蓬莱皇国物語Ⅱ~飛翔

翡翠

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   新入生

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 4月……武は生徒会長として新入生を迎えた。本年度の特待生は4人。当然ではあるが全員が中等部から上がって来た生徒である。従って武のように時間をおいて、生徒会に参加させる配慮は必要なくすぐに生徒会入りをした。次期会長として武の補助についたのは、新入生総代を務めた御厨 敦紀みくりやあつき。中等部時代から夕麿とよく比較される少年だった。そう武と愛し合う前の『氷壁』と呼ばれた夕麿をほうふつとさせるクールな雰囲気の美少年の生徒だった。出自も摂関家につぐ家柄。本年度の高等部では、武や夕麿の次に高い身分の人物だった。

「失礼します。武さま、夕麿さまがいらっしゃいました」

「え?ああ、もうこんな時間か…」

 武は執務室の机から立ち上がると、ドアを開けて夕麿を招き入れた。

「どうしました、武?」

 とろけそうな笑顔で執務室に踏み込んだ夕麿を見て、行長は眩暈めまいがしそうだった。あまりにもわかりやすい…… 入ってすぐに、夕麿は補佐の机にいる一年生に気付いた。

「あ…御厨、ちょっと」

 武が声をかけると敦紀は立ち上がって武の側に来た。

「御厨…?もしかして御厨 寿紀ひさき氏の御子息ですか?」

「はい。

 あの…六条 夕麿さまでいらっしゃいますか?」

「今は御園生 夕麿です」

「え?知り合い?」

「御厨 寿紀氏の奥方、つまり彼のご母堂は私の亡くなった母の又従妹になります」

「つまりは親戚なんだ?」

「そうですね、そうなります。私も夕麿さまの事は両親から伺っております」

「なる程…似てるのは、血の繋がりがあるからなのか」

「似てますか、武?」

「だって…一年前の夕麿が帰って来たのかと本気で思ったくらいだ」

 武の言葉に不思議そうに夕麿は敦紀を眺めた。

「後で義勝兄さんたちを驚かそう…」

 笑う武を余所に夕麿は何やら考えている様子だった。

「下河辺君、ドアを完全に閉めて鍵を」

「あ…はい」

「どうかしたの?」

「御厨君、確か君の御父君のご母堂は…葛岡家から嫁がれた方ですよね?」

「はい、そうです」

「え? ……それって…」

「御厨君、葛岡 小夜子さまをご存知ですか?」

「父の従妹で…初恋の方だったと伺っています。後宮からご自宅に戻られてすぐにご両親が急死されて、葛岡家を断絶されて行方知れずになられたと」

「武は…武さまは葛岡 小夜子さまの御子息です」

「え!? ……待って下さい。 それでは葛岡家が断絶した時には…」

「生まれていたよ? まだ赤ん坊だったけどね」

 武に葛岡家の記憶は当然存在しない。

「え……でも小夜子さまは……」

 御厨家が小夜子の東宮御所の後宮入りを知らぬ筈がない。御園生家は六条家よりも格下、いやそもそもこの部屋にいる下河辺 行長よりも格下である。つまり武が最もその学年で身分高き者がなる、生徒会長になれる筈がないのである。 わざわざ執務室のドアに鍵をかけて、他者を排した理由を敦紀は暗黙に悟った。

「 小夜子さま……義母が武さまをお連れになって、姿を隠されたのには理由があります」

 夕麿は敦紀に説明をしながら、側の椅子に武を座らせた。 それから机の上のペンを手に取った。

「お借りします。

 御厨君、これを」

 差し出されたペンを手にして、敦紀はそれを見つめて息を呑んだ。

「そういう事です。 当時、病気ではなく暗殺だという懸念があり、ご懐妊されていた小夜子さまは身を隠すしかなかったのです。しかも誕生されたのは皇子であられた」

「そんな…では、御園生家は?」

「小夜子さまが御園生家に嫁がれ、表向きは御養子となられた事になっています。 実質的には御園生は武さまの『乳部にゅうべ』になります」

 『乳部』とは皇家の子を預かり育成する制度で、古い時代には乳部の姓がその子の名前になった事もあった。 今上はそれを廃止され、お手元でお子さま方をお育てになられた。 言わばもう古い制度を武を庇護する為に採用したのである。

