春のうらら

高殿アカリ

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 次の日の明け方のことだった。
 外の騒めきにシノニムは目を覚ました。
 寝ぼけまなこの身体で玄関の扉を開ける。
 村の大人たちが血相を変えて目の前を駆けていく。
「……なんだ?」
 怪訝な表情で立っているシノニムに村一番の怪力を誇るダイゴーが声をかけた。
「おい、シノ。何突っ立ってんだ! 子どもは早く逃げろ‼」
「え?」
「魔物が村を襲ってんだよ。村の教会に行け。みんな避難してるからよ」
 必要事項だけを告げ、ダイゴーは村の広場に向かって去っていった。
 シノニムはほとんど直感的にダイゴーの後を追って走った。
 自らの目で見なければならない、と感じたのだ。
 広場には血の匂いが充満していた。
 村の男衆を守りながら、戦っているのは甲冑を着た領主の専属騎士たちであった。
 魔物の大群を相手にしながら、彼らの怒号が飛び交う。
 彼らに任せておけば安心だと、そうは思えなかった。
 それほどまでに騎士たちは疲弊していた。
 彼らが村を守っている現状が何を意味しているのかを、理解したと同時にシノニムは領主館のある方角へと顔を向けた。
 そしてシノニムは息を呑んだ。
 焦燥に駆られ、絶望に目の前が真っ暗になった。
 領主館に火の手が上がっていたからだ。
 真っ赤な光が彼の瞳に反射している。
 次の瞬間には既にシノニムは仲良しの少女の安否を確認すべく走り出していた。
「麗……!」
 掠れたシノニムの言葉が血生臭い夜明けの空に消えていった。
 領主館へと続く森の中に入ると、シノニムは魔物に見つからぬよう暗がりに紛れた。
 それでも出来うる限りの速さで木々の間を駆けていく。
 森から抜け、大地を駆けて、屋敷の前にたどり着いたとき、そこは既に業火に飲み込まれたあとだった。
「っ、くそ」
 煙を吸い込まぬように、それでも麗の無事を確認したかったシノニムは熱風に向かって一歩足を踏み出した。
 だが、そんな彼の前に巨大な影が落ちてくる。
 オークだった。
 麗の安否に気を取られていたシノニムは襲ってくる魔物に気付くのがほんの一瞬だけ遅れた。
 だが、その一瞬が命取りだった。
 襲い掛かってくるオークを前にシノニムはただ身構えることしか出来なかったのだ。
 オークの持つ巨大な棍棒がシノニムに振りかぶったとき、彼は誰かに抱き込まれていた。
 思わず瞑っていた瞳を開けると、そこにはギルバートの顔があった。
「ギルバートさん……」
 呆然と呟くシノニムに護衛騎士の彼はふっと笑みを見せた。
「怪我がなくて良かったです」
 そう言ったギルバートの身体は重たくシノニムにのしかかる。
 どうやら自分の力だけでは立っていられないようであった。
 図体の大きいギルバートを子どものシノニムは抱えきれず、そのまま座り込む。
 シノニムの膝の上で、ギルバートはぐったりとしていた。
 じわりと彼の背中から血液が地面に流れ出しているのに気づき、シノニムは顔を青くした。
 かなりの深手を負っているようであった。
 オークは二人の姿を一瞥すると、途端に興味を失ったようでシノニムたちに背を向け、森の中へと戻っていった。
 ギルバートは最後の力を振り絞り、シノニムに向かって口を開いた。
「お、じょうさまは、ぶじ、です……」
 そのままゆっくり彼は瞼を下した。浅い呼吸が次第に深く深く降りていく。
 勇敢な護衛騎士が息を引き取る様子を、シノニムはただ見つめていた。
 命を失っていくその身体を必死に抱え込みながら。
 シノニムの瞳からは涙が溢れて留まるところを知らない。
 彼の最後の言葉も、精一杯の気休めだったようにしか思えなかった。
 そうして何時間が経ったことだろう。
 呆然としているうちに太陽はすっかり天高く上り、辺りに領民たちがわらわらと集まってきていた。
 彼らは懸命に消火活動を行った。
 だが屋敷は半壊し、ほとんど何も残らなかった。
 焼け跡から領主一家の亡骸を捜索するも、幸か不幸か人間らしき物体は見つかっていない。
 こうして、安否も分らぬまま領主一家は忽然と姿を消した。
 シノニムがあとで聞いた話によると、領主の専属騎士は全員死亡したという。
 一方で、彼らの活躍により領民への被害は皆無だった。
 煤焦げた館の中を歩き、シノニムは必死に麗の痕跡を探していた。
 そんな彼の視界に煌めく何かが映った。
 瓦礫の間に埋もれているそれを指でつまんで持ち上げる。
「……これは」
 麗が肌身離さず付けていたペンダントだった。
 熱で銀が溶けてしまったのだろう。
 領主一族の家紋が少しだけひしゃげていた。
 シノニムはそれを強く握り締めた。
 鋭利に尖ったペンダントが掌の皮膚に食い込んで、鮮血がつつーと流れ落ちていく。
 その痛みにも気付かずに彼はペンダントに復讐を誓った。
 麗を、平凡な日常を失わせた魔物たちへの復讐を。
 シノニムの怒りと憎しみの感情に呼応するように、彼の髪と瞳が赤く染まる。
 まるでそれは焔のようで、麗の家を包んでいた焔のようで。
 こうして、シノニムは勇者としての第一歩を踏み出したのであった。
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