蓬莱皇国物語Ⅱ~飛翔

翡翠

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   澪標

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次の日、夕麿は一日中、武の側にいた。

 身体を動かすだけであらぬ場所に走る激痛に、悲鳴をあげてしまうので夕麿は付きっ切りで世話をやいてくれる。無理をした所為で熱は下がらず、せっかくの時間をベッドで過ごさなくてはならなくて、武には少々不満だった。それでも夕麿も疲れている様子だったので、ベッドに引っ張り込んで身を寄せて甘えられるのが何よりも嬉しい。

 ただ…まだ違和感が存在した。夕麿の微笑みにはかげりが見え隠れする。時折、武に触れるのすら躊躇ためらっている。いろいろと思い当たるものはないかと、心の中であれこれ思い巡らせてみたが、どうも違うような気がした。

 これは自分が原因ではない……と確信する。別に何かがあってそれ故に夕麿は、強い罪悪感を抱いて苦しんでいるのだと。武に言えない事で、言いたくない事なのだろう。でも知らなければ悩み苦しむ夕麿を本当の意味で、抱き締めて癒しす事は不可能に思えた。これはもう周囲に聞くしかない。

 次の朝に再び夕麿は仕事へと呼び出されて行った。

 武も丁度熱が下がったので、武は母と共に買い物に出掛けた。必要な物を幾つか買い揃え、レストランで昼食を摂って帰宅した。

 夕麿はまだ帰って来てはいない。 武は部屋に戻って義勝に電話を掛けた。 こういう時には雅久より義勝の方が話易い。 隠し事は彼の方が下手なのだ。

「あ、義勝兄さん、今、良い?」

〔珍しいな、武、何かあったか?〕

 武が夕麿以外に電話をするのはいつも雅久の方である。 だから疑問を投げかけられるのは当然と言えば当然だった。

「夕麿が酷く悩んでる。 何て言うのか…自分が許せなくて、俺に遠慮したり躊躇ったりしてる。

 思い当たる事あるよね?」

 単刀直入に切り出す。 電話の向こう側で義勝が、息を呑んで言葉を詰まらせるのがわかった。

「返事がないって事は俺の言葉が当たってるって事だね?

 で何? 何があったの?」

〔…武…勘弁してくれ…俺の口からは言えない〕

 義勝の困った声の向こうで、微かに声が聞こえる。 多分、雅久が側で聴いている。

「わかった、言いたくないなら言いよ。貴之先輩に聞くから」

〔待て、武! 貴之には電話をするな!〕

 電話を切ろうとした武を義勝は焦って止める。

「ふうん…貴之先輩が関わってるんだ?

 それで?」

〔武…… 〕

 電話の向こうで義勝が唸るよう言い、そのまま黙ってしまった。

「あのさ、隠すなら本当に貴之先輩自身に話を聞くよ? 忘れてない、義勝兄さん? 俺は夕麿の為なら手段は選ばないって事を。

 あんなに痩せる程悩んでるのに、放置してたの兄さんたちは? 俺、夕麿の事を頼むって言ったよね? それとも俺はまだ子供で仕事の事とか社会の事とか偏見や差別の事が、ちゃんとわからないから除け者にするけ?」

 畳み掛けるような武の口調に幾ら何でも、彼が本気で怒っているのは伝わる筈だ。

〔武君、義勝を責めないでください〕

 耐えかねて雅久が出た。

「別に責めてないよ? 俺は本当の事が聞きたいだけ。 聞いて夕麿を少しでも、癒してあげたいと思ってる。なのに協力してくれないの、雅久兄さん?」

 雅久も息を呑んだのかわかる。 今まで雅久に怒りを向けた事は一度もない。 彼はいつも武の味方だった。 義勝を非難しても武を庇ってくれた。だからこそこの気持ちをわかって欲しかった。

〔……わかりました。 でも武君、話したのを夕麿さまには知らせないでください。 あなたに知られたとわかったら、夕麿さまはどれほど傷付かれる事か…それだけはわかっていただけますか?〕

「事と次第によるよ、そんなの。 雅久兄さん、俺は夕麿の伴侶としてでなく、主としても知っておきたい。 聞いた後の判断は俺自身がする。 必要なのは庇う事じゃないと思うよ? 間違った対処をしてるから、夕麿が必要以上に苦しんでいるんだろ?

 何でわからないかな?」

 苛立ちを露わにする。 理由はあるのだろうが、生徒会の時のチームワークはどこへ行ったと言いたくなった。

〔…武さま…〕

 雅久の呼び方が変わった。 武の怒りの意味が自分たちにも、向けられているのだとようやくわかったのだ。

「不必要に庇うだけでは夕麿が自分を責め続けるというのはわかっている筈だ。

 さあ、何があったの? 貴之先輩は何をしてるの?」

 武は尚も詰問した。 すると雅久は仕事の内容と貴之の行動について、何度も言い澱みながらもありのままを話した。

「それ、実質的には夕麿が許可したんだよね?」

〔そういう事になります。 だから余計に夕麿さまは、苦しまれていらっしゃるのだと私は思います〕

「貴之先輩が言い出した状況から考えて判断がついた筈なのに…」

〔……武さま、お願いです。 どうか夕麿さまをお責めにならないでください〕

「それは約束出来ない。出来ればそのロバート・ブラウンって人の番号を教えて欲しいのだけど」

〔武さま、それは……〕

「わかった、じゃあ、言い直す。

 番号を教えなさい、雅久」

〔…御意。後程、メールでお知らせをさせていただきます〕

「待ってます。それでは」

 武は電話を切るとベッドの上に携帯投げ出した。夕麿の為とは言え身分を露わに命令した。雅久を呼び捨てにして強制した。自己嫌悪に吐き気がする。だがどんなに嫌でもこれからは幾らでも必要に駆られる気がした。夕麿たちの変化に否応なしに武も変化を余儀なくされ始めていた。

