蓬莱皇国物語Ⅱ~飛翔

翡翠

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   心の迷宮

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夜更けのゲートにひとり武は佇んでいた。目の前には出入りする者をチェックする警備の警官が二人。武はその向こうへは行けない。

 空港から無事に着いた連絡を受けて、聞いた学院に到着する時間までが長かった。待ち遠しくて耐えきれずにここまで来てしまった。

 一分一秒でも早く逢いたかった。抱き締めて欲しかった。

 エントランスの向こうは闇。本来なら閉鎖されている時間で街灯は点されていない。

 今か今かと逸る気持ちは、時間の流れをゆっくりに変えてしまう。武は何度も左腕の時計を見て焦った。もう時間がない。学院が許可したのは午前零時までのゲート通過。如何に理事とはいえ卒業生である夕麿が、学院に出入りするのを学院側は余り良くは思ってはいない。昨年から続く学院側の不祥事や不手際で、武や夕麿に累が及んでいる為に渋々許可を出しているに過ぎない。

 不意にエントランスに光が差した。こちらから射す明かりの中で、御園生家の車がブレーキ音を立てて止まった。夕麿が自らドアを開けて飛び出すのが見える。車に軽く手を振って全速力で駆けて来る。 エントランスからは武は見えない。 武のいる場所からはエントランスが見える。この場所にはジンクスがあった。 休み明けに送られて学院に戻りここで振り返って見て、エントランスに既に見送りの姿がなければ、学院に閉じ込められるのだと。 向こうからは見えないのだから、見送りが立ち去ってもおかしくはない。 それでもジンクスは代々、高等部の生徒たちに受け継がれていた。武はここで振り返った事はない。 最近までそのジンクスを知らなかったくらいだ。

「武!」

 夕麿が名前を呼ぶ。 武は満面に笑みを浮かべ、愛しい人に向かって両手を差し出した。 彼は理事証明を提示し無事にゲートを抜けて武を抱き締めた。

「夕麿! お帰りなさい…」

「ただいま、武。 お待たせてすみません…」

 夕麿の匂い、夕麿の温もり、 その全てが愛しくて嬉しい。

「行きましょう」

「うん」

 スーツケースを手にした夕麿と手を繋いで高等部の敷地内へ踏み込む。 常ならば校舎を抜けて寮へ向かうが既に閉鎖されている。 少し遠回りになるが、中庭を抜けて寮へ向かう。

「荷物、持とうか?」

「大丈夫です、見た目ほど重くはありませんから」

「うん」

 胸がいっぱいで言葉が出て来ない。 喜びを噛み締めるのでいっぱい一杯だった。 言葉の代わりに握り締めた手に力を入れる。 すると、わかっているというように、夕麿の長い指が握り返された。

 嬉しい…… 嬉しい…… 嬉しい……嬉しい!!

 浮かんでくるのはただこの言葉。 その言葉だけが溢れて来る。

 逢いたかった。 やっと逢えた。

 寮までの道のりを寄り添って歩くだけで、 幸せいっぱいだった。

 寮の部屋に入るとホッとしたように夕麿が肩から力を抜いたのがわかった。

「何か軽く食べる?」

「お願いします。先にシャワーを浴びて来ますから」

「わかった。その間に用意しておくよ」

「頼みます」

 ギリギリの時間から考えて、機内食以外は食べて来ないのはわかっていた。夕麿は通常の入浴は結構長湯だがシャワーは意外と早い。だから急いで茹でておいたパスタをフライパンで温めながらソースを絡めていく。その横でコンソメスープを温める。冷蔵庫からシーザーサラダを出した。出来上がったパスタを皿に盛りスープを置く。紅茶は夕麿が自分で入れるのを好むので用意だけをしておく。

 程なくバスローブ姿で夕麿がバスルームから出て来た。普段はそんな格好でテーブルに着かないというのに。

「すみません…このままで…」

「俺は気にしないよ?」

 体力がある夕麿でも10時間前後も、機内で過ごすのは大変らしい。顔に疲れが見えた。

「パスタ・ジェノベーゼ…?」

「周さんに教えてもらった」

「周さんが?」

 恐らくは夕麿に食べさせる為に覚えたメニューで、どうやらそれは実行出来なかった様子だった。

「俺なりにアレンジはしてあるけどね」

 武の言葉に夕麿が笑みを浮かべた。フォークを取り優雅な仕種で口に運ぶ。

「美味しい!ああ…帰って来たのですね、あなたの元へ…」

「夕麿?」

「周さんに学祭の映像をいただいて…クリスマス休暇が、待ち遠しくて仕方がありませんでした」

 夏休みに迎えに来た時のような、余裕が今の夕麿には見えなかった。武は立ち上がると夕麿に近付いて彼の頭を抱き締めた。

「お帰りなさい、夕麿。逢いたかった」

 夕麿が武を抱き締める。

「ただいま…武」

 目が熱くなる。泣いてしまいそうだった。

「…冷めちゃうから、先に食べて」

「…そうですね」

 一瞬でも離れがたい気持ちを内心で叱って、武はグラスにオレンジ・ジュースを入れて座った。夕麿が食べるのを笑顔で眺める。用意した食事は瞬く間になくなってしまった。

「ご馳走さま」

「お粗末さま」

 時が戻ったような感覚を覚える。一年前と変わらない、今を。

「学祭は大成功だったようですね?」

「うん。OBの人たちも『暁の会』の主旨をよく理解してくださったから。多分これで理事会側の議案も通ると信じたい」

「次の定例理事会には出席出来そうです。」

「無理はしないでね、夕麿」

「大丈夫です……もうこんな時間ですね、休みましょう、武。」

 立ち上がった夕麿に武はそっと抱き付いた。

「うん…疲れただろ?」

「少し。気流の状態が良くなくてかなり揺れたので」

「それは大変だったね…もう休もう」

 二人で寝室に続く螺旋階段を上がって行く。

 本当は今すぐ抱いて欲しい。でも夕麿の身体の方が大事だ。今は寄り添う温もりだけあれば良い。

 寝室に入ってパジャマに着替えようとすると、背後からしっかりと抱き締められた。

「夕麿?」

 今抱き締められたら我慢出来なくなってしまう。シて欲しいと強請ってしまう。心も身体も全部が夕麿を欲している。明日も明後日も夕麿はいる。今まで待てたのだから…と。

「武…武…」

 より強く抱き締められ、耳許で名前を呼ばれた。全身が戦慄く。そんな事をされたら耐えられなくなる。武は泣きたい気持ちになった。夕麿に無理はさせられない。きっとたくさんたくさん求めてしまう。

「夕麿…着替え…られないよ…」

 泣き出してしまいそうだった。

「すぐに脱いでしまうのに、着替えはいらないでしょう?」

「だって…だって…夕麿、疲れてるじゃないか…無理しないでよ…」

 涙が零れ落ちる。

「無理などしていません。 あなたが欲しい。 あなたを抱かずに眠れるわけがないでしょう?」

 夕麿は言葉と共に腰を押し付けて来る。 夕麿のモノははっきりとわかるくらい、欲望のカタチを示していた。

「あ…夕麿…」

 悦びが背筋をゾクゾクと駆け上る。 戦慄きを知って夕麿の手が武の身体を撫で回した。

「ン…はぁッ…あぅン…夕麿ァ…」

 熱い。 夕麿が触れた場所が欲望に灼ける。

「ひァッあン…ヤあ…!!」

 布越しにそこを撫でられて、耐えきれずに欲望を弾けさせてしまった。 恥ずかしくて両手で顔を覆う。 泣き出してしまった武の耳に夕麿が囁いた。

「武…武…可愛い…ちゃんと、私を欲しいと思っていてくださったのですね? 泣かないで、武。 愛してます」

 そのままベッドに倒れ込まされ唇が重ねられた。 絡み付く舌に全身が快感に震える。 夕麿の指が武のシャツのボタンを外し、はだけた胸を長い指がしなやかに撫でる。

「ン…ンふ…あン…」

 離れた唇から嬌声が溢れ出る。 シャツを脱がされパンツを下着ごとずらされた。 濡れた感触が気持ち悪い。

「見ないで…」

「恥ずかしがらないで。 私ももうこんな状態ですから」
手を取られて触れさせられた夕麿のモノは、はちきれんばかりになって蜜液で濡れていた。

「これ…辛いよね、夕麿?俺にさせて…」

「お願い出来ますか?」

「うん…シたい」

 自分で脱がされかけた衣類を脱ぎ捨て、夕麿のバスローブの紐を解く。肩を滑らせるように脱がせて、ベッドの上に座っている夕麿のモノに口付けた。

「ああ…武…」

 甘い溜息が夕麿の口から漏れ武は嬉しくなる。口を開けてゆっくりと口に咥え込んだ。舌を絡め舐める。

 夕麿が漏らす吐息が嬉しい。すぐに口の中に蜜液の味が広がる。それを啜り舌を絡めながら吸う。口の中のモノが一層大きさを増す。ただでさえいっぱい一杯の口に大きくて、顎が辛くなって来た。けれど愛しい人にもっともっと感じて欲しい気持ちの方が大きかった。喉を開くようにして、出来るだけ奥へと咥え込む。

「武…武…もう…」

 限界を知らせる言葉に武は、上目遣いに見て小さく頷いた。より深く咥えて強く吸う。夕麿は武の髪に指を絡めたまま仰け反って、身体を震わせ武の口腔内に吐精した。それを懸命に喉を鳴らして嚥下した。続いて残滓を吸い出して啜る。

 夕麿は小さく呻いて、また身体を震わせた。

 唇を手で拭いながら武が身を起こすと、夕麿が目を細めて微笑んだ。

「すみません、武。明日は登校させてあげられないかもしれません…」

 武を組み敷いて夕麿が言った。

「別に構わないよ?どっちみち休むつもりだったから」

「え?」

「登校してもする事ないんだ、俺。単位全部取っちゃったから」

「まだ、11月ですよ?」

「うん。10月中に全部終わったから大学の教養講座受講の手続きを取ったんだけど…3学期からじゃないとダメなんだって」

 仕方がないから一般学生に勉強を教えたりして、何とか時間つぶしをして来た。

「夕麿が帰って来たから、自主休講って先生にも言ってある。

 だから……」

 お強請りをしようとした口を指が止める。

「おしゃべりはそこまでです」

 その言葉に喉を鳴らして頬を染めた。

「ふふ、淫らですね?もうここをこんなに尖らせて」

 欲望に赤く色付いた乳首を強く摘まれて武は悲鳴をあげる。

「ひィッ!ヤあ…」

「もっと聴かせてください、あなたの可愛い声を」

 耳朶を噛まれ耳に舌を入れられて、啜り泣くような嬌声を上げてしまう。指先はトレモロを奏でるように敏感な部分に触れ、唇は白い肌に花びらのような口付けの跡を残して行く。

「夕麿…夕麿ァ…」

 身体中への口付けがもどかしい。

「も…欲し…夕麿ァ…」

 脚を絡めて強請る。 どこもかも感じ過ぎておかしくなりそうだった。

「焦らせてごめんね、武。 余りにも可愛いくて、どこもかもに口付けしたくなってしまいました」

 大好きな声に耳許で囁かれて恥ずかしさに頬が熱くなる。 潤滑用のジェルを蕾をくすぐるようにして、塗られるともぞもぞとした感覚に襲われる。 長期間誰も触れていないそこが、すっかり固く閉ざしているだろうというのは武にもわかる。 夕麿の指先が労るように優しく触れる。

「あン…や…」

 もどかしい。 もっと刺激が欲しいと勝手に腰が揺れる。 するとジェルを足された指が蕾に潜り込んで来た。 快感よりも、狭くなったそこを押し広げられる苦痛の方が大きい。


「ン…あッ…あッ…」

「辛いですか、武? 少しだけ…我慢してください?」

 夕麿のどこか申し訳なさそうな響きを持った、言葉に懸命に笑顔をつくって頷く。 辛いけれどこれは夕麿だけを待っていた証。

 悦びも苦痛も夕麿が与えてくれるもの。 だから耐えられる。 だから嬉しい。 ジェルを継ぎ足されながら、指を増やされ解されていく。

「んくぅ…い…ああ…」

 それでもやっぱり辛くて、思わず声を漏らしてしまう。 すると夕麿が根元からゆっくりと、武のモノを舐め上げた。

「やン…ぁッああン…」

 突然の刺激に爪先がシーツを蹴る。 全身から力が抜けた。 それを見計らうように、最も感じる部分を指先で刺激される。

「ああッ!ヤぁッ、そこ…ダメ…」

 電流のような快感がゾクゾクと背中を駆け上って仰け反ってしまう。

 足らない。 もっと確かなものが欲しい。 その内なる叫びに応えるように、指が抜かれて両脚を胸に着くほど折り曲げられた。

「まだ少し…辛いかもしれません」

「辛くても…構わない…夕麿が欲しい…早く…来て…」

 腕を首に絡ませて強請る。 今は苦痛すら嬉しい。 夕麿の熱情が蕾に押し当てられ、ゆっくりと入って来る。 解されているので挿入はスムーズだが、圧迫感と狭い部分を広げられる痛みが武を苦しめる。

「くぅ…ああ…ひィ…んん…」

 歯を食いしばるけれど耐えきれずに呻いてしまい涙が溢れた。 苦痛に内壁が夕麿のモノを拒絶するように、強く収縮して締め付けるのがわかる

 涙に霞んだ目で見上げた夕麿の顔はやはり苦しそうだった。時折息を呑み辛そうに顔を歪める。武は懸命に息を吐いて内壁の締め付けを、どうにかして緩めようとするがまるでコントロールが出来ない。

「夕麿…ごめん…ごめんね…辛いよね…力…抜けなくて…」

 根元まで受け入れても圧迫感と苦痛は続いていた。当然、中のモノを強く締め付けてしまう。愛する人を苦しめていると思うと身体より心が苦しい。

 夕麿に抱かれるのは心が震える程に嬉しくて仕方がないのに。なぜ身体が思うようにならないのだろう。まるで拒絶しているようで悲しくて辛い。

「私は大丈夫です、辛そうですね?止めますか?」

 夕麿が髪を撫でながら問い掛ける。

「いや…止める…ダメ…続けて…」

 ずっと逢いたかったのだ。抱き締めて欲しかった。

「無理はしないでください」

「無理してない…欲しい…夕麿…」

 武の瞳からとめどなく涙が溢れ続ける。ずっと待っていたのだから。

「夕麿…好き…」

 夕麿の声……指……匂い……温もり…… ずっとずっと……欲しかった。 逢いたかった。 寂しくて寂しくて、でも言えばきっと困らせる。

 だから我慢して来た。

「シて…いっぱい…欲しい…」

 ずっと独りきりだった。 だから満たして欲しい。 愛する人でいっぱいになりたい。

「武、寂しかったのですね? 私をずっと待っていてくださったのですね?」

 頷くと夕麿はこれ以上ないくらいに、優しく微笑んで唇を重ねた。

「ン…ンン…」

 口付けの快感で身体から無駄な力が抜けた。 ゆっくりと始められた抽挿に、夕麿の首に回した腕に力が籠もる。

「あ…ぁッああン…イイ…」

 引きつれるような痛みより快感が凌駕《りょうが》する。 凄まじい勢いで感覚が絶頂へと駆け上る。

「ひァ…やァン…夕麿…夕麿…も…もう…イく…やァ…ダメぇ…!!」

 背が折れんばかりに仰け反って激しく吐精した。

「く…」

 続いて体内に熱が広がる。

「あ…あ…」

 余韻に全身の戦慄きがおさまらない。 震える身体を夕麿が優しく抱き締めて、落ち着くまで髪を撫でてくれる。 時折口付けられ、頬を伝う涙を拭ってもらう。

「大丈夫ですか?」

「…うん…でも…」

「でも…何です?」

 クスクス笑いが返って来る。 答えがわかっていて、わざと訊いているのだ。

「もっと…」

「欲しいですか?」

 コクリと頷く。

「良いですよ。 私も足りません。」

 甘い囁きに胸が熱くなる。

「好き…大好き…」

 夕麿の頭を引き寄せて自ら唇を重ねた。


 明け方近くまで貪るように抱き合って、目が覚めると昼近くだった。

 夕麿はまだ傍らで眠っている。 武は細心の注意を払って、彼を起こさぬようにベッドから抜け出した。 昨夜、夕麿が着ていたバスローブを着て着替えを持って階下へ降りた。 軽くシャワーを浴びて着替え、別のバスローブをそっとベッドサイドのテーブルに置いた。

 携帯とPCのメールをチェックしていると、目覚めた夕麿が降りて来た。

「おはよう、武」

「あ、おはよう、夕麿…ってもう昼だけどな。

 良く眠れた?」

「ええ、お陰でぐっすり眠れました。

 シャワーを浴びて来ますね?」

「うん」

 何気ない会話が嬉しい。

 夕麿がいる。 それだけでただ広いだけの部屋が明るく暖かい。

 程なく夕麿が普段着で出て来た。

 武はグラスとミネラル・ウォーターのペットボトルを夕麿に渡す。 彼はそれを受け取りながら訊いた。

「午後から授業に出るのですか?」

 制服を着ているのでそう思ったらしい。

「いや、お昼ご飯食べに行こうかと思って」

「ああ、土曜日ですから昼食は校舎側まで、行かなければなりませんでしたね?」

「うん。 つくっても良かったんだけど、何となく夕麿と食堂に行きたかったから。 その後にちょっと生徒会室に行きたいし…御厨がさ、夕麿に訊きたい事があるって言ってたけど?」

「わかりました。 留学生の顔も見てみたいですし……行きましょう」

 夕麿の返事にホッとする。 敦紀が夕麿と話したい…と言うのは事実だが、それよりも武は甘えたかったのだ。 生徒会の皆や周には甘えてみるふりはしても、あくまでも彼らを安心させる為のフェイクで偽りの顔に過ぎない。今、夕麿に言ったのは本心から甘えたのだ。 簡単な身支度をして校舎へと夕麿に腰を抱かれて向かう。

「留学生はどんな感じです?」

「ハキム? なんかさ…妙に懐かれちゃって、下河辺が良く追い払ってくれるんだけどね? 良くわからない奴だよ。 引っ付いてるカリムは器用で、学祭の時には助けてもらった」

「鋸挽いて釘打って…って、下河辺君が嘆いていたと聴きましたよ?」

「仕方ないだろ? 誰も出来ないって言うんだもの。 夕麿が雅久兄さんに負けるから、切った木材を仕入れられなかったんだし?」

「雅久に勝てる者がいたらお目もじしたいですね」

「出費を他で抑えないからだろ?」

「まだ抑える所がありましたか?」

「一度使った材木を処分しない。 きちんと丁寧に解体して分類整理して保管する。 来年も使えばいいのに…経費節約と手間が省けるだろ?」

「今年の資材を来年も使う?」

「考えた事がないって顔してる。 無駄を省いてしかもエコロジー。 普通だろ?」

 武のこの庶民なら普通の考え方に、行長や周は心底驚いていた。 今まで考えた事がなかったらしい。

「なる程…それは妙案ですね」

「妙案って…世間一般では当たり前だよ?」

「そういうものですか?」

 夕麿の返事に思いっ切り脱力する。 あれ程経費節約を言っていた雅久も、結局は感覚は庶民のものとかなり違っていた。 武は行長や康孝と経費目録を検討して、徹底的に庶民感覚の無駄を省く事を断行した。 すると今までの7~80%の経費で十分、生徒会の運営とイベントが行えるのが判明した。

 そう夕麿たちが思い付かず、出来なかった事をやったのだ。



 昼食を終えて行長たちを従えるようにして生徒会室へと向かった。 彼らの最後尾にハキムとカリムがついて来る。 生徒会室に入ると武はそのまま、夕麿と敦紀を誘って執務室へ入った。

「御厨君、私に何かお話があると聴きました」

「はい」

 早々に切り出した夕麿を見て、武は二人を残して執務室を出た。

「タケル、お前の男はあれか?」

 すかさずハキムが問い掛けた。

「ハキム、その言い方下品だぞ。 カリム、そっちから挨拶しないといつまでも無視されるよ? 夕麿は行儀作法やしきたりには厳しいからね」

 幾ら王子でも礼儀は礼儀、第一にハキムは客ではなく留学生に過ぎない。 理事であり先輩であり何よりも紫霞宮家に名を連ねる者として武と自分の誇りにかけて、ハキムの従者であるカリムの資質を試していると武は判断していた。食堂では敢えて口出しも紹介もしなかったのは、夕麿には夕麿の考えがあり大抵が武の為であるのを知っていたからだ。 最初の頃のような傲慢さはかなり薄れていたが、武がハキムのような言動をすれば間違いなく激しく叱責されるだろう。

 時には傲慢さも武器にはなる。 年齢と地位を傘に着て高圧的な行動に出た輩に対して、夕麿は見事なまでに尊大で威圧的に振る舞った事がある。その場の必然性を呼んで判断する。これは武にはまだ難しい事だった。どのような相手にどのような対処が相応しいのか。 未だに武にはその判別が難しいのだ。

「武さま、お茶が入りましたよ?」

「ありがとう。 うわ~これって、麗先輩の所の和菓子じゃないか!」

 美しい紅葉の形をした和菓子に、水面に紅葉が浮かんでいるように見える葛羊羹。 その見事な様は間違いなく、麗の実家である結城和菓子司のものだった。

「結城先輩に連絡して伺ってみたんですよ。 学院に配達して貰えないかと。 そうしたら寮の売店と交渉してくださったんです」

 拓真が胸を張って言う。

「うわ~逸見、でかした! これ、夕麿が喜ぶよ~」

 もちろん武も大好きだ。 それを知っているからこその拓真の交渉だったのだ。

「うは~美味しい! たまんない~!」

 仰け反って喜ぶ武に全員がホッとした。 学祭のイベントからこっち、武の様子が微妙におかしかったのだ。 たまに何かを思い詰めるような、そんな面持ちで考え込んでいた。最初は透麿の事を悩んでいるのだと思っていた。 だが透麿とは行長や敦紀が接触して、様々な様子を武に報告し始めても消える事がなかった。

 学祭は大成功だった。 終了後の反省会で、資材の来期での再利用も受け入れられ、武が杞憂するような事案は存在しなかった。

 夕麿の帰国が待ち遠しいのだろうと行長たちは一応結論づけた。 だが今日の武を見ていて再び行長たちは首を捻った。

 武が孤独感に苛まれていたのは全員が知っている。 夕麿と再会して喜んでいるのも当たり前だ。 だがやっぱり違和感があるのだ。夕麿に対する甘え方が以前よりも強いように感じるのだ。 夕麿は本来触れられるのを嫌う為、武からベタベタは通常はしない。 精々手に触れるか、繋ぐ、握る程度。 大抵は夕麿の方が武の腰に腕をまわしたりして、接触するのが普通に見られる光景だった。

 だが二人で食堂に姿を現してからこっち、武が夕麿に触れているのだ。 腕に縋ったり抱き付いたり。 幼子が母親を独占するかのように。 むろん夕麿は嫌がってはいない。 逆にデレデレの笑顔で更に接触を深くする。どうやら夕麿は疑問には感じてはいないらしい。 行長たちには武の杞憂の原因はまるでわからない。 食欲などには影響を及ぼしていない為、今は成り行きを観察するしかなかった。

「午後からはどうなさるのですか?」

「うん、あれが3時頃に戻って来るって連絡もらったから、部屋にずっといる予定」

 それでも機嫌が良いのには違いない。武は和菓子を味わうと、立ち上がって副会長執務室にいる行長に声をかけた。

「下河辺、明日の事なんだけど…」

 ドアの向こうへ武が姿を消した。



 寮の部屋のセキュリティー・ホンが鳴ったのは、午後3時少し前だった。業者が次々と分解していたそれをリビングに注意深く組み立てていく。

「六本脚…ベヒシュタイン……?」

 絶句する夕麿を楽しげに眺めているうちに作業が終了した。

「音色の確認をお願い致します」

  全面的メンテナンスの後である。ピアノの音を一番よく知っている夕麿に、確認して欲しかったのだ。

「夕麿、お願い出来る?」

「え…?ええ」

 戸惑いながらもセッティングされたピアノに向かい合う。端から端まで鍵盤を叩いて、音のズレや響きを確認する。

「異常はありません」

「ありがとう。

 皆さん、ご苦労さまでした」

 戸惑う夕麿に武は笑顔でこう言った。

「これでこの部屋でピアノを好きなだけ弾けるよ?これ…あの古い特別室にあったんだ。 俺が引き取る事にしたから…詳しい事は明日周さんが説明してくれるから」

 一気に説明した方がわかりやすい筈だと武はそう思っていた。

 幽霊になってまで守ったピアノ。 孤独だった彼の唯一の友。 血の繋がった夕麿が奏でるならばきっと喜んでくれる。 武はそう思っていた。

 夕麿が奏で始めた音を聴きながら、武はぼんやりと周の事を考えていた。 出来れば夕麿と周をあんまり会わせたくはない。 無理だとわかっているけれどそう思ってしまう。 嫉妬混じりのドロドロした感情を自分でも醜いとは思う。多分、夕麿は気が付いていない。 だからこそ気付かせたくはない。 きっと傷付くと思うから。 それ以上に怖い。 夕麿を疑う訳ではない。 けれど出逢って2年足らずの武と従兄弟同士の周では、過ごして来た時間が違う。

 自分の知らない夕麿を周は知っている。 その事実が武を嫉妬に駆り立てる。 無茶苦茶だという自覚はある。 でもその時間の重みに負けてしまいそうで怖いのだ。夕麿が求めていたもの。 誰かに愛される事。 誰かを愛する事。 周の想いを知れば武だけ…という感覚は消える。 愛されていたのだと知れば、夕麿の心は揺らぐに違いない。 もし武でなくても…というIFに夕麿が気付いてしまったら。

 自分はどうすれば良いのだろうか?

 答えも出口も見えない堂々巡りに、武は悶々と苦悩し続けていた。

 周は今は武の為に奔走してくれる。でもそれは武が夕麿の伴侶だからだとわかってしまった。 武が無事でいれば夕麿が安心するから。 武本人の為でなく全ては夕麿の為。

 疑心暗鬼に心が暗く重く染まって行く。 自分の醜い心が悲しい。 こんな感情を抱いているなどと夕麿には知られたくない。

 本を読むふりをしても内容はまるで頭に入っては来ない。 ぐるぐると渦巻く心 の中の闇をどうする事も出来ず、かといって誰かに相談すら出来ずに、武は一人で膝を抱えて思い詰めるしかなかった。

 約束通りに次の日の午後に周がやって来た。

「メンテナンスが終わったのですね。 あんな廃屋にあったとは思えないですね」

 周はピアノを一通り眺めて誰に言うともなく呟いた。

「あの老紳士の言葉は真実でした。 御所の長老方の話によりますと、宮さまのご生母さまは無理やり出家させられたそうです」

「子供を取り上げておいて!? 幾ら何でも酷いだろう?」

「父宮さまのご母堂さまの命だったそうです」

「何も知らなかったのに…」

 絶句してしまった武に頷いて周は、夕麿に向き直り旧特別室最後の住人について口を開いた。 話が進むうちに夕麿も顔を強張らせて絶句してしまった。

「つまり幽霊の宮さまはお前の大伯父君になられる。 何代も前に遡ってお血筋を辿れば、御厨 敦紀のような者はいる。だが女系とはいえお前は最後の直系の子孫だ」

 周の言葉に夕麿が頷いた。

「理解はしましたし、私が相続するのに支障はありませんが…二台もどうしましょう?」

 事実と相続する事になったピアノに、夕麿はあきらかな戸惑いを見せていた。 そこで武は夕麿に言った。

「じゃあ、希が生まれて来たら、ピアノを教えてあげてよ。 俺たちがロサンゼルスにいる間は、母さんが教えて…帰国したらさ?」

 自分の年齢ではピアノを習うには遅過ぎる。 だから間もなく生まれて来る弟に、夕麿の生徒になる事を譲る決心をした。

「それではピアノ教師の資格を取得しなければいけませんね」

 柔らかな笑みを浮かべて答えた夕麿に武も微笑みで返した。

「それと…宮さまのいみなですが……今上陛下の侍従長に相談いたしました所、今上に奏上くだされましてお手紙を賜りました」

 その言葉に夕麿が驚いた。

「私事を今上がお聞き届けになられたのですか!?」

「今上は武さまをご心配なされていらっしゃる。 対面はなかなか出来ずとも望まれる事柄を出来得る限りは……と思し召しだそうだ」

「身に余る有り難き幸せとお伝えください。 武、本当に今上陛下はあなたを愛してくださっておられるのですね」

 そうは言われても武には何と答えて良いのかがわからない。たった2度会っただけである上に、 身動きのとれない不安定な立場を与えられ、夕麿は生命すら狙われたのだ。 それのどこが有り難いのか。だがそれがルール。武が実の孫であっても 皇帝の思し召しに『否』はない。 断る時は『辞退』という形をとる。 それも重ねて勅が下れば受け入れるしかない。

