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澄高なる心
しおりを挟む「申し訳ない、武君! 午前中だけ、夕麿君を貸してくれ!」
朝食で顔を合わせた途端、有人は武に頼み込んだ。
「えっと…あの…」
いきなりの事に困って見回すと小夜子が腰に手を当てて、有人を睨み付け溜息を吐いてから武を見た。 慌てて夕麿を見ると彼も武を見ていた。
「何で…みんなして俺を見るわけ? 仕事の事を俺に決めさせてどうすんのさ第一、夕麿は一人の人間で貸し借りするものじゃないだろ」
確かに夕麿を仕事に呼び出すなと頼んだ最終日ではある。 だからと言って学生で子供である自分に、判断を迫られても困ってしまう。
「夕麿が決めろよ? お前まで俺に決めさせるな」
確かに勝手に決められて、置いてきぼりにされるのは楽しくはない。 父親を知らない武には、仕事を理由に約束を破られる経験もない。 約束を破られた事を怒る幼い子供でもない。 仕事をする限りどうにも出来ない事が存在するのも、ちゃんと理解している年齢なのだ。
「わかりました。 午前中だけなのですね?」
念を押す夕麿に有人は頷いて答えた。
「約束する。 午前中だけお願いする」
「武、買い物は午後からにしましょう」
「うん。 終わったら電話して、夕麿。」
「ええ」
夕麿に選ばせ彼は仕事を選んだ。 武自身は不満はないが小夜子はまだ、眉間にシワを寄せて明らかに不快感を示していた。 武はそれに疑問を感じながらも、敢えて追求をしなかった。
後で小夜子が不快に感じていた理由がわかり、聞いておけば良かったと後悔する事になる。
夕麿から電話がかかって来たのは、正午を少し過ぎた時間だった。
〔すみません…遅くなって、今から帰ります〕
「それじゃあ時間の無駄だから、冬休みに休んだレストラン、覚えてるよね? 昼食まだだろう? 母さんが予約を入れてくれてるから、あそこで待ち合わせしよう?」
〔しかし武…あなたをひとりで待たせるのは気が進みません〕
「何を言ってるんだか。 たまには良いじゃないか、デートっぽくてさ」
〔寄り道しないで真っ直ぐに向かうと、約束してくださいますか?〕
「もちろん」
〔わかりました。 うちの車でレストランの入口に直接着けて、中へ入ってくださいね?〕
「心配性だな、夕麿は…ちゃんとそうするから」
〔では私も急ぎますから〕
「じゃ、レストランで」
電話を切って急いで着替え、車に乗ってレストランへ向かう。紫霄学院へ入ってから、ひとりで外出するのは初めてだった。いつも夕麿と一緒に出掛けていた。車での送迎にはさすがになれたが、ひとりで行動するのは必ず周囲が渋る。今日も夕麿と合流すると告げたら小夜子が困った顔をして、納得させるのに苦労した。。
車から流れて行く景色をぼんやり眺めているうちに、レストランへと到着して入口に車が横付けされた。支配人がドアを開けてくれて、武が降りると背後で声がした。
「葛岡君!」
中学の同級生の女の子たちだった。そのうちの二人は冬休みにデパートで会った子たちだ。武は夕麿が余り良い顔をしなかったのを覚えていた。それで軽く会釈をしてレストランへと入った。
「奥の個室を奥さまが夕方まで予約されましたが、そちらへ先に入られますか?」
小夜子はどうやら夕麿が遅くなるのを予想して、長めに個室を押さえていてくれたらしい。
「連れが来るから、それを普通に待ってるよ。ダメかな?」
「もちろん構いません。 こちらへどうぞ」
支配人が案内したのは窓際に大きく、場所を取った8人掛けのテーブルだった。 武に窓から一つ置いた席の椅子を引いて座るように促す。 武はそれに従って座る。
「飲み物は何になさいますか?」
「あ、オレンジ・ジュースを」
「かしこまりました」
外から中は見えないようになってはいるが、外で声を掛けて来た女の子たちを考えて、一つ置いた席をすすめてくれたのだろう。
武は少々手持ち無沙汰に、運ばれて来たジュースをストローでかき回した。 夕麿のように平然と待つようになるには、どれくらいの歳月が必要とするのだろうと、ぼんやりと考えているとレストランの入口の方が賑やかになった。
ここは入口からも中が伺えないようになっている。 客を店側が選ぶ。どうやら入店を拒まれたらしいのに、強引に中へ入ろうとする客がいるらしい。支配人が急いだように武の所へ来て耳打ちした。 外にいた女の子たちが武がいるから入れろと騒いでいるらしい。 彼女たちは武がここへひとりで入れるならば、自分たちも入れる筈だと主張しているのだ。
「どうぞ個室へお移りください、武さま」
武はその言葉に頷いて個室へと移動した。 ついでに夕麿に裏から入るように電話を入れ支配人にそれを告げた。 かつては自分とは対して交流がなかったというのに、何故今になって寄って来るのかがわからない。 彼女たちが自分に近付けば、夕麿が悲しげな顔をする。 それを見るのは辛い。 女の子に気を移すなどと有り得ない事ではあるが、夕麿には不安材料になるらしい。
個室でぼんやりと座っていると手持ち無沙汰が酷くなる。腕時計を見るとかなりの時間が経過していた。普通ならばとっくに夕麿が来ていてもおかしくない時間である。先程電話した時はまだ会社にいる様子だった。心配ではあるが再三電話をするわけにはいかない。
グラスの中は氷が溶けて水になり、水滴がテーブルに水溜まりをつくっていた。
結局、夕麿が来たのは1時間近く経過してからで、彼は酷く疲れた顔をしていた。
「すみません、武。すっかり遅くなってしまって…」
「大丈夫だから、気にしないで。余り顔色が良くないよ?」
「大丈夫です…食事を運ばせましょう」
仕事に出ていたとはいえ午前中だけである。昨日は邸で休日を過ごした。武より遥かに体力がある夕麿が、そんなに簡単に疲れるはずはない。第一疲れた時の顔とは違う気がした。食事をしていても努めて明るく振る舞ってはいるが、食欲がないようで無理に料理を飲み下している。それに触れられたくはない様子でもあるので、武は今は聞かない事にした。
「それで、今日は何を買いに行くのです?」
必要なものは学院で大抵が手に入れる事が出来る。ましてや武の持ち物は全て御印が付けられる。
「注文していた物を取りに行くのと、希の玩具を買いに。産まれる時には学院の中だからさ…先に買っておきたいんだ」
「そうですね。では二人で選びましょう。
候補はあるのですか?」
「う~ん…一応、母さんには聞いたんだけどね」
「では店で相談してみましょう」
「あ、そうだね」
デザートを食べ終わって席を立つと支配人が、まだ女の子たちが入口付近で武を待っていると聞かされて、武は思わずげっそりとなった。このまま放置して置くと、今日は彼女たちを退ける事はできるだろう。だが必ずまた武たちを見かけたり、このレストランやデパートで待ち伏せをするようになる。それは夕麿には決して良くはない事であると思う。武だって不快な事この上ない。
武は意を決して入口へ車を呼んで夕麿と出て行った。
二人を見て彼女たちが駆け寄って来た。
「えっと…俺に何の用?」
無表情で問うと彼女たちは互いに顔を見合わせた。
「ちゃんとした用がないなら、こういうのやめてくれない?レストランにも迷惑だし俺たちも困るんだ」
「え~何で?」
「中学一緒だったじゃん」
「友だちでしょう?」
口々に不平不満を言う。
「中学が同じだったからが何?いつ友だちになったっけ?何が目的なの、君たちは?俺が金持ちになったから?」
苛々する。当時は何があっても無関心だった彼女たちが、厚顔で友だち面をして来るのが苛立たしい。
「武、埒があきません。もう行きましょう」
武の様子に夕麿が声を上げる。
「そうだね。でももうちょっと待って」
武はもう一度彼女たちに向き直った。
「本当に迷惑だから、やめてくれないかな?」
「何で?」
「男二人だけって、寂しくない?」
「だからさ…あたしたちと一緒に遊ぼうよ、ね、葛岡君?」
「俺はもう葛岡じゃない。 それに俺たちは女はいらない。 せっかくこれからデートなのに、邪魔しないでくれ。
夕麿、行こう」
武の言葉に唖然としている彼女たちをそのままに、武は夕麿と車に乗り込んだ。
「良かったのですか…彼女たちにあのような事を言っても」
「はっきりさせておいた方が良いから。 休みの度にどこかで待ち伏せされて、つきまとわれるより良いよ」
彼女たちがたとえ武の出自を知っても、まとわりつくのは同じだと思う。 金持ちになり美形の夕麿と一緒にいるのを見て甘い夢を見て寄って来るだけ。 武たちの苦労や苦悩など、彼女たちは考えて見た事もない筈だ。かつては彼女たちの側にいたから、武には痛い程その無知で浅はかな気持ちがわかる。 金持ちや特権階級は何でも思うままに、振る舞え好きなだけ金銭を使える。 そんな風に思っていた。だが一部の成金を除いて、本当は様々な制約が存在し、立場ゆえの責任や義務が存在する。 決して楽ではないし自由でもない。 それを知ってしまった今では過去の自分を含めて、浅はかな見方しか出来ない人間を嫌悪する。
「武、眉間にシワが寄ってますよ? そんな顔をしないでください」
夕麿が悲しげな顔をしているのに気付いて武は慌てて笑顔になる。
「ごめん、デートなのにな」
「そうですよ」
武の夏休みは今日を入れて後4日。 明明後日の夕方までに学院に戻らなくてはならない。 20日間はあっという間に過ぎてしまう。 次は12月の始めに始まる冬休みまで何ヶ月も会えないのだ。
武はそっと夕麿に抱き付いた。 すると微かだが覚えのない香りがする。 それは移り香と言うには余りにも微かな、すぐに夕麿自身の匂いに隠れてしまってわからなくなった。
買い物を別に済ませて御園生邸に帰ったのは、夕方になってからだった。 御園生邸の木々で煩く鳴いていた蝉の声が、いつの間にか少なくなっていた。 すると有人がまた夕麿を明日の午後から夕方まで、出社させて欲しいと頼み込んで来た。 取引先との昼食とその後のプレゼンテーションに夕麿が必要だと言うのだ。小夜子は完全に怒っていたし、話を聞いた夕麿は当惑していた。
「それって、夕麿がいなきゃダメな訳?」
何かおかしいと思って訪ねると、有人は視線を逸らして答えた。
「夕麿君に取引先と今から顔を合わせてもらった方が、今後の為にもなる…それにアメリカの企業だから、向こうでどのように顔を合わせるかわからないし…」
珍しく歯切れが悪い。
「それだけですか、本当に? 夕麿を取引をする為の道具やおかしな事に引っ張り出しているなら、俺は本気で怒りますよ、あなたが相手でも?」
「いや…そんなんじゃない…」
「その言葉、もし違えるような事があれば、代償を払っていただきます。 夕麿、お前が自分で決めろ。 俺には仕事はまだわからないから」
武はそう言って先に部屋へと戻った。 気になるのは先程の香り。 夕麿が誰かの匂いを持って戻って来たのは初めてだ。 ただ微かだったのは多分、同じ室内にいた人間の香水が移ったと判断出来る。昨今、香水は男女かまわず使用する。 取引先はアメリカ人だと有人は言っていた。 ならば普通に使っているだろう。
だが夕麿のあの当惑顔は何だろう? 今日、様子がおかしかったのはそれが理由何だろうか? 明日は夕方から春に行った水族館へ、再び行く事になっている。 外出できる場所が限定されている武にとっては、それは楽しい一時になる筈なのだ。
時間も余り残されてはいない。 出来れば邪魔はしないで欲しい。だが…… 仕事の妨げになって夕麿の御園生企業での立場を、悪いものにしたくはない。
不安に揺れる心を静めるように、バスルームに入ってバスタブに湯を張るべく、蛇口をいっぱいに開く。 クローゼットから夕麿の分も着替えを出し、ソファに座って今日買って来た本を手にした。 開いて読もうとするが、気になって内容が頭に入って来ない。
夕麿は有人の頼みを多分、受け入れるだろうと思った。 彼は本質的に真面目だ。 それが仕事の一環である限り、不本意であっても承諾するのが彼の性格だ。 頼み込む姿勢はするが、武が仕事に口出ししないのを見越した上で、夕麿にも断れないのをちゃんと有人は計算している。だからあのような念押しをしたのだが…武を怒らせる意味がまだ、彼にはわかってはいないらしい。
だが武の予想に反して夕麿はすぐに部屋へ戻って来た。
「話、終わったの?」
「お断りしました。その事についてあなたにお話しなければなりません。ですがその前に、幾つか電話をする必要があるのです、お許しいただけるでしょうか、わが君?」
「構わないよ。お風呂のお湯もまだ入れ始めたばかりだし…話は入って聞くよ」
「ありがとうございます」
夕麿はそう言って携帯を手に、テラスへと出て行った。武はそれを見届けてから、ソファーに座って再び本を手にした。何かとんでもない事態になっていると、感覚が警鐘を鳴らしている。けれどそれが受け入れなければならない事ならば自分の運命として受け入れる。そう決めたのだから。だが夕麿を巻き込んでしまうのが辛い。ただ、幸せを願うのはそんなに罪があるのだろうか?それとも自分が生まれて来た事に、そもそもの罪があるのだろうか。
今度は間違いなく武の事が関わっている。夕麿が武を守る為に苦しんでいると感覚的に、明確な状態でわかってしまう事実に対して武は為す術を持っていない。守られているだけでは嫌だと思うのに、現実には何も出来ない自分が哀しい。 だからいつも夕麿が全てを背負おうとして傷付いてしまう。
(何も出来ない……もどかしい…苛立たしい………哀しい…… 痛い……痛い ……胸が……痛い……)
武は唇を噛んでシャツの胸元を握り締めた。 自分の無力さが忌まわしく感じた。 泣く事すら出来ずに武は座り続けた。
しばらくしてテラスから夕麿が戻って来た。 武は立ち上がって、湯の溜まり具合を見に行く。 やや入れ過ぎた湯を止めて部屋へ戻った。夕麿は何故か先程より落ち着いた顔をしていた。
「お湯、入ったよ? 入ろう、夕麿」
「はい」
衣類を脱いでバスルームに入ると、夕麿は武の足元に跪き、今日の出来事を何一つ隠さずに武に話した。
「私はあなたとのお約束を幾つも違えました。 お叱りは覚悟しております」
その言葉と項垂れた姿から今日の事でどれほど彼が、傷付き苦しんだのが手にとるようにわかってしまう。 当然ながら武はこんな状態の彼を、到底責めるような言葉を発する事は出来なかった。
「立って、夕麿。 俺はそこまで狭量じゃないよ?」
「存じ上げております」
それでも夕麿は自分を許せないのだろう。 武は手を差し出して、夕麿を立ち上がらせた。
「バカだな。 責めるんじゃなくてちゃんと話してくれたのを喜んでるのに。
辛かっただろう? 嫌な事に良く耐えたな?」
武が頑張った時には、夕麿はそう言って抱き締めてくれた。 それがどれほど嬉しかった事か。 だから武も夕麿を抱き締めた。
「わが君…」
抱き締めた身体が微かに震えている。
「夕麿、ご褒美をあげるよ」
武は彼の顔を見上げて、微笑みを浮かべて言った。するとみるみるうちに夕麿の目許に朱が差した。恥ずかしげに伏せられた睫が揺れ、形の良い唇から熱い吐息がもれた。
「朝まで寝かせてあげないからね」
その言葉を証明するように、左の乳首に爪を立てた。
「ひィッ!」
突然の刺激に夕麿が悲鳴を上げた。
「ふふ、本当にこっち側が敏感だよね。」
羞恥に視線そらす夕麿を抱き締めたまま、武はシャワーを目一杯出した。
「夕麿…キスして…」
湯を全身に浴びなが、幾度も唇を重ねる。
その間も武は夕麿の肌に手を滑らせ彼の感じる場所を刺激する。
「ああ…武…武…もう…」
「イきたい?」
「イかせて…ください…」
「わかった」
武はシャワーを止めると、夕麿をバスタブにもたれ掛からせるように座らせた。バスタブからは入浴剤代わりに入れた、香料の香りが甘く漂っていた。
香料の名前は『イランイラン』。通常はストレスに効用があるとされる香である。もっともそれはアロマオイルのような純度の低いもので、よく似た偽物も出回っている。 だが…本来の『イランイラン』の効用は、催淫である事が知られている。
武は本来は香水などに使用される、香料の方を手に入れていた。 実は半信半疑だったが、一昨日の夜に原液を嗅いでから夕麿を求めた。
『イランイラン』のストレスに対するリラックス効果は、脳への刺激による弛緩が一因である。 無駄な力が身体から抜けるのだ。 この刺激は催淫の一種なのだが、アロマオイルは薄いのでさほど強くは発生しない。
目 許を紅に染めて座る夕麿は、壮絶な程綺麗で艶やかな色香を放っていた。 欲情に乱れた呼吸で『イランイラン』の香を吸い込み続けている。
「夕麿、膝立てて脚、開いて」
「はい…」
羞恥に顔の赤みが増す。 それでも欲望には抗えず恥じらいながら、膝を立てて脚を開いた。 武はボディオイルを手に取り夕麿に近付いた。 開かれた脚の間に身体を入れ、欲望のカタチを示している彼のモノを根元から舐め上げた。
「あッ!」
ビクンッと夕麿の身体が痙攣した。 武は構わずオイルで濡らした指で蕾をくすぐりながら、舌先で夕麿のモノの舐めながら、口に含んだ。
「ああ…武…あッ…あン…」
仰け反る喉が震え、絶え間なく嬌声が上がる。
「ひァッあッあッ!」
指先が蕾に挿入されると、夕麿は悲鳴のような声を上げて首を振る。 容赦なく中をかき混ぜ、口腔内に含んだモノに舌を絡ませる。指を増やし中をバラバラにかき混ぜると、夕麿の嬌声が一層、高く上がり身体が戦慄く。
「ヤ…ダメ…ああン…武…武…ひァあン…あッあッ…ああッ…武…もう…もう…」
肉壁が指に絡み激しく収縮して、絶頂が近い事を示していた。指先で最も感じる部分を刺激しながら、一層舌を絡めて強く吸い上げた。
「ああッあッあッあッ…!」
夕麿はたまらずにバスタブの縁を握り締め、大きく仰け反って武の口腔内に吐精した。
「あ…あ…あ…」
強過ぎる快感が余韻を与えているのか、開かれた唇からなおも声が漏れる。武は最後の一滴まで残滓を飲み干すと、ゆっくりと指を抜いて、ぐったりした夕麿の喉に唇を寄せた。
「…ン…」
所有の印とばかりにそこを強く吸って跡を残した。夕麿はその痛みにようやく意識がはっきりしたらしい。
「武…」
両腕が背中に回され、武を抱き締める。 まだ荒い息を吐く夕麿に、武はなおも口付けて白い肌に跡を付けていく。
「ン…ああ…」
まだ半ば痺れたようになっているらしい身体が小さく戦慄く。 武は小さく笑い声を立てて離れ、スポンジを泡立てて夕麿の身体を洗い始めた。
「武…自分で洗えます」
「ダメ。 ご褒美だって言っただろう? 俺がやりたいんだから、おとなしくしてろよ」
「ありがとう」
まだ力が入らないのか、夕麿はバスタブに寄りかかったまま、身を投げ出すように座っている。 彼は抱く時と抱かれる時の態度が、180°正反対になる。 まるで別人のようだ。 特に抱かれる時は、抱く側の征服欲に満ちた姿が信じられないように、従順になってしまう。 そんな夕麿の姿は綺麗で可愛いと感じはするが、そこに多々良 正恒の影が見え隠れする。
夕麿を最初に抱いた男。 夕麿を深く傷付け今も癒えない傷痕を残す男。 どんな形でもあの男が夕麿の心に刻まれている。 時折、それに激しく嫉妬して、自制するのに精一杯になる。 この従順さもあの男が、教え込んだものだと思うといたたまれなくなる。