「先程、夕麿さまも御園生姓を名乗られましたよね?」

「私は武さまの伴侶として、御園生に入りました」

 夕麿が以前とは違う雰囲気になっているのは、そういう理由があったのかと納得する。 中等部の特待生は高等部のように縦の交流は持たない。 それぞれが通常、一般の授業を6時限受けた後、別に2時限の特別カリキュラムを受けるシステムになっている。 特別カリキュラムの内容は第二外国語などが中心で、それ以外には憲法などを通常の学校教育では行わない範囲に及ぶ。そのほとんどがマンツーマン授業で、学年が違うと知らないのが普通なのだ。ただ夕麿は中等部でも生徒会長だった事もあって、下級生には有名であった。

「それで夕麿、わざわざ鍵まで閉めた理由は?」

「一応、あなたの正式な御身分は秘す決まりになっていますから。それに…特別室の隣室の問題が、これで解決しそうなので御厨君に交渉をします」

「特別室の隣室?」

 敦紀は首を傾げた。

「私たちは現在、特待生用の寮の最上階にある、特別室を使用しています。

 特別室は……」

 夕麿は自分の鞄からレポート用紙を出して、最上階の特別室部分の簡単な配置を書いた。

「私たちが卒業後、この隣室が空き部屋になるわけですが、空き部屋のままに出来ない理由があります」

「現在、良岑 貴之先輩が使われている部屋に、私が入る予定になっています。しかし、向かい側の義勝先輩と雅久先輩のお使いになられている部屋の候補を、誰にも上げる事が出来ていないのです」

 行長が夕麿の言葉を継いだ。

「どうしてですか?」

 候補がいないのであれば空き部屋のままで、良いのではないかと敦紀は純粋に思った。

「そうは行かないから、困っていたのです」

 夕麿が腕を組む。

「あのね、その二つの部屋には非常用の隠し通路があるんだよ」

 武が黙った夕麿の代わりに言った。

「隠し通路? そんなものを何に使うのですか?」

 敦紀の問い掛けに武は夕麿を見上げて口をつぐんで下を向いた。

「昨年末、特別室の世話係の手引きで賊が侵入しました」

 見かねて行長が説明を始めた。

 武は黙って夕麿を引き寄せ、視線で行長を促した。 行長は実際の事を知らされていない。 事実を知っている武も、被害者である夕麿も、事件の内容を口にしたくはなかった。

「賊はちょうどお戻りになられた夕麿さまに、現場を発見されて襲撃したのです」

「!? それでお怪我を!?

 高等部で何やら騒動があった…というのは聞きましたが、内容までは」

「夕麿は頭を2針縫った」

 武が顔をしかめて吐き捨てるように言う。

「お顔も酷く殴打されて…しばらくは腫れがあられました」

「そんな…」

「その時に夕麿さまの救出に、隠し通路が使われたのです」

「そうでしたか…」

「隣室はお一人になられる武さまを御守りする砦です。故に夕麿さまも人選を迷っていらっしゃるのです」

 ふと見ると武が夕麿の手を握り締めていた。握り締められた指は微かに震えていた。行長は自分たちに公表されている以上の事があった…と思っていた。雨に対する夕麿のパニック発作が、怪我程度で起こるとは思えないのだ。 いくら何でも夕麿はそこまで脆くは思えない。 それに夕麿に対する武の対応も過度に思えた。 秘さなければならない程の出来事があり、今も夕麿を苦しめていると。

「御厨君、私は信用をおける者に武さまの側にいて欲しいと思っています。 私たち双方と血縁関係が濃いあなたなら、武さまのお立場の難しさを理解して、対応してもらえると思うのですが」

