蓬莱皇国物語Ⅱ~飛翔

翡翠

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   それぞれの愛

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「義勝…あっ!」

 廊下で行き合わせた雅久を部屋へ引き摺り込んだ。一層もがく雅久を腕で拘束して、寝室の華奢な身体をベッドの上に投げ出した。彼はすぐさま身を起こして、義勝の乱暴な行為を咎めるように睨んだ。

「私はまだあんたを許してへん!」

 はっきりと欲情した義勝の顔。雅久はそれに心底腹を立てていた。

 ……別れる。義勝より義弟である武をとる。そう告げて突き返した指輪を彼は戸惑う事なく受け取った。たった一日前の出来事である。

 それなのに謝罪の言葉ひとつなく、欲望の色を宿した目で、雅久の気持ちを無視してこのような真似をする。

いなせてかえらせてもらいます」

 答えない義勝に業を煮やして雅久はベッドから降りた。

「行くな」

 強い力で抱き締められて一瞬、息を飲んだがすぐさま抗う。

「離して下さい!」

 嫌だ…!

 嫌だ…!

 嫌だ…!!

 なし崩しに抱いてなかった事に使用なんて絶対に嫌だ!

 涙が溢れて来た。自分が愛した男はこんな人ではない筈だ。

「離して!あんたなんぞに触れられとうあらへん!」

 ヒステリックに絶叫して腕の中でもがく。

 次の瞬間、雅久は頬を打たれてベッドの上に、再び身体を投げ出された。雅久は打たれた頬を押さえて、睨み返したがすぐに泣き崩れた。

「雅久…」

 戸惑う義勝に雅久が叫んだ。

「私を……こんな事で誤魔化されるもんやと思わんといておくれやす!」

 義勝と夕麿の間には自分には入れない部分がある。記憶を失う前ならば入れたのだろうか。そう思った事もある。

 だが今回の騒ぎで、たとえ記憶があったとしても、やっぱり同じように拒絶された気がする。あの時の義勝の背は、二人の間に入るなと言っていた。だから雅久は、極端な行動に出てしまったのだ。

 全ては嫉妬。どうやっても夕麿には勝てないと感じてしまう。ならばもう離れるしかないではないか。それ以外に自分に何が出来ると言うのだ。

「雅久……確かに夕麿は俺には大切だ。その事に嘘もいつわりもない。だがな、それはお前を想う気持ちとは違う。

 俺が……欲しいと思うのは、雅久、お前だけだ」

「詭弁はいらへん!」

「詭弁なんかじゃない。俺はお前以外を欲しいとは思わない」

「そやったらなんで昨日、私を止めてくれはらへんかった!」

「お前まで武の味方をしたからだ!……お前にだけは…俺の気持ちを…わかって欲しかった」

 無茶苦茶でもわがままでも理不尽でも、愛する人にだけは全部受け入れて欲しかった。夕麿に対しても雅久に対しても、子供じみた独占欲しかなかった。

「そやから私は味方をする事はでけへんかった」

 義勝は雅久の意外な返事に驚いて目を見開いた。

「わからへん?

 私があんたを止めへんかったら、誰が止めるて言わはるんどす?あんたが明らかにあかへん事をしてはるのに、私がそれを認めてしもうたら……あん場合、ほんまの意味であんたは孤立したと思わへんの?」

 雅久が背を向ければ義勝もさすがに折れる。今は頭に血が上っているだけだと。

「私がどないな気持ちでおったのか…わかってへんのは、あんたの方ですやろ!

 そやのに…高辻先生に説得されはってあっさりと掌返したみたいに!そないなもん、許せ言わはる方が無茶やてわからへん!?」

 雅久が義勝の味方をすれば、一枚岩の結束で知られた生徒会が、任期終了間際で二つに割れてしまう。夕麿と義勝が引き継いで苦労して改変し、新しい試みを成功させたものが、つまらない中傷に打ち消されてしまう。その原因を自分が作ったと、武はずっと傷を抱いて生徒会を引き継いで行く。

 良い事などどこにもない。それでは義勝がいつまでも、悪者にされてしまう。だから背を向けて部屋を移ったのだ。逆に思える行動は、雅久なりに義勝を想っての事だったのだ。

「悪かった…俺は、自分の感情しか見えてなかった。その感情も、身勝手な理由が原因だった」

「昨夜、貴之の部屋で私がどないな気持ちで、夜明かしたんか…あんたにはわからへんやろ?辛ろうて辛ろうてて、悲しゅうて…泣き続ける私に貴之はずっと、黙ってついていてくれはった。

 彼かて…周さまと別れたばかりで、まだ辛い筈やのに…」

 責めても仕方がないのに、口をついて出るのは恨み言ばかり。本当は抱き締めて欲しい。もう一度、共に生きようと求婚して欲しい。それなのに義勝は雅久の言葉に謝るばかりだ。

「私の気持ち?そないなもんあんたは、いっこもわかってくれへんやないか」

「雅久…」

 抱き締めて唇を重ねると、細い指が詰め襟の胸元を握り締める。ひとしきり貪ってゆっくりと離れ、義勝は胸に抱いた雅久に語りかけた。

「俺はまだ、お前に一緒に生きて欲しいと言って良いのか?」

「私以外の誰があんたの気にしぃ(何でも気になって神経質な様子・人)の相手、でけるできるモンがおるん?」

「そうだな…雅久、もう一度、指輪を受け取って欲しい」

「そやからあら私のモンですさかい、はよかえしておくれやす」

 素直な返事をしないのはやはり、自分を一番にしてくれなかった嫉妬だった。

「抱いても…良いか…?」

「イヤや」

 横を向いて拒絶する。その態度に義勝が笑みを浮かべた。

「昨夜は俺をひとりにして他の男の部屋へ行ってまだ逆らうのか、雅久?」

 その言葉に雅久は息を呑む。身体の奥底でまた欲望がうごめいた。

「キツいお仕置きが必要なようだな?」

「ああ…そないな事…」

 腕の中の身体が欲情と期待に戦慄き、全身から力が抜けてしまった。

「自分で脱げ、雅久。」

「いやや……堪忍して…」

「ダメだ。悪い事したらお仕置きが必要だろう?」

 顎に手を添えて上を向かせ、噛み含めるように言うと、雅久の瞳が欲情に潤む。わざと離れると羞恥に頬を染めながら制服を脱ぎ始めた。それを舐めるようにゆっくりと眺める。耐え切れずに背を向けようとする雅久に意地悪く言葉をかける。

「ちゃんとこっちを向いて脱げ」

 身を隠す物を取り去った雅久は、羞恥に肌を染めてベッドに横たわった。

「もうこんなにして…淫らだな?」

「そないな事…言わんといておくれやす」

 すっかり欲望を示して、蜜液を溢れ出している雅久のモノを指先で弾く。

「あぅッ!」

 それだけで腰が揺れる。義勝はその身体を俯せにすると後ろ手に拘束する。

「ああ…堪忍や…堪忍しとぉくれやす…」

 紡がれる言葉は逆の意味を持つ。仰向けに戻して腰に枕をあてがうと、蜜液を垂らし続けるモノに、皮製のベルトを巻いて締め付ける。

「ひィッ…やめて…痛い…」

 首を振って嫌がるのを無視して、取り出したローションを蕾に塗る。

「それ…イヤや…」

 いつものジェルと違う。義勝が手にしていたのは、軽い催淫効果のあるローションで、暮れに街に買い物に出た折に、見付けて来たものだった。両脚を胸に着く程折り曲げ、ローションを垂らしながら指を蕾に挿れる。

