蓬莱皇国物語 最終章〜REMEMBER ME

翡翠

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後継者

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 白鳳会用の部屋に入って、夕麿が武を会長の席に座らせた。次いで自分自身は副会長席に着く。すかさず秘書の天羽 榊あもう さかきが鞄から夕麿のタブレットを取り出して設置した。

「武さま、何からお話になられますか?」

 向かい側に椅子を移動させてきた雫が言う。

「いや......そもそもの問題はそこじゃないかな......何をどう言うべきなんだ?俺には見当もつかないんだけどな」

 椅子の背もたれに身を預けて、腕組みをして首を捻って言う。

「確かにそうですね」

 夕麿もタブレットから視線を武に向けて答えた。

「そもそも在校生のどれくらいが俺のことを知ってる?名前は知っているかもしれないが、顔を知っているとしたら早期卒業せずに残っている三年生くらいだろ?それだってさほど接触はなかったと記憶してるぞ」

 自分が何かを言って効果があるのか。逆に静麿の立場を悪くしないのか。武は言外にそれを示唆していた。

「第一、葵が散々引っ掻き回してくれたんだ。身分に嫌悪感や不信感持ってしまった生徒もいるだろう。反発を呼ぶだけじゃないのか」

 彼が残した傷痕のようなものがある様で、武にはもう自分が関与しない方が良いのではないかと思った。先ほどの校舎での生徒たちの反応を見て、自分がここに足を運んだ意味を見失ってしまった。

 確かにここは懐かしい。現在の住居である御園生邸よりもここの方がしっくりする。だからこうして戻って来られたのは嬉しい。

 だがこれはあくまでも自分の感情で、感傷にすぎないのではないか。

 静麿のバックアップはする。費用が必要ならば私費から出すのも惜しくはない。夕麿や他の者が動くのも認める。

 けれど自分はここには必要な存在ではなくなっている。ならば百語の言葉を紡いでも無意味か、逆効果にしかならないだろう。

 そう思い至るとすぐに帰りたくなった。もちろん訪れた限りはそうはいかないのも重々承知で。

 言葉は出て来ない。最初の挨拶すら武の頭には浮かんでは来ない。しかし泣き言はもっと口にできはしない。こういう場合に『NO』は許されないと身に染みて理解しているからだ。

「武?どうかしましたか?」

 口をへの字にして黙ってしまった武に気付いて、夕麿が心配そうに声をかけた。武は無言で首を振って応えた。

 武が何を思っているのかは、夕麿には大方の予想がついていた。彼が一番苦手なことを異母弟が要求したのをわかっているからだ。あの場では口にしなかったが、後ほどこの様なことは前以ての根回しを、と注意しておかなければならないだろう。武の性格をよく知っている行長が何も言ってこなかったのを見ても、これが静麿の独断であるとわかる。

 だからこそ黙り込んでも拒絶しない武の気持ちをおもんばかってしまう。

「いや~こういう時には何を言えば良いのやら、わかりませんね~」

 雫が天井を仰いで言った。彼も本来は武の人見知りを理解している。いや、少なくともここにいる人間は知っているはずである。今は夕麿が前面に出ることで武の精神状態が落ち着く。『単独でいきなり』は時としてパニック的な心理に陥るのだ。

 それでも夕麿ではなく雫を共にと指名したのは、異母兄である夕麿では静麿の立場が不安定になる可能性をとっさに判断したのだろう。武の心は悲鳴をあげてパニックになりながらも、必要な判断をしたのだと考えられた。

 もう少し自分に自信を持って欲しいのだが......と思ってしまう。危急の時には誰よりも鋭く明確な判断をするのに......と。

 だが完全に彼がすべてを可能にしたら、きっと自分は寂しく思うのだろうな......とも夕麿は思ってしまう。そのわがままさに内心苦笑する。

「夕麿さまを前にして申し訳ございませんが、やはり前以てのご相談をいただきたかったと思います」

 清方が穏やかに微笑んで言った。正式の発表はまだである(新年の叙位叙任で公になる)が、紫霞宮家の後ろ盾に立つ護院家には内々に話があるべきであった。面倒な手順ではあるがすべては、皇家を護るための伝統なのである。

「私の教育が足らずご迷惑をおかけします」

 夕麿が立ち上がって清方に頭を下げた。異母弟の不作法は異母兄である自分のいたらなさだと謝罪する。

 横に控えていた周は頭の痛いことだと思う。いつから紫霄学院はこの様な大事なことを教えなくなったのだ?おそらくは担任で顧問である行長も不意打ちだったのではないか。確かに静麿から話があればこちらに知らされていただろう。