 夕麿の声は幾分震えていた。 それでも身の内に湧き上がる恐怖と戦いながら、自分が今、言わなければならない事を紡いだ。

「引き受けてはいただけませんか?」

「私は一年生です。 2年生の方々を差し置いて、反対や妬みが出ませんか?」

「それはありません。 武さまの御身分を正しく知らなくても、人選はそれなりに理由があると考えられますから不満は出ません」

「わかりました。 私でよろしければ」

 敦紀の言葉に夕麿と行長はホッとした表情を浮かべ、武は鮮やかに微笑んだ。

「えっと…終わった?」

 武が夕麿に問い掛けた。

「終わりですが…何です、武?」

「お腹…空いた」

 武の言葉に3人が吹き出した。

「下河辺、みんなに今日は終わりだって言って。全員で食事に行くよ?」

「承知いたしました」

 行長が鍵を開けて執務室を出て行く。

「御厨も帰るよ?白鳳会のみんなに紹介するから、食堂に一緒に来て」

「わかりました、すぐに片付けます」

 武は立ち上がって、そっと夕麿を抱き締めた。

「大丈夫? 気分、悪くなってない?」

「…少しゾッとした感じはありましたが、もうなくなりました」

「そう? 無理してないよね?」

「ええ、以前ほど酷くはないですから、大丈夫です」

「わかった」

 それでも握り締めた夕麿の手は震えていたし、恐怖に冷えて冷たくなっていた。



 食堂の生徒会用のテーブルと白鳳会用のテーブルは、夕麿たちによって先月から一緒になっていた。 本年度の正規執行委員がギリギリの人数である事が、武と一緒にいたがる夕麿を後押しする形になり、新入生を迎えてもそのままになっていたのだ。

 敦紀を紹介すると、案の定、義勝たち前任者は目を丸くした。 武はそれを楽しげに見つめる。

 義勝たちに彼らの部屋に次に敦紀が入る事を告げ、賑やかに夕食が始まった。

「なる程、お義母さんが喜ばれるな、それは」

 義勝が言う。

「そうですね。後でお知らせしようと思ってます」

「武君がしないのですか?」

 夕麿の言葉に雅久が首を傾げた。

「だってさあ…母さん、俺より夕麿と話す方が喜ぶんだもの」

 拗ねた口調で武が言う。

「またそれですか、武?お義母さんはあなたの事しか、お聞きになられませんよ?」

「だったら何で俺に直接聞かないんだよ」

 もっと拗ねてふくれっ面になる武に夕麿は苦笑する。武の本心は母小夜子が夕麿を大切にして、常に気にかけてくれる事を喜んでいた。女性が苦手な夕麿も、小夜子にだけは心を開いている。だからわざと拗ねてみる。

「今日は随分と絡んで来ますね、武」

「別に?」

「私に不満でもあるのですか?」

「何でそうなる?」

「それこそ別に…ですね」

「何だよ」

 武は夕麿に向き直ると小声で告げた。

「意地悪言うと夕麿の皿に人参を山盛り入れてやる」

「…ッ…それは勘弁して下さい、武…」

 露骨に嫌な顔する。 武の言葉が聞こえていた義勝と雅久が吹き出した。 実はクリスマス以来、武は時折、夕麿への逆襲に人参を使う。 この前も食事中に二人は軽い口喧嘩になり、腹を立てた武が自分の皿に盛って来た人参を、全部夕麿に押し付けた。当然、夕麿はそれを拒否出来なかった。 顔をひきつらせて食べる夕麿に、武が勝ち誇った笑みを向ける。事情のわかっている者には抱腹絶倒の光景だった。 お蔭で武の人参攻撃の辛辣さに、夕麿は完全にひいてしまうようになった。 うっかり素のままで、好き嫌いを出してしまった自分を、大いに後悔する夕麿だった。

