【完結・R18】花のように微笑み、棘のように傷ついて

とっくり

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 この日は、年に数度の市祭いちまつりだった。

 王都の広場には色とりどりの幟が立ち、香辛料や焼き菓子の匂いが風に混じる。

 各商会は、露店と並んで広場の端に臨時の勘定所を設けるのが慣わしだった。

 白い天幕の下、長机には小口金の袋と秤、算盤、控え伝票、印泥がきちんと並んでいる。

 露店で済まない高額決済や返品・値差、複数店のまとめ払い――揉めやすい会計はすべてここへ回る。

 今日は帳場所属のジャンヌが金勘定の責任者に選ばれた。 
 営業・仕入れ担当のライリーが裏方の応援となり、釣銭の補充、人の流れの整列、覚書の用意――二人三脚で一日を乗り切る。

「市祭は初めてだろう? 病み上がりで大丈夫か」
 ライリーが気遣うと、ジャンヌはにこりと頷いた。
「おかげさまで、大丈夫です。外の空気、気持ちいいですね」
「そうだな。日の光を浴びて働くのも、たまには悪くない」

 天幕の下は忙しないのに、二人のやりとりはどこか穏やかだった。

 幟が風を掴み、硬貨の触れ合う音が絶えない。

「次の方、番号札をお願いします」
 差し出された札、秤に載った金袋。
 手首の返しで小銭をはかり、算盤の珠を弾く。

「釣銭、銀貨一、銅貨八。こちらへ印影を」

 横手からはライリーが必要なものだけを音もなく並べる。

 台紙、印泥、布巾――迷いがない。目が合うと、彼は顎で「よし」とだけ合図した。それだけで胸の中がほどける。

 *

 日が少し傾き、ざわめきが一段深くなった頃。

 ふと顔を上げたジャンヌの前を、人の波を割るように二人連れが横切った。

 白いワンピースの裾、笑う横顔――ハルディだった。彼女は誰かの腕に絡み、楽しげに囁いている。そしてその隣、こちらへ顔を向けた男は――トーマス。

 心臓が一度、痛いほど跳ね、珠が指先から滑って軽い音を立てた。

喉が乾き、ペン先が一瞬だけ紙の上で止まり、墨が小さくにじむ。

「……大丈夫か?」
 ライリーがすぐ横から水を差し出す。
 ジャンヌはほんの刹那、彼の瞳を見て、小さく頷き、水を一口含む。

「ありがとうございます」
 一言、礼を述べたあと、視線を戻して珠を弾き直した。

(……今は、仕事に集中)

 ライリーの指先が静かに台紙を押さえる。二人の呼吸はまたすぐに揃った。




 一方のトーマスは、群衆の中で足を緩めた。

 天幕の下、帳面を軽やかに捌くジャンヌ。その手元に、タイミングよく道具を差し入れるライリーに視線を止める。

(誰だ…?会社の先輩か?)

 喉の奥に乾いた熱がせり上がる。
 胸の内側で紙が炙られるような、ちいさな焦げの匂い。

(……ジャンヌ)

 彼は一度目を逸らし、また振り返る。
 ハルディが見ていないのを確かめるように――そして何も言わず歩を速めた。


 午後。
 広場の反対側、氷菓の屋台に並びながら、ハルディはふいに目を細めた。

 人垣の向こう、白い天幕の下。
 速い手つきで紙を並べる“あの子ジャンヌ”と、背の高い見目の良い男。

(……へぇ)

(あの時、受付で取り乱していた子じゃない。狼狽えて、無様な姿は見ものだったけど)

 ハルディの口元に意地の悪い笑みが乗る。

 誰もが振り返るような美少女じゃないのに、妙に目に残る可憐さがある。そこが気に入らない。

 おまけに賢そうな目までして、癪に障る。しかも今日は隣に見栄えのいい男。面白くなかった。

(なにそれ。トーマスに振られて、もう“次”? 早いじゃない)

 氷菓をひと口。白い匙を唇に咥えたまま視線だけ滑らせた。

「どうした?」
 隣のトーマスが首を傾げる。

「なんでもないわ」
 ハルディは笑い、腕を絡め直す。人混みに聞かせるように、甘ったるい声をあげる。

「ねぇ、トーマス。ここでキス、して?」
「っ、ハルディ、こんな人混みじゃ……」
「誰も見てないわ。見せつけておきたいの。私の“彼”、って」
 腰を寄せ、香りをふわりとまとわせ、目だけで「断る?」と挑発する。

「……帰ったら、するから」
「帰ったら“だけ”?」
 匙をゆっくり舐め、唇の端を上げる。

「ハルディ、わかってるだろう?」
「ふふ、わかってるわよ。――たっぷり可愛がってね?」

 赤くなったトーマスの腕をさらに深く抱え込み、踵を返す前にもう一度だけ天幕を見やる。

 勝ち誇った笑みを置き土産に、人波の中へと彼を引いていった。


 夕刻、勘定所に小さな騒ぎが起きた。

「聞いてない値だ! 昨日より高いじゃないか!」

 旧知の商人が声を荒げる。
 人だかりができ、空気がわずかにささくれた。

 ジャンヌは息を整え、声を落ち着かせた。

「お確かめします。――昨日の価格と今日の掲示、両方見ましょう」

 控え札、値札の写し、入荷記録。順に机へ並べ、算盤を弾く。

「昨日は“旧型”、本日はこちら“改良型”の価格です。仕様違いで金額が変わっています。差額はこの通り――」

 怒気を孕んだ目が数字へ引き寄せられ、やがて溜息に変わる。

「……こっちの勘違いか。悪かった」
「いえ。紛らわしい掲示でした。次回は見やすく置き換えます」
 深々と頭を下げると、周囲の空気がすっと和らいだ。

 背後でライリーが小さく指を鳴らし、掲示の位置をその場で改める。

「“改良型”の札を一段上に。視線がまっすぐ当たる」
「はい」
 短い言葉がぴたりと噛み合い、勘定所の流れはすぐに元へ戻った。


 夜の帳が降り始め、最初の花火が空を裂いた。
轟音の余韻の中、ライリーが横顔だけを向けて囁く。

「――よくやったな」
 たったそれだけ。

 飾り気のない言葉に、ジャンヌの胸の奥で小さな灯がまたひとつ灯る。

「ありがとうございます」
 控えめな笑みを返し、彼女は次の帳面を開いた。

 ふと今日を振り返るとーー
 遠く、群衆の波へ消えていく白いワンピースと、それに寄り添う背の高い影が一瞬だけ脳裏をよぎる。

 思い出した途端、胸に鋭い痛みが走り、涙がにじみそうになる――そのわずかな変化を、ライリーは見逃さなかった。

「ジャンヌ、腹減ってないか?今日はよく頑張った。何か奢らせてくれ」
「え、ライリーさん??」
「好きな物はなんだ?俺は好き嫌いないぞ」
「良いんですか…?」
「ああ、もちろん!俺のおすすめの店もある」
「ふふっ…では、ライリーさんにお任せします」

 ライリーの気遣いに、ジャンヌの心はそっと温まる。

 二人の影を思い出さないように――彼女は精一杯の笑みを浮かべた。


 
 



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