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その日の授業が終わり、学園の門を出ると、すでにエベルハルト家の紋章を掲げた馬車が待っていた。
エルディア王国の建国以来続く、由緒正しきエベルハルト伯爵家――
代々、王国の要職を務め、戦乱の時代には軍を率い、平和の時代には政を支えてきた。
その誇りと格式は、華やかさよりも厳格さに表れ、家中に流れる空気は常に張り詰めている。
エベルハルト伯爵家の歴史と誇りは確かだが、同時に重苦しい鎖のように、カタリナの肩へとのしかかっていた。
御者が頭を下げ、馬車の扉を開けると、カタリナは「ありがとう」と告げ、静かに乗り込む。
学園で過ごした時間の余韻が、まだ胸の奥に温かく残っていた。クラリッサやセザンヌと交わした笑い声、昼食の食堂の喧噪。
しかし邸宅が近づくにつれ、その温かさは徐々に冷たい空気に押し込められていくようだった。
やがて馬車は重厚な門をくぐり、灰色の石造りの館が姿を現す。その邸宅は、どこか陰鬱で、カタリナには冷たい檻のように映った。
玄関先で控える執事と侍女たちが一斉に頭を下げる。
「お帰りなさいませ、カタリナ様」
その声は整っているが、温もりはなかった。決まり文句の挨拶を返しながら、カタリナは胸の奥で小さく息を吐く。
屋敷の奥に目をやると、両親の姿がちらりと見えた。
父・パウエルは書斎の奥で書類をめくるだけ、母・エナリアは広間の椅子に座り、何も言わず黙している。
二人とも、屋敷の中に存在しているだけで、カタリナに声を掛けることも、慰めることもない。まるで空気のように漂っているだけだった。
この家には、笑い声も、労りの言葉もない。あるのは、期待と責務、そして病床の祖母から届く厳しい手紙だけ。
学園から戻るたびに、日常が切り替わるように感じる。
――ここでは、決して心を緩めてはいけない。
自分にそう言い聞かせながら、カタリナは背筋を伸ばし、大理石の床を踏みしめて屋敷の奥へ歩みを進めた。
「カタリナ様、大奥様からのお手紙です」
執事が差し出したのは、病に伏す祖母からの封筒だった。
昨年、流行病で祖父が世を去り、祖母も同じ病に罹患している。今は本邸から少し離れた別邸で療養中だ。
「……また、お祖母様から」
声を低く呟きながら、カタリナは自室に戻り、机の上で封を切った。
中の便箋には、震える筆致ながらも相変わらず厳しい言葉が連ねられていた。
――学園での学びを怠るな。
――令嬢としての立ち居振る舞いは、常に家の名誉を背負っていると心得よ。
――お前の父には任せられぬ。お前こそ、次の当主として相応しくあれ。
病床にあっても、その筆力と容赦のなさは変わらない。
祖父が健在の頃は、情け容赦のない教育を受けた。
「お前が次代を担うのだ」
そう言われ、幼い頃から父・パウエルより先に「後継者」として扱われてきた。
「女だからではなく、お前はパウエルより優れているからだ」
父は出来が悪いと祖父母に認められず、幼いカタリナに「次代を担え」という期待が注がれた。
祖父の眼差しに温もりはなく、ただ鋭く重かった。
祖母はさらに厳しかった。一つの所作、一つの言葉遣いの乱れを鋭く咎め、完璧であることを求め続けた。
流行病で臥せってからも、病床から手紙を送り、カタリナを指導し続ける。
カタリナは手紙を畳み、静かに机に置いた。指先が小さく震える。
両親の姿を思い浮かべる。
父も母も、祖父母に従うあまり、自分に声を掛けることはない。
屋敷にいても存在感は薄く、カタリナの心に届く温もりは何もなかった。
――喜びは期待につながる。
――期待は裏切られれば失望に変わる。
それを避けるために、幼い頃からカタリナは「喜び」を遠ざけ、「諦める」ことを選んできた。
けれど、そんな彼女の心を揺さぶったのがリュミエールだった。
初めて会ったとき、王子のような容姿と、珍しい鉱石の贈り物に、カタリナは目を見張った。
サプライズなど知らなかったカタリナにとって、それは初めて灯された温かな記憶だった。
そして、共に学園に入学し、しばらく経ってからーー
もしかしたら、避けられているのかもしれないと感じるようになった。
婚約者同士だから、登下校を共にするものだと思っていたカタリナだったが、祖母の反対にあい、二人は別々に過ごすことになった。
昼休みも、当初は一緒に過ごそうとカタリナが声をかけたが、リュミエールは先生に呼ばれたり、クラスの係の用事があったりして、何度も断られることが続いた。
わざとではないと理解はしていたが、次第に意図的なのではないか、という気持ちが心をもたげる。
何気なく尋ねられたセザンヌの言葉がよぎる。
【婚約者なのに、学園では別々に過ごしているなんて……寂しくない?】
胸の奥が冷たく沈むたび、寂しさという感情がひょっこり顔を出す。
しかし、祖父母の声が脳裏に響く――
「弱さを見せるな」その言葉が、カタリナを縛りつけた。
毅然とした仮面を被りながらも、仮面の下の波紋は広がり続ける。
クラリッサやセザンヌと交わす笑い声が、胸に鋭く刺さる。
彼女たちの無邪気な笑顔を見るたび、自分の孤独と寂しさが浮かび上がるのを自覚するようになっていた。
それでも――クラリッサとセザンヌと過ごす時間は、カタリナの凍てついた心を温める、大切な時間だった。
リュミエール以外で、初めて心が少し軽くなる、温かい感情を抱かせてくれる存在。
「……寂しい、なんて」
小さな吐息とともに零れた言葉は、誰にも届くことなく、夕闇の中に沈んでいった。
エルディア王国の建国以来続く、由緒正しきエベルハルト伯爵家――
代々、王国の要職を務め、戦乱の時代には軍を率い、平和の時代には政を支えてきた。
その誇りと格式は、華やかさよりも厳格さに表れ、家中に流れる空気は常に張り詰めている。
エベルハルト伯爵家の歴史と誇りは確かだが、同時に重苦しい鎖のように、カタリナの肩へとのしかかっていた。
御者が頭を下げ、馬車の扉を開けると、カタリナは「ありがとう」と告げ、静かに乗り込む。
学園で過ごした時間の余韻が、まだ胸の奥に温かく残っていた。クラリッサやセザンヌと交わした笑い声、昼食の食堂の喧噪。
しかし邸宅が近づくにつれ、その温かさは徐々に冷たい空気に押し込められていくようだった。
やがて馬車は重厚な門をくぐり、灰色の石造りの館が姿を現す。その邸宅は、どこか陰鬱で、カタリナには冷たい檻のように映った。
玄関先で控える執事と侍女たちが一斉に頭を下げる。
「お帰りなさいませ、カタリナ様」
その声は整っているが、温もりはなかった。決まり文句の挨拶を返しながら、カタリナは胸の奥で小さく息を吐く。
屋敷の奥に目をやると、両親の姿がちらりと見えた。
父・パウエルは書斎の奥で書類をめくるだけ、母・エナリアは広間の椅子に座り、何も言わず黙している。
二人とも、屋敷の中に存在しているだけで、カタリナに声を掛けることも、慰めることもない。まるで空気のように漂っているだけだった。
この家には、笑い声も、労りの言葉もない。あるのは、期待と責務、そして病床の祖母から届く厳しい手紙だけ。
学園から戻るたびに、日常が切り替わるように感じる。
――ここでは、決して心を緩めてはいけない。
自分にそう言い聞かせながら、カタリナは背筋を伸ばし、大理石の床を踏みしめて屋敷の奥へ歩みを進めた。
「カタリナ様、大奥様からのお手紙です」
執事が差し出したのは、病に伏す祖母からの封筒だった。
昨年、流行病で祖父が世を去り、祖母も同じ病に罹患している。今は本邸から少し離れた別邸で療養中だ。
「……また、お祖母様から」
声を低く呟きながら、カタリナは自室に戻り、机の上で封を切った。
中の便箋には、震える筆致ながらも相変わらず厳しい言葉が連ねられていた。
――学園での学びを怠るな。
――令嬢としての立ち居振る舞いは、常に家の名誉を背負っていると心得よ。
――お前の父には任せられぬ。お前こそ、次の当主として相応しくあれ。
病床にあっても、その筆力と容赦のなさは変わらない。
祖父が健在の頃は、情け容赦のない教育を受けた。
「お前が次代を担うのだ」
そう言われ、幼い頃から父・パウエルより先に「後継者」として扱われてきた。
「女だからではなく、お前はパウエルより優れているからだ」
父は出来が悪いと祖父母に認められず、幼いカタリナに「次代を担え」という期待が注がれた。
祖父の眼差しに温もりはなく、ただ鋭く重かった。
祖母はさらに厳しかった。一つの所作、一つの言葉遣いの乱れを鋭く咎め、完璧であることを求め続けた。
流行病で臥せってからも、病床から手紙を送り、カタリナを指導し続ける。
カタリナは手紙を畳み、静かに机に置いた。指先が小さく震える。
両親の姿を思い浮かべる。
父も母も、祖父母に従うあまり、自分に声を掛けることはない。
屋敷にいても存在感は薄く、カタリナの心に届く温もりは何もなかった。
――喜びは期待につながる。
――期待は裏切られれば失望に変わる。
それを避けるために、幼い頃からカタリナは「喜び」を遠ざけ、「諦める」ことを選んできた。
けれど、そんな彼女の心を揺さぶったのがリュミエールだった。
初めて会ったとき、王子のような容姿と、珍しい鉱石の贈り物に、カタリナは目を見張った。
サプライズなど知らなかったカタリナにとって、それは初めて灯された温かな記憶だった。
そして、共に学園に入学し、しばらく経ってからーー
もしかしたら、避けられているのかもしれないと感じるようになった。
婚約者同士だから、登下校を共にするものだと思っていたカタリナだったが、祖母の反対にあい、二人は別々に過ごすことになった。
昼休みも、当初は一緒に過ごそうとカタリナが声をかけたが、リュミエールは先生に呼ばれたり、クラスの係の用事があったりして、何度も断られることが続いた。
わざとではないと理解はしていたが、次第に意図的なのではないか、という気持ちが心をもたげる。
何気なく尋ねられたセザンヌの言葉がよぎる。
【婚約者なのに、学園では別々に過ごしているなんて……寂しくない?】
胸の奥が冷たく沈むたび、寂しさという感情がひょっこり顔を出す。
しかし、祖父母の声が脳裏に響く――
「弱さを見せるな」その言葉が、カタリナを縛りつけた。
毅然とした仮面を被りながらも、仮面の下の波紋は広がり続ける。
クラリッサやセザンヌと交わす笑い声が、胸に鋭く刺さる。
彼女たちの無邪気な笑顔を見るたび、自分の孤独と寂しさが浮かび上がるのを自覚するようになっていた。
それでも――クラリッサとセザンヌと過ごす時間は、カタリナの凍てついた心を温める、大切な時間だった。
リュミエール以外で、初めて心が少し軽くなる、温かい感情を抱かせてくれる存在。
「……寂しい、なんて」
小さな吐息とともに零れた言葉は、誰にも届くことなく、夕闇の中に沈んでいった。
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