あんな最低で酷い奴の事なんか忘れろ…… どんなにそう言ってやりたくても決して口にしてはならない。言えば夕麿が傷付く。 彼自身が自ら望んだ関係ではなかったのだから。 肉親の情に飢えていた彼を籠絡して、無理やりに覚えさせられたものだと知っているから。
愛するからこそ独占したい。相手の全てを支配したい。独占欲に過ぎないつまらない執着だとわかっていても、気が付けば心に生まれてしまう黒い感情を持て余してしまう。
それを申し訳なく思う。
夕麿が嫌がるような事はしたくないし、嫌な事は全て忘れさせたい。
シャワーで泡を洗い流し、笑顔で口付けた。
「私にもあなたを洗わせて、武」
「うん」
手の中の海綿スポンジを手渡す。夕麿は笑顔で受け取り、気怠げに身を起こした。武を立たせて、指先まで丁寧に洗っていく。その顔は『イランイラン』の香が効いているらしく、目許は相変わらず紅に染まり、吐息は甘く乱れている。
「今日は淫らだな、夕麿」
「申し訳…ありません…身体が熱くて…」
「そう、じゃ泡落としてお湯に入ろう?」
少し効き過ぎたかな…と思う。普段気を張ってる性格とストレスの双方が効果を強めている様子だ。
バスタブに共に入って、さらに二人して香をたっぷりと吸い込んだ。 何度も口付けを繰り返し、バスルームから出ると怒濤のようにベッドに転がった。
蕾にジェルを塗り込め、性急に貫いた。夕麿は悲鳴を上げて吐精した。
「ああ…ごめんなさい…」
先に自分だけイくと、彼は辛そうな素振りを見せる。 武からすれば幾らでも感じさせて、イかせてやりたい。 だが夕麿はそれに躊躇いを見せる。 最初はその理由がわからなかった。 だがある時に気が付いた。 それこそがあの男の教え込んだ事だと。
特別室でのあの事件…あの男がしていた事を思い出した。 あの男は夕麿のモノを縛り上げて、イけないようにしていた。 もし…中等部時代も、そうだったとしたら… 先にイくのを悪い事のように教えていれば…何も知らなかった彼には、それが刻み込まれてしまっただろう。
許せない…と思う。 こんな形で夕麿の誇り高さを弄んだ男が。 武を抱く時には、優しく強く何度でもイかせてくれるのに…
夕麿は自分がひとりでイく事を、悪い事のように思っている。 武はいたわるように口付けて、まだ湿気の残る髪を撫でた。
「バカだなあ…謝らなくて良いんだよ? 気持ち悦くしてんだから、何度でもイって。 俺、夕麿のイく時の顔、綺麗で好きだよ?」
「ああ…武…嬉しい…」
夕麿の頬を涙が零れ落ちる。
「愛してる、夕麿。 だからいっぱい感じて、いっぱいイって」
囁いて耳朶を甘噛みしながら抽挿を再開した。 漏れる嬌声が今までになく艶を帯びた…
朝まで抱き続けて、眠っている夕麿の顔を見つめていた。 ノックの音に気付いてそっと出てみると、文月が申し訳なさそうに立っていた。
「早朝から申し訳ございません、武さま。 お客さまがいらっしゃっています。
夕麿さまとご一緒にリビングへお運びくださいませ」
「わかりました、すぐに行きます」
短く答えてドアを閉めた。
「夕麿…夕麿…」
肩を揺らすと夕麿はすぐ目を覚ました。
「ごめん、まだ早いんだけど…お客さんが来てるっていうから」
「わかりました。 ……痛ッ!」
ベッドから身を起こそうとした夕麿が苦痛の声を上げた。
何度となく気を失った彼を目覚めさせ抱き続けた。 あれだけ達すれば、筋肉痛になってもおかしくはない。
「あ…ごめん、ちょっと過ぎたかも… 辛い?」
武が苦笑して助け起こした。
「武…眠っていないのではありませんか?」
「少し寝たよ、夕麿の横で」
笑顔を向けると、安心したような顔をする。 手を貸して着替えさせ、リビングへ向かう。
訪問者は二組みいた。
一方は周だった。
もう一方は夕麿に断られた、ウィルマン父娘だった。
「周さん、おはようございます。 旅行は如何でした?」
武は夕麿を座らせながら、にこやかに周に話しかけた。
「おはようございます、武さま。 当て所なく彷徨いて来ましたが、良い景色に癒されました。
本日は朝早くから申し訳ございません」
「ううん、わざわざありがとう」
「とんでもございません」
周は武と会話しながら、夕麿に視線を移して息を呑んだ。
「周さん…? どうかしましたか…?」
夕麿が艶やかな笑みを浮かべて、首を傾げて周に問い掛けた。 慌てて武に視線を移すと、ニヤリと愉しげに笑われた。
昨夜のあの電話の様子から判断して、何がどうなっているのかは、周にも簡単にわかったが目の当たりにする光景に言葉を失った。
武は周の様子に笑いながら周囲を見回した。
小夜子と文月は今朝ほどの状態ではないにしても、立場が逆転した朝を何度か目撃している。 初めて居合わせた有人とウィルマンはその気がない筈なのに身体が反応して狼狽し、メアリーは艶やかさに心を奪われていた。
「周さん…あなたが来られたという事は…」
「慌てるな、夕麿。 僕が受けた指示は、取り敢えず君と武さまに別な場所へお移りいただく、という事だ」
「別な場所?」
武は何の話なのかわからずに首を傾げてから夕麿を見た。
「それから夕麿、お前は然るべき裁断が下りるまで出国は出来ない」
「もとより承知しています」
「夕麿、何の話?」
武は嫌な予感を覚えながら夕麿に問い掛けた。 昨日のあの感覚がまた胸を満たしていく。
「わが君、あなたをお守りする為です。ここには…御園生家にはいられません。 周さんを通じて判断を委ねました。 ただ…最悪の場合は…」
「学院から出られなくなる? そうか…その時はその時だね…」
やはりそうなるしかないのか…と、武は諦めを込めて呟いた。
「大丈夫です。 その時は私も共に…」
「それはダメだ!」
武は夕麿の言葉を遮って叫んだ。
「お前は来るな。 もう卒業して出られたんだから戻るのはダメだ、絶対に!」
「お約束した筈です、わが君。 あなたと共にいると」
武は真っ青になって立ち上がった。
「武さま、まだ何も決まったわけではございません。 どうかお静まりくだりませ」
「俺は…俺は…もう、誰も巻き込まない…巻き込みたくない…そんな事になるなら…俺は…」
武はリビングを飛び出して、部屋へ駆け戻った。 背後で周や夕麿の声が響くのを振り切って。 部屋に飛び込むと机からカッターを取り出した。 震える手で刃を出して首にあて、一息に引き斬ろうとした瞬間、夕麿が飛び込んで来た。
「わが君!?」
「来るな!」
「おやめください…お願いです」
「こうするのが一番良いんだ! 俺がいなくなれば、全てが解決する。俺は…やっぱり、いない方がいい…」
「そんな事はありません! 私は…私はあなたを必要としています。 あなたを失ってどのように生きろと仰るのですか」
「お前には兄さんたちがいるだろう? 大丈夫だ、心配はしていない。 俺はお前の人生まで奪いたくない…だから…止めるな!」
「わが君!」
夕麿が悲鳴を上げるその目の前で、武の皮膚に切っ先が刺さった。 駆けつけた誰もがカッターの刃が武の首を切り裂くのを想像し、て悲鳴を上げた瞬間、彼の身体が崩れ落ちた。二人が言葉を交わしている隙に鎮静剤の入った、注射器を手に周が回り込んでいたのだ。
夕麿は倒れた武を抱き締めて号泣した。 周は夕麿を促して武をベッドに寝かせ、夕麿に任せ皆を再び居間へと戻らせた。
誰もが青ざめた顔をしていた。 周は前もって高辻に相談して良かったと思っていた。相談していたからこそ、鎮静剤を準備していたのだ。 そうでなければ武を止められたかどうかわからない。
「御園生 有人…あなたはご自分がこの事態を招いたと自覚していますか?」
周が冷たい無感情な声で尋ねた。だが心の中はこの無礼な男に対して、腸が煮えくり返る想いだった。
「企業人としてのあなたの立場は、わからないわけではありません。 しかしその前にあなたは武さまの乳部の長としての責任や義務があるのです。武さまの伴侶である夕麿に対してもそれは適応されます。
今回、あなたが違えた武さまとのお約束は夕麿を守る為であるのと同時に、彼が注目されると武さまに何だかの害が及ぶ可能性がありました。御園生 有人、これぐらいと一度許せばやがては全体を破壊する元にもなります。 武さまのお立場からすれば、それはお命を失われるのと同じなのです」
如何に有人が年長者であっても勲功によって爵位を与えられた、一般市民ででしかないのだとまざまざと見せ付けられた想いだった。戦前であるならば彼は直接、武と対話できなくても文句は言えない立場だった。
周の怒りがわかる小夜子が深々と溜息を吐いて周の言葉を引き継ぐ。
「あなた、だから私は最初に止めたのです。それなのに耳を貸してくださらないから…… 夕麿さんを取引を有利にする為の道具にするのは、武が絶対に許しはしないと言った筈です。夕麿さんは高貴さ故の誇りを持っていらっしゃるのですよ。今回のあなたの欲求はそれを傷付ける行為だったと何故わからないのでしょう」
小夜子は怒りを露わに詰め寄った。
「もし、あの子がここを出るのならば、私もお暇をいただきます」
有人は言葉も出なかった。 もっと軽い気持ちでいたのだ。アメリカから来た友人に、ただ単に夕麿を自慢したかっただけ。 メアリー・ウィルマンが夕麿に惚れてしまったのは計算外。彼らは夕麿のピアノに感動して終わると考えていたのだ。
「ちょっと待って欲しい」
突然、ウィルマンが日本語で割って入った。
「人間は平等で自由だろう? それなのに何でそんな話になるのだ?」
周はその口出しにはっきりとした不快感を示した上で答えた。
「アメリカには皇家や王家、貴族がいないからおわかりにならないと思いますが、武さまは皇家の血筋のお一人です。複雑な事実がありご身分を明らかにしたり、お血筋を残してはならない定めの方です」
「理不尽な…人権侵害だろう」
