宙(そら)に願う。

星野そら

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5 火花

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「待たせたな」

 クレイトス元帥が片手をあげてアレクセイに合図を送る。アレクセイの視線につられてレイモンドが振り返った。
 クレイトスはアレクセイの話相手を見て、一瞬、動きを止める。

「アーシャ、知り合いかい? ずいぶん美しい方だね。会場中の視線がキミたちに集まっていたのもうなずける」

 おかげですぐにキミを見つけることができた、とクレイトス元帥が笑う。

「元帥、紹介します。こちらは…」
「阿刀野です。初めまして、クレイトス元帥」
「初めまして」

 クレイトス元帥は差し出されたレイモンドの手を握ってから、ハッと気が付いたようだ。

「阿刀野…。もしかして、この男が?」

 クレイトスがアレクセイを振り仰ぐ。うなずくアレクセイから目を離し、クレイトスはじっくりとレイモンドを観察した。

 驚くほどの美貌。そして、容貌に似合わぬ鋭い視線。
 2人が見つめ合った瞬間、空気がピシッと音を立てそうなくらい張りつめた。冷たい火花が散っているようだ。わずかな時間が、アレクセイにはものすごく長く感じられた。
 先に目