28 / 35
28
しおりを挟む切り分けたキャラメルナッツを女たち一人一人に渡して回り、最後に修道院院長にも挨拶をして、エリーザベトは徐々に身の回りの荷物を整理し始めた。
台所で泣いたあと、ソフィアは思った以上に駄々をこねなかった。
決まってしまったことに何を言っても無駄だと思っていたのかもしれないし、まだ状況が飲み込めていないのかもしれなかった。
幼い娘はこれから人生で初めて長距離を移動し、まったく知らない場所に行くのだ。
朝の泉への水汲みはきちんとこなし、ソフィアも花を集める仕事をしたが明らかに覇気がない。
「ルスヴィアのおうちのすぐそばにお花畑があるのよ、ソフィア。こことは違った大きなお花もあるの。パパと三人で取りに行きましょうね」
「うん……」
「ルスヴィアで飼いたいねこちゃんの柄は決めた? 考えてみたら?」
「ふむん……」
といった様子で、口数も少なく、けれどふてくされているわけでもない。
エリーザベトとしても初めての娘の様子に戸惑い、そっとしておくしかなかった。
ソフィアはサラと連れ立ってぷらぷらと遊びに出かけるようになった。
夕方になればちゃんと帰ってくるし、台所の窓に置いておいた昼食はいつの間にかなくなっているから、エリーザベトもモニカも目こぼしすることにした。
「悪いわね、サラちゃんまで巻き込んで」
「ソフィアにしてみれば生まれ故郷を離れるわけでしょ。仕方ないわよ」
モニカは最近、頭がハッキリしている時間も増えて刺繍や繕い物ができるようになった。
以前は針を持てば自分に刺そうとするので取り上げられていたのだが。
「あたしもしっかりしなくちゃ」
と健気に言い、サラの声に目を細める姿は力強い。
本当に強い人間というのはこういうものだ、とエリーザベトは思う。レオポルドはエリーザベトを強いといったが、とんでもない。
魔法使いじゃなくても、戦えなくても……。生き返ることができる人間というものが、一番強い。
「そういえば、あんたの旦那は例の秘密結社を追ってるってほんと?」
とモニカは思い出したように言った。
その日の昼下がり、女たちの部屋はどういうわけか閑散としていた。
突然の怪我人への対応と、院長への来客に人手が必要になったのだった。
「秘密結社?」
「戦争のとき、ローブをかぶった変な人たちが新しい信仰って言って布教をしてたでしょ。実はあの団体の頭目は死んだはずの国王陛下の兄上様で、今まで大司教様に隠されていたんだって。その元王族の人が強い強い魔法使いだから、配下の悪者たちにもいっぱい悪い魔法を教えてどんどん悪いことさせてるんですってよ。戦争が終わったってのに世知辛いわねえ」
「ふうん……。夫は仕事の話はしてくれないのよね」
それは一緒に暮らした一か月の間でも常にそうだった。
これから変わるかもしれない、と思って思わずエリーザベトはにやにやしてしまう。
モニカは呆れたように彼女を睨みつけた。
「まったく、新婚みたいな顔しちゃってさ。――よかった。あんたは幸せになんのよ」
「うん。モニカもサラと元気で。ジュリエットにも。手紙を書くわ」
「書かない方がいいよ」
モニカは手元に目を落とし、歌うように言う。
「ここは世間から離れて時間が止まったところでしょ。ここが必要なくなったらきっぱり忘れた方がいいのよ。あたしだってサラをここで成人させるつもりはないわ。ある程度の歳になったら街の秘書学校にでも行かせるつもり」
「モニカ……」
「あんたとソフィアが幸せであるように、お祈りするわ」
モニカはにっこりした。
目の奥にまだ狂気の残滓がちらつき、けれどそれはどんどん薄くなってきた。
エリーザベトはモニカの手を取って黙った。
しばらくそうしていた。
寂しさと感謝と癒えた苦しみのかさぶたが、共振して呻いているようだった。
――レーレン修道院がなければ生きられなかった者同士は固く手を握り合い、生き延びたことを祝福する。
夕方になっても子供たちの足音が聞こえなかったので、エリーザベトが探しに行った。
また、どこかでかくれんぼでもしているうちに、出るに出られなくなったのではないかと思ったのだった。