 悲しくても辛くても自分の身分や立場が、目の前に突き付けられて来ている事に、武は抗う事が出来なくなりつつある自分が嫌だった。

 携帯がメール着信を告げていた。武は中を確認してボブに電話を掛けた。



 夕麿は夕食の時間には有人と一緒に帰宅した。

「お帰りなさい」

 満面の笑みで二人を出迎え、久しぶりに有人と食卓を囲む。

「もう身体は大丈夫かね?」

「ご心配をお掛けしました。熱も下がったし食欲も出て来たから大丈夫です」

 元気に答えた武に有人は笑顔で頷く。

「あの…お願いがあるのですが」

「何だね?」

「2~3日、夕麿を呼び出さないで欲しいのです」

「それは構わないが…」

「夕麿も良いよね?」

 振り返ってそう言った、武の目は笑っていなかった。

「あなたが望むなら…」

「という事だから、よろしくお願いします」

「許可しよう」

 有人も武のただならぬ様子に、それ以上は口出しは出来なかった。


 部屋へ戻ってすぐに、武は夕麿と向かい合った。

「夕麿、俺に言えない事で悩んでるよね?」

「武…」

「ちゃんと話して欲しいんだけど?」

「それは…」

 狼狽ろうばいする夕麿を武は鋭く見据えた。

「強制しても良いんだよ? でも俺は夕麿から話して欲しい」

 自分で話さなければきっと、彼の中の罪の意識は消えない。

 貴之のやった事は確かに良い事ではない。 だが簡単に予想は出来た筈のものだ。 なのに夕麿は許可を出したのだ。 その結果、罪悪感に苛まれている。許可を出した限りはそんなものを抱いても意味がない。そんな風に悩んだら逆に貴之が傷付く。

 自分ならばどうしたのか。

 武は考えた。考えて考えてどうしてもひとつの答えしか出ない。認めた限りは出した結果をきちんと活用する。今の夕麿のように悩んでしまったら貴之だって苦しむ。残酷でもそれが一番だと思うのだ。

「夕麿、言えない?俺はそんなに頼りにならないのかな?まあ会社とかわからないから信用出来ないよね…」

 ちょっと肩を落として溜息を吐く。夕麿はもっと困った顔をして視線を泳がせていた。

「不公平だよね…夕麿は俺の事、高等部の状態をちゃんと知ってるよね?なのに夕麿の事は、俺にはわからないなんて。

 今度、貴之先輩にでも頼んでみようかな…夕麿の事を俺に教えてって」

「それはやめてください、武!」

 動揺しているとわかる声が飛ぶ。

「お願いです、それだけは……」

「それはどっちの意味で?何をやってるのか、知られたくない事をしてるから?それとも貴之先輩に連絡を入れるをやめて欲しいの?

 前者だったら俺、本気で夕麿を疑うよ?浮気でもしてるんじゃないかって」

「あり得ません!」

「そう…じゃあ、貴之先輩に連絡したら困る方なんだ?

 それで?」

 逃げ場をなくして夕麿を追い詰めていく。 義勝がいたら血相を変えて止めに入るだろう。

 だが今は二人っきりだ。

「私は…」

 夕麿はソファの肘掛けを握り締めるようにして、時折言葉を詰まらせながら話し始めた。 武は相槌を入れながら夕麿の言葉で語られる事実を聞いた。

「私は、私を許せない。 武、私はこんなにも汚れてしまいました」

 悔恨の涙が夕麿の頬を濡らす。 武は立ち上がって夕麿に歩み寄って抱き締めた。

「武…武…」

 縋って泣く背を優しく撫でながら言う。

「ね、夕麿。 夕麿は汚れてなんかいないよ? 本当に汚れてしまった人間は、悩んだりしないと思うけど。 平気じゃないって事は、それが良くない事だって、まだ見分けがつくって事だろう? 本当に汚れてしまったら、それをわからなくなると思うよ?」

「まだ…汚れて…ない…?」

 驚いた顔で見上げてくる夕麿に武は笑顔で頷いた。

「ありがとう、ちゃんと話してくれて。 じゃあ…俺も正直に言わないとダメだよね…」

「何を…ですか? まさか…周さんと何か…」

 顔色を変えて武の腕を力強く掴む。

「何でそこへ話が行くわけ? 俺を疑うわけそういうので? 怒るよ、本気で?」

「では何なのです…?」

 不安そうに夕麿の睫が揺れる。

「はあ…俺って、そんなに信用ないの?」

「そういうわけでは…」

 何もかもが不安何だろうな…と思う。 ましてや武があんな事をしようとした後だ。

「俺…夕麿を裏切ったりしないよ? そんな事するなら、死んだ方が良い…」

「武!?」

 自分に最初に触れたのは夕麿ではなかったという事実は、慈園院 司の本意がわかった今でも心の傷になっている。 一年以上を過ぎても二人が死んでしまっていても記憶から決して消えたりしない。だから夕麿に不実を疑われたら傷口が口を開けて血を流す。

「武…あなたはまだ…」

「忘れられるわけないだろ…あんな事…」

「武、許してください。 辛い事を思い出させてしまいました… あなたが私を裏切らないのは、わかっています…一々、些細な事に不安を感じてしまう私が悪いのです」

「ごめん…俺、また自分の事ばっかり…」

 夕麿の方がもっともっと辛い目にあってるのに…と、武は自分の短慮さを悲しく思ってしまう。

「では、何を私に?」

「ああ、すっかり話が別へ行っちゃった」

 武は苦笑して元のような真面目な顔に戻った。 夕麿から身体を離して目をそらす事なく告げた。

「ごめん…夕麿の話してくれた事、俺…知ってた。 知ってて言わせた」

「そんな…一体誰が…」

「…雅久兄さんに電話して、命令して無理に聞き出した。 兄さんを責めないで。 話さなければならないように、俺が強制したんだから」

 雅久の立場を夕麿との関係を壊す事だけはしたくない。 命令をして強制したのはブラウンの電話番号だけだがどちらにしても同じ事だ。

「では、何故、私に言わせたのです」

「自分で話したから、夕麿は俺の言葉を受け入れられただろう?」

 武が一方的に言えば、夕麿はもっと自分を責める。 それでは何の解決にもならない。

「…時折あなたは、私が予測出来ない事をするのですね」

「あはは…それは、夕麿が俺を実際よりも良いイメージで見てるからだよ」

 武は自覚している。 自分は夕麿が思っているような純粋な人間じゃない。 むしろ純粋で素直なのは夕麿の方だと。今回の出来事、夕麿と同じ状況ならば、絶対にこんな風には悩まない。 多分、もっと割り切る。

 夕麿は優しい。 他者を傷付けるのに耐えられなくて、結局誰よりも深く自分を傷付けてしまう程。だが武は夕麿の為ならば鬼にでも悪魔にでもなる。 なってみせる。 その為なら何でも犠牲にするし生贄にする。