 静麿は御園生邸と六条邸に半々で長期休暇は過ごしている。ゆえに武の性格はそこまでわかってはいないのだろう。夕麿だけでは手が回らない。同じ従兄である自分が動ければ良いが、同じように手が回らない上に、御園生邸はよくでも六条邸には行きたくはない。隣が自分の大嫌いな実家だからだ。

 しかも六条邸を取り仕切る執事の唐橋は未だに、夕麿が武の伴侶となったことを内心不服に思っている。静麿という後継者が出てもそこは、夕麿に流れる高貴なる血統を六条家に残したいのだろう。

 夕麿の母方の祖母は廃絶した宮家の女王で、女系とはいえ夕麿は最後で唯一の直系である。如何に夕麿が優秀であっても、女系が宮家を復興することは不可能ではあるが、せめてその血だけは残したいと考えるのはわからぬでもない。宮家、近衛家、六条家の三つの血を引くことの重さは、他ならぬ夕麿自身が理解してはいる。理解しているからこその今の彼が存在しているのだから。

 正直、周は葵のことを快くは思ってはいない。母校を荒れさせ、武がこんなに悩む原因は彼がつくったのだ。何よりも葵ならば主でありもう一人の弟でもある薫の良き伴侶になると信じて推薦した朔耶の気持ちを、口汚く『裏切り者』呼ばわりして踏みにじったのが許せない。

 その葵に対して武は一切の不平不満や悪口を言わない。ただただ誰かに......おそらくは武を亡きものにしたい勢力に、利用されているのを心から心配している。

 武のそんな懐の深さを理解しながら、結局は葵の言いなりになってしまった薫にも不敬ながら、周は心底腹を立てているのだ。

「今少しここの現状がわからないと何をどうすれば良いのか、言葉の紡ぎようがないですね」

 夕麿が溜息混じりに呟いた。

 それは全員が思っていることでもあった。

 するとドアがノックされた。すぐ近くにいた千種 康孝ちぐさ やすたかがそっと開いた。

 立っていたのは朔耶と三日月、それに月耶だった。

「どうぞお入りください」

 ドアを大きく開いて彼らに頭を下げて招き入れる。

「ありがとう、千種さん」

 朔耶がにこやかに礼を口にして室内に入った。

「学院の現状について、詳しくお耳にされたいと思うまして、僭越せんえつながら弟を連れてまいりました」

「それは助かります」

 夕麿が朔耶の心遣いに笑顔で感謝をした。

「その前にえっと......」

 月耶が少し言い難そうに口を開いた。

「静麿さまはその、夕麿さまのように物事の説明をなさらない傾向がある」

 その言葉に夕麿が驚いた。だが周は思い当たる、と言うように頷いた。

「確かに御園生邸うちにいる時、彼が俺たちの会話に入るのは少ないな」

 武が納得したように言った。

「お側にいる者は皆、理解しているようだけど......全部が言わなくてもわかる訳じゃない。今日のこともそれだと思うんだよ」

 月耶に敬語が使えない訳ではない。ただ武がめんどくさいから普段は使わなくてもいいと、笑いながら言ったことがある。彼は乳兄弟である薫にも敬語を使うことは少なかった。

「ふむ、それはある意味で問題かもしれん」

 周が同意する。

「弟から詳細を聞いたのですが、静麿さまはどうも同級生の執行部メンバーとご自分を、身分的に区別されている様子です」

 確かに武も夕麿も身分尊き者として同級生に扱われてはいたが、普段は普通に冗談も言うしからかい合う。気はつかわれるが『仲間』という意識でいる。

「それと......警護を担っている瀬田 蓮ですが、彼は本来は学院都市から出られない生徒です」

「ん?と言うことは出てるの?」

 結城 麗ゆうき あきらが不思議そうに問い返した。

「出てるみたいだ。身元引受けは六条家の唐橋って人で、外でも静麿さまの警護をする約束で、六条邸で衣食住を保証するって条件みたい。これ、別のやつから耳打ちされた」

「静麿は......異母弟は、それを黙認しているのですか!?」

 夕麿には寝耳に水だった。

「ごめん、夕麿。彼に静麿の警護を頼んだのは俺だ。まさかそんなことになるとは考えもしなかった」

「いいえ、あなたに責任はありません。貴之の前例がありますから、おかしくはありませんし、ご配慮を感謝しております」

 夕麿は途中で言葉を改めて武に向き直り、深々と頭を下げた。

「うん」

 言葉短く返事をするが、すぐに考え込んでしまう。

「やはり夕麿さまの弟君というのが、ご負担になられているのではありませんか?

 優秀な兄がいるというのは、それなりに大変なことですから」

 三日月がしれっと言う。

「はあ?それはどう言う意味です、三日月」

「あ、それわかる!俺は副会長だったけど、やっぱり兄さんたちを意識したよな~」

 月耶が同意して、朔耶が困った顔をしたのを見て、武が苦笑しながら言った。

「前任者が優秀だと大変だよな~」

 今度は夕麿が困った顔になった。

「肝心要の会長が仕事をしないのにも困りますけど」

 と影暁かげあきが混ぜっ返す。今度は周が苦虫を噛み潰したような顔をして、すがるように清方を見た。

「言っておきますが、私は会長の仕事はちゃんと行いましたよ?」

 追い討ちをかけるように言われで、周がガックリと肩を落とした。

 武の明るい笑い声が室内に響いた。

「ま、武さまも『俺でなくてもよくない?』って仰いましたからね~」

 康孝がここぞとばかりに言う。

「千種、お前この頃、逸見に似て来てないか?」

「あ~親友同士は似るそうですから、かも知れませんねえ」

 武の嫌味などどこ吹く風だ。どちらかと言うと優しげな青年だった彼も、特務室勤務の警察官&警護官の経験を積んで、しなやかな強かさを持ち始めて来たと雫は思う。

「つまり、静麿さまには今のような会話をすることがない......と言うわけですね?」

 改めて清方が言う。

「ないですね。執行部のメンバー自体はするんですが、静麿さまは絶対にくわわらない。わらって眺められるというのもありません」

 月耶の言葉を聞いて武はハッとして身を起こした。

「静麿は......下河辺が見つけるまで、夕麿のことは知っていたのか?周囲はどうだ?」

「それは......」

 誰も確かめたことがない。

「武......」

 この意味をすぐに理解したのは夕麿だった。

「中等部でいきなり今の立場に祭り上げられたら、いろいろとあっただろうから......」

 それは武が辿った道でもあった。武の場合はまだ夕麿がいた。揺るぎなきお手本としての伴侶のあり方が、孤独になりながらも光として存在していた。彼が一歳上だったから良かったのだとも思える。

 しかし静麿は......中等部で孤高でいなければならなかったのではないか。異母兄 夕麿は手本とするには既に、仰ぎ見るような存在に感じられていたのだとしたら、彼は自分を追い込んで心を閉ざす方向しか見えなかったはずだ。

「やっぱり、俺の配慮が足らなかったな。こういうのは一番、経験して知ってたのに......ごめん、夕麿」

「いえ、配慮ができていなかったのは私の方です。異母弟おとうとが兄としてもっと私たちの中に入れるように考えるべきでした」

「夕麿だけが悪いわけじゃないだろ?俺たち全員の責任だろう?」

 義勝が夕麿に向かって言った。

「薫さまや葵さまのこともありましたから、気持ちが回らなかった......はいいわけにしかならないでしょうね」

 清方も身内として自分の責任を感じていた。

「瀬田 蓮では難しいだろうな」

 雫が誰に言うともなく呟いた。

「俺の場合は下河辺たち同級生が気を回してくれたし、周さんと御厨がいた。あの頃は自分のことでいっぱい一杯だったけど、後で思い返せば感謝しかない」

 武の言葉に周が深々と頭を下げた。彼にしても行長や御厨 敦紀みくりやあつきと心を開かない武のことで、四苦八苦しながらもいろいろ試した日々が懐かしい。こうして改めて武に感謝されるのは、むず痒くはあるが嬉しくも感じた。

「静麿さまはその様な友人関係を構築される前に、お立場が変わってしまわれたのでございましょう」

 雅久が悲しげに伏し目がちで言った。

「ちょっと待ってよ。静麿さまって小等部の寄宿舎からの在学だよね?」

 麗が聞き返す。

「そう聞いています」

 答えたのは夕麿だった。

「おかしくない?身分から言うと夕麿さまと義勝だってかなりの差があるよね?」

「そうだ。俺は総家貴族の出身だからな。本来は摂関貴族で皇家の血筋の夕麿には、こんな風な口の利き方ゆ態度は許されはしない。実際に小等部時代は教師たちがうるさかった」

 義勝が麗の疑問に苦笑しながら答える。

「私がそうして欲しいと望んだのです」

「あ~気持ちはわかる気がする」

 夕麿の言葉に武が同意した。

 今、武とタメ口で会話する同級生は紫霄入学前の中学の同級生だった、大橋 了介おおはし りょうすけだけだ。彼はちょっとしたことから武の本当の身分と置かれている立場を知ったが、夕麿の秘書である天羽 榊あもう さかきの『これまでと同じように』という言葉に従っている。

 夕麿の同級生たちも武が『紫霞宮』として行動しない限り、普段は普通にタメ口で会話する。

 何が違うのか。

 疑問に思う者もいるだろう。だが、常に敬語で一歩下がって対応されるのは、人として孤独なものなのだ。誰も自分と同じ場所に立ってはいないという意味になるからだ。

 夕麿のように最初からその立場にいて当たり前であっても、義勝という身分を超えた親友がいなければ孤独であったであろう。武との恋愛もすれ違いばかりになり、成就しなかったかもしれない。

 普通に一人でいることと『孤高』であることは違う。孤高は周囲から注目され配慮されるのに、自分の場所には自分一人だけなのだ。弱音を吐くことにも気を遣い、自身を律するための努力と忍耐が求められる。

 これは武自身も夕麿も味わった。けれども泣き言も不満も二人はどこかに吐き出せる場所があった。

 もちろん、夕麿の卒業後の武はこれが難しくなったゆえに心を閉ざした。遠く異国の地にいる夕麿にさえ、自分の心の内を吐露できなくなった。

「静麿には小等部からの同級生はいないのか?」

「それが瀬田 蓮です」

 雫が答えた。当然ながら静麿の周囲の人間の身辺調査はしてある。

「なるほど。それでは無理だな。夕麿と貴之の関係と同じか」

 貴之の名前を口にする時の周は、そこに朔耶がいると視線を送ってから遠慮がちに言う。

「羽林貴族は物心つくかつかないかの頃から徹底して、摂関貴族や皇家への対応の仕方を叩き込まれます。貴之先輩はその典型みたいな方ですから」

 黙って聞いていた成美が言った。

「そうですね。彼が御厨君と恋人になったのは奇跡かもしれません」

 清方が笑顔で言った。

「いや、あれは御厨の押し勝ちだろ」

 周が笑う。武のことでは共に心を砕いた同士の様なものだが、敦紀は貴之のことになると人が変わる。それを一番に知っているのは周だった。

「一つ疑問に思うんだけど......閉じ込められてる人間が何で、貴之に次ぐって認められてんの?」

 麗の疑問は確かだった。

「ああ、それは彼の才能を認めていた人がいて、その人が長期休みだけ身元引受人になっていたからです」

 成美の言葉に全員が首を捻った。

「誰が?」

「良岑 芳之警察統括長、つまり我々の上司であり、貴之先輩の父君です」

「詳しいな、久留島。俺は報告を受けてないぞ?」

 雫が苦笑混じりに言った。彼も初耳だったらしい。

「それは......お二人から口止めされていたので」

「口止め?何で?」

 武も不思議そうに言った。

「その......彼は清方先生や柏木と同じ立場で......」

 成美はかなり言い難いらしく、半ば口篭りながら言った。

「どこの家が本当の生家なのです?」

 自分と同じ......生家の姓を名乗ることを許されず、学院に閉じ込められた者。清方自身は中等部が終わる頃からだったゆえに、まだ苦痛は少なかったかもしれない。利用されて殺された柏木 克巳に比べれば。

「......月夜野つきやの家だと聞いています」

「月夜野ですって?!」

 驚いたのは朔耶だった。彼の実家である御影家と双璧をなす神祇官の家系であったからだ。御影家は既に直接神祇に関わらなくなって久しいが、月夜野の本家は今でも月神三神を奉じる皇大神宮の神職を務めている。

 ただ、御影家が精華貴族であるのに対して、月夜野家は総家貴族と呼ばれる身分にある。そこが現状の違いである理由かもしれない。

「えっと......彼が家から排除された理由は?」

 月耶が今度は問いかけた。御影家の人間にとっては身分は違っても、遠い親戚の様なものだ。

「それがわからないのです。両親は死別や離婚などはしてはおりません。実家に残っているのは姉が一人。当然ながら蓮は本来ならば後継者のはずなのでしが......」

 成美はいつかは蓮のことを説明しなければならなくなるだろうと、貴之本人に彼のことについてわかっている限りの情報を与えられてはいた。

「今のままでは宝の持ち腐れだな」

 周の言葉に全員が頷いた。

 当然ながら六条家の執事が身元引受人では、彼の身分では不相応だ。高等部卒業後のこともある。静麿の進学と蓮の進学が方向が違った場合、強制的に静麿に合わさせようとする可能性も考えられた。

「雫さん、彼を将来、特務室に欲しいですよね?」

「え?あ、それは確かに欲しいが、本人が望まなければな」

 何某かの含みを持った影暁の問いかけに、雫はためらいながらも答えた。

「では武さま、彼を私が養子に貰い受けるお許しをいただけませんか?」

「え?」

 影暁の言葉に驚いたのは伴侶である麗だった。

「反対するか、麗?幸久くんを得た雅久くんを羨ましがってただろう?」

「あ......うん。でもさ、貴之が養子にしたいんじゃないのかな~って」

「あ~確かに」

 貴之が身元を調べて父親に依頼しただろうというのはわかる。自らがやらなかったのは武の周辺に起こる騒動から、遠ざけていたかったのだろう。

「どうでしょう、一時的に影暁さまが身元引受人となられて、後に貴之と御厨くんの意志を聞いて養子の話を進めては」

 自分が幸久という後継者を得たのを麗が羨んでいるというのは、まるで初耳のことであった。

 男性同士の結び付きは誰かの卵子提供を受けて、どちらかの精子を使った上で代理母出産という方法があるにはある。実際にそうして子を持つカップルはいる。女性の場合はどちらかが人工授精するという方法がある。どちらも国によっては冷凍保存されている精子や卵子を、金銭によって購入して使用できるシステムが確立している。

 もちろん、代理母出産には問題もトラブルもある。国によっては遺伝的には実子であるのに、認めてはくれない場合もある。

 蓬莱皇国では庶民は認められてはいる。だが貴族には未だ認証が検討されているだけで、認められた事実は一つもない。ただし、異性間の不妊治療としては密かに行われていたとしても不思議ではない。

「では私が唐橋に連絡しましょう。それでかまいませんか、武?」

 夕麿が穏やかな笑みを浮かべて言った。

「ああ、よろしく頼む」

 武も笑顔で返した。

「で?言葉は浮かんだのか?」

 義勝の一言でまた武は現実に引き戻された気分だった。

「......無理」

 ボソリと武が呟いた。何をどうひっくり返しても、無理なものは無理なのだ。

 武はその場限りの御為倒おためごかしはしない。無責任だと思っている。

「そやったらどないですやろ?ここにいてはる皆で、草案みたいなもんつくったらあんじょういくんとちゃいますやろか」

 榊がこういうのは時折、夕麿が武のために箇条書きで軽く押さえるべきポイントのヒントを書くことがあるからだ。元々人見知りな武はさすがに慣れたとはいえ、人見知りな部分は根強く残っている。見知った顔ばかりが揃う場所などでは普通にやれるのを見ても、その能力にかけている訳でもない。

 そもそも公務の時の演説は宮内省と外務省から派遣されてきた者と一緒に、内容を考えたものが使用されるルールになっている。お陰でこの方面への武の負担は少ない。

 武が今困り果ててるのは、まずどの様な内容が求められているのか......が不明だという事実だ。毎年のように足を運んでいた時期とは違って、先ほど行き会った生徒たちの様に武を知らない生徒が多い。薫たちが在校していた時も彼らの入学式以外は、一般生徒との交流はほぼなかった。

「今の高等部の生徒たちは武さまを知らないもんな~俺だって戻って来て、生徒会執行部に関与しようとしたら『誰だ、これは』って顔をされたし、下河辺先生もまだかなりやりにくそうだよ。特待生って一年生だけなのにさ」

 月耶が武の気持ちを代弁するように言う。

「しばらくとどまって特別授業でもするか?」

 周が言う。おそらくは特待生相手ならばそれで何とかなるだろう。

「あ、それ良いかも」

 すかさず月耶答えた。こうして見ると彼を行長と共に紫霄に復帰させたのは正解だった様子だ。

「月耶くん、何か不便はありませんか?」

 雅久が問いかけた。

「う~ん、外に出られないくらいかな?離れていたのは一年半くらいだし、ここでの生活は慣れてるから」

 雅久にすれば本当は幸久も戻らせさせたかった。しかし彼は既に雅久の教室には必要不可欠になっている上に、御園生本社の経営チームの一員としても大学に通いながら、雅久が不在の折にその補助をする様になっている。戻るに戻れないのだ。すべてを行長と月耶に背負わせてしまったのを、雅久は心から申し訳なく思っていた。

「雅久さんさ、幸久が帰って来れないのは仕方ないことだろ?俺にはその気持ちだけで十分だよ」

 そういうと雅久は深々と頭を下げた。本来、雅久の方が月耶よりも身分が低い。月耶自身はそういうのに拘らない、どちらかと言うと義勝に近い態度をする人間である。

 月耶は雅久の態度に軽く手を上げて笑顔で応えた。

 朔耶は兄として弟の成長を感じていた。彼は紫霄を離れていた間、皆が住むマンションがいっぱいであったことから、御園生本社の社員寮であるマンションに、行長と共に生活をしていた。

 幾度か実家の御影家から帰宅を要求された様子だが、無視を貫いたと本人から聞いている。

 月耶はここに戻ったために夏休みまで復帰はないが、それまでは御園生本社で幸久と一緒にアルバイトをしていた。

 朔耶は大学が忙しくなった上に住居もアルバイトも別になっているために、この下の弟とは接触が少なくなっている。だから余計に彼の成長がわかって嬉しく感じた。もっともそれを言うと怒るのはわかっているから言わないが。


 そろそろ皆が三十歳を超えてしまう。朔耶たちの世代はこれからだが、その上の世代は後継者を欲し始めているのは確かだった。

 武にしても薫という後継者が行き方しれずになって、悲しむと同時に心配している。

 後継者。

 それは自分が築いて来た何かを未来へと繋げる人を得ることだ。
 
 どんなに努力しても人はいつかは寿命が尽きる。個人によっては早いか遅いかはあるとしても、絶対に逃れられない。

 ひとの明日はわからない。まして武は『常』と言っても過言ではないほど、生命の危機に晒され続けている。周囲にいる人々も巻き込まれるのは必然だ。

 こういう事実を消すことができぬのであれば、それぞれが自らの意思で『想い』を誰かに受け継いで欲しいと望むのも、人としての普通の願いなのではないだろうか。

 もちろん......最終的には継ぐ継がないは本人の自由であるとしても。

 特に夕麿は本来であれば自分の実家である六条家が、紫霞宮家の後ろ盾になるべきなのを悔しく感じていた。父の陽麿ではものの役にも立たない。彼はもはや無気力に何もかもを投げ出していたからだ。しかも屋敷を離れてしまっている。長期休みに静麿が帰る以外は、主のいない場所となってしまっている。

 静麿が成人したならば『当主』となり、正式に六条家を継承できる。だが未成年の今ではそれはできない。不在であっても当主は陽麿なのだ。そこご夕麿には歯がゆかった。

 紫霞宮家の後ろ盾に決定している護院家は、摂関貴族の末席だ。当然ながら六条家の方が格は上。後ろ盾としては護院家よりも強い力が本来はある。『身分』とはそういうものだ。

 だからこそ『特権階級』としての身分貴き者は、責任も義務も重く存在している。上になればなるほどその重さは増す。皇家ならばさらに国民だけではなく、外国からの眼差しもそそがれる。

 けっして楽ではない。楽ではないからこその特権階級なのだ。そこには背負うべきものがたくさんある。ただ......貴族階級にも庶民の中にも、ここを履き違える者は存在している。

 貴族の義務ノブレス・オブリージュも、持てる者の道楽や自己満足と考える者はどちらの側にもいる。行う者の気持ちにもよるたろう。しかし本当に自分の『身分』の意味や権利・特権が、何によって与えられて存在しているのか。それによってどの様な役目が発生し義務への責任があるのか。すべての人間が考えるべきであろう。

 『特権階級』が搾取にだけ走った時代も、確かに存在している。だが良き領主、良き君主はこれらを理解して施政する。当然ながら周囲にも良き人材が集い、これを見出し登用するのも名君主たる条件でもある。
 
 改めて清方は父 久方が『武こそ真の皇家の直系』と言い切るのを納得する。この想いはここにいる全員が同じなのではないのだろうか。

 今上皇帝の寿命が尽きようとしている現在、如何にして武を護って未来に繋げるのか。

 清方は傍らの雫を見て頷いたのだった。
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