「あ…ヤ…あッあッ…そこ…あかん…」

 すんなりと受け入れた指が、体内で蠢き濡れた音を響かせる。 ローションに含まれる催淫剤の効果だろうか。 体内から熱がゾクゾクと、背中を拝上って来る。

「嫌がってた割には、感じてるじゃないか、ん?」

「誰が…あッ…!」

 抗う言葉を全部言い終わらないうちに、指があっさりと引き抜かれた。 物足りなさに涙が零れ落ちた。

「もの欲しそうだな、雅久。 良いものをやるから、待ってな」

 義勝の言葉に不思議そうに顔を上げた雅久は、彼が手にしているものに顔を強ばらせた。

「イヤ…それは…イヤや…堪忍…やめて…お願いや…!」

 義勝が手にしていたのは、グロテスクなバイブレーター。 記憶を失った雅久には、一度も使った事がないものだった。

「お仕置きだと言った筈だぞ? お前が悦ぶ事をしてどうする? たっぷり、いたぶってやるから覚悟しろよ?」

 義勝の低い声がもっと低くく響く。

「やめて…イヤ…ひィッ…イヤアアアア!」

 たっぷりとローションを塗ったバイブレーターが、ズブズブと蕾に呑み込まれて行く。 異物の冷たさに雅久は泣き叫んだ。 義勝は平然とスイッチを入れ一番弱い状態にする。

「あ…あ…ヤ…」

 もどかしい刺激に腰が揺れる。 膝を閉じてしまうと、体内の異物の形をリアルに感じてしまう。 しかし脚を開けばバイブレーターにいっぱいに広げられ、浅ましく収縮する蕾を義勝にさらしてしまう。

 肉壁の粘膜がローションの催淫剤を吸収して熱い懊悩がくすぶる。

「イヤ…こんなん…イヤや…もっと…もっと…ああ…」

 刺激を求めて突き上げるように腰が動くのを止められない。 体内の異物をおぞましく想うのに、与えられる微弱な刺激に、肉壁が絡み付きより強い刺激を欲する。 その有り様をみつめながら、義勝も制服を脱ぎ捨てた。 下着だけを残して。

「義勝…お願い…もっと…」

 もどかしいのもイけないのも苦しい。

「聞いてやらん」

 身悶える雅久の横に涼しい顔で寝転がった。

 生殺し状態に耐え切れず雅久は、束縛された腕で懸命に身を起こした。 身動きすると体内のものの角度が変わり別の場所を刺激する。

「あッ…あンッ…あッああッ…」

 喘ぎつつ義勝の下着に歯を立てて引き下ろす。 義勝のモノは既に欲望のカタチを、張ち切れんばかりに示し蜜液を滲ませていた。顔を近付けて舌を突き出し、根元から先へ舐めあげる。舌を絡めて口に含み、淫らな音を立てて舐めしゃぶる。限界へと追い込めば、欲するものを与えられる。膝と腹筋だけで支える上半身は、すぐに力を失い崩れそうになる。それは口に含むモノを半ば強制的に、口腔深く受け入れる状態になる。窒息しそうな質量のもたらす苦しさに、涙が零れ落ちても雅久は口淫をやめない。

「ンッ…ンフ…ひィッ…」

 突然、バイブレーターが大きく体内で跳ねた。義勝が手を伸ばして、動きを最大にしたのだ。

「あッ…ひィッああンッ…ヤア…止めて…ああッあッ…」

 義勝の腹の上に突っ伏して、強過ぎる快感に身悶える。

「ああッ…義勝…義勝…お願い…も、もう堪忍や…」

 イきたいのにイけない。体内に渦巻く快感が、出口を求めて荒れ狂う。

「イきたいか?」

「イかせて…」

 義勝は自分の上で身悶える身体を、優しく撫で回した。

「どっちでイきたい? このままイくか?」

「イヤ…あんたのを…挿れて…義勝ので…イきたい…こんなんに…イかされんのは…イヤ…」

「いい子だ」

 義勝は身を起こすと雅久を抱き寄せていきなり、動いているバイブレーターを引き抜いた。

「きゃああああ!」

 悲鳴をあげてガクガクと震える。 吐精しない絶頂。 目の前が真っ白になり、開かれた口から唾液が零れる。 全身が痙攣して止まらない。

「あ…あ…あ…」

 余りの感覚に自分がいつも以上に、制御出来ない。 義勝の手が、おさまるまでゆっくりと背を撫でいた。

「大丈夫か?」

「…今の…何…?」

 激しく上下する胸に乱れる息で、絞りだす。

「ドライ・オーガニズムだ。」

 記憶をなくして初めて味わう、強烈な絶頂に恐怖すら感じる。 ドッと溢れる涙に嗚咽がもれる。 抱き締められ口付けられても、ショックはおさまらない。 腕の拘束が解かれ横たえられ、彼のモノを戒めていた皮製のベルトも外された。

「愛してる…」

 ゆっくりと蕾に愛しい人のモノが挿れられる。 人工の異物とは違う、確かな熱に全身が悦びに戦慄く。 その筋肉質の背中に両腕を回し、腰に両脚を絡める。

「義勝…嬉しい…」

 その呟きに煽られたように、激しい抽挿が始まる。

「あッあッ…義勝…イイ…あッああン…」

 熱い… …ドロドロに溶けて、互いの境目がわからなくなりそうな感覚がする。

「も…イく…ああッあッ…!」

 身を仰け反って吐精しながら、自分のモノを義勝の腹に擦り付けて更なる刺激を求める。体内に義勝の放出の熱を感じてもまだ足りない。ローションの催淫剤が必要以上の懊悩の炎を掻き立てていた。

「義勝…もっと…もっとシて…もっと欲しい…」

 腰を揺らして強請る。義勝の顔に欲情に満ちた笑みが浮かび、噛み付くような口付けと一緒に、叩き付けるような激しい抽挿が再開された。

「ひァ…ああンッ…あッ…イイ…イイ…!」

 気持ち良さに声が抑えられない。

「ああ…義勝…助け…イイ…ダメ…おかしゅう…なる…」

「幾らでもなれ。俺が全部、受け止めてやる!」

 嬌声は既に悲鳴に近くなっていた。

「あッあッあッ…また…また、イくぅ…イヤ…怖い…ひィッああああああッ!」

「くぅッ…雅久…!」

 喰い千切られそうな締め付けに、一溜まりもなく義勝が放出した。

 雅久は目を剥いて失神していた。絶頂の痙攣に戦慄きながら。義勝は慌てて抱き上げて頬を叩いた。ビクッと大きく痙攣して雅久は意識を取り戻した。

「大丈夫か?」

 雅久はその言葉に力無く笑みを浮かべて微かに頷いた。

「義勝…愛してます」

 掠れた声で言うと体力が尽きたのか雅久は再び意識を失った。



 武はこの日の為に用意した真新しい制服に袖を通した。

 そして…白鳳会の制服を着る夕麿を見つめた。

 特待生の制服と白鳳会の制服は一見、同じに物に見える。実際に夕麿に届けられるまで、武は同じだと思っていた。そもそも武は白鳳会のメンバーと顔をほとんど合わせた事がない。白鳳会の制服は完全な白だった。