「きっと…俺の本当の姿を見たら、夕麿は失望する。 汚れているのは俺の方かもしれない」

「何を言うのです、あなたは!」

「ほら、そうやって俺を過大評価してる」

 守られてるだけのお姫さまは嫌だった。 武だって男だ、 愛する人を守りたいと思う。 どんな犠牲を払っても構わないから、愛する人には幸せでいて欲しい。 夕麿が幸せに笑っていてくれるなら、それ以外のものは何もいらない。

「夕麿、愛してる」

 誰かをこんなに想えるとは考えた事がなかった。 恋をする意味も知らないままだった、夕麿に出会わなければ。

「武、私も…あなたを愛しています」

 抱き寄せられて自分から唇を重ねた。

「ン…ぁン…」

 触れ合う事がこんなにも熱いとは知らなかった。 離れるのがこれ程まで寂しく、寒いものだとも知らなかった。 全部、彼が教えてくれた。 共に生きる喜びも大切な人を傷付けられる怒りも。

 人としての当たり前の感情が、夕麿に出会い惹かれ合うまで、自分の中では失われていた気がする。何も感じないようにしていた。 どんな事も自分から離して、別の世界のように観て生きていた。その方が楽であったし安全だったから。 世界がどんな色をしているのかなんて、知らなかった。 知ろうともしなかった。 世界が音と色彩に満ち溢れているのを夕麿が教えてくれた。感じるように生きる喜びを教えてくれた。

「武、今夜は私を抱いてください」

「え……うん、そうだね」

 武は苦笑した。 多分、今夜はまだ受け入れるのは無理だったから。

「……そういう意味で言ってません」

 夕麿が拗ねた。

「わかってるよ、そんな事」

 赤くなったのを隠すように夕麿の前に跪いて、彼のネクタイに手を伸ばした。

「スーツを脱がすって、結構、興奮するかも」

「それは、スーツが悦いのですか? それともスーツを着ている私を脱がすのが悦いのですか?」

 そう言った夕麿は耳まで真っ赤に染まっていた。

「夕麿が着てるからに決まってるだろ。他の誰のを脱がせるって言うんだよ」

 シャツのボタンを外して、以前よりも一層白くなった肌に触れる。

「ああ…武…」

 仰け反る喉に唇を寄せて、白い肌に征服の徴を刻む。 もう絶対自分以外の者にこの肌は触れさせない。 夕麿は自分だけのもの。愛情と所有欲が交した。

 
 朝、目が覚めると夕麿は、武の胸に顔をうずめるようにして眠っていた。憔悴した顔が少し穏やかになったように見える。そっと髪を撫でると珍しく目覚めないで、安心したような顔で抱き付いて来た。

 目覚めると傍らに夕麿がいる。それがこんなに満たされるものだと改めて噛み締める。そっと身体をずらして、夕麿の唇に口付ける。最初は鳥がついばむように軽く。それでは物足りなくてもう一度唇を重ねると、夕麿の手が武の首に伸びて舌先が唇を割って侵入して来た。

「ンン!?ン…ンフッ…」

 舌を絡められて強く吸われるとゾクゾクと全身が快楽に戦慄く。

「おはよう、武。朝から情熱的ですね?」

 柔らかな笑みに武は真っ赤になった。

「あなたの口付けで目覚めさせていただけるなんて…」

「……」

 恥ずかしくて俯くと夕麿は再び唇を重ねて来た。

「あ…ン…ぁン…」

 互いに舌を絡めて貪るのが心地良い。

「夕麿ァ…好き…」

「武、私の愛しい武…」

 離れているとこんなに互いを想い過ぎてすれ違って、思い込みにとらわれてしまうのだと武はしみじみと感じていた。 思えば好きになって本当に結ばれた日からずっと一緒だった。苦難を乗り越えたつもりで、本当はたくさんのものに守られていた。 たくさんの人の温かい眼差しがあった。泣いても苦しんでも、手を伸ばせばすぐそこに愛しい人がいた。 助けを求めれば、すぐに手を差し伸べてもらえた。 同時に夕麿が苦しんだり悲しんだら、すぐに駆け寄って抱き締められた。

 アメリカへ戻ってしまえば、抱き締める事も抱き締めてもらう事も出来なくなる。武は自分から国外に出て会いには行けない。 未だ複雑な立場にありパスポートが発行されない上に、移動範囲に制限まで設置されているからだ。だからこうして夕麿が帰って来てくれるのを、ただひたすらに待つ事しか出来ない。



「ねぇ、夕麿。 今日はちょっと、俺のやる事を手伝って欲しいんだけど…」

 朝食の後に武が楽しげに言った。

「予定もありませんし構いませんが、 何をするのですか?」

「内緒」

「私は手伝うのに内緒なのですか?」

「そ、内緒」

 武は笑いながら夕麿を奥庭へと連れて行く。 そこには小さな小屋があった。 小夜子の趣味である染色の為の小屋。 ここに夕麿を連れて来るのは初めてだった。

「来たの、武…あら、夕麿さんも一緒なの?」

「うん」

 何をするのかわからない夕麿にエプロンと手袋を渡し、武は先日購入した絹の生糸を取り出した。

「母さん、これ全部染めちゃうと余るんだけど、使う?」

「何色に染めるの?」

杜若かきつばた瑠璃るり

「じゃあ、残ったのはもらうわ」

「糸を染めるのですか?」

 二人の会話で今から何をするのかはわかったらしい。

「そ、まずは糸を染める」

「まず?」

「ほら、染色は時間がかかるから質問はなし。

 夕麿はこっちの束をお願い」

 武はバケツに染料を入れ、かまどでグツグツと沸騰している湯を注いだ。

「熱いから火傷しないでよ? 早く濃い色を出すには、熱い方が良いんだ」

 夕麿がバケツの中の染料の色を見て、首を傾げているのを見て武は笑いながら答えた。

「染料の時から染めたい色はしてないのが普通だよ?」

「そう…なのですか?」

「うん。 例えば藍染の藍は黄土色だし、紅染めの紅花はオレンジ色」

 天然の染料のほとんどは空気に触れて、酸化する事によって美しい色へ変化する。

 武は自分のバケツを用意して、まず糸の束の中央に棒を通して染料に浸す。 夕麿も同じように見よう見真似でやってみる。

 棒を中心に糸を回して染料に浸す。 ある程度時間を置いて持ち上げ、下にもう一本棒を入れて糸を冷ましながら捻り絞りする。

 真似をしようとする夕麿に声を掛けた。

「夕麿、気を付けて熱いから」

 夕麿は頷いて棒の端を持って、糸に差し込んで冷ましながら絞ってみた。 すると空気に触れて冷めた部分から糸が薄い青に変化していく。絹の光沢で輝く美しさに、夕麿が感嘆の声を上げた。

