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#EXTRA 当て馬、当てられる。(後)
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マリベールは手の中の赤い髪を丁寧に丁寧に梳りながら、自分の前に座っているハイリーのことを見下ろす。もし自分があの男を掠め取ったら、この女はどんな反応をするだろうか。今こうして触れられている美しい髪をかきむしって、泣きわめくだろうか。あの奥様のように。想像するとぞくぞくしてしまう。
「ねえハイリー、あなたはどう? 私にはわからないの、結婚しているのによその女に手をだした男のために、腹が立つ? 不義を働いたのは男の方だとは思わない?」
「どうかなあ……。私はそういう男女のいざこざはめっぽう疎いんだ」
「じゃあ想像してみて、サフィールがもしほかの女の人とって」
「彼に限ってそんなことはないよ」
ああ、よく聞くわ、その言葉。そういうふたりほどチョロいのよ。マリベールはにんまりする。そして興味なさげに親指の爪の甘皮を人差し指の爪でいじっているハイリーに囁いた。
「男なんて信用できないわよ。もし私がサフィールを誘惑して、彼が堕ちたら、あなたはどうする? 奥様みたいに私に全て罪を着せて罰を与える? 手を出してきたのは男の方なのに」
大抵の女はこのあたりで、嫌そうな顔をしてマリベールを睨んだりする。だが一割くらい、困った顔をして優しげな意見を言ったりする、八方美人な女がいる。そういう女をからかうのも、マリベールは好きだ。本当に夫や恋人を掠め取ってやると、本音をもらしたりするし。
わくわくして、ハイリーの答えを待っていた。
「そうだなあ。彼を盗られたら、誰が悪いとかはどうでもよくて、私はとりあえず皆殺しにしてしまうね」
「皆殺し?」
なんて物騒な冗談。
にこにこしているハイリーを見つめ返して、マリベールは全身に嫌な汗が吹き出てきた。
目が、笑っていない。口元は上品に微笑んでおきながら。その眼力に指先がすうっと冷えていく。
これはたぶん、殺気だ。むき出しの殺意にさらされている。
冗談じゃなくて、この人なら本当にそうする。
「そうだよ。彼に手出しする相手を皆殺しにすれば問題は解決するでしょう。
まあ、まず間違いなく、サフィールはそういうことする人じゃないから、考えるだけ無駄かな」
「ええ、そうね。変なことを聞いて……ごめんなさい」
これ以上は藪蛇になりかねない。しかも出てくるのは遠国に出る魔族の眷属の大蛇級だ。
マリベールは別の話題に切り替えて、ハイリーの髪をまた丁寧に梳る。
◆
明け方、疲れた顔で帰宅した夫を、ハイリーは笑顔で出迎えた。日の出とともに身支度を整え、簡単な朝食まで用意して、のんびり彼の帰りを待っていたのだった。
「おはよう、それであの子はどうなった?」
「どうもこうも……大変だったよ」
夜中に憲兵とともに帰ってきたサフィールは、少女を憲兵に預け、付添でまた街へ戻り、今まで戻らなかった。
保護していた少女は勤め先の薬屋の売上金にも手を出していたらしいのだ。本人はそれを、薬屋主人の好意だったと説明している。いずれにせよ、薬屋の奥さんはかんかんで、話し合いでは済まないだろうというのだ。
「ははあ……災難だったね」
「とても。
ねえハイリー。だから僕言ったよね、あの段階で憲兵に引き渡しておけばよかったんだ」
「ごめんね。でも、アンデル、君らしくないと思ったんだよ。いつもだったら、君はもっと気を遣って優しくしてあげるんじゃないかなって。もし虫の居所が悪いんだったら、あとから八つ当たりしたことを後悔するのが君でしょう? だからそうさせないように」
「……オルヴィンさんのところで、たびたび品物がなくなる、って聞いていたんだ。僕が売った薬草、高価だけどそんなに需要もないはずなのに、しょっちゅう在庫が切れるから、気になって確認したらそういう事情だった。もしかしたら、誰かが横流ししているのかもしれないって、奥さんは疑っていた。
だからね、男たちに追いかけられている彼女の名前と勤め先を聞いて、おや、と思った。
けれども、あの場でその話をしてしまったら、濡れ衣だったとき、あの子の名誉が傷つくでしょう? あなたが呼び寄せた野次馬がたくさんいたんだから。だからそれも含めて、憲兵に任せたほうがいいって考えたんだ。一般人の出る幕じゃない」
