23 / 40
23
しおりを挟む
表向き、リュミエールは「一年の学士院留学」としてハバナールに渡った。
だが実際には、母が遺した蒼石を頼りに、己の父を探す旅だった。
最初の一年は授業と調査を並行し、王立文庫で目にした古い記録が母の遺品と符合したことで、帰国の予定は自然と延びていった。
二年目には北境の宿場や記録係への聞き取りを続け、気づけば「留学」は二年を超えていた。
――そして今、彼は三年目に足を踏み入れていた。
*
ハバナール王立文庫の静かな書架。
リュミエールは厚い写本を片手で支えながら、窓辺に腰を下ろしていた。
陽光に縞目を光らせる石の挿絵を見つめ、唇にかすかな笑みを浮かべる。
「“春の密行、鷹の留め金、蒼石は朝紫に染まる”……か」
母が遺した石と、ここに記された文様。糸が繋がるたび、答えは遠ざかるようで近づいてくる。
ページを閉じて、彼は小袋の石を取り出す。掌に転がせば、冷たいはずの表面に脈打つような温もりが返ってきた。
(やっぱり……あの人は、王族だったのかもしれない)
真実に近づけば近づくほど、血筋への劣等感が静かに疼く。それでも彼の表情は崩れない。軽やかさを纏った“仮面”は、誰に見せるでもなく自然にそこにあった。
「……さて、と」
石をしまい込み、椅子から立ち上がる。
今日の午後は、学士院の教授に招かれた茶会がある。
政治と学問の話ばかりで退屈に違いないが、情報の網を広げるには悪くない。
扉を閉める直前、ふと彼は空を見上げた。
遠い王都に残してきた黒曜石のような瞳をもつ婚約者の姿が脳裏をかすめる。
(カタリナ……手紙は届いただろうか)
美しい微笑を浮かべ、肩を竦めた。
風任せのように見せながら、彼の探しているものはただ一つ。父の名を、そして自分の核となる部分を確かめることだった。
***
白壁の学士院、その中庭に面したサロンには、春の陽光が柔らかく差し込んでいた。
丸テーブルの上には淡い香りの紅茶と、果実を添えた菓子皿。
教授や留学生が十名ほど、談笑を交えつつ椅子に腰掛けていた。
リュミエールもその輪のひとりだった。 金の髪を肩に流し、カップを傾けながら、誰もが目を惹く笑みを絶やさない。
歴史学教授は茶をひと口含み、声を低く落とした。
「――二十一年前、王家の記録に不自然な空白がある。
第三王子が“巡見”と称して旅に出たはずの数か月が、公式文書から抜け落ちているのだ」
留学生が興味深そうに身を乗り出す。
「抜け落ちたって、単に紛失では?」
「いや、残っている断片がある。エルディアの宿営地に、王子らしき人物が滞在したとする領主日誌。名前は書かれていないが、随行と思しき従者の名がいくつか一致している」
教授は薄く笑みを浮かべ、机に指を叩いた。
場がざわめいた。若い学士が冗談めかして囁く。
「じゃあ、エルディアで恋でもしていたんじゃないか?歴史的大恋愛をして……隠し子でも残してたりして」
またしても笑いが広がる。
リュミエールは、肩をすくめて軽やかに応じた。
「旅の土産が“恋の噂”というのは、どこの国でも付きものです。
王族の恋ほど、人々は関心を持ちやすい。
そこにロマンチックさが加われば、人は飛びつく。
けれど、証拠がない以上、僕ら学生が笑い話にするくらいがちょうどいい」
その場はまた笑いに包まれたが、彼の胸中では血の音が高鳴っていた。
(……母が遺した石と同じ土地だ)
老教授は最後にカップを置き、静かにまとめた。
「史実は断片からしか浮かび上がらない。だが空白を埋める作業は、未来に責任を持つことにも繋がる」
言葉がサロンに沈む。
リュミエールは軽やかな笑みを浮かべながらも、心の底で囁いた。
(――母と第三王子の“空白の時期”。そこに僕の始まりがあるのかだろうか)
その翌日。
学士院の図書館は、朝の光を受けて静かに輝いていた。高い天窓から射す光が古文書の背表紙を照らし、埃の粒が舞う。
リュミエールは書庫の奥に足を踏み入れた。
