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#2 アンデル 彼女について
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彼女の話をしよう。
ハイリー・ユーバシャールの話だ。
その人は、私の兄の友人である。茜色の髪に、緑色の目。白い肌は滑らかで、顔貌美しい女性だった。だが、彼女の魅力を語るには、その造作より、滲み出る生命力の強さに焦点を当てるべきだろうか。
彼女は強かった。単純な肉体的強度について言えば、人並みだったろう。となれば、強靭という言葉の方が適当のように思う。彼女は自身の異能、超回復に並々ならぬ適性を持ち、それはたとえ手足がもげても数時間のうちには完全回復し、元の機能を取り戻すほどだ。他の人間にはない素晴らしい能力である。これは彼女の祖である、プーリッサ三英雄のひとりユーバシャール将軍の血の成すもので、彼女ほど強くその力を顕現したものは始祖を除き歴代にいなかった。
そのユーバシャール将軍は頭が飛んでも再生したというが、豪胆な彼女も流石にそれは試す気にはならなかったらしい。
「いや、生えてこなかったら困るからな」
と、もっともなことを言っていた。
――いいね、アンデル、前線に行くときは、うんと金を積んで、ユーバシャールの紋ではない旗の隊に加えてもらうんだ。ユーバシャールの人間は玉砕覚悟で突っ込んでいく。あそこにいるのは、名誉と命を天秤にかけた命知らずの馬鹿者だけだ。
……と、他ならぬユーバシャール家の五兄妹、長女にして末子、東軍の切り込み隊長である彼女はアクの強い冗談でその過酷な体験を笑い飛ばすのだった。
心配されなくとも、私に剣技の自信は皆無。たとえ訓練に励もうとも、兄のクラウシフのように、手合わせでハイリーと五分に持ち込むことはきっとなかったろう。自分から死地に赴く度胸もない。今も、変わらず。
さてその命知らずの女隊長ハイリーは、齢十八の初陣で魔鳥を仕留め、国主ヨルク・メイズの歓心を買うと、そのまま快進撃を続けた。
対峙するのは、建国前より一日たりともその攻め手を緩めたことのない魔族共である。
彼女は持ち前の異能を大いに発揮し、他の部隊ではできない捨て身とも思える戦法で、魔族共を蹴散らし続けた。怪我をものともしないその特異体質は、常に戦火にさらされ、他国から緩衝区(もっとはっきりと、肉の壁と呼称されることもままある)扱いされるプーリッサにとっては、恵み以外のなんでもなかった。死霊を屠り、毒竜を屠り、三頭犬を屠る。彼女の元には褒章と名誉と命知らずな力自慢が集まって、自然と精鋭揃いになったという。
それでいて、彼女自身は、君主ヨルク・メイズからの報奨は固辞し、無理に押し付けられたものは配下に回したり、なんかの施設に寄付してしまっていたらしい。ああ、高貴な騎士姫よと周囲の人は彼女をもてはやした。実際のところ、彼女がそうした背景は複雑だったのだろうと、同じく三英雄のひとりを祖とするシェンケル家の出である私などは思うのだ。
五百年も昔に、このプーリッサの地を魔族から奪還し、全滅寸前の民を救った三英雄たちは、全員同格であった。不死人ユーバシャールに、聖なる結界使いのメイズ、星読みのシェンケル。彼らはその強力な異能を持つゆえに祖国で迫害され流浪し、見捨てられた辺境都市プーリッサに根を下ろすことにしたのだ。
プーリッサでは畏敬の対象であるこのギフトも、他国では嫌悪・迫害の対象になることがある。ギフトというものは一説によれば、魔族の血が人の血に交じることで発現するのだというのだから、それも仕方あるまい。
その呪われた三人の男たちは、プーリッサを救った後、国を統べるために便宜上必要な役職についた。ユーバシャールは軍の礎となり、魔族の侵入を拒む結界を張ったメイズは国主となった。星読みの力を持ち、人心掌握に長けるシェンケルは国主の補佐となり外交を担ったという。