「それは手数をかけて申し訳なかった」
ハイリーは、椅子に腰をおろした夫を抱きしめると、その頭頂に口づけを落とした。深いため息をついたサフィールは、しばらくじっとしていたが、やがてそろりと彼女の腰に手を回し抱き返してきた。そして、彼女のワンピースの腰のリボンをするするとほどき始める。
「用心棒家業は廃業したんだと思っていたのに」
「君の専属用心棒は続行中だよ。……ねえ、寝てないのだから無理をしないで休んだほうがいいよ。朝食も用意したから先にそっちを食べるとか。私も疲れているから、……その……」
「大立ち回りするなんて、体力が有り余っている証拠じゃないかな。スカートをからげて、よその男たちに太ももを見せる元気は、発散させておかないと。
それと、あなたは用心棒ではなくて、僕の妻でしょう、本業を疎かにしないで」
「本業って……っん」
前をはだけたワンピースから覗く乳房の膨らみの下のほうに、サフィールが口づけ、そのまま強く吸った。彼の唇が離れると、赤い花びらのような痕が残っている。
「せっかく消えたのに……」
「だから付けたんだよ」
サフィールが苦笑する。
昔だったらこんな痕は、数秒で消えてしまっただろう。
いつだか、ベッドで口づけを交わしたあと、サフィールが言っていたことをハイリーは思い出した。
――ハイリー。あなたがひどい怪我をしてギフトを失って、それは言葉にできないほど、僕にも辛いことだった。でもね、そのおかげであなたがこうして僕の隣にいられるようになったんだと思うと、ちょっと嬉しいんだ。……ごめんなさい。
恥じ入る表情で、切断された腕を撫でる夫を見つめ、君が気に病むことじゃないよと、そのときは言ったのだが……。
「ふふ」
「なにかおかしい?」
すっかりワンピースを脱がしきり、下着の紐を解こうとしているサフィールの髪を撫でて、ハイリーは首を横に振った。
「君もなかなかだなあと思って」
「……誰と比べて?」
ちょっと不機嫌そうに顔をしかめるので、そのシワの寄った眉間に口づけてやる。
「私と比べて、かな」
「意味がよくわからないけれど、とにかく、そろそろ集中してほしい」
「はい」
唇を重ねるなり、手を下着に突っ込んで、やおら背中を執拗に撫で回しはじめた夫のぬくもりに意識を集中させて、ハイリーは吐息をもらした。
「ねえハイリー、あなたはどう? 私にはわからないの、結婚しているのによその女に手をだした男のために、腹が立つ? 不義を働いたのは男の方だとは思わない?」
「どうかなあ……。私はそういう男女のいざこざはめっぽう疎いんだ」
「じゃあ想像してみて、サフィールがもしほかの女の人とって」
「彼に限ってそんなことはないよ」
ああ、よく聞くわ、その言葉。そういうふたりほどチョロいのよ。マリベールはにんまりする。そして興味なさげに親指の爪の甘皮を人差し指の爪でいじっているハイリーに囁いた。
「男なんて信用できないわよ。もし私がサフィールを誘惑して、彼が堕ちたら、あなたはどうする? 奥様みたいに私に全て罪を着せて罰を与える? 手を出してきたのは男の方なのに」
大抵の女はこのあたりで、嫌そうな顔をしてマリベールを睨んだりする。だが一割くらい、困った顔をして優しげな意見を言ったりする、八方美人な女がいる。そういう女をからかうのも、マリベールは好きだ。本当に夫や恋人を掠め取ってやると、本音をもらしたりするし。
わくわくして、ハイリーの答えを待っていた。
「そうだなあ。彼を盗られたら、誰が悪いとかはどうでもよくて、私はとりあえず皆殺しにしてしまうね」
「皆殺し?」
なんて物騒な冗談。
にこにこしているハイリーを見つめ返して、マリベールは全身に嫌な汗が吹き出てきた。
目が、笑っていない。口元は上品に微笑んでおきながら。その眼力に指先がすうっと冷えていく。
これはたぶん、殺気だ。むき出しの殺意にさらされている。
冗談じゃなくて、この人なら本当にそうする。
「そうだよ。彼に手出しする相手を皆殺しにすれば問題は解決するでしょう。
まあ、まず間違いなく、サフィールはそういうことする人じゃないから、考えるだけ無駄かな」
「ええ、そうね。変なことを聞いて……ごめんなさい」