 特待生の制服は襟と袖口に、さほど目立たない形で金糸の刺繍がなされている。だが白鳳会の制服にはそれがない。代わりに袖口に白で鳳凰の姿が、目立たない形で刺繍されていた。また夕麿が着用したのを見ると詰め襟全体のカットパターンが違う。高級スーツのような洗練されたおとなのライン…とでも呼ぶべきカットになっていた。

「武…?どうかしたのですか?」

 白鳳会の制服に夕麿は生徒会長記章と2年生の記章を付けた。それらを付けるのも今日の離任・着任式まで。今度は武がそれを着けるのだ。

「何かさ…俺の中では、夕麿と生徒会長って…セットな気がする」

「……何です、それ?」

 夕麿が苦笑した。

『高等部生徒会長、六条 夕磨ろくじょうゆうまです』

 あのゲートのエントランスに車から降り立った時、出迎えてくれた夕麿の姿を、言葉を、今でも鮮明に思い出す。そう出会いは『生徒会長』としての夕麿。この1年近く、『生徒会長』としての彼の姿をずっと見つめて来た。

 公立中学の時には人付き合いの苦手な武にとっては、『生徒会長』も『生徒会』も縁遠いものだった。それが…夕麿と出会い、特待生として生徒会に参加し、今日、彼の努力と苦労を引き継ぐ。明日からはもう、あの会長執務室に夕麿の姿はないのだ。あの生徒会室に皆の姿はなくなるのだ。不安と寂しさに胸が詰まる。いつかは来る日とはわかっていても、当日にこんな想いになるとは思ってもいなかった。

「そんな顔をしないでください、武」

 夕麿が優しく抱き締めてくれた。

「俺…ちゃんと、会長を出来るかな…?」

「もちろんです」

「夕麿みたいに…なれるかな…?」

「なる必要はありませんよ?武は武らしい会長になれば良いのです。

 大丈夫です、そんなに心配しなくても。少なくとも今、高等部にいる者はちゃんと、あなたをわかっています」

「そう…かな?」

「ええ。それに私たちが出来る事は全て片付けておきました。あなたが引き継ぎやすいように。

 まだ私は学院にいます。困った時にはいつでも相談して下さい。私は生徒会長としてあなたを出迎え、今、あなたの伴侶として私の後任を託せるのをとても嬉しく思っています」

 だった一人の外部編入の特待生……いきなり与えられた環境に入学したばかりの武は、不安げにどこか怯えた眼差しをしていた。お膳立てされたのはわかっていたが、純粋で臆病で真っ直ぐな彼を、気が付けば目は探し追いかけていた。

 もう誰も好きにはならない…頑な決意を揺るがしたのは、縋るような眼差し。そして冷たく背を向けた自分から、必死に離れようとする健気さだった。

 今ならわかる。最初に会ったあの瞬間から、既に武に心を奪われていたのだと。自分の運命を変え、未来の光をもたらしてくれた愛しい人。

「ありがとう、夕麿。

 俺…頑張る」

「無理や無茶はしないで下さい?

 私は義勝たちに支えられ、助力されていたからこそ、この一年間、生徒会長として無事に務められたのです。あなたも自分の仲間を信じる事が、一番必要だと思って下さいね」

「うん」

 同意はしたもののそういった事も含めて、夕麿は凄く優秀な生徒会長だったんだと思う。高等部中から尊敬を集め、仲間からも教職員からも絶大な信頼を持たれる。強いカリスマ性であの怪我の時には帰寮しただけで、パニック状態だった生徒たちが鎮静し、水が退くように自室へ帰った。

 多分…同じ状況になっても自分にはそんな力はない。

 ならば…何が出来るだろう?夕麿より先に寮を出て、離任・着任式の準備の為に武は講堂へ急いだ。途中で行長や康孝と合流した。

「いよいよですね、武さま」

「ああ…ついに来ちゃった。下河辺、千種、頼りにならない会長だけど、一年間よろしくお願いするよ」

「もちろんです、武さま」

「当然です。夕麿さまたちには勝てませんが、それでも私は、後を引き継いだ名誉と責任をちゃんと果たしたいですからね」

「うん、それは俺も思ってる。俺は俺の出来る事を、ひとつ一つ、努力して進めて行きたいと考えている。だから、力を貸して欲しい」

「それがわかっていらっしゃるなら、結構です、武さま」

 行長の歯に衣を着せぬ言葉が返って心地良かった。ともすれば気弱になる自分を叱咤激励して欲しい。

 そして少しでも夕麿に近付きたい。伴侶としてだけではなく、この学院の高等部の後輩としても。

 見上げた蒼空は、既に春の色をしていた。


 講堂には高等部の生徒が全員揃っていた。教職員たちも全員が顔を揃えていた。衆目が集まる中で離任の挨拶に夕麿が進み出た。

「一年間、私を信頼してついて来て下さった皆さまに、まず心より感謝を申し上げます。一年前、六条 夕麿としてこの壇上で、今は亡き慈園院 司から会長を引き継ぎました。それからの一年は私には生涯忘れ得ぬものになったと断言出来ます。

 良い事も悪い事もありました。それでも今、最高の一年間であったと言う事が出来ます。ありがとうございます、皆さま。私を応援して下さったように、どうか、私の後を引き継ぐ武の応援をお願い致します。

 私は本年度の生徒会長として、やるべき事、やらなければならない事はやり尽くしたつもりでいます。

 今日、御園生 夕麿として離任する私に心残りはありません」

 夕麿は言葉を切ると、集まった皆に深々と頭を下げた。武は左胸を思わず握り締めた。夕麿の想いが伝わって来た。

 顔を上げた夕麿の頬に涙が光っていた。



 まず、 武の指が夕麿の襟から生徒会長記章を取り外し白鳳会々長の記章を着ける。次に2年生の記章が外された。これで夕麿の離任が終了した。

 次に今度は夕麿が武の襟から生徒会執行委員の記章を外し、彼の第82代の番号が刻印された生徒会長記章が取り付けられた。次いで1年生の記章が外された。本来ならばここで新しく用意された2年生記章が付けられる。

 特待生は一般生徒より早く、進級するのが学院の決まりだった。夕麿は先程武の手で外された、自分の2年生記章を手に取り武の襟に着けた。講堂の生徒たちが息を呑んで、その光景を見つめた。

