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第11章
第5話
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「何でもないのです。なぜか……、あぁ、どういうことでしょう……」
流れやむことのない涙を、何度も振り払う。
「失礼します。お許しを」
オランドの太い腕が、私を抱き上げた。
そのまま階段を上がると、二階のバルコニーへ出る。
冷たい石造りのベンチに、私を下ろした。
「寒くはないですか?」
彼はしっかりと私の肩を抱き寄せる。
嗚咽と凍える風のせいで体が震えているのに、オランドの胸は私の知る誰よりも大きくて温かかい。
晩秋の月が照らす。
「……。何か、思うことがあるのなら、何でもおっしゃってください。突然現れた存在で……、私では、頼りにならないかもしれませんが。これだけは覚えておいてください。私はいつでも、必ず、どんな時もあなたの味方です」
触れる腕はノアよりもたくましくて、言葉はいつだってノアよりも丁寧で優しくて、ノアよりもずっと……。
「泣きたいのなら、胸も貸します。私の全ては、あなたのものです」
流れる涙を、彼の指が拭った。
「私とのダンスが嫌でした? それとも触られるのが苦手?」
背に回された腕が、もう一度しっかりと私を抱き寄せる。
彼の手が頬に触れ、顎を持ち上げた。顔が近づく。
「キスは?」
そのまま触れてくるかと思った唇は、重ねられることなく離れた。
オランドは立ち上がる。
「……。やめておこう。ここは冷えます。早めに部屋におかえりを」
翌日には、使節団の一行が城へ到着した。
大きな馬車から降りて来たスラリとした使者が、ステファーヌさまとフィルマンさまに挨拶をする。
馬はどれも肥えて毛艶もよく、兵士たちの衣装も立派なものだ。
一緒に運ばれてきた宝石や金貨、布や生糸、工芸品や装飾品は全て、マルゴー王家へと献上される。
「で、出立はいつ?」
ステファーヌさまに呼ばれ、庭に出されたテーブルで一緒にお茶をしている。
「明後日には発とうかと思っております」
「随分と慌ただしいね。もっとゆっくりしていけばいいのに」
オランドは、彼の手には小さすぎるティーカップにゆっくりと口をつけ、フィルマンさまは角砂糖をそのまま口に放り込んだ。
「アデルの準備は? 出来てるの?」
ステファーヌさまはくるみのスコーンを取ると、それを皿に乗せ私の前に置く。
「はい。特に必要な物もございませんので。身の回りのちょっとした品くらいで……」
「ノアから連絡は?」
「わ、……。私からも、送ってはおりますが、返事はまだ来ておりません。少し遠くまで足を伸ばすと言っていたので、それで遅れているのかも」
馬で3日はかかる距離を、手紙でやりとりをしている。
私が連絡を入れてから、ノアからの返事はない。
最後の手紙で山を下りるまで5日はかかると言っていた。
だけどもう、その5日はとうに過ぎている。
「きっと、向こうでの仕事が楽しくなってしまったのでしょう。初めての大きな公務ですもの。私のことなんかより、そちらを気にかける方が、彼にとっては正しい選択ですわ」
フィルマンさまは、じっと私を見下ろす。
そのまま両腕を組んだ。
「アデルは、本当にイイ子だね。いつもお利口さんだ」
ステファーヌさまは、カップを置いて一息つく。
「ノアの心配はしなくていい。こちらには無事の連絡が入っている」
「なら、なおさらですわ。私が心配することはございません」
震える手を、テーブルの下に隠す。
顔は笑っているから、きっと大丈夫。
「お二人には、大変お世話になりました。これでなくなるような縁ではないと、信じております。ノアさまにも、どうかよろしくお伝えくださいませ」
「では、明日の送別会で」
「はい!」
私の作れる最上級の笑顔で、元気にお二人に応える。
そうだ。
これで切れるような縁ならば、私とノアだってきっと続かない。
たとえどんなに離れても、手紙のやりとりは出来るし、会おうと思えば会える。
本当にこれで終わりでないのなら、きっと……。
ステファーヌさまとフィルマンさまが退席していくのを、丁寧に見送る。
残された私とオランドは、お茶のおかわりをした。
「いよいよ明日ですね」
「はい」
秋の日差しが、ぽかぽかと降り注ぐ。
「もう心残りはございませんか」
「このまま、永遠にお別れというわけではございませんもの」
私もそろそろ、覚悟決めないと。
十分にその時間はあったはずだ。
「さぁ、私たちもお暇いたしましょう。今日中には全て片付けてしまわないと。明後日にはここを離れます。今夜があの館での、最後の夜ですわ」
立ち上がった私を、ノアより背の高いオランドがエスコートする。
「ここはもうすっかり秋も深まっておりますが、シェル王国の首都は、もう少し季節も待ってくれています」
「そうね。ずっと南にあるもの」
オランドを振り返ると、さっきと同じ完璧な笑顔を浮かべる。
もう迷いはない。
「今から楽しみだわ」
早めの夕食を済ませ、最後のダンスレッスンが始まる。
「明日はよろしくお願いしますよ、アデルさま。私は作法も礼儀も何も心得ておりません。あなたのサポートがなければ、必ず笑われます」
「まぁ、大丈夫よ。オランドも基礎はしっかり出来ているもの。あとはタイミングを合わせるだけだわ」
彼の大きな手が腰に回り、そっと手を重ねる。
ゆっくりとした音楽が流れ、練習を積み重ねた簡単なステップを踏む。
そうだ。
ノアが私のことを忘れたっていい。
いつかきっと、彼は忘れてしまうだろう。
