【完結】時計台の約束

とっくり

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33事故

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 どれだけ待っても、ルーカスは来なかった。
 空は、夜と朝の狭間でぼんやりと白み始めている。時計台の針は、無情に次の時刻を告げた。

 アメリアの手足は、すでに感覚を失いかけていた。濡れた髪が頬に張り付き、体の芯まで冷え切っているのに、それすらも感じない。

(……違う、まだよ。まだ希望はある)

 震える唇でそう自分に言い聞かせながら、アメリアは辺りを見渡した。
 遠くに人影はない。商人の荷馬車が一台、通りの向こうをゆっくりと横切っていっただけだった。

(……もしかして、待ち合わせ場所を間違えた?)

 そんなはずはない。ふたりで何度も地図を見て、話し合って決めた場所だった。ルーカスの字で書かれたメモも、まだポケットの中にある。

 でも、何かトラブルがあったのかもしれない。
 事故に巻き込まれた? 誰かに捕まった? あるいは――


(……そんなわけない、ルーカスは来る。絶対に……)


 ぎゅっと目を閉じて、ただ静かに祈る。
 だが、耳に届くのは雨音と、遠ざかっていく馬車の車輪の音だけだった。

 ――それでも、アメリアはそこを動けなかった。

 希望を手放してしまったら、すべてが終わってしまう気がした。

(……こんな形で、終わるなんて……)


 彼の言葉は、嘘だったの?
 それとも、誰かに引き裂かれた?

 あるいは……本当は、最初から自分ひとりが舞い上がっていただけ?

 そんな疑念が胸を締めつける。信じたい。でも、信じるにはあまりにも時間が過ぎすぎていた。

 アメリアは、両手で顔を覆った。涙はもう、冷たい雨に溶けてわからない。この場に立ち尽くしても、彼が来る保証はどこにもなかった。

 それでも――それでも彼女は、もう少しだけ、ここにいたかった。

(……せめて、もう一度だけ、「信じたい」って思わせて)


どれくらい、そこに立っていただろうかーー

 夜明けの空は灰色の雲に覆われ、朝が来たはずなのに世界は少しも明るくなっていなかった。

 アメリアはふと、雨に濡れた鞄を見下ろした。小さなその中には、今日から始まるはずだった「ふたりの生活」がすべて詰まっている筈だった。

 なのに、それを見つめる自分の手が、こんなにも空っぽに思えるのはなぜだろう。

(……探さなきゃ)

 心のどこかで、もう答えは出ている気がした。けれど、今はまだそれを言葉にできなかった。アメリアは濡れたコートの裾を払い、坂を駆け下りる。

 町の中を――ルーカスを探して。

 馬車を降りた場所。荷台の番をしていた御者の姿はもうなかった。宿屋にも立ち寄ってみたが、彼の名前を告げても、誰も心当たりがないという。


(……来る。きっと来る。そう信じてる)

 そんな祈るような思いを、背後からの人声がかすかにかき消した。

 「……夜明け前に、事故があったらしいな」

「なんでも、若い男が馬車に轢かれたって噂だが……目撃者はほとんどいないとか」

「場所は時計台の近くだって聞いたけど……変なんだよ。遺体はどこにもなかったって話でな」

「でもさ、港の外れで、夜明けごろに粗末な馬車が停まってたのを見たって人がいて――」

「ほら、波止場の裏手。倉庫の並びの影になってる辺り」

 アリシアの心臓が、どくん、と大きく跳ねた。


(……まさか)


 思わず振り返るが、話しているのは旅人風の男たちだった。誰かが「そう聞いた」と言い、誰かが「見た気がする」と曖昧に答えている。


「霧も出てたし、雨もひどかったからな……ほんとかどうかもわからん」

「誰かがわざと隠してるんじゃないかって話も出てる。身元も不明だっていうし……」

アリシアはその言葉の続きを聞くことなく、濡れた石畳を蹴って駆け出した。



(違う。絶対、そんなはずない――)


 胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

 信じたくない想像が、冷たい雨よりも重く心にのしかかる。

 彼が来なかった理由。
 まさか――そんなことがあっていいはずがないのに。

 彼の笑顔、声、あたたかい手。それがこの世から消えてしまうなんて、想像するだけで心が凍えそうだった。

(そんなの、いや。違うって、言って)

 アリシアは雨に濡れながら、霧の立ち込める港へと走り続けた。



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