 目の前が涙で歪む。夕麿がそっと抱き寄せて涙を拭った。

 武ははにかむように笑みを浮かべて、マイクに向かって着任の挨拶を始めた。本来なら退場する前任者である夕麿は、傍らに立って見つめていた。

「御園生 武です。

 俺は頼りないし…不器用だし、失敗ばかりするかもしれません。それで今朝まで散々悩みました。みんなにひとつだけ約束させて下さい。

 夕麿の後を引き継ぐ限り、折角築いてもらったものを大切に、先へ進める努力をしたいと思います。一年後にここで夕麿のようにみんなに、感謝を言って引き継げるようになるのが理想です。

 どうかよろしくお願い致します」

 武もまた講堂にいる皆に向かって深々と頭を下げた。

 夕麿が横で再び、武の為に頭を下げる。

 講堂内は水を打ったように静まり返っていた。新旧両会長が共に揃って頭を下げる。しかも、高等部で最も高貴な出自の二人が。

 そこへ義勝たちが出て来て、同じように頭を下げた。

 誰かが手を叩いた。拍手が波が押し寄せるように広がり、歓声が講堂を揺るがせた。行長たちも出て来て頭を下げた。

 夕麿の武への愛が、高等部の生徒たちの心を動かし、ひとつに繋いだ瞬間だった。



 夕麿たちのいない生徒会室は、やはり寂しさが満ちていた。会長執務室に入ると机にはもう既に夕麿の私物はない。武は今まで使用していた、補佐の机の上のダンボールを机に移動させた。

 空っぽの引き出しに、中の私物を入れて行く。今日からここの主は自分になったのだと、しみじみと感じてしまう。それでもそこここにまだ、夕麿の痕跡がある。昨日まで彼のしなやかな指が、舞うように動いていたデスクトップのキィボード。ゆったりとした革張りのスツールに座って室内を見渡した。

 するとドアがノックされた。身を起こして返事をする。

「どうぞ」

「失礼します、会長、全員の私物移動が終了しました」

 入って来たのは康孝だった。彼はその優れた数学の能力を買われて、雅久から会計を引き継いでいた。なかなかのスパルタ教育に、ちゃんとついて行き、雅久を満足させて引き継いだのだから尊敬したくなる。

「あ、うん。俺も今、終わった」

「それと…夕麿さまが、お迎えにいらしてます」

「えっ…そうなの?」

 照れて赤くなりながらも、そそくさと立ち上がる。執務室から出ると行長にこう告げられた。

「後の戸締まりはお任せ下さい」と。

「あ、お願いします」

 武はそう応えて夕麿と生徒会室を出て行った。行長はその後ろ姿を見送って深々と溜息を吐いた。

 夕麿はわかってない…と思う。武には生徒会絡み以外に、あまり親しい生徒がいない。本年度唯一の特待生でしかも外部編入。通常でも友達を作るのは、閉鎖されたこの学院では難しい。それなのに常に夕麿が武の側にいる。前任の生徒会メンバーもだ。

 そうなると普通、1年生は近寄れなくなる。自分たちにしても生徒会執行委員として、やはり一歩下がった状態でしか武と接して来れなかった。

 唯一の例外が板倉 正巳だったがあのような形でいなくなった。

 今はまだいい。けれど数ヶ月後、夕麿たちは学院を去ってしまう。その時には武は独りぼっちになってしまうのだ。

 夕麿には義勝たちがいた。彼らがいたから孤高のカリスマと呼ばれながらも、本当の意味で夕麿は孤独ではなかった筈だ。ましてや武という伴侶を得たのだから。けれどこの閉ざされた学院にひとり残る武にはそこまでの友達がいない。無駄口を叩く相手はいても。

 行長は気持ちはわからないではないが…と思いながら、武を過保護に扱うのをやめて欲しいと思う。生徒会と白鳳会に分かれれば、少しは緩和する…と思いたいがそこは夕麿の事だ。昼食や放課後の生徒会終了時に、せっせと迎えに来るに違いない。

 どうしたものか……そう思っている時点で十分、武を大切にする友人のひとりになっているという、自覚がない行長でもあった。

 夕麿に武から離れろと告げるのは、雨に対するパニック発作の状況から見て多分無理であろう。

 問題は彼らが去ってからどうにかするしかないと、行長は先を考えてまた深々と溜息を吐いた。

 武の一番の魅力は純粋で素直な性格。それを全面にすれば高等部の支持は、夕麿のカリスマの後ろ盾なしでも得られる筈。行長は自分がすっかり義勝にのせられて、副会長として武の補佐の思考を植え付けられてしまっているのを自覚していない。

 前任者たちはそれなりに自分たちがいなくなった時を計算していた。その刷り込みが時間をかけて行われているのすら彼らが自覚しないままに。

 過保護なりに武を想う彼らの配慮。新しい生徒会はこうして、武を中心に動き始めた。

 昼食を終えて部屋に帰って、ぐったりとリビングのソファに身を投げ出す。

「疲れましたか、武?」

「ちょっと…緊張したから」

 そうは言っても、食事の量は減っていた。

 ストレスをストレスと感じずに、最終的に精神的不安定に至ってしまう、夕麿の性格もかなり問題だが、ストレスが募って行くのが明確になる武の身体が夕麿には心配でならなかった。

「今、湯を溜めています。一緒に入りましょう」

「へ?……いっ、一緒って…前に言ってた事、実行するつもりじゃないだろうな!?」

 真っ赤になって飛び起きた。その反応に思わずほくそ笑む。

「そんなつもりはなかったのですが…期待されると応えたくなりますね」

「ひぃッ…」

 墓穴を掘ってしまったのを悟ったがもう後の祭りだった…

「嬉しいですね。楽しみにしてくれてたのですか?」

「してない!絶対にしてない!」

 ソファの上を後退りする。

「逃がしませんよ、武」

「来るな!ヤだ!」

「観念しなさい」

 馬乗りにされて耳元に囁かれ、耳朶を甘噛みされる。

「あッ…ああン…」

 それだけで全身が戦慄く。

「ふ…敏感ですね。嫌だと言いながら、期待してますね、武?」

「し、してないッ…」

「嘘はいけませんね?」

 夕麿は武の膝を割って太腿を押し付けると、そこは既に欲望を示していた。

「…ひッ…あッあッ…」

「こんなにして、正直になりなさい」

「…意地悪…夕麿のバカ…」

「私の事が嫌いになりましたか?」

 意地悪と呼ばれて、もっと苛めてみたくなる。

「…バカ…」

 涙ぐんで見上げる。

「嫌いになるわけないだろ…?」

 両腕を首に回して引き寄せて唇を重ねる。直ぐに舌が唇を割って入って来る。口腔をたっぷりと舐められ、舌を絡められて吸われると、頭が快楽にボウッとなった。

「はあン…」

 切なさに涙が溢れる。夕麿はそれを舌で舐めとり微笑んで囁いた。

「可愛いですよ、武。明日は休日です。今日はたっぷり可愛がってあげますよ、良いですね?」

 魅惑的な微笑みと甘い囁きにはもう抗えない。武は潤んだ瞳で頷くと、羞恥に頬を紅潮させて震えながら答えた。

「シて…いっぱい…欲しい…」

「良い子ですね。

 さあ、お湯が溜まった頃です、バスルームに行きましょう」

 シャワーを浴びながら、互いの唇を貪り合う。武を抱き締めて口付けながら、太腿で再び欲望のカタチを示すモノを刺激する。

「…ンン…ふッ…あふッ…ン…」

 腕の中で快楽に戦慄く身体を愛惜しく思う。

「寒くはないですか?」

「うん、大丈夫」

 シャワーを止めて、二人でバスタブに浸かる。肌に湯が心地良い。武も夕麿もどちらかと言うと、ぬるめの湯が好きだ。皮膚の弱い武は熱い湯が苦手だ。夕麿はどちらかと言うと長湯で、バスタブにゆっくりと浸かっているのが好きだ。好きな香りの入浴剤を入れて、入浴時間を満喫する。

 今日は武がいる為、天然ハーブと岩塩で作られたドイツ製の入浴剤を入れた。

 香りはラベンダー。精神を安定させる効用を持つ。

「湯は温過ぎないですか?」

「うん、ちょうど良いよ?」

 夕麿の胸にもたれて、湯の温もりに身を委ねる。

「そう言えば…ここって温泉があるんだよね?」

「ええ、ナトリウム泉ですから、武でも大丈夫だと思いますよ?

 入りたいのですか?」

「ちょっとね…」

「では、ここへ運ばせましょう」

「ええ!?確か、一般寮で入れるんじゃないの?」

「他の者と一緒に入る気ですか、あなたは?自分の身分を考えて下さい。第一、私が嫌です、あなたの肌を誰かに見せるなんて!」

「あ…そっか…なら、貸切にしちゃえば?」

 確かに夕麿の口付けの跡だらけでは入るのは無理だ。

「……すみません…私が無理です」

 顔を曇らせて視線を泳がせる、夕麿を見て気が付いた。

「ごめん…」

 他者が触れた湯には夕麿は入れない。誰が触れたかわからない浴室の物に、素肌では触るのは無理だった。

「気が付かなくてごめん…うん、ここへ運んでもらおう。

 ふふ、ここで温泉かあ…」

 にっこり笑う武を夕麿は抱き締めた。

「えっと…逆上せそうだから…」

「洗ってあげましょう」

「え!?いや…あの…」

 真っ赤になる武を楽しそうに見つめて笑う。人に触れるのも触れられるのにも、激しい嫌悪感がわきおこる。けれど相手が武ならばもっと触れたいと想う。触れられたいと想う。武が相手ならば触れ合う事は歓びに感じる。

 自分の使っているスプーンに食物を乗せて食べさせたり逆の事も平然と出来る。互いに求め合い、素肌を触れ合う事がたまらなく嬉しい。中等部のあの事件以来、自分自身に対する嫌悪感が、触れられる事への嫌悪感になった。

 周との取引で身を任せた時は、2日程吐き気がして食物が喉を通らなかった。未遂でそうだったのだ。昨年末のあの事件の後は、武のお陰で嫌悪感が消えた。

 夕麿は自分への嫌悪感が自分の中で、少しずつ薄れつつある気がしていた。まだまだいろんな事がダメだが、それでも受け入れられる日がいつか来るような気がしていた。

 カウンセリングの中で高辻医師は言った。どんな人間もすぐに自分と向き合える訳じゃないと。17年かかって形成した心を闇から解放するには、同じだけの時間が必要だと思って焦らずにゆっくりと、と。

 海綿にボディシャンプーを含ませ手の中で泡立てる。天然材料の石鹸成分独特の細かくて柔らかい泡。この海綿だけは武とは共有出来ない。普段夕麿が使うボディシャンプーは武の肌には合わない。少しでも成分が残っていると、忽ちアレルギーを起こし湿疹やかぶれを起こす。 今日のように一緒に入る時も武に合わせないと、泡が飛んだだけで肌に良くない。

 武の腕を取って指先から洗っていく。滑らかで柔らかな肌。キメが細かく触れると吸い付いてくる。透けるような白い肌は、その下の血管を青く浮きたたせている。その輝くような美しい肌は、敏感故の弱さを持っていた。夏の日差しで水膨れを起こす為、肌を焼く事もできない。

「夕麿、くすぐったい…」

「では、気持ち良くしてあげましょう」

「えッ…あ…ちょッ…あン…や…あふッ…ダメ…」

 海綿で泡を塗、指の腹で肌を撫でる。その指は的確に、武の感じる場所を刺激する。

「あッあッ…そこ…ヤ…あン…夕麿ァ…」

 乳輪を指先で縁を描くようになぞられ、ピアノの鍵盤を撫でるように、指の背を使ってぷっくりと膨らんだ乳首に触れられて、武は甘い声を上げて身を仰け反らせる。背後から抱き締められて乳首を弄ばれながら、耳朶に歯を立てられ耳に舌を差し込まれて、抑え切れない官能に啜り泣く。

「夕麿ァ…ダメぇ…ヘンになる…ヤあ…」

 鏡の前でされる愛撫に、いつもの何倍も感じてしまい、身体がトロトロに溶けてしまいそうだった。武のそんな姿に夕麿も煽られたのか、欲望に張切れそうになったモノを腰に擦り付けて来る。シャワーを出して泡を洗い流すと武が振り返った。

