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第二章 愉快な学園生活
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*************閑話休題*************
十六歳のある日、俺は突然異世界に飛ばされた。
それはまさしく「飛ばされた」という表現が的確で、突然のことに俺の頭は現実についていかなかった。
明日に控えた文化祭も、守りたかった彼女のことも、うまく歯車が噛み合い始めた家族のことも、残してきた幼い妹のことも全てが突然に俺の手の届かないところへ行ってしまった。
この感覚はきっと一生涯誰にも理解できないだろう。
そして、その方がきっと良い。
誰にも俺と同じ思いをして欲しくはなかった。
と、同時に「どうして俺だけが」と思ってしまう嫌な感情をどうすることも出来ないでいた。
ロイド公爵家に引き取られてから、数日が経ったある夜のことだった。
煌々と月の光が明るい夜空が広がっていて、気が付けば俺は誘われるように広い公爵邸の庭園に足を運んでいた。
真っ白な花が月の光を受けて青白く輝くそこに、彼女はいた。
「ふぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
とんでもない奇声を上げて。
それが今後の俺の人生を狂わせることになる幼き日のパトリシア・ロイドであった。
恭しく花をそっと持ち上げると、彼女はだらしない笑みを浮かべた。
その姿はとても公爵令嬢とは思えないもので、俺は不覚にも吹き出してしまった。
「ぶっ」
それから、その勢いのままに大声で笑っていると、彼女がいつの間にやらずんずんとこちらに迫ってくるではないか。
「もう、秘密の時間を邪魔しないでよね!」
銀桃の髪を揺らしながら、ぷりぷりと怒る姿はとても愛らしい。
彼女の髪も花と同じく月光に照らされてきらきらと透き通って見えた。
「あー。ごめんごめん」
無意識に頭を撫でるのは幼い妹の面倒をよく見ていたからだ。
身分の高い者にそのような行為をしてはいけないと、今日ノエル殿下に説教されたばかりであったことを思い出した。
「って、すまんな」
慌てて手を離すと、何やら不満げに唇を尖らせているお嬢様がいた。
「……もっと撫でて欲しいのか?」
俺がそう尋ねると、彼女は肩を竦めた。
大人びた仕草に違和感を覚えていると、次に彼女が発した言葉に衝撃が駆け抜けた。
「まぁ、会社では誰も手放しに褒めてくれなかったからね。ちょっぴりもう少し甘えたくなっちゃったのよ」
えへへ、と恥ずかしそうに笑った彼女に俺は目を見開いた。
「あんたは、一体……」
それから、空が白むまで俺たちは言葉を紡ぎ合った。
互いのこと、元の世界のこと、それからこの世界のことを。
どんな話も楽しそうに語る彼女の横顔を美しいと思った。
決して強がるわけでも、背伸びをしているわけでもなく、ただ現状を楽しむその姿は誰よりも美しく俺の瞳に映った。
使用人たちが起床し始める頃、俺はパトリシアを自室へと送り、俺自身も自らの与えられた客室へと戻っていった。
彼女と話していたたった数時間で俺の心は驚くほどすっきりしていた。
その上で、俺はパトリシアの未来を想った。
彼女が彼女らしく在れる為に、俺は選ばれてここに来たのかもしれない。
そう思えるのならば、やっぱり悪くない気分だった。
俺はこの夜、「パトリシア・ロイド」として生きる一人の女性に恋をした。
現状を憂うことなく、ただひたすらに前を向いて楽しそうに生きる彼女の姿に。
*************閑話休題*************
十六歳のある日、俺は突然異世界に飛ばされた。
それはまさしく「飛ばされた」という表現が的確で、突然のことに俺の頭は現実についていかなかった。
明日に控えた文化祭も、守りたかった彼女のことも、うまく歯車が噛み合い始めた家族のことも、残してきた幼い妹のことも全てが突然に俺の手の届かないところへ行ってしまった。
この感覚はきっと一生涯誰にも理解できないだろう。
そして、その方がきっと良い。
誰にも俺と同じ思いをして欲しくはなかった。
と、同時に「どうして俺だけが」と思ってしまう嫌な感情をどうすることも出来ないでいた。
ロイド公爵家に引き取られてから、数日が経ったある夜のことだった。
煌々と月の光が明るい夜空が広がっていて、気が付けば俺は誘われるように広い公爵邸の庭園に足を運んでいた。
真っ白な花が月の光を受けて青白く輝くそこに、彼女はいた。
「ふぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
とんでもない奇声を上げて。
それが今後の俺の人生を狂わせることになる幼き日のパトリシア・ロイドであった。
恭しく花をそっと持ち上げると、彼女はだらしない笑みを浮かべた。
その姿はとても公爵令嬢とは思えないもので、俺は不覚にも吹き出してしまった。
「ぶっ」
それから、その勢いのままに大声で笑っていると、彼女がいつの間にやらずんずんとこちらに迫ってくるではないか。
「もう、秘密の時間を邪魔しないでよね!」
銀桃の髪を揺らしながら、ぷりぷりと怒る姿はとても愛らしい。
彼女の髪も花と同じく月光に照らされてきらきらと透き通って見えた。
「あー。ごめんごめん」
無意識に頭を撫でるのは幼い妹の面倒をよく見ていたからだ。
身分の高い者にそのような行為をしてはいけないと、今日ノエル殿下に説教されたばかりであったことを思い出した。
「って、すまんな」
慌てて手を離すと、何やら不満げに唇を尖らせているお嬢様がいた。
「……もっと撫でて欲しいのか?」
俺がそう尋ねると、彼女は肩を竦めた。
大人びた仕草に違和感を覚えていると、次に彼女が発した言葉に衝撃が駆け抜けた。
「まぁ、会社では誰も手放しに褒めてくれなかったからね。ちょっぴりもう少し甘えたくなっちゃったのよ」
えへへ、と恥ずかしそうに笑った彼女に俺は目を見開いた。
「あんたは、一体……」
それから、空が白むまで俺たちは言葉を紡ぎ合った。
互いのこと、元の世界のこと、それからこの世界のことを。
どんな話も楽しそうに語る彼女の横顔を美しいと思った。
決して強がるわけでも、背伸びをしているわけでもなく、ただ現状を楽しむその姿は誰よりも美しく俺の瞳に映った。
使用人たちが起床し始める頃、俺はパトリシアを自室へと送り、俺自身も自らの与えられた客室へと戻っていった。
彼女と話していたたった数時間で俺の心は驚くほどすっきりしていた。
その上で、俺はパトリシアの未来を想った。
彼女が彼女らしく在れる為に、俺は選ばれてここに来たのかもしれない。
そう思えるのならば、やっぱり悪くない気分だった。
俺はこの夜、「パトリシア・ロイド」として生きる一人の女性に恋をした。
現状を憂うことなく、ただひたすらに前を向いて楽しそうに生きる彼女の姿に。
*************閑話休題*************
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