R18 咎人は死なずの騎士姫に恋をした

薊野ざわり

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#EXTRA 当て馬、当てられる。(前)

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 街で一番の薬屋の主人が、マリベールの雇い主だ。そして下女、それが彼女の仕事である。

 数ヶ月前、主人の取引相手に、新顔が現れた。若い男で、このあたりの人間ではない。多少日焼けしているがまだ白い肌に、細身で控えめな所作。ちょっと猫背だが、顔立ちは整っていて、高めの声はマリベール好みだった。甘くて優しい声で、ゆっくり話す。きっといいところの出なのだろう、彼の書類の手蹟は美しかった。

 その男は町外れの海際、丘の上の一軒家に住んでいて、そこでハーブを育てているのだとか。珍しくて栽培の難しいものも用意してくる――しかも質がよいものをたくさん――ので、主人は彼を大層気に入っている。

 マリベールの最も大きな関心事は、彼が結婚しているかどうかということだったが、どうも既婚者のよう。

 一度、偶然街で彼と行きあった。あちらはマリベールに気づきもしなかった。隣にいる恋人か妻かわからないが、夕焼け色の髪に緑色の目の女に夢中だった。恋人、というにはふたりの間にある空気は気負ったものがなかったからきっと妻だろう。
 彼女はとても美しかった。たおやかさとは対極にありそうな――大股でざくざく歩いている様子からしてわかる――女性で、あの男が選ぶ相手がそういうタイプだとは意外だった。その上彼女は、よく見れば隻腕で……なんだ、惜しいわとマリベールは思ったのだ。

 別に、既婚者でもかまわない。どんな愛妻家だってたまには羽目を外したいことがあるだろう。彼女の主人のように。

 性に奔放なルジット人らしく、マリベールはその彼――サフィール・リミウスに話しかける機会を窺うことにした。



「助けて!」

 すがりついた相手が、びっくりした様子で振り返る。その顔を見て、マリベールは「あ」と思った。サフィール・リミウスだ。上着を引っ張られて体勢を崩した彼は、自分を捕まえた娘と、追いかけてくる四人の男――棍棒や鞘に収まった剣を持っている――を見比べて、果敢にも彼女を背後に庇った。

 夕刻、家々から夕食のにおいがただよってきている細い道だ。こんなところで偶然彼と行き合うなんて。

 細身で頼りない印象だったのに、なかなか悪くないわ。マリベールは彼の腕にすがりついたままそう思う。長めで、柔らかそうな黒い髪はゆったり首筋で結わえられていて、その下の顔は冷静だ。これまた意外、だった。気弱そうに見えるのに、慌てた様子もない。

 追いついてきた男たちが、サフィール・リミウスに詰め寄った。マリベールはさっと彼の背中に小さくなる。わずかな通行人は騒ぎを聞きつけて遠巻きに見学をはじめた。

「おいお前、その女をこちらによこせ。その女は不義を働いて逃げ出してきたのだ、しかるべき人に引き渡さねばならない」
「そんな武器を持って穏やかじゃないですね。詳しいことは知りませんが、必要があるなら憲兵に彼女を引き渡します」
「いいからこちらに渡せといっている」
「いいえ。私刑にされるかもしれない人を、渡すわけにはいきません。まずは憲兵に――」
「いいから」

 焦れた男のひとりが、サフィールの胸ぐらを小突いた。胆力はともかく、体重は明らかに軽そうな彼はよろめいてしまう。マリベールはその煽りを食らって、地面に倒れた。

「大丈夫ですか」

 はじめて慌てたように、サフィールが跪いてマリベールに手を貸す。顔を上げたマリベールは、うなずきあった男らが武器を構えて襲いかかってくるのを、サフィールの肩越しに見た。面倒だから実力行使、ときたか。

「あぶないっ」

 さすがのマリベールもぎゅっと目をつぶった。
 頬をふわりと風がかすめ、甘酸っぱい香りをかいだ。これは――シトロン?

「彼になんの用かは知らないが、殴り合いなら私が受けて立つ」

 朗らかな女の声がして、マリベールは顔をあげた。
 夕陽で赤く染まった淡い色のワンピースを翻し、男の一人の胸ぐらを掴んでいたのは、いつか、サフィールと並んで歩いていた女だ。彼女の編み込まれた赤い髪の先の、二重になったリボンが風で揺れる。ワンピースの裾もさやさやと揺れ、羽織っているショールがはためいた。

 サフィールがはっとしたように立ち上がる。

「ハイリー! 乱暴はだめだ」
「いや、それを今この状況で私に言うの?」

 ハイリーと呼ばれた女が掴んでいた男の胸ぐらを離し、その流れで彼の胸元を小突いた。さきほどサフィールが小突かれたのと同じ場所。彼女よりずっと大柄なのに、男は子供のように尻餅をついて激しく咳き込む。

