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落葉
ホールの外では晩秋の名残りのように、色を変えた木々の葉が舞い落ちていた。黄葉も紅葉も地面に降り積もり、鮮やかな絨毯を織り成しながら……ゆっくりと枯れて朽ちていく。やがて風にカサカサと音を立てて舞い、吹き流されて行く。
移ろう季節の儚さは、どこか人間の儚さに通じているかもしれなかった。
夕麿を取り囲む人々こ群れは、雫たちが如何に下がるように告げても、一人引っ込めば次の者が出て来て、収拾がつかなくてなかなか舞台裏から控室への通路に辿り着けずにいた。
「困ったな……すぐそこになかなか行けない」
夕麿のすぐ側に付いて警護する雫と貴之に代わって、成美と康孝が人々に道を開けるように言っているが、彼らには聞く耳はない様子だった。
ぼやく康孝に成美も溜息で返事をする。
本来ならば警護官は必要最低限の会話と無表情で警護する決まりになっている。私語と感情は隙を生じさせる原因になりかねないからだ。
警護対象との信頼関係を築くことは大切だが、馴れ合いは忌避される。
だが雫が率いるチームはこれらのルールを厳格には守ってはいなかった。もちろん、警護の手を抜いたりはしない。それでも本来的な対応を武本人が非常に嫌ったからだ。
元々、身内とも言える彼らに無表情で傍らに付かれるのは、逆に武のストレスになった。これがこうじてかつて、『一人になりたい』と書き残して逃亡したことがある。
まるでロボットのように立つ彼らを見て、寂しく哀しい気持ちになったこともあるらしい。そこは市井で成長した武らしいとも言えた。
対して夕麿は実に堂々としたものである。知らない人間が見たらやはり、皇家の貴種は彼であると思ってしまうだろう。これは本来の育ち方といざとなったら武の身代わりになる覚悟の双方から来ている。
その時だった。雫と貴之のスマホが大音量で鳴り、すぐに切れた。曲は『紫雲英』、夕麿が武のために作曲した曲だった。武からのコールに確実に応えるために、夕麿を含めた全員が彼からの着信音をこれに統一している。
それが鳴ってすぐに切れるというのは、武と雫が決めたSOSだった。通常、雫と貴之のスマホのみに届く。
雫と貴之が視線を絡ませ頷いた。彼ら全員に緊張が走る。
「久留島、ここは頼む!」
「了解しました!」
「緊急事態です!道を開けてください」
貴之が叫んだ。しかし人々は戸惑った様に顔を見合わせている。
「下がりなさい!」
夕麿の声が二人の背後で鋭く響いた。
本当は夕麿が意の一番に駆け付けたかった。だがそれは雫たちの妨げになり、逆に武の危機を増してしまう。逸る心を押しての叫びだった。
さすがに二度目の、しかも夕麿からの声に慌てて道を開けた。
「貴之!」
雫の声に短く応えて二人が駆け出して行く。
今は「どうか間に合ってくれ」と祈るしかない。
駆け付けた雫とたかが見たのは、血塗れで倒れている拓真とソファに寄りかかって肩で息をしている武の姿だった。
いや、正確には武の喉が嫌な音を出していた。
「武さま!」
雫が慌てて抱き起こした。
武は懸命にソファの下を指差している。ソッと武をソファにもたれかかして、その下を探った。すぐにスマホを掴んで出す。録音状態になっている。これが武のとっさの判断であるのは明白だ。
一方、貴之は拓真に駆け寄り、意識はないものの呼吸はしっかりしているのを確認し、すぐにホールに来ているはずの周を呼んだ。
夕麿たちと周はほぼ同時に控室に到着した。
言葉をなくして立ち竦む夕麿を押し退けて周が室内に駆け込んだ。
「武さま、僕の声が聞こえますか?」
周の声に武がちいさく頷いて顔をしかめる。
うまく呼吸できていないのが一目でわかる。急いで鞄の中から滅菌された袋に入った物を取り出す。一つは医療用のゴム手袋だった。
「雫さん。気管挿管します。補助してください」
「わかった」
警部補以上の警察官は解剖学を学んでいるが、雫たち特務室の人間は救急救命の資格も取得している。すべては武のためだった。
しかしこちらが態勢を整えれば整えるほど、あちらのやり方は用意周到で姑息な手を使う。
今日も油断していたわけではない。だが動きが取り難い場所である。特に控室が並ぶこの区画に部外者が入り込むのは不可能に近い。武たちがここにいるのは夕麿の関係者だとわかっているからだ。
つまり、誰かが手引きしなければ入れない場所なのだ。
「あれ?」
到着した成美が室内を見て首をひねった。
「あの、鷺沼さんはどこへ?」
その言葉に全員がいるはずの人間がいないことに気付いた。
知也が手引きしたのだろうか?
否。
彼とて一人の警察官僚である。貴族ではないにしても刑事局長の甥であり、自分の立場に誇りをもっているはずだ。手引きなどすればその後がどうなるのかわからないほど、愚かな選択をするとは思えなかった。
「何がどうなっているのかは、録音の中身を調べればわかる」
武のとっさの機転に頭が下がる。
次に周が薬剤の入った注射器を取り出した。
「それは?」
「保さんたちが今度こそ『九條家の毒』を使うだろうと予想して、解毒薬を用意してくれている」
周の言葉に全員がホッと息を吐く。
「ただ……九條家の毒は時代によって成分が微妙に変わるらしい。基本的な物に何某かの物を加えて、解毒薬が完全には効かないようにする……と聞かされている」
それでもまるで効かないわけでもないらしい。先程、貴之が使用されたらしい小型の注射器を拾っている。分析すれば付け加えられた成分も判明するだろう。
そして……夕麿は入口で今にも倒れそうな状態で、駆け付けた義勝と雅久に支えられて辛うじて立っていた。
幾度も武が狙われ、生命の危険にさらされるのを見て来た。愛する人が傷付けられるのに慣れることなどありえない、何度も起ころうとも。
周は一度、拓真の方へ行き、保に連絡して状況を説明。応急処置をした。
横で見ていた貴之は内心、「これは再起不能かもしれない」と感じていた。それほどに酷い状態だった。
特務室の全員がかなりの手練である。拓真とて決して弱くはない。それが生きているのが不思議なほどの状態なのだ。相手はただ者ではないだろう。
「救急車、到着しました!」
すぐに搬送のためのストレッチャーが運ばれて来て、武と拓真を運んで行く。周が乗り込み、他は車で御在所に向かって走って行く。貴之が指示で緊急移動の連絡を入れたため、緊急灯とサイレンを使用して急ぐ。
同時に御園生邸の小夜子に連絡した。とりあえず彼女だけ来て欲しいと付け加えて。
御在所に併設されている医療施設に搬送された二人は、武は集中治療室へ。拓真は準備を整えて待っていた保に手渡されて手術に入った。
夕麿が遅れて到着した時には既に、武は人工呼吸器に繋がれ、数々の機械が取り付けられた姿で治療台に横たわっていた。一目でかなり良くない状態である……とわかった。
夕麿はただ、周たち医師の妨げにならないように、ガラス越しに祈ることしかできなかった。
音楽祭などに出るのではなかった……と思った。夕麿と武が離れて、当然ながら護衛官も分けられる。そこへ演奏後のあの騒動で、武の警護が手薄になった。もちろん、あの控室が並ぶ区画には、部外者は入れないことにはなっていた。ゆえに本来は安全が確保されていたはずだったのだ。
もちろん、雫の判断に間違いはない。あのような大勢が押し寄せられて触れられれば折角、訓練によって身に着けた自己制御も効果を発揮できずに、あの場でパニックになってしまっただろう。それを防ぐためには取り囲んで壁を作る必要があったのは、夕麿とて重々承知してはいる。
それでも……それでも、と思ってしまう。
このあまりにも理不尽な事態に、自分と愛する人を隔てているガラスを叩き割って、叫びたくなってしまう。
誰か教えて欲しい。武が何をしたと言うのか。今の身分や立場だって彼自身が望んだことは一度もないじゃないか。彼が望んだのは皆に囲まれて、穏やかに過ごす日常だけだった。それの何が悪いというのか。
やり場のない怒りに身を焦がしていると廊下を誰かが、急ぎ足でこちらに向かって来る。振り返れば蒼白になった小夜子だった。
その横を白衣の男が「失礼します」と囁いて、治療室のドアを開けて入って行く。
小夜子と顔を見合わせてから、ガラスの向こうに視線を移した。
周がその男から紙を受け取り目を走らせる……が、言葉を失った様に茫然とした次の瞬間、首に掛けていた聴診器をむしり取って床に叩き付けた。
保の手術に手を取られているため義勝が入っていたが、周のこの様子に慌てて駆け寄り男が持って来た紙をのぞき込んだ。
言葉を失った様に後退り、横たわる武を見る。その表情は絶望に歪んでいた。次に彼はガラスの向こうにいる夕麿と小夜子を見つめ、ドアに駆け寄って二人を招き入れた。
二人はただちに武に駆け寄ったが、既に意識がない。
「何があったのですか?」
小夜子が声を震わせて言った。周が自分が駆け付けた時の様子を語り、今一度手にした紙を見た。静かに目蓋を閉じ、覚悟を決めた様に目を開けて告げた。
「主成分である毒は用意されていた薬剤で中和されました……しかし……」
表情も声も苦痛に満ちていた。
「付け加えられた成分には、解毒剤は存在していません」
「どういうことではですか、周さん」
夕麿の声も震えていた。
「蓬莱山の麓に月下百合という植物が自生している」
『蓬莱山』というのは、日本にとっての『富士山』の様な存在で、かつて『月三貴神』が天下って国を造ったという神話がある。小さな火山島で現在は上陸禁止になっていた。山が未だに活発に活動している火山というのもあるが、その麓に自生する蓬莱皇国の固有種である『月下百合』が猛毒の植物でもあったからだ。
百合という名前が付けられてはいるが、花が百合に似ているだけでユリ科の植物ではない。花以外の姿は百合とは似ても似つかない。しかし、群生して開花する様は妖しくも美しいと言われる。特に月光下では淡く光を帯びるとも言われ、誘われるように群生に踏み入って手に取り、猛毒に冒されて中毒を起こす者が後を絶たなかった。ゆえに上陸禁止になったのだ。
月下百合は蓬莱山の噴火で度々、溶岩流や火山灰に埋まって絶滅しかけた。しかし片隅に生き残って、猛烈な勢いで島を覆うほどにまで復活する。この繁殖力も脅威で、島外で育てることも禁止されている。うっかりすれば皇国の大地を覆い尽くしてしまう可能性があった。
お陰で毒性の研究も進まず、成分の分析はできてはいるが、中和は未だに方法が発見されていない。
中毒症状は呼吸困難、麻痺を伴う全身痛……と報告されている。しかも徐々に進行することで知られている。それ故に本人も周囲も傷付かないうちに、症状が悪化してしまう。
ただ、武の場合は雫たちが駆け付けた時には既に症状が出ており、主成分である『九條家の毒』との相乗効果だと考えられた。
俗に『九條の毒』と呼ばれる物の症状は、成分の配合によりはするが、嘔吐、痙攣等が伝わっている。この毒が使用されたのは百年ぶりらしい。慈園院家に多々使用されたこの毒の記録が残っていたため、この様な場合に備えての解毒剤が用意されてはいた。そして九條家もこちらに慈園院家がいるのを知っているからこそ、『月下百合』を混ぜたのだとも考えられた。
……もう打つ手はない。
この事実が周を、義勝を絶望させた。今の武は人工呼吸器によって辛うじて生きているだけだ。それもどれだけ保つかもわからない。もう見守ることしかできないのだ。自分たちの主が息絶えるその時を。
周と義勝の説明に夕麿も小夜子も声も出せなかった。
本当は『何とかしろ』と縋りたかったが、周が手を尽くしたことはわかっている。ここで彼を責めても何も変わらない。
「武……武、目を開けてください……お願いです」
奇跡が起こって欲しい。彼を奪わないで欲しい。手を握り祈る。
武はこれまで幾度も危機を乗り越えて来た。だから今度も……
使用されたのが恐ろしい毒であるのは理解している。周の絶望した姿もたった今見た。
それでも……それでも……
成美がハンドルを握った車は、雫と貴之を乗せて帝都旧市街の西を目指して走っていた。
武がスマホに録音された音声を全員で聴いている時に、貴之に知也からメールが入った。何事かが自分の身に起こった場合、自動的に送られるようになっていたらしい。
そこには自分の居場所をGPSで調べて欲しいとあった。恐らくはそこに葵が囚われているだろうとも。
襲撃者たちが立ち去る時に、意識のない知也を拉致したらしいのは、彼らのやり取りから聞き取れる。
一刻を争う状況と判断した雫が、二人の救出を決意した。
武ならばそう望むと誰もが思えるからだ。緊急帰宅した久方もこれに同意した。
ハンドルを成美に任せて、後部座席にいる雫はオートマチック銃をチェックしている。貴之は二振りの日本刀を膝の上に置いて、しっかりと握り締めていた。
車内の彼らの胸を占めるのは『強い怒り』以外にない。知也を連れ去った者たちは、同時に拓真を重体に陥らせるほどの傷を負わせ、彼らの唯一無二たる主に猛毒を与えたのだ。
これはどちらかと言うと救出作戦ではなく、『報復』のための殴り込みだ。もちろん、葵の救出は最重要ではある。けれど雫は複数の拳銃を用意し、銃弾もたっぷり用意している。貴之に至っては現代刀とはいえ、日本刀を二振りも手にしている。
自分たちが後でどの様な罪に問われようとも、これまで以上に今回は許すことなどできなかった。
否。
これまでだって一度として理不尽な彼らの行為は我慢ならなかった。だが決定的な黒幕を引きずり出す証拠も、チャンスもなかったのだ。
帰国してから貴之は、武の願いを受けて夕麿の警護を続けて来た。その裏で九條家の暗躍……強いては近徽殿の御息所、九條 嵐子の関わりをずっと調べていたのだ。
一つ間違えば生命すら危険に晒されるのは、実父が自分を庇って狙撃された現実からも身に沁みてわかっている。
それでも何の罪科もない武が狙われ続けるのは、理不尽を通り越して無茶苦茶だとさえ思って来た。ゆえに決死の覚悟といざという時に個人の暴走として処理されるように、特務室の皆や武たちにまで害が及ばないように配慮して来た。
あともう少しで……と手応えを感じ始めたこのタイミングで、彼らはこの凶行に出た。
同時に知也が秘密裏に薫と葵の行方を追っていたのが判明することとなった。彼は彼なりに姿を消してしまった二人を心配していたのだろう。
貴之が九條家の調査に手を取られ、特務室自体が人手不足のために武と夕麿の警護を優先しなければならない状況では、二人の行方を追うことは不可能に近かった。
彼を一方的に責めるのは間違っているかもしれない。それでも録音から知也が何某かの動きをして、暗殺者たちが控室に踏み込んだのがわかった。
「貴之、GPSの発信は続いているか?」
「続いてます。多分、知也さんは飲み込んだのでは……と思います」
知也が持ち出したのは武に埋め込む用の小型の物だ。このGPSは本来は鳥類などの調査に用いる物で、小型軽量な上にバッテリーの寿命が長いのが特徴だった。
一年半から二年で武に埋め込まれたものは取り替えることになっていて、それぞれに識別コードが付いている。知也はこれを同時に貴之に知らせて来ていた。
彼がどの段階で飲み込んだのかはわからない。ただ、武のスマホの録音には彼がそこにいる気配がなかった。ゆえに暗殺者たちを控室に入れる行動の前に、とっさの判断で飲み込んだとも考えられる……が、最初から何某かが起こるのを確信していて、ホールで警護に就いた時にはGPSは彼の体内にあったのかもしれない。
GPSはずっと一点に留まり続けており、調べるまでもなくそこは九條家が所有する屋敷の一つであった。
「久留島、車をいつでも出せる様、ここで待機していてくれ」
「了解です」
自分が行っても足手まといになるのを成美は自覚している。おそらくは中には拓真を瀕死にした男もいる。対抗できるのは貴之だけだろう。
「久留島、一時間が経過しても俺と貴之が戻って来なかったら、ここから移動して刑事局長に連絡してくれ」
「……わかりました」
この二人ならば大丈夫だと確信はしている。しかし100%はないのが世の中の常である。
「行くぞ」
ドアを開けて雫が低く言った。
「はっ」
高湯も低く短く答え反対側のドアを開ける。
車外に降り立った二人は、ゆっくりと屋敷の門の前に立った。
木製の門は固く閉ざされていた。見上げると監視カメラがこちらを向いている。
雫は手持ちの銃をそれに向けて、笑顔を向けたままで引き金を引いた。自動拳銃が唸りを上げる。至近距離であることもあって、カメラは簡単に粉砕された。
次いで貴之が立ち居合で、門の反対側に渡されている閂を切り落とした。わずか数ミリの隙間へブレることなく刀身を入れて見せたのだ。伊達に皇国一の武道家で居続けているわけではない。
閂が無効になった門戸を雫が蹴り開けた。
「何だ⁉お前たちは!?」
ここの警備らしい男が数人、ワラワラと集まって来て立ち塞がる。
「何だと思う?」
雫はそう応えて喉で笑った。傍らに立つ貴之も抜き身の刀を手に、彼らに不敵な笑みを向けている。
抜き身の真剣を手にする人間に遭遇することは、日常生活では皆無とも言える。ここにいる男たちが警備員だとしても、九條家所有の屋敷に乗り込んで来る者はこれまでなかったはずだ。
カチリと貴之が刀を手の中で持ち替える。目の前の者たちを峰打ちで片付けるつもりらしい。刃の方で斬るとすぐに刀は使い物にならなくなる。まずは人の血液と脂で滑る。持っている手も滑るが、刀身も滑って斬り難くなる。しかも斬った時の衝撃で刀身が歪んでいく。肉を斬り、骨を断てば刃こぼれもする。よく斬れて十人前後で、貴之は二振りの刀を用意しているから、軽く見積もっても二十人がいいところだろう。
この屋敷にどれだけの人間がいるのかわからない。もちろん、貴之ならば素手でも十分に闘える。その辺にある物を利用して武器にすることも可能だ。その彼があえて刀を手にしているのは、唯一無二であると忠誠を誓った主を、意味もなく傷付けられたことへの激怒の証だった。
「ふざけやがって!!」
気の短い向こう見ずが飛びかかって来た。すかさず雫の銃が轟音を上げ、男は悲鳴を上げて地面に足を抱えて転がった。
「室長、銃弾の無駄遣いはやめてください」
刀を軽く抱えたままで貴之が溜息吐く。
「なあに、二百発は用意してる。一人二発撃ち込んでもさすがに百人はいないだろうから」
涼し気に言ってのける。手にした銃から放たれた弾が外れるなどあり得ないと言っているようなものだ。
「まあ、接近戦はお前に任せるよ」
銃を両手に握ったまま、まるで散歩のでも来たような軽さで言う。雫も怒りの沸点を通り過ぎて、逆に酷く冷静に冷酷になっていた。
「行きましょう」
まるで目の前の男たちが存在していないかのように言って、貴之は滑るように踏み出した……次の瞬間、貴之目掛けて一斉に襲い掛かった男たちは呻きながら地面に這い蹲っていた。
峰打ちを侮ってはいけない。刀鍛冶が繰り返して熱を入れて打った刀は、しなやかだが硬い。達人の手で身体に撃ち込まれれば、骨等は簡単に折れて砕ける。打つ場所によっては再起不能にすらできる。
この一瞬の光景に後方にいた男たちは恐怖のあまりにサッと道を開けた。
「いつからモーセになったんだ?」
「モーセは刀を振り回さないと思いますが?」
軽口を叩きながら開け放たれた玄関から建物内に靴のまま上がり込む。これは一つには床に凶器を撒かれる可能性があるからだ。第一、敵城に乗り込むのにいちいち靴を脱ぐ者はいない。
二人は廊下から襖で仕切られた和室へ入った。もっと警備する者たちが襲撃して来ると思っていたが、意外とスムーズに前進して行く。銃を手にした雫が次々と襖を開放し、刀を構えた貴之が入る。だが驚くほど誰もいない。
しかし、強い殺気が奥から感じられる。貴之も雫も肌がピリピリとするのを感じていた。これはおそらく、逸見 拓真を瀕死にした人間がいるのだろう。
もしかしたら門前のカメラに映った貴之を見知っている人物がいたのかもしれない。相手は皇国一の武闘家として知られる貴之と一対一でやりたいのかもしれない。
「室長、多分……こいつには手加減はできません」
今面している襖の向こうに『奴』いる。『手加減』などという手抜きでは対峙できはしない。本気で闘えば勝つ自信はある。貴之は静かに刀を床に置いた。
この向こうには奴しかいない。
ゆっくりと息を吸い込み、気合と共に一気に吐き出した。
雫が頷いて襖に手をかけ、一気に開け放った。
大柄な白人の男が全身から炎ような殺気を放って立っていた。
移ろう季節の儚さは、どこか人間の儚さに通じているかもしれなかった。
夕麿を取り囲む人々こ群れは、雫たちが如何に下がるように告げても、一人引っ込めば次の者が出て来て、収拾がつかなくてなかなか舞台裏から控室への通路に辿り着けずにいた。
「困ったな……すぐそこになかなか行けない」
夕麿のすぐ側に付いて警護する雫と貴之に代わって、成美と康孝が人々に道を開けるように言っているが、彼らには聞く耳はない様子だった。
ぼやく康孝に成美も溜息で返事をする。
本来ならば警護官は必要最低限の会話と無表情で警護する決まりになっている。私語と感情は隙を生じさせる原因になりかねないからだ。
警護対象との信頼関係を築くことは大切だが、馴れ合いは忌避される。
だが雫が率いるチームはこれらのルールを厳格には守ってはいなかった。もちろん、警護の手を抜いたりはしない。それでも本来的な対応を武本人が非常に嫌ったからだ。
元々、身内とも言える彼らに無表情で傍らに付かれるのは、逆に武のストレスになった。これがこうじてかつて、『一人になりたい』と書き残して逃亡したことがある。
まるでロボットのように立つ彼らを見て、寂しく哀しい気持ちになったこともあるらしい。そこは市井で成長した武らしいとも言えた。
対して夕麿は実に堂々としたものである。知らない人間が見たらやはり、皇家の貴種は彼であると思ってしまうだろう。これは本来の育ち方といざとなったら武の身代わりになる覚悟の双方から来ている。
その時だった。雫と貴之のスマホが大音量で鳴り、すぐに切れた。曲は『紫雲英』、夕麿が武のために作曲した曲だった。武からのコールに確実に応えるために、夕麿を含めた全員が彼からの着信音をこれに統一している。
それが鳴ってすぐに切れるというのは、武と雫が決めたSOSだった。通常、雫と貴之のスマホのみに届く。
雫と貴之が視線を絡ませ頷いた。彼ら全員に緊張が走る。
「久留島、ここは頼む!」
「了解しました!」
「緊急事態です!道を開けてください」
貴之が叫んだ。しかし人々は戸惑った様に顔を見合わせている。
「下がりなさい!」
夕麿の声が二人の背後で鋭く響いた。
本当は夕麿が意の一番に駆け付けたかった。だがそれは雫たちの妨げになり、逆に武の危機を増してしまう。逸る心を押しての叫びだった。
さすがに二度目の、しかも夕麿からの声に慌てて道を開けた。
「貴之!」
雫の声に短く応えて二人が駆け出して行く。
今は「どうか間に合ってくれ」と祈るしかない。
駆け付けた雫とたかが見たのは、血塗れで倒れている拓真とソファに寄りかかって肩で息をしている武の姿だった。
いや、正確には武の喉が嫌な音を出していた。
「武さま!」
雫が慌てて抱き起こした。
武は懸命にソファの下を指差している。ソッと武をソファにもたれかかして、その下を探った。すぐにスマホを掴んで出す。録音状態になっている。これが武のとっさの判断であるのは明白だ。
一方、貴之は拓真に駆け寄り、意識はないものの呼吸はしっかりしているのを確認し、すぐにホールに来ているはずの周を呼んだ。
夕麿たちと周はほぼ同時に控室に到着した。
言葉をなくして立ち竦む夕麿を押し退けて周が室内に駆け込んだ。
「武さま、僕の声が聞こえますか?」
周の声に武がちいさく頷いて顔をしかめる。
うまく呼吸できていないのが一目でわかる。急いで鞄の中から滅菌された袋に入った物を取り出す。一つは医療用のゴム手袋だった。
「雫さん。気管挿管します。補助してください」
「わかった」
警部補以上の警察官は解剖学を学んでいるが、雫たち特務室の人間は救急救命の資格も取得している。すべては武のためだった。
しかしこちらが態勢を整えれば整えるほど、あちらのやり方は用意周到で姑息な手を使う。
今日も油断していたわけではない。だが動きが取り難い場所である。特に控室が並ぶこの区画に部外者が入り込むのは不可能に近い。武たちがここにいるのは夕麿の関係者だとわかっているからだ。
つまり、誰かが手引きしなければ入れない場所なのだ。
「あれ?」
到着した成美が室内を見て首をひねった。
「あの、鷺沼さんはどこへ?」
その言葉に全員がいるはずの人間がいないことに気付いた。
知也が手引きしたのだろうか?
否。
彼とて一人の警察官僚である。貴族ではないにしても刑事局長の甥であり、自分の立場に誇りをもっているはずだ。手引きなどすればその後がどうなるのかわからないほど、愚かな選択をするとは思えなかった。
「何がどうなっているのかは、録音の中身を調べればわかる」
武のとっさの機転に頭が下がる。
次に周が薬剤の入った注射器を取り出した。
「それは?」
「保さんたちが今度こそ『九條家の毒』を使うだろうと予想して、解毒薬を用意してくれている」
周の言葉に全員がホッと息を吐く。
「ただ……九條家の毒は時代によって成分が微妙に変わるらしい。基本的な物に何某かの物を加えて、解毒薬が完全には効かないようにする……と聞かされている」
それでもまるで効かないわけでもないらしい。先程、貴之が使用されたらしい小型の注射器を拾っている。分析すれば付け加えられた成分も判明するだろう。
そして……夕麿は入口で今にも倒れそうな状態で、駆け付けた義勝と雅久に支えられて辛うじて立っていた。
幾度も武が狙われ、生命の危険にさらされるのを見て来た。愛する人が傷付けられるのに慣れることなどありえない、何度も起ころうとも。
周は一度、拓真の方へ行き、保に連絡して状況を説明。応急処置をした。
横で見ていた貴之は内心、「これは再起不能かもしれない」と感じていた。それほどに酷い状態だった。
特務室の全員がかなりの手練である。拓真とて決して弱くはない。それが生きているのが不思議なほどの状態なのだ。相手はただ者ではないだろう。
「救急車、到着しました!」
すぐに搬送のためのストレッチャーが運ばれて来て、武と拓真を運んで行く。周が乗り込み、他は車で御在所に向かって走って行く。貴之が指示で緊急移動の連絡を入れたため、緊急灯とサイレンを使用して急ぐ。
同時に御園生邸の小夜子に連絡した。とりあえず彼女だけ来て欲しいと付け加えて。
御在所に併設されている医療施設に搬送された二人は、武は集中治療室へ。拓真は準備を整えて待っていた保に手渡されて手術に入った。
夕麿が遅れて到着した時には既に、武は人工呼吸器に繋がれ、数々の機械が取り付けられた姿で治療台に横たわっていた。一目でかなり良くない状態である……とわかった。
夕麿はただ、周たち医師の妨げにならないように、ガラス越しに祈ることしかできなかった。
音楽祭などに出るのではなかった……と思った。夕麿と武が離れて、当然ながら護衛官も分けられる。そこへ演奏後のあの騒動で、武の警護が手薄になった。もちろん、あの控室が並ぶ区画には、部外者は入れないことにはなっていた。ゆえに本来は安全が確保されていたはずだったのだ。
もちろん、雫の判断に間違いはない。あのような大勢が押し寄せられて触れられれば折角、訓練によって身に着けた自己制御も効果を発揮できずに、あの場でパニックになってしまっただろう。それを防ぐためには取り囲んで壁を作る必要があったのは、夕麿とて重々承知してはいる。
それでも……それでも、と思ってしまう。
このあまりにも理不尽な事態に、自分と愛する人を隔てているガラスを叩き割って、叫びたくなってしまう。
誰か教えて欲しい。武が何をしたと言うのか。今の身分や立場だって彼自身が望んだことは一度もないじゃないか。彼が望んだのは皆に囲まれて、穏やかに過ごす日常だけだった。それの何が悪いというのか。
やり場のない怒りに身を焦がしていると廊下を誰かが、急ぎ足でこちらに向かって来る。振り返れば蒼白になった小夜子だった。
その横を白衣の男が「失礼します」と囁いて、治療室のドアを開けて入って行く。
小夜子と顔を見合わせてから、ガラスの向こうに視線を移した。
周がその男から紙を受け取り目を走らせる……が、言葉を失った様に茫然とした次の瞬間、首に掛けていた聴診器をむしり取って床に叩き付けた。
保の手術に手を取られているため義勝が入っていたが、周のこの様子に慌てて駆け寄り男が持って来た紙をのぞき込んだ。
言葉を失った様に後退り、横たわる武を見る。その表情は絶望に歪んでいた。次に彼はガラスの向こうにいる夕麿と小夜子を見つめ、ドアに駆け寄って二人を招き入れた。
二人はただちに武に駆け寄ったが、既に意識がない。
「何があったのですか?」
小夜子が声を震わせて言った。周が自分が駆け付けた時の様子を語り、今一度手にした紙を見た。静かに目蓋を閉じ、覚悟を決めた様に目を開けて告げた。
「主成分である毒は用意されていた薬剤で中和されました……しかし……」
表情も声も苦痛に満ちていた。
「付け加えられた成分には、解毒剤は存在していません」
「どういうことではですか、周さん」
夕麿の声も震えていた。
「蓬莱山の麓に月下百合という植物が自生している」
『蓬莱山』というのは、日本にとっての『富士山』の様な存在で、かつて『月三貴神』が天下って国を造ったという神話がある。小さな火山島で現在は上陸禁止になっていた。山が未だに活発に活動している火山というのもあるが、その麓に自生する蓬莱皇国の固有種である『月下百合』が猛毒の植物でもあったからだ。
百合という名前が付けられてはいるが、花が百合に似ているだけでユリ科の植物ではない。花以外の姿は百合とは似ても似つかない。しかし、群生して開花する様は妖しくも美しいと言われる。特に月光下では淡く光を帯びるとも言われ、誘われるように群生に踏み入って手に取り、猛毒に冒されて中毒を起こす者が後を絶たなかった。ゆえに上陸禁止になったのだ。
月下百合は蓬莱山の噴火で度々、溶岩流や火山灰に埋まって絶滅しかけた。しかし片隅に生き残って、猛烈な勢いで島を覆うほどにまで復活する。この繁殖力も脅威で、島外で育てることも禁止されている。うっかりすれば皇国の大地を覆い尽くしてしまう可能性があった。
お陰で毒性の研究も進まず、成分の分析はできてはいるが、中和は未だに方法が発見されていない。
中毒症状は呼吸困難、麻痺を伴う全身痛……と報告されている。しかも徐々に進行することで知られている。それ故に本人も周囲も傷付かないうちに、症状が悪化してしまう。
ただ、武の場合は雫たちが駆け付けた時には既に症状が出ており、主成分である『九條家の毒』との相乗効果だと考えられた。
俗に『九條の毒』と呼ばれる物の症状は、成分の配合によりはするが、嘔吐、痙攣等が伝わっている。この毒が使用されたのは百年ぶりらしい。慈園院家に多々使用されたこの毒の記録が残っていたため、この様な場合に備えての解毒剤が用意されてはいた。そして九條家もこちらに慈園院家がいるのを知っているからこそ、『月下百合』を混ぜたのだとも考えられた。
……もう打つ手はない。
この事実が周を、義勝を絶望させた。今の武は人工呼吸器によって辛うじて生きているだけだ。それもどれだけ保つかもわからない。もう見守ることしかできないのだ。自分たちの主が息絶えるその時を。
周と義勝の説明に夕麿も小夜子も声も出せなかった。
本当は『何とかしろ』と縋りたかったが、周が手を尽くしたことはわかっている。ここで彼を責めても何も変わらない。
「武……武、目を開けてください……お願いです」
奇跡が起こって欲しい。彼を奪わないで欲しい。手を握り祈る。
武はこれまで幾度も危機を乗り越えて来た。だから今度も……
使用されたのが恐ろしい毒であるのは理解している。周の絶望した姿もたった今見た。
それでも……それでも……
成美がハンドルを握った車は、雫と貴之を乗せて帝都旧市街の西を目指して走っていた。
武がスマホに録音された音声を全員で聴いている時に、貴之に知也からメールが入った。何事かが自分の身に起こった場合、自動的に送られるようになっていたらしい。
そこには自分の居場所をGPSで調べて欲しいとあった。恐らくはそこに葵が囚われているだろうとも。
襲撃者たちが立ち去る時に、意識のない知也を拉致したらしいのは、彼らのやり取りから聞き取れる。
一刻を争う状況と判断した雫が、二人の救出を決意した。
武ならばそう望むと誰もが思えるからだ。緊急帰宅した久方もこれに同意した。
ハンドルを成美に任せて、後部座席にいる雫はオートマチック銃をチェックしている。貴之は二振りの日本刀を膝の上に置いて、しっかりと握り締めていた。
車内の彼らの胸を占めるのは『強い怒り』以外にない。知也を連れ去った者たちは、同時に拓真を重体に陥らせるほどの傷を負わせ、彼らの唯一無二たる主に猛毒を与えたのだ。
これはどちらかと言うと救出作戦ではなく、『報復』のための殴り込みだ。もちろん、葵の救出は最重要ではある。けれど雫は複数の拳銃を用意し、銃弾もたっぷり用意している。貴之に至っては現代刀とはいえ、日本刀を二振りも手にしている。
自分たちが後でどの様な罪に問われようとも、これまで以上に今回は許すことなどできなかった。
否。
これまでだって一度として理不尽な彼らの行為は我慢ならなかった。だが決定的な黒幕を引きずり出す証拠も、チャンスもなかったのだ。
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一つ間違えば生命すら危険に晒されるのは、実父が自分を庇って狙撃された現実からも身に沁みてわかっている。
それでも何の罪科もない武が狙われ続けるのは、理不尽を通り越して無茶苦茶だとさえ思って来た。ゆえに決死の覚悟といざという時に個人の暴走として処理されるように、特務室の皆や武たちにまで害が及ばないように配慮して来た。
あともう少しで……と手応えを感じ始めたこのタイミングで、彼らはこの凶行に出た。
同時に知也が秘密裏に薫と葵の行方を追っていたのが判明することとなった。彼は彼なりに姿を消してしまった二人を心配していたのだろう。
貴之が九條家の調査に手を取られ、特務室自体が人手不足のために武と夕麿の警護を優先しなければならない状況では、二人の行方を追うことは不可能に近かった。
彼を一方的に責めるのは間違っているかもしれない。それでも録音から知也が何某かの動きをして、暗殺者たちが控室に踏み込んだのがわかった。
「貴之、GPSの発信は続いているか?」
「続いてます。多分、知也さんは飲み込んだのでは……と思います」
知也が持ち出したのは武に埋め込む用の小型の物だ。このGPSは本来は鳥類などの調査に用いる物で、小型軽量な上にバッテリーの寿命が長いのが特徴だった。
一年半から二年で武に埋め込まれたものは取り替えることになっていて、それぞれに識別コードが付いている。知也はこれを同時に貴之に知らせて来ていた。
彼がどの段階で飲み込んだのかはわからない。ただ、武のスマホの録音には彼がそこにいる気配がなかった。ゆえに暗殺者たちを控室に入れる行動の前に、とっさの判断で飲み込んだとも考えられる……が、最初から何某かが起こるのを確信していて、ホールで警護に就いた時にはGPSは彼の体内にあったのかもしれない。
GPSはずっと一点に留まり続けており、調べるまでもなくそこは九條家が所有する屋敷の一つであった。
「久留島、車をいつでも出せる様、ここで待機していてくれ」
「了解です」
自分が行っても足手まといになるのを成美は自覚している。おそらくは中には拓真を瀕死にした男もいる。対抗できるのは貴之だけだろう。
「久留島、一時間が経過しても俺と貴之が戻って来なかったら、ここから移動して刑事局長に連絡してくれ」
「……わかりました」
この二人ならば大丈夫だと確信はしている。しかし100%はないのが世の中の常である。
「行くぞ」
ドアを開けて雫が低く言った。
「はっ」
高湯も低く短く答え反対側のドアを開ける。
車外に降り立った二人は、ゆっくりと屋敷の門の前に立った。
木製の門は固く閉ざされていた。見上げると監視カメラがこちらを向いている。
雫は手持ちの銃をそれに向けて、笑顔を向けたままで引き金を引いた。自動拳銃が唸りを上げる。至近距離であることもあって、カメラは簡単に粉砕された。
次いで貴之が立ち居合で、門の反対側に渡されている閂を切り落とした。わずか数ミリの隙間へブレることなく刀身を入れて見せたのだ。伊達に皇国一の武道家で居続けているわけではない。
閂が無効になった門戸を雫が蹴り開けた。
「何だ⁉お前たちは!?」
ここの警備らしい男が数人、ワラワラと集まって来て立ち塞がる。
「何だと思う?」
雫はそう応えて喉で笑った。傍らに立つ貴之も抜き身の刀を手に、彼らに不敵な笑みを向けている。
抜き身の真剣を手にする人間に遭遇することは、日常生活では皆無とも言える。ここにいる男たちが警備員だとしても、九條家所有の屋敷に乗り込んで来る者はこれまでなかったはずだ。
カチリと貴之が刀を手の中で持ち替える。目の前の者たちを峰打ちで片付けるつもりらしい。刃の方で斬るとすぐに刀は使い物にならなくなる。まずは人の血液と脂で滑る。持っている手も滑るが、刀身も滑って斬り難くなる。しかも斬った時の衝撃で刀身が歪んでいく。肉を斬り、骨を断てば刃こぼれもする。よく斬れて十人前後で、貴之は二振りの刀を用意しているから、軽く見積もっても二十人がいいところだろう。
この屋敷にどれだけの人間がいるのかわからない。もちろん、貴之ならば素手でも十分に闘える。その辺にある物を利用して武器にすることも可能だ。その彼があえて刀を手にしているのは、唯一無二であると忠誠を誓った主を、意味もなく傷付けられたことへの激怒の証だった。
「ふざけやがって!!」
気の短い向こう見ずが飛びかかって来た。すかさず雫の銃が轟音を上げ、男は悲鳴を上げて地面に足を抱えて転がった。
「室長、銃弾の無駄遣いはやめてください」
刀を軽く抱えたままで貴之が溜息吐く。
「なあに、二百発は用意してる。一人二発撃ち込んでもさすがに百人はいないだろうから」
涼し気に言ってのける。手にした銃から放たれた弾が外れるなどあり得ないと言っているようなものだ。
「まあ、接近戦はお前に任せるよ」
銃を両手に握ったまま、まるで散歩のでも来たような軽さで言う。雫も怒りの沸点を通り過ぎて、逆に酷く冷静に冷酷になっていた。
「行きましょう」
まるで目の前の男たちが存在していないかのように言って、貴之は滑るように踏み出した……次の瞬間、貴之目掛けて一斉に襲い掛かった男たちは呻きながら地面に這い蹲っていた。
峰打ちを侮ってはいけない。刀鍛冶が繰り返して熱を入れて打った刀は、しなやかだが硬い。達人の手で身体に撃ち込まれれば、骨等は簡単に折れて砕ける。打つ場所によっては再起不能にすらできる。
この一瞬の光景に後方にいた男たちは恐怖のあまりにサッと道を開けた。
「いつからモーセになったんだ?」
「モーセは刀を振り回さないと思いますが?」
軽口を叩きながら開け放たれた玄関から建物内に靴のまま上がり込む。これは一つには床に凶器を撒かれる可能性があるからだ。第一、敵城に乗り込むのにいちいち靴を脱ぐ者はいない。
二人は廊下から襖で仕切られた和室へ入った。もっと警備する者たちが襲撃して来ると思っていたが、意外とスムーズに前進して行く。銃を手にした雫が次々と襖を開放し、刀を構えた貴之が入る。だが驚くほど誰もいない。
しかし、強い殺気が奥から感じられる。貴之も雫も肌がピリピリとするのを感じていた。これはおそらく、逸見 拓真を瀕死にした人間がいるのだろう。
もしかしたら門前のカメラに映った貴之を見知っている人物がいたのかもしれない。相手は皇国一の武闘家として知られる貴之と一対一でやりたいのかもしれない。
「室長、多分……こいつには手加減はできません」
今面している襖の向こうに『奴』いる。『手加減』などという手抜きでは対峙できはしない。本気で闘えば勝つ自信はある。貴之は静かに刀を床に置いた。
この向こうには奴しかいない。
ゆっくりと息を吸い込み、気合と共に一気に吐き出した。
雫が頷いて襖に手をかけ、一気に開け放った。
大柄な白人の男が全身から炎ような殺気を放って立っていた。
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