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ある日のこと。
シュタイン家の広間に、取引先の令嬢や令息が大人に伴われて集まった。
大人たちは応接室に移り、商談の席へ。
子供たちが集められた別室では、盤遊びや軽食が用意され、取り繕った「遊びの場」が整えられていた。
だが実際には、互いの家柄や将来の話を探り合う小さな社交場である。
その中で、ひときわ華美な令嬢が、取り巻きと共に声を張り上げていた。
ーールチア・ブランシュ伯爵令嬢が一歩前に出る。
薄桃色のドレスに身を包み、巻き髪を揺らしながら、まるで舞台の上に立つ女優のように堂々としていた。
「わたくし、どこにいても必ず注目を浴びるの。昨日も父の取り引き先の方達から“まるで薔薇の精のようだ”と褒められたのよ」
周囲の子女が曖昧に笑う中、ルチアは視線をリュミエールへと向けた。
「あなたもそう思うでしょう?……ふふ、顔を赤らめなくてもいいのよ。わたくし、目の肥えた方には慣れているの」
リュミエールは軽やかに笑みを浮かべた。
「確かに、薔薇は美しい花ですね」
言葉を濁し、巧みに褒めも否定もせず返す。
そのスマートな応対に気を良くしたルチアは、さらに一歩踏み込んだ。
ひそやかに手を伸ばし、リュミエールの手を掴むと、ぐいと廊下の奥へ引っ張っていく。
「えっ、ルチア嬢……?」
「いいでしょう?二人きりでお話ししましょうよ。人目なんて邪魔なだけだわ」
人気のない回廊に連れ込まれると、ルチアは大胆に笑った。
「ねぇ、あなたの顔、とても素敵ね。今までの令息方とは全然違うわ。……そうね、わたくしの婚約者にしてあげてもいいわ」
その言葉は、完全に上からの物言いだった。
リュミエールは一瞬だけ目を細め、すぐにいつもの柔らかな笑みを取り戻す。
「せっかくの話だけれど……僕にはすでに婚約者がいるんだ」
その瞬間、ルチアの目が大きく見開かれた。
「婚約者……?誰ですの?」
「エベルハルト伯爵家のカタリナ嬢です」
その名が出た途端、ルチアの顔色はみるみる赤くなり、そして悔しさに歪んだ。
「エベルハルト家の……!でも、あの方は冷たくて無愛想だと聞いているわ。あなたのような方には、もっと相応しい相手がいるはずよ!」
言葉と共に、ルチアは強引にリュミエールに胸にしなだれかかった。
「私はあなたを選んだの。どうして断るの?
私なら、あなたをもっと大切にしてあげられるのに……」
瞳を潤ませ、泣き落としのように縋りつく。
だがリュミエールは、やはり柔らかな微笑を崩さなかった。
「ご厚意はありがたいけれど……僕は心を偽れない。婚約者を裏切るようなことはできないんだ」
その静かな拒絶に、令嬢の顔は羞恥と怒りで紅潮する。
「何ですって!?あなた、何様なの?卑しい血筋のくせに!顔だけが取り柄で偉そうに!所詮、シュタイン家なんて、平民上がりの新興貴族じゃない!」
吐き捨てるような罵声が、リュミエールの胸に鋭く突き刺さった。
表情を崩さず微笑を浮かべながら、その場を収めたものの、内心では血が凍るような思いが広がっていく。
――やはり、僕はそう見られている。
どれほど勉強しても、どれほど笑顔を作っても、血筋という一点で嘲られる。
無意識のうちに、カタリナの姿が浮かんだ。
彼女なら、こんな浅ましい態度は決して取らない。
誰かを見下すことなく、常に誇りを胸に毅然と立っている。
惹かれる気持ちは募るのに、同時に胸の奥では苦い声が響く。
――僕は彼女に釣り合わない。
――僕は、所詮「卑しい血」を抱えた子だ。
そう思うたび、自然と顔に笑みを貼りつける術を覚えていった。
笑えば、誰も心の奥を覗こうとはしない。
明るく、軽やかに振る舞えば、自分自身さえも騙せる気がした。
カタリナへの思いを隠し、劣等感を覆い隠すために――
その日から、リュミエールの「仮面」はますます強固なものとなっていった。
***
取引先の令嬢の罵声が胸の奥に残ったまま迎えた、月一回のカタリナとのお茶会の日。
リュミエールは、いつも以上に「仮面」を意識していた。
エベルハルト伯爵家の応接間。
磨き込まれたテーブルに、香り高い紅茶と菓子が並ぶ。
カタリナはその席で姿勢を崩さず、真っ直ぐな瞳をこちらへ向けていた。
――やっぱり。
彼女は同年代の令嬢たちと比べても群を抜いている。
毅然とした佇まいは、幼さよりも未来の伯爵夫人としての気配を漂わせていた。
そんな彼女の前で、リュミエールは軽く肩をすくめ、笑みを浮かべる。
「今日は随分と大人びて見えるね。紅茶よりも君の方が香り高いんじゃないかな」
軽口を叩きながらも、胸の奥では焦燥が渦巻いていた。
本当は、彼女の真っ直ぐな瞳に見透かされるのが怖かった。
この仮面の下に隠した、劣等感や不安。
――“卑しい血”という呪いを。
カタリナは微笑を返す。
だがその微笑は、どこか彼の飄々とした態度を見抜いているようで、胸をざわつかせた。
「リュミエール様こそ、余裕たっぷりに見えますわ」
彼女の声は柔らかい。けれど、不思議な強さを秘めている。
胸の奥がひりつく。
――この人にだけは、本当の自分を知られたくない。
――けれど、この人にこそ、知ってほしい。
相反する思いに挟まれて、リュミエールはまた笑みを強めた。
「余裕なんてないよ。ただ……君といると、不思議と楽しいんだ」
それ以上は言えなかった。
劣等感と恐れが、言葉の先を塞ぐ。
紅茶の香りが漂う中、二人の間には仮面越しの沈黙が落ちた。
だがその沈黙さえも、リュミエールにとっては苦しくも愛おしいひとときだった。
シュタイン家の広間に、取引先の令嬢や令息が大人に伴われて集まった。
大人たちは応接室に移り、商談の席へ。
子供たちが集められた別室では、盤遊びや軽食が用意され、取り繕った「遊びの場」が整えられていた。
だが実際には、互いの家柄や将来の話を探り合う小さな社交場である。
その中で、ひときわ華美な令嬢が、取り巻きと共に声を張り上げていた。
ーールチア・ブランシュ伯爵令嬢が一歩前に出る。
薄桃色のドレスに身を包み、巻き髪を揺らしながら、まるで舞台の上に立つ女優のように堂々としていた。
「わたくし、どこにいても必ず注目を浴びるの。昨日も父の取り引き先の方達から“まるで薔薇の精のようだ”と褒められたのよ」
周囲の子女が曖昧に笑う中、ルチアは視線をリュミエールへと向けた。
「あなたもそう思うでしょう?……ふふ、顔を赤らめなくてもいいのよ。わたくし、目の肥えた方には慣れているの」
リュミエールは軽やかに笑みを浮かべた。
「確かに、薔薇は美しい花ですね」
言葉を濁し、巧みに褒めも否定もせず返す。
そのスマートな応対に気を良くしたルチアは、さらに一歩踏み込んだ。
ひそやかに手を伸ばし、リュミエールの手を掴むと、ぐいと廊下の奥へ引っ張っていく。
「えっ、ルチア嬢……?」
「いいでしょう?二人きりでお話ししましょうよ。人目なんて邪魔なだけだわ」
人気のない回廊に連れ込まれると、ルチアは大胆に笑った。
「ねぇ、あなたの顔、とても素敵ね。今までの令息方とは全然違うわ。……そうね、わたくしの婚約者にしてあげてもいいわ」
その言葉は、完全に上からの物言いだった。
リュミエールは一瞬だけ目を細め、すぐにいつもの柔らかな笑みを取り戻す。
「せっかくの話だけれど……僕にはすでに婚約者がいるんだ」
その瞬間、ルチアの目が大きく見開かれた。
「婚約者……?誰ですの?」
「エベルハルト伯爵家のカタリナ嬢です」
その名が出た途端、ルチアの顔色はみるみる赤くなり、そして悔しさに歪んだ。
「エベルハルト家の……!でも、あの方は冷たくて無愛想だと聞いているわ。あなたのような方には、もっと相応しい相手がいるはずよ!」
言葉と共に、ルチアは強引にリュミエールに胸にしなだれかかった。
「私はあなたを選んだの。どうして断るの?
私なら、あなたをもっと大切にしてあげられるのに……」
瞳を潤ませ、泣き落としのように縋りつく。
だがリュミエールは、やはり柔らかな微笑を崩さなかった。
「ご厚意はありがたいけれど……僕は心を偽れない。婚約者を裏切るようなことはできないんだ」
その静かな拒絶に、令嬢の顔は羞恥と怒りで紅潮する。
「何ですって!?あなた、何様なの?卑しい血筋のくせに!顔だけが取り柄で偉そうに!所詮、シュタイン家なんて、平民上がりの新興貴族じゃない!」
吐き捨てるような罵声が、リュミエールの胸に鋭く突き刺さった。
表情を崩さず微笑を浮かべながら、その場を収めたものの、内心では血が凍るような思いが広がっていく。
――やはり、僕はそう見られている。
どれほど勉強しても、どれほど笑顔を作っても、血筋という一点で嘲られる。
無意識のうちに、カタリナの姿が浮かんだ。
彼女なら、こんな浅ましい態度は決して取らない。
誰かを見下すことなく、常に誇りを胸に毅然と立っている。
惹かれる気持ちは募るのに、同時に胸の奥では苦い声が響く。
――僕は彼女に釣り合わない。
――僕は、所詮「卑しい血」を抱えた子だ。
そう思うたび、自然と顔に笑みを貼りつける術を覚えていった。
笑えば、誰も心の奥を覗こうとはしない。
明るく、軽やかに振る舞えば、自分自身さえも騙せる気がした。
カタリナへの思いを隠し、劣等感を覆い隠すために――
その日から、リュミエールの「仮面」はますます強固なものとなっていった。
***
取引先の令嬢の罵声が胸の奥に残ったまま迎えた、月一回のカタリナとのお茶会の日。
リュミエールは、いつも以上に「仮面」を意識していた。
エベルハルト伯爵家の応接間。
磨き込まれたテーブルに、香り高い紅茶と菓子が並ぶ。
カタリナはその席で姿勢を崩さず、真っ直ぐな瞳をこちらへ向けていた。
――やっぱり。
彼女は同年代の令嬢たちと比べても群を抜いている。
毅然とした佇まいは、幼さよりも未来の伯爵夫人としての気配を漂わせていた。
そんな彼女の前で、リュミエールは軽く肩をすくめ、笑みを浮かべる。
「今日は随分と大人びて見えるね。紅茶よりも君の方が香り高いんじゃないかな」
軽口を叩きながらも、胸の奥では焦燥が渦巻いていた。
本当は、彼女の真っ直ぐな瞳に見透かされるのが怖かった。
この仮面の下に隠した、劣等感や不安。
――“卑しい血”という呪いを。
カタリナは微笑を返す。
だがその微笑は、どこか彼の飄々とした態度を見抜いているようで、胸をざわつかせた。
「リュミエール様こそ、余裕たっぷりに見えますわ」
彼女の声は柔らかい。けれど、不思議な強さを秘めている。
胸の奥がひりつく。
――この人にだけは、本当の自分を知られたくない。
――けれど、この人にこそ、知ってほしい。
相反する思いに挟まれて、リュミエールはまた笑みを強めた。
「余裕なんてないよ。ただ……君といると、不思議と楽しいんだ」
それ以上は言えなかった。
劣等感と恐れが、言葉の先を塞ぐ。
紅茶の香りが漂う中、二人の間には仮面越しの沈黙が落ちた。
だがその沈黙さえも、リュミエールにとっては苦しくも愛おしいひとときだった。
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