蓬莱皇国物語 最終章〜REMEMBER ME

翡翠

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紫霄学院、再々

 六条 夕麿が異母弟 静麿からの連絡を受けたのは、帰宅する車の中だった。

「静麿、高等部進学おめでとう」

『ありがとうございます。ご報告したいことがございます』

「それは武さまにもお聞きいただいてよいことですか」

『是非ともお聞きいただきたいです』

「うかがいましょう」

 紫霄の中等部で初めて会ったからであろうか。静麿は夕麿に常に敬語を使用する。その辺は子供の頃から顔を合わせていたもう一人の異母弟とは違うところだ。

 透麿の母親である佐田川 詠美さだがわえいみは、夕麿たちの父親である陽麿はるまの後妻であるが、ルールを飛び越えてなった庶民出身の女だった。本来は彼女の身分では摂家の一つである、六条家の花嫁にはなれないはずなのだ。今となってはどの様な手を使ったのかはわからないが、佐田川一族があちこちの貴族や臣籍降下した元皇家の人間にかなりのつてを持っていたのは確かだった。彼らの狙いは六条家の乗っ取りだったであろうと思える。

 近衛家から嫁いだ夕麿の母 翠子みどりこの祖母は、今は後継者の絶えて廃絶になった宮家の最後の一人。夕麿は六条家の後継者として揺るぎない血筋を持っていた。

 彼らの夕麿潰しを退けたのは武と彼に協力した生徒会執行部の仲間だった。

 そして......十年の月日を経て、中等部に在学しているもう一人の異母弟、静麿を下河辺 行長が見つけ出したのだ。

 静麿の実母は近衛家の縁者で、壺崎 藤子つぼさきふじこという女性だった。現在は他家へ嫁いでしまっているが、面差しや雰囲気が翠子に似た女性で、伯母の護院 高子ごいんたかいこのはからいで対面した夕麿は、今更ながら父が翠子を本当に愛していたことを知ったほどだ。

 静麿の口から出たのは、高等部の荒廃と一年生の彼が生徒会長就任を要請されていることだった。予想はしていたとはいえ車中の全員がショックを受けた。

「それであなたはどうしたいのですか?」

『いくつかの条件を学院側が呑んでくれるならば、引き受けてもよいと返事をしました』

「条件って?」

 横から武が問いかけた。

『まず、武さまに再び学院都市にお出ましくださるよう、学院側から正式にお願いして欲しいこと。

 特待生クラス担任で生徒会顧問だった、下河辺先生にお戻りくださるように働きかけてくれること。

 学祭の開催とOB訪問会の復活......の三つです』

 さすがは夕麿の弟だと武は思った。この三つはある意味でセットで、高等部の生徒会を動かすには必要になっているものだ。

『学院からの要請がなされてからでよろしいので、どうかお出ましくださりませんでしょうか』

 静麿の言葉に夕麿が武を見る。他の皆の視線も集まった。武は全員を見回してから、夕麿に向かってしっかりと頷いた。

「お出ましくださるそうです」

『ありがとうございます。

 それと下河辺先生にお戻りくださるように、お願いしてはいただけないでしょうか』

「う~ん」

 武が唸る。

 行長自身は元々望んでなった紫霄の教師だ。だが御影 月耶みかげとうやがまだ外部の大学に在校中である。二人は未だ恋人一歩手前状態だが、月耶が離れ離れになるのを嫌うのではないかと思われた。

「どう思う、夕麿?」

「月耶君が大学部に転校できれば良いのでは?」

「可能か?」

「逆はありますが......不可能ではないでしょう。下河辺君が要請すれば済むと考えます」

「静麿の条件に下河辺の復帰があるなら、あいつ自身の要請も条件にできるな。月耶自身がどう考えるかだが」

「では私におまかせいただけますか」

「ああ、頼んだ」

「ありがとうございます」

 決定権は武にある、というルールはどのような時にも夕麿は守る。

「静麿、武さまのお許しがいただけたので、下河辺君に話をしておきます。学院側の要請があり次第、私たちも動けるように手配しておきます」

『ありがとうございます。感謝いたします』

「静麿、高等部生徒会をお願いします」

『はい。どこまで私がやれるかはわかりませんが、代々の会長の皆さまに恥じぬよう、誠心誠意努力させていただきます』

「私たちの力が必要な時は遠慮なく言ってください」

『重ね重ねありがとうございます。では、失礼いたします』

 通話を終えて夕麿がホッと息を吐く。こういう事態は覚悟してはいたが、やはり現実に耳にすると辛い。高等部卒業までずっと学院都市で暮らしてきた者は皆、そう感じるに違いない。

「それにしてもスマホから聞こえる声は、昔の夕麿そっくりだな」

「そう......ですか?」

「ああ。今のお前はもう少し低くなってるけど、会ったばかりの頃は多分、あんなトーンだった気がする」

 武は高等部時代の夕麿の声の録音を幾つか保存している。だからわかるのだ。

「見た目はどうなっているのかはわからないけどな」

「母が同じでしたらどちらも......は保さんと司のように有り得ますが、静麿とは母が違うのでそこまでは似ないと思います」

「それも含めてちよっと楽しみかな?」

 薫・葵と袂を分ってから静麿も御園生に戻りにくい状態で、以前と同じように長期の休みにも学院都市に留まり続けた。自分たちの騒動に彼を巻き込んだのを武は申し訳ないと思っており、彼のためにでき得る限りのことをしたいと思う気持ちを汲んで、夕麿は自らが手配に動くと言ったのだ。

 武は生涯を誓った伴侶の細やかな心遣いを嬉しく思う。いつもこうして支えてくれるからこそ、あれこれと想いをめぐらせ実現へと向かえるのだ。

 武はそっと隣に座る夕麿の手を握りしめた。指が長くほっそりした手はいつも温かい。その温もりがいつも武を安心させる。

 夕麿が優しく微笑んだ。武の想いも願いも理解している。彼は何も特別なことは望んではいない。けれど今上皇帝の孫、皇孫としての立場から逃れることはできない。その重みを自分がどれだけ軽減できているのかは夕麿にはわからない。ただ自分にできることは全てやるつもりでいる。

 幸いにも周囲の配慮と医師たちの努力があって、ここ一年ほどは武の発作は緩慢に穏やかになっている。幻覚を見たり強い意識の混濁はほぼ見られなくなった。それでもストレスを完全になくすのは不可能で、発熱や軽い肢体麻痺に時折陥る。未だ対処療法のみで治療法はなかった。

 いつかは治療法が見付かる。周囲は祈るように信じていたが、武本人は既に諦めてそれ故に短命になったとしても、愛する人と家族、自分を大切にしてくれる仲間と共に精一杯に頑張りたいと願っている。

 ただ心配であるのは祖父である今上皇帝が高齢で、現在は病床にあるということだった。崩御となれば一気に武の存在を疎ましく思う勢力が、潰すために動き出すのはわかっているからだ。実際にその動きの気配も漂っている。

 武の警護の責任者である成瀬 雫なるせしずくは、部下たちと武と夕麿の警護に全力であたっている。だが不穏な動きを未だ夕麿たちには知らせてはいない。武はできるだけ夕麿たちを巻き込みたくはなかった。

 現在、武の味方を増やすべく、護院 久方ごいんひさかたが宮中で動いている。護院家は正式に武の後ろ盾に認められ、ほぼ完成した新たな場所へ移転する許可も下りた。あとはセキュリティを含めた雑事の終了を完成として、吉日を選んで転居するだけだ。

 武が母 小夜子さよこの嫁ぎ先で乳部でもある、御園生の家を出る日が来ようとしていた。



 紫霄学院から正式に武に訪問の願いが来たのは、それから数日後だった。同時に行長の所にも復帰要請が届いたらしい。そこで全員が雫と清方が住むマンションに集合した。

 以前のように御園生邸に集まらないのは最近、情報が漏れている気配があったからだ。巧妙に仕掛けられた盗聴器があるのか、誰かを潜り込まされたのか......当主である有人本人が何某かの原因をつくっているのか。本当のところは今はわからない。

 渡米している良岑 貴之よしみねたかゆきがいたならば、何かを調べあげていたかもしれない。そもそも彼がいたならば盗聴器の類いや新たな使用人の状態は把握していたであろう。


「で、紫霄の状態はどうなんだ?」

 内部の情報網は行長も手放していなかった。ただ薫と葵が在校していた時は痛いくもない腹を探られるのが不快で、敢えて最小限の情報を得るにとどめていたのだ。

 武が今、『紫霄は』と問いかけたのは高等部の状態が、中等部や大学部にどう影響しているかも気になっていたからである。

「幸いにも中等部はさほど酷くはない様子です。これは静麿さまが生徒会長を務められていたゆえと思います。

 ですが高等部は生徒数も減り、生徒会執行部不在のために様々なことが停滞状態になっているそうです。元々、学院側が執り行う事柄と生徒会の役目の線引きがハッキリしていたこともあり、どこまで代行するかで教職員間でも意見がわれたそうです」

「執行部がいないからと言って、大したこともできない教職員にも困ったもんだな」

 周がうんざりした声で言う。

「仕方ないとは思います。そもそもは教職員よりも生徒会長の身分が高く、学院内限定でも権限が大きく強いのですから」

 雫が言った。

「だからこそ守られて来た伝統だったはずなのですが」

 ここには元生徒会長がたくさんいる。副会長も複数いるし、全員が執行部経験者だ。武以外の高等部生徒会長経験者は同時に、中等部生徒会の経験者だ。他の者も中等部の執行部経験がある。清方と周に至っては大学部の生徒代表も経験している。

 彼らは皆、紫霄学院で最も歴史のある高等部の伝統を守り、新たなる道をひらいた者たちだった。

 貴之と共に渡米中の御厨 敦紀みくりやあつきも、きっとここにいれば同じように思っていたであろう。

「ここは静麿に骨を折ってもらうしかないだろうな、申し訳がないけれど」

 武にしても紫霄は大切な場所だ。

「わかりました。私から異母弟おとうとに伝えましょう」

 夕麿の言葉に全員が頷いた。当然ながらバックアップは惜しむことなくするつもりである。

 また、下河辺 行長もいくつかの条件を付けて復帰する運びとなり、月耶も紫霄の大学部への編入試験を受ける手筈が整った。

 静麿には静麿の友人がいる。そこへ行長が戻る。内部のことはもっとわかるであろうし、あっては困るが危急の折には知らせてもらえる。月耶も良き先輩になってくれるだろう。

「下河辺、落ち着いたら一学期中に訪問する機会をはかってくれ」

 如何に中等部で生徒会長を務め、執行部も同じ人員を揃えたとしても、一年生が高等部生徒会長に就任する異例の事態を、快く思わない者もいるに違いない。しかしそこで武たちが顔を出しては、静麿の立場がなくなると武は考えているのだろう。

「ありがとうございます」

 夕麿は武の配慮に感謝を口にした。

 そして武は姿を消した薫と葵に想いを馳せるのだった......

 
 行長ではなく静麿本人から訪問を求められたのは、六月に入ってすぐであった。彼ら全員が日程を調節して、離れていた学び舎へと向かった。

「わざわざのお出ましありがとうございます」

 特別許可を得た静麿がゲートの外へ出て来たのを見て、武は夕麿との出会いを思い出した。

「時間が戻ったみたいだ」

 もちろん、夕麿と静麿を混同したりはしない。それでも再びここに戻れて、あの時と同じようなシーンに出会って、武の心は感無量だった。

 もちろん、あの出逢いの場にいたのは武と夕麿だけだ。だがある程度事情がわかっている者は頷き、そうでない者も何となく武の想いのようなものがわかった気がした。

 武と夕麿がここで初めて顔を合わせ、言葉を交わしたのがすべての始まりであった。

御園生 武みそのうたける君ですね』

『あ…はい。御園生 武です』

『ようこそ、紫霄学院高等部へ。高等部生徒会長、六条 夕磨ろくじょうゆうまです』

 今でもあの時の言葉が心に蘇る。右も左もわからずに母親と二人の生活から勲功貴族の養子になり、知る人など一人もいないこの全寮制の学校へ来て、武の心を満たしていたのは恐怖に近い不安だった。

 夕麿がいなかったら......ここにいる皆との今もなかった。

「夕麿、これまでありがとう」

「武?」

「で、これからもよろしくな」

「それは私の言葉ですよ、我が君」

 夕麿も感無量といった面持ちだった。彼にとってはあの時は『春の訪れ』だったのだ。

「ここは私たち皆の始まりの場所。やっと帰って来れたのですね」

 清方が言った。ここに長く閉じ込められていた彼も、愛する人との出逢いや別れ、絶望と明日への希望を抱いた場所だった。

 ここは彼らの人生の出発点であった。様々なことに縛られながらも、ひとり一人が自分の在り方を選んでここから踏み出した。

 そして迎えに出た静麿は彼らのその様な姿を黙ってみつめていた。彼らの想いを受け止めて、自分はどこまで高等部生徒会を立て直せるだろう。身が引き締まる想いだった。



 静麿を先頭にかつて歩き慣れた道を行く。しかしそこは惨憺さんたんたる有り様だった。

 一年以上枝を切り払われていない木々は鬱蒼うっそうと生い茂り、花壇は雑草に覆われ尽くしている。そう、木々の手入れを手配するのは生徒会の仕事のひとつだったのだ。

「......温室は......どうなってる?」

 言葉をなくした彼らの中で、武が唸るように問いかけた。

「私もそれを一番に心配いたしました」

 静麿はあの追悼の日に立ち会った一人だった。

「大学部に進まれた先輩方が足を運ばれて、管理をされていたので以前と変わりません」

「そっか」

 ホッとしたように小さく息を吐いた武を、夕麿がそっと抱き寄せる。

 ふと見上げれば校舎も何となく薄汚れた感じがする。光媒体の塗料を吹き付けてあるので、少々の汚れは雨で流れ落ちて綺麗になるはずなのだが、これは学院都市を包む雰囲気が見せているのかもしれない。

 特別棟校舎に入り、エレベーターで生徒会室のある階へ降り立つ。校舎内の管理は学院側なので、エレベーターも動いているし、中は綺麗に整えられてはいた。

 けれど通過した一般教室の並ぶ校舎に、生徒たちの姿は疎らだった。

 彼らは武たちの姿を見て、ある者は道を開けてこうべを垂れ、ある者は道を開けながらも不思議そうに見つめてきた。

 昨年の新入生の中には、あまり武たちの顔を見知らぬ者もいる様子だった。そこは無理もないだろうと思えた。

「まる一年来てないからな~」

 武が苦笑するがすぐ久留島 成美くるしまなるみが言った。

「確かに武さまのお顔を知らぬ者がいたとしても、静麿さまと夕麿さまがいらっしゃるのです。知らぬでは通らないと思いますが?」

「そうだな。今でも高等部からの編入生はいないのだろう?」

 義勝が周囲を見回して答えた。

「はい、武さま以後はどなたも」

 静麿が伏し目がちに答えた。彼にすればこれが現在の状態なのだと言いたくはない。

「言いたくはありませんが、葵さまは一体、何をされたのでしょう?」

 三日月が眉をひそめて呟いた。
 
「あの方にとって紫霄学院の象徴的存在である、武さまへの腹いせみたいなものだったのかもしれません」

 それまで黙っていた朔耶が天井まで続く大きな窓を見上げて言った。彼の知っていた葵は優しくて思いやりのある人間だった。美しい容姿を自慢するでもなくそっと開く花の様で、武が彼の御印を和蘭の花にしたのも納得ができる。

 『絶世の美形』『傾国の佳人』と言われる雅久まさひさを武たちは桜にたとえるが、彼は秋の紅葉の中でも美しい。どこか『はかなさ』を感じさせる姿は、葵が静かに佇む花であるならば、雅久はその渾名あだな通りの伽具耶比売かぐやひめのような天上人に思える。

 そして、絶対に敵わないと知りながら葵は夕麿に強い敵愾ライバル心を持っていた。そのジレンマに付け込まれたのだろうとも思う。

「薫も葵も必ず取り戻す」

「武さま......」

 武は直接、葵に暴言を吐かれたわけではない。それは夕麿も同じだった。

 葵の辛辣な言葉は主に朔耶に対して出ていた。彼が武の忠臣であり侍医である久我 周くが あまねと恋人同士であったのが関係しているのか、それともある種の甘えや試しだったのか。そのすべてであったのか。

 葵は朔耶の気持ちも、他の皆の気持ちも知ろうとはしていなかった。最終的に求めたのは薫が武よりも上と周囲に認めさせることで、それ以外は皆が武の味方で的と考えてしまった。

「どうにかできなかったのかな......」

 発端が武の車に乗っていての拉致監禁事件によるPTSDゆえに、今でもこの結果を彼は悲しんでいた。

「武さまにはご責任はございません。あの事件にいたしましても、本当にあなたさまを狙ったという確信はとれてはおりません」

 実行犯と彼に暗示をかけていた人間が死亡した今、誰を狙ったのかという真実は闇の中だった。多分......という憶測しかない。

 葵にとって『前例』として存在する夕麿という存在は、良い意味でも悪い意味でも大きな存在であったのだろう。そもそも出自が違うのだから......という事実は逆に働いていたのかもしれなかった。女系とはいえ祖母は廃絶した宮家の最後の一人。その娘である実母は摂関貴族第二位の近衛家の出で、父は摂関第三位の六条家の当主だ。

 庶民の中で隠されて育った武を、皇家の貴種として恥じないように導いたのも夕麿だったからこそだ。

 かつて後任の生徒会長として武が悩んだ以上に、完璧過ぎる夕麿に葵の苦悩が膨らんだとも考えられた。それぞれがおかれた立場も役目も、伴侶の立場も性格も違ったというのに。

 清方の父、久方は言う。武が皇位継承権を失っていても、今上皇帝の直系男子はまぎれもなく武であり、彼こそが蓬莱皇国の月神が認めた正当なる皇子であるのだと。その徴としての『皇家の霊感』の発現があると。武と夕麿以外の全員が、久方の言葉の重みを噛み締めてここにいた。

 もちろん、武にはそんな重みなど感じずにこれまで通りに生きて欲しい。そう祈らずにはいられない。

 しかし近い将来、その様な祈りも届かぬ事態が訪れる可能性があった。武の祖父である今上皇帝はもうほとんど、病床から起き上がることはできない状態だったのだ。崩御は近い......と貴族の中では噂されていた。


「お待ちしておりました」

 生徒会室で扉を開けて出迎えたのは、行長と月耶だった。月耶は五月に紫霄学院大学部に編入ができ、今は大学部の寮ではなく特待生寮に居住している。

 もちろん行長の近くにいたいという彼の願望からだが、表向きは一年生で生徒会長になる静麿の補助をするためになっていた。ゆえにこうして時間があれば足げく通っている。

 中はすっかりテーブルや棚等が入れ替えられていた。まる一年も放置されていたここは、すっかり埃にまみれてどこよりも酷い状態だった。そこで行長は自費を投じて壁紙や床材を含めて、完全なリフォームを施し完成したばかりだった。

「うわっ、リフォームの話は聞いていたけど、綺麗になったな」

 武が目を丸くした。

「できるだけ元に近付けたかったのですが......壁紙は既に廃版になっていて、似たようなものになりました」

 自分たちがいた頃の姿に戻したい。行長の切なる想いだった。ここは全員の大切な場所だったのだから。

「いや、これでいいんじゃないか?なあ、夕麿」

「そうですね。以前よりも室内が明るく華やかになった気がします」

 夕麿の言葉に全員が頷いた。

「それで俺はここに来ただけでいいのか?」

「いえ、午後に講堂に生徒を集めますので、お言葉をいただけないでしょうか」

 静麿の言葉に武がギョッとしたのがわかった。

「武さま、逃げられませんよ」

行長が笑いながら言う。

「う......夕麿の方がむいてないか?」

「私がやってどうするんです。武、あなたがやることに意味があるのですよ」

 夕麿がにっこり笑って言った。武がさらにギョッとして、何人かが上を向いた。彼のこの笑顔は怒ったあかしであり、この場合は容赦がない。

「はい、是非とも紫霞宮殿下のお言葉を賜りたいと思います」

 静麿がたたみかける様に言うと武は唸り声を上げてから答えた。

「あ~もう、兄弟して怖いだろえが!ほんっとにお前らはそんなとこまでそっくりだな!」

 白旗を掲げる様にして両手を軽くあげて、「勘弁してくれ」と呟いた。夕麿と静麿はチラリと視線を交わして苦笑する。本人たちはそこまで似ているとは思ってはいないらしい。

「できれば前以て言ってくれよな~とっさに内容なんか浮かばないんだけど」

 いまだに大勢の前に立つのは苦手で、何かを言えと言われても本当に困る。この辺りは昔も今も変わらない武の性格で、準備をしてようやく体面を保って来たの事実ではあった。

「武、まだ時間はあります」

「うん......夕麿、ありがとう」

「下河辺君、静麿。どこか場所を借りれますか」

 行長が苦笑しながら答えた。

「白鳳会の部屋はリフォームはいたしましたが、現在は使用されておりません」

「そうですね。あちらでしたら誰かが来ることもございませんので、警備的にもよろしいかと」

 静麿も続いて言う。

「ではそうさせてもらいます。

 あ、雫さん。あなたも何かどうですか?」

「は?」

 何かをどうと言われても、雫にはわけがわからない。

「そうだな。俺たちの中で一番古い元生徒会長だ。何か言うべきじゃないか?」

 苦手なことを一人でさせられるのは嫌だとばかりに武がしたり顔で言うのを見て、成瀬 雫なるせ しずくは深々と溜息を吐いてから答えた。

「承知いたしました」

 拒否するのは簡単で、武も夕麿もそれを咎め立てはしないであろう。しかし静麿と行長以外の現生徒会執行部がいる場所では、武と夕麿の面目を潰すようなものだ。

 雫とて決して得意なことではないのだ。

「じゃ、決まり。警護は雫さんは来るとしてあとは?」

「そうですね......千種と逸見、来てくれ。間部あいべは温室の確認を頼む」

「はっ!」

 間部 岳大あいべ たかひろ慈恩院 司じおんいん つかさの代の執行部の一人だった。だから彼が今いる中で一番に温室の状態を心配している。わかっているからこそ雫は彼を温室の確認へ向かわせることにしたのだ。

 結局、学祭のOB会も二年続けて中止になっている。都市にいる誰かに会いに来る人がいる。外にいてもこの時にしか再会できない人もいる。現在では『薔薇の碑』と呼ばれる温室の、司たちの墓に詣でる者もいる。

 それらの理由がなくてもここをひとつの故郷のように想って、楽しみに訪れる者もいる。

 再会を果たして閉じ込められた者の身元引受けになり、共に手を取って去って行った者もいる。

 悲しみも喜びも出会いも別れも、思春期の多感な時期に経験する。心残りや無念さを抱いて卒業して去る者、残されて孤独に染まる者。すべてがこの学院都市という場所に起因している。

 ここはそういう場所なのだ。

 武が望むのは少しでもここに漂う闇を晴らすこと。訪問できなかった時間があけぼのに向かっていたここを、再び闇へ戻らせてしまったように思えた。

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