「夕麿、全体の色が変わったら同じ手順を繰り返すよ? そうやって、出したい色になるまでやるからね?」

「ああ、これが『青は之を藍より取りて、藍よりも青し』なのですね?」

「あらあ…さすがは夕麿さんね。 『青は藍より出て藍より青し』?」

「あのねぇ、手を動かしてくれないかなぁ…?」

「あ…」

「あら…」

 漢詩の話などしないで欲しい。 第一、どうして此処で出て来る。

「本当に義勝兄さんじゃないけど…夕麿って、時々天然だよなあ…」

 もちろん武だって『藍より青し』の言葉を知らないわけじゃない。 だが糸を染めていてそれを持ち出して感動されるとは思ってもいなかった。

 夕麿は再び染色に戻り、刻々と色が濃く深くなるのを楽しんでいた。

 どれくらい時間が過ぎただろう?

 武は自分の糸を見てちょうど良い色に、なったのを見て絞って糸を伸ばす。 夕麿が染めている瑠璃色の方が武の杜若よりも色が深い。 従って今少し時間が必要だった。

 武は自分の糸を干して夕麿の側へ行った。

「夕麿、大丈夫? 疲れてない?」

「武は終わったのですか?」

「杜若の方が浅いからね。」

 杜若は武の色。

 瑠璃は夕麿の色。

 だからそれぞれに、自分で染めなければ意味がない。

 武はしばらく夕麿の手元を見つめて、ちょうど良い色になったのを確認して止めさせた。

 それを干してから、母屋へ昼食に戻る。

「午後は何をするのです?」

「糸が乾いたら、色落ちしないように灰汁で炊いてまた乾かす。今日の作業はそれで終わり」

「今日の作業?」

「そ、明日はもっと大変だよ?」

「今のは大変だとは思わなかったのですが…」

 意外と楽しんだらしい。

「糸が乾くのにちょっとかかるから、散歩にでも行く?」

「私は構いませんが、武、外はまだ暑いですよ?まだ身体には良くないのではありませんか?午前中も暑い中にいましたし……」

「もう平気だけど……夕麿がそういうのならやめる。じゃあやりたい事はない?

 言っとくけど仕事以外でだよ?」

 念を押すと夕麿は苦笑した。

「今日はちゃんと休みます」

「本当かな…? 休めって言われたのに俺が眠った隙に、仕事してたのは誰だっけ…?」

「それは…」

「俺の目の届く所でする事限定な?」

 武がそういうと夕麿は鮮やかな笑みを浮かべた。

「ではピアノを弾いても良いですか、武? ここの所忙しくて、ちゃんと弾けていないんです。 指はちゃんと動かしているので、支障はないはずなのですが」

 そういえば帰って来てから夕麿がピアノの前に座っているのを見ていない。

「良いよ? 俺、夕麿のピアノを久しぶりに生で聞きたい」

 残してくれて行ったCDは、ほとんど一日中聴いている。

「嬉しい言葉ですね。 あれを…聴いてくださってるんですね?」

「一日中聴いてるから、下河辺たちに呆れられてる」

 原盤は大事に保管してある。 コピーを作ってオーディオで使用し、PC用に別にデータ化してフラッシュメモリーに入れて持ち歩いている。 携帯のSDカードにも入れて何処ででも聴けるようにもしてある。

 夕麿の奏でる音と一緒に行動していると、僅かながらも側に感じられるから。 さすがに恥ずかしくて、そこまでは口に出来ないけれども。

 それでも夕麿が目の前で奏でる音が聴きたい。 ピアノを本当に楽しげに演奏する夕麿の姿が見たい。

「俺、夕麿がピアノを弾いてるの好きだもの」

「ありがとうございます、武」

「何、急に改まったみたいに」

 夕麿に真摯な眼差しで見つめられて武も座り直した。

「春の花宴で互いに詠んだ歌を覚えていますか」

「もちろん、覚えてるよ?」

「あなたは私に、来世も共にと仰ってくださいました。それに答えて私はこの魂の尽きるまで共にと願いました」

「うん、あれ…とっても嬉しかった」

「私があなたのお傍に生まれ変わってもずっと、今のようにいるのを本当にお許しくださいますか、わが君」

「当たり前だろう。夕麿が嫌だって言っても俺はいて欲しい。

 いや…こう言った方が良いのかな、夕麿は…?ずっと傍にいて、我と共に生きよ、夕麿」

「御意…有り難き幸せにごさりまする」

 芝居がかった…と言う者もいるだろう。だがこんな命令なら幾らでもする。幾千年先の未来であっても、夕麿とまた巡り会いたい。

「ね、夕麿。俺さ、こんな言葉を聞いた事がある」

「どのような言葉でしょう、わが君」

「あのね、『一目惚れとは宿命である。そしてその相手とは運命である』って。俺は一目惚れしたと思ってる、去年の4月に学院のゲートで。夕麿が俺の目の前に現れたあの時に」

「私も同じです。出会いは運命で…想いは宿命…」

「うん、幾久しくね」

「わが君は『澪標みおつくし』という言葉をご存知であらせられますか」

「澪標…?百人一首の20番目、元良親王の歌に出て来る言葉だよね?」

 百人一首20番目の元良親王の歌とは……『わびぬれば 今はた同じ難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ』(つらい思いに嘆き苦しんでいる今は、難波にある、舟の水路を示す『澪標』ということばのように、この身を尽くしてもあなたにお逢いしようと思う)という歌である。

 『澪標』を『身を尽くす』にかけた有名な歌だが、ここから『澪標』とは愛する人に誠心誠意尽くす事を言うようになった。

「わが君がいつも私を想ってくださり、私の為にいたしてくださります事…有り難き『澪標』と、身に沁みて感謝いたしております」

「夕麿だっていつもそうじゃないか…そんなのお互い様だよ、夫婦なんだからさ」

「はい」

「きっと…俺たち、ずっと昔も一緒にいたんじゃないかな?だから宿命で運命なんだよ?」

「そうかもしれません…わが君、私はあなたに逢う為に生まれて来たのだと信じたい…」

「俺も…夕麿に逢う為に生まれて来たんだと思ってる」

 自分の複雑な立場を武は、夕麿に逢う為の条件だったと思う。 それがなければ紫霄へ編入する事は絶対になかった。 不自由さも堅苦しさも全ては、愛しい人と巡り逢って共に生きる為。夕麿と一緒にいる為には、愛し合う為には、今の自分の立場が必要だったのだ。

 ならば…全てを受け入れよう。 抗って拒絶していた自分が置かれている立場を、愛し合う為の大切な条件として。 夕麿の傍にいる為に、天が与えた贈り物だと思おう。 ひとりならば耐えられない複雑で不安定な立場も、傍らで支えて守ってくれる愛しい人がいる。 条件であるならばマイナスにばかり考えないで、プラスに使う事も出来る筈だ。 夕麿の為に両親の為に義勝たちの為に…そして母の胎内で育ちつつある、新しい生命の為に。 何か出来る筈だ。

 必ず出来ると信じていよう。信じれば何か道が示される筈だ。

「夕麿、俺…もう、自分が置かれている状況を嫌だって言わない」

「わが君?」

「愛してるよ、夕麿」

 不思議そうな顔をする夕麿にそっと抱き付いた。

「愛しています、あなただけを」

 何万回繰り返しても何万繰り返されて、愛の言葉を紡ぐのは嬉しい。 これからも悲しい事も辛い事も、手を取り合って共に歩くならばきっと乗り越えて行ける。 全てを思い出という喜びに変えていける筈。たとえ幾度も悩み苦しんでくじけそうになったとしても、自分たちならば必ず苦難の向こうへと進んで行けると信じよう。


 夕麿の指が軽やかに、ピアノの鍵盤を叩く。武はそれを楽しげに眺めていた。指を温める為の音さえ今の武には嬉しい。夕麿の横には楽譜が幾つか置かれている。

 武は敢えて彼がどんな曲を弾くのかを聞かないでいる。夕麿の選曲自体が楽しみなのだ。自然に零れる笑みを抑えられない。

 気が付くとリビングには、小夜子や文月、手の空いている使用人たちがいつの間にか集まって来ていた。夕麿の奏でるピアノを、聴きたいと皆が望んでいる。

 武は邪魔にならない程度の近くに椅子を置いて、夕麿の指が鍵盤の上を軽やかに舞うように動くのを見つめていた。

 やがて指が温まり切ったのか、夕麿が傍らの楽譜を手にした。それは聴いた事のない曲だった。不思議な旋律が空間に広がって行く。 そっと覗いてみると、楽譜にはこう書かれてあった。『月光のふりそそぐテラス』 と。

 夕麿が武を見て言った。

「ドビュッシーの曲です」

「へぇ…何か面白い感じ」

「面白い…? 武はそう感じるのですね」

「変…かな?」

「いいえ、感じるままが一番正しいと思いますよ?」

 会話している間に曲が終わり、次の曲が奏でられる。 楽譜を覗くと『雨の庭』と書いてある。 ショパンの『雨だれ』とは違ってこっちは仕切りに雨が、地面や建物を叩く感じの音が速く軽やかに続く。

「雨、嫌いなクセに、どうしていつも雨の曲を弾くんだよ」

「…曲としては美しくて好きなのです」

 それは夕麿の自分自身の心への小さな抵抗なのかもしれなかった。

「で、誰の曲?」

「これもドビュッシーです」

「へぇ…俺、『月の光』しか聴いた事なかった」

「普通はそんなものじゃないでしょうか」

 笑顔で答えながら夕麿は曲を終えて、今度はかなり分厚い楽譜を取り出した。

 それを出来るだけ並べる。 勝手を知る義勝がいないので楽譜を捲る者がいない。

 武には楽譜は読めない。

 楽譜を並べ終えて、座り直した夕麿は鍵盤に指を置いて大きく深呼吸した……と、響いて来た旋律に目を丸くした。

「え~何で? これ『運命』だよね? オーケストラの曲じゃなかったっけ?」

 武の上げた声にしてやったりとばかりに夕麿は、手を止めて声を立てて笑った。

「ふふふ。 驚いてくれて嬉しいです」

 夕麿の楽しそうな顔に武は微笑み返した。夕麿の笑顔を見ると幸せな気持ちになる。いつまでもこの笑顔が消えないようにと願ってしまう。

「リストがいろんな曲をピアノ用に編曲しているのです。私は第四と第五しか楽譜を持ってはいませんが、第九の楽譜も見た覚えがあります」

「えっと、第四は『田園』だよね、確か?第九は…年末にやってるやつだ?」

「そう、『田園』と『合唱』という名があります」

「ああ、『合唱』って言うんだ。で何で今日は『運命』な訳?」

「一つはあなたが驚く顔を見たかったから」

「あのね…」

「今一つは…想う存分弾きたいので、長い曲を選んだのです」

 仕事とストレスに振り回されて、夕麿がピアノを欲していたのだと感じる。好きなだけ気が済むまで弾いて欲しい。

「ふうん…じゃあ、早く弾いて。聴きたいよ、それ」

「わかりました」

 催促すると夕麿は嬉しそうに、笑みを浮かべてピアノに向き直った。鍵盤に指を乗せ大きく息を吸ってから鍵盤を力強く叩いた。よく知る旋律がピアノの音色で奏でられて行く。オーケストラとは違って、また、不思議な感覚がする。 確かに間違いなく『運命』なのだが… …ピアノの端から端まで使って旋律は奏でられる。

 屋敷の中に夕麿の奏でる、ピアノの音色だけが響いて行く。 ただその音に耳を傾け、力強く鍵盤を叩く指と背中を見つめているだけで、武は幸せでいっぱいだった。



 夕方、色を定着させる処置をしてから再び糸を干す。 夕食後、リビングで有人は武にこう問い掛けた。

「君が病気の時にお願いした事を、覚えていてくれているかな?」

 そう生死の境をさまよっていたあの時、有人は小夜子の胎内にいる子の名前を、武に付けて欲しいと言ったのだ。

「覚えています」

「考えてもらえたかな?」

「はい。 どうしてもひとつしか思い浮かばなくて…」

「お義母さん、申し訳ありません。 墨と筆と紙をお願いします」

 夕麿が武の言葉を受けて、その名前をしたためた。

 『のぞむ』 と。

「まあ…『望』ではなくて『希』の字なのね」

「うん、大切なたったひとりの弟だから」

 そして同性同士の結び付き故に、母に孫を抱かせてあげれない武にとって、その子は御園生の血を受け継ぐ大切な生命。 武と夕麿が御園生を受け継いで、その先にバトンタッチする大切な大切な希望。

 夕麿の手で美しく『希』と書かれた紙を、有人は大切そうに受け取って喜んだ。 生まれてくる生命は、家族が皆が望む大切な生命だった。

「次に家に帰って来る時には俺たち、お兄ちゃんになってるんだね」

 夕麿にそっと身を預けて、武がつぶやいた。

「そうですね。武、お兄さんになる感想は?」

「まだ実感がわかない…」

「目の前にいないと実感がわかないのは…確かです…」

 遠い目をして呟いた夕麿の姿を見て、武は紡ぐ言葉を見付けられなくなった。そう…夕麿には弟がいるのだ。あの詠美が産んだ異母弟が…彼はどんな想いで、その弟を見ていたのだろう。その子が余り大きくならない内に、夕麿は学院小等部の寄宿舎に入れられた。

 詠美はもう六条家にはいない。

 武が知っている六条家の実情は、陽麿がひとりでいる事だけだ。夕麿の異母弟は、どこへ行ったのだろうか?行方を調べてみる必要があるのかもしれない。夕麿より5歳下の異母弟。確か…名前は、透麿とうまと言った筈だ。

 六条 透麿……彼は自分の兄を覚えているのだろうか。覚えているとして、兄をどう思っているのだろうか。佐田川 和喜のように佐田川一族と詠美を破滅させ、六条家を破産させたのは夕麿だと勘違いしているのではないだろうか?だとしたら誤解は解かなくてはならない。夕麿には何の罪もない。 夕麿は佐田川一族の犯罪の被害者ではあっても、彼らの破滅には何の関与もしていない。 罪があるとしたら…それは自分だ。

「あ、もうこんな時間だ。 夕麿、そろそろ部屋へ行こう?」

「ええ」

「お義父さん、母さん、おやすみなさい」

「お義父さん、お義母さん、お先に失礼いたします」

「おやすみ、武君、夕麿君」

「おやすみなさい、夕麿さん、武」

 有人と小夜子におやすみを言ってリビングを出ると、武はそっと夕麿と手を繋いだ。 物凄く触れたい気持ちだった。 彼の温もりを感じたかった。 互いの視線が絡み合ったら、もう止められなかった。 部屋までの距離がもどかしく感じられた。 中へ入ってドアを閉めると、互いに手を差し出して抱き締め合って唇を重ねた。 ベッドまでもつれ込んで、互いに脱がし合う。

 どちらの吐息も熱かった。

「夕麿…あ…ぁン…」

 顔中に口付けられ、耳朶を甘噛みされて全身を快感が駆け抜ける。

「武…武…」

 繰り返して名前を呼ばれ、全身に口付けられて行く。 時折、強く吸われて感じる痛みすら、悦びが快感へと変えてしまう。

「ヤぁン…焦らすな…夕麿…」

 肝心な所を避けて唇が啄んで行く。 紅くぷっくりと膨れて誘う乳首も、既に欲望のカタチを示して、蜜液を熱く溢れさせているモノにも、触れてもらえなくて身悶えして懇願する。

「お願い…」

「どこに触って欲しいのですか、武?」

「…意地悪…」

 潤んだ瞳で見上げた顔は、いつになく欲情の炎を揺らめかせていた。

「…わかった…意地悪出来ないようにしてやる」

 武は身を起こすと戸惑う夕麿を、ベッドに組み敷い、形勢を逆転させた。

「武!?」

 驚愕する夕麿にニッコリと笑いかけて、武はその頬に軽く唇を付けた。困っている夕麿の耳に笑いながら囁いた。

「仕返し…」

 その言葉に夕麿が飛び起きて、再び武を押し倒した。

「可愛くないですね、武…いつからこんな事をするようになったのです?」

「…意地悪するからだろ…」

「フ…余裕ですね?手加減したのが行けなかったのでしょうか?」

「何だよ、それ?」

「あなたの傷を気にしてたのです」

「平気…だと思うけど?」

 焦らしていたのではなく、躊躇ってたのを誤魔化したのか…武の身体を傷付けてしまった事を、まだ気にしているらしい。けれど先程から太腿に触れる夕麿のモノはもう限界が近い筈。それを抑え込む程、迷っていたと。

