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第1章 煙草と邂逅
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一通り荷物を片付け、一息ついた彼女の前に、僕はココアの入ったマグカップを差し出した。
彼女は一口だけ口を付け、「あちっ」と小さく呟いた。
色違いのマグカップに入ったコーヒーを僕は平然と飲む。
「相変わらず、猫舌なんだね」
僕の言葉が静かな部屋に響いた。
僕たちの目は合わない。
マグカップの中に視線を落としたまま、彼女は不意に微笑んだ。
「そんなすぐに猫舌が治るわけがないでしょう?」
「……それもそうか」
「それより、このマグカップ色違いだけど。もしかして知ってたの?」
「何が?」
「私が帰ってくるってこと」
「まさか。マグカップを揃えるのが面倒だっただけだよ。色違いならすぐに揃うだろう?」
僕の言葉に何故かポチは膨れた。
「……どうしてマグを揃える必要があったのよ」
不機嫌そうに口を尖らせて続ける。
「ひとつで十分じゃない……」
僕は言葉に詰まって視線を中に彷徨わせた。
彼女が僕を見ている気配がする。
何かを探るように。秘密を暴くみたいに。
言うか、言わまいか。
僕がそう悩んでいる間に彼女がまた口を開く。今度はどこか縋るような口ぶりで。
「私、もう歌えなくなっちゃったのよ……」
あ、まただ。
甘くて温かくて、それでいて棘ばかりの罠が張り巡らされる。
逃げたいのに、逃げたくない。
彼女がまた、僕を捕まえる。
捕まえなくても逃げないのに。逃げられないのに。
不安定なポチの鳴き声に、僕はしかと耳を傾けた。
「母がね、亡くなったの。私はそれが嬉しくて、悲しくて、苦しくて、笑えて、でもやっぱり泣いて。だから歌えなくなったのよ」
敢えてあっさりとした口調で彼女はそう言った。
その痛々しい姿に僕は何も言うことができなくて、でも僕は僕なりに彼女を慰めたくて、だから。
「……僕の歌を歌ってくれる?」
自信のないか細い声で僕は聞いた。
それなのに彼女は、
「……私には勿体無いわ」
なんて言って寂しそうに笑うんだ。
この時の僕たちはどちらも傲慢極まりなかった。
歌えない彼女でも“僕”の歌なら歌えるんじゃないか、なんて自意識過剰も甚だしい僕と、“勿体無い”なんて自分を卑下しているようでその実、僕を貶めていることにも気が付かない薄情者の彼女は、二人ともよく似た偽善者だ。
“相手のため”なんて甘い言葉ばかりを囁いて、口一杯に頬張った砂糖の甘さで死にたくなってくる。
僕たちは滑稽だった。
滑稽であることにも気づいていない、道化師なのだ。
だからこそ、僕たちはいつまでも二人で“僕たち”だったのだし、歪んだこの関係を美しいものだと半ば本気で信じ続けることが出来ていたのだ。
その均衡、危うくも妖しく、美しくも脆い、僕たちだけの均衡がいとも容易く崩壊することになるなんて、この時は思ってもいなかった。
その記念すべき世界の終末は、僕たちが約数年ぶりの邂逅を果たした次の日に起こった。
それもたった一人の女性によって引き起こされたのだ。
本当に滑稽である。
彼女は一口だけ口を付け、「あちっ」と小さく呟いた。
色違いのマグカップに入ったコーヒーを僕は平然と飲む。
「相変わらず、猫舌なんだね」
僕の言葉が静かな部屋に響いた。
僕たちの目は合わない。
マグカップの中に視線を落としたまま、彼女は不意に微笑んだ。
「そんなすぐに猫舌が治るわけがないでしょう?」
「……それもそうか」
「それより、このマグカップ色違いだけど。もしかして知ってたの?」
「何が?」
「私が帰ってくるってこと」
「まさか。マグカップを揃えるのが面倒だっただけだよ。色違いならすぐに揃うだろう?」
僕の言葉に何故かポチは膨れた。
「……どうしてマグを揃える必要があったのよ」
不機嫌そうに口を尖らせて続ける。
「ひとつで十分じゃない……」
僕は言葉に詰まって視線を中に彷徨わせた。
彼女が僕を見ている気配がする。
何かを探るように。秘密を暴くみたいに。
言うか、言わまいか。
僕がそう悩んでいる間に彼女がまた口を開く。今度はどこか縋るような口ぶりで。
「私、もう歌えなくなっちゃったのよ……」
あ、まただ。
甘くて温かくて、それでいて棘ばかりの罠が張り巡らされる。
逃げたいのに、逃げたくない。
彼女がまた、僕を捕まえる。
捕まえなくても逃げないのに。逃げられないのに。
不安定なポチの鳴き声に、僕はしかと耳を傾けた。
「母がね、亡くなったの。私はそれが嬉しくて、悲しくて、苦しくて、笑えて、でもやっぱり泣いて。だから歌えなくなったのよ」
敢えてあっさりとした口調で彼女はそう言った。
その痛々しい姿に僕は何も言うことができなくて、でも僕は僕なりに彼女を慰めたくて、だから。
「……僕の歌を歌ってくれる?」
自信のないか細い声で僕は聞いた。
それなのに彼女は、
「……私には勿体無いわ」
なんて言って寂しそうに笑うんだ。
この時の僕たちはどちらも傲慢極まりなかった。
歌えない彼女でも“僕”の歌なら歌えるんじゃないか、なんて自意識過剰も甚だしい僕と、“勿体無い”なんて自分を卑下しているようでその実、僕を貶めていることにも気が付かない薄情者の彼女は、二人ともよく似た偽善者だ。
“相手のため”なんて甘い言葉ばかりを囁いて、口一杯に頬張った砂糖の甘さで死にたくなってくる。
僕たちは滑稽だった。
滑稽であることにも気づいていない、道化師なのだ。
だからこそ、僕たちはいつまでも二人で“僕たち”だったのだし、歪んだこの関係を美しいものだと半ば本気で信じ続けることが出来ていたのだ。
その均衡、危うくも妖しく、美しくも脆い、僕たちだけの均衡がいとも容易く崩壊することになるなんて、この時は思ってもいなかった。
その記念すべき世界の終末は、僕たちが約数年ぶりの邂逅を果たした次の日に起こった。
それもたった一人の女性によって引き起こされたのだ。
本当に滑稽である。
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