「サラちゃん? ソフィア!」
最初は花畑を探しに行き、修道女の区画じゅうを探した。
修道士の方に迷い出たのかと思って区画の壁ギリギリまで近寄り、訪ねてみても誰も知らないという。
不安と焦りがますます大きくなっていった。
ソフィアは修道院を離れることをいやがっていた。
そしてサラは優しい女の子で、もし年下のソフィアが強くねだれば外に連れていくことができたし、いつまでも娘の話を聞いてくれたことだろう。
まさか、子供だけで外に抜け出したのでは。
だがその予想は外れていた。
モニカの鋭い悲鳴が聞こえてエリーザベトは身を翻した。
自分たちの区画まで駆けて帰ると、モニカが倒れたサラをがくがく揺すぶりながら断続的な息で悲鳴を上げ続けている。
「――サラちゃん!?」
スカートを膝まで上げてエリーザベトはモニカの横に滑り込んだ。
少女の脈を診ていたジュリエットが顔を上げ、硬い声で言う。
「大丈夫。気絶しているだけだよ」
「ソフィアは? 誰もソフィアを見ていないの?」
今度はエリーザベトが悲鳴を上げる番だった。
彼女は血走った目で周囲を見つめたが、集まってくる女たちの中にも、修道女の黒いベールの中にも小さな娘の姿はなかった。
ウウン、と声を上げてサラが目を開いたのはそのときだった。
「サラちゃん、ソフィアは? ソフィアは?」
「ちょっと、覆いかぶさらないで!」
モニカに押しのけられてもエリーザベトは何も感じなかった。
頭の中には小さなソフィアが暗闇に消えてしまう想像が繰り返し、繰り返し映る。
がくがく膝が震え頭がガンガン痛む。
誰か複数の手が身体を支えてくれて、これがなければ泣き出していただろう。
サラは母親の腕の中にむくりと起き上がり、目をぱちぱちさせながら眉をよせた。
「知らない人がいたの。知らない……女の人」
まさか。
エリーザベトは怒鳴らないよう全身で喉を制御しながら、そっと訪ねた。
「濃いはちみつみたいな金髪の、若い女の人?」
サラはこくりと頷いた。
――ユリアナだ。
魔法を使って修道院に入り込んだのだ。
エリーザベトは立ち上がった。
「どっちに行ったか、わかる?」
「大門の方、行ったよ」
「ありがとう、サラちゃん」
「ちょっとあんた、どこ行くつもりよ!」
ジュリエットに腕を取られ、だがエリーザベトはここで泣きながら待つ気などみじんもなかった。
「娘を追うのよ。決まってるでしょ。取り戻すの」
「待ちなさい、まだ何もわかっていないのよ」
ジュリエットはずんずん進むエリーザベトに追い縋りながら、低い抑えた声で言う。
「子供の証言だけ聞いて、娘を追って飛び出すつもり? どこに行ったかもわからないくせに!」
「いいえ。夫が犯人の所属する団体のことを調べているわ。彼なら何かわかるはず。夫に合流し、娘を追います」
「ダメよ。旦那さんがどこにいるかもわからないんじゃないの」
「ジュリエット」
エリーザベトは腕を取り戻し、立ち止まって背の高いジュリエットの浅黒い顔を覗き込んだ。
笑いの形に細かなちりめん皺が散った、優しい優しい彼女の顔に何度助けられたことか。
そう、修道院の人々は相互にとても優しい。
閉ざされて守られた空間だから。
けれど。
「私はもう十分逃げたわ。逃げて逃げて、でも娘のためなら逃げない。待たない。私はソフィアを追うわ」
1
あなたにおすすめの小説
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。
紺
ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」
実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて……
「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」
信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。
微ざまぁあり。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる