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願いと祈り
しおりを挟む「何故こんな物を投薬した!? 清方さんから回ったカルテを見れば、武さまがお身体が余り丈夫でいらっしゃらないのはわかった筈だ!?」
周の怒声が響いた。 武は集中治療室の硝子の向こうで、鼻から酸素吸入を受けながら、酸素テントの中に横たわっていた。病名は急性細菌性肺炎。 投与されていた薬の副作用である免疫力低下が、招いたとも言える病気であった。 投薬されていたのはストレスによる食欲減退や嘔吐を抑えるもの。
周がカルテを見た限り幾つかの薬が、試用されたがどれも効果が見られなかったらしい。短期間の効果を武が求めた…というのが一因でもあった。 もっと強い薬はないのかと詰め寄られて、最初ははぐらかしていた医師も抗え切れなかったらしい。 それでも免疫力低下という副作用を告げて断念させようとした。だが武はここで奥の手を出した。 皇家の直筆には特別な力がある。 そこに書かれた内容は、絶対的な権限を持つのだ。 カルテにはメモに書かれた武の文字が綴られていた。
『投薬は自分の意志であり、たとえ如何なる副作用が起こっても、担当医の責任を問わない 』そうしたためられていた。
周は歯軋りした。 夕麿の不安定さは雨の時の症状を実際に目撃してわかってはいる。 だが武がここまでする意味がどこにあるのか? こんな無茶をして生命を脅かせば逆にしかならない。
『夕麿には知らせるな』
意識を失う前に武が敦紀に言った言葉の意味がわかる。 全てを夕麿に秘して欲しい。 ここで知らせては無駄になる。
「武さま…あなたという方は…」
最初は夕麿が連れているというので興味を持った。 しかも夕麿が婿入りの形で、結婚したのだと聞かされてなお興味を持った。 揶揄すると珍しく激興した夕麿にいきなり殴られた。 武の身分を知りその性格を知るにつれて、夕麿やその周囲の彼に対する想いを理解した。気が付けば周自身が気付かぬうちに、彼らの中に引き込まれていた。
夕麿たちが卒業した今、周は夕麿の代わりに侍従や教育係の部分を、可能な限り引き受けるつもりでいた。 二心なきと夕麿に誓って乗馬や琵琶の指南と共に許可をもらっていた。
それなのに… …
周はやり場のない怒りを、担当医にぶつけただけだった。
だが…それも虚しい。
全ては武の選択なのだ。
武の部屋へ着替えや身の回りの物を取りに行っていた行長と、ゲートに有人を迎えに行っていた敦紀が戻って来た。 周は挨拶も早々に、武の容態とその原因を説明する。 一方、行長は病院側に、武に夕麿のピアノを聴かせる事を交渉していた。会長執務室でも部屋でもずっと、夕麿が残して行ったピアノの音色に包まれて生活をしていたのだ。 武の想いを無視して連絡したくても彼は未だ空の上だ。 容態が重篤であるからこそ力になる物を与えたい。
病院側は幾ら武の直筆があっても後々重大な害を与える、投薬があった事を出来れば責められたくなかった。 そんな思惑の病院長の視線を受けて、有人は武の意志の結果として不問にすると告げた。
集中治療室に夕麿のピアノの音が抑え気味の音量で響く。 酸素テントの中で朦朧とした意識の武の唇が微かに動いた。
…………夕麿…… と。
彼を求めるように伸ばされる手を有人が握り締めた。 本当は小夜子を連れて来たかった。 だが如何なる理由があろうとも、女性が紫霄学院に踏み入れる事は許されてはいない。 しかも彼女は安定期に入ったとはいえ身重なのだ。
細菌性肺炎は現代では発症しても武くらいの年齢ならば、抗生物質の投与を受けて自宅療養で済む。 昨夜の咳から数時間で急激に症状が進んだのは、やはり免疫力低下と新型の細菌が原因の感染だと考えられた。
熱は40℃を越え抗生物質と同時に解熱剤が、点滴で投与されているが下がる様子を見せない。 40℃を越える高熱は脳に影響を及ぼす。 越えた段階で視界に存在しない光や色を感じたり、横たわっていても眩暈がする。 42℃を越えてしまうと、脳細胞が耐えられなくなり、障害を起こしたり最悪の場合は死亡する。乳幼児や高齢者や病気で体力の低下している罹患者に、肺炎が非常に恐ろしいのはそういう理由があるからである。
武の現在の熱は40℃をやや上回る状態。 呼吸困難、意識の混濁、激しい咳、胸部の痛み。 朦朧とする意識が時折、はっきりとして苦しむ様子を見せる。中へ入る許可がおりたのは、保護者である有人と医学生である周の二人だけ。 行長と敦紀は硝子越しに、祈るような気持ちで見守るしかなかった。昨夜に食堂で一緒だった時に武が咳き込んでいたのを、もっと気にすべきだったと悔やみながら。
何も出来ないもどかしさに時間だけが流れた。熱は上がりはしないが一向に下がる気配もない。元々丈夫ではない武の身体から、体力を削ぎ落とし気力を奪って行く。夕麿を求めて伸ばされた手も今は、シーツの上に力なく置かれていた。
周は行長が持って来たCDを確かめた。もっと武の心を揺さぶる曲はないのかと。
そして気付いた、最後の一枚が他と曲の種類が違う事に。それ以外はショパンを中心とした、クラシックのピアノ曲ばかりで構成されている。ところが最後の一枚だけは、古い映画音楽とオリジナル曲の『紫雲英』なのだ。周はそれを今、演奏しているのと取り替えた。
流れ出したのは『Love Story』。日本語歌詞を夕麿が歌っていた。彼が昨年度の学祭のイベントで、歌声を披露したのは聞いていた。これはある意味夕麿から武への恋文であると周は思った。奇しくも既に録音が終了していたGWに、武が夕麿の声を好きだと言ったのが、こんな形で叶えられていたのである録音されたものではなく夕麿の声を聞かせてやりたい。
周は夕麿の携帯にメールを打った。 『到着次第、至急電話をくれ』と。 武に叱られるのは覚悟の上だった。
帝都空港を発ったのが6時過ぎ。 ロサンゼルスまでの飛行時間は10時間前後。 蓬莱皇国の皇家として夕麿だけは外交特権があって税関を通らなくても良いが、他の者はそういう訳にはいかないのが現実である。全員の入国手続きが終了するまで当然ながら、夕麿も外には出られないだろう。そう考えると11時間~12時間はまだ時間が必要に思われる。 苛立ちを漢字ながら腕時計を見ると、半分くらいの時間しか経過していない。 周は携帯を強く握り締めた。
この大学附属病院は最新式の器具を最近、導入した為に携帯の使用がある程度可能になっている。 無論乱用を防ぐ為、表向きは禁止されている。だが今は緊急事態なのだ。 祈るような気持ちで待つ時間は、まるで蝸牛の歩みのように鈍い。
激しい咳が時折、武の意識を浮上させる。
「夕麿……助けて……」
耐え切れぬ苦痛にここにいない夕麿に救いを求める。 余りの痛ましさに有人が涙を拭った。それでも 声をかけて励ますと弱々しく頷いて応える。
時折、看護師が氷枕と氷嚢を取り替えに来る。 点滴も途切れる事なく続けられ、汗に濡れた武の衣類を着替えさせるのを周は自ら行う。 大量の汗をかいて熱が40℃を下回ったの頃には、空が白々と色を変えて朝を迎えていた。
突然、周の携帯が鳴り響いた。 待ちわびた夕麿からの着信だった。
「夕麿か?」
〔周さん、武に何かあったのですか?〕
「落ち着いて聞け? お前からの電話に出られたすぐ後に倒れられた。肺炎で先程まで熱が下がられなかった」
〔……肺炎…!?〕
「取り乱すな。 危機は一応脱した。 ただ…お前を呼んでいらっしゃる。 声を聞かせて上げて欲しい」
〔わかりました〕
当然ながら周は夕麿が幼少時に肺炎になり、生死の境を何日か彷徨った事実を記憶していた。
その周の耳に電話の向こうでする声が響いて来た。 恐らく誰かが携帯に耳を当てて聞いていたのだろう。 叱咤する言葉が聞こえて夕麿が震える声で返事をした。
周は酸素テントの中に携帯を差し入れて武の耳に当てて言った。
「武さま、夕麿からです」
武は薄っすらと瞼を開いて掠れた声で呟いた。
「夕麿…?」
周も会話を聞くためにスピーカーに切り替えた。
「武さまのスピーカーに切り替えた」
すると息を呑むような気配がして、夕麿の絞り出すような声がした。
〔武…武…私の声が聞こえますか…!?〕
「夕麿…苦しい…助けて…」
朦朧とした意識は、夕麿がどこにいるのかを判断出来ずにいる。
〔武……〕
夕麿が電話の向こうで絶句する。 肺炎がどれほど苦しく辛いものであるのかは、幼い頃に経験して知っている。
〔あなたの側にいられないのが辛い…今すぐ飛んで帰ってあなたを抱き締めたい…武…武…〕
遠く太平洋を隔てた場所にいる事が辛いと啜り泣く声が響いて来る。
「夕麿…泣くなよ…俺…生きてる…から」
〔話さないで…下さい…苦しいでしょう…〕
夕麿の声を聞いているうちに意識が明確になって来たらしく、開かれた瞳ははっきりと光を宿していた。
「帰って…来る…なよ…?」
〔武!?〕
「帰って…来たら…別れる…からッ…」
激しく咳き込んだのを見て、周が携帯を引き上げてテントを出た。
「夕麿、誰かに代われ」
〔義勝!〕
夕麿の悲鳴混じりの声がした。
〔代わりました〕
「葦名 義勝…だったな? 良いか、夕麿を帰国させるな。 それでなくても僕は知らせるなという御意思を破って、お叱りを覚悟で独断でメールした。これ以上武さまのお気持ちを無碍にしないように、彼を止めて欲しい」
〔それは構いませんが、容態はどうなのです?〕
「取り敢えずは投薬が効いてかなり熱が下がられた。今のところ意識もはっきりとして来られている。だが呼吸器系の病気は、午前中には熱が下がりやすい傾向がある。 まだまだ予断は許さないが、取り敢えずは症状が落ち着かれたというところだ」
〔わかりました。 少なくともこちらでの手続きや雑事が終えるまで、帰国は思いとどまらせます〕
「その代わり1日に1回、数分程度なら電話での会話の許可をもらっておく」
〔わかりました、伝えます〕
「ではまたなにかあったら連絡する」
そう言って周は電話を切った。
「…周さん…ありがとう…」
涙を浮かべて武が言う。 やはり夕麿の声はどんな薬よりも効果がある。
「でも周さん…違うよ…」
「え!?」
武の言いたい事を察して有人が義勝の養子縁組の事を話した。
「ああ、成る程…それは申し訳ない」
その言葉に武が微笑みゆっくりと瞼を閉じた。まだ呼吸は苦しげではあるがどうやら眠った様子である。周と有人は顔を見合わせて、ホッとして肩の力を抜いた。むろん、周が義勝に言ったようにまだ安心は出来ない。呼吸器系の疾患は朝に熱が下がっても午後に再び上がる可能性があるのだ。取り敢えずは点滴が効いたというだけなのだ。
「御園生さん、どうぞ武さまはお任せ下さい」
「久我 周さまでしたね?しかし、あなたにもにも大学の授業があるでしょう?」
「大学は既に授業を終えています。後は特待生用の参加自由なものがあるだけです。夕麿の代わりにはなれませんが…不埒な気持ちではありませんので」
真剣な面持ちで告げる彼を有人は信用する事にした。
周が懸念したとおり午後になって、再びじりじりと熱が上がって行く。 それに伴って武が苦しみ始めた。 彼の体質から考えて強い抗生剤を、連続して投与するのは問題があるかもしれないと院長が二人に説明した。
もちろん午前中に下がったとは言っても、平熱になっていた訳ではない。 最初に40℃前後あったものが、38℃台に下がったというだけだ。 点滴で補給する以外の栄養も水分も受け付けない状態で体力は削られる一方だった。
「失礼します」
院長自らが今、武の主治医を務めている。 彼はトレイに薬剤を入れた注射器を持って来た。
「それは…?」
「γ・グロブリンです」
γ・グロブリン剤とは免疫力を高めるものである。 伝染性の強い病が流行した時などに一時的に免疫を強める為に使用される事が多い。 通常は臀部への筋肉注射が有効である。 苦しみ喘ぐ武の身体を横にして、痛みに動かないように抑え込む。
「や…何…?」
「武さま、注射をお打ちします。 少し痛みますが、我慢なさって下さい」
「注射…? 痛いの…ヤダ…」
どうやら注射が嫌いらしく、小さな子供のような事を言う。
「すぐに終わります」
そう答えて院長を促した。 パジャマを捲って注射針が刺さり薬剤が注入される。
「痛いッ…」
武が呻く。 γ・グロブリン剤の注射は針で刺す痛みよりも、薬剤を注入される痛みの方が強い。 薬剤がややトロミを帯びているのが原因らしく後もよく揉み解す必要がある。
この揉み解しがまた痛い。
「周さん…それ…痛い…やめて…」
「もう少し我慢なさって下さい。 薬をこうして散らさないと痣になってもっと痛いですよ?」
「……」
熱で紅潮した頬を膨らませて、ぷいと横を向いて拗ねる。 周は夕麿が彼を溺愛する気持ちがわかったような気がする。 とにかく可愛い。 自分を犠牲にしても…という強い行動をするかと思うと、無邪気で愛らしい態度をする。その落差が妙に心を動かすのだ。
「注射…効くの…?」
「普通は流行性の麻疹などの院内感染を防ぐ為に使用します。 ワクチンなどの数が、すぐに揃わない場合がありますから」
そう通常、肺炎の治療には使用しない。
(院長め、よっぽど焦ってるな…?)
だがこれが上手く行けば、取り敢えずは免疫力があがる。 そうすれば菌に対する抵抗力が少しは付く筈だ。
注射の痛みが気を紛らわせたのか、武の顔が少し穏やかになった。
深い呼吸は胸部の痛みを伴う為、武の今の呼吸は浅く回数が多い。 それすらも痛みの原因になり、武は時折、小さく呻く。熱は幸いにもこの時点では40℃は超えてはいない。 だがジリジリと近い温度にはなっている。 高熱特有の乾きで唇が荒れて来た。
先程、有人から電話があり、必要なものを聞かれたので、周はリップ・クリームを依頼した。
院長は能力で選ばれている為、身分では到底、周には及ばない。 医学生である周に大学の附属病院の院長が従う…というのは外では一部を除いては有り得ない光景である。
ちなみに周は現在、大学2回生だが…他の医学生とは異なる。 大学は最初の一年、主に一般教養を学ぶ。 2年目から専門分野の授業を受ける。この学院内進学の周のような特待生は既に、教養科目を高等部の2学期以降に3年卒業に必要な単位を取得出来るのだ。 それは留学しない特待生で学院内に残る者への配慮として認可されていた。 つまり周は通常の高等部3年に進級時には大学の講義を受けていたのだ。従って大学部に上がったと共に、普通に進学した一般の2回生と共に専門分野、つまり医学部の講義を受けている為、2回生でありながら3回生と同じか、それ以上の知識を学んでいる。
頭の良さは十分に留学が可能な程であるのだが、長男で一人息子故に国外へ出るのを両親が反対したのだ。皇立大医学部への推薦すら可能の状態を蹴って学院内進学をした。夫婦仲は最低であるにもかかわらず、一人息子の生活や進学、恋愛にまでいちいち口を出して来る両親への周なりの反抗だった。
六条家の夕麿に対する仕打ちを、周は黙って見ていた訳ではない。 母親に再三に何とかするように抗議していたのだ。しかし 事なかれ主義で外聞だけを重んじる彼女は、息子の抗議を一切取り合わなかった。結局は何も出来なかった事実は事実で、その上に雅久に手を出さない条件で、夕麿に手を出したのも事実である。
貴之の事にしても周は余りに武にはマイナスな部分しか見せていない。 嫌われているだろう…とは思う。 それでもはっきりとした嫌悪を見せないのが、今の周にとっては唯一の救いだった。今から思えば浅はかだったとは思う。 しかし…周はずっと夕麿を愛して来た。従兄弟同士としても幼馴染としてでもなく、一人の男として恋愛的に彼が好きだったのだ。 知っているのはごく僅かな人間のみで、懸命に隠して来た感情だった。
周にとってあの取引はある意味で、夕麿を自分に向かせる為の策略でもあったのだ。 無残な結果を呼んだだけで、虚しさと共に自虐的な感情が残っただけであった。
夕麿本人は周に嫌がらせをされているとしか思ってはいない。
それでも未練たらしく夕麿に近い者…その想いから貴之に手を出して、素っ気ない態度とは裏腹の熱い身体に夢中になった。 他の相手たちと別れる程、溺れたけれど…それを彼に見せる事が出来ずに振られた。 自業自得だとは思いながら、いつも成就しない恋に、周は疲れてしまっていた。