「特権階級にはそもそも一般人に保障されている、基本的人権は適用されないものです。特に皇家の方は日常生活がそのままあらゆる意味を持ちます。それはあなた方には到底わからない不自由なものです。
あなたのお嬢さんにお伝えください。 夕麿は既に武さまの伴侶になっています。 しかもに彼は体調を崩すほどの女嫌いです。如何に恋慕われても、不毛ですから諦めるように…と」
ウィルマンは二の句が継げなかった。 皇家を引き出されては、それ以上は内政干渉であり、僭越行為だとさすがにわかるからだ。
「私は…私は…もっと軽く考えていた…」
有人は頭を抱えるようにして呻くように言った。 有人にとって武は直向きで健気な少年だった。 真っ直ぐな瞳ではにかみながら、有人を『お義父さん』と呼んだ。 小夜子と二人で質素な生活をして来た所為で、いつも与えられる高価なものを困った顔で受け取っていた。夕麿を愛する姿はもっと直向きで健気で純粋だった。 愛する人を傷付けた者への報復は、容赦ないものではあったが決して理不尽なものではなかった。
元々は身から出た錆。 それも喜んでやったわけではない。 自らの心を鬼へと駆り立てて、大鉈を振るったに過ぎない。だからこそ愛する人の前途を奪うのが自分であるならば、あのように生命を絶つ事すら躊躇わずに実行しようとする。
『俺がいなければ全てが収まる……』
その悲痛な叫びが耳から離れない。 そして倒れ込んだ彼を抱き締めて号泣した夕麿の背中。 武が生命を絶てば彼も生きてはいないだろう。
「御園生 有人、武さまも夕麿も多くを望んではいないのです。 ただ家族と穏やかに幸せに暮らしたいだけ。 御園生家も一時的に継いでも最終的には、小夜子夫人の胎内にいるお子様への中継ぎだと考えている程です。あなたは二人を安住の場所であるここから、追い出してしまわれるのですか」
「そんなつもりはない…彼らは、私の愛する息子たちだ…」
「それを聞いて安心しました。
僕の役目はここまでです。 後はあなた自身で二人に話を。二度目はありません。
よろしいですね?」
「約束します」
「どうか二人の澄み切った青空のような、誉れ高い心をご理解ください。 僕は出来るだけあの澄高さを濁らせたくない」
それは周の純粋な願いだった。 世に出て行けば叶わぬ願いかもしれない。 けれど二人の純粋で美しい心は、失われた本当の気高さだと感じていた。
武を他へ移す…は、周のフェイクだった。 もし本当に上に知らせれば、瞬時に武は学院に閉じ込められる。 その場合は如何なる状態に起因しても武は死を選ぶと、高辻 清方は周にそう告げていた。
今回、それが真実である事を武自らが証明した。
もとより特別室の住人は夭逝すると言われている。 余り丈夫でない武が、幽閉同然の身で長く生きるとは思えなかった。
「う…ん…」
目を開いてもまだ、頭の中がすっきりしない。
自分が何をしていたのか。
何がどうだったのか?
「武…?」
夕麿の声がエコーがかけられているかのように、奇妙な響きを持って聞こえる。
「武さま、失礼いたします」
今度は周の声がエコーで聞こえた。手首に指を当てられ、次は目を覗き込まれた。胸元を開かれて冷たく硬い感触が、胸に当てられて移動する。
夕麿と周が何か言っているがよくわからない。腕を捲られなすがままになっているとチクリと痛みが走った。
「んー」
力の入らない身体で首を振る。しばらくして視界がゆっくりと明確にクリアになった。
周と夕麿が覗き込んでいた。
「あれ…?」
二人を見つめ返すと、安堵の吐息を揃って吐いた。
「何…二人とも?」
「失礼します」
周の手が目を調べ、首筋に触れる。
「ご気分は如何ですか?吐き気はございませんか?」
「別に…?」
「もう少しそのままでいらっしゃってください。薬が効き過ぎたご様子ですので」
「武…」
周と入れ代わって夕麿が近付いて髪を撫でた。穏やかな笑顔でいたわるように頭を撫でてくれる。
気持ちがいい……
「夕麿…」
「何ですか、武」
「それ、気持ちいい…」
答えた武の目から涙が零れ落ちた。
「武…」
「俺には…死ぬ自由もないのか…?」
左腕で目許を覆うようにして、武は誰に言うとでもなく呟いた。
「!?」
その言葉に夕麿は髪を撫でていた手を引いて言葉なく顔を背けた。
「武さま、自ら生命を断つのに、自由など存在いたしておりません」
周の声が厳しい響きを持って放たれた。
「それは他者を傷付けるだけの罪でしかございません。。
思い出されてください。 一年前の慈園院と星合の心中を。 どれだけの人間が衝撃を受け傷付き嘆き悲しんだか。確かに彼らはいろいろと問題行動の多い者たちでした。 しかしそれでも彼らの死を多くの者が悼みました。
もし今、あなたがお生命を断たれたならば、どれだけの者が嘆くと思っていらっしゃるのです?あなたが病に倒れて、生死の間を彷徨い目覚めなかった時、高等部中が祈った事をお忘れですか。。
第一、ご母堂小夜子さまや夕麿はどうなります?