前日の茶会で語られた「第三王子の巡見」の空白。それを確かめるためだ。
革表紙の古い日誌を引き寄せ、指先で頁を繰る。インクの跡は薄れ、かすれた文字が紙に滲んでいる。
「……エルディア北境にて、随行の者フロレンツ、馬の傷を治療す」
その一行で、彼の碧眼が細められた。
フロレンツ――確か、宮廷記録に出ていた王子の従者と同じ名だ。
(やはり、王子はエルディアに滞在していたか)
さらに頁をめくると、今度は唐突に数枚が破り取られている。まるで、意図的に消されたかのように。
「おや、また“穴”か」
軽い声を出して、ひとりごとのように笑った。
近くの学士が不思議そうに振り返るが、リュミエールは肩をすくめて笑顔を返す。
けれど胸の奥では、別の声が鋭く響いていた。
(母がハバナールの石を遺した理由……二十一年前、王子が訪れたのなら、すべて辻褄が合う)
ポケットの中で蒼石を握る。冷たさが掌を貫きながら、不思議な温もりを宿していた。
「……次は、宮廷の記録庫を探すか」
小声で呟く。
その時、背後から声がかかった。
「リュミエール殿、また古文書ですか? 随分と熱心ですね」
同輩の留学生が茶化すように覗き込んでくる。
「ええ、退屈しのぎに。……過去は面白い。穴があると、埋めてみたくなる」
リュミエールは掴みどころのない笑みで返し、頁を閉じた。
真実を追う足音は、まだ誰にも気づかれていない。
だが実際には、母が遺した蒼石を頼りに、己の父を探す旅だった。
最初の一年は授業と調査を並行し、王立文庫で目にした古い記録が母の遺品と符合したことで、帰国の予定は自然と延びていった。
二年目には北境の宿場や記録係への聞き取りを続け、気づけば「留学」は二年を超えていた。
――そして今、彼は三年目に足を踏み入れていた。
*
ハバナール王立文庫の静かな書架。
リュミエールは厚い写本を片手で支えながら、窓辺に腰を下ろしていた。
陽光に縞目を光らせる石の挿絵を見つめ、唇にかすかな笑みを浮かべる。
「“春の密行、鷹の留め金、蒼石は朝紫に染まる”……か」
母が遺した石と、ここに記された文様。糸が繋がるたび、答えは遠ざかるようで近づいてくる。
ページを閉じて、彼は小袋の石を取り出す。掌に転がせば、冷たいはずの表面に脈打つような温もりが返ってきた。
(やっぱり……あの人は、王族だったのかもしれない)
真実に近づけば近づくほど、血筋への劣等感が静かに疼く。それでも彼の表情は崩れない。軽やかさを纏った“仮面”は、誰に見せるでもなく自然にそこにあった。
「……さて、と」
石をしまい込み、椅子から立ち上がる。
今日の午後は、学士院の教授に招かれた茶会がある。
政治と学問の話ばかりで退屈に違いないが、情報の網を広げるには悪くない。
扉を閉める直前、ふと彼は空を見上げた。
遠い王都に残してきた黒曜石のような瞳をもつ婚約者の姿が脳裏をかすめる。
(カタリナ……手紙は届いただろうか)
美しい微笑を浮かべ、肩を竦めた。
風任せのように見せながら、彼の探しているものはただ一つ。父の名を、そして自分の核となる部分を確かめることだった。
***
白壁の学士院、その中庭に面したサロンには、春の陽光が柔らかく差し込んでいた。
丸テーブルの上には淡い香りの紅茶と、果実を添えた菓子皿。
教授や留学生が十名ほど、談笑を交えつつ椅子に腰掛けていた。
リュミエールもその輪のひとりだった。 金の髪を肩に流し、カップを傾けながら、誰もが目を惹く笑みを絶やさない。
歴史学教授は茶をひと口含み、声を低く落とした。
「――二十一年前、王家の記録に不自然な空白がある。
第三王子が“巡見”と称して旅に出たはずの数か月が、公式文書から抜け落ちているのだ」
留学生が興味深そうに身を乗り出す。
「抜け落ちたって、単に紛失では?」
「いや、残っている断片がある。エルディアの宿営地に、王子らしき人物が滞在したとする領主日誌。名前は書かれていないが、随行と思しき従者の名がいくつか一致している」