武への感情は皇家への忠義。 正月に武を垣間見た今上皇帝直々の依頼もあった。 けれど本当の気持ちはあれ程傷付いて人間不信になっていた夕麿を、変えた武に縋りたかったのだ。自分も変えてはくれないかと。 他力本願ではあるが、変わりたいと思う気持ちは真実である。 傷付いて人間不信になっていた夕麿をあそこまで変えた武。
夕麿のカリスマが引き寄せた彼らであったが、前年度の生徒会があそこまで結束したのは、武と彼を愛した故に心を開いた夕麿の姿だったと確信している。 普段の彼はどこにでもいる普通の少年に見える。ただただ、可愛い。
あの雷雨の時に錯乱した夕麿を、抱き締めて周を恫喝した姿は忘れない。 六条家が破産し、経営企業と屋敷や土地が人手に渡った。 だがそれは、武が手を回したと聞いて驚愕した。 この小柄で無邪気に見える武の裏側を、ちゃんと見てみたいとも思った。
「周…さ…」
「武さま…?」
救いを求めるような声に顔を上げると、取り付けられている機器が示す体温が40℃を超えていた。点滴針が刺さっていない方の手で胸を掴んで苦しむ。
「…痛い…苦しい…」
ベッドの上でのたうち回る。ナースコールに看護師が飛んで来た。武の様子に慌てて院長に連絡をする。院長はレントゲン技師を連れて来た。病室用の小型レントゲンで、胸部の撮影が行われた。しばらくして持って来られたレントゲン写真を見て院長も周も青ざめた。通常、細菌性肺炎は片側の肺にだけ発症する場合が多い。武の肺炎が細菌性のものであるのは、検査で判明している。だがレントゲン写真に写し出された武の肺は、両方とも白くなっていたのだ。
昨日より悪化している。院長は酸素吸入を鼻からのものから、酸素マスクへと切り替えた。γ・グロブリンは人間由来の薬剤であり副作用はない筈だ。考えられるのはただひとつ。抗生物質が効かない場合が報告されており、返って抗生物質がダメージを与えている可能性がある。すぐに点滴が新しいものと取り替えられた。脈拍も上がっている。
午前中は意識がはっきりしていた。
血液が採取され先程吐き出した痰と共に緊急の検査へまわされる。
不意に周のポケットで携帯が震えた。 慌てて集中治療室を出て携帯をとった。
「はい」
〔周さん、武の容態は…?〕
「……また熱が上がって来られた」
電話の向こうで夕麿が息を呑むのがわかった。
「抗生物質が効いていない。 今、別の薬を投与して様子を見ているが…かなり苦しまれていらっしゃる」
〔………意識は…?〕
「時折混濁される」
〔話せますか…?〕
「お前の声を聞かせる事は可能だ」
〔それでも構いません。 お願いします……〕
「わかった」
周は携帯を手にそのまま集中治療室へ戻る。 酸素テントに上半身を入れてをスピーカーに切り替えて武の耳に近づけた。
「武さま、夕麿からです」
周の言葉に武は閉じていた目を開いて、熱で充血して潤んだ瞳で頷いた
〔武、しっかりしてください。 お願いです、頑張って……〕
電話の向こうで夕麿の声が震えている。 武の瞳から涙が流れ落ちた。双方共にどんなに逢いたいだろうと思って、周まで貰い泣きしそうになった。
不意に肩を叩かれて振り返ると院長が首を振った。武の手をそっと握って首を振ると彼は目を伏せて頷いた。周は携帯を手に酸素テントを出た。
「夕麿、これ以上は武さまのお身体の負担になる」
〔わかりました。周さん、どうか武を…武をお願いします……〕
「わかった」
電話の向こうで啜り泣きが聞こえる。
〔久我先輩、雅久です〕
「夕麿はだいぶ参ってるようだな?」
〔はい、こちらに着いてから、ほとんど何も召し上がられていません〕
どうやら誰かが夕麿を連れ出した様子だ。
〔本当のところ、武さまの御容態は如何なのですか…?〕
周も集中治療室の外へ出た。
「かなり危険な状態と言える。 元々余り体力がおありになられない。 だから体力がどこまで保たれるのか…が問題になっている。
院長自らが治療に当たってはいるけれど……現在投与している薬が効いてくれる事を祈っている。恐らくは今夜が峠だろう」
〔そんな…原因は何なのです? 私たちが発ってすぐというのを、夕麿さまは大変気にしていらっしゃいます〕
やはりそこは気になるだろうな、とは思うがそこまで話すと武の苦労を無にするだけでなく、夕麿が自分を責めてもっと面倒な事になるのは見えていた。
「まあ…ストレスが、免疫力を弱めたと言えば、それが原因とも言えはする。 だが元々の武さまの体質が原因だ。 誰かに責任があるわけではない。 たまたま、こんなタイミングだっただけだ」
全てを呑み込んで周は当たり障りのない理由を口にする。 嘘を並べ立てた訳ではない。 薬の副作用とは言え元々の要因はストレスだ。 薬で抑圧しなければならないのは、武の体質と性質の問題だ。
「とにかく夕麿にはしっかりするように言って欲しい。 ここで夕麿が倒れたら、武さまがどんなにショックを受けられるのか、考えるように伝えてもらいたい」
〔わかりました〕
「すまないが君か義勝君の携帯番号とメールアドレスを、後で送って欲しい」
夕麿の携帯だと話せない事がある。
〔承知いたしました。 周さま、武さまを……お願い申し上げます〕
「出来得るだけの事はするから…」
携帯を切って周は瞑目した。 武がこのまま生命を落とすなら夕麿も生きてはいまい。
周は集中治療室にとって返した。
看護師たちが少しでも熱を下げようと、武の首や脇などを冷却パックをあてはじめている。 高熱で赤く染まった身体のあちこちに、夕麿が付けた鬱血が未だにくっきりと残っていた。 パジャマは脱がされて手術などの折に、脱がせ易いようになっている治療衣が代わりに着せられた。両腕や脚が剥き出しになるが、こんな時にわがままは言えない。
「そこの君! 床に落ちたものを武さまに触れさせない!」
点滴が腕だけでは賄えないらしく、足首に針を打とうとした看護師が、チューブを止める為の絆創膏を落とした。
「非常時であっても皇家に対する禁忌を忘れるな!」
周にすれば非常時だからこそ、穢れを武に寄せ付けないで欲しいのだ。
武は意識が朦朧としてぐったりとしていた。周は力を失っている武の手を握り締めて、少し強めの口調でこう言った。
「しっかりなさってください、武さま。 あなたが力尽きたら夕麿はどうなります? 夕麿はあなたがいなければ、もう生きては行けないのですよ? 夕麿の為にも、あなたは病に負けてはなりません。
おわかりになられましたか?」
周の言葉に院長は不快そうな顔をしたが、武は手を握り返して微かに頷いた。
そこへ有人が到着した。
「周さま、武君は?」
「かなり良くない状態です」
それを聞いて有人は武に駆け寄った。
「武君、頑張れ。 今日、検診で、小夜子のお腹の子は男の子だって、わかったんだよ? 君の弟だよ? 武君、元気になって弟の名前を考えて欲しい。」
酸素マスクの中の武の口元が微かに動いた。 武は微笑んでいた。 そしてはっきりと有人を見て頷いた。 さっきよりは意識がはっきりしている。
ふと振り返ると集中治療室の硝子の向こうで生徒会の全員が祈っていた。 外に出る、今、高等部中が精進潔斎して、武の為に祈っていると言う。
夕麿のようにはなれない…と悩んでいた武。 しかし武はカリスマではなく人柄で高等部中を、既に惹き付け慕われていたのである。
どうかこの危機を乗り越えて、高等部に、生徒会室に戻って来て欲しい。 彼らは皆、眠る事も忘れて、ひたすらに武の回復を祈り続けた。
武の熱が下がったのは今度も明け方だった。 ただ前日と違うのは体力を使い果たして昏睡状態に陥ってしまった。 検査の結果、脳波に異常はない。 脳障害を起こしたのではないのは確かではあるが、呼び掛けにも反応しない。 自発呼吸はしている為、数日で意識を回復するだろうと言う診断が下され、有人は床に座り込んでしまった。
体温は37℃まで下がった。
周は集中治療室から出た瞬間、安堵で眩暈に襲われて膝を着いた。 慌てて行長が駆け寄った。
「大丈夫ですか、久我先輩?」
周はまる2日一睡もしていない。
「ええっと…下河辺君…だったっけ?」
「はい」
「武さまは一応、危機は脱せられた。 でも困ったよね…眠り姫の目を覚ます、王子さまが不在だよ?」
徹夜と取り敢えずの安堵感で、周は少しハイになっていた。