ご自分の感情だけのご言動が、どれだけ周囲を傷付けるのか、もっとお考えになってください。 あなたは死に逃げ込めば楽になると、思っていらっしゃる。 ならば黄泉路で皆の嘆き悲しむ声をお聴きになって、お一人で引き返す事が出来ない道を見詰められて嘆かれるがよろしい!
甘ったれるのも程ほどになさいませ!」
それは武の心に平手打ちを与えるような強く激しい言葉だった。
周はどちらかというと飄々としていて、にこやかだが今一つ感情が読めないところがある。その彼が怒りを露わに、武を怒鳴りつけたのだ。
「ご自分だけが悲劇の主人公になるのはおやめなさい。 夕麿などもっと辛い目にあって来ました。
雅久を思い出してご覧なさい。 彼は酷い目にあった上に、記憶まで失ってしまいました。
辛い記憶など忘れた方が良いなどと思うのは、それが実際にどんなに辛く哀しいものか知らない者の甘えです。
もっと強かにしなやかに生きる力をお持ちなさい。 あなたの苦しみや哀しみはそのまま、夕麿やご母堂さまの想いなのだとご理解なさいますように」
周のその言葉に武は夕麿を見た。 伏せた睫が揺れていたが彼は何も言わない。
「僕の言いたい事はそれだけです。
では失礼いたします」
周は踵を返して部屋を出て行った。
「甘ったれ…か」
武は自嘲した。
「そんなの…わかってるよ…」
握り締めたシーツに涙が、丸いシミをつくっていく。
閉じ込められる恐怖。
その恐怖に夕麿を巻き込んでしまう恐怖。
最近はそれが強くなって圧迫感のようなものを感じる。
声もなく泣いていると、ベッドが軋んで夕麿が抱き締めてくれた。
「あそこにひとりでいれば、不安になるのは当たり前です、武」
「夕麿…」
縋り付いて消え入りそうな声で聞いた。
「寂しい…って、言っても良い?」
『寂しい』とか『辛い』とか、独りきりになってしまった事から来る感情を、武は表立っては口にはしなかった。夕麿にすら…言わなかった……言えなかった。 心配するからするとわかっていたし、負担にな利他くはなかったから。UCLAへの留学は何よりも、武自身がすすめた事だった。 離れ離れがどんな事なのか…わかっているつもりだった。 たったの1ヶ月だ…まだ。 それなのに弱音を吐くのは、だらしがないと我慢して来た。
「我慢しなくても良いのですよ?一年間、一緒にいたのですから…寂しいのは当たり前でしょう?」
「ごめんね…もっと頑張れるつもりだったんだ」
「あの部屋は広いから、独りきりは辛いでしょう? 私があなたの立場でも辛いと思います。
だからお願いです、我慢しないで」
「うん…夕麿は? 夕麿は平気?」
「そんなわけがないでしょう? 私も寂しくて…あなたの事ばかり想っていました。朝いつも、あなたの温もりを探してしまいます。 遠く離れているのに、私の心はそれを納得しないのです。
眠る時はまだ自分に言い聞かせる事が出来ます。 でも…朝は微睡みの中で、あなたを探してしまうから辛いのです。 こんな事ならば一年間内部進学して、来年、あなたと一緒に渡れば良かったと、どれほど後悔したでしょう」
夕麿の言葉がゆっくりと心を癒していく。 寂しいのは自分だけではないのだ。 同じように夕麿も、武を求めていてくれたのだと。
愛情を疑ったわけではない。 けれど学院から解き放たれた彼が、その自由を満喫したとしても責める事は出来ない。 だから夕麿は寂しいとは思ってはいないかもしれないと勝手に思い込んでいた。それに学院の中ではわからなかった様々な事が一挙に押し寄せて、辛い想いや大変で…武に逢えない寂しさを感じる暇はなかったのだと、帰国して仕事に追われる姿を見て思い込んでいた。夕麿が遠い存在になってしまったように感じた。 だからこそ余計に何もかもを捨てても、武が学院に閉じ込められるなら一緒にと言う夕麿を、巻き込む事は出来ないと思ったのだ。
肌を重ね想いを重ねても不安定だったのはきっと夕麿の気持ちを誤解していたからだ。
「ごめんなさい」
夕麿の気持ちも知らずに愚かな事をしていると思う。
「謝らないで、武。 私に余裕がなかったのが悪かったのです。
気分はどうです? 起きてから何も口にしていませんから、お腹が空いたでしょう?」
「空いた…」
「ここへ運ばせますか?」
「ううん…みんなに謝りたいから、ダイニングに行く」
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「うん、行きたい」
笑顔で答える武に夕麿も笑顔で返してくれた。
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