つまりその段階では、誰が上か下かという序列はなく、国を動かす歯車であるために、彼らはその役職を背負ったのだが、いつしかその事情は忘れ去られ、国主になったメイズ家は、他二家を家臣として扱うようになったのだった。統治機構としてそれが必要だと、私は一応納得するが、そうではない人もいるだろう。メイズもわかっているはずだ。
よって、手柄をあげた家臣に褒美をとらすという形で、メイズはユーバシャールやシェンケルを格下と扱い、あえて自身の優位を誇示しているともとれた。
ユーバシャール家は、ハイリーの四人の兄たちもそれぞれ軍におり、父である当主は将軍ということからもわかるとおり、長く続く武の名家でもあった。わかりやすい英雄譚が尽きず、国民の人気も高い。となれば国主メイズには、ユーバシャールが不用意に力をつけて、自分に楯突くようなことがあっては困るという本音もあったことだろう。
もちろん、ユーバシャールも馬鹿ではないから、矜持を押し殺しながらも表面上はメイズと仲良くやっていた。救国の英雄の末裔たちの仲違いで国を傾けるなんてことは、彼らも本意ではなかったのだろう。
ハイリーは、本人が望んだかどうかは無関係に、誰もが認めるメイズのお気に入りだった。それを悪くとらえる人はあまりいなかったように思える。彼女の命知らずな快進撃は、魔族には脅かされ、周辺国には経済的に置いてきぼりにされているプーリッサ国民の活力になっていただろうから。そう思うのは、私の欲目だろうか。
欲目。そういえば身も蓋もないが、私は子供の頃から、彼女に恋をしていた。今なら彼女に笑って話す自信がある――いや、どうだろうと頭の片隅で、もうひとりの自分が首を傾げた気がした――が、よく我が家に遊びに来ていた彼女に、憧れていた。
ハイリーとの出会いを、はっきり思い出すことはできない。物心ついたころ、既に彼女はそこにいた。
シェンケルとユーバシャールは旧交があり、互いの家に相手の家族を招いて食事をすることもあった。とくに、ハイリーと私の兄のクラウシフは、異性とはいえ同い年で気も合ったらしく、親同士の懇談などにもくっついて相手の家に行き、一日中一緒に遊んでいたそうだ。そんなわけで、ハイリーが我が家に訪れることも多かった。
ちなみに、私は彼女と八つ歳が離れている。そして、兄のクラウシフとは母が違う。兄の実母は、兄を産んで四年ほどして病で亡くなった。私の母は後妻だ。
私が生まれたとき、ハイリーは嬰児というものに興味津々だったと、執事のバルデランから聞いた。そのバルデランによれば、それまで男の子と見間違うような活発さだったハイリーが、……少し元気過ぎるきらいがあったらしい彼女が、まだ猿に似た顔の私を見るなり、急に姉の顔になったのだという。日がな一日、私のベッドの隣に寄り添い、じっとその様子を観察する。そして母に向かって「可愛い、可愛い」とひたすら訴える。
それに不満だったのは兄のクラウシフで、彼女との楽しい時間を邪魔されたと、私に当たっていたとか。赤ん坊だった私には記憶のないことだが、泣いていても大人に教えなかったり、わざと私を驚かせて泣かせたりと、わかりやすいヤキモチを焼いていたようだ。それを母から聞かされた時、兄はバツが悪そうに「すまなかったな、アンデル」と苦笑した。
ハイリーが私を可愛がってくれたのは、なにも嬰児のころに限定したことではない。自分の足で歩くようになり、言葉を話すようになっても、彼女は私を可愛がってくれた。
外遊びの方が好きなのに、私のためにその時間を削ってもたくさんの冒険譚を聞かせてくれた。まるで実際に見てきたかのように、異国の美味しそうなお菓子の話や、恐ろしげな魔族の話、各国の英雄たちの活躍を私が飽きるまで話し続けてくれた。
彼女のお話の引き出しは多かった。ユーバシャール家ではきっと読書も励行されていたのだろう。
ハイリーが話し終えると、決まって私は「いつかハイリーと旅に出たいなあ」と夢を語った。彼女はそうすると小指を私に突き出して、約束してくれたのだ、いつかきっとと。
ハイリーの母君は、彼女を産んだ後、体を壊し次の子を望めなくなったという。だから彼女は、自分の弟か妹に与える予定だった愛情を私に注いでくれたのかもしれない。それがどれだけ私の心を慰めてくれたか、彼女は知らないだろう。
私の母は、私が八つになるころに亡くなった。風邪をこじらせ、肺炎になり、あっけなく。騎士や王子や姫が出てくるおとぎ話と、美しい花々が好きな、少女のような女性だった。
――女の子には、運命のナイトがいるのよアンデル。あなたも誰かのナイトになる日が来るわ。
それが彼女の口癖だった。
その母の死後三年で父も亡くなった。同じく肺炎だった。
たて続いた肉親との別れは、きっと、私の心に影を落とした。それが深刻な影響をもたらさずに済んだのは、兄や彼女の支えがあったからだ。
ただし、幼い私の身に降り掛かったそれらの出来事は、プーリッサでは特筆すべき不幸ではない。
プーリッサは貧しい。大国チュリカやイスマウルでは簡単に治癒される病も、命取りになる。
土地が痩せており、産業が他より乏しいこの国の糧は、前線に赴く傭兵たちが、憂さ晴らしに街で落としていく外貨や、その戦いで魔族の亡骸から採取した珍しい資材が主だ。不安定で常に足りない。
だから、いくら国内有数の名家であるシェンケルやユーバシャールでも、病の癒し手に欠いて、命を落とすのは仕方ないことだった。金のない国に、人材は集まらない。
かと言って、富める他国が貧しい我が国の背後を突くことはなかった。誰しも、魔族の盾になるのはごめんだからだ。盾以上の魅力のない国、それが我が祖国の他国からの評価だったのだ。
その閉塞した状況は、なんとか国を回していくために、余所では考えられないような若い人材も要職に就かざるを得ないほどだった。
さて、母と悲しい別れをした私は、積極性に欠けるようになった。元から、ハイリーやクラウシフの後ろに隠れ、もじもじしているような子どもだったが、その傾向がもっと強くなった。
その私に友人ができるわけもなく。年の近い子どもたちとは、初等教育を受けに通っていた教会で顔を合わせていたが、ちっとも仲良くなれなかった。
私の相手をしてくれるのは、決まって休息日に遊びに来てくれるハイリーと、兄のクラウシフ、そしてその友人たちだった。
ハイリー・ユーバシャールの話だ。
その人は、私の兄の友人である。茜色の髪に、緑色の目。白い肌は滑らかで、顔貌美しい女性だった。だが、彼女の魅力を語るには、その造作より、滲み出る生命力の強さに焦点を当てるべきだろうか。
彼女は強かった。単純な肉体的強度について言えば、人並みだったろう。となれば、強靭という言葉の方が適当のように思う。彼女は自身の異能、超回復に並々ならぬ適性を持ち、それはたとえ手足がもげても数時間のうちには完全回復し、元の機能を取り戻すほどだ。他の人間にはない素晴らしい能力である。これは彼女の祖である、プーリッサ三英雄のひとりユーバシャール将軍の血の成すもので、彼女ほど強くその力を顕現したものは始祖を除き歴代にいなかった。
そのユーバシャール将軍は頭が飛んでも再生したというが、豪胆な彼女も流石にそれは試す気にはならなかったらしい。
「いや、生えてこなかったら困るからな」
と、もっともなことを言っていた。
――いいね、アンデル、前線に行くときは、うんと金を積んで、ユーバシャールの紋ではない旗の隊に加えてもらうんだ。ユーバシャールの人間は玉砕覚悟で突っ込んでいく。あそこにいるのは、名誉と命を天秤にかけた命知らずの馬鹿者だけだ。
……と、他ならぬユーバシャール家の五兄妹、長女にして末子、東軍の切り込み隊長である彼女はアクの強い冗談でその過酷な体験を笑い飛ばすのだった。
心配されなくとも、私に剣技の自信は皆無。たとえ訓練に励もうとも、兄のクラウシフのように、手合わせでハイリーと五分に持ち込むことはきっとなかったろう。自分から死地に赴く度胸もない。今も、変わらず。
さてその命知らずの女隊長ハイリーは、齢十八の初陣で魔鳥を仕留め、国主ヨルク・メイズの歓心を買うと、そのまま快進撃を続けた。
対峙するのは、建国前より一日たりともその攻め手を緩めたことのない魔族共である。