「そうですね、夕麿さまに電話越しにお願いするしか、ないと思います」
行長は周に肩を貸して病院スタッフの案内で、武が集中治療室から出た時用の病室へ連れて行った。 付き添い用のベッドに横たわらせるとすぐに、周は瞼を閉じて眠ってしまった。
「こちらも眠り姫…いや、眠れる王子かな? こっちにも目覚めの姫君はいないみたいですけど」
行長は病室の灯りを落として集中治療室に引き返した。
武はそのまま一週間も眠り続けた。 毎日、夕麿が電話で武を呼び続け、一週間後の呼び掛けで瞼を開いた。
「う…ん…夕麿…?」
〔武!? 目が覚めたのですか!? 武!?〕
「何…?」
武はまだはっきりとしない意識で、周の手にある携帯に顔を向けて言った。
「夕麿…そんなに叫ばなくても…聞こえてるよ…?」
〔良かった…武…〕
「泣くなよ…相変わらず泣き虫だな…ちょっと寝てただけだろ?」
自分が一週間も眠っていたと武は自覚してはいない。
〔気分は…? もう、苦しいかったり、痛かったり…してませんか…?〕
「ええっと…あれ? うん、平気みたいだ。 でも…」
〔でも…?〕
「お腹空いた…」
電話の向こうで、夕麿が泣き笑いし病室でも周が吹き出した。
「武さま、夕麿はずっとあなたを心配して毎日、電話で呼び掛けていたのですよ?」
「俺…どれくらい寝てたの?」
「一週間です」
「え!?そんなに!? ……夕麿、ごめん。 心配かけてごめん」
〔あなたが元気になってくれればそれで良いのです〕
「うん、ちゃんと元気になるから」
〔武…あなたは良い生徒会長ですよ、既に〕
「ん…!?何の話?」
〔下河辺君から聞きなさい。 長話は障るといけませんから、また電話しますね、武〕
「うん…ありがとう、夕麿。 愛してる」
〔武…私も愛してます〕
携帯を周に返して武は涙を拭った。 誰よりも夕麿に誉められるのが一番嬉しい。
『良い生徒会長になった』
何がどうなっているのかはわからない。 けれどもそれは病と闘った褒美のような気がしていた。
その後、武は一学期の終了間際になってようやく退院した。 げっそりと落ちた体重も半分だけ戻ったがまだまだ体力が、完全に戻るには時間が必要だった。
武の退院後、周は学院と交渉してしばらく高等部の特待生寮の住人となった。 生徒会長用の部屋が武が特別室の住人である為に空室になっていた。 ここへ入って未だに本調子ではない武の世話に専念したのだ。
退院後すぐに武は会長に復帰する事を望んだ。 しかし7月の暑さは病み上がりの武を苛んだ。そんな武に寄り添う周の姿に、すぐにあらぬ噂が流れた。 三年生は久我 周という人物をよく知っていたのである。 次から次へと手を出して自分に溺れさせて捨てる。残酷で退廃的な貴公子。 彼が夕麿の従兄であるのは知られていたので、夕麿と離れた寂しさを抱く武に上手く付け入ったと思われたのだ。 重篤な病だったとはいえ、簡単に籠絡されたと武を非難する者もいた。
武にも周にもやましいところはない。 ゆえにどちらも何も言わなかった。その所為か次第に噂は鎮静化して行った。
理由のひとつは周の徹底した態度だった。 いつも一歩下がった所に位置し、無闇に武に触れなかった。 武が体調を崩した時は、まず一言断ってから触れる。 どこまでも仕える者としての態度を崩さなかった。
そして今ひとつ。 毎日、武が昼食を食べ終える頃にかかって来る電話。 ロサンゼルスの夕麿からだった。 一応、食堂の隅へ移動して話し込むが、武の紅潮した頬と、相変わらずの甘々の会話は居合わせた者の耳に入る。
時折、周が呼ばれて夕麿と話す。 その姿に一点の曇りも見られなかった。 生徒会の皆も、揶揄して来る者たちにきっぱりと否定していた。
だが決定的な事は終業式当日に起こった。 武は前日、母小夜子からの電話を受け取った。
「武、明日、お迎えに行きますから、ちゃんと帰って来て頂戴ね?」 と。
夕麿が渡米している為、武は学院内で夏休みを過ごすつもりでいたのだ。 出られないのはわかっていた。だが小夜子の話によると今回の病の療養としての帰宅が認められたのだと言う。 そういう事もあるのかと周や行長たちと寮からゲートに向かった。 同じようにゲートに向かう生徒たちの視線を感じる。 彼らは視線を気にはしなかった。
「周さんはどうするの、夏休み?」
「ちょっと旅行に出ようと思ってます」
「そうなんだ。 ごめんなさい…俺の為に夏休みが半分潰れてしまったよね?」
「お気になさらないでください、武さま。 僕は僕の意志でお側に仕えさせていただいたのですから」
「ありがとう」
爽やかな笑顔を返されて周も笑顔を返した。 ゲートからエントランスに出ると、いつものように御園生家の車が迎えに来ていた。運転手が恭しく礼をしてドアを開けると、中から人が出て来た。 武は足を止めて息を呑み、両目を驚きに見開いた。
「…う…そ…」
ラフな普段着姿の夕麿が笑顔で立っていたのだ。 立ち尽くしている武の背を軽く周の手が押し出した。 ふらふらっと武は差し出された夕麿の腕の中へ倒れ込むように歩み寄った。
「夕麿…夕麿…!」
抱きとめられてようやく自分が、夢を見ているのではないと感じた。
「どうして?」
「全ての手続きは終わりましたので」
ゲートに出て来た他の生徒たちも、夕麿の姿を見て驚いて立ち止まっていた。
「こんなに痩せて…」
「これでも体重は増えたんだよ?」
その言葉に夕麿は驚いて周を見た。
「退院された時、体重は元の半分近くになられていた」
「うん、立って歩くのが大変だった…でも周さんやみんなが、いろいろと食べ物を用意してくれたから…」
夕麿に抱き付いたまま、見上げるようにして話しをする武を、彼は優しい眼差しで見つめていた。
「周さん、お礼を申します」
武の身体を片腕で抱いたまま、夕麿は周に頭を下げた。
「いや…僕が自分で望んでした事だから。 夕麿、確かに武さまをお返しする」
「周さん、ありがとう」
武も笑顔でもう一度、周に礼を告げた。
「では、僕はこれで」
周は踵を返して、久我家からの迎えの車に乗り込んだ。
「夕麿さま、武さまのお荷物です」
行長がボストンバックを手渡し、頭を下げて自分の迎えに向かう。 他の生徒会の者もそれに従った。
「武、顔を良く見せてください」
「ごめんなさい…いっぱい心配かけて」
見上げた武に夕麿の唇が重ねられた。
夕麿は噂を聞いていた。 学院の情報は未だに貴之に入る。 行長に情報網を受け継がせたが切ったわけではなかった。 武がいる限り掌握するつもりなのだ。 当然、噂も情報として入り夕麿に伝えられた。
電話の武の屈託のない様子で、噂が事実無根なのはわかっていた。 ここで完全に否定して置かなければ悪意を抱く者がまた現れる。
「さあ、車に乗ってください。暑さは辛いでしょう?」
「うん、ちょっとクラクラする」
夕麿は武を車に乗せるとゲートで彼らを見ている生徒たちに、鮮やかな笑顔を向けてから自分も車に乗り込んだ。すぐに武が縋り付いて来る。夕麿はその痩せて細くなった身体を、しっかりと抱き締めた。
「夕麿…夕麿…会いたかった…」
「ああ…やっと、あなたをこの腕に抱き締められました…」
「怖かった…もう、夕麿に…会えないのかと思った」
涙声で言葉を詰まらせる。
「武…」
想いは深く強く言葉には変えられない。どちらかともなく唇が重なった。
「ンふッ…ン…」
武の指が夕麿のシャツを握り締める。名残惜しげに唇が離れ再び重ねられた。
そのままシートに倒される。
「え!?ちょッ…夕麿、ここ…車の中…」
「すみません、家まで我慢出来ません。大丈夫です、外からは見えません」
「運転手さんが…」
「見ないでいてくれます。スピーカーは切ってありますから、声も聞こえません」
「や…だからって…あッ…ダメ…あン…」
着ていたシャツの裾から、夕麿の手が侵入して肌を撫でまわす。
「夕麿…やめ…あッあッ…そこッ…ヤぁ…」
乳首を探り当てられ摘まれて、声をあげて仰け反る。 シャツを捲られ痩せて肋骨の浮き出た胸が、剥き出しにされて恥ずかしさに身悶えする。
「嫌…見るな…みっともなくなってるのに…」
痩せて醜くなった身体など見られたくはない。 武はシャツの裾を押さえて懸命に抗う。
「どうしてです?
