指輪と娘がつなぐもの

重田いの

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 ジュリエットの顔に理解の色が広がった。
 彼女は黒髪を乱して上を向き、ハアと息をつく。

「あたしの若い頃にそっくりだ。――死なないでよ」
「わかってる」
 エリーザベトは決意を込めて頷いた。
「ソフィアからお母さんを奪いやしないわ」

 そして街へと続く道を無心に駆けだした。
 石畳はデコボコで、修道士たちが扉の鍵を閉める時間帯だったのでたくさん呼び止められた。
 エリーザベトは泣いていたのだろうか? 焦った様子で道を塞ごうとしてくれた人までいた。
 彼女はそれらに一切構わなかった。

 大門を走り抜けると夕暮れに照らされた街が赤い模型のように広がっている。
 エリーザベトはソフィアの白っぽい金髪が見えるのではないかと目を凝らした。
 どこにもない。

 マティアスたちがどこにいるかは、手紙の消印からわかっていた。
 街の停留所から隣町行きの最後の辻馬車になんとか乗車することができたが、コインの一枚も持っていないことに席に落ち着いてから気づいた。
 エリーザベトは唇を噛み締め、なるべく小さくなって目的駅までを過ごした。

 駅では当然、御者と揉めた。
「本当にすみません。ルスヴィアのシュヴァルツェン家の者なのです。うっかりしていて、財布を持たず……夫が近くにおりますから、彼を見つけたらすぐ支払いに参りますから」
「だめだめ、金を払わなきゃ降りちゃだめだ!」

 駅には多数の辻馬車にどこかの家の専属馬車、その御者や部下たち、客たちがおり、丸い広場になった場所の一画でそんなやりとりをしているものだから目立つ。
 エリーザベトは気ばかりはやる。
 御者は居丈高に通せんぼするばかり、身の置き場がない。

 悪いのはこちらだが、縦にも横にも大きな御者に怒鳴られるとソフィアもどこかで誰かにこうされているのかしらと考えてしまい、もはや頭が働かないのだった。
 再度、頼み込もうと口を開いたエリーザベトは、御者の肩越しにマティアスの姿を見つけ棒立ちになった。

「エリーザベト!――どうしてここに?」
 彼は人混みをかき分けて彼女の元へたどり着くと、一目で状況を悟り御者にコインを差し出す。

「彼女は俺の妻だ。迷惑かけたようだな」
 口では謝っているが目つきは鋭く、シャツに上着を引っかけた姿でも立ち居振る舞いから軍人であることはわかる。
 マティアスが御者を一睨みすると、彼は一気に腰が低くなってへどもどした。
「い、いやあ。払ってもらえればあっしは別に……」
「だろうな」
 マティアスはエリーザベトの肩を抱き、駅舎の影へ連れていった。

 彼の手は力強く、見上げた横顔は怒って張り詰めていたものの綺麗だった。
 エリーザベトは泣くまいと嗚咽をこらえた。

「どうして夜に出歩いているんだ? ああ、こんな早くまた君の顔を見るとは思わなかった。何があった?」
「ソフィアが」
 すすり泣きが胸から這い上がってくる。
 エリーザベトはマティアスの胸元を掴む。

「ソフィアがいなくなった。攫われたのだと、思うわ」
「何?」
 マティアスの顔が夫から軍人に変わった。
 ざわり、周囲の空気が揺らぐほどの怒りが彼から立ち上り、体温すら上がる。

「ユリアナを見たと言う人がいて、子供なんだけれどあの子はしっかりしていて嘘つきじゃないわ。サラは嘘を言わないから、ソフィアもあの子の真似して正直な子に育ってくれて……」
 もはや錯乱の一歩手前である。
 マティアスはエリーザベトの頬を両手で包んで温めた。
 そのおかげで彼女はようやく、自分の歯がガチガチ鳴っていることに気づいた。
 彼は彼女の身体を抱えたまま歩き出した。

「宿を取るから君はそこに泊まれ。ソフィアは俺が見つける」
「イヤよ!」
 エリーザベトは叫んで彼の首に齧りついた。
 彼女は母親だった。

「ソフィアを探すのよ、私たちで。だって私たちがあの子の親だもの!」
 マティアスは歩みを止めた。
 あらゆる祈りとためらいが彼の顔をかすめ、身体はわなないた。
 エリーザベトはきつくきつく彼のシャツの襟を掴み続ける。

「どんなにつらくてもあの子がいてくれたから耐えられたのよ。絶対に諦めないわ。私たちで探すのよ。あの子を助けるのは私たちよ、それ以外はありえない!」
「くそ。置いていったら追いかけてきそうだな……そして君がそれをできる人なのはわかってるよ、ちくしょう。わかった。絶対に俺から離れるなよ」
 エリーザベトは力強く頷き、マティアスの腕をきつく抱きしめた。
 瞼の裏のソフィアはもう泣いていなかった。

 マティアスがいるなら大丈夫だ。
 彼は命がけで娘のために動いてくれる。
 エリーザベトはそれを知っている。

 夫は駅舎に預けていた馬を引き出した。
 軍馬の巨体は夜のうちに見ても勇ましく、彼の分身のように感じられた。
 二人は馬に相乗りして街を抜け、街道を進む。

 風が冷たかった。
 心も冷たかったし、頬も身体も冷えていた。
 だが背後にマティアスがいてくれ、キャシーには感じなかった安心感をエリーザベトに与えてくれた。

「ちくしょう、ソフィア。俺はどうして気付かなかったんだ? 修道院の結界を突破する魔法をあの女が所持しているなんて!」
「禁じられた魔法を習っていたと、レオポルドが言っていたわ」
「ああ、そんなことができるのは禁術だけだ。くそっ、くそお……あの女……」
 ギリギリと歯ぎしりの音がエリーザベトの耳を打つ。
 馬蹄の音に紛れ、とひそやかな、ぞっとするほど冷たい声が彼女のつむじをくすぐった。

「――殺してやる」
 これが戦場に身を置くさだめに生まれたマティアスの本来の声なのだ、とエリーザベトは悟った。

「組織の連中も皆殺しにしてやる。閣下がどう言おうが文句は言わせない」
 マティアスの火より熱い憎しみがエリーザベトを焼いた。

 彼女も間違いなく同じ気持ちを共有していた。
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