聖を継ぎ、魔を統べる ~そして、魔王は君臨する~

男男 女女

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第一章

第一話

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 ここはブレイブ王国にある勇者学院ブレイブ・ロードの門前。そこに一組の男女が立っていた。

「ふむ‥‥これは迷うな。案内が必要か……」

 広大な土地、巨大な建物。それらを前にして、男がそう呟く。

「そうですね。手配しましょう」

 傍らの女が、それに追従する。

「当てがあるのか?」
「いえ、ありませんが」
「‥‥一応聞くが、どうするつもりだったのだ?」

 男の顔は渋いモノになっている。分かっているが、一応聞く。本当は聞きたくないが。そんな顔だ。

「その辺から攫おうかと」
「……はぁ~~。今日の目的は、話し合いだ。余計な波風を立ててどうする」

 男は身体の全ての空気を出し切るかの如く、溜息を吐いた。

「……冗談です」
「なら、目を逸らすな」

 二人のコントの様なやり取りに、注目が集まる。いや正確には、会話の内容はさほど注目されていない。遠巻きに人が集まり出すだけだ。しかし、誰も二人に接触しない。ただ眺めるのみ。それが安全だと、本能で分かっているから。
 二人の容姿に惹きつけられ、同時に恐れを抱く。
 男の髪は長く、燃えているかの如く赤い。その長い髪の隙間から垣間見える顔は、恐ろしいほど整っている。時折見られる、髪を掻き上げたり顎に手を当て思案する等の、その仕草で過剰な色気が振り撒かれる。
 そして、特筆すべきはその目。まるで、闇が凝縮しているが如く黒く、暗い。白い部分もあるにはあるが、その眼の黒さは、見る者全てを恐怖させる。
 また、女の方も見た目は整っている。長い銀髪の髪が頭の後ろで纏められ、冷たい美貌そう評して良いその顔からは、怜悧さが窺える。スタイルも良く、グラマラスとまでは行かないものの、出る所は出ていて十分に男の劣情を刺激する。
 そして、こちらで特筆すべきはその尻尾。女の腰、尻の上辺りからは爬虫類の尾が生えていた。

「魔族‥‥」

 どこからか、呟きが漏れる。だが、混乱は生じない。皆が分かっているのだ。最初から。この男と女が魔族だなんて事は。普通なら兵士を、いや勇者を呼ぶべきだろうという事も。
 魔族とは、人以外の異形種達の総称である。腕が四本ある者、獣の特徴を持つ者、羽・翅・翼の生えた者、耳の尖った者、その他諸々実に様々である。
 人は、自分と異なる者に恐れを抱く。力の差が大きくなればなるほど、それは顕著になる。この男女に対しても、当然恐れを抱いている。だが、それ以上に惹きつけられるのだ。妖しさに、美しさに。

「……まあ、中に入れば如何様にもなるであろう。行くぞ」

(なぜか、人は少ないようだがな……何かあったか?)

 男は、学院の様子に内心首を傾げるが、それを表には出さない。

「はっ」

 周りの人間たちの事なぞ気にも留めず、二人の魔族は門を潜る。
 その瞬間、学院に施された結界が反応する。

「む……」
「……警報用の結界ですね」

 女の言う通り学院には、魔族が侵入した際それを知らせる為の、警報用の結界が施されていた。魔族が結界に触れると、小さな魔力波が結界と連結した『結界水晶』に届くようになっているのだ。この魔力波は通常、気付く事が出来ない程に微弱なものだ。しかし、この二人は違った。

「……あそこだな」
「ですね」

 その微弱な魔力波に気付き、その行き先まで見抜いた。多くの魔族がこの結界のせいで、学院への侵入に無惨な結果を残しているのにも関わらず。

「まずはあそこからだな」
「はっ」

 このままでは、いずれ勇者とぶつかるのは必至。警報はその為のもの。しかし、二人は大して気にした風も無く、『結界水晶』のある方へ向かって歩き出した。
 勇者を侮る愚か者か、それとも‥‥。
 




 3分後。二人は、十数人の若い人間の女に囲まれていた。警報の原因である魔族を討ちに来た、少女達である。
 学生なのだろう。皆が同じ制服を着ている。その手には剣や槍などの武器が握られ、油断なく侵入者たる二名の魔族を牽制している。
 ところで、勇者の武器は聖剣と呼ばれる。剣じゃなくとも聖剣である。その聖剣を手にする事が出来るのは、勇者となった者だけである。
 聖剣とは天使によって与えられる、天使の力が宿った武器である。条件が揃わないとこの世界に顕現出来ない天使が、魔族を討つために人間に力を与えたのだ。勿論、無差別と言う訳では無く、選ばれた者のみが聖剣を手にする事が出来、それが勇者と呼ばれるのである。
 そんな勇者を育て上げる為の、勇者学院ブレイブ・ロードなのだ。
 そして、人間の女学生達が手にしているのは、聖剣では無い。普通の武器である。それは、まだ少女達が勇者でないという事の証、勇者候補生という訳だ。聖剣を手にしているのは一人。魔族の男女を囲む女生徒の輪から離れ、見守るように立っている女だけである。
 深く、そして濃い青色の髪をしたその女は、ロングソードとでも言うべき、長く大きい聖剣を携えていた。

「……エミリア、任せる」

 男がそう頼むと、エミリアと呼ばれた女が男に一礼し前に出た。

「我々は、ここの学長?に話があって来た。暴れるつもりは無い。だから、道を開けろ。邪魔だ」

 エミリアの言葉に数名がざわつく。
 これまで学院に侵入してきた魔族達は、一つの例外も無く敵意を剥き出しにし暴れた。そして、勇者や勇者候補の生徒に討たれた。それが、様式美の如く決まった流れだった。
 だから惑う。今回侵入してきた魔族は、対話を望むと言う。口こそ悪いものの、敵意も全く無い。襲い掛かって良いものなのか、と。

「気にするな。敵意が無かろうと、侵入してきた魔族である事に代わりは無い」

 静かにされど堂々と、聖剣を抜き放ちながら勇者が言う。

(ほう‥‥!)

 男の顔が喜色に染まる。それは、思い掛けない所で思い掛けないモノを見れた、そういう喜び。
 その笑みは、過剰な色気と共にあった。

「「「「っ!?」」」」

 警戒し様子を窺っていた女達が息を呑み、その男の色気に呑まれる。そして同時に、勇者に恐怖が襲う。

(危険だ!!この男はここで‥‥!迅速に‥‥!!)

「掛か『眠れ』……!」

 得体の知れない恐怖に、危機感を抱いた勇者が指示を飛ばすも、その声は男に依って遮られる。
 『眠れ』ただその一言で、勇者以外の女達が眠りその場に崩れ落ちた。強力で唐突な催眠だったにも拘らず、女生徒達は穏やかな表情で寝息を立てている。勇者も無事だった訳では無い。一瞬意識が飛びかけるも、そこは流石勇者。耐えて見せた。

「耐えたか……フフフフ」

(だが、動けまい)

 男の読み通り、勇者は既にフラフラ。聖剣を杖代わりにして、体を支えている状態だ。

「くっ……」

 近付いて来る男を、気丈にも睨みつける。既に負けたと言っても過言では無い状況だが、勇者の心は折れていない。だからこそ、聖剣に選ばれる。

「陛下、程々に」

 呆れたように、しかしどこか微笑ましそうに、女が溜息を吐きながら言う。

「分かっておる」

(っ!?『陛下』だと……!?)