 変な所で往生際が悪い。武は再び笑顔を向けると、太腿をそれに擦り付けて刺激してみる。

「くッ…やってくれますね…」

「早く欲しいよ、夕麿…」

 甘えた声を上げて唇を舐めて誘いかける。夕麿が息を呑む。

「早く…シて…」

 両手を夕麿の首に絡ませて、顔を寄せて唇を重ねた。

「あなたという方は…煽ってくださった責任は、とっていただきます」

 夕麿の表情がはっきりと変わった。その顔から躊躇いの色が消えたのだ。

「あゥッ…ヤぁン…」

 指先が乳首を摘んで引っ張られて、強い刺激に一気に全身から力が抜けてしまう。狙いすましたように口に含まれ、歯を立てられ、強く吸われて頭が真っ白になった。

「あッ…ぁあああ…!」

 一度も触れられないまま、武のモノはイってしまった。

「ヤぁ…うそ…」

 驚きと余韻に言葉が上手く出て来ない。

「…まだ、一度も触れていませんよ、武?」

 夕麿の声は楽しそうだ。

「やっぱり…今日の夕麿は…意地悪だ…」

 涙目で睨むと、余裕綽々の笑みが返って来る。

 悔しい… けれど絶頂で痺れたようになっている身体は上手く力が入らない。

「…意地悪な夕麿なんか…嫌いだ…」

 言葉にすると悔しさに涙が溢れて来た。

「武…泣かないで…許してください。昼間のあなたの言葉が嬉し過ぎて、我を忘れてしまいました」

「嬉しいから…?」

「嬉し過ぎて…怖かったのかもしれません」

 幸せに不慣れな夕麿。自分の喜びをどう表現すれば良いのか…わからないのだろう。

「夕麿…キスして…」

「はい」

 重ねられた唇に、武から舌先を差し込む。夕麿の背に腕をまわして、滑らかな肌に指を這わせた。

「ごめんね、嫌い…なんて言って…嘘だからな…夕麿、不安なら不安だって言って…」

「…自覚がないのです…もやもやした感覚があるだけで」

「わかった。だったら俺が見付ける」

 いろんな事が出来て、いろんな事を知っていて…学院ではみんなの憧れだった、夕麿。 でも自分の事になると、不器用で不安定で…可愛い。

「大好きだよ、夕麿。 ね、続きシて。 欲しい…」

 抱き寄せた夕麿の腰に両脚を絡めて、自分のモノを擦り付けて煽る。 不安に翳っていた目が、再び欲望に揺らめく。 下肢を開かれ、潤滑用のジェルを塗り付けられ、指が中を掻き回す。

「あン…ンン…ああッ…そこッ…ヤ…ダメ…あッああ…」

 敏感な場所を執拗に責められて腰が痙攣する。

「…も…挿れ…て…」

「痛みを感じたら、言ってください」

夕麿はそう囁いて、ゆっくりと挿入する。

それがもどかしい。

「…ぁああ…あン…熱い…ヤ…」

 中をいっぱいに満たしたモノも、受け入れた自分も、灼け付くように熱い…

「武…大丈夫ですか?」

「大丈夫…痛くない…から…動いて…」

 息を乱して辛そうな顔で尋ねる夕麿に笑顔で強請る。 本当はいっぱい一杯で、それでも武の身体を気遣っている夕麿に、深い愛情を感じる。

「ああッ…夕麿ッ…激し…ひぁ…イイ…あッああッあン…」

 待ちかねたように激しく抽挿されて、武は悲鳴を上げて快感に身悶える。

「そこ…あン…もっと…」

「ここが…イイのですか…?」

「あン…イイ…夕麿…ヤあン…そこばっかり…ダメ…あッあッあン…」

「武…武…もっと感じて…」

「ああッ…ダメ…も…イく…夕麿ァ…お願い…一緒…」

「イってください、武…私も…もう…」

 ほぼ同時に絶頂を迎えて乱れた息に、胸を激しく上下させながら互いに唇を貪り合う。 たった今、昇りつめたばかりなのにまだ身体が熱くて、覆い被さる夕麿を放したくない。

「夕麿…もっと欲しい…足らない…」

 彼のモノを受け入れたままの中は、その言葉を証明するかのように、貪欲に収縮を繰り返していた。

「痛みはないようですね…」

「早く…」

 欲しくて欲しくて、自ら腰を揺らして請う。

「今夜は…淫らで可愛いですね…武」

「だって…だって…」

 夏休みは既に半分以上が終わっていた。 紫霄学院の夏休みは20日間しかない。 夕麿の仕事やすれ違いで、あっという間に時間が過ぎ去った。

 また別れ別れの時が来る。 如何に心を通わせようと、熱い肌を重ねようと、離れ離れは辛く寂しい。 愛する人の温もり、匂い、身体を貫く熱…吐息、細く長い指、耳に心地良く響く声。 愛しい…愛しい…夕麿の全てが。 次に逢える日まで、想い出を抱き締めて過ごす。

 だから欲しい……心にも身体にも刻み付けて欲しい。

「夕麿ァ…あッあン…もっと…もっと…」

 武は意識を失うまで夕麿を求め続けた。

 
 次の日、今度は武が夕麿に起こされた。

「ン…ぁあン…」

 まだ頭がはっきりしない中、快楽だけが背中を駆け上り身体を熱くする。

「や…あッ…!」

 強く乳首を捻られて、甘い痛みにようやく意識がはっきりした。

「ちょ…夕麿! 朝から何してんだよ!」

「あ…残念…起きてしまったのですね…寝ぼけて感じているあなたは、可愛かったのに…」

 寮で一緒に暮らしていた時も日曜日の朝などに、よくこうして起こされたのを記憶している。 夕麿は触れるとすぐに目を覚まし、寝起きが良いので同じようには出来ない。 お蔭でいつも武は良いようにされて、自らの身体の変化と熱で目が覚める。

 まだ寝ぼけて朦朧としている時の反応が、どうやら夕麿には面白いらしい。

「もう少しそのまま眠っていてくだされば良いのに…」

 そう呟く顔は本当に残念そうだ。 一度、朦朧もうろうとした状態で口淫をされて、イく瞬間に目を覚ました事がある。 無防備な状態で追い詰められた吐精は、それだけで意識が飛びそうになる程強いものだった。

「もう…また、人の寝込みを…」

 睨み付けると愉しげな笑い声が返って来る。

「ちゃんと許可は得ていますよ、あなたに?」

「そんなもの出した記憶はない」

 寝ぼけて言った事を逆手に、悪戯をするのは勘弁して欲しい。途中で放置状態になってるモノが辛い。

「武、続きをシても良いですか?」

「………ッ…」

「何です?聞こえません」

「…バカ…」

「ん?」

「もう…ッ…早く!」

「良くできました」

「何だよ、それ。オヤジくさい」

「そんな不愉快な事を言う口は、塞いでしまいましょう」

 喰い付くように唇を重ねられ、絡めとられた舌を強く吸われて、既に十分に熱を持った身体が、快感に痙攣する。

「あぅン…ヤぁ…」

 紅潮した頬で睨み返すと、笑顔で頬に口付けられる。

「もう、欲しい?」

「…欲しい…」

 昨夜あんなに求めて、気を失うまで抱かれたのに、まだ身体は熱くなって求めていた。

「ひァ…ヤ…」

 昨夜の余韻でまだ柔らかい蕾に、ジェルを塗られて一気に突き挿れられた。それだけで達してしまい、快感に全身が戦慄く。

「武、何度でもイってください。欲しいだけシてあげます」

 耳許で囁く声が既に刺激になる。肉壁が収縮して中のモノを締め付ける。

「ヤ…止めちゃ…ヤダ…動い…て…」

 切なくて腰を揺らして強請ると抱き起こされ、今度は武が上にならされた。

「自分で動いて、武。 あなたの好きなように」

「あ…あ…」

 自らの体重で常よりも深く、愛する人のモノを受け入れて、快感を伴った圧迫感に頭がクラクラする。

「さあ、動いて、武」

 言葉と一緒に軽く突き上げられる。

「ンあ…!」

 ゾクゾクと快感が背中を駆け上って来る。

 欲しい…… もっと欲しい…… もっともっと欲しい……

 身の中の欲望に突き動かされるようにして、気が付けば激しく腰を動かしていた。

「あぅン…ヤ…夕麿ァ…夕麿ァ…イイ…イイ…あン…あッ…あッ…」

 腰を落とすのに合わせて突き上げられると、より深い部分が抉られてたまらない 髪を振り乱すように快感に溺れていると、今度は耐え切れなったのか、腰を掴まれて更に突き上げられる。

「ああッ…あッ…イイ…ヤ…夕麿ァ…も…イく…イくゥ…ああッ…!!」

 激し過ぎる絶頂に半ば悲鳴を上げて、中を締め付けながら吐精すると、夕麿も突き上げるようにして達した。

 武は夕麿の胸に突っ伏して、同じように息を乱す彼の速い心臓の鼓動を聴いていた…


 コトン……カツン……

 糸巻きが木枠に当たる音が室内に響く。 絹糸を組んで細紐を創る。

 武はやや淡い紫である杜若。 夕麿は深い青の瑠璃。 もちろん紐を組み上げていくのは根気のいる作業だ。

「夕麿、強く引っ張らないようにね? 絹糸は指を切りやすいから」

「大丈夫です」

 教えてみるとやはり夕麿は器用で、初めてとは思えないほど手際良く、瑠璃色の紐を組み上げていく。 武は出来上がった細紐の数を数えて笑顔で言った。

「お互い、今やってるので終わりにしよう。 必要な数は揃ったし…もうお昼、過ぎてる」

「ああ、本当ですね…」

「疲れてない?」

「少し肩と首が辛いですね。 武は大丈夫なのですか?」

「俺? 背中が痛い」

「大丈夫ですか?」

「まあ、いつもの事だから…夕麿、後でマッサージしてやるよ。 ここのところ、PCばかり使ってたみたいだから、首と肩、余計に辛いんだろ?」

「ええ…」

「言えば良いのに…… 学院にいた時みたいにしてやれないんだから、一緒にいる時には言えよ。

 遠慮すんな、夫婦…だろ」

 夫婦…自分で口にして、照れて頬が熱くなる。

「では…わがままを聞いていただけますか?」

「わがまま? 言え…嬉しいから…」

 顔が熱い。

「同じマッサージをしてくださるなら、以前のように湯に入ってが良いのですが…ダメでしょうか?」

 夕麿の言葉に武は、茹で蛸のように真っ赤になった。 湯に入って…という事は、一緒に入浴するという事である。 学院の寮では生徒会で遅くなった時に、睡眠時間や勉強時間などの為に、二人で入る事は度々あったのだが… 久しぶりな上に改めて言われると妙に意識をしてしまう。

「武?」

 返事が出来ないくらいに赤くなっていると、夕麿が不思議そうに見つめて来た。 しばらく武の様子を眺めて、満面の笑みで言った。

「随分、初々しい反応ですね…今更だと思うのですが…」

「う…煩いな! 仕方ないだろ! 勝手に…熱いんだから…」

 照れ隠しに組み上がった紐をまとめ、残った糸を片付ける。

「昼からが…仕上げなんだからな…風呂はその後!」

「ふふ…可愛い、武」

 気が付くと夕麿はすぐ後ろにいて、笑いの含んだ声で耳許に囁かれた。 昨夜と今朝、過激な程に抱かれた身体が、それだけで熱を帯びる。

「ヤ…」

 紐の入った箱を落としてしまいそうになった。

「あれだけイかせてあげたのに…また欲しいのですか?本当に淫らで可愛いですね、あなたは」

「お前が…俺をこんなに…したんだ…」

 羞恥で身の置き所がなくて、責任を夕麿に押し付ける。

「もちろん、責任はいくらでもとってあげますよ…」

 手から箱を奪われて、ソファに押し倒された。自分たちの部屋とはいえ、テラスに通じる窓のカーテンは開け放たれている。

「ヤ…夕麿…」

 下着の中で既に欲情しているモノを撫でられて熱い吐息が漏れる。

「大丈夫、イかせてあげるだけですから…もうこんなにして…」

 下着とカーゴパンツを一緒に引き下ろされて、剥き出しになったものがいきなり口に含まれた。

「あッ…ダ、ダメ…ンあ…夕…麿…やめ…ああッ…」

 昨夜からずっと感じさせられて、僅かな刺激ですぐにグズグズに溶けてしまいそうだ。

「ヤ…も…イく…ン…ああ…イくゥ…夕麿ッ…」

 呆気なく夕麿の口の中へ吐精してしまった。快感に頭が痺れている。

「ああン…」

 まだ体内に残ったものを吸われて、甘い声を上げて仰け反った。 未だ余韻に戦慄く身体の身支度を直されて、抱き起こされ抱き締められる。

「もっともっと淫らになって、私を求めてください、武。 夏休みが終わったら…次は冬休みまで逢えないのですから…」

「夕麿…うん…」

 肩に顔を寄せて頷く。

「食事は運んでもらいましょう」

 その言葉にまた頷いた。


 昼食後、武はここまでの作業の目的をやっと夕麿に明かした。

「ミサンガ…?」

「うん。 願い事に使うけど、俺は違う意味で創ろうって思ったんだ」

「違う意味…で?」

「ほら『万葉集』でさ、離れ離れになる二人が着物の紐を互いに結んで、再会するまで解かないのあるだろう?」

「ええ…無事に再会出来るようにする『しゅ(おまじない)』ですね。 結ぶは『むすひ』、魂や霊を産み出す事。 そして…互いの衣服の紐を結ぶのは、誓いのしるし…ああ、そういう事ですか」

「そ、服に紐は必要ないし…解かないで置くのは無理だろう、現代では。 でもミサンガなら、結んだままでいられるから…」

 夕麿が信じるもの。 それを形にしたかった。 形にして交わせば、逢えない不安や寂しさを少しは支えてくれるのではないか。 武にとってもそれは、願いであり絆のあかしであった。



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