 身内が恥をかかされたことを憤ったのか、無事な男ふたりが棍棒と長杖をいっせいに振りかぶった。

「ほら、挑発するから!」
「ねえ、私が怒られる筋合いなのかなっ」

 困惑しながら、女はもう動いていた。
 振り下ろされた長杖の先端を、肩より高いところで横薙ぎに蹴り払い、勢いそのままに跳び上がると、体勢を崩しがら空きになった男の横面に鋭い蹴りを見舞う。白い脚が太ももまで露わになって、周囲の観客から下品なやじが飛んだ。

 彼女は着地すると、棍棒を半身になって躱し、いつの間にか奪い取っていた長杖で相手の股間を殴打した。ぎゃっと悲鳴をあげて、攻撃された男はそのまま地面に沈んで痙攣しだした。

「うしろっ!」

 マリベールは思わず声を上げていた。禍々しいきらめき。夕陽を反射する剣が、ハイリーに背後から襲いかかる。ハイリーは長杖を横にしてそれを受けたが、木製の長杖はぽっきり折れて半分の長さになってしまった。観客から悲鳴が上がる。

 大上段に再度振りかぶられた剣は、そのまま躊躇いなく振り下ろされる。しかし、女の柔肉に刃が食い込む前に、かん、と音を立ててあらぬ方向へ軌道が逸れた。ハイリーが長杖の残骸で、剣を横から叩いたのだ。
 そのまま彼女は回転をかけた長杖の横薙ぎの一撃を、剣使いの頬に容赦なくめり込ませた。スカートがぶわりと広がって、まるでダンスの一幕のよう。

 男たちが全員ぴくりともしなくなってから、観客達が騒ぎ出す。
 ぽいと長杖を捨てたハイリーに、声が投げかけられた。

「怪我はない? ……ああ、もう、あなたにこんなことさせたくなかったのに」
「大丈夫だ。そんな顔しなくていい、サフィール。次からは君の前ではしないから」
「隠れてちゃんばらをされる方が心臓に悪いよ。ああいうときは、僕に任せて。たとえ殴られたって、一発くらいだったらいくら僕でも死にはしない」
「……うーん、善処する。
 ところで、彼女は? 知り合い?」

 急に水を向けられて、マリベールははっとした。ハイリーが近づいてきて、泥に汚れたスカートを手で払ってくれる。生身の方の手で。

「いや、知らない子だよ」
「……ご挨拶したことはありますよ、サフィール・リミウスさん。私、オルヴィンの薬屋で働いていたマリベールです」
「え? あ、失礼を。人の顔を覚えるのが苦手で」

 急にサフィールはしどろもどろになった。
 さっきの毅然とした態度との落差に、マリベールは一層彼への好奇心を強くしたのだ。



(もう、失礼しちゃうわ、サフィール・リミウス。私のことをちっとも認識してないなんて)

 粗末な部屋の椅子に腰を下ろし、マリベールは憤慨していた。ただし、顔には出さないようにして。

 ここはサフィールとハイリーの家だ。今はサフィールはいない。マリベールを連れてハイリーだけが帰ってきたのだ。すっかり夜の帳が下りて、部屋の中は暗かったが、ハイリーが灯りを入れると、質素な室内の様子が浮き上がった。

 若い夫婦が暮らすには夢がなさすぎる。そう感じるほど古ぼけて粗末な家だ。サフィールが薬屋で対価として得ていくお金はかなりのものだから、もっといい暮らしができそうなものだけれど。そんなことをマリベールが思うほど家具はぼろぼろ、壁もシミだらけ、歪んだ窓は閉まりきってない。

(しかも、憲兵に突き出す、なんて。普通こういうときは、女をかばうものじゃない?)

 騒ぎの後を思い出して、マリベールはいっそう腹が立ってきた。
 サフィールは、憲兵を呼んできてマリベールごと男たちを引き渡そうと提案したのである。

 彼の言い分はこうだ。
 私刑にされそうだったからマリベールを一時的に保護しようとしたけれど、脅威は去ったし、自分たちには関わり合いのないことだから、手助けはここまででいいだろう。

 対してハイリーはこうだ。
 いやいや、もし憲兵から引き渡してくれと依頼があったらそうすればいいだけで、怪我もしてるし夜だし、女の子を放り出すのはいくらなんでも薄情じゃないか。

 結局、サフィールが折れて、憲兵に事情を説明するためその場に残り、ハイリーとマリベールは先に家に戻ってきたのだった。
 痴情のもつれから男たちに追い回されただけであって、きっと憲兵たちの世話になることはない。よくあることだしルジットの憲兵は緩みきってる。騒動の関係者である自分を、女子供だからと捕縛せず自由にしたところでそれは明らかだ。マリベールはそう思うが。