私が触れるのは嫌なのですか?」
「違う…!」
「だったら何故です?」
「だって…だって…痩せたから…痩せてるから…醜い…見ないで…」
両手で顔を覆って啜り泣く。 きっと嫌われる。 欲しいなんて思わなくなる。
「あなたが痩せたからといって、私の気持ちが変わると言うのですか? こんなにもあなたを欲しているのに? あなたが愛しくて愛しくて、こんな場所で抱きたいと思うのに? あなたは私の愛を疑うのですか?」
元に語り掛けながらシャツを捲り、痩せた胸を剥き出しにして優しく愛撫する。
「あッあッ…夕麿…好き…」
泣きながら縋る腕に抱き寄せられるまま、躊躇いがちに喘ぐ唇を塞ぐように重ねる。 舌を絡め強く吸うと、切なげに腰を押し付けて来る。
「武…私の可愛い人…」
痩せた胸に口付けて、花びらのような跡を幾つも散らして行く。
「ああン…ヤぁ…」
ぷっくりと膨れ上がった乳首を舌先で舐め転がし、口に含んで甘噛みし吸う。
「ヤぁン…ダメ…ダメぇ…」
下着が濡れる感触がする。 武は今でも自分で慰める事を知らない。 しばらく誰も触れていないモノは、夕麿の愛撫に反応して、すっかり欲望のカタチを示していた。
「もう、こっちが苦しいのですね?」
前を外されて入り込んだ手に握り締められて思わず吐精しかけた。 すかさず夕麿の指が根元を締めてそれを封じる。
「ヤぁ…イきたい…夕麿ァ…」
「もう少し我慢してください、武。 私を受け入れてイってください」
夕麿は武のモノを締めたまま、もう一方の手で、武のチノパンや下着を剥ぎ取り、先程受け取った武の荷物を掻き回して、潤滑剤の代わりを探す。
夕麿が見つけ出したのは、熱で荒れた唇を治すのに使っていた、指で塗るタイプのリップクリーム。 蓋を開けて中身を指で掬い、すっかり堅くなった蕾に塗り込める。 成分として含まれている蜂蜜の、甘い香りが走行中の車内に広がった。
「あッ…あン…ああッ…!」
久しぶりの刺激に綻び出した蕾に、傷を付けないように指を挿れて、リップクリームを中に塗り付ける。
「ひィあッ…ヤぁ…夕麿ァ…ダメぇ…欲しい…も…挿れて…」
「もう少し我慢して、武。 あなたを傷付けたくない」
「お願い…痛くても…構わないから…挿れて…もう…辛い…!」
「ああ…」
夕麿は既に限界まで張り詰めたモノを取り出すと、それでも武の状態を確かめながら、ゆっくりと挿入して行く。
「ひィ…ひィあッ…ああッ…熱い…熱いッ…!」
蕾を押し広げて侵入してくるモノの熱に、中が灼き尽くされてしまいそうだった。
「んあッ…ヤぁ…大っきい…ああッ…」
圧迫感に太腿が痙攣し爪先が空に舞う。 全てを受け入れようと武は、懸命に息を吐いて肉壁の収縮を緩めようとする。
「ああッ…武…そんなに締めないで…悦過ぎてイってしまいそうです…」
「だって…だって…」
自分の中に夕麿がいる。 それだけで嬉しい。 喜びが悦びになる。
欲しかった。
欲しかった。
二人とも同じ想いであると触れ合った肌の熱が語っていた。
「許してください…自制出来ません。 あなたが欲しい…」
「あッあッあッ…ヤ…夕麿…激し…あン…ああン…あッ…あッあッあッ…あン…あふッ…ダメ…も…イく…イちゃう…夕麿…夕麿ァ…ひィああああああッ…!」
凄まじい締め付けと共に武が吐精した。 夕麿は吐精寸前で引き抜いて武の腹の上に放出した。
乱れた息を整えながら夕麿は、車内に備えられているお絞りを取り出す。手で広げて温度を調節して、武の身体を拭き清める。
「まだ足りなさそうですね、武?」
「だって…」
「私も足りません。続きは家へ到着してからです」
「うん」
武の身仕度をし自分も衣類を直して座り直した。起き上がった武は、片時も離れたくない…と、しっかりと夕麿に抱き付いていた。
「少し横になってください。着いたら起こしますから」
「でも…」
夕麿がここにいるのがまだ信じられない。今抱かれたのも全部、夢ではないかと思ってしまう。目が覚めたら、寮のベッドで一人ぼっちのままなのではと。
「大丈夫です、夢ではありませんよ、武。私は消えてしまったりしませんから」
武の不安げな様子の意味をちゃんと理解して夕麿は優しく囁いた。武は小さく頷いて夕麿の膝に頭を乗せて横になった。それでも不安なのか夕麿の袖口を握り締める。夕麿はもう片方の手で、武の頭を撫で指で髪をすく。
するとやっと安心したのか武は静かに目を閉じた。 すぐに規則正しい呼吸をして眠ってしまう。
帰国して良かったと思う。
武の為だけに帰国したのではないがそれでも、彼の顔を見て抱き締めて、やっと安心した自分がいる。 夕麿も武の病に対する心配や慣れぬ土地での生活でかなり体重を落としていた。 義勝たちが心配していろいろと配慮してくれたので、衣類を身に着けていれば目立たない。
もっとも一昨日、帰国してすぐに御園生邸に戻って、出迎えた小夜子には見破られてしまった。
義勝たちと変わらない生活をしているつもりでも、武のいない生活が自分を蝕んでいるのを改めて自覚した。 学院以外の生活も体調を狂わせる原因になっていた。
空気も水の質も行き交う人々も違う。
有人の命でロサンゼルスの御園生系の企業の重役として、傾きかけている経営の立て直しにも携わっている。
蓬莱皇国の貴族としての成人を迎えたとは言え、未だ18歳の彼を軽んじる者はたくさんいる。 御園生家の養子としてロサンゼルスに来るなり、重役に名を連ねて采配を振るう彼を煙たく思う者ばかりだった。 義勝や雅久も共に補佐しているが、彼らの冷ややかな態度に腹を立てていた。 若年者の彼らを軽んじる暇があったらもっと、企業経営に向き合えと言いたくなる。
大学への手続きなどを行いながら、様々な事を内部調査した結果を有人に直線報告すべく、一時帰国を選択したのである。
武の夏休み中の滞在は彼の為のものではあるが、帰国そのものは武の為ではなかったのである。
「武、お帰りなさい!」
「母さん、ただいま」
お腹が目立つようになった母に力いっぱい抱き締められて、武はようやく家に帰って来たのを実感した。
「こんなに痩せて…もう大丈夫なの?」
「まだ少し、体力が回復してないから、この暑い中を出歩くのはちょっと…」
「まあ、大変!早く入って!」
「うん」
振り返ると夕麿は車の横で電話に出ていた。
「わかりました、すぐに戻ります」
携帯を切って夕麿は武に残念そうに告げた。
「すみません、武。すぐに社に戻らなくてはなりません」
「仕事なんだろ?」
「今日は1日、あけておくつもりだったのですが」
「気にしなくて良いよ?」
「すみません。文月、着替えを」
「はい、ただちにご用意致します」
着替えに奥へ行ってしまった夕麿の背を見送って、武は母と一緒にダイニングへ入った。すぐにビジネススーツに着替えた夕麿が、昼食のうどんを食べている武を覗き込んだ。
「出来るだけ早く戻ります」
「俺の事は気にするなって」
「夕麿さん、ランチまだでしょう?はい、これ車の中ででも食べて」
「ありがとうございます、お義母さん」
夕麿は笑顔で包みを受け取った。
「行ってらっしゃい」
「行って来ます」
慌ただしく出掛けた夕麿の後ろ姿を、小夜子は溜め息混じりに見送った。
「どうしたの、母さん?」
「一昨日、帰国してから落ち着く暇もないのよ、夕麿さんは。本当に身体を壊してしまうわ…あんなに痩せて帰って来たのに」
「痩せた…?」
そう言われて武も気が付いた。抱き付いた腰が確かに記憶にあるより細くなっていた。
「そんな…」
「あちらの気候に身体がなかなか合わない所為もあるみたいだけど…会社の方が大変みたいなのよ?」
「大変って?」
「夕麿さんはまだお若いでしょう?でも有人さんは、夕麿さんをあちらの企業の重役にしたの」
「いきなり?そりゃあ夕麿は、生徒会長として物凄く優秀だったけど、企業は勝手が違うんじゃないの?」
「そうね、私もそうだと思うわ」
「兄さんたちや貴之先輩が協力しても…才能と人間関係は別物だろう?」
「…有人さんはね、武。 夕麿さんは学院という閉鎖した場所で、同年代の人たちに囲まれて生活されてたでしょう?」
「そうだね、それが夕麿の置かれていた環境だね」
「夕麿さんの生い立ちから考えても、大人の中での人間関係が難しいと考えてわざとそうしたんじゃないかしら」
そこで言葉を切ると小夜子は少し躊躇ってから口を開いた。
「同性同士の結び付きも、まだまだ世間的には偏見があるわ。 アメリカは日本ほどではない…とは言っても、会社が御園生系のものである限り、日本人が多いから…夕麿さんは何もおっしゃらないけどね」
それが現実。 閉鎖空間である学院では、当たり前で普通でも外は違う。 責任のある地位に就けば様々な事が取り沙汰される。
「ごちそうさま。 母さん、俺、疲れたから部屋で休むよ」
「そう? 気分悪かったりしない?」
小夜子は武の額と首に手を当てて熱の有無を確かめた。
「平熱だわね。 具合が悪くなったら、すぐに言うのよ?」
「うん…」
部屋へ歩く廊下でふと立ち止まった。 さっき小夜子からランチの包みを受け取った夕麿の左手には、結婚指輪がなかったのに気付いたのだ。
車の中での夕麿の言葉を思い出した。 あれは現実に直面した彼の想いの反動ではなかったのだろうか。 部屋へ入って中を見回す。 そこここにある夕麿の持ち物を眺めた。 それからパジャマに着替えてベッドに入り胸を過ぎる不安を無理やり無視して武は目を閉じた。
ドアが開閉する音で目が覚めた。夕食を部屋で食べて横になって…また眠っていたらしい。 ベッドから身を起こすとドアの方から声がした。
「起こしてしまいましたか?」
酷く疲れた声がした。
「夕麿…? お帰りなさい」
「ただいま、遅くなってしまいました」
「そんな事を気にするなよ? 疲れただろ? 早く休めよ?」
「軽くシャワーを浴びてから休みます」
部屋を横切りながら上着を脱ぎネクタイを引き抜く。 シャツだけになった背中は確かに痩せていた。
胸が痛い。
痩せた背中に夕麿の苦悩を見た気がした。
バスルームへ姿を消した夕麿を見送って武は瞑目した。言わば学院は夜に見る夢のようなもの。 卒業して現実に直面した夕麿は、長い間微睡んでいた夢から覚めた。 そして武は未だに夢の中の住人。 迎えの車の中はまだ夢の中だったのだ。現実を歩き始めた夕麿に夢の中の存在である自分は必要なのだろうか? 障害にしかなってはいないのではないのか? 重い塊を呑み込んだように気分も胸も重い。
武は再び横になり夕麿が眠りやすいように少し異動する。 背を向けるように寝返りを打ってもう一度目を閉じた。
しばらくして背後で夕麿がバスルームから出て来た音がした。
武はそのまま眠ったふりをする。
ベッドが軋み、夕麿が腰を下ろしたのがわかる。 武が眠っていると思っているのか、夕麿の口から深々と溜息が出た。
そのまま座り込んでいる夕麿は、何を思っているのだろう? 武は唇を噛み締めた。 縋って甘えたい衝動をじっと我慢する。
やがて夕麿は無言でベッドに入った。 それすら、彼の心の変化を表していた。 以前ならば必ず某かの声をかけてくれた。 微睡みの中で寝ぼけた返事をして笑われた事もあった。 学院で共に過ごした日々が懐かしい。
夕麿はしばらく寝苦しそうに寝返りを繰り返していたが、やがて穏やかな寝息を立てて眠ってしまった。 武を抱き寄せる事も寄り添って来る事もなく。
武は暗闇の中でただ孤独を噛み締めて眠れぬ夜を明かした。
早朝、夕麿はベッドを一人抜けて着替え部屋をそっと出て行った。
武は起き上がってドアをじっと眺めた。
頭痛がする。
頭までシーツを被って寝返りを打つ。 つい先ほどまで夕麿が寝ていた枕を抱き締めた。
残り香が愛しくて哀しかった……
「母さん…」
1時間ほど待って武はパジャマのまま居間へ行った。
「武…あなた、真っ青よ? 気分が悪いの?」
「頭…痛い…」
それを聞いて小夜子は彼の額と首に手を当てた。
「熱があるわ。 すぐにお医者さまを呼ぶから、部屋へ戻って横になっていなさい」
「それなんだけど…別に部屋を用意して」
「え!?」
「夕麿、物凄く疲れて帰って来るだろう? 俺が寝込んだら無理しても看病しようとすると思うんだ。 だから別の部屋にいる方が夕麿は眠れると思うから。
……ダメ?」
「ダメじゃないけど…良いの、あなたはそれで?」
さすがは母親である。 小夜子は何となく息子の心の揺らぎを感じとっていた。
「熱がある間だけで良いんだ」
「わかったわ。 すぐに用意させるから部屋に戻っていて」
「お願い。 あ、朝ご飯はフルーツが食べたい」
「すぐに持って行くわね」
「うん」
これで良い。 まだ学院から持って帰って来た荷物すら開けてはいなかった。武はそれと一緒にパジャマや普段着を何枚持って、用意された離れの和室へ移った。 畳に敷かれた布団に寝るのは久しぶりだ。すぐに医師が来て診察をした。 病み上がりの身体での移動が災いしたのだろうと診断された。 肺炎がぶり返したわけではないので、小夜子は取り敢えず安堵の息を漏らした。 熱もさほど高くはない。
「母さん、俺は大丈夫だから、もう行っても良いよ? 赤ちゃんに障ったら大変だから。 何かあったら言うから」
「そう? 欲しいものがあったらちゃんと言うのよ?」
「わかってるよ。 ちょっと寝るね?」
薬の所為が本当に眠い。 目を閉じて微睡むと小夜子が部屋から出て行く。 それを記憶の片隅で聞きながら武は眠りについた。
夜、慌ただしい足音がして夕麿がやって来たのは、昨夜よりは早い時間だった。
「お帰りなさい」
なかなか下がらない熱にぐったりした様子で夕麿を出迎えると、彼は疲れの見える顔で横に座った。
「気分はどうですか、武?」
「いつもの熱だから、心配しなくて良いよ?」
「それならばこんな風に部屋を移らなくても…」
「何を言ってるの、そんな疲れた顔してるのに。 同じ部屋にいたら俺の看病をしようとするだろう?」
「武…私は…」
「すぐに元気になるから、夕麿は自分の事だけ考えて」
微笑んで言う武に夕麿は戸惑った顔をする。
「明日には仕事の方は片付きます」
「無理をしないで、夕麿」
「大丈夫です。 明日の夕方まで待っていてください」
「うん…ほら、ご飯、食べたの?」
「ここへ運んでもらうように言いました」
「じゃ、起きなきゃ」
起き上がる武に夕麿は手をさしのべ、側にある座椅子をあてがう。
「ありがとう」
「寒くはないですか?」
「大丈夫、エアコンを緩めてもらってるから。 夕麿こそ、暑くない?」
ネクタイも解かずに真っ先に来てくれたのがわかるそれが嬉しい。 もう十分だった。 病床で望んだのはもう一度、夕麿に会う事と抱き締めらる事。願いは叶った。 これ以上は欲張るのはやめよう。 食の進まない武に夕麿は相変わらず、少しでも多く食べさせようとする。その変わらない姿がかえって悲しかった。ホンの少し前まで当たり前だった光景が胸をいっぱいにする。
「いつもありがとう、夕麿」
愛しい愛しい人。愛し過ぎて繋ぎ止めてはおけない。束縛は出来ない。どこまでも自由に羽ばたいて欲しい。その願いは変わらない。自分という存在が障害になるなら喜んで身を引く。それが気になると言うのであれば、この世から消えてなくなっても構わないと思う。
「武…?」
箸を止めて考え込んでしまって、夕麿に声をかけられ我に返った。
「あ…ごめん…ボーっとしてた…」
苦笑すると安堵した顔をする。何か話題を振らなければ。
「スーツ着てるとすっかりビジネスマンだね」
