現代ダンジョンの苦情係 〜元クレーム処理担当の俺、魔物の言葉がわかるので菓子折り一つで世界を救う〜

ぱすた屋さん

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第1章

【対応記録:第17回】

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アガレス・リソース本社ビル、地下十五階。
そこは、最新の魔導エレベーターですら到達するのに一分以上を要する、深淵の底だった。扉が開いた瞬間、久我の肌を刺したのは、凍りつくような冷気ではなく、焦げ付いた魔力とオゾンの混じった、不快な熱気だった。

「……ひどい。空調設備が全く機能していない。魔素の濃度も、法定基準値を三倍は超えていますね」

久我は、懐から取り出した携帯用の魔素計測器を一瞥し、眉をひそめた。数値はすでに警告色の赤に染まっている。
隣に立つCEOの成瀬は、そんな久我の懸念を鼻で笑い、手回しの良いガードマンたちを従えて先頭を歩く。

「機能していない? 心外だな。これはすべて、抽出効率を最大化するための『仕様』だよ、久我君。魔力抽出プロセスで発生する熱をあえて循環させることで、魔物の代謝を上げ、さらに絞り出す。……これが我が社の誇る、クローズド・ループ型・超高効率抽出システムだ」

成瀬が誇らしげに腕を広げた先には、無機質なコンクリートの広間に、円環状に配置された巨大な檻が並んでいた。
その中には、アース・ゴーレム、フレイム・リザード、さらには中層クラスの魔獣たちが、幾重にも重なる魔導拘束具によって固定され、体中に銀色のケーブルを突き刺されていた。

(……やめて。もう、からっぽだよ。……いたい。こころが、バラバラになっちゃう)
(……だれか、たすけて。……おうちに、かえして……)

地下空間に充満しているのは、物理的な咆哮ではない。
それは、存在そのものを摩耗させられ、自我が崩壊しかけている者たちの、形にならない「絶望」の集合体だった。
クラは三つの首を交互にもたげ、不快そうに低い唸り声を上げ続けている。コトは、シルクハットの縁をぎりぎりと握り締め、目の前の光景に目を背けていた。

「成瀬社長。……これは『管理』ではありません。ただの『略奪』です。彼らには適切な休息時間も、魔力再充填の猶予も与えられていない。……前職で私がいたブラック企業のフロアも、これに似た空気が漂っていました」

久我の声は、静かだが、鋼のような硬度を帯びていた。

「休憩時間を五分削れば、短期的には効率が上がったように見えるでしょう。不満を無視して仕事を押し付ければ、数字は一時的に跳ね上がる。……ですが、それは将来の利益を前借りしているに過ぎません」

「ハッ、事務屋の精神論か。いいかね久我君。魔物は人間じゃない。彼らには感情などという非効率なバグは搭載されていないはずだ。……ほら、見てごらん。あそこのアース・ゴーレムなどは、三日間一秒も休まずに、通常の四倍の魔力を出力し続けている。これこそが、私の求めた完璧な労働環境だ」

成瀬が指差した先には、全身がひび割れ、土塊が剥がれ落ちそうになっている一体のゴーレムがいた。その瞳の奥にある魔力の灯火は、今にも消えそうなほど細く、そして危うい赤色に明滅している。

「……あれは、もう限界です」

久我は、成瀬の言葉を遮って一歩踏み出した。
「魔物に感情がないというのは、あなたの勝手な思い込みに過ぎない。……彼らもまた、不当な扱いには不満を抱く。それを『バケモノの唸り声』として聞き流しているから、あなたは本質的な不備に気づけないのです」

「不備? どこに不備があると言うんだ。システムは完璧に稼働している。出力は右肩上がりだ。……不具合が起きれば、それは『壊れた部品』として破棄し、新しい魔物を補充すれば済む話だろう」

成瀬の言葉は、かつて久我を使い潰そうとした上司たちが、過労で倒れた同僚に対して放った言葉と全く同じだった。
「代わりはいくらでもいる」「動かないのはお前の根性がないからだ」
その言葉の裏にある「無関心」という名の暴力が、久我の中で静かに火をつけた。

「……部品、ですか。成瀬社長。部品であれば、磨耗を予測し、計画的なメンテナンスを執るのが経営者の務めでしょう。……今の状態は、エンジンが焼き付く寸前までアクセルを踏み続けているに等しい。……そして、焼き付いたエンジンが引き起こすのは、単なる停止ではありません。……大爆発、ですよ」

その言葉と同時だった。
先ほど成瀬が「完璧」と称したアース・ゴーレムの体が、激しく震え始めた。
ひび割れた体から、どす黒い魔力が噴き出し、銀色の拘束ケーブルが火花を散らす。

「な、なんだ!? 過負荷のアラートか? 警備員、鎮静魔法の出力を最大にしろ!」

成瀬が慌てて叫ぶが、久我は冷静にその様子を見つめていた。
ゴーレムのひび割れた目から、涙のような魔液が零れ落ちる。

(……うるさい。うるさいんだよ! もう、何も出したくない! 眠らせてくれ! さもなければ……お前らを、全部踏み潰してやる!)

「……警告はしました。成瀬社長」

久我は、ブリーフケースから一本の「現場調整用」の白い手袋を取り出し、嵌めた。
「これは不具合ではありません。お客様による、正当な異議申し立て……いえ、実力行使による『パワハラ』への抗議です。……ここからは私の仕事になります。手出しは無用です。……それとも、今すぐこのビルを更地にされたいのであれば、どうぞご自由に」

久我は、咆哮し、今にも爆発しそうなゴーレムの足元へ、一切の躊躇なく歩み寄っていった。
背後で成瀬が「狂っているのか!」と叫ぶ声が聞こえたが、久我には関係のないことだった。
理不尽な搾取にさらされた者の叫び。それを聞き届けるのが、かつて救われなかった自分自身への、彼なりのけじめでもあったからだ。

「……お待たせいたしました、お客様。……不当な時間外労働、並びに劣悪な職場環境。……苦情係の私が、今、受理しに参りました」

轟音と熱気の中、一人の事務員の背中が、絶望に沈む地下室で何よりも大きく見えた。
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