 魔族が『陛下』と呼ぶ存在、そんなものは一つしかない。

「き、貴様、魔王か……っ!?」

 女の群青の様な瞳が、男を射抜く。

「ふむ、自己紹介がまだであったな」

 男の体から、闇が溢れ出す。溢れ出した闇が、何かをかたどり始める。玉座だ。男がその禍々しき玉座に腰掛け、エミリアが傍らにそっと立つ。

「余は大罪を司る魔王が一柱、≪色欲≫が魔王である」

 その言葉と共に、長い歴史の中で初めて、魔王が人間界に君臨した





 学院の廊下を歩く三人に、すれ違う生徒の視線が集まる。
 先頭を歩く者は良い。この学院の生徒であると同時に、勇者でもあるから。しかし、続く二人は違う。女は尻尾が生えており、男も見るからに禍々しい闇を纏っている。一目で分かる。二人は魔族だと。魔族と見て襲い掛かってくる者が居ないのは、先頭を歩くのが勇者だからだろう。
 魔族が勇者に連れられ、勇者学院ブレイブ・ロードを歩いている。異様な光景である。

「陛下、いい加減ソレ仕舞われたらどうです?皆驚いていますよ」
「あった方が、魔王らしくないか」
「そんな事しなくても、陛下は誰よりも魔王です」
「で、あろうな」
「はい。我々配下は、その姿を見ただけで濡れますから・・・・・・
「くははははっ、そうかそうか!何とも愛い奴よ!」

 魔族が敵地、勇者学院ブレイブ・ロードでする会話では無いだろう。緊張感の欠片も無い。現に、彼らを引き連れて歩く勇者の顔には、苛立ちが浮かんでいる。

「くっ‥‥」

(なぜ、私が……っ!しかし、私だけでは敵わないのも事実。ここは、学長の力を借りて……!)

 そう心で決意を固める女勇者。実はこの女勇者、魔王の男が名乗りを上げた瞬間、気力を振り絞り剣を振るった。
 だが、届かなかった。いや、届いてはいた。しかし、魔族を滅する力を持つはずの聖剣が、魔王の体をなぞるように振り抜かれるも、その体を切り裂く事は無かった。まるで、模造刀で攻撃したかのような手応えであった。

(何かカラクリがあるはず。それを暴けば、いかに魔王と言えども……!)

 女勇者がそんな決意をしているとも知らず、魔王は暢気にキョロキョロと学院内を見回している。その目には、何もかもが新鮮で珍しく映っているらしい。
 やがて一行は、剣とそれを包み込む羽の生えた女の意匠が大きく施された、豪華な扉の前に辿り着く。扉の上部には、『学長室』というプレートが掲げられていた。

「ヘレナです。魔族を連行してきました」
「くくく。連行、か」

 勇者の言葉を、魔王が嗤う。気にしてはダメだと、勇者は言葉を続ける。

「学長に対処をお願いしたく」
「……入るのじゃ」

 静かな、そして厳かな声。だが、その声は緊張からか、僅かに震えていた。
 扉が開かれると、ヘレン、魔王、エミリアの順に入っていく。

「む?」

 二人の魔族が部屋に入り切った途端、四方から影が襲い掛かる。その数、優に十を超える。が、その全てが一瞬で床や壁に叩きつけられた。

「「「っ!」」」
「愚か者が……」

 エミリアの尻尾がうねっている。そういう事だ。
 エミリアはそこから一歩も動かず、尻尾のみを動かして影を撃退したのだった。尻尾の鱗は逆立ち、触れれば切れそうだ。戦闘モードという事だろうか。
 叩きつけられた影は、床や壁に染み込むように消えていった。

「っ!‥‥魔族が何用じゃ?」

 そう言って杖型の聖剣を構えるのは、部屋の主と思しき小柄な少女。童女と言ってもいいくらいの、小さな勇者だった。
 茶色がかった黒く長い髪をそのまま垂らし、頭のてっぺんからは触角のように――アホ毛と言うのだろうか――髪が二本飛び出ている。
 先程の影は、この少女の力によるものだろう。瞬殺だったため分からなかったが、その影一体一体は新米勇者に匹敵する程の力を有していた。つまりこの小さな勇者は、それを十を超える数で生み出せるほどの力を持ち、更にエミリアは、それらを片手間で瞬殺できるほどの力を持つという事である。

「ほう……!」

(この少女もか‥‥少女?)

 童女の問いには答えず、またしても魔王は嬉しそうに色気を振りまく。内心での疑問はやはり、おくびにも出さない。

「っ!?なんじゃ、お主は!?」

 溢れ出す魔王の色気に、勇者である童女の本能が警鐘を鳴らす。

「≪色欲≫の魔王、デウスだ。以後お見知りおきを、学長殿?デウスとでも呼んでくれ」
「魔王じゃと!?それも≪色欲≫が動いたと!?」

 童女の記憶では、魔王が直々に人間界に攻め入った記録など無い。そして、≪色欲≫の魔王が何かしらの動きを見せた記録も無い。どちらもこの国、いや、この世界の長い歴史において、初めての事だった。
 魔王デウスは童女が驚いているのを余所に、来客の為にあるのであろうソファに深く座る。

「さぁ、話し合いをしよう。初対面で殴り合うのは、野蛮人のする事だ。知識を有し、道徳を重んじる文明人たる我々には、相応しくなかろう。理性的に行こうではないか」
「くっ‥!」

 皮肉であり、挑発だった。

「座るが良い。学長よ」

 この空間を支配しているのは、間違いなく魔王デウスである。





 デウスは穏やかな笑みを浮かべ、エミリアはその傍らに静かに佇む。学長はデウスの対面に座り、勇者はその背後で戦意を漲らせていた。

「さて、今一度自己紹介でもするか。余は名乗ったが、ぬしらの事を余は知らんでな。先程名乗った通り、余は≪色欲≫の魔王・デウスである。そして、こっちはエミリア。余の右腕だ」

 デウスは魔王らしく尊大に、深き闇を纏いながら。エミリアは主人の紹介に、静かに頭を下げるのみであった。

「……エンリチェッタ・スコラーリ、ここの学長じゃ」
「‥‥‥‥‥ヘレナ」

 学長エンリチェッタは苦々し気に、ヘレナは不承不承。それぞれ名を名乗る。

「……して、何をしに来たのじゃ魔王よ」
「ふむ、余が怖いのか?震えているぞ?」
「っ!」

 震えを誤魔化すように、エンリチェッタは杖を強く握りしめる。勇者が魔王を前に臆したなど、外聞が悪い。しかし、それも仕方の無い事だ。
 エンリチェッタはこれまで、多くの魔族と対峙してきた。そして、多くの魔族を打ち倒して来た。その中には、大罪の魔王の配下で幹部やら、四天王やらと呼ばれていた強力な魔族もいた。
 ゆえに、自身があった。経験から、そして今日までの結果から来る自身が。条件さえ揃えば魔王ですら討てるという自信が、エンリチェッタにはあった。
 しかし、その自信は≪色欲≫の魔王を前にした瞬間、粉々に砕け散った。

『次元が違う』

 魔術師タイプの勇者であるがゆえに、その絶望的な差をはっきりと感じてしまった。この学長室にいて、禍々しい魔力が近付いて来るのが感じ取れた。だから、先制で不意打ち気味に仕掛けた。しかし、それは禍々しき魔力の持ち主である魔王では無く、その配下の者に容易く捌かれたのだった。

(これが大罪の魔王‥‥)

 その距離は果てしなく遠かった。ヘレナは気付いていない。だから、未だ戦意を失わずにいられる。だけど、エンリチェッタは違った。
 エンリチェッタは魔術師タイプの勇者。それゆえ、魔力と聖力には鋭い。だから、気付いた。魔王の纏う闇が、可視化出来る程に濃密な魔力である事に。魔術師タイプの者で、あれを見て恐れない者はいない。ヘレナが気付いていない理由はここにある。戦士タイプの勇者であるヘレナは、その闇に危機感を抱いても、恐怖は湧かないのだ。

「……これでどうだ?」

 デウスが纏っていた闇が、消えてなくなっていく。それと同時に、デウスの魔王としての気配が小さくなっていく。

「……感謝するのじゃ」
「くくく、良い。余が不明であった」

 エンリチェッタは不思議に思っていた。未だに、自分が生きている事を。ともすればこちらを気遣うようにも見える、この魔王の態度を。

「……本当に何の用なのじゃ」

 三度目の質問。一度目と二度目は、恐怖によるものだった。三度目は違う。純然たる疑問から来る問いである。

「勇者を育てに来た」
「っ!?」
「なっ!?貴様ふざけっ!!!?」

 デウスの答えに声を荒げた、ヘレナの首にエミリアの尻尾の先が添えられていた。

「何度も見逃すと思ったら、大間違いだ。死にたくなければ黙ってろ」
「‥‥っ!!」

 エミリアに叩きつけられた、本気の殺意にヘレナの体が硬直し、あれほど漲っていた戦意が見る見る萎んでいく。

(こ、これが魔族だと‥‥!?知らない……こんなのは知らない‥‥!)

 彼女には矜持があった。学院に侵入してきた魔族を討伐する、学院治安部隊の副リーダーとしての矜持が。今回の侵入者も、候補生の訓練がてら倒すつもりだった。これまでがそうであったし、勇者として負けるはずがないと思っていたから。しかし、蓋を開けてみればこのザマだ。魔王には言葉一つで見動きを封じられ、聖剣は何故か効かない。そして、その配下にも殺気で見動きを封じられ、尻尾の動きには反応すら出来なかった。
 ヘレナの心を折るには十分だった。

「‥‥ヘレナを放してやってくれぬか?責任は妾が取るのじゃ。妾に出来る事なら何でもしよう」
「が、がくちょ……」

 魔王に頭を下げる、勇者学院(ブレイブ・ロード)の学長。その原因は自分にある。ヘレナの心は完全に折れた。

「……では、近こう寄れ」
「っ!?……分かったのじゃ」

 その要望に一瞬息を呑み、即座に覚悟を決め、エンリチェッタは魔王に近付く。聖剣は手放さない。

「ふむ。遠いぞ」
「きゃっ……!?」

 数歩離れた所まで近づき足を止めたエンリチェッタを、デウスは引っ張り抱きすくめる。エンリチェッタの小柄な体は、ソファに座るデウスの膝の上に、そして腕の中にすっぽり納まった。

「ふむふむ。……やはりか」
「ちょっ……なっ‥‥あっ……んんっ!」

(なぜ……このような‥‥!?)

 その行為には厭らしさの欠片もない。頭を撫で、髪を梳き、腕を撫で、足を撫でているだけである。絵面的には通報ものだが、≪色欲≫の魔王であるデウスには関係の無い事だ。
 そして、その何でもない筈の行為に、エンリチェッタの体は激しく反応する。どこかに触れられる度に、口からは熱い吐息が嬌声と共に漏れる。
 何かを調べる様に童女をまさぐる魔王は、納得したように呟くと、エンリチェッタを解放―――したりせずに優しく抱き締め、その首筋に口を寄せ甘く噛みついた。

「んあぁぁっ!!」
「くくくく、やはりそうか」

 一際大きい嬌声を上げぐったりとするエンリチェッタの姿に、ヘレナは更なる絶望に落とされた気持ちになる。学院のトップであり、最強の勇者の一角であるエンリチェッタに、希望を持っていたから。彼女なら何とかしてくれると。
その希望すら砕かれた。ヘレナの瞳から光が消えていく。

「『眠れ』」
「……」

 精神的に落ち込み、耐性が下がっていたヘレナは、デウスの言葉に容易く意識を飛ばしたのだった。





 エンリチェッタの肌はしっとりと汗ばみ、デウスに体を預けるその姿は、まるで事後を思わせるものである。エンリチェッタが小柄である事と、デウスが20代半ばの青年に見える事も、どこか退廃的で背徳的な雰囲気を醸し出している。
 しかし、そんな事実は一切ない。

「……満足か」
「何がだ?」

 ノロノロと体を起こしながら、エンリチェッタが声を出す。その声は弱弱しい。そして、侮蔑の瞳でデウスを見ている。

「満足かと聞いておるのじゃ。……ふん、流石は≪色欲≫の魔王じゃ。このような幼い躰にも、欲情するとはの」

 ≪色欲≫の魔王は、その名の通りの性欲を司る。ただ触れるだけで、快楽を与える事など造作も無い事なのだと、その快楽によって種族を問わず女を堕とし、性奴隷にすると、そう言われている。
 故に、古来より女の敵として認識されてきた。しかし、≪色欲≫が実際に動きを見せた事など有史以来一度も無かった。天使からの情報で、その存在と特性は知っていたが、どこか眉唾物だった。だが、今証明された。≪色欲≫の魔王は女の敵であると。

「ふむ。何か誤解があるようだな」

(何が誤解じゃ、妾の体をまさぐっておきながら‥‥っ!≪色欲≫は危険じゃ。やはり、ここに来た目的は女生徒か)

 学院の生徒は、九割が女子である。いや、勇者自体、九割を女子が占める。この理由は単純。聖剣の元たる天使が、過ぎた欲を嫌う為である。男は力を手に入れた途端、豹変し欲に走る者が多い。女にもいない訳では無いが、男の方が多かった。
 結果として、天使は滅多な事では男に聖剣を与えなくなったのだった。

「ここの生徒には手を出させんぞ。妾の命に代えても……っ!」

 エンリチェッタの体から聖力が溢れ出す。魔王の闇とは比べ物にならないが、その光は勇者数百人分に相当する。

「やはり、何か誤解している様だな」

(だが、これでこそ勇者だ。例え絶望的であろうと、何かを守るために勇ましく戦う者。素晴らしい!それでこそ、ガブリエルの契約者だ!!)

 デウスは一見、落ち着いたように言葉を発するが、内心では狂喜していた。

「エンリチェッタよ。お前は、女だ」
「だから何じゃ!?」

 突飛なデウスの発言に、エンリチェッタは激昂する。その体の周りに、聖力が幾何学な陣を描いていく。

「余の手は、女にしか快楽を与えん。男は当然与えられんし、女では無い女、即ち未成熟な女にも快楽は与えられん」
「‥‥」
「貴様は余の手に反応した。それ即ち、貴様が女である事の証明である。初めは子供かとも思うたが、しっかりと大人の女であるようだ」
「何が言いたいのじゃ……!皮肉か……!?」

 魔王は嗤う。エンリチェッタを見下すように。

「どうやったか、詳しい方法は分からんが、聖剣の力で若さを手にしたのであろう?で、どうだ?力は手に入ったか?」
「っ!!?」

(な、なぜ……!?)

 デウスの言葉に、エンリチェッタは激しく動揺する。

「天使は、真っ直ぐな勇者の願いにしか答えん。欲から来る願いは、一顧だにしない。なれば、貴様の願いは自ずと決まってくる。願ったのだろう。魔王を打ち倒せるほどの力を得る事を」
「!?」

 まさにその通りだった。エンリチェッタは願った。聖剣を手にした時、初めて会った天使に、魔王を倒せるほどの力を願ったのだ。
 その応えは『NO』。聖剣は最初から魔王を討ち滅ぼすだけの力を有しているから、と。だから、天使は代わりに時間を与えた。聖剣の力を100%引き出せるようになって見せよ、と。しかし、―――

「底が見えた、か?」
「っ!」

 そう、見えてしまった。自分では、聖剣の力を完全に引き出す事が出来ない事が。長く生き、誰よりも修練に明け暮れたからこそ、見えてしまったのだ。

(妾の力は、序列一位の勇者には及ばぬ。それでも、幹部クラスの魔族は屠れる自信があった。事実何度も屠って来た。だが、それも先程‥‥)

 エンリチェッタの纏う光が小さくなっていく。これまでの人生を全て、否定されたようなものだった。自分は何の為に力を求め、何の為に力を振るって来たのか。

「力が欲しいか?」
「っ……!」

 デウスの言葉に、エンリチェッタの体が跳ねる。

「力が欲しいか?」
「な、何を……!?」
「言ったであろう?勇者を育てに来た、と」

 魔王が立ち上がり、迷える少女に手を差し出す。
 それは、甘く魅力的で蠱惑的な、そして背徳的なかをりの誘惑だった。





 街道を、一台の馬車が走っている。

「くははははははっ、これが馬車か!見ろ、エミリア!馬が引いておるぞ!尻も痛い!くははははは!!!」
「陛下、はしゃぎ過ぎです」

 魔王は上機嫌に、初めての馬車に揺られていた。
 乗る前から馬車に興味津々だったデウスは、乗ってからも溢れる好奇心を抑えようとはしなかった。それが、この現状である。
 楽しそうに笑うデウスを、エミリアは微笑ましそうに眺めていた。それは主と言うよりも、大切な弟を見る様な目だった。

「まあ、そう言うな。折角の機会だ。楽しまなくてどうする!して、エンリチェッタよ。あとどれほどで着くのだ?」
「……半刻もせぬのじゃ。王都は学院から一番近い都市じゃからの」

 一行は、ブレイブ王国王都へと向かっていた。
 結局、エンリチェッタは魔王の手を取った。力が欲しかった事は否定出来ない。一番の理由であるとも言っても良い。
 しかし、『勇者を育てる』と言った魔王の言葉が本当なら、それは願っても無い事だ。魔王の手によって、魔王を討てる勇者が育てられるのだから。嘘である可能性は、殆ど考えない。魔王の力を持ってすれば、そのような面倒臭い事をしなくても、容易く人間界は滅ぼせるし、好きなだけ蹂躙できる。
 しかし、自分一人だけで判断出来る事でも無い。だから、王都へ向かう。この国の王と話をする為に。

「誘っておきながら、なんだが‥‥手を取るとは思わなんだ」
「……自分でも未だ良く分からぬ。欲に負けたのか、恐怖に負けたのか。ただ……」
「余としては、何でも良いのだがな。エンリチェッタは余の手を取った。それで十分だ。余は、其方が気に入った」

(っ!)

 嬉しそうに笑う魔王。その笑顔にエンリチェッタは、胸が締め付けられる。

(頭の毛が動いている?激しいな……)

 見れば、エンリチェッタの頭のてっぺんから飛び出る、二本の毛が激しく揺れていた。好奇心に誘われるがままに、デウスの手がエンリチェッタの頭に伸ばされる。

「っ!?」

 激しく揺れる二本の毛を撫でる様に、頭ごと撫でられる。毛は一瞬抑えられるが、手が離れると再び跳ね、先程よりも激しさを増して、揺れ出す。
 その下では、エンリチェッタが顔を真っ赤に染めていた。

「はぁ~……」

 エミリアがその様子を見て、深い溜息を吐く。彼女は気付いていた。エンリチェッタの小さな変化に。エミリアは、それを何度も間近で見てきたから。
 エンリチェッタは、心の奥底で喜んでいた。見た目のせいで、これまでまともに『女』扱いされる事は無かった。それが、相手は魔王と言えども『女』として扱われ、強制的にではあるが『女』としての幸せをも与えられた。それだけでは無く、終始紳士的に接された事も要因であろう。エンリチェッタは、自身では気付いていないが、その心はどうしようもなくデウスに惹かれていたのだ。

(またですか……)

 これまでもデウスは、無自覚に女を堕とす事があった。意識してやる事もあるのだが、その時は大抵、既に無自覚に堕とした後だった事が多い。天然の誑しだった。
 今も、エンリチェッタの頭を撫で、その反応を楽しんでいる。跳ねる二本の毛を、本当に楽しんでいるだけなのだ。別に色っぽい理由などは、そこには存在しない。その為、顔を真っ赤にして俯く、エンリチェッタにも気付いていなかったりする。

(はぁ~……)

 再び心の中で、深い溜息を吐くエミリア。
 王都は、もう直ぐ目の前だ。
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「お前を追放する!」 ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。 しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

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妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。

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勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。 だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、 ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。 国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。 そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

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パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

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