「そうですか?」
「うん。紫霞の白い制服も好きだったけど…スーツ着てる夕麿ってかっこいいよ?」
「惚れ直してくれました?」
「自分で言う?」
「あなたがなかなか言ってくれないから」
「もう…」
赤くなって俯いた武の頬を夕麿の指が優しく撫でた。
「まだ少し熱いですね」
「朝より楽になったけどね。
ごめんね、心配ばかりかけて」
……これで最後だから。呑み込んだ言葉に胸が痛い…
「そんな顔をしないでください、武。迎えの車で無理をさせた私がいけなかったのです」
「ううん…夕麿の所為じゃないから。
ちょっと恥ずかしかったけど…嬉しかった」
座椅子を外してもらって布団に横たわる。
「俺…もう寝るね。
夕麿も疲れただろ?俺に構わず休んで」
「もう少し大丈夫です」
「…無理しないで、身体を大事にしなきゃダメだよ?」
「あなたもですよ?」
「うん…大事にする」
見上げて微笑み返すと唇が重ねられた。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
部屋の灯りを落として夕麿が部屋を出て行く。武はその後ろ姿にそっと別れを告げた。
次の日、武は身の回りを片付け、夕麿に想いの全てを下記連ねた別れの手紙をしたためた。長い長い手紙を隠し持っていた、六条家の土地家屋の権利書と一緒に封筒に入れる。 六条家の経営していた企業の株も全て夕麿の名義になっている。
物思いに耽りながら文月が運んでくれた昼食をゆっくりと口に運んだ。もうここにも戻らないでいよう。 母の手料理もこれが最後だ。武はご飯粒ひとつ残さず、綺麗に食べ終えて静かに箸を置いた。
母と生まれてくる異父弟の幸せとを願う。
文月に膳を片付けてもらって、武はしばらく正座したまま瞑目していた。
紫霄に入学して一年と数ヵ月、抱えきれない程の思い出があった。 夕麿と出逢い過ごした幸せな記憶。 それらと共に生きて行こう。零れ落ちた頬の涙を拭って着替えの為に立ち上がった。 まだ少し熱っぽいが、これくらいなら倒れたりしないで学院まで戻れる筈だ。 武はパジャマを脱いで普段着に着替えた。 布団をたたみ、パジャマをたたんで置く。
荷物を手に自分たちの部屋へと足を運んだ。 休みの時にしか使わない部屋だったが、それでも夕麿と過ごした場所だった。 わかりやすいようにベッドの上に封筒を置いて、枕元にイルカのぬいぐるみを見つけた。 武は自分の荷物に入れていた大きな方を、寄り添うように置いて呟いた。
「お前たちだけは離れないで一緒にいろよ…」
名残惜しかった。 やり残した事がたくさんある気もするがでも、夕麿にも母小夜子にももう自分は必要ない存在だ。 自分がいなければもっと、いろんな事がスムーズに動く筈。 二人の自分への愛情を疑っている訳ではない。 ただ、自分の役目が終わったと感じていた。もう自分の存在理由はどこにもないように思う。むしろ皆の負担にしかならないのではないかと思う。
だから消える。
「行こう…」
応える人のいない空間に呟いて武は、ドアへと後ろ髪を引かれる気のまま踵を返した。
……とその瞬間、荒々しくドアが開けられた。
「武…起きて大丈夫なのですか?」
「あ…うん…」
言っていた時間より遥かに早い。 武は狼狽えて自然に後退りしてしまった。
「何かあったのですか? 文月があなたの様子がおかしいと心配して連絡をくれたのです。 何かあったのならば話してください、武」
優しく言われると決意が揺らぐ。 差し出される腕に飛び込んで、いつまでも微睡んでいたかった。
愛してる…
愛してる…
愛してる…
胸が引き裂かれそうに痛んだ。
「武…何故逃げるのです…?」
武は今し方離れたベッドの側まで、とうとう追い詰められてしまった。 もう逃げる場所がない。
「これは…何です?」
立ち去る前に手紙を見付けられてしまった。 息を呑んで立ち竦む。 夕麿の手が手紙を開いてその目が中の文字を追う…その表情が強張り、顔から血の気が引いて行くのがわかった。
「これはどういう意味ですか?」
怒りを含んだ声が低く響く。
「…書いた通りだよ…俺は、学院に帰る…そしてもう…」
「あなたは自分が何をしようとしているのか、わかっているのですか、武!?」
「痛ッぅ!」
強い力で両肩を鷲掴みにされ痛みが走った。
「何故です…何故急にそんな事を…!?」
ガクガクと肩を揺さぶられる。唇を噛み締める武を見て、夕麿の顔がさらに怒りに歪む。
「あなたまで…あなたまで、私を捨てるのですか!? あなたまで……」
夕麿に頬を打たれた衝撃で、武の身体がベッドに投げ出された。
「夕…麿…」
「許しません、武!」
再び頬を打たれ、着ていたシャツが引き裂かれた。
「嫌…嫌だ…こんなの…」
ベッドの上を逃げようとするが容赦なく、乱暴に腕を捕まれて拘束されてしまう。
「痛い、離して!」
身悶える武の両腕が頭の上で押さえ込まれた。
「まだ抵抗するのですか!?」
衣擦れの音がして見上げると夕麿が、首からシルクのネクタイを引き抜いていた。
「ヤダ!」
両手首を縛り上げられベッドヘッドの鉄の装飾に繋ぎ止められる。
「やめッ…夕麿…」
「あなたは私のものです」
下半身の衣類を剥ぎ取られ、身に付けているのは引き裂かれたシャツだけになった。
「夕麿…ヤダ…」
怖かった。 こんな夕麿は見た事がない。 だがもがけばもがく程、縛られた手首が締まって行く。 瞬く間に下肢を乱暴に無理やり開かされ、固く閉じたままの蕾を裂くように一気に貫かれた。
「イヤあああああ!!」
激痛に両脚が引きつる。 だが容赦なく抽挿が開始され痛みに身悶える身体は、無情にも揺さぶられ続けた。 痛みに意識が遠くなり、また痛みで意識がはっきりする。 濡れた音がするのは、出血しているからだろう。
けれども武は切り裂かれバラバラになってしまうような痛みよりも、もっともっと心が痛かった。 武は自分が間違った選択をしたと思い始めていた。
もう夕麿に自分は必要ない筈だった。 それなのに今までの何よりも傷付いている夕麿の姿が目の前に存在する。
今、自分が味わっている痛みは、そのまま夕麿の心の傷の痛み。 引き裂かれた身体から流れる血は、夕麿の心の傷から溢れ出したもの。
自分を傷付ける事で、夕麿を傷の贖いにならないのはわかっている。 けれど全ては自分の責任なのだ。
「うくッ…あッ…ひィ…ああッ…痛ッ…夕麿…ごめん…ごめん…あぅ…ああああ…」
痛みは激しくなっても緩む様子はない。 先程打たれた時に口の中が切れたのか、血の味が舌を満たす。
涙が視界を遮り意識が今度こそ薄れていく。 たとえこのまま殺されたとしても夕麿を恨んだりしない。
「夕麿…ごめんね…愛してる…」
掠れた声で精一杯呟いた言葉を最後に、武の意識は暗く落ちて行った。
「ん…痛ッ!」
目を開けて身動きした途端身体に激痛が走った。自分が途中で気を失っていたらしいと感じて、無言で室内を見回した。身じろぎしただけで、鋭い痛みに呻き声が漏れそうになる。奥歯を噛み締めて横を見ると傍らで酷く憔悴顔の夕麿が眠っていた。
今ならはっきりとそのやつれた状態がわかる。いったい自分は何を見ていたのだろう…?愛する人がこんなに状態になっているのに、気付かずに自分の事ばかりを考えていた。そして愚かな事を実行しようとして、暴力を振るわせてしまう程に傷付け、追い詰めてしまい後悔に胸が痛む。
眠っている夕麿を起こさぬように、痛みに漏れそうになる声を必死で抑えて起き上がる。喉が酷く渇いていた。サイドテーブルの水差しの水を求めて、広いキングサイズベッドの上を移動する。ベッドの広さがこんな時、逆に妨げになる。
酷使された下肢は痛みだけではなく、痺れたような感覚があって動かすのが困難だった。
