29 / 35
29
しおりを挟むジュリエットの顔に理解の色が広がった。
彼女は黒髪を乱して上を向き、ハアと息をつく。
「あたしの若い頃にそっくりだ。――死なないでよ」
「わかってる」
エリーザベトは決意を込めて頷いた。
「ソフィアからお母さんを奪いやしないわ」
そして街へと続く道を無心に駆けだした。
石畳はデコボコで、修道士たちが扉の鍵を閉める時間帯だったのでたくさん呼び止められた。
エリーザベトは泣いていたのだろうか? 焦った様子で道を塞ごうとしてくれた人までいた。
彼女はそれらに一切構わなかった。
大門を走り抜けると夕暮れに照らされた街が赤い模型のように広がっている。
エリーザベトはソフィアの白っぽい金髪が見えるのではないかと目を凝らした。
どこにもない。
マティアスたちがどこにいるかは、手紙の消印からわかっていた。
街の停留所から隣町行きの最後の辻馬車になんとか乗車することができたが、コインの一枚も持っていないことに席に落ち着いてから気づいた。
エリーザベトは唇を噛み締め、なるべく小さくなって目的駅までを過ごした。
駅では当然、御者と揉めた。
「本当にすみません。ルスヴィアのシュヴァルツェン家の者なのです。うっかりしていて、財布を持たず……夫が近くにおりますから、彼を見つけたらすぐ支払いに参りますから」
「だめだめ、金を払わなきゃ降りちゃだめだ!」
駅には多数の辻馬車にどこかの家の専属馬車、その御者や部下たち、客たちがおり、丸い広場になった場所の一画でそんなやりとりをしているものだから目立つ。
エリーザベトは気ばかりはやる。
御者は居丈高に通せんぼするばかり、身の置き場がない。
悪いのはこちらだが、縦にも横にも大きな御者に怒鳴られるとソフィアもどこかで誰かにこうされているのかしらと考えてしまい、もはや頭が働かないのだった。
再度、頼み込もうと口を開いたエリーザベトは、御者の肩越しにマティアスの姿を見つけ棒立ちになった。
「エリーザベト!――どうしてここに?」
彼は人混みをかき分けて彼女の元へたどり着くと、一目で状況を悟り御者にコインを差し出す。
「彼女は俺の妻だ。迷惑かけたようだな」
口では謝っているが目つきは鋭く、シャツに上着を引っかけた姿でも立ち居振る舞いから軍人であることはわかる。
マティアスが御者を一睨みすると、彼は一気に腰が低くなってへどもどした。
「い、いやあ。払ってもらえればあっしは別に……」
「だろうな」
マティアスはエリーザベトの肩を抱き、駅舎の影へ連れていった。
彼の手は力強く、見上げた横顔は怒って張り詰めていたものの綺麗だった。
エリーザベトは泣くまいと嗚咽をこらえた。
「どうして夜に出歩いているんだ? ああ、こんな早くまた君の顔を見るとは思わなかった。何があった?」
「ソフィアが」
すすり泣きが胸から這い上がってくる。
エリーザベトはマティアスの胸元を掴む。
「ソフィアがいなくなった。攫われたのだと、思うわ」
「何?」
マティアスの顔が夫から軍人に変わった。
ざわり、周囲の空気が揺らぐほどの怒りが彼から立ち上り、体温すら上がる。
「ユリアナを見たと言う人がいて、子供なんだけれどあの子はしっかりしていて嘘つきじゃないわ。サラは嘘を言わないから、ソフィアもあの子の真似して正直な子に育ってくれて……」
もはや錯乱の一歩手前である。
マティアスはエリーザベトの頬を両手で包んで温めた。
そのおかげで彼女はようやく、自分の歯がガチガチ鳴っていることに気づいた。
彼は彼女の身体を抱えたまま歩き出した。
「宿を取るから君はそこに泊まれ。ソフィアは俺が見つける」
「イヤよ!」
エリーザベトは叫んで彼の首に齧りついた。
彼女は母親だった。
「ソフィアを探すのよ、私たちで。だって私たちがあの子の親だもの!」
マティアスは歩みを止めた。
あらゆる祈りとためらいが彼の顔をかすめ、身体はわなないた。
エリーザベトはきつくきつく彼のシャツの襟を掴み続ける。
「どんなにつらくてもあの子がいてくれたから耐えられたのよ。絶対に諦めないわ。私たちで探すのよ。あの子を助けるのは私たちよ、それ以外はありえない!」
「くそ。置いていったら追いかけてきそうだな……そして君がそれをできる人なのはわかってるよ、ちくしょう。わかった。絶対に俺から離れるなよ」
エリーザベトは力強く頷き、マティアスの腕をきつく抱きしめた。
瞼の裏のソフィアはもう泣いていなかった。
マティアスがいるなら大丈夫だ。
彼は命がけで娘のために動いてくれる。
エリーザベトはそれを知っている。
夫は駅舎に預けていた馬を引き出した。
軍馬の巨体は夜のうちに見ても勇ましく、彼の分身のように感じられた。
二人は馬に相乗りして街を抜け、街道を進む。
風が冷たかった。
心も冷たかったし、頬も身体も冷えていた。
だが背後にマティアスがいてくれ、キャシーには感じなかった安心感をエリーザベトに与えてくれた。
「ちくしょう、ソフィア。俺はどうして気付かなかったんだ? 修道院の結界を突破する魔法をあの女が所持しているなんて!」
「禁じられた魔法を習っていたと、レオポルドが言っていたわ」
「ああ、そんなことができるのは禁術だけだ。くそっ、くそお……あの女……」
ギリギリと歯ぎしりの音がエリーザベトの耳を打つ。
馬蹄の音に紛れ、とひそやかな、ぞっとするほど冷たい声が彼女のつむじをくすぐった。
「――殺してやる」
これが戦場に身を置くさだめに生まれたマティアスの本来の声なのだ、とエリーザベトは悟った。
「組織の連中も皆殺しにしてやる。閣下がどう言おうが文句は言わせない」
マティアスの火より熱い憎しみがエリーザベトを焼いた。
彼女も間違いなく同じ気持ちを共有していた。
1
あなたにおすすめの小説
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。
紺
ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」
実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて……
「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」
信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。
微ざまぁあり。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる