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しおりを挟む腕枕の重みが動いた。
抱きしめていたハルディが、猫のように身じろぎした。
「ねぇ、トーマス。聞いて?もうすぐ部屋の更新なの。ちょうどいい機会だと思わない?思い切って――一緒に暮らしましょうよ」
「……え?」
ぼんやりしていた意識の表面に、軽い声が降ってくる。
ハルディは腕の輪をきゅっと強め、指先でトーマスの胸を無邪気に叩いた。
「ね、ほら。この部屋ね、日当たりもいいし、絨毯も新しくできるの。カーテンも新しくしたいな。ピンクでも黄色でも、あなたに似合う色にしよう?」
「ああ……うん」
「それから、鏡台の隣にあなたの書き物机を置けば――」
「ああ……」
生返事が三つ続いたところで、ハルディの体がするりと腕から抜けた。
起き上がり、腰にシーツを引き寄せた彼女の瞳が、夜の獣みたいに細くなる。
「ねぇ、トーマス。今、どこ見てたの?」
「……ごめん。ちょっと、祭りのことを思い出してただけで」
「ひどいわ!私がどれだけ話してたと思ってるの。人が真剣に未来の話をしてるのに、『ああ』『うん』って、子どもみたいな返事ばっかり」
唇を尖らせ、いつもの甘やかしの色は、わざと剥いである。そのまなざしに、トーマスは慌てて身を起こした。
「悪かった。本当に。……一緒に暮らそう」
素早く差し出された言葉に、ハルディの睫毛が一度だけ震え、次の瞬間にはいつもの甘い光が戻っていた。すばやく笑顔を咲かせ、彼の首に腕を回す。
「ほんと?!じゃ、決まり。嬉しい! ね、ね、いつからにする?更新の前に少しずつ運べばいいよね。あなたの部屋、何がある?服と本と……あとは何?」
「たいしたものはないよ。服と、図面と、道具と……」
「ふふ、なら簡単ね。お料理は――どうしようか。私、あんまり得意じゃないの知ってるでしょう?外食や出来たものを買ってくるで良いわよね?」
「……ああ」
相づちを打ちながら、トーマスの視線はハルディの部屋をひと回りした。
散らかっているわけじゃない。
けれど、目に入るものがやけに多い。リボンを結んだ小さな箱、金の縁取りの香油瓶、羽根飾りのついた手鏡、色とりどりのクッション。
レースのカーテンにはガラス玉が何列も縫い込まれ、棚の上には花の造花がぎっしりだった。
ピンク、蜂蜜色、薄紫――やさしい色が重なり合って、何故か目が休まらない。
(落ち着かない……)
父ひとりに育てられ、質素な部屋で過ごしてきたトーマスには、ハルディの“女の子らしい”部屋がどこか異質に思えた。
胸の内で、誰にともなく呟く。
ふいに、別の部屋の匂いが蘇った。石鹸と洗い晒しの布の匂い。
床に落ちているはずの紙片がいつの間にか片づき、机の上には必要なものだけが並ぶ風景。
煮込みの湯気。焼きたてのパンの端をちぎる手。洗ったシャツが風で鳴る音。
(ジャンヌは……いつも、俺の部屋をきれいにしてくれてた。戻ると、飯があって。……旨かった)
都合のいい記憶だけが選び取られ、今さらのように胸の中で光りだす。
置き手紙一枚で切れると思っていた“日常”が、急に遠くから手招きしてくる。
ハルディの笑い声が、その呼び声に蓋をした。
「ねぇ、トーマスってば!!聞いてる?ベッドはこのままでいいけど、カーテンは替えたいの。朝日がきれいに入る薄いのと、夜は部屋が甘く見える色。あなたはどっちが好き?」
「……薄い方、かな」
「ふふ、じゃあそうしよう。あ、明日はこっち泊まれる?鍵、もう一本作っておくから。合鍵のリボン、何色がいい?」
「なんでもいいよ」
「なんでも、はだめ。あなたは、私の“恋人”なんだから。ちゃんと、選んで」
頬をつつかれ、思わずトーマスは笑ってしまう。
「――で、ほんとに“一緒に暮らす”でいいのね?」
ハルディは、彼の両頬を両手で挟み、逃げ道を塞ぐように目を覗き込む。
小悪魔めいた笑顔の裏に、獲物を離さない硬さがのぞいた。
「ああ。……いいよ」
返事をすると、ハルディは満足げに目を細め、彼の唇に軽くキスを落とした。
「また、…する?」
ハルディは、熱の籠った眼差しをトーマスに向けた。
「ハルディ、まだ足りなかった?」
「…ううん、足りたけど……さっきは、玄関だったでしょう?」
「さては、足りなかったんだな?」
「いやん、意地悪ね?」
艶めかしく言うと、ハルディは上掛けを履いで、トーマスの下半身に顔を近づける。彼のスラックスを下ろすと、欲望の証はすでに反応していた。
「ふふ、身体は正直ね」
ハルディは艶かしく微笑んで、塊を口に含んだ。
「あぁ、ハルディっ…」
「気持ちよくさせてあげる」
反り返った欲望の証に舌を這わせ、上下にじっくりと舐めたあと、咥える。
唇と舌を使って、丹念に刺激を与え続けると、後頭部をトーマスに捕まれ、喉の奥に突き上げられた。
「んんっ」
喉奥を責められ、ハルディは頭が真っ白になる。トーマスは容赦なく、腰を律動させ喉を突き続ける。
「あぁ、ハルディっ、出るっ」
彼の昂まりから、欲望が吐き出され、喉奥がねっとりと熱くなった。
その感触に、思わずハルディはうっとりし、トーマスの液体を舌で転がしながら飲み込んだ。
「んんっ。トーマスってば、乱暴なんだからっ」
「ごめん、気持ち良すぎて……でも、乱暴なのが好きだろう?」
「うん、好き…今のも良かった…」
ハルディはトーマスに抱きつき、再び唇を重ねた。
自分の残渣を感じる口内を味わうのは、何となく気が引けたが、ハルディが求めるから応じる。
「トーマス、好き。私達、身体の相性もピッタリよね?」
「ああ、そうだね…」
トーマスは、笑顔を差し込もうとして、うまく形が決まらないことに気づいた。
笑えば笑うほど、背中に何か薄いものが貼りついた。祭りの余韻だろうか。
あるいは、昼間のざわめきの中で見た影のせいか。
(……俺は、なにをしてる)
問いは、夜の天井にぶつかって消えた。ハルディは上機嫌で、首筋を甘く噛み、耳たぶを舐める。
「明日も泊まってね?」
「ああ…」
答えは唇から素直に出た。
けれど、その音色は自分でもわずかに違うと感じた。窓の外で、遠く遅れて上がった花火が低く鳴る。ガラス玉が震え、レースが光を拾う。
ハルディの頬は熱で桃色に染まり、未来の話でふわふわ浮かんでいる。
対照的に、トーマスの瞳の底には、言葉にならない影が沈んだままだった。
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