彼女は持ち前の異能を大いに発揮し、他の部隊ではできない捨て身とも思える戦法で、魔族共を蹴散らし続けた。怪我をものともしないその特異体質は、常に戦火にさらされ、他国から緩衝区(もっとはっきりと、肉の壁と呼称されることもままある)扱いされるプーリッサにとっては、恵み以外のなんでもなかった。死霊を屠り、毒竜を屠り、三頭犬を屠る。彼女の元には褒章と名誉と命知らずな力自慢が集まって、自然と精鋭揃いになったという。
それでいて、彼女自身は、君主ヨルク・メイズからの報奨は固辞し、無理に押し付けられたものは配下に回したり、なんかの施設に寄付してしまっていたらしい。ああ、高貴な騎士姫よと周囲の人は彼女をもてはやした。実際のところ、彼女がそうした背景は複雑だったのだろうと、同じく三英雄のひとりを祖とするシェンケル家の出である私などは思うのだ。
五百年も昔に、このプーリッサの地を魔族から奪還し、全滅寸前の民を救った三英雄たちは、全員同格であった。不死人ユーバシャールに、聖なる結界使いのメイズ、星読みのシェンケル。彼らはその強力な異能を持つゆえに祖国で迫害され流浪し、見捨てられた辺境都市プーリッサに根を下ろすことにしたのだ。
プーリッサでは畏敬の対象であるこのギフトも、他国では嫌悪・迫害の対象になることがある。ギフトというものは一説によれば、魔族の血が人の血に交じることで発現するのだというのだから、それも仕方あるまい。
その呪われた三人の男たちは、プーリッサを救った後、国を統べるために便宜上必要な役職についた。ユーバシャールは軍の礎となり、魔族の侵入を拒む結界を張ったメイズは国主となった。星読みの力を持ち、人心掌握に長けるシェンケルは国主の補佐となり外交を担ったという。
つまりその段階では、誰が上か下かという序列はなく、国を動かす歯車であるために、彼らはその役職を背負ったのだが、いつしかその事情は忘れ去られ、国主になったメイズ家は、他二家を家臣として扱うようになったのだった。統治機構としてそれが必要だと、私は一応納得するが、そうではない人もいるだろう。メイズもわかっているはずだ。
よって、手柄をあげた家臣に褒美をとらすという形で、メイズはユーバシャールやシェンケルを格下と扱い、あえて自身の優位を誇示しているともとれた。
ユーバシャール家は、ハイリーの四人の兄たちもそれぞれ軍におり、父である当主は将軍ということからもわかるとおり、長く続く武の名家でもあった。わかりやすい英雄譚が尽きず、国民の人気も高い。となれば国主メイズには、ユーバシャールが不用意に力をつけて、自分に楯突くようなことがあっては困るという本音もあったことだろう。
もちろん、ユーバシャールも馬鹿ではないから、矜持を押し殺しながらも表面上はメイズと仲良くやっていた。救国の英雄の末裔たちの仲違いで国を傾けるなんてことは、彼らも本意ではなかったのだろう。
ハイリーは、本人が望んだかどうかは無関係に、誰もが認めるメイズのお気に入りだった。それを悪くとらえる人はあまりいなかったように思える。彼女の命知らずな快進撃は、魔族には脅かされ、周辺国には経済的に置いてきぼりにされているプーリッサ国民の活力になっていただろうから。そう思うのは、私の欲目だろうか。
欲目。そういえば身も蓋もないが、私は子供の頃から、彼女に恋をしていた。今なら彼女に笑って話す自信がある――いや、どうだろうと頭の片隅で、もうひとりの自分が首を傾げた気がした――が、よく我が家に遊びに来ていた彼女に、憧れていた。
ハイリーとの出会いを、はっきり思い出すことはできない。物心ついたころ、既に彼女はそこにいた。
シェンケルとユーバシャールは旧交があり、互いの家に相手の家族を招いて食事をすることもあった。とくに、ハイリーと私の兄のクラウシフは、異性とはいえ同い年で気も合ったらしく、親同士の懇談などにもくっついて相手の家に行き、一日中一緒に遊んでいたそうだ。そんなわけで、ハイリーが我が家に訪れることも多かった。
ちなみに、私は彼女と八つ歳が離れている。そして、兄のクラウシフとは母が違う。兄の実母は、兄を産んで四年ほどして病で亡くなった。私の母は後妻だ。
私が生まれたとき、ハイリーは嬰児というものに興味津々だったと、執事のバルデランから聞いた。そのバルデランによれば、それまで男の子と見間違うような活発さだったハイリーが、……少し元気過ぎるきらいがあったらしい彼女が、まだ猿に似た顔の私を見るなり、急に姉の顔になったのだという。日がな一日、私のベッドの隣に寄り添い、じっとその様子を観察する。そして母に向かって「可愛い、可愛い」とひたすら訴える。
それに不満だったのは兄のクラウシフで、彼女との楽しい時間を邪魔されたと、私に当たっていたとか。赤ん坊だった私には記憶のないことだが、泣いていても大人に教えなかったり、わざと私を驚かせて泣かせたりと、わかりやすいヤキモチを焼いていたようだ。それを母から聞かされた時、兄はバツが悪そうに「すまなかったな、アンデル」と苦笑した。
ハイリーが私を可愛がってくれたのは、なにも嬰児のころに限定したことではない。自分の足で歩くようになり、言葉を話すようになっても、彼女は私を可愛がってくれた。
外遊びの方が好きなのに、私のためにその時間を削ってもたくさんの冒険譚を聞かせてくれた。まるで実際に見てきたかのように、異国の美味しそうなお菓子の話や、恐ろしげな魔族の話、各国の英雄たちの活躍を私が飽きるまで話し続けてくれた。
彼女のお話の引き出しは多かった。ユーバシャール家ではきっと読書も励行されていたのだろう。
ハイリーが話し終えると、決まって私は「いつかハイリーと旅に出たいなあ」と夢を語った。彼女はそうすると小指を私に突き出して、約束してくれたのだ、いつかきっとと。
ハイリーの母君は、彼女を産んだ後、体を壊し次の子を望めなくなったという。だから彼女は、自分の弟か妹に与える予定だった愛情を私に注いでくれたのかもしれない。それがどれだけ私の心を慰めてくれたか、彼女は知らないだろう。
私の母は、私が八つになるころに亡くなった。風邪をこじらせ、肺炎になり、あっけなく。騎士や王子や姫が出てくるおとぎ話と、美しい花々が好きな、少女のような女性だった。
――女の子には、運命のナイトがいるのよアンデル。あなたも誰かのナイトになる日が来るわ。
それが彼女の口癖だった。
その母の死後三年で父も亡くなった。同じく肺炎だった。
たて続いた肉親との別れは、きっと、私の心に影を落とした。それが深刻な影響をもたらさずに済んだのは、兄や彼女の支えがあったからだ。
ただし、幼い私の身に降り掛かったそれらの出来事は、プーリッサでは特筆すべき不幸ではない。
プーリッサは貧しい。大国チュリカやイスマウルでは簡単に治癒される病も、命取りになる。
土地が痩せており、産業が他より乏しいこの国の糧は、前線に赴く傭兵たちが、憂さ晴らしに街で落としていく外貨や、その戦いで魔族の亡骸から採取した珍しい資材が主だ。不安定で常に足りない。
だから、いくら国内有数の名家であるシェンケルやユーバシャールでも、病の癒し手に欠いて、命を落とすのは仕方ないことだった。金のない国に、人材は集まらない。
かと言って、富める他国が貧しい我が国の背後を突くことはなかった。誰しも、魔族の盾になるのはごめんだからだ。盾以上の魅力のない国、それが我が祖国の他国からの評価だったのだ。
その閉塞した状況は、なんとか国を回していくために、余所では考えられないような若い人材も要職に就かざるを得ないほどだった。
さて、母と悲しい別れをした私は、積極性に欠けるようになった。元から、ハイリーやクラウシフの後ろに隠れ、もじもじしているような子どもだったが、その傾向がもっと強くなった。
その私に友人ができるわけもなく。年の近い子どもたちとは、初等教育を受けに通っていた教会で顔を合わせていたが、ちっとも仲良くなれなかった。
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