これ以上は藪蛇になりかねない。しかも出てくるのは遠国に出る魔族の眷属の大蛇級だ。
マリベールは別の話題に切り替えて、ハイリーの髪をまた丁寧に梳る。
◆
明け方、疲れた顔で帰宅した夫を、ハイリーは笑顔で出迎えた。日の出とともに身支度を整え、簡単な朝食まで用意して、のんびり彼の帰りを待っていたのだった。
「おはよう、それであの子はどうなった?」
「どうもこうも……大変だったよ」
夜中に憲兵とともに帰ってきたサフィールは、少女を憲兵に預け、付添でまた街へ戻り、今まで戻らなかった。
保護していた少女は勤め先の薬屋の売上金にも手を出していたらしいのだ。本人はそれを、薬屋主人の好意だったと説明している。いずれにせよ、薬屋の奥さんはかんかんで、話し合いでは済まないだろうというのだ。
「ははあ……災難だったね」
「とても。
ねえハイリー。だから僕言ったよね、あの段階で憲兵に引き渡しておけばよかったんだ」
「ごめんね。でも、アンデル、君らしくないと思ったんだよ。いつもだったら、君はもっと気を遣って優しくしてあげるんじゃないかなって。もし虫の居所が悪いんだったら、あとから八つ当たりしたことを後悔するのが君でしょう? だからそうさせないように」
「……オルヴィンさんのところで、たびたび品物がなくなる、って聞いていたんだ。僕が売った薬草、高価だけどそんなに需要もないはずなのに、しょっちゅう在庫が切れるから、気になって確認したらそういう事情だった。もしかしたら、誰かが横流ししているのかもしれないって、奥さんは疑っていた。
だからね、男たちに追いかけられている彼女の名前と勤め先を聞いて、おや、と思った。
けれども、あの場でその話をしてしまったら、濡れ衣だったとき、あの子の名誉が傷つくでしょう? あなたが呼び寄せた野次馬がたくさんいたんだから。だからそれも含めて、憲兵に任せたほうがいいって考えたんだ。一般人の出る幕じゃない」
「それは手数をかけて申し訳なかった」
ハイリーは、椅子に腰をおろした夫を抱きしめると、その頭頂に口づけを落とした。深いため息をついたサフィールは、しばらくじっとしていたが、やがてそろりと彼女の腰に手を回し抱き返してきた。そして、彼女のワンピースの腰のリボンをするするとほどき始める。
「用心棒家業は廃業したんだと思っていたのに」
「君の専属用心棒は続行中だよ。……ねえ、寝てないのだから無理をしないで休んだほうがいいよ。朝食も用意したから先にそっちを食べるとか。私も疲れているから、……その……」
「大立ち回りするなんて、体力が有り余っている証拠じゃないかな。スカートをからげて、よその男たちに太ももを見せる元気は、発散させておかないと。
それと、あなたは用心棒ではなくて、僕の妻でしょう、本業を疎かにしないで」
「本業って……っん」
前をはだけたワンピースから覗く乳房の膨らみの下のほうに、サフィールが口づけ、そのまま強く吸った。彼の唇が離れると、赤い花びらのような痕が残っている。
「せっかく消えたのに……」
「だから付けたんだよ」
サフィールが苦笑する。
昔だったらこんな痕は、数秒で消えてしまっただろう。
いつだか、ベッドで口づけを交わしたあと、サフィールが言っていたことをハイリーは思い出した。
――ハイリー。あなたがひどい怪我をしてギフトを失って、それは言葉にできないほど、僕にも辛いことだった。でもね、そのおかげであなたがこうして僕の隣にいられるようになったんだと思うと、ちょっと嬉しいんだ。……ごめんなさい。
恥じ入る表情で、切断された腕を撫でる夫を見つめ、君が気に病むことじゃないよと、そのときは言ったのだが……。
「ふふ」
「なにかおかしい?」
すっかりワンピースを脱がしきり、下着の紐を解こうとしているサフィールの髪を撫でて、ハイリーは首を横に振った。
「君もなかなかだなあと思って」
「……誰と比べて?」
ちょっと不機嫌そうに顔をしかめるので、そのシワの寄った眉間に口づけてやる。
「私と比べて、かな」
「意味がよくわからないけれど、とにかく、そろそろ集中してほしい」
「はい」
唇を重ねるなり、手を下着に突っ込んで、やおら背中を執拗に撫で回しはじめた夫のぬくもりに意識を集中させて、ハイリーは吐息をもらした。
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