「今度は俺がする…」

 武は膝をついて夕麿のモノに唇を寄せた。

「今日は積極的ですね?」

 そう呟く余裕が憎たらしい。鏡に写っているのを自覚しながら、舌先で根元から舐め上げる。やわやわと手を動かすのも忘れない。滴る蜜液を舐め取り口に含んで吸う。

「…ッ!」

 夕麿が息を呑んで仰け反る。舌を絡め口いっぱいに含んで舐めしゃぶる。

「くッ…武ッ…」

 切羽詰まった声を夕麿が上げるのが、嬉しくて強く吸い上げる。

「あッ…ああッ…!」

 仰け反って腰を突き上げるようにして、武の髪に指を絡めて武の口腔内に吐精した。喉を鳴らして嚥下し残っているものを吸う。その刺激に夕麿が甘い吐息を漏らした。

「ふふ、お返し」

 悪戯っぽく言う武に情欲に潤んだ瞳で睨む。

「すっかり上手くなって…」

 乱れた息で言う。

「これだけ煽ってくれたのですからもう、手加減はいらないと言うのですね、あなたは?」

「いッ…」

 再び鏡の方に向かって後ろ抱きされ、長い指が武のモノを握り、溢れる蜜液を絡ませながら動かす。

「ンン…あン…ヤ…待っ…」

「待ちません。こんなにしてまだ、何を待てと言うのです、あなたは?」

 耳元で囁かれる声すら官能を煽る。ボディシャンプーで濡らした指が蕾を撫で、ゆっくりと体内へ挿れられる。

「見てご覧なさい、武。私の指をこんなに締め付けてるのを」

 囁かれると恥ずかしいのに、視線を動かして見てしまう。蕾は指を受け入れて貪るように淫らに収縮していた。目からの刺激に体内が反応して、中の指を締め付ける。

「見て感じたのですね?ほら、指を増やしますよ?」

「ヤあ…言わないで…あンあッあッ…指…そんなに…動か…ないで…」

 濡れた音と鏡の中の光景が重なる。

「やあン…も…イく…イくぅ…ああンあンあッあッあ…!」

 迸った精が鏡に白く飛び散った。放出を終えても武のモノは絶頂に震え、蕾は夕麿の指を喰い千切らんばかりに強く収縮した。

「武…武…可愛い…気持ち良かったでしょう?」

 顔中に口付けされて、絶頂の余韻に震える身体が大きく戦慄く。

「動けますか?」

 問われて小さく頷く。

「腰を上げて、自分で挿れてご覧なさい」

 自分で動いて受け入れるのは初めての経験だった。腰を浮かすと、蕾に夕麿のモノを当てる。

「ンン…あン…あ…あ…」

 自分の中に愛する人のモノが、肉壁を押し広げて入って来る。鏡の中の光景を見てしまい、羞恥を覚えながらも目が離せない。全部体内に収めると、その部分から灼熱の鼓動が伝わり、背筋を官能が渦巻いて上がって来る。

「ああッ…ヤ…」

 自然と腰が揺れていた。身体が貪欲に快感を求めていた。

「ヤあ…止まらな…あン…」

 もっと刺激が欲しい。もっと……もっと……

 鏡の中の夕麿と目が合った。情欲に染まった目が、欲望を貪る武の痴態を見つめていた。ゾクリと身体が戦慄き肉壁が収縮する。

「もっと動いて、武。あなたが気持ち良いように」

「ああッ…夕麿ァ…夕麿は…気持ち…良い…?」

「もちろんです。武が感じると、私も…」

 夕麿の指が背後から伸びて、二つの乳首を摘まんで強く引っ張った。

「ひィッ…ヤあ…!!」

  身体は仰け反り、肉壁が激しく収縮する。

「…ッ!」

夕麿が強い刺激に息を呑む。武の動きが激しくなって行く。腰をギリギリまで持ち上げて落とす。自分の重みで最奥が穿たれる。

「あッあッあン…あン…あふッ…ヤあ…もっと…夕麿ァ…イきたい…イかせて…」

 切なさに頭を振ると汗が飛び散る。腰を掴まれ激しく突き上げられて、目の前が快感にチカチカする。

「イくゥ…も…イく…ああッあああッ!」

「武…くうッ…!」

 武の絶頂の強い収縮に引きずられるように、夕麿も激しく中に吐精する。最後の一滴まで最奥に注ぎ込むまで突き上げ続けた。二人の乱れた呼吸音が、バスルームの壁に反響する。

 強過ぎる絶頂に二人ともそのまま崩れるように身を投げ出して、動けない状態で激しく胸が上下している。言葉も紡げなかった。しばらくして夕麿が気怠げに身を起こした。

「武…大丈夫…ですか…?」

「動けない…」

 呻くように答えた武を抱き起こして、シャワーをかけて洗い流し、引き摺るようにして二人でバスタブに入った。少し冷めた湯に入って同時に吹き出した。

「もう…死ぬかと思った…」

 笑いながら武が言う。

「ふふ、最高に淫らな武を見せていただきました」

「夕麿だって滅茶苦茶興奮してたじゃないか」

 再び笑い声が漏れた。

「立てますか?そろそろ出ましょう」

 立ち上がった夕麿の腕に助けられて、ヨロヨロと立ち上がった。両脚がガクガク震えて歩くのが難しい。それなのにまだ身体の奥深くに熱が残っていた。

 ふと夕麿が立ち止まった。

「どうかした?」

 問い掛けると夕麿が困った顔で答えた。

「まだ…足りない感じが消えないのです」

 武はその言葉に喉を鳴らした。



 次の日、夜更けまで求め合った二人が、起き出したのはもう昼近くだった。ブランチを食べてリビングでくつろいでいると夕麿の携帯がなった。

 彼はそこに記された名前を見て眉をひそめた。

「何のご用ですか、周さん」

 夕麿の口から出た名前を聞いて、不快そうな顔をしていた理由を理解した。

「え?ああ、そう言えばしばらく足を運んでいません」

 今まで不快そうにしていた夕麿の表情が明るくなり声も機嫌良くなった。

「ご機嫌斜め…?忙しさに感けてまるで構ってなかったので拗ねているのでしょう。………あれは、気難しいですからね」

 夕麿の口から紡がれる言葉に武は首を傾げた。周と共通の知り合いだろうか?

「隣…でしたか?それは申し訳ありません。ええ、午後は予定もありませんから。すぐに機嫌を直してくれると良いのですが………甘やかしてしまったのが悪いのかもしれません。あれはあれで可愛いのですが…あの気性だけは………ええ、では午後に」

 夕麿が通話を終えると先程までソファにいた武の姿がなかった。

「武?」

 周囲を見回しキッチンも覗いてみたが何処にも姿がない。ただリビング・テーブルの上には飲みかけのお茶が置き去りにされていた。螺旋階段を上がって武の部屋を覗いてみると、机の上に教科書や参考書を開いている。

「武?」

 本年度分の授業は全て終了し後は3年生の卒業式のみ。それまでは多少生徒会の業務があるものの、昨年の夕麿たちとは違ってマニュアルを作成してある為にさほど忙しくはない。ましてや勉強する必要もさほどない時期である。

「何?」

 返って来た返事の声は不機嫌そのものだった。

「……」

 次に言う言葉が出て来ない。それ程、武からは不機嫌な雰囲気が漂っていた。

「出掛けるんだろ?そこで何してる訳?」

 乱暴に本を閉じて背を向けて立ち上がる。

「…何を…怒っているのですか…?」

「別に。早く用意したら?周さんとの約束に遅れるよ?」

 寝室へのドアを開けながら今度は苛立った口調で言う。武は寝室に踏み出すと、後ろ手にいつもより乱暴気味にドアを閉めた。

 夕麿は茫然と立ち尽くす。つい先程までソファで普通に会話をしていたのだ。ところが電話を受けている内に、見た事がない程に不機嫌になっている。理由がわからずに狼狽してしまう。ひょっとして周と約束したのが、不機嫌の原因だろうか?それとも今日は一緒に出掛けたい場所でもあったのだろうか?

 重い気持ちで自分の部屋へ向かう。必要な物をバッグに詰めて寝室へ入った。

 夕麿の口から出る言葉を聞いているうちに、段々ムシャクシャした気分になった。誰かの事を上機嫌に言うのが不快だった。自分の知らない誰か。夕麿を疑うわけではない。けれどモヤモヤがイライラになり、ムカムカするのをどうにも出来ない。そんなに会うのが嬉しい相手がいるのか…と詰問したくなる。だが同時にその気持ちの醜さに自分で嫌になる。

 自分の知らない誰か。周からの連絡で脚を運ぶという事は相手は大学生だろう。しかも周の隣と言っていたではないか。大学生で恐らく寮で周の隣に入っている誰か。気難しくて甘えん坊で…しばらく会いに行かなかったから、拗ねてしまっていると言う。そのまま受け取ればまるで恋人のような内容だ。しかも自分がいる前で堂々と電話でその相手の事を、あろうことか周と愉しげに話して会いに行く約束をした。

 午後は予定がない?