 しかし、流血沙汰になってしまったから、あとから事情くらいは聞かれるかも。そうなったら面倒だけれど、まあ二つ隣の街まで行けば顔見知りもいない。新しくやり直せるもの大丈夫よ。そうやって生きてきたのだし。
 
 ……なんだったら、この家にしばらくご厄介になってもいいかもしれない。少しだけお金は持ってきたから、お願いしたらハイリーは助けてくれそうだわ。

「その服、汚れてしまったね。とりあえず、寝巻き代わりに私の服を貸してあげる。はい。着替えたら、膝の手当てをしよう」
「ありがとう。あなた、親切ね」
「どういたしまして」

 ハイリーのほうがだいぶ背が高いから、借りた寝間着は袖を折り曲げないと手がでなかった。裾も長くてまで埋もれてしまう。

 着替えながら観察していると、ハイリーもよそ行きの服を脱いで、楽な恰好に着替えはじめた。マリベールに見られていても気にしないようで、さっさと下着姿になる。均整の取れた、そして引き締まった肢体は、同性でも目を引かれる。それに、左腕代わりの金属の義手。彼女はどういった人なのだろう、女性なのに荒事に慣れているなんて。

 ふと、ハイリーの背中にシミを見つけた。大きく開いた下着の隙間。
 いや、あれは、鬱血痕だ。ひとつじゃない、無数に散って花びらのよう。ハイリーはこれに気づいてないのだろうか。着ていた服のシワをもたもたと伸ばしている彼女の背中を、マリベールは遠慮なくとっくり眺める。
 
 付けたのはサフィールに違いない。あの男、あんな顔をしてよくもまあ。もしかしたら夜の方はねちっこいのかしら。というか、この女をどうやって抱くのかしら。間違いなく腕っぷしは負けているだろうに。主導権を握られて搾り取られていたりして。……いえ、逆にこの女が夜はちゃんと『女』の顔になっているとか。

 ふいに、下腹が疼いて、マリベールは口の端をあげた。サフィールの寝室はハイリーとは当然一緒だろう。さて、どうしようかしら。

「マリベール、膝を見せて。処置するから」
「痛くしないでね」
「うーん、滲みるかもしれないなあ。ああ、でもサフィールのこしらえた傷薬はよく効くからそこは心配しないで」

 ハイリーは椅子に座ったマリベールの前にひざまずくと、ゴミを丁寧に鑷子ピンセットでとってくれた。顔をしかめたら「大丈夫? もう少しだよ」と声をかけてくれて。小箱に入った薬瓶を開けて、つんとした匂いのする液体に浸した綿で血を拭って、清潔なガーゼで覆ってくれる。その上で動きが制限されないように上手く包帯を巻いてくれた。片手が不自由なのにその動きは滑らかだ。

「ねえ、サフィールとは夫婦なの?」
「うん、そうだよ」
「結婚して何年? 馴れ初めを聞いてもいい?」

 問うと、ハイリーは片付けをしながら答えてくれた。

「結婚して一年になるね。付き合いは長くて、彼が産まれた頃から。いろいろあって結婚したけれど、もとはいわゆる幼馴染ってやつなんだ」

 ハイリーは髪を解いて、ほぐそうとしはじめた。だがなかなか大変な作業らしい。長い髪の一部がもつれている。大立ち回りのせいだろう。
 マリベールは立ち上がりハイリーに椅子を譲ると、彼女からブラシを受け取ってその髪を梳かしてあげた。ふわふわした赤い髪は、よく手入れされていて指通りがいい。隻腕の彼女が手入れするのは大変そうだから、サフィールが手ずからしてあげているのかしら、と想像する。

「ところで、マリベール、君はどうしてあの男たちに追いかけられていたの」
「……雇用主とそういう関係になって、奥様が破婚を持ち出したら、私のせいにされたのよ」
「おやまあ……、大変だったね」

 ハイリーはため息をついてその先はなにも言わなかった。
 マリベールは概ね満足していた。ハイリーは少し同情してくれたように思う。実際は、奥様に旦那様との関係を暴露したのはマリベール本人だ。というのも、奥様と別れてマリベールと結婚すると旦那様が言い出したから、関係を精算しようと思ったのだ。

 あんな世間知らずで面白みのない男、夫にしたら毎日が地獄だわ。贈り物だってろくにくれなかったし、あちらのほうだってひどいものだった。

 あちこちで男から金目の物を受け取っては、働く場所を変えてきたマリベールだが、その中でもあの男はかなり評価が低い。ケチで不細工でつまらない。おまけにその妻は癇癪持ちで、恥も外聞もなくマリベールを罰しようとした。いいところの妻はたいてい気位が高くて、手切れ金を寄越してはマリベールを追い出して終わりなのに。自分の地位は、そして矜持はこんなことでは傷つきませんのよと澄ました顔をするものだ。

 では、……サフィールは、そしてハイリーはどうだろう。

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