「あ…」
取ろうとした手が虚しくグラスを弾いて、床の絨毯の上を転がって行く。僅かだが手の感覚がおかしい。パジャマから出た手首を見てその理由に思い当たった。
抵抗した時に夕麿が自分のネクタイを外して、縛り付けた跡がはっきりと赤黒く残っていた。 それを見て亀息を吐いた時、背後でベッドが軋んだ。夕麿を起こしてしまったらしい。
「武?」
声を掛けられて一瞬、身体が強張った。
今度こそ嫌われたかもしれない… …
別れを告げて離れようとしたくせに嫌われるのが恐ろしい。 矛盾した想いに自分の本心が明確に浮かび上がった。 怖かったのだ、「もう必要がない」と言われるのが。 だから逃げ出そうとしたのだ。 傷付く前に恐れて逃げようとしたのだ。 誰も何も言わないのに、勝手に思い込んでしまった結果だった。
「夕麿…ごめん…ごめんね…俺…バカだ…」
嗄れた声で啜り泣く。
夕麿がやつれる程苦しんでいるのに、自分に話さなかった一番の理由は多分、病み上がりの武を心配したからだろう。
再びベッドが軋んで、夕麿が近付いて来て、後ろから優しく抱き締められた。
「あなたはいつも…そうやって、私が酷い事をしても責めないのですね…」
夕麿の言葉に武は首を振って答えた。
「俺の方が酷い事した。 夕麿を傷付けるヤツを許さないって…誓ったのに、俺が一番酷い事をしようとした」
涙が止まらない。 抱き締める夕麿の腕が、以前より細くなっているのがはっきりわかる。
「夕麿…痩せたね?俺が痩せたのは病気の所為だけど……」
「たいした事はありません、これくらい…向こうの食事が、口に合わないだけですから」
「嘘…俺に心配させないようにって…思ってるんだろ? 俺には会社とか仕事の事はわからないものな…話したって意味ないよな…ごめん…役立たずで…」
やっぱり何も出来ない。 もう…身体を差し出す事くらいしか出来る事はない。
「武…違うのです…私は自分の不甲斐なさが情けなくて、あなたに話す事が出来なかったのです」
夕麿はそう言って武を抱き締める腕に力を込めてから離れた。 反対側にある水差しの水をグラスに注いで、ベッドの中央まで武を抱き寄せて口に当てた。 武はそれに手を添えて飲み干す。
「もっと必要ですか?」
「もういらない」
すると夕麿はグラスを置いて、武を再び抱き締めた。
「痛むでしょう? 傷を付けてしまいました…」
「これくらい大丈夫だよ…俺が悪いんだから…」
「何故あなたは、私を責めないのです?」
「夕麿がこんな風に…見境がなくなるのは、いつも俺が悪い事をした時じゃないか…そうだろう?」
「武…」
「俺…自分のしようとしてるのが、夕麿の為だって思い込んでたんだ。
でも違った。 俺さ…夕麿に「いらない』って、言われるのが怖かったんだ」
「私がそんな事を言う筈がないでしょう? こんなにもあなたを愛しているのに…… あなたを失ったら、誰を愛して…誰を抱き締めれば良いのです?私はあなた以外…愛する事も抱き締める事も…出来ないというのに…」
「そうだね…俺…俺…夕麿にもう…身体しか、あげられないのに…逃げたらそれすら…」
「それは違います!私が抱き締めるのは…身体だけじゃありません。 あなたの優しくて温かい心も一緒にです。
ああ……この胸を引き裂いてでも、あなたに見せて証明したい。 私がどれだけあなたを必要としているねかを。 どんなに愛しているかを。
武…武…愛しています」
抱き締めて少しでも自分の心を伝えようとするかのように、夕麿は唇を重ねて武の口腔内を舌先で愛撫する。
「ン…ぁふ…ンン…」
嚥下仕切れない唾液が顎を伝って滴り落ちる。 思わず指を伸ばして夕麿のシャツを、握り締めようとして指先に当たるものに気付いた。 半ば開かれていたシャツの中に手を差し入れて、手探りでそれを探り当てる。
唇を離してそれを見ると、結婚指輪と武のスクールリングが鎖に通されていた。
「これ…」
「痩せて少し緩くなって…無くしたくないので首に掛けていたのです。
ロサンゼルスにいる時は結婚指輪をしていないと、煩いのが寄って来て困るものですから、テープを巻いて何とか付けていたのですが…指を傷付けてしまうので」
「あはは…俺と同じ事してたんだ…」
何故気付かなかったのだろう?痩せたなら指輪が緩くなるのは当たり前じゃないか…
「後で指を傷付けないテープの巻き方を教えてあげるよ」
「お願いします」
「夕麿…」
「何、武?」
「抱いて欲しい…」
「……今は無理です、武。動くだけで痛むでしょう?傷を付けてしまいましたから…」
「痛くても構わないから…抱いて」
「出来ません」
「抱いて…夕麿を感じたい…今、欲しい」
シャツを握り締め、見上げて来る瞳は縋るように涙で潤んでいた。
「お願い…」
「武…辛かったら言ってください…」
唇を重ね互いに舌を絡めながら武をベッドに横たえ、夕麿の指がパジャマのボタンを外して行く。首筋に口付けながら、乳首を指で摘み押し潰す。
「あはッ…ンン…あッ…夕麿ァ…」
まだ熱があるのか武の肌はいつもより熱い。 乳首を舌先で舐め、仰け反ったタイミングで、ズボンを下着ごと脱がせた。 既に欲望に勃ち上がって蜜液を滴らせるモノを、愛しげに根元から舐め上げる。
「ヤァ…ンン…あン…あッ…ダメ…それ…溶ける…」
枕を掻き抱くようにして武は快感に身悶えた。
「も…ダメ…イく…夕麿…夕麿ァ…ンァ…ヤァ…あッああッ!」
久しぶりの口淫の快感に武は啜り泣く。 最後に残滓を強く吸われて、愛らしい声を上げて全身を戦慄かせた。
武が息を乱して快感の余韻に身を委ねていると、夕麿がベッドから降りて何かを取って来た。
「何…それ?」
「医療用のワセリンです。 いつものジェルは刺激があるかもしれませんから」
「うん」
武の傷の状態を確かめるよう、夕麿はそっと触れて来る。
「痛くはないですか?」
「…うん…大丈夫…あッ…ン…痛く…ない…」
いたわるように指が挿入される。
「ン…」
ピリッとした痛みに武の身体が強張る。
「痛みますか?」
「…大丈夫…やめないで…」
「わかりました」
「ぁン…あッ…」
指が増やされて行く。 痛みよりも快感が武の中を揺さぶる。
「夕麿…夕麿ァ…もう…欲しい…お願い…挿れて…」
その言葉に夕麿は身を起こして覆い被さって耳に囁く。
「辛かったらちゃんと言ってください、武。」
武は彼の背に両腕をまわして答えた。
「来て…!」
「武…!」
「くッ…ああッ…ひィッ…」
押し開かれる痛みに武が呻き仰け反る。それを見て夕麿が止めようとすると、武は激しく首振って囁く。
「ダメ…大丈夫だから…やめないで…」
それでも躊躇う夕麿を促すように武は脚を絡める。
「う…あああッ…」
奥深く受け入れて武は荒い息をしながらも、見下ろす夕麿に微笑みかけた。
「…嬉しい…」
痛みも快感も愛する人が与えてくれるから、受け入れられるし嬉しいと感じる。
「夕麿…好き…大好き…」
「武…武…愛してます」
唇を重ねて貪る。
「ああン…夕麿ァ…」
痛みよりも快感が勝って行く。 武の体内が貪欲に収縮する。
「ああ…武…こんなに欲しかったのですね…」
「夕麿…もっと…ぁン…あッ…ヤ…ああッ…イイ…」
欲しかった…… 欲しかった…… この熱が……欲しかった!!
「ンァ…イイ…あぁン…あッああッ…もう…イく…夕麿…一緒に…お願ッ…」
「武…武…くぅッ…!」
「夕麿ァ…あああああッ…!!」
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「夕麿…好き…愛してる…」
武はそう呟くと意識を手放した。
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