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黄泉の神の条件
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十一月も終わり、十二月に入った。街はクリスマスの飾りつけで溢れ、夜になると美しいイルミネーションで煌びやかに輝いている。
帝都を覆った火山灰も今は綺麗に片付けられて、路地裏の小さな隙間でも覗かなければわからない。呼吸器官を痛めた人の治療はまだ行われてはいるが、よほど長時間野外にいて大量に吸い込んだのではない限り、大気中の微細な灰が消えて空気が元に戻ったことで回復に向かっている。
そして武の身体からも徐々に毒の影響が弱まりつつあった。人工呼吸器が外されマスクで酸素吸入は継続されてはいるものの、自分で呼吸ができるまでに回復した。全身の痛みも『激痛』から『強い痛み』にまでわずかな差ではあるが和らいでいた。
毒の後遺症で声が幾分かすれて大きな声を発せなくなっており長く話すことは今は難しいが、これも時間の経過と共に緩和されていくだろう。
あれほど取り付けられていた医療機器も今は点滴と酸素飽和度を計測機械のみ。
人工呼吸器に繋がれていた時には口からの栄養摂取はできず、鼻から胃へ通されたチューブで栄養剤を注入するのと点滴で賄っていた。現在は流動食から粥へと移行しつつある。
月下百合のの毒の一番に厄介なところは毒性が強過ぎて、血清をつくるのがほぼ不可能な特性にあった。青酸性の毒物よりも致死量が低いのだ。どの様に薄めても媒介になるものがダメになる。なので中央島は謂わば『禁足地』になっている。もっとも噴火が一応はおさまったとはいえ、そこここに溶岩が燻り高温を発している状態で踏み込める者はいないであろう。
十二月に入ってすぐ、貴之の病室に再びいつもの顔が集められた。
「周、武さまの状態は?」
唐突に雫が尋ねた。
「酸素マスクを鼻からに変えたばかりだ。まだ酸素飽和度が不安定なんだ」
「ふむ……」
「室長、何事かあったのですか?」
貴之もようやく身を起こせるまでにはなっていた。
「今朝、久方さまから今上のお言葉をいただいた」
「今上は何と?」
そう問いかけたのは朔耶だ。
「新年参賀に武さまを含めた我々の出席を、と」
「え……」
元々新年のどこかに武との対面を皇帝は望んではいた。しかしそれはあくまでも人払いをした上での秘密裏の対面と武本人も含めて考えていたのだ。
国政を行う大臣たちも列席する新年の宮中参賀に武が呼ばれるということは、そのまま『紫霞宮』を公にするという意味を持つことになる。
そう、武が今は望むはずのないものだ。むしろ皇籍離脱したいはずであるのだから。
「可能か?」
雫の言葉に周は考え込んだ。
「かなり難しい。まず大勢のいる中を立って歩かれること自体が無理だろう。そこまでの回復にはまだまだ時間が必要だ。
それに、僕も保さんも宣告後に半日以上経過した蘇生は経験がない。当然ながらどの医学書にも症例として記載はない。ましてや月下百合の毒による中毒から生還した人間もほとんど存在していない。
一ヶ月足らずの先の容態など予想することは不可能だ」
苦しみ続ける武の姿を目の当たりにして来たのだ。たとえ皇帝であろうと軽々しく言ってもらいたくない気持ちでいっぱいだった、不敬だと誰かに避難されても周には武の方が大事なのだ。
そこにいる皆にも周の苛立ちは伝わった。
無理をさせて急変する可能性もある。それが恐ろしい。主を失う痛みをもう一度味わいたくはなかった。
「わかった。ギリギリまで様子を見て判断をすると返事をしておく。
で、そろそろ夕麿さまに武さまが生き返られたのをお伝えしようと思う」
一ヶ月近く秘して来た。初めは魂が抜けてしまったようになっていた彼も、ようやく自分を取り戻しつつあった。現在の状態ならば武に会わせてもその時まで、秘匿することはできるだろう。武の生存はまだ知られるわけにはいかない。九條家が再び狙ってくる可能性は消えてはいない。
そして……御在所内で働く者の中に相手方がいないとは言えない。
参賀に出席するならするで、ギリギリまで生存は知られない方がよい。
だが夕麿にはもう知らせなければならない。
「俺が呼びましょう」
義勝が言った。この病院棟にも許可なく入れないことにはなっている。もっとも抜け道がないわけではないだろうが。
だからこそ警戒は怠ってはいないのだ。
「今、何と……?」
武の生存を告げられて夕麿は言葉を失った。それはそうだろう、彼は確かに死の瞬間を側で見ていたのだ。そして言葉を紡げなくなった周の代わりに、保が発した『薨去』宣告も聞いているのだ。