彼には沢山のお妃候補がいて、これからの日々が待っている。
それでも私が彼のことを忘れなければ、この気持ちは嘘にはならない。
流れやむことのない涙を、何度も振り払う。
「失礼します。お許しを」
オランドの太い腕が、私を抱き上げた。
そのまま階段を上がると、二階のバルコニーへ出る。
冷たい石造りのベンチに、私を下ろした。
「寒くはないですか?」
彼はしっかりと私の肩を抱き寄せる。
嗚咽と凍える風のせいで体が震えているのに、オランドの胸は私の知る誰よりも大きくて温かかい。
晩秋の月が照らす。
「……。何か、思うことがあるのなら、何でもおっしゃってください。突然現れた存在で……、私では、頼りにならないかもしれませんが。これだけは覚えておいてください。私はいつでも、必ず、どんな時もあなたの味方です」
触れる腕はノアよりもたくましくて、言葉はいつだってノアよりも丁寧で優しくて、ノアよりもずっと……。
「泣きたいのなら、胸も貸します。私の全ては、あなたのものです」
流れる涙を、彼の指が拭った。
「私とのダンスが嫌でした? それとも触られるのが苦手?」
背に回された腕が、もう一度しっかりと私を抱き寄せる。
彼の手が頬に触れ、顎を持ち上げた。顔が近づく。
「キスは?」
そのまま触れてくるかと思った唇は、重ねられることなく離れた。
オランドは立ち上がる。
「……。やめておこう。ここは冷えます。早めに部屋におかえりを」
翌日には、使節団の一行が城へ到着した。
大きな馬車から降りて来たスラリとした使者が、ステファーヌさまとフィルマンさまに挨拶をする。
馬はどれも肥えて毛艶もよく、兵士たちの衣装も立派なものだ。
一緒に運ばれてきた宝石や金貨、布や生糸、工芸品や装飾品は全て、マルゴー王家へと献上される。
「で、出立はいつ?」
ステファーヌさまに呼ばれ、庭に出されたテーブルで一緒にお茶をしている。
「明後日には発とうかと思っております」
「随分と慌ただしいね。もっとゆっくりしていけばいいのに」
オランドは、彼の手には小さすぎるティーカップにゆっくりと口をつけ、フィルマンさまは角砂糖をそのまま口に放り込んだ。
「アデルの準備は? 出来てるの?」
ステファーヌさまはくるみのスコーンを取ると、それを皿に乗せ私の前に置く。
「はい。特に必要な物もございませんので。身の回りのちょっとした品くらいで……」
「ノアから連絡は?」
「わ、……。私からも、送ってはおりますが、返事はまだ来ておりません。少し遠くまで足を伸ばすと言っていたので、それで遅れているのかも」
馬で3日はかかる距離を、手紙でやりとりをしている。
私が連絡を入れてから、ノアからの返事はない。
最後の手紙で山を下りるまで5日はかかると言っていた。
だけどもう、その5日はとうに過ぎている。
「きっと、向こうでの仕事が楽しくなってしまったのでしょう。初めての大きな公務ですもの。私のことなんかより、そちらを気にかける方が、彼にとっては正しい選択ですわ」
フィルマンさまは、じっと私を見下ろす。
そのまま両腕を組んだ。
「アデルは、本当にイイ子だね。いつもお利口さんだ」
ステファーヌさまは、カップを置いて一息つく。
「ノアの心配はしなくていい。こちらには無事の連絡が入っている」
「なら、なおさらですわ。私が心配することはございません」
震える手を、テーブルの下に隠す。
顔は笑っているから、きっと大丈夫。
「お二人には、大変お世話になりました。これでなくなるような縁ではないと、信じております。ノアさまにも、どうかよろしくお伝えくださいませ」
「では、明日の送別会で」
「はい!」
私の作れる最上級の笑顔で、元気にお二人に応える。
そうだ。
これで切れるような縁ならば、私とノアだってきっと続かない。
たとえどんなに離れても、手紙のやりとりは出来るし、会おうと思えば会える。
本当にこれで終わりでないのなら、きっと……。
ステファーヌさまとフィルマンさまが退席していくのを、丁寧に見送る。
残された私とオランドは、お茶のおかわりをした。
「いよいよ明日ですね」
「はい」
秋の日差しが、ぽかぽかと降り注ぐ。
「もう心残りはございませんか」
「このまま、永遠にお別れというわけではございませんもの」
私もそろそろ、覚悟決めないと。
十分にその時間はあったはずだ。
「さぁ、私たちもお暇いたしましょう。今日中には全て片付けてしまわないと。明後日にはここを離れます。今夜があの館での、最後の夜ですわ」
立ち上がった私を、ノアより背の高いオランドがエスコートする。
「ここはもうすっかり秋も深まっておりますが、シェル王国の首都は、もう少し季節も待ってくれています」
「そうね。ずっと南にあるもの」
オランドを振り返ると、さっきと同じ完璧な笑顔を浮かべる。
もう迷いはない。
「今から楽しみだわ」
早めの夕食を済ませ、最後のダンスレッスンが始まる。
「明日はよろしくお願いしますよ、アデルさま。私は作法も礼儀も何も心得ておりません。あなたのサポートがなければ、必ず笑われます」
「まぁ、大丈夫よ。オランドも基礎はしっかり出来ているもの。あとはタイミングを合わせるだけだわ」
彼の大きな手が腰に回り、そっと手を重ねる。
ゆっくりとした音楽が流れ、練習を積み重ねた簡単なステップを踏む。
そうだ。
ノアが私のことを忘れたっていい。
いつかきっと、彼は忘れてしまうだろう。
彼には沢山のお妃候補がいて、これからの日々が待っている。
それでも私が彼のことを忘れなければ、この気持ちは嘘にはならない。
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