R18 咎人は死なずの騎士姫に恋をした

薊野ざわり

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#65 クラウシフ 失意の夜

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 帰宅した俺は、食事を摂る気にもならず、私室にこもった。もう夜になるので、食堂では家族が夕食を摂っているはず。だが、彼らの笑い声や赤ん坊の泣き声を聞きたくなかった。つい先日、イェシュカは双子を出産したから、今の赤ん坊の泣き声は二重奏になっている。

 別段、俺がその場にいなくとも、メイドふたりが子どもたちの面倒を見てくれるから困りはしないだろう。彼女たちはよそで乳母をやっていたが、乳母として雇うとイェシュカが嫌がるので、メイド扱いで雇い入れたのだ。イェシュカは文句を言ってこないから、手伝いの人間が増えたと思っているだけかもしれない。イヌすら世話したことのないお嬢様が、ひとりで赤ん坊と子ども三人を手伝いなしに育てるなんて、土台無理な話だ。
 すべては、『イェシュカは自分の母親への劣等感で、子供を殺す気か?』と思った俺の独断である。

 ……気持ちがささくれだっていると、普段ではなんとも思わないことに苛立つ。イェシュカは悪くないだろうが。

 双子の夜泣きがひどいからと、イェシュカとは寝室を分けている。俺の帰りが遅く、深夜、寝るときに赤ん坊を起こしてしまうこともあり、二人で相談してそう決めたのだ。

 だから自分のベッドはこの部屋にある。そこに仰向けに転がって暗くなった天井をじっと見つめていた。

 あの野郎、ヨルク・メイズ。ふざけやがって畜生め。そう何度舌打ちしたことか。
 だが、――あの男、もしかして気づいてやがるのか? マルート鋼の輸入が容易になると、戦力の維持も楽になり、必然的に結界の価値が下がることを。俺たち宰相派の人間がこっそりそれを目指していることを。わかっている、かもしれない。ものさしがぶっ壊れていても、ものがわからないわけじゃないはずだ。

 だからといって、国が富む第一歩をあんな不名誉なやり口で踏みにじっていいわけがない。ここまでその動きを見過ごしてきて、最後にテーブルをひっくり返すような真似、正常な政を阻害するだけ。それこそ、責任問題だ。国主といえどふさわしくない行動が続くようなら、それなりの処罰がある。たとえば、レクト・メイズとの交代。放埒がすぎれば誰かしら声をあげるはずだ。

 というか、いっそ宰相のじいさんがそうしちまえばいい。あっちのほうが人望はある、声を上げたら着いていく人間は少なくないはずだ。それでも急進的な動きをとらないのは、あの人が慎重派なのと、放っておけばヨルク・メイズの気ままさがむしろあっちの首を締めるようになるからだ。泳がせておけ、ということだろう。

 しかし、いつまで泳がせておけば? いきなり窮地だ。このままじゃ、マルート鋼の輸入制限の部分緩和措置は成立せずにふりだしに戻る。いや、一度白紙になったら次に同じところまで持っていくのには、さらなる労力を必要とするはずだ。ない信頼を築くより、失った信頼を取り戻すほうが大変だ。

「兄さん、お客様です」

 遠慮気味なノック。部屋が暗いから寝ていると思われたのかもしれない。
 アンデルだった。学舎の制服のままだ。俺が暗闇で身を起こすと、アンデルはドアを大きく開ける。差し込む光の帯が太くなった。

「客?」
「マルートの人だよ。なにか約束でもあったの?」
「いや……」
 
 俺は身支度をさっと整え、玄関ホールで待っている男のところへ向かった。後ろをついてくるアンデルを振り返ると、やや心配げな表情。外国の人間が約束もなしに尋ねてきたら、訝しむのは当然だ。
 ようやく大人びた顔つきになってきたのに、そんな表情をしていると、幼い頃と変わっていないように見える。それをからかって、気持ちをほぐしてやろうか考えたが、適当な言葉が思いつかず、そのまま客の前に出た。

 胸に、車輪を咥えた有翼熊の刺繍があるコートを羽織って、その男は深々と頭を下げた。

「クラウシフ・シェンケル殿。突然の訪問、失礼しました。アネト・モーシティより、晩餐に招待するよう申し付けられております。ご同行いただけますか」

 この男は、どうやら使いの者らしい。
 晩餐?
 アネトたちは、城でのもてなしを蹴って、プレザ一の高級宿に移動し、そちらに泊まると聞いている。城より警備ももてなしも質が劣るだろうそちらにいくということは、つまり、この城の住人は信頼できないと言ったようなものだ。両国間の関係にヒビが入ったのを見せつけられて、俺はぐったりしていたのだが。

「主は、シェンケル殿のご来訪を期待しております」

 これを断ったら、なおまずい気がする。いや、だからといって不利な条件を投げられたとき、俺じゃ決められない。どうする。

「こちらは非公式で私的なものでありますので、職務のことは忘れ、楽しんでほしい、との伝言です」

 ダメ押しのように、男は言葉を重ねた。
 仕事の話はナシ、といいつつ、断ったら関係が悪くなるのは必至。行くだけ行って、判断が必要なときは『非公式ですから』と逃げるほかないな。

 俺は、男と一緒に車に乗り込んだ。


 
 翌日に再設定された調印式は、ヨルク・メイズからの丁寧な謝罪からはじまった。空気が硬いと感じることはあったものの、概ね順調に、式次第に沿って手続きは完了し、マルート鋼の輸入制限の部分的緩和は約束された。

 ほっと胸をなでおろした。
 これでようやく第一歩だ。だがこれからさらに関税やらなにやらの引き下げ・緩和に力を入れていかなければ。まだまだ他の金属に比べて制限がきついし、プーリッサには必要とされている資源だから。

 加工済みの武器や防具を購入しているが、国内でも技術を高めて加工を内製にすれば、軍事費の圧縮になるか? いずれ軍用道路を走らせる輸送車両もおきかえて、馬車に頼らなくても済むようになれば――。

 そんなことを考えつつ、表面上はにこやかに会話する大臣とヨルク・メイズの様子を見て、またほっとする。どういうわけか、隣の席に座っていたアネト・モーシティから握手を求められ、ふわふわした気分でそれに応じた。

 反対側の壁際に着席していたプーリッサの、教会関係の人間がこちらをちらちら見て何かをささやきあっているのが、ふと目に入った。品定めするようなその視線は、どこかで見たようなものだ。



 その夜、後ろ倒しになった祝賀会に参加した俺は、普段、挨拶もしなかった男に声をかけられた。昼間こちらを見てこそこそなにかをささやきあっていた禿頭の、爺さんとおっさんの中間地点にある男。挨拶されたのでこちらも挨拶を返す。名前は覚えていない。親しく話す相手ではないからだ。

 宰相派の俺は、教会側の人間とは折り合いがよくない。金属に祝福を与えるギフトを持つ者たちの職業組合が教会だ。教会の創設者たちは、やはりチュリカから流れてきた人間で、教育や風俗をチュリカからもちこみ、国の形成に一役買った。今ではチュリカ式のそれと独自に発展をはじめたプーリッサの内情が噛み合わず、時代錯誤な主張も多いが、未だ影響力は大きく、国政にも席を残している。
 金属に祝福を与えることで運営費の一割以上をまかなっている教会からすると、マルート鋼の輸入緩和措置は、自分たちの飯のタネが奪われかねない事態だ。端っから奴らは反対してきた。

「このたびはおめでとうございます、シェンケル殿。あなたの手腕を褒め称える声をあちこちで耳にしますよ」

 やっぱり名前が思い出せない。
 というか、伝聞か。自分ではそう思ってないけれど、という前置き、本心がダダ漏れだな。

「俺が祝われることでも褒められることでもないですよ。先導もしてなければ俺だけがその恩恵に預かるわけじゃない」
「いえいえ、あなたのがなければ、この調印もならなかったでしょう。昨晩はわざわざ単身マルート側と会談をかさねて、今日のことを頼み込んだとか? きっとアネト・モーシティ殿もご満足いただけたのでしょうねえ。あなたは血筋も高貴で見目麗しく、話術もお手の物……。あやかりたいものです」

 汚い笑顔でこの男が何を言いたいか、ぴんときた。プーリッサは男色が歓迎されない。マルートは逆だ。俺だって、アネトがどういう下心があって俺に接近しているかくらい、薄々勘づいていたが、あの男だって馬鹿じゃないし、遊び慣れた大人の男だ。立場もある。こちらに無理強いしたり、ひどく不快な思いはさせない程度の配慮はある。
 というか、人の動向をこそこそさぐってわざわざ下卑た笑いを投げかけてくるこのおっさんのほうがよっぽど気色悪い。そういうのはあいにく、もう間に合ってるんだよ。

「ははは、よく言われます。おかげで、美しくてかわいい妻も我が家に来てくれましたしね。自慢の妻です。彼女の話で昨夜はとても盛り上がりました。
 アネト殿は気さくな方ですから、閣下もぜひお声がけしてみては? きっと仲良くなれると思いますよ。
 ……ああ、でもいけませんね、独身の方が声をかけるには、アネト殿は魅力的過ぎる。いらぬ誤解を受けるかもしれない。
 ですから下手に俺のことを持ち上げたりしないほうがよろしいかと。下衆の勘繰りで、俺に嫉妬なさってるなんて噂を立てられかねない」

 ぐっと口を閉じた男は、根性で笑顔を作って去っていった。
 羨ましかったらお前がお気に入りになれよ。お前がアネトと懇意になりたいだけだろうが。
 そんな俺の言葉の裏をきちんと読み取ってもらえただろう。そういうのは得意な連中だ、そこだけは信頼できるな。

 お祝いの気持ちが一気に失せて、俺は機械的に酒盃を煽った。

 ヨルク・メイズのにこやかな顔が腹立たしい。調印式の無断欠席は具合が悪かったからだというが、だったらちゃんと医者を呼べ、神殿にこもってる場合じゃねえだろ国主さま、と朝一番に悪態をつきそうになった。あの楽しげに酒盃を空にしていく姿を見ると、随分調子はよくなったようだ。本当に具合が悪かったなら、レクト・メイズにこの場を任せて部屋に引っ込めばいいのに、そうしないのは宰相派を煽っているのか、としか思えない。

 目が合うと、ヨルク・メイズは俺に片目をつぶってみせた。余裕の表情。やっぱり、仮病か。
 
「シェンケル殿」

 呼びかけられて振り返ると、びしっと髪を整えた、盛装のアネトが歩み寄ってきた。

「昨晩はとても楽しい時間をありがとうございました。あなたとの会話がいかに楽しかったか、あなたの志がいかに素晴らしいかを父に伝えたところ、国家の枠組みを超えた友情を望むと言われました。機会がありましたら、ぜひ一度マルートへお越しください。そして我が家にも」
「ありがとうございます」

 強引に握手され、しかもその手を両手で包み込まれ、俺はひきつった笑みを浮かべるほかなかった。スマートな大人の男というのは買いかぶっていたのか。
 それともこれは、昨夜、アネトが自主的に父親を引き止め、調印式に出席を促してくれたことの対価を求められている?

 集中する周囲の視線が気になって、上機嫌に話すアネトの言葉が頭に入ってこない。とりあえず、握ったままの手を離してほしい。とはいえ、振り払うわけにもいかず、俺は彼が父親に呼びつけられて離れていくまで、じっと我慢を続けた。

 アネトの背中ごしに見えたモーシティ大臣は、どこかで見たことのある表情だった。同類相憐れむ。あの威厳たっぷりのじいさんも、身内には悩まされているのかもしれない。親近感がわいた。
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