「武さまは殯の儀式中、蓮の魂呼ばいで黄泉返られました」
朔耶が御影家の血を引く一人として殯に参加していたのは、夕麿も知っているはずだった。ただここで朔耶は「魂呼ばい』と言ったが、蓮が行ったのは禁忌である『反魂』だった。このことは殯の場にいた者しか知らず、口外しない約束だった。そもそも殯の内容自体が禁忌で秘事なのである。
しかも黄泉路の出来事は蓮と武しか知らない。黄泉であったことは禁忌中の禁忌で、破ればたちどころに関係した者の生命が消える。もちろん、武に課せられてことなど口にすることはできない。一つ間違えば武は黄泉の奥津城(墓場のことだがここでは奥底の地)に魂が封じられてしまう。そうなれば二度と転生はできず、魂の寿命が尽きるまで眠り続ける。
「申し訳ございません、夕麿さま。殯の内容は安易に口にしてはならない決まりです」
これ以上は話せないと朔耶は頭を下げた。
「それで、武はどこにいるのです」
低く言うのは彼の怒りの証。そこにいた者がギョッとして固まった、義勝以外は。
「武は最近まで危篤状態だった。毒の特性上、再び心肺停止をする可能性があった。危篤状態から脱せたのは周さんの昼夜を問わない治療があったからだ」
ここで誰かを責められては意味がない。それぞれができることを実行しただけだ。貴之は敵討ちと葵の救出で重傷を負った。周はこの一ヶ月武専用の病室の隣に泊まり込み、24時間体制で対応して来た。お陰でかなり体重を落としていた。
雫は宮中にいる久方と綿密に連絡を取り合い、義勝は周の補助として彼の睡眠時間の確保を図った。雅久は呼吸器が外された後から、自分で動けない武の食事の介助を行った。
保は貴之と拓真の治療を受け持ち、朔耶は大学に通う傍らで葵の介助をしていた。
敦紀は貴之の看病をしていたし、武の様子を覗きに行ったりもした。
武の生存を外部に隠匿するために誰もが懸命であった。
「先ずは武に会ってからです」
怒気を含んだ口調は冷ややかに響いた。義勝たち同級生は武と出会って消えたはずの『氷壁』が、彼の中で復活したように感じられて眩暈すら感じた。
「こっちだ」
周が病室のドアを開けて廊下に出る。夕麿が無言で後に続いた。義勝が続こうとしたが雅久が腕をつかんで、伏し目がちに首を横に振った。
エレベーター横の階段を二人とも静かに上がって行く。二階に上がりきって右側は武が音大ホールの控室から緊急搬送されて来た集中治療室だ。
周は左折して一番奥にあるセキュリティ・ドアのロックを解除する。
「ここのカギは後で渡す」
「お願いします」
中へ入るとまた廊下があった。右側には薬剤室、左には医療器具などが置かれている部屋。少し進んだ右側に仮眠室。左側には警備室と見舞客用の控室になっていた。最奥のドアのセキュリティを解除して開き、周は夕麿を招き入れた。
薄いカーテンで仕切られたベッドで武は眠っていた。病室内はその眠りを妨げないように光源を絞り、窓も遮光率の高いカーテンを重ねてある。
夕麿はベッドのカーテンを片手で開き、横たわる青白い顔の武を覗き込んだ。
「今は薬で眠っておられる。そろそろ目を覚まされるだろう。ただ、未だに全身の痛みを訴えておられる。触れるのはできるだけ控えてくれ」
周はそう言うと部屋から出て行った。
傍らにあった椅子を移動させて、座って寝顔を見つめた。規則正しく呼吸しているのを見ると涙が溢れて来た。
もう取り戻せないと思っていた。音大から駆け付けた時には既に意識がなかった。今度こそ失ったのだと思った。
けれど……ここにこうして生きていてくれた。
ただただ嬉しくて泣いていると、ゆっくりと武が目を開けた。
「ゆ……うま……」
かろうじて聞き取れる声だった。もともと武は呼吸器系が弱い。発熱しやすい原因の一つもそこにあった。
「無理はしないで、武」
話すのすら苦痛を生むらしいのは見ていればわかる。
伸ばされた手をためらいながら、ソッと握った……途端に武が身体を震わせた。慌てて放そうとするのを握り締められた。
今は見つめ合うだけで十分だった。
ただ、この日はすぐに周が戻って来て、セキュリティカードを手渡した上で、夕麿を病室から追い出した。
長い面会は武の負担にしかならない。今はできるだけ刺激を減らして安静にするのが必要とされている。
夕麿は落胆した様子を見せたが、周の医師としての判断に無言で頷いて戻って行った。
……しかし、夕麿が病室に顔を見せることはなかった。
一応は一日に一回、十分程度の面会許可を出していた。これまでの彼ならば短い時間であっても武に会いに毎日、通って来たはずである。
それなのに……何故?
周は武と葵の二人を抱えているため、同じ敷地内にあるはずの自分の住処へ帰っていない。これは拓真と貴之を抱えている保もほぼ同じだった。ゆえに二人には病院棟の外の様子は誰かに聞かなければわからない。
朔耶は周の着替えを持って来て置いていくが何も言わない。
痺れを切らした周は武の食事の介助に来る雅久を捕まえて問い質した。
「それが……夕麿さまは護院家のホテルのペントハウスに、今は移られています」
義勝が止めても頑としてきかずに身の回り品を軽くまとめて移って行ったと言うのだ。
確かに武が生きているのをまだ伏せている状態だ。夕麿が周囲の人間を遠ざけるために、ここから移転するのは表向きの状況だけを知っている者たちは納得するだろう。
だが一日千秋の想いで待っている武の気持ちはどうなる?足げく病院棟に通う理由は、それこそ葵や貴之の見舞いで十分に言い訳はできるはずではないか。
「で、誰があいつの側にいる?」
「警護には久留島君が」
「彼以外は?」
「一条さまとご友人方が行っておられます」
それでは夕麿は身動きができない。こんな時にしゃしゃり出て、彼らは何がしたい。
清方や高子を引き込んで夕麿を絡め捕ろうとしている彼らの本当の目的が、周たちにはどう考えても理解できないでいた。彼らは最初はちゃんと武には皇子に対する礼節で接していた。気が付けばいつの間にか夕麿を優先して、武を蔑ろにする言動をするようになった。
掌を返した響を周たちは誰も信用していない。
表面上は何も変わらない高子・久方夫妻も、本当のところはどういう状態でいるのかはわからない。雫が緩やかに距離を取って来たのを清方は見ている限りは感じていないように見える。
護院家は養子である朔耶も雫、清方の養子である葉月、そして周をも含めて家族仲の非常に良い一家だった。それが響とその母親の出現で不穏な空気が漂うようになってしまっている。
周の沈黙に雅久も無言で応えた。
「武さまのご容態が安定してきておられる。久方さまに退院の時期を問い合わせしているところだ。雅久、引き続き武さまの介助を頼む。
僕からしたら新年の宮中参賀に間に合わせるなど狂気の沙汰だが、今上にも久方さまにも雫さんにも、何某かの重要な理由があると見た。
お前にもいろいろと面倒をかけるが、協力を頼む」
「もちろんです。武さまは我が主君であり、一度は仮初ではありましたが兄弟として過ごさせていただきました。お陰さまで今の私がおります」
誠心誠意、仕えると雅久は言って微笑んだ。
周と雅久が言葉を交わして二週間後のクリスマスイブに、武は御在所のプライベートゾーンの寝室に移った。当然ながら彼の生存を公表する運びとなった。
今はリハビリ中で、未だ苦痛が残る状態で懸命に立ち上がり、部屋を歩き回る訓練をしている。新年参賀の件はもちろん雫から聞かされていて、できるだけ見苦しくない状態で参内したいと願っていた。
この状況になっても夕麿は帰宅しなかった。雅久も付いているわけにもいかず、武はぼんやりとソファに座って独りで冬の庭を眺めていた。
皇国の貴族や皇家の者は先帝の喪が明けたばかりであり、外のクリスマスの煌びやかな雑踏とは違って、この御在所の中も静かな時間が流れていた。
それでも時は無情に流れていく。自分のためでなく皆のために這ってでも新年の参賀には行かなければならない。黄泉の神の条件の内容がわからない状態であるならば、これを満たすことは難しいように武には思えた。
あれから二ヶ月近くが経過している。残された時間は十ヶ月余。その間に自分にできることはやっておかなければならない。
薫の行方がわからないゆえに、最悪の場合はここを守っていくのは夕麿と葵になる。いや、もしかした葵だけになってしまう可能性もあった。もちろん久方たちが彼を支えてくれるだろう。皆が自分がいなくなっても変わらずに葵を守ってくれるのは信じている。
それでも何かしなければならない。
もしも夕麿がここを離れた場合に彼の立場が悪くならないための手も打っておきたかった。もう彼は武に殉ずるつもりはなくしただろう。それでいいのだ。
年末の用事を片付けた蓮が貴之と敦紀の要請で、一人で居間に座って過ごす武の許に来た。
もちろん黄泉での出来事をわかっていても二人はそのことを口にはしない。誰かに聞かれてしまったら当然ながら取り返しのつかないことになる。
条件の内容がわからない状態では、これを満たすのは不可能に近いと蓮も考えていた。それでも何かわからないかと様々な方面にでき得る限りの情報を求め続けて来た。
古文書、特に正史とは認められてはいない古史古伝に数例があるのを発見した。しかしそれらには黄泉の神が条件を示さなかった記述はない。『反魂の儀式』事態が禁忌である以上、詳細についての記載がないのは当然と言えば当然である。しかも黄泉返りした人物がこの世を去ってから書かれた、半ば伝説の様な形で記述されている。黄泉かえった者も儀式を行った者も生きている間には禁忌を行ったことや、黄泉の国の様子を口にしなかったのであろうから、後世の人間が伝聞としてあったものを書き留めただけの可能性が高かった。
ただ、どの話にも条件が出されていた話はあり、本人たちは内容を知っていた様子だった。何故ならば満たすための冒険譚の様な物が書かれていたのだ。妨害の話もなかった。
なぜ武だけが条件の内容を告げられず、妨害というマイナスまで負わされなければならなかったのだろうか。
こう考えた時に『もしかしたら……』と思える違いを見つけた気がした。
古文書や古史古伝に記載されていた黄泉返りした者は、貴族や神職・僧侶ばかりだった。誰一人として皇家の貴種、それも直系の皇子が黄泉返りした話はなかったのだ。
まして、武は先祖返りと思えるほどの強い『皇家の霊感』の持ち主である。黄泉の神は本当に武を手元に置きたかったのではないのだろうか。彼が繰り返し生命を狙われることから決められた寿命よりも早く、黄泉の国に迎え入れたいと望んで来たのかもしれない。だから本当に返したくはなかったのだろう。
それでも彼が失われることを嘆く者たちの想いに乗って、蓮が黄泉路を下って迎えに来た力に武本人の『かえりたい』という強い想いが重なったために、黄泉の神といえども強制的に黄泉の国へと引き入れることは難しかったのかもしれない。
あの時、武は間違いなく夕麿の許へ帰ることを望んだだろう。ならば条件には夕麿に関わる何かなのではないか。現に彼は武が生きているというのにここにはいないではないか。それが妨害によるものだとしたら……この先は武には猛毒がもたらす苦痛よりも、はるかに辛く苦しく悲しいものになるかもしれない。
しかし……予想はできても口にはできない。武本人が気付くのでなければ『禁忌の罰』が発動してしまう。それにあくまでも可能性であって正解であるとは言えない。
今の武はこの上なく孤独であろう。こうして黄泉の記憶を共有する蓮が側に侍っていても、互いにそれを口にして語り合うこともできず、最愛の人も戻らない状態では本心を見せぬように心を閉じて、ただジッと時間が削られて行くのを受け入れなければならないのであるから。
今の蓮ができることは未だに魂の一部が黄泉と繋がったままの武に、黄泉の亡者や餓鬼、現世で迷う霊や悪霊。怨霊、そして人々の心の闇が呼び寄せた魔物が引き寄せられてくるのを、可能な限り防御するしかない。
自分はこのためにこの世に生まれて来たのかもしれない。一族の中で強すぎる能力を生まれつき持ってしまった不自由さは、この尊き皇子を守るために存在しているのだろう。
よくないものが武に近付き影響を与えるのを軽減できれば、妨害も多少は軽くできるはずである。
どうか諦めないで生きて欲しい。武にはまだやらなければならないことがあるはずである。
蓮はソファに座る武の足元に跪いて、庭を見つめるその横顔を見つめながら八百万の神に祈った。
夕麿が帰って来たのは年の瀬も近付いた28日だった。
この頃には武は痛みに耐えながらもテラスから庭に出て、裏の丘の桜の木の向こうにある四阿まで歩いて行けるようになっていた。それもこれも宮中で車椅子を使用しないための努力だった。
武を敵視する者たちに弱った姿は見せたくない。自分を支え続けて来た皆のためにも、胸を張って今上皇帝に謁見したかった。
すぐに久方が戻って来て、謁見の時の手順を武に細かく教授した。
響はそんな武を鼻で笑っていたが、すぐに顔色を失った。何しろ彼が知っているのはあくまでも摂関貴族のマナーであり、久方が武に教えたのは親王が皇帝に謁見する時のものであったからだ。
響にすれば宮名を与えられてはいても、武は『王』であって皇孫以下の立場でしかないはずなのだ。
久方が親王としての手順を教えると言うことは、新年の叙位叙官に於いて武を親王に叙する決定がなされた意味を持っている。下手をすればこれまでの響の言動が『不敬』に問われる可能性があった。
親王の位は三つある。一品、二品、三品である。これは千数百年前に始まった位階であるが、現在の皇国では大きな違いがある。
皇国に於いては『一品』は皇太子に次ぐ身分で、皇太子の身に何かがあった場合は代わりに公務を代行したり、その座に就任したりする重く尊き身分である。『二品』は一品の親王がその役目を果たせなくなった時にのみ同じ情感が与えられる。『三品』は皇帝の実子でありながら生母の身分が低い皇子に与えられる。
日本史では次第に『品』の意味が変化していったが、皇国では位階の意味が強められ、現在に続けられているのである。
もともと武の父は先帝の第一皇子で皇太子であった。武は皇家の直系の皇子であり他の皇孫とは違って本来は『王』ではなく『親王』の身分のはずなのだ。皇統は第二皇子である今上皇帝に移ったが、それでも武は本来は『内廷皇族』として扱われるべきなのだ。
先帝がこれを承知で『王』にとどめたのはひとえに、反対勢力が武を排除にかかることを予想していたからだ。同じ『皇孫』でも直系と傍系には大きな身分の違いがある。
今上皇帝は武の父とは仲の良い兄弟であったと聞いていた。産みの母は違ってもだ。それを嵐子は忌々しく思っていたであろうが、今上皇帝は異母兄を大変尊敬していたらしい。
すべては久方からの伝聞ではあるが、武は皇帝が自分の敵ではない事実を知ってホッとした。
あとは無事に新年を迎え、二日の宮中参賀で皇帝に謁見するだけだった。
帝都を覆った火山灰も今は綺麗に片付けられて、路地裏の小さな隙間でも覗かなければわからない。呼吸器官を痛めた人の治療はまだ行われてはいるが、よほど長時間野外にいて大量に吸い込んだのではない限り、大気中の微細な灰が消えて空気が元に戻ったことで回復に向かっている。
そして武の身体からも徐々に毒の影響が弱まりつつあった。人工呼吸器が外されマスクで酸素吸入は継続されてはいるものの、自分で呼吸ができるまでに回復した。全身の痛みも『激痛』から『強い痛み』にまでわずかな差ではあるが和らいでいた。
毒の後遺症で声が幾分かすれて大きな声を発せなくなっており長く話すことは今は難しいが、これも時間の経過と共に緩和されていくだろう。
あれほど取り付けられていた医療機器も今は点滴と酸素飽和度を計測機械のみ。
人工呼吸器に繋がれていた時には口からの栄養摂取はできず、鼻から胃へ通されたチューブで栄養剤を注入するのと点滴で賄っていた。現在は流動食から粥へと移行しつつある。
月下百合のの毒の一番に厄介なところは毒性が強過ぎて、血清をつくるのがほぼ不可能な特性にあった。青酸性の毒物よりも致死量が低いのだ。どの様に薄めても媒介になるものがダメになる。なので中央島は謂わば『禁足地』になっている。もっとも噴火が一応はおさまったとはいえ、そこここに溶岩が燻り高温を発している状態で踏み込める者はいないであろう。
十二月に入ってすぐ、貴之の病室に再びいつもの顔が集められた。
「周、武さまの状態は?」
唐突に雫が尋ねた。
「酸素マスクを鼻からに変えたばかりだ。まだ酸素飽和度が不安定なんだ」
「ふむ……」
「室長、何事かあったのですか?」
貴之もようやく身を起こせるまでにはなっていた。
「今朝、久方さまから今上のお言葉をいただいた」
「今上は何と?」
そう問いかけたのは朔耶だ。
「新年参賀に武さまを含めた我々の出席を、と」
「え……」
元々新年のどこかに武との対面を皇帝は望んではいた。しかしそれはあくまでも人払いをした上での秘密裏の対面と武本人も含めて考えていたのだ。
国政を行う大臣たちも列席する新年の宮中参賀に武が呼ばれるということは、そのまま『紫霞宮』を公にするという意味を持つことになる。
そう、武が今は望むはずのないものだ。むしろ皇籍離脱したいはずであるのだから。
「可能か?」
雫の言葉に周は考え込んだ。
「かなり難しい。まず大勢のいる中を立って歩かれること自体が無理だろう。そこまでの回復にはまだまだ時間が必要だ。
それに、僕も保さんも宣告後に半日以上経過した蘇生は経験がない。当然ながらどの医学書にも症例として記載はない。ましてや月下百合の毒による中毒から生還した人間もほとんど存在していない。
一ヶ月足らずの先の容態など予想することは不可能だ」
苦しみ続ける武の姿を目の当たりにして来たのだ。たとえ皇帝であろうと軽々しく言ってもらいたくない気持ちでいっぱいだった、不敬だと誰かに避難されても周には武の方が大事なのだ。
そこにいる皆にも周の苛立ちは伝わった。
無理をさせて急変する可能性もある。それが恐ろしい。主を失う痛みをもう一度味わいたくはなかった。
「わかった。ギリギリまで様子を見て判断をすると返事をしておく。
で、そろそろ夕麿さまに武さまが生き返られたのをお伝えしようと思う」
一ヶ月近く秘して来た。初めは魂が抜けてしまったようになっていた彼も、ようやく自分を取り戻しつつあった。現在の状態ならば武に会わせてもその時まで、秘匿することはできるだろう。武の生存はまだ知られるわけにはいかない。九條家が再び狙ってくる可能性は消えてはいない。
そして……御在所内で働く者の中に相手方がいないとは言えない。
参賀に出席するならするで、ギリギリまで生存は知られない方がよい。
だが夕麿にはもう知らせなければならない。
「俺が呼びましょう」
義勝が言った。この病院棟にも許可なく入れないことにはなっている。もっとも抜け道がないわけではないだろうが。
だからこそ警戒は怠ってはいないのだ。
「今、何と……?」
武の生存を告げられて夕麿は言葉を失った。それはそうだろう、彼は確かに死の瞬間を側で見ていたのだ。そして言葉を紡げなくなった周の代わりに、保が発した『薨去』宣告も聞いているのだ。
「武さまは殯の儀式中、蓮の魂呼ばいで黄泉返られました」
朔耶が御影家の血を引く一人として殯に参加していたのは、夕麿も知っているはずだった。ただここで朔耶は「魂呼ばい』と言ったが、蓮が行ったのは禁忌である『反魂』だった。このことは殯の場にいた者しか知らず、口外しない約束だった。そもそも殯の内容自体が禁忌で秘事なのである。
しかも黄泉路の出来事は蓮と武しか知らない。黄泉であったことは禁忌中の禁忌で、破ればたちどころに関係した者の生命が消える。もちろん、武に課せられてことなど口にすることはできない。一つ間違えば武は黄泉の奥津城(墓場のことだがここでは奥底の地)に魂が封じられてしまう。そうなれば二度と転生はできず、魂の寿命が尽きるまで眠り続ける。
「申し訳ございません、夕麿さま。殯の内容は安易に口にしてはならない決まりです」
これ以上は話せないと朔耶は頭を下げた。
「それで、武はどこにいるのです」
低く言うのは彼の怒りの証。そこにいた者がギョッとして固まった、義勝以外は。
「武は最近まで危篤状態だった。毒の特性上、再び心肺停止をする可能性があった。危篤状態から脱せたのは周さんの昼夜を問わない治療があったからだ」
ここで誰かを責められては意味がない。それぞれができることを実行しただけだ。貴之は敵討ちと葵の救出で重傷を負った。周はこの一ヶ月武専用の病室の隣に泊まり込み、24時間体制で対応して来た。お陰でかなり体重を落としていた。
雫は宮中にいる久方と綿密に連絡を取り合い、義勝は周の補助として彼の睡眠時間の確保を図った。雅久は呼吸器が外された後から、自分で動けない武の食事の介助を行った。
保は貴之と拓真の治療を受け持ち、朔耶は大学に通う傍らで葵の介助をしていた。
敦紀は貴之の看病をしていたし、武の様子を覗きに行ったりもした。
武の生存を外部に隠匿するために誰もが懸命であった。
「先ずは武に会ってからです」
怒気を含んだ口調は冷ややかに響いた。義勝たち同級生は武と出会って消えたはずの『氷壁』が、彼の中で復活したように感じられて眩暈すら感じた。
「こっちだ」
周が病室のドアを開けて廊下に出る。夕麿が無言で後に続いた。義勝が続こうとしたが雅久が腕をつかんで、伏し目がちに首を横に振った。
エレベーター横の階段を二人とも静かに上がって行く。二階に上がりきって右側は武が音大ホールの控室から緊急搬送されて来た集中治療室だ。
周は左折して一番奥にあるセキュリティ・ドアのロックを解除する。
「ここのカギは後で渡す」
「お願いします」
中へ入るとまた廊下があった。右側には薬剤室、左には医療器具などが置かれている部屋。少し進んだ右側に仮眠室。左側には警備室と見舞客用の控室になっていた。最奥のドアのセキュリティを解除して開き、周は夕麿を招き入れた。
薄いカーテンで仕切られたベッドで武は眠っていた。病室内はその眠りを妨げないように光源を絞り、窓も遮光率の高いカーテンを重ねてある。
夕麿はベッドのカーテンを片手で開き、横たわる青白い顔の武を覗き込んだ。
「今は薬で眠っておられる。そろそろ目を覚まされるだろう。ただ、未だに全身の痛みを訴えておられる。触れるのはできるだけ控えてくれ」
周はそう言うと部屋から出て行った。
傍らにあった椅子を移動させて、座って寝顔を見つめた。規則正しく呼吸しているのを見ると涙が溢れて来た。
もう取り戻せないと思っていた。音大から駆け付けた時には既に意識がなかった。今度こそ失ったのだと思った。
けれど……ここにこうして生きていてくれた。
ただただ嬉しくて泣いていると、ゆっくりと武が目を開けた。
「ゆ……うま……」
かろうじて聞き取れる声だった。もともと武は呼吸器系が弱い。発熱しやすい原因の一つもそこにあった。
「無理はしないで、武」
話すのすら苦痛を生むらしいのは見ていればわかる。
伸ばされた手をためらいながら、ソッと握った……途端に武が身体を震わせた。慌てて放そうとするのを握り締められた。
今は見つめ合うだけで十分だった。
ただ、この日はすぐに周が戻って来て、セキュリティカードを手渡した上で、夕麿を病室から追い出した。
長い面会は武の負担にしかならない。今はできるだけ刺激を減らして安静にするのが必要とされている。
夕麿は落胆した様子を見せたが、周の医師としての判断に無言で頷いて戻って行った。
……しかし、夕麿が病室に顔を見せることはなかった。
一応は一日に一回、十分程度の面会許可を出していた。これまでの彼ならば短い時間であっても武に会いに毎日、通って来たはずである。
それなのに……何故?
周は武と葵の二人を抱えているため、同じ敷地内にあるはずの自分の住処へ帰っていない。これは拓真と貴之を抱えている保もほぼ同じだった。ゆえに二人には病院棟の外の様子は誰かに聞かなければわからない。
朔耶は周の着替えを持って来て置いていくが何も言わない。
痺れを切らした周は武の食事の介助に来る雅久を捕まえて問い質した。
「それが……夕麿さまは護院家のホテルのペントハウスに、今は移られています」
義勝が止めても頑としてきかずに身の回り品を軽くまとめて移って行ったと言うのだ。
確かに武が生きているのをまだ伏せている状態だ。夕麿が周囲の人間を遠ざけるために、ここから移転するのは表向きの状況だけを知っている者たちは納得するだろう。
だが一日千秋の想いで待っている武の気持ちはどうなる?足げく病院棟に通う理由は、それこそ葵や貴之の見舞いで十分に言い訳はできるはずではないか。
「で、誰があいつの側にいる?」
「警護には久留島君が」
「彼以外は?」
「一条さまとご友人方が行っておられます」
それでは夕麿は身動きができない。こんな時にしゃしゃり出て、彼らは何がしたい。
清方や高子を引き込んで夕麿を絡め捕ろうとしている彼らの本当の目的が、周たちにはどう考えても理解できないでいた。彼らは最初はちゃんと武には皇子に対する礼節で接していた。気が付けばいつの間にか夕麿を優先して、武を蔑ろにする言動をするようになった。
掌を返した響を周たちは誰も信用していない。
表面上は何も変わらない高子・久方夫妻も、本当のところはどういう状態でいるのかはわからない。雫が緩やかに距離を取って来たのを清方は見ている限りは感じていないように見える。
護院家は養子である朔耶も雫、清方の養子である葉月、そして周をも含めて家族仲の非常に良い一家だった。それが響とその母親の出現で不穏な空気が漂うようになってしまっている。
周の沈黙に雅久も無言で応えた。
「武さまのご容態が安定してきておられる。久方さまに退院の時期を問い合わせしているところだ。雅久、引き続き武さまの介助を頼む。
僕からしたら新年の宮中参賀に間に合わせるなど狂気の沙汰だが、今上にも久方さまにも雫さんにも、何某かの重要な理由があると見た。
お前にもいろいろと面倒をかけるが、協力を頼む」
「もちろんです。武さまは我が主君であり、一度は仮初ではありましたが兄弟として過ごさせていただきました。お陰さまで今の私がおります」
誠心誠意、仕えると雅久は言って微笑んだ。
周と雅久が言葉を交わして二週間後のクリスマスイブに、武は御在所のプライベートゾーンの寝室に移った。当然ながら彼の生存を公表する運びとなった。
今はリハビリ中で、未だ苦痛が残る状態で懸命に立ち上がり、部屋を歩き回る訓練をしている。新年参賀の件はもちろん雫から聞かされていて、できるだけ見苦しくない状態で参内したいと願っていた。
この状況になっても夕麿は帰宅しなかった。雅久も付いているわけにもいかず、武はぼんやりとソファに座って独りで冬の庭を眺めていた。
皇国の貴族や皇家の者は先帝の喪が明けたばかりであり、外のクリスマスの煌びやかな雑踏とは違って、この御在所の中も静かな時間が流れていた。
それでも時は無情に流れていく。自分のためでなく皆のために這ってでも新年の参賀には行かなければならない。黄泉の神の条件の内容がわからない状態であるならば、これを満たすことは難しいように武には思えた。
あれから二ヶ月近くが経過している。残された時間は十ヶ月余。その間に自分にできることはやっておかなければならない。
薫の行方がわからないゆえに、最悪の場合はここを守っていくのは夕麿と葵になる。いや、もしかした葵だけになってしまう可能性もあった。もちろん久方たちが彼を支えてくれるだろう。皆が自分がいなくなっても変わらずに葵を守ってくれるのは信じている。
それでも何かしなければならない。
もしも夕麿がここを離れた場合に彼の立場が悪くならないための手も打っておきたかった。もう彼は武に殉ずるつもりはなくしただろう。それでいいのだ。
年末の用事を片付けた蓮が貴之と敦紀の要請で、一人で居間に座って過ごす武の許に来た。
もちろん黄泉での出来事をわかっていても二人はそのことを口にはしない。誰かに聞かれてしまったら当然ながら取り返しのつかないことになる。
条件の内容がわからない状態では、これを満たすのは不可能に近いと蓮も考えていた。それでも何かわからないかと様々な方面にでき得る限りの情報を求め続けて来た。
古文書、特に正史とは認められてはいない古史古伝に数例があるのを発見した。しかしそれらには黄泉の神が条件を示さなかった記述はない。『反魂の儀式』事態が禁忌である以上、詳細についての記載がないのは当然と言えば当然である。しかも黄泉返りした人物がこの世を去ってから書かれた、半ば伝説の様な形で記述されている。黄泉かえった者も儀式を行った者も生きている間には禁忌を行ったことや、黄泉の国の様子を口にしなかったのであろうから、後世の人間が伝聞としてあったものを書き留めただけの可能性が高かった。
ただ、どの話にも条件が出されていた話はあり、本人たちは内容を知っていた様子だった。何故ならば満たすための冒険譚の様な物が書かれていたのだ。妨害の話もなかった。
なぜ武だけが条件の内容を告げられず、妨害というマイナスまで負わされなければならなかったのだろうか。
こう考えた時に『もしかしたら……』と思える違いを見つけた気がした。
古文書や古史古伝に記載されていた黄泉返りした者は、貴族や神職・僧侶ばかりだった。誰一人として皇家の貴種、それも直系の皇子が黄泉返りした話はなかったのだ。
まして、武は先祖返りと思えるほどの強い『皇家の霊感』の持ち主である。黄泉の神は本当に武を手元に置きたかったのではないのだろうか。彼が繰り返し生命を狙われることから決められた寿命よりも早く、黄泉の国に迎え入れたいと望んで来たのかもしれない。だから本当に返したくはなかったのだろう。
それでも彼が失われることを嘆く者たちの想いに乗って、蓮が黄泉路を下って迎えに来た力に武本人の『かえりたい』という強い想いが重なったために、黄泉の神といえども強制的に黄泉の国へと引き入れることは難しかったのかもしれない。
あの時、武は間違いなく夕麿の許へ帰ることを望んだだろう。ならば条件には夕麿に関わる何かなのではないか。現に彼は武が生きているというのにここにはいないではないか。それが妨害によるものだとしたら……この先は武には猛毒がもたらす苦痛よりも、はるかに辛く苦しく悲しいものになるかもしれない。
しかし……予想はできても口にはできない。武本人が気付くのでなければ『禁忌の罰』が発動してしまう。それにあくまでも可能性であって正解であるとは言えない。
今の武はこの上なく孤独であろう。こうして黄泉の記憶を共有する蓮が側に侍っていても、互いにそれを口にして語り合うこともできず、最愛の人も戻らない状態では本心を見せぬように心を閉じて、ただジッと時間が削られて行くのを受け入れなければならないのであるから。
今の蓮ができることは未だに魂の一部が黄泉と繋がったままの武に、黄泉の亡者や餓鬼、現世で迷う霊や悪霊。怨霊、そして人々の心の闇が呼び寄せた魔物が引き寄せられてくるのを、可能な限り防御するしかない。
自分はこのためにこの世に生まれて来たのかもしれない。一族の中で強すぎる能力を生まれつき持ってしまった不自由さは、この尊き皇子を守るために存在しているのだろう。
よくないものが武に近付き影響を与えるのを軽減できれば、妨害も多少は軽くできるはずである。
どうか諦めないで生きて欲しい。武にはまだやらなければならないことがあるはずである。
蓮はソファに座る武の足元に跪いて、庭を見つめるその横顔を見つめながら八百万の神に祈った。
夕麿が帰って来たのは年の瀬も近付いた28日だった。
この頃には武は痛みに耐えながらもテラスから庭に出て、裏の丘の桜の木の向こうにある四阿まで歩いて行けるようになっていた。それもこれも宮中で車椅子を使用しないための努力だった。
武を敵視する者たちに弱った姿は見せたくない。自分を支え続けて来た皆のためにも、胸を張って今上皇帝に謁見したかった。
すぐに久方が戻って来て、謁見の時の手順を武に細かく教授した。
響はそんな武を鼻で笑っていたが、すぐに顔色を失った。何しろ彼が知っているのはあくまでも摂関貴族のマナーであり、久方が武に教えたのは親王が皇帝に謁見する時のものであったからだ。
響にすれば宮名を与えられてはいても、武は『王』であって皇孫以下の立場でしかないはずなのだ。
久方が親王としての手順を教えると言うことは、新年の叙位叙官に於いて武を親王に叙する決定がなされた意味を持っている。下手をすればこれまでの響の言動が『不敬』に問われる可能性があった。
親王の位は三つある。一品、二品、三品である。これは千数百年前に始まった位階であるが、現在の皇国では大きな違いがある。
皇国に於いては『一品』は皇太子に次ぐ身分で、皇太子の身に何かがあった場合は代わりに公務を代行したり、その座に就任したりする重く尊き身分である。『二品』は一品の親王がその役目を果たせなくなった時にのみ同じ情感が与えられる。『三品』は皇帝の実子でありながら生母の身分が低い皇子に与えられる。
日本史では次第に『品』の意味が変化していったが、皇国では位階の意味が強められ、現在に続けられているのである。
もともと武の父は先帝の第一皇子で皇太子であった。武は皇家の直系の皇子であり他の皇孫とは違って本来は『王』ではなく『親王』の身分のはずなのだ。皇統は第二皇子である今上皇帝に移ったが、それでも武は本来は『内廷皇族』として扱われるべきなのだ。
先帝がこれを承知で『王』にとどめたのはひとえに、反対勢力が武を排除にかかることを予想していたからだ。同じ『皇孫』でも直系と傍系には大きな身分の違いがある。
今上皇帝は武の父とは仲の良い兄弟であったと聞いていた。産みの母は違ってもだ。それを嵐子は忌々しく思っていたであろうが、今上皇帝は異母兄を大変尊敬していたらしい。
すべては久方からの伝聞ではあるが、武は皇帝が自分の敵ではない事実を知ってホッとした。
あとは無事に新年を迎え、二日の宮中参賀で皇帝に謁見するだけだった。
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