 武に何も聞かないで優先させる程の相手。そういえば以前から時々、上機嫌でどこかへ一人で出掛けて、夕方まで帰って来ない事が度々あった。不思議に思っていたが、敢えて聞かなかったのだ。誰にだってプライバシーはある。

 でも……それでは誰に会いに行って、どんな風に過ごしているのだろうか?

 夕麿を疑わない。疑いたくない。それなのに黒い感情が心に満ちて来る。

 昨日の午後から夜更けまで、あんなにも抱き合ったのに……見た事のない笑顔。自分に向けられるのとは別の種類の笑顔。

 相手の事を語る声には、紛れもなく愛情がこもっていた。自分以外の誰を『可愛い』って思うのか?武の相手をするのにかまけて、しばらく放置していたから拗ねてしまった相手の機嫌をとりに行く?
 
 胸が痛い。くだらない嫉妬心だとわかっていても制御出来ない。だから夕麿から目をそらす。

 ベッドに寝ころんでいると、夕麿が何やら用意をしている気配がする。すぐに寝室に入って来て、クローゼットから制服を出して着替え始めた。

「少し遅くなるかもしれません」

 その言葉に無言でいる。

「すみません…埋め合わせは、明日にでも…」

 夕麿の言葉が言い訳めいて聞こえる。

「別に良いよ、そんな事を気にしなくても」

 背を向けたまま答える。わからない。わからない。イライラする。胸が痛い。ムカムカする。

 何故だろう?向けられた華奢な背が夕麿にはどこか痛々しく見えた。

「武…?」

 顔を覗き込もうとするとついっと顔を隠す。具合でも悪いのか…と抱き起こそうとする、荒々しく手を払われた。

「煩いなぁ…!早く行けよ!」

 手を振り払う時に見せた顔には涙の跡があった。夕麿は戸惑った。自分の言動の何が武を泣く程怒らせたのだろう?

 考えて見る。周からの電話の前までは普通だった。

「武…黙っていてはわかりません。一体何がそんなに…えっ?」

 武に問い掛けながら周との会話を思い出して行き当たった。それしか考えられない。夕麿はクスクスと笑い出した。

「妬いて下さったのですね?」

 前に嫉妬したのも今回も、周が関わっている…というのが夕麿には少々腹立たしい。

「わかりました。一緒に行きましょう」

「いきなり何だよ…」

「私が会いに行くのが誰か、知りたいのでしょう?会わせてあげますから、制服に着替え下さい」

 困り顔から一変上機嫌になった夕麿を武は身を起こして睨み付けた。

「行かないのですか?それならそれで私は困りませんが?」

 理由がわかってしまった夕麿は上機嫌で強く言う。

「…ッ…行けば…良いんだろ!」

 拗ねた口調で起き上がってクローゼットに行く。

 夕麿は自分の部屋に戻って、自室の方のクローゼットの奥から、何やら取り出して荷物に付け足した。寝室に戻ってみると着替えた武が不機嫌な顔で立っていた。夕麿は武の手を掴んで寝室を出ながら、都市警察に武が高等部から出掛ける事を知らせた。



 武の不機嫌は目的地へ向かうバスに乗っても一向に変わらずにいた。白鳳会と特待生の制服は目立つ。特に二人はそれぞれ、会長記章を付けているのだ。それだけで相応の身分を鑑みられてバスの中でも対応される。

 席を譲られて先に武を座らせる。それから夕麿が座り、護衛の警官が横に立つ。

 夕麿が武を伴って降りたのは大学部の外れだった。そこには周が待っていた。

「これは…武さま、ご無沙汰いたしております」

「どうも…」

 不機嫌な返事をする。驚いて振り返った周に夕麿は苦笑で返した。

 仕方なく歩きだすと上機嫌な夕麿の後ろを不機嫌な武が歩き、その後ろを周囲を伺う警官が付いて歩く…という奇妙な状態に周は溜息吐いて肩を竦めた。

「とにかく夕麿、昨夜から暴れて手がつけられない。既にもう何人か噛まれたり蹴られたりしてる」

 周の言葉に夕麿は深々と溜息を吐いた。

「そこまで拗ねているのですか?困りましたね…私が行っても、何とか出来る自信がなくなって来ました」

「おいおい、お前が何とか出来なかったらもっと困った事になるぞ?とにかく連れて来るように言ってある」

「素直に連れて来られると良いのですが…」

 二人が話すのを黙って聞きながら歩く。道は舗装路から土へと変化し、木立の向こうへと続いている。その向こう側から年配の男性に手綱を引かれた白馬が歩いて来る。

「どうやら連れては来れたみたいだけど?」

「…馬…?」

 武が目を見開いて呟いた。

青紫あおむらさきと書いて、『あおし』と呼びます」

「綺麗な馬だね?」

 不機嫌な顔が嘘であったかのように明るくなる。と、武はそのまま青紫に歩み寄った。

「武!」

「武さま!」

 二人が顔色を変えた。青紫は気性の激しい馬で夕麿にしか懐かず、従って夕麿だけが相手を出来る。機嫌の悪い時に近付くと、毎日世話をしてくれる厩舎の人間ですら、噛まれたり蹴られたりする。1ヶ月近付く夕麿が多忙で訪れなかった為、思うように運動がさせられずにかなり機嫌が悪いのだ。

 周の愛馬が厩舎で隣の仕切りにいるのだが、ちょっとしたスキに噛み付いたと言う。そんな状態の馬に武は近付いたのだ。

 馬は苛立つように足踏みし一際高く嘶いた。首を振って握られている手綱も振り切る。

「武、下がってください!」

 夕麿が叫ぶ。

「ん?」

 振り返った武に馬が近付いた。周も夕麿も連れ来た厩舎の人間も凍り付いた。少し離れた場所で警戒していた警官が駆け出した。

 と…武が歓声を上げた。

「こら、くすぐったいって!」

 見ると馬は甘えるように、武に鼻先を擦り付けていた。

「青紫…?」

「嘘だろう?」

 夕麿と周が絶句した。

「みんな、どうかしたの?」

 夕麿は慌てて駆け寄った。

「夕麿?」

「驚かさないで下さい。この馬は私にしか懐かない、気難しい性格なのです」

「そうなの?温和しいけど?」

「さすがは白馬あおうま、皇家の血を嗅ぎ分けると見た」

 白馬を『あおうま』と呼びかつてはや皇帝を筆頭に皇家の人間しか、騎乗が許されない時代があった。
 
 通常、撮影などで使用される白馬は、毛を染めたものか、老齢で白くなったものが多い。元々、純白の馬は非常に希少なのである。

 白は瑞祥。故に身分ある者しか、騎乗出来ないのが古今東西の常識だった。『白馬の王子』というのも、そういう理由で存在するのだ。

 青紫はこの学院都市の厩舎で誕生した。気性が荒く調教どころか誰にも懐かない為、処分を考えられていた。高等部に上がったばかりの頃、中等部から乗馬を楽しんでいた時に出会ったのだ。

 自分にしか懐かない馬。夕麿はその馬に『青紫』と名付け、デイトレードで稼いだ金で買い取った。今も厩舎に飼育費用を払って時折、騎乗に足を運ぶ。

 その馬が初対面の武に鼻先を擦り付けて甘えているのだ。

「なる程ね。しかし犬が飼い主に似る話はよく聞くけど、馬が持ち主に似るとは初耳だね?

 主と一緒で、武さまには弱いらしい」

 周が笑いながら言う。夕麿は真っ赤になり、武は不思議そうに首を傾げた。

「取り敢えず着替えて来るんだね、夕麿」

「そうします。

 青紫、思いっ切り走らせてあげますから、馬場で温和しく待っていて下さい」

 優しく声を掛けて首を撫でると馬は嬉しげに鼻を鳴らした。

「武、制服では馬場に入れませんから、着替えましょう。」

「着替えるって…何に?」

「以前使っていた乗馬服を一緒に持って来ました。多分、サイズは合うと思いますよ?」

「それって…今ほど身長がなかった時って事だよね?何かムカつく…」
 
 夕麿と出会って1年。武の身長は2㎝しか伸びていない。それを聞いて周が吹き出した。

「…失礼を…武さま、皇家のお血筋は元々、あまり背が高くなられないのです。夕麿もその血を僅かに受け継いではいますが、身長の差は血の濃さの違いだとお考えに」

 そう言う周も夕麿よりやや低いくらいで長身なのである。そう言えば夕麿の父陽麿も周の母浅子も、その息子たち程ではなくても身長がある方だった。

「周さん、それ慰めになってないからね」

 武がげっそりした顔で言う。また吹き出した周に背を向けて、夕麿と着替えにクラブハウスへ向かう。その後ろをすっかり温和しくなった青紫が、手綱を引かれて歩いて行く。

 周は肩を竦めて、自分もクラブハウスへと向かった。

 青紫はその背に夕麿を乗せて、嬉々とした雰囲気で馬場を駆け巡る。柵越しに武は視線で追う。見れば見る程に美しいと思う。

 長いたてがみをなびかせて走る白馬も、その背に乗る夕麿もまるで一枚の絵画のようだった。同じように乗馬に来ている人も馬の世話をする厩舎の人々も、立ち止まって手を止めてその姿を見つめている。

 ある程度走らせて今度は障害を鮮やかに跳ぶ。騎乗する者と馬の気持ちが通じないと、障害を飛び越えるのは難しい。馬の呼吸と手綱を捌くタイミングが上手く合わなければ出来ない。障害物のあるコースを終わって馬を止めて、青紫の首を軽く叩いてねぎらいの言葉をかける。

 青紫は短く嘶いて背に乗せた主に返事をした。

「武!」

 呼ばれて駆け寄る。青紫が武に嬉しそうに首を寄せる。馬場中の者が驚愕の表情を浮かべていた。ここに関係する者なら一度は、この気性の激しい馬の被害に合っている。ましてここの所の機嫌の悪さは並みではなかった。それが見た事もない少年にすっかり懐いているのだから。

「乗りますか?」

「良いの!?」

「私以外を背に乗せた事がありませんが、あなたなら大丈夫でしょう。

 ね、青紫。武を乗せても良いでしょう?」

 夕麿が首を撫でながら言うと青紫は、また短く嘶いてゆっくりと足を折り曲げた。

「青紫…」

 それは誇り高い気性の馬にとって、人間が膝を屈するのと同じ意味がある。

「武、乗りなさい」

「うん」

 身体を後方にずらした夕麿に促されて恐る恐る跨った。

「青紫、立て」

 手綱を引いて命じる。ゆっくりと立ち上がった馬の背は予想以上に高い。

「ごめんね、青紫、重くない?」

 首を撫でて問い掛ける武にまた短く嘶いて答える。

「大丈夫だと言ってます」

 武を抱き締めながら耳元で囁く。そこへ栗毛馬に騎乗した周が来た。

「馬場中が驚いているよ?一体どうなっているのか…と」

「私にもわからないのですから、説明出来ません」

 馬は人間の心を読むと言われている。武は初めて間近に見る馬を恐れなかった。純粋に青紫の美しい姿に喜んだのだ。

 それを読み取ったからなのか……それとも周の言う通りに、皇家の血の持つ輝き故だと言うのだろうか?

 夕麿は警護の警官に、そこで待つように命じた。

 手綱を覆して馬場を出て森林の中へと馬を進める。木漏れ日の中を武と夕麿を乗せて白馬が駆け抜ける。青紫は整えられた馬場よりも自然の中を走るのを好む。倒木を夕麿の気合いと共に軽々と飛び越え、風を切って走るスピードを恐れもせず、武は夕麿の腕の中で感嘆の声を上げる。

 しばらく行くと夕麿は手綱を緩めてスピードを落とさせた。青紫は満足したと言うように鳴く。

「速いね~」

「怖くなかったですか?」

「ううん、面白かった」

「初めて…ですよね?」

「触った事もなかったよ?」

「乗馬を始めてみますか?

 出来れば私が卒業した後、青紫の面倒を見て欲しいのです。最終的にはどこかに預かってもらう事になりますが…気難しい馬なので」

「わかった。俺が卒業するまでは引き受ける。

 でもお義父さんに相談しておこうよ」

「この子は私が買わなければ、処分される予定だったのです。誰にも懐かず調教も出来ない馬を飼うのは難しいですから」

「そっか。夕麿に出会えて良かったね、青紫」

 木立の中をゆっくりと馬の背に揺られて進んで行く。夕麿は手綱を緩めて馬の自由に歩ませる。

「青紫をあなたに会わせられて良かった…」

「俺も会えて嬉しい。……さっきはごめん」

 振り返って見上げると、そのまま抱き締められ唇が重ねられた。互いに貪るように舌を絡め求め合う。不意に青紫が立ち止まった。

 森林地帯の果て切り立った断崖の下に着いたのだ。この断崖は安易には登れない。登ったとしてもその先は延々と続く深い森と幾つもの山だ。この断崖は学院都市の住人を閉じ込める【檻】の一つである。

「戻りましょう」

「うん」

 くつわを返して来た道なき道を辿る。

「迷わないの、ここで?」

「大丈夫です。青紫はここの道を覚えています」

「後で写真撮って良い?」

「青紫のですか?」

「夕麿が乗ってるのを」

「良いですよ。

 では武が乗っているのを撮らせて下さい。ああ周さんにお願いして、二人一緒のも撮っておきましょう」

「うん」

 思い出の全てを写真には出来ない。だから断片を残しておく。やがて木立が開け馬場が見えて来た。待っていた警護の警官がホッとした顔をする。


 いきなり現れて青紫を手懐けてしまった武の事で、周がその後しばらく皆に質問責めに合ったのは当然である。

 またこの話を聞いた義勝と貴之が、周と同じ反応をして笑い転げ夕麿を大いに赤面させた。

 後日、写真を送ってもらって小夜子がプリントアウトして飾っているのを彼らはまだ知らない。
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