【完結】不可解な君に恋して

とっくり

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 表向き、リュミエールは「一年の学士院留学」としてハバナールに渡った。
 だが実際には、母が遺した蒼石を頼りに、己の父を探す旅だった。

 最初の一年は授業と調査を並行し、王立文庫で目にした古い記録が母の遺品と符合したことで、帰国の予定は自然と延びていった。

 二年目には北境の宿場や記録係への聞き取りを続け、気づけば「留学」は二年を超えていた。

 ――そして今、彼は三年目に足を踏み入れていた。


 *

 ハバナール王立文庫の静かな書架。
 リュミエールは厚い写本を片手で支えながら、窓辺に腰を下ろしていた。

 陽光に縞目を光らせる石の挿絵を見つめ、唇にかすかな笑みを浮かべる。

「“春の密行、鷹の留め金、蒼石は朝紫に染まる”……か」

 母が遺した石と、ここに記された文様。糸が繋がるたび、答えは遠ざかるようで近づいてくる。

 ページを閉じて、彼は小袋の石を取り出す。掌に転がせば、冷たいはずの表面に脈打つような温もりが返ってきた。

(やっぱり……は、王族だったのかもしれない)

 真実に近づけば近づくほど、血筋への劣等感が静かに疼く。それでも彼の表情は崩れない。軽やかさを纏った“仮面”は、誰に見せるでもなく自然にそこにあった。

「……さて、と」

 石をしまい込み、椅子から立ち上がる。
 今日の午後は、学士院の教授に招かれた茶会がある。

 政治と学問の話ばかりで退屈に違いないが、情報の網を広げるには悪くない。

 扉を閉める直前、ふと彼は空を見上げた。

 遠い王都に残してきた黒曜石のような瞳をもつ婚約者の姿が脳裏をかすめる。


(カタリナ……手紙は届いただろうか)

 美しい微笑を浮かべ、肩を竦めた。

 風任せのように見せながら、彼の探しているものはただ一つ。父の名を、そして自分の核となる部分を確かめることだった。


 ***

 白壁の学士院、その中庭に面したサロンには、春の陽光が柔らかく差し込んでいた。

 丸テーブルの上には淡い香りの紅茶と、果実を添えた菓子皿。

 教授や留学生が十名ほど、談笑を交えつつ椅子に腰掛けていた。

 リュミエールもその輪のひとりだった。 金の髪を肩に流し、カップを傾けながら、誰もが目を惹く笑みを絶やさない。

 歴史学教授は茶をひと口含み、声を低く落とした。

「――二十一年前、王家の記録に不自然な空白がある。
 第三王子が“”と称して旅に出たはずの数か月が、公式文書から抜け落ちているのだ」

 留学生が興味深そうに身を乗り出す。
「抜け落ちたって、単に紛失では?」

「いや、残っている断片がある。エルディアの宿営地に、王子らしき人物が滞在したとする領主日誌。名前は書かれていないが、随行と思しき従者の名がいくつか一致している」
 教授は薄く笑みを浮かべ、机に指を叩いた。

 場がざわめいた。若い学士が冗談めかして囁く。
「じゃあ、エルディアで恋でもしていたんじゃないか?歴史的大恋愛をして……隠し子でも残してたりして」

 またしても笑いが広がる。
 リュミエールは、肩をすくめて軽やかに応じた。

「旅の土産が“”というのは、どこの国でも付きものです。
王族の恋ほど、人々は関心を持ちやすい。
そこにロマンチックさが加われば、人は飛びつく。
けれど、証拠がない以上、僕ら学生が笑い話にするくらいがちょうどいい」

 その場はまた笑いに包まれたが、彼の胸中では血の音が高鳴っていた。

(……母が遺した石と同じ土地だ)

 老教授は最後にカップを置き、静かにまとめた。
「史実は断片からしか浮かび上がらない。だが空白を埋める作業は、未来に責任を持つことにも繋がる」

 言葉がサロンに沈む。
 リュミエールは軽やかな笑みを浮かべながらも、心の底で囁いた。

(――母と第三王子の“空白の時期”。そこに僕の始まりがあるのかだろうか)

 その翌日。
 学士院の図書館は、朝の光を受けて静かに輝いていた。高い天窓から射す光が古文書の背表紙を照らし、埃の粒が舞う。

 リュミエールは書庫の奥に足を踏み入れた。

 前日の茶会で語られた「第三王子の巡見」の空白。それを確かめるためだ。

 革表紙の古い日誌を引き寄せ、指先で頁を繰る。インクの跡は薄れ、かすれた文字が紙に滲んでいる。

「……エルディア北境にて、随行の者フロレンツ、馬の傷を治療す」

 その一行で、彼の碧眼が細められた。
 フロレンツ――確か、宮廷記録に出ていた王子の従者と同じ名だ。

(やはり、王子はエルディアに滞在していたか)

 さらに頁をめくると、今度は唐突に数枚が破り取られている。まるで、意図的に消されたかのように。

「おや、また“”か」
 軽い声を出して、ひとりごとのように笑った。
 近くの学士が不思議そうに振り返るが、リュミエールは肩をすくめて笑顔を返す。

 けれど胸の奥では、別の声が鋭く響いていた。

(母がハバナールの石を遺した理由……二十一年前、王子が訪れたのなら、すべて辻褄が合う)

 ポケットの中で蒼石を握る。冷たさが掌を貫きながら、不思議な温もりを宿していた。

「……次は、宮廷の記録庫を探すか」
 小声で呟く。

 その時、背後から声がかかった。
「リュミエール殿、また古文書ですか? 随分と熱心ですね」
 同輩の留学生が茶化すように覗き込んでくる。

「ええ、退屈しのぎに。……過去は面白い。穴があると、埋めてみたくなる」
 リュミエールは掴みどころのない笑みで返し、頁を閉じた。

 真実を追う足音は、まだ誰にも気づかれていない。


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