 夕麿は周から手紙をしいただいく。 無論、今上の直筆ではなく侍従長が、祐筆を務めたものではあるが、内容は間違いなく今上の言である。

「何て書いてあるの?」

 素早く目を通した夕麿に武が尋ねた。

「宮さまを廃絶した宮家の系譜に入れる事はかなわないそうです。 そこで紫霞宮家の系譜にお入りいただき、私たちが宮さまの祭祀を行う事になりました」

「サイシを行う?」

 祭祀自体が武にはわからない。

「祭祀とは一般で言う菩提を弔う事です」

「供養するって事?」

「ええ。 仏教的にはそうですね。 私たちは神道ですから『祭祀』と言います。 つまり一般では亡くなられた方を『仏》と呼びますね?」

「うん」

「神道では『祖霊神》とお呼びします。 つまり御先祖を神さまとしてお祀りするわけです」

「ああ、なる程」

「わかりましたか? 紫霞宮家では今後、宮さまを祖霊神として私たちがお祀りするわけです。私としては大伯父上であらせられますから、うれしい限りですが…」

「わかった。 でもよくわからないから教えてよね?」

「もちろんです。

 それと…宮さまの諡を賜りました」

「えっと…俺が周さんに頼んだのは、名前をあげたいって事だったよね?」

「はい」

「許可だけで良かったんだけどね……」

 流石にここまで大袈裟になるとは、武も受けた周も思ってはいなかった。

「宮さまの正式の御名は、『紫霞宮ほたる王』と」

「螢?」

 儚く生きて儚く薨去し、廃屋となった住まいに死後も住み続けた宮。 美しく儚い螢にたとえられたのは相応しいかもしれない。

「武、周さん、ありがとうございます。 螢さまに代わってお礼を申します」

 夕麿が二人に向かって、少し涙ぐみながら頭を下げた。

「宮さま…螢さま…これで天に昇れる? ピアノも夕麿も大丈夫だよ?」

 すると蓋が閉まったままのピアノが音を立てた。 武はそれが合図だと感じて、ピアノに向かって笑みを浮かべた。

 不思議な、けれども哀しい出来事だった。


 午後のお茶を3人で摂り一息つ吐いた所で周が高辻の来訪を告げた。 出迎えた周に続いて高辻が入って来た。 続いて透麿が入る。

 武が高辻と周に立ち合いを依頼した上で、夕麿と透麿を話し合わせようと考えていたのだ。

「周さん、高辻先生、これはどういう事でしょうか?」

 透麿の姿を認めた途端に、夕麿の声が低くく叱責するように響いた。

「俺が呼んだんだ、夕麿」

 食器を片付けた武が、リビングに戻って来て答えた。

「ちゃんと話し合って欲しい」

 たった一人の弟を切り捨てるような事は、夕麿にして欲しくはなかった。

「……良いでしょう。

 何か申し開きがあるならば、一応、聴いてあげます」

 その言葉に透麿はその場に座って手を突いた。

「兄さま、ごめんなさい。 僕…何も知らなくて…本当にごめんなさい!」

「それは何に対しての謝罪ですか、透麿? 第一、謝罪する相手が違うでしょう?」

 夕麿は明らかに苛立っていた。 透麿は少し怯えたように目を伏せ、助けを求めるように周と高辻を見たが、二人はただ黙って見守るだけだった。

 助けを得られないと悟った透麿はもう一度、真っ直ぐに自分を見据える兄を見て、それから彼の背後に立つ武を見た。 すぐにあからさまな態度で視線をそらせた。

「その態度は何です、透麿」

 夕麿が声を荒げた。 耐えかねたように透麿が言った。

「母さまたちを陥れた人に、謝罪するつもりはありません」

 それは覚悟していた返事だった。 理由は何であれ自分はそれだけの事をしたのだ。 許されなくて当たり前だと思っていた。

「ならば私もあなたの謝罪を受け入れません」

「夕麿!」

「止めないでください、武!」

「ダメだ、夕麿。 俺の事は良い…良いんだ。 透麿は間違ってない。だがお前は仲直りしろ。 二人っきりの兄弟じゃないか!」

「武…でも…」

「俺がいたら話が進まないだろう? 俺は上にいるから…ちゃんと仲直りしろ。

 良いな?」

「きけません!」

「だったら、命令だ、夕麿。 弟と仲直りしろ。 」

「……御意…」

 武は夕麿の絞り出すような返事を聴いて、踵を返して螺旋階段を上がった。 そのまま寝室へ入る。 後ろ手にドアを閉めて唇を噛み締めた。 自業自得だとわかっている。

「…やっぱり…キツいな…」

 頭では理解しているつもりだった。 だが非難と嫌悪を込めた眼差しを向けられ、拒否の言葉を投げかけられれば、透麿を可愛いと思っていただけに辛い。でも夕麿からこれ以上、家族を奪いたくなかった。

 そして…周が夕麿に向ける眼差し。 そこに疑いようのない熱を見てしまい、武の心は強い痛みと不安と嫉妬に揺さぶられていた。周も夕麿には大切な身内。 けれど彼が夕麿を想うのが許せない。不安になる。 周の忠義が全て夕麿の為ならば、これ以上は側にいて欲しくはない。

 幾つもの違う感情が武の心を乱していた。 それをどうして良いのか、対処の方法すらわからない。 ただ胸が痛くて苦しかった。 悲しくて辛かった。 夕麿の為を考えれば考える程、武は自分の居場所がなくなっていく気がした。

「嫌だ…何も考えたくない…何も…見たくない…」

 醜い感情にドロドロと包まれていく自分が酷く穢れている気がした。 全てから逃げ出してしまいたかった。

 武はノロノロと隣の勉強部屋へ行き机の引き出しを開けた。 そこには処方された薬を入れてある。 奥の袋を取り出してそれを持って寝室に戻った。 サイドテーブルの水差しからグラスに水を注ぎ袋から薬を取り出した。

 睡眠導入剤。 処方された分量を手に取り水で飲み込んだ。 パジャマに着替えてベッドに横たわる。 本当はもっと飲んでしまいたかった。 その誘惑に耐えて眠るのに必要な分量だけを飲んだ。薬が誘う眠りは深く夢すら見ない。 何もかも忘れてしまいたい。 今この時だけでも。

 程なく意識が朦朧として来た。 強い眠気に目蓋が重くなる。 武は抗う事なくそれに全てを委ねた。 すぐに意識が途切れ深い眠りへと入って行った。


 決裂してしまった夕麿と透麿の話し合いの後、周は透麿を敦紀に預けて特別室へと戻った。

「座りなさい、周」

 気難しい面持ちで高辻が言う。 周は黙って従った。

「周、さっきの態度は医師としては失格ですね。 もう少し自分を律しなさい」

「はい」

 高辻の言う事は自覚していた。

「確かにあなたは精神科医ではありません。ですが患者の精神状態に配慮しなければならないのは、他の科の医師も同じです」

「はい」

 母親に逆らう為と少しでも夕麿の側にいたい。 その想いだけで選択した道だった。 実際に武の側にいる事で夕麿との関わりが増えた。嫌悪されるのではなく信頼の眼差しを向けられる。 武の事で礼を言われ笑顔を見せてくれる。

「周、あなたは自分の想いを夕麿さまにわからせたいと思っているの?」

「まさか…この期に及んで…」

「でもだだ漏れになってますよ? ポーカーフェイスはどうしたのです?」

「……」

 気を付けているつもりだった。 自覚はなかったのだ。

「…武さまは、気が付かれておられるかもしれないね?」

「そんな…」

 武が薬を服用してまで眠りに逃避したのは、透麿の事だけではないと高辻は感じていた。周の夕麿に対する想いに気付いたなら、それはそれで武を苦しませる原因となる。

「覚悟しておきなさい。武さまはあなたの排除をお考えになられる可能性があります。どのような仕打ちをなされても甘んじてお受けしなければなりません。不必要に夕麿さまを傷付けたくなければ…ね?」

 間違いなく武を傷付けた筈だ。周の行為や武の側にいる理由さえも夕麿を想う故の事だと。

「そんな…どうしょう…」

「狼狽えてもこうなってはなるようにしかなりません。今のあなたに出来るのは武さまに何をされても、黙って受け入れて耐える事だけです」

 この特別室からも二人からも遠ざけられるかもしれない。

「幼子のような所があられる方だから、残酷な仕打ちに出られるかもしれない」

「はい」

 夕麿の為だけで武の側にいたわけではない。武を可愛いと思うし、高辻を学院から解放してもらった恩義もあるのだ。しかし今はそれを言っても言い訳にしかならないだろう。元々、武が卒業するまでの宮大夫の任だ。時が来れば終わってしまうものだった。夕麿とも従兄弟という以外の繋がりはなくなる。それが早くなっただけだ。

 周は全てを覚悟した。


 目覚めた時、武は何だか幸せな気分だった。 気が付くと夕麿に抱き締められていたのだ。

「…夕麿?」

 見上げると微笑みながら頭を撫でられた。

「おはよう、武」

「ん…おはよう」

 両手を伸ばして夕麿の首にまわし自分から唇を重ねた。

「朝から積極的ですね? お腹は空いていないのですか?」

「ん…空いた…」

 武も夕麿も夕食を摂っていない。 午後のお茶で周が焼いて来た、スコーンを食べたままだ。

「今から作る事になるけど…」

「待ちます」

「じゃ、起きる」

 空腹ではあったが少しだけシて欲しい気持ちもあった。

「えっと…その…」

「どうかしたのですか?」

「今日も…授業、休んでも…良い?」

 あからさまに口にするのが恥ずかしくて、わざと遠回しに言ってみる。

「ちゃんとどうして欲しいのか言わないと、一日中ピアノの前にいますよ?」

「…イジワル…」

「ん? 何か言いましたか?」

 恥ずかしさに顔が熱くなる。 武は夕麿の胸に頬を押し付けて、消え入りそうな声で言った。

「シて…夕麿…いっぱい欲しい…」

「ふふふ…良く出来ました。 あなたから強請ったのですからね? 泣いてもやめてあげませんよ?」

 そう囁かれて身の置き所がないくらいに、熱を帯びた恥ずかしさが全身を包み込んだ。

 武は夕麿のパジャマを握り締めて、頷くのがやっとだった。



 階下に降りると朝食が用意されていた。 周が食堂から取り寄せてくれたらしい。 病院実習に出るから食事は温めて欲しいとメモが残されていた。一緒に高辻のメモもあり、数日以内にまた往診に来ると書いてあった。 夜に雫が入院している病院へ戻ったらしい。御飯は炊飯器に炊いてあったので、武はおかずをレンジで温めながら手際良く、ダイニングテーブルに準備をして行く。

「夕麿、出来たよ?」

 二人で食べる朝食…とは言っても、午前10時を少し過ぎた所だった。

「武…その…透麿の事なのですが…」

「うん…それ何だけど、ごめんなさい。 夕麿の気持ちも考えないで命令なんかして…あれ取り消す…」

 意固地になっている夕麿を見て、武も意固地になってしまったのだ。

「武…命令は、取り消してはならないのです。 上の者が一度出したものを取り消すのは、下の者を混乱させ信頼を失う原因になります」

 夕麿の言葉に武は戸惑った。

「もちろん、例外はあります。 しかし今回は相応しくはないと思います」

「…ごめんなさい」

「いいえ、私と弟の事を考えてくださったのはわかっています。 あなたの思い遣りだと。

 ですからあなたのお許しがいただきたいのです、我が君」

「許し…?」

「努力を致したいと思います。 歳月が必要だと考えられます。 弟は幼過ぎて母親の罪を十分に理解しておりません」

 真剣な眼差しを真っ直ぐ向けられて武は頷いた。

「時間的な猶予をいただきとうございます」

 ダイニングテーブルに手を置いて頭を下げる夕麿を武は少し戸惑って眺めた。 最近は二人っきりの時には、夕麿にこういう態度をとられていない。 武にすれば夕麿にまでそういう扱いをされたくはない。だが命令と言う形で夕麿よりも自分が、上に立ったのはまぎれもない事実なのだ。

 透麿との仲直りを拒否した夕麿を弟と話させる為にはああするしかなかった。 武だって不本意だったのだ。

「猶予?」

「出来得るならば無期限で」

「わかった。

 でもそれ、言い訳や誤魔化しじゃないんだよね?」

「我が君に偽りは申し上げません」

「わかった。 夕麿と透麿の二人を信用する」

「ありがとうございます」

「うん…この話はおしまいにしよう?」

「そうですね」

 朝食の後、夕麿が淹れてくれた紅茶を味わう。

「なあ、夕麿」

「何です?」

「冬休み…何をしようか?」

「そうですね…水族館ばかり行けませんし…困りましたね?」

「うん…幾ら何でも、買い物ばかり出来ないよね?」

 精密検査は二泊三日の予定で帰宅した次の日から現在、雫が入院している御園生系の総合病院で行う予定になっていた。

「武…ひとつ、お話をして置かなければなりません」

「ん?何?」

「休みなのですが…私たちは明けて、4日間しかいられません」

「あ…そっか。 アメリカは新年のお祝いって、軽くするだけだっけ?」

「ええ…ですからあなたは…」

「俺もここに戻らなきゃならないんだね?」

「申し訳けありません」

「ううん、 仕方ないよ。 早く帰国してここへ来てくれたんだから、十分だよ?」

 4日に戻ると数日は人気の少ない学院で、する事もなく過ごさなければならない。 それを口にすれば夕麿を困らせてしまう。4日に別れたら次は夏まで逢えなくなる。 でもそれさえ頑張れば…ロサンゼルスに武も留学出来るのだ。UCLAの入学許可も間違いなく降りるだろうと教師たちも太鼓判を押している。

 半年分、甘えさせてもらおう。飲み干した紅茶のカップの縁を、指先でなぞっていると夕麿が吹き出した。自分でも乙女チックな事をしている自覚はある。しばらく遭わなくて顔を合わして、いざそういう方向になると妙に気恥ずかしいのだ。でも抱いて欲しい。だからもじもじしてしまう。そんな想いを夕麿には見透かされている様子でもっと恥ずかしい。顔どころか全身が熱い。きっと真っ赤になっているに違いない。

「湯を入れて来ますね?」

 クスクス笑いがまだ続いている。昨日は起きがけにシャワーを浴びただけだ。だから一緒に入浴しようと言うのだろうが……身の置き所がないくらいの羞恥心がこみ上げて来た。リビングのソファにフラフラと移動して膝を抱き締めて座る。膝に顔を埋めて懸命に恥ずかしさにいたたまれなくなっているのを隠そうとする。

 そんな武の気持ちを打ち破るように突然、テーブルの上で携帯が着信を告げた。 武は慌てて携帯を取った。 発信者は御園生 有人。

「もしもし?……どうしたの、お義父さん? ……え?生まれた? ……うん…うん…二人共元気何だね? ……うん、おめでとう。 ……うん、希に会えるのを楽しみにしてる。 ……うん…母さんにおめでとうって伝えて…うん、ありがとう」

 通話を切って武は思わず叫んだ。

「万歳!やった!」

 そこへ夕麿が戻って来た。

「何事ですか、武?」

「夕麿! 生まれた!」

「え…? あ…お義母さん、御出産なされたのですね? それでお二人ともお元気おするするであらしゃりますか?」

 普段、武に向かって夕麿は極力貴族だけの言葉を使用しない。 それを使ったのは…喜びの余り興奮しているらしい。

「うん。 二人とも元気だって」

「おめでとうございます、武。 これであなたもお兄さんですね?」

「えへへ……」

 改めて言われると照れくさい。 夕麿が武の横に座った。

「武…」

 夕麿に抱き寄せられて身体から力を抜いて身を預けた。

「良かった…夕麿、透麿が生まれた時、どうだったの?」

 訊いてはいけない事かもしれないが、いてみたかった。

「…嬉しかったですよ…弟が出来たのですから…近付く事は許してもらえませんでしたが…」

「そっか…それは辛かったね? じゃあ…赤ちゃんって、希が初めて触る事になる?」

「間近に見るのも初めてになります」

「そっかぁ…俺と同じだね?」

「武もですか?」

「うん。 希にいろんな事を教えてあげよう。 俺たちの留学が終わる頃に、ちょうど小学生だなぁ…」

 ずっと先でも今から楽しみに思う。

「ねぇ、夕麿」

「何ですか?」

「希と兄弟でいるのに俺の身分でダメな事ってある?」

「そうですね…取り敢えずは普通で構わないと思います。 希が成長する過程であなたの身分や立場については、お義母さんが教えて行かれるでしょう」

「良かった…せっかく弟が生まれたのに、お兄さんらしい事を出来ないのは悲しいから」

 生まれた弟に触れる事も近付く事も許されなかった夕麿を、思い遣りながら、希への兄としての想いを紡ぐ。兄弟でも身分が違う。 夕麿と透麿も母の身分違い故に本来は、いろんな区別があるらしいがそれでも同じ六条家の人間だ。だが武が御園生を名乗るのは表の立場に過ぎない。 自分の弟にまでいつかは宮と呼ばれる日が来る。 それが少し寂しい。

「希はきっとあなたの不自由さを理解してくれますよ。 さあ、お湯がちょうど良い頃です。 久しぶりに一緒にはいりましょう?洗って差し上げます」

 耳許で囁かれてどこかへ行っていた羞恥心が戻って来た。

「可愛い反応をして…たくさんシてあげますから、いらっしゃい、武」

 そのまま抱きかかえられて、バスルームへと運ばれてしまった。 赤くなってもじもじしている間に全部脱がされ、同じように裸になった夕麿に中へ連れ込まれた。



「あ…ん…や…洗うって…これ…違う…」

 泡立てた海綿で洗われ、途中からそれが指先に代わる。泡の滑りを利用して、先程から執拗に乳首を弄ばれていた。

「そこ…ばっかり…」

 焦れったさに泣きたくなる。

「夕麿…俺の…触って…」

 腰を揺らして懇願する。

「ふふ、もう我慢出来ないのですか?」

「出来ない…よ…シて…あ…ン…もっと…」

「バスタブにもたれて…膝を立てて」

 恥ずかしいのに逆らえない。武はバスタブに背を付けてもたれかかった。おずおずと膝を立てる。

「脚を開いて…もっと…全部私に見えるように」

 恥ずかしさに泣きそうになりながら激しく首を振る。

「こんなにして、嫌はないでしょう、武」

「ひァ…!」

 指先で根元から撫で上げられると、快感に声を上げて仰け反った。快感と欲情には抗えない。武はおずおずと両脚を少し開いた。

「もっと開いて、たっぷりと可愛がってあげますから」

 甘い囁きに内側からゾクゾクする。抗えない。武は俯いてゆっくりと、これ以上ないという程に脚を開いた。

「良い子ですね」

 夕麿の指が武のモノに絡み付く。

「もうこんなに濡らして…」

「あぁ…ン…や…ダメ…そんなに…シないで…ああ…」

「イきなさい、武。何回でもイかせてあげます」

「あッああ…ン…あン…ああ…夕麿…イく…イく…あン…あああぁ…!!」

 バスルームの後はベッドに運ばれて改めて全身に口付けされた。 焦らされて武が再び脚を開いて請うまで、それはずっと続けられた。

「夕麿…来て…欲しい…夕麿の…挿れて…」

「武、私はあなたのものです。 だから…欲しいだけ私を求めて…!」

 その言葉と共に一気に貫かれた。

「あッああああッ!!」

 頭の中が真っ白になった。 吐精が互いの腹や胸に飛び散った。 啜り泣きながら夕麿を引き寄せて唇を重ねた。 すぐに舌を絡められて、貪るような口付けを与えられる。

「夕麿…俺だけ見て…」

 涙が溢れた。 その瞳に自分以外が映るのさえ今は悲しくて辛い。

「出逢った時から、私はあなた以外を見ていません。 武…私の愛しい人…」

 怖かった。 誰かが自分から夕麿を奪い去ってしまうのが。 夕麿が周の気持ちをその想い故の様々な行為を知ってしまったなら…… 優しい夕麿はきっと周を見るだろう。周の想いを夕麿が知る。 それだけでも嫌だった。 この温もりとこの熱情を失いたくない。 夕麿を疑うのではなく武には、そこまで彼を自分に繋ぎ止めて置く自信がなかった。

 何も出来ない自分。

 何も持っていない自分。

 持っているのは面倒な事だけ。

 夕麿を縛り付けてしまう厄介な事実だけ。

 武には自分よりも周の方が、たくさんの何かを持っている気がしていた。

 それが哀しい。

 きっといつか自分は夕麿の重荷になる。 重荷になって愛想を尽かされて…背を向けられてしまう時が来る。

 自分の心は周囲には届かない。 自業自得とはいえ透麿も自分を憎んで去って行った。 他者には些細に見える出来事すら今の武の心を抉るように傷付けて行く。

 周を夕麿から遠ざけなければ…… 夕麿は自分のものだとわからせなければ……

 嫉妬から来る恐怖が武の心を満たして行く。 夕麿の腕の中にいても不安は消えない。 今を信じられても明日は信じられない。 明後日はもっと信じられない。そう思えば思う程に夕麿に嫌われると感じていながら、武の心の中はドロドロとした黒い悲しみでいっぱいになった。
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