの通り父母の死とともに没落し、孤児となった私と妹はあらゆる家をたらい回しにされました。最初のうちは兄妹が一緒にいられましたが、そのうち私たちは別々の家に。その後、縁あってシュヴァルツェン家に拾っていただきました。マティアス、あなたにお仕えできたことは私にとって望外の喜びでした」
マティアスは、答えない。
反応すら見せない。
エリーザベトは彼の腕を握り、マティアスはただ彼女だけを気遣う。
気落ちを隠すこともできず震えたまま、レオポルドは続ける。
「私はあなたの従僕として仕事にありつけましたが、妹ユリアナは……ずいぶん過酷な道を歩んだようでした。殴られたり、食事を与えてもらえなかったこともあったと言います。あの様子では到底信じていただけないでしょうが、性格も知能も昔は普通だったんです。再会したとき、あまりの変わりように妹だと判別できないくらいでしたから」
エリーザベトの中にあったユリアナへの軽蔑や恐れが、ゆるゆると消えていった。
彼女は叔父夫婦のものになった自分の家で辛い思いをして育ったが、それでも使用人と一緒に食事ができた。
暴言はあっても暴力はなかった。
教育も受けられた。
それがどれほど恵まれた環境だったことか。
「私たち兄妹が再会したのはマティアス、あなたが敵の砲弾に吹き飛ばされて負傷したあのときのことです」
「――あの診療所か! 怪しげな治療魔法使いと、その弟子がいた……そうだ、弟子。あの弟子はあの女だ」
マティアスは膝の上で握り拳をきつくした。
エリーザベトはその白くなった手の甲を撫で摩る。
彼女の目を見るときだけ、彼は優しい顔をする。
レオポルドは眼鏡の縁を忙しなく指ではじいた。
「治療所はある団体が作った急ごしらえのものでした。そこにいたのが妹はだとは信じられませんでした。別れたときからあまりにも変わっていましたから」
「そこで俺はあの女に襲われかけた。ああ――怒りだけは、覚えている」
ぎり、と歯ぎしりの音を立ててマティアスは怒りに震えた。
「妹はあなたがすべてを忘れ、自分を愛するように催眠魔法をかけようとしたのです」
「何故だ!? 何故、俺だったんだ。くそっ。あんな女に触られたことは人生の汚点だ」
「あなた……マティアス」
マティアスはエリーザベトの手を取り、すべすべした感触を確かめるように口づける。
「誓って、エリーザベト。俺が己の意思で選んだ女は君だけだ。信じてくれ」
「ええ。信じるわ」
寄り添いあう二人の姿を見なくていいように、レオポルドは俯いた。
彼はマティアスがエリーザベトと結婚したことを本当に喜んでいたのだ。
若い主が愛する人を見つけ、辛いことの多かった人生をこれからは二人で歩いていけることに心からほっとしていた。
羞恥のあまり彼の肩は震えた。
本当は、自分も妹の味方をしたくてしたわけではないと言いたかったのかもしれない。
だがそんな言い訳が通用する時間はすでに終わっていた。
「妹の魔法はほとんど成功していました。あなたは記憶があやふやになり、そこがどこだかもわからなくなった。けれど、記憶は破壊されず心の奥底で守られていました。――その、若奥様のお別れの品である指輪によってです」
エリーザベトは手の中の一揃いの結婚指輪を見つめる。
これは悪しき呪文を跳ね返す魔道具だったと、彼女は出発前のマティアスに説明していた……。
「傷から回復したあなたは記憶も取り戻しました。妹はそれを見て首をかしげていましたよ。自分の魔法に絶大な自信を持っていたようでしたから」
「それから俺に付き纏い始めた」
マティアスは怒りを込めて低い声で唸った。
「もう一度言う。何故、俺だったんだ? 俺より顔がいい男も身分が高い男もいた、なのに何故俺があれに狙われた?」
レオポルドはためらった。
だがすぐに観念した。
「それは……それは、あなたが俺の主人であり、そして幸せな新婚の男だったからです」
「――何?」
すぐには信じられないようだった。
マティアスは自分を落ち着かせるために深く息を吸い込み、エリーザベトのつむじに顔を埋めた。
彼の息を地肌に感じて、彼女は背筋がぶるりと震えるのを必死に抑えた。
「訳が分からない。いったい、だから、なんだと? 俺が幸せであることとお前の妹になんの関係がある」
「……妹は他人が幸せであると、それが自分から不当に奪われた幸せであると認識する人間なのです。そして困ったことに、彼女には才能がありました。軍の後方支援隊に潜り込み、義勇魔法使いとして働きだした。あなたに纏わりつき、他の女魔法使い修道女を威嚇しました」
ふ、と彼は眼鏡を曇らせて自嘲する。
「私のところへは苦情がひっきりなしでしたよ。自分はシュヴァルツェン家の縁故の者で、戦争が終わったらマティアスと結婚して貴婦人になると妹は言い回っていましたから……」
「信じる者などいなかった」
会話の確認というよりはエリーザベトに聞かせる目的で、マティアスはごんと馬車の後ろの壁に後頭部を打ち付ける。
彼はそのまま彼女の顔を気遣うように覗き込んだ。
「俺の天幕にあの女が潜り込んできたとき、俺は怒鳴りつけて引きずり出した。翌日から、俺のことを嫌う男たちが妻帯者のくせに魔法使いに手を付けたと言って囃し立てるようになった。ひょっとしてその悪意ある噂が君のところまで届いていなければいいんだが」
エリーザベトは黙ったまま首を横に振った。
長年の疑問が解けていき、また、あんなに悩んで泣いたのがばからしく思えた。
戦場からの噂はいつだって真偽半々で、尾ひれがつくものだ。
それが恋物語ならなおさらのこと。
みんな美しい物語を欲しがるから。
とくにユリアナほど美しい娘であれば、言動の全てが詩のように見えるに違いない。
エリーザベトとマティアスは最初から夫婦だった。
それだけでいい。
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