 明るい笑い声の中、不意に夕麿が窓を見つめて強張った。 つられて武と義勝が見る。 いつの間にか雨の水滴が窓ガラスを叩いていた。

「夕麿、見るな! カーテン閉めて!」

 武は席を蹴るように立ち上がって、夕麿の頭を抱いて自分の胸に押し付けた。 事情を知る全員が食堂の2階席だけではなく1階のカーテンを閉めてまわった。

 最近、症状は錯乱から過呼吸へと変化していた。今日はまだ過呼吸にまでは至っていない。 夕麿は武の背に腕を回して全身を震わせていた。

「夕麿、薬はどこ? いつもみたいにポケット?」

 武の問い掛けに微かに頷く。 夕麿の詰め襟のポケットを探り、薬の入ったケースを取り出した。 錠剤を一つ手に取り飲ませようとするが、恐怖に噛み締められた唇は開かない。夕麿の頬に手を添えて上を向かせると、そのまま唇を重ねた。舌先で唇を舐めると自然に唇が開く。一度唇を話して錠剤を自分の舌先に乗せ、武は再び唇を重ねた。今度は強請るように夕麿の唇が開く。舌を差し入れて、錠剤を口腔内の奥に入れて、側のグラスを手探りで手にする。唇を離して水を口に含んで、夕麿に口移しで飲ませた。薬ごと水を嚥下したのを確認する。もう一度水を口移しで飲ませて、震える背中を撫でながら、もう一方の手で頭を抱く。

 呼吸が乱れていた。それでも投薬やカウンセリングで、症状はかなり治まって来てはいる。一番激しい症状を見ている義勝たちや2年生の生徒会メンバーは、無言で夕麿の状態を見守っていた。初めて目撃する新1年生執行部は、ショックで顔色を失っていた。薬が効くまでは…と夕麿を抱き締めていると、不意に背中の腕が力を失、腕の中の身体が揺らいだ。

「夕麿!?」

 義勝が慌てて駆け寄る。

「雅久、高辻先生に電話だ!」

「夕麿…」

 握り締めた彼の手は異様に冷たかった。 錯乱したり過呼吸を起こした事はあっても、意識を失ったのは初めてだった。 何故…そう考えて武は青ざめた。 先程の生徒会室での会話しか原因は思い付かない。

「さっきのあれだ……」

「あれ?」

「兄さんたちの部屋の話するのに、12月のあの事を少し…」

「どんな様子だった?」

「ちょっと震えてたんだ…顔色も悪かったし…」

 余りにもタイミングが悪い。

「とにかく、部屋へ運ぶぞ。

 貴之、手伝ってくれ」

 幾ら義勝でも特別室まで一人で夕麿を運ぶのは無理だった。 二人がかりで夕麿を抱え上げて下の階に降りる。 雅久は電話を掛け終えると夕麿と義勝の分の荷物を持ち、自分の迂闊うかつさに動揺する武を麗が支えるようにして階下へ向かう。

「下河辺君、後を頼みます」

 雅久の言葉に行長はしっかりと頷いた。 事情を知らない新1年生執行部と階下の生徒たちに対する説明が必要だった。 夕麿のパニック発作は一部の生徒しか知らない。

「千種、ここを頼めますか? 私は下の生徒たちに説明をして来ます」

「わかりました、お任せ下さい、副会長」

 パニック発作はそう簡単に完治するものではない。 投薬とカウンセリングをある程度続ける必要がある。 発作の引き金を回避するのが難しい場合、治療が長引く事も多い。 原因が複数ある場合、重なる事で症状が重くなる事も。 症状も改善したかと思うと突然悪化したりする。 状態に波があるのだ。

 夕麿の意識はすぐに回復したが体温が低下しており、今食べたばかりの物を激しく嘔吐した。彼を苦しめた人々に武がどんなに逆襲をしても彼自身の心に深く刻み込まれた傷は癒えない。 一進一退を繰り返す症状に武は為す術もない。側にいられなくなる日が少しずつ近付いているというのに。 武の心は不安と心配でいっぱいになり、押し潰されそうだった。 けれど自分が体調を崩せば夕麿はもっと不安定になる。 武を心配する余り留学を断念しかねない。

 武はひとつの決心をした。 夕麿の診察を終えた高辻医師を自室に招いて自分の決意を告げる。 全ては大切な人が少しでも笑顔で、自分の望む道を進んでくれるように。 その為ならば何を引き換えにしても良いと。

 後2ヶ月… …

 夕麿たちの卒業は間近に迫っていた。



   
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