教授は薄く笑みを浮かべ、机に指を叩いた。
場がざわめいた。若い学士が冗談めかして囁く。
「じゃあ、エルディアで恋でもしていたんじゃないか?歴史的大恋愛をして……隠し子でも残してたりして」
またしても笑いが広がる。
リュミエールは、肩をすくめて軽やかに応じた。
「旅の土産が“恋の噂”というのは、どこの国でも付きものです。
王族の恋ほど、人々は関心を持ちやすい。
そこにロマンチックさが加われば、人は飛びつく。
けれど、証拠がない以上、僕ら学生が笑い話にするくらいがちょうどいい」
その場はまた笑いに包まれたが、彼の胸中では血の音が高鳴っていた。
(……母が遺した石と同じ土地だ)
老教授は最後にカップを置き、静かにまとめた。
「史実は断片からしか浮かび上がらない。だが空白を埋める作業は、未来に責任を持つことにも繋がる」
言葉がサロンに沈む。
リュミエールは軽やかな笑みを浮かべながらも、心の底で囁いた。
(――母と第三王子の“空白の時期”。そこに僕の始まりがあるのかだろうか)
その翌日。
学士院の図書館は、朝の光を受けて静かに輝いていた。高い天窓から射す光が古文書の背表紙を照らし、埃の粒が舞う。
リュミエールは書庫の奥に足を踏み入れた。
前日の茶会で語られた「第三王子の巡見」の空白。それを確かめるためだ。
革表紙の古い日誌を引き寄せ、指先で頁を繰る。インクの跡は薄れ、かすれた文字が紙に滲んでいる。
「……エルディア北境にて、随行の者フロレンツ、馬の傷を治療す」
その一行で、彼の碧眼が細められた。
フロレンツ――確か、宮廷記録に出ていた王子の従者と同じ名だ。
(やはり、王子はエルディアに滞在していたか)
さらに頁をめくると、今度は唐突に数枚が破り取られている。まるで、意図的に消されたかのように。
「おや、また“穴”か」
軽い声を出して、ひとりごとのように笑った。
近くの学士が不思議そうに振り返るが、リュミエールは肩をすくめて笑顔を返す。
けれど胸の奥では、別の声が鋭く響いていた。
(母がハバナールの石を遺した理由……二十一年前、王子が訪れたのなら、すべて辻褄が合う)
ポケットの中で蒼石を握る。冷たさが掌を貫きながら、不思議な温もりを宿していた。
「……次は、宮廷の記録庫を探すか」
小声で呟く。
その時、背後から声がかかった。
「リュミエール殿、また古文書ですか? 随分と熱心ですね」
同輩の留学生が茶化すように覗き込んでくる。
「ええ、退屈しのぎに。……過去は面白い。穴があると、埋めてみたくなる」
リュミエールは掴みどころのない笑みで返し、頁を閉じた。
真実を追う足音は、まだ誰にも気づかれていない。
92
あなたにおすすめの小説
【完結】綺麗なだけじゃ、生きていけない
とっくり
恋愛
美しく素直なだけの“可愛い妹”として愛されてきたアナベル。
だが、姉の婚約者に告白されたことで、家族の歯車は狂い始める。
両親の死、姉からの追放。何も知らないまま飛び出した世界で、
アナベルは初めて「生きること」の意味を知っていく。
初めての仕事、初めての孤独。
そして出会った一人の青年・エリオット。
彼との出会いが、アナベルを“綺麗なだけの私”から変えていく、
恋と成長の物語。
私が育てたのは駄犬か、それとも忠犬か 〜結婚を断ったのに麗しの騎士様に捕まっています〜
日室千種・ちぐ
恋愛
ランドリック・ゼンゲンは将来を約束された上級騎士であり、麗しの貴公子だ。かつて流した浮名は数知れず、だが真の恋の相手は従姉妹で、その結婚を邪魔しようとしたと噂されている。成人前からゼンゲン侯爵家預かりとなっている子爵家の娘ジョゼットは、とある事情でランドリックと親しんでおり、その噂が嘘だと知っている。彼は人の心に鈍感であることに悩みつつも向き合う、真の努力家であり、それでもなお自分に自信が持てないことも、知っていて、密かに心惹かれていた。だが、そのランドリックとの結婚の話を持ちかけられたジョゼットは、彼が自分を女性として見ていないことに、いずれ耐えられなくなるはずと、断る決断をしたのだが――。
(なろう版ではなく、やや大人向け版です)
辺境伯夫人は領地を紡ぐ
やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。
しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。
物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。
戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。
これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。
全50話の予定です
※表紙はイメージです
※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)
政略結婚だからって愛を育めないとは限りません
稲葉鈴
恋愛
外務大臣であるエドヴァルド・アハマニエミの三女ビルギッタに、国王陛下から結婚の命が下った。
お相手は王太子殿下の側近の一人であるダーヴィド。フィルップラ侯爵子息。
明日(!)からフィルップラ侯爵邸にて住み込みでお見合いを行い、一週間後にお披露目式を執り行う。
これは、その一週間のお話。
小説家になろう、カクヨムでも公開しています。
私の孤独と愛と未来
緑谷めい
恋愛
15歳の私は今、王都に向かう寄合い馬車に乗っている。同じく15歳のカイと一緒に……。
私はリーゼ。15年前、産まれたての赤子だった私は地方都市にある孤児院の前に捨てられた。底冷えのする真冬の早朝だったそうだ。孤児院の院長が泣き声に気付くのが、あと少し遅ければ私は凍死していた。
15歳になり成人した私は孤児院を出て自立しなくてはならない。私は思い切って王都に行って仕事を探すことにした。そして「兵士になる」と言う同い年のカイも王都に行くことになった。喧嘩っ早くてぶっきらぼうなカイは、皆に敬遠されて孤児院の中で浮いた存在だった。私も、いつも仏頂面であまり喋らないカイが苦手だった。
【完結】あなたの瞳に映るのは
今川みらい
恋愛
命を救える筈の友を、俺は無慈悲に見捨てた。
全てはあなたを手に入れるために。
長年の片想いが、ティアラの婚約破棄をきっかけに動き出す。
★完結保証★
全19話執筆済み。4万字程度です。
前半がティアラside、後半がアイラスsideになります。
表紙画像は作中で登場するサンブリテニアです。
次期王妃な悪女はひたむかない
三屋城衣智子
恋愛
公爵家の娘であるウルム=シュテールは、幼い時に見初められ王太子の婚約者となる。
王妃による厳しすぎる妃教育、育もうとした王太子との関係性は最初こそ良かったものの、月日と共に狂いだす。
色々なことが積み重なってもなお、彼女はなんとかしようと努力を続けていた。
しかし、学校入学と共に王太子に忍び寄る女の子の影が。
約束だけは違えまいと思いながら過ごす中、学校の図書室である男子生徒と出会い、仲良くなる。
束の間の安息。
けれど、数多の悪意に襲われついにウルムは心が折れてしまい――。
想いはねじれながらすれ違い、交錯する。
異世界四角恋愛ストーリー。
なろうにも投稿しています。
私は彼を愛しておりますので
月山 歩
恋愛
婚約者と行った夜会で、かつての幼馴染と再会する。彼は私を好きだと言うけれど、私は、婚約者と好き合っているつもりだ。でも、そんな二人の間に隙間が生まれてきて…。私達は愛を貫けるだろうか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる