蓬莱皇国物語 最終章〜REMEMBER ME

翡翠

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揃わない足並み

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 雫が宮に戻ったのは夜もかなり遅くなってからだった。

 久方と共に残務処理を行っているとすっかり深夜になっていた。

「室長、おかえりなさい」

 出迎えたのは貴之だった。彼は翌朝から長期休養の名目でここを離れるため、彼は彼で事務仕事を片付けた様子だった。

 裁定の結果は既にメールでは知らせてある。宮内に発表するのは明日になるが、特務室の人間には役目上の理由、そしてこれまでの武への企てを経験して来た仲間として、先に知っておく必要があった。

「一応、一段落ついたな」

「そうですね。残党はまだいるでしょうし、紫霄のあり方を武さまは間違いなく変えられるでしょうから……」

「都合が悪くなる輩もいるだろうな」

 武が完全に安全になったわけではない。それでも裏で暗躍して来た九條家という大きな権力が消えた分、これまでの様なはっきりとした企てはやり難くなる。

「兎にも角にも今は、一日も早く回復していただくことが重要だ」

「承認しております」

「先行、頼んだぞ」

「はっ」

 二人はその後も話し込んで、日付が変わる前に自分たちの住処へと帰って行った。



 翌朝、雫と久方は夕麿を会議室に呼び出した。昨日の九條家の処分についてまず説明をした。

「そうですか……北西宮とは陛下も思い切ったことをなされましたね」

 実母を幽閉した皇帝の想いはどの様なものだったのだろうか。そう思うと少しだけ胸が痛んだ。

「本日、こちらにお運びいただいたのは別の要件がございます」

 久方の穏やかな声が響いた。

「別の要件?」

「はい。今回の叙位によって武さまの存在が公になります。一応は、皇家の方々のご尊顔はマスコミでは公開しないことが通例になってはおりますが、それでもこちらに押しかけて来たり、何とかして武さまと夕麿さまのお姿を撮影しようとする者が後を絶たないと考えられます」

 代わって答えたのは雫だった。確かに彼が言うような事態になれば、警備の上でも大変な警戒態勢を敷かなければならなくなる。

「また、現在の武さまの御身体の回復は完全に日にち薬だそうです」

 月下百合の完全な解毒方法がない現在、時間と共に体内から自然に排泄されるのを待つしかない。これは昨夜、周からも聞かされていた。

「そこで武さまにはご療養に出ていただく運びとなりました」

「療養……ですか?どちらに?」

「いくつかの候補は上がってはいますが、まだ決定には至っておりません」

「出発の時期はいつですか?」

「今週末、もしくは来週の初頭に」

「それは困りました」

 夕麿は一も二もなく賛成すると雫と久方は考えていた。ゆえに彼のこの返事は予想外だった。

「どの様な不都合がおありでしょうか?」

 久方が戸惑いを隠せない、という顔で問い返した。

「実は演奏会の出演を要請されています。既に音合わせに入っておりまして、出演の正式な許可をいただけるよう久方伯父さまにお願いをしようと思っていました。

 最初はクリスマスのイベントへの出演依頼がきたのですが、武の容態を考えてお断りしています」

 夕麿の言葉はさらに続く。

「指揮をされる方と少しご縁がありまして、断り続けるのは難しいのです」

 こう言う夕麿の立場がわからないではない。だがそれは武よりも演奏会を選択すると言っているわけである。武の出発は延期できない。遅れれば出発そのものが注目され、尾行されて居所が突き止められてしまう。

 残念ながら平民の興味は皇家に対する尊崇よりも、その挙動の観察の方が強いと言える。ゆえに顔を公にはしないのだが、当然ながら住居である宮はわかっているため、簡単に突き止められてしまう。それでも顔や姿の露出は控えられはするが……一般の人間にはそれが通じない。もちろん、そういった行為を非難する人々の方が圧倒的に多い。それでもSNSが当たり前に普及しているこの時代では、不届きな行為が安易に拡散されてしまう。そうなるとデータの海に漂うデジタルタトゥーは消えることがない。

 皇国の皇家の公務は神道に基づいた儀式、それに諸外国の要人との対面。以外は武も以前から行っている海外への訪問である。

 国内の災害時の訪問は主に貴族の役目なのである。

 実際に蓬莱山の噴火に伴い、中央島に面している地域にわずかだが被害が出た。皇帝の勅許を得て、清華貴族が訪問している。

「夕麿さま、私が御上に許可をいただくのは簡単でございますが、肝心の武さまはどの様に申されてあらしゃいますか」

 武ならば夕麿にとってのチャンスだと喜んで許すだろう。だが、長期の療養を帝都を離れて行うのに、彼が共に来ない可能性はどう説明すればよいのか。それでも武は我慢して送り出すであろうが、雫と久方は夕麿の判断は理解できなかった。

「行き先が決まった時に教えていただければ、後から合流したいと思います」

「申し訳ございません。どこから漏れるかわかりませんので、たとえ夕麿さまにも場所をお伝えすることは出来かねます。もちろん、移動いただく武さまにも場所はお伝えしない状態で移っていただく計画になっております」

 御園生邸ですらこちらの情報が洩れている気配があった。この六条が原宮にはあそこの何倍もの人間が働いている。そのすべてを完全に信用することはできない。女官の中には噂好きな者が必ずいて、常に外部に中の様子を漏らすものが存在しているのが普通だ。それは防ぐことは不可能なのだ。

「警護官が何ヶ月も詰めているのは不可能ですので、定期的に交代は致します。もし後から合流なされるのであればそのタイミングになりますが、後をつけられる懸念はございます」

 武が療養で不在で親王配である夕麿が動けば、当然ながら彼の許へ向かうのだとわかってしまうだろう。

「一応、彼らが嗅ぎ付けても安易に近付けない場所を考えております」

 つまりそれは各地に存在する離宮を使用しないという意味だった。

 夕麿は言葉がなかった。間を取り持たれ、薦められては断るのが難しかった。だがそれ以上にあのホールでの演奏での印象が心を捉えていた。

 そう、夕麿は俗に言われる『舞台の魔物』『観客の拍手の魔力』に心を絡め捕られてしまっていた。だから武の容態や参賀を言い訳にして今日までこの誘いそのものを、雫たちにも武にも相談しなかった、できずにいた。

「療養の件は本日、夕方にお話をいたすつもりでございます。夕麿さま、どうかそれまでに武さまにご自分の予定をお話しくださいますよう、お願い申し上げます」

 久方の言葉は口調こそは穏やかであったが、本来の手順を飛び越えての状態を好ましくないと言外に語っていた。



「ええ⁉」

 雫と久方が夕刻、療養の件を伝えるために一時入院をしている武に会いに行って予定を伝えた。しかし武は夕麿から演奏会出演の話は聞いていないと答えたのだ。それどころか昨日、参賀から戻って来てここへ体調管理のために再入院してから、彼は一度も顔を出してはいないと言う。

 夕麿は今はどこにいるのか。病室の外に出て雫が宮側に連絡を入れたが、午後から誰も彼を見ていないとの返事が返って来た。ただ、門を警護している部下が彼を乗せた車が出て行ったと告げた。

「どうなってるんだ?」

 これまでこのような行動を夕麿がとったことは一度もない。

 それでも武には真実を伝えるしかない。

「そっか。いいよ、久方さん、雫さん。夕麿の夢が叶ったんだ。思う存分やらせてあげたい」

 笑顔で応えた武の顔は寂しげだった。


 週末、特別仕様の車が病院棟に横付けされ、義勝に抱き上げられた武が乗り込んだ。同乗者は雫、周、義勝、雅久の四人だ。

 予想道理、ここに夕麿の姿はなかった。それどころか彼はもうずっと帰って来てはいない。貴之が不在なために成美が警護に就いたが、夕麿は護院家所有のペントハウスに滞在していた。響とその取り巻きもいるという。

 成美が『任務でなかったら帰ってます』と言うほどの状態の様だ。
 
 引き続き経過の連絡を入れるように命じて、雫は車のハンドルを握った。
 
 武は少し倒したシートに座って、傍らにいる周と話していた。

 一度は公共交通機関での移動を考えたが、時間は短いものの車両を貸し切るのは目立つ。他の客と一緒では警備面でも、もしもの対応でも何かと支障が出る。

 完全個室がないわけではないが、生憎、一本に一部屋しかないそこは既に埋まっていたし、この人数には対応できなかった。



 高速鉄道では二時間ほどだが、車移動だと通常は六時間かかる。

 長時間の移動になるため、武の体調を見ながら休憩を入れるため、目的地に到着する頃には早朝出発だったにもかかわらず、日がかなり傾いていた。

 車は山に面して設置された屋根付きの車庫の前で止まり、武たちを榊と通宗が出迎えた。

「あれ?榊さん?通宗も?」

 旧都に帰っているはずの二人がいるということは、ここはどうやら旧都のどこからしい。

「遠くをお疲れさまでした」

 通宗が笑顔で言った。

「ご滞在いただきますのは、この山の途中にある建物です」

 そう言われて見上げるも、木々や竹に覆われていてそれらしき物は見えなかった。

 竹で作られた扉を抜けて通った道はよく整備されて歩きやすい。

 人が一人通るより少し広くなっており、両側には竹の垣根が続いている。

 体力が低下している武でも何とか歩き通せたくらいで、さらに竹垣に囲まれた場所になり、引き戸を開けると数寄屋造すきやづくりの建物が出て来た。

 玄関の右側は広い庭が広がっており、月見台らしきものが迫り出している。

 すぐに玄関の引き戸が中から開けられ、先行していた貴之と敦紀が出て来た。

「お疲れさまです。準備は整っております」

 貴之がそう言って深々と頭を垂れた。

「外は冷えますからお早く中へ」

 敦紀が彼らを建物の中へと誘った。

 中は近年リフォームされたのだろう。それなりに古いと思われる建物なのに、どこもかしこも整えられていた。

 まず彼らが案内されたのは、庭が一望できる和室だった。

「すぐに御夕食の用意が整いますさかい、どうぞこちらでゆるりとおやすみください」

 美しい螺鈿細工のテーブルの上に、温かいお茶と干菓子が並べられた。

「ここ、榊のご実家?」

 部屋を見回しながら武が聞いた。

「いいえ。家は今上がって来られたのと反対側の麓にごさいます。ここはその昔、帝都に遷都した折にこちらの家をなくすのを惜しんだ方が建てられたと伺ってます」

「それを近年、家が買い取りまして。お客様が来られた時の宿泊所にしました。数年前にリフォームしたのですが、それ以後はどなたもお泊めしておりません」

 通宗に続いて榊が答えた。

「ここは旧都でも北の方にあたります」

 旧都は北に行くほど山地になり、天羽家が代々守護する神社はこの山の麓に里宮があり、下から登って来る途中の分かれ道で行き着く別の山の頂上に奥宮があるのだと言う。

「ごめんくださいませ」

 声が閉じられた襖の向こうからして、通宗がゆっくりと開いた。そこにいたのは榊の両親と二人の兄だった。

「ようこそお出ましくださいました。ここは空気が良く木々のざわめきと鳥の声しかございまへん。どうぞ御心安ぅお過ごしくたさりませ」

 天羽夫人、栞のゆったりとした古都弁の言葉が、何故か心に染み渡った。

「ありがとうございます」 

 ここは本当に安全なのだと肌で感じられる。

「あちらにご夕食の用意を整えさせてもらいました」

 その言葉に全員が立ち上がった。武も義勝の手を借りて立ち上がった。

 庭は夕闇に包まれて、そこここに配置された照明が幻想的な姿を見せていた。

「綺麗だなぁ」

 武が呟くと敦紀が頷いた。

「もしかしてこれ、描いてる?」

「まだスケッチですが」

「出来上がるの楽しみだな」

 できれば自分の生命があるうちに完成した絵を見てみたいと思った。

 ダイニングの大きなテーブルに並べられた料理は、あまり帝都では見たことのない物だった。武は興味深げに一つひとつを尋ね、楽しそうに笑顔で口に入れていく。

 ここにいる人間は皆、旧都の料理はある程度知っており、武の驚いたり喜んだりするさまを楽し気に見ていた。

 既に説明をされているのか、天羽家の人々は夕麿の不在を誰も口にしない。

 今回の療養は初夏辺りまでの予定になっていた。どこかできっと、夕麿がやって来るだろうと彼らは考えていた。

 だが武は夕麿がここに来ることはないように感じていた。『必ず帰る』という約束はある意味で果たせなかった。すべてを忘れて黄泉路を下ったのだから。黄泉返りはいわばイレギュラーの様なものだ。しかも蓮が迎えに来たからこそ戻れた。これでは約束を果たしたことにはなっていない。多分……夕麿にはそんな想いがあるに違いない。

 だから彼は入院中も部屋に戻っても、宮の中からいなくなっていた。戻って来たのは大晦日も遅くなってから、元旦は次の日の参賀の準備に追われた。そして参賀当日、夕麿は武の伴侶としての役目を立派に務めあげた。

 これで良いのかもしれないと、一人庭を見つめながら思った。どの道自分は秋までの寿命だ。この時間はやり残したことをやりきるための時間だと思っていた。だからこそ紫霄を領地にもらったのだ。

 

 日がな一日、庭の見える所に置かれた籐製の椅子に座って、武はただ外を見つめていた。

 心配になった雅久がソッとうかがえば、どうやら庭に咲く、蝋梅をジッと眺めているらしく見えた。

「やはり夕麿さまを待っておられるのでしょうね」

「だろうな………あいつが何を考えてるのかさっぱりわからん」

 これまでの夕麿とはまるで違う行動に、義勝でさえ戸惑っていた。

「いくら一条さん絡みでも、まるで予想がつかん」

 これまで夕麿がおかしくなった時は、何某かの陰謀が絡んでいた。夕麿本人の意思とは関係なく動かされた。

 しかし今回はどう見ても違う。確かに響が何かの原因になってはいるであろうが、夕麿自身の判断で行動を決めているように見える。

 快方に向かっているとはいえ、未だ毒の後遺症に苦しんでいる武を放置して、自分の望みを優先する姿は本来の夕麿には見られない行動。何事も武が最優先。これまでの彼はこう断言していたはずだった。

 響が現れてから、近衛家出身の姉妹を母にする従兄弟ということで、あっという間に様々なことが崩れ始めた。

 清方は雫と離れていることが多く、夕麿の父方の従兄である周はずっと、蔑ろにされたままだ。

 今回も清方は同行していない。理由は彼の養子の葉月が精神的にかなり悪い状態にあるから。確かに葉月は様々な事情を抱えて来た子ではある。親としても医師としても彼を優先するのは当たり前であろう。

 それでもあれほどの想いをして再会した雫との関係をこんなままにして良いのだろうか。

 多分、それは雫が一番思っているだろう。前回の夕麿の隔離治療の件で修復不可能を心配されるほどになった。原因が自分たちにある……武と夕麿がショックを受けたぐらいだ。

 今回は夕麿が響の一番の目的ではあるだろうが、高子を巻き込んで護院家を分裂させてしまっている。彼女べったりな部分がある清方はもちろん、その弟たちも二人ほどそちら側になって微妙に武や雫に良い顔は見せない。半ば親戚扱いだった周も彼らに無視されている。

 久方側に付いた者は元々、宮大夫などの役職にあるのもあって武に忠節をもって接した来た。

 この分断を清方と高子はどこまで自覚しているのかはわからない。周囲の者たちが見ている限り二人は身内に再会したことを、純粋に無邪気に喜んでの様に見えるからだ。

 義勝は思う。響は清方の養子をまだ知らない様子だ。響のある種の血統主義的な言動は、葉月の存在を知れば否定してするのではないか……と考えられる。葉月は平民からの養子である。本来ならば摂関貴族の養子にはなれない立場だが、そこは実子であるのに養子としてしか護院家に戻れなかった清方の特異性が可能にしたものだ。

 清方のこのような立場も、夕麿たちが関わった紫霄の中等部の事件も。身内の依頼で生きていることすら許されずに殺害されて行った生徒たちを。今はなき旧特別室の宮たちの最期を。武たちがどの様な想いで古き悪習と戦い続けて来たのかも。

 自分には関係のない、知る必要もないものだろう、響にとっては。

「軽く調査をしたのですが………」

 貴之が雫への報告の形で新家になった一条家のことを話し出した。

「経済状況は良いようです。響さん自身は就労してはいませんが、紫霄で培った株取引で収入はかなりあるはずです」

「仕事をしていない?道理で日がな一日、夕麿さまの金魚のフンよろしくつきまとっていられるはずだ」

 雫が深々と溜息吐いて言う。

「現在だけでなく留学後に海外にいたのも、社会勉強という名目で遊び歩いていた様子です」

「つまり、彼は遊びでしか社会と接してない?」

「あ~何となく納得できる」

 呆れた周の言葉に続いて義勝が言った。

「それだけならば年齢だけ重ねた子供と割り切れば良いのですが、本当の問題は一条 朗子ときこさまです」

「高子さまの妹君で、夕麿さまの姉君ですね。彼女が何か?」

 高子が妹と再会して喜んでいたのは雅久も知っている。そこを響が利用して好き放題していると皆は考えていたのだが。

 貴之が調べる経過で敦紀も何かを理解したらしく、二人で顔を見合わせて少し困った顔になった。

「実は朗子さまは准皇さま、つまり武さまの父上さまの後宮へ入内を望んでおられたそうです」

「は?逆算するとあの方より朗子さまは七歳も上のはずだが?」

 驚いた雫が声を上げた。

「准皇さまはお断りになられたようですが、当時の近衛家当主と朗子さまは諦めなかったと」

「三姉妹の父君か……清方先生を学院都市に閉じ込めた元凶だな」

 武と夕麿の周囲にいる人間に、前近衛家当主を快く思っている者はいない。

「そこへ小夜子さまか……」

 小夜子の出現は二人には寝耳に水だっただろう。それでなくとも近衛家は高子を九條に嫁がせるのに失敗している。小夜子の実家である葛岡家は清華貴族ではあったが、中堅どころに位置する家柄だった。彼女たち貴族の子女が通う皇立校での成績が良く、品行方正な優等生と知られていたために、皇后が産んだ皇女の家庭教師として皇后宮
に召された。まだ大学生だった。

 准皇が小夜子に惹かれた理由なぞ彼女に接していればすぐにわかる。

 小夜子の入内の準備が始まるのを朗子はどの様な想いで見ていたのだろうか。決して好意的ではなかったはずだ。数いる東宮女御の一人として入内するならば、当時、皇太子の立場であった准皇はただ一人の『妃』として小夜子を望んだ。

 つまり朗子の入内は叶わぬ夢になり、しかも小夜子の入内を待たずして准皇は病に倒れて薨御した。朗子の入内への道は完全に断たれてしまったのだった。

「それから十五年も経過して小夜子さまが、皇子をお産みになられていたのが明るみになった」

 九條 嵐子の悪しき所業の根にあったのが、嫉妬でありプライドだった。本来ならば自分こそが皇后に立ち、産んだ皇子こそが正当な皇位継承者だった。しかしその前に立ちはだかったのが皇家の血筋から入内した女性であり、彼女が先に産んだ皇子だった。継承問題は最も血筋の濃さを重要視する。嵐子には勝ち目がなかった。皇后の産んだ皇子の薨御は彼女にすれば『棚から牡丹餅』でしかなかっただろう。プライドの高い彼女はそれすら気に入らなかったのかもしれない。

 朗子にとっては小夜子ではなく自分が入内して『妃』になっていれば、皇子を生んだのは自分だったと思うのだろう。その場合は武の様に隠されることはなかったはずだ。

「もしかして……一条響は本当ならば自分こそが皇子で、高御座たかみくらに就いたはずだったと思っている?」

「多分……そのような発言をしていたとの証言もあります」

「不敬な。武さまだけでなく今上もか」

「さすがに玉座の方には何も言えないでしょうが、彼は武さまに不敬な言動を繰り返して来た様子です。武さまは何も仰ったりしませんが」

 敦紀が周と貴之の言葉を裏付けるように言った。

「ご自分の胸に収めてしまわれるのが武さまらしいですが」

 その結果がストレスとして蓄積される。そこが心配だと雅久は付け加えた。

「あとは夕麿自身がどう結論を出して、どう行動するかだな」

 すぐにでもここに駆け付けて武の側にいて欲しい。誰しもが望み願うことがうまく動かないのが歯がゆい。

「取り敢えず何かまたわかったら教えてくれ」

 雫は雫で貴之の代わりに夕麿の専任警護に就いている成美から、『本日の報告』として夕麿の様子や響の言動の報告を詳しく受けている。

 これまで『何故そうなるのか』という疑問だった響の言動の説明が、今日の貴之の報告ではっきりと見えて来た。だがそれでも疑問は残る。

 そう、彼は一体何がしたいのか……である。

「しかし、夕麿はいつまでこの状態を続けるつもりなんだ?」

 周が言うのもわかる。確かに武の療養先は教えてはいない。だが専任警護にあたっている成美に一言えば、すぐにここに来る手配がされるだろう。しかも武が今どこにいるのかはGPSでわかるはずだ。武たちや雫と部下たちはこれまでのことを踏まえて特別仕様のスマホを所持使用している。通話もメールも傍受されたり、妨害されたりができないようになっている。それで武のGPSを見て現在位置を確認できる。

 なのに何故?

 誰も夕麿からの連絡は受けていない。武に対しても一切ないのは確認済みだ。

 演奏会への参加は既に終わっている。

 六条が原宮にも戻らず、ペントハウスにとどまったままでいる。

 何がどうなっているのか、夕麿は何を想い、何をしようとしているのか。

 わからないまま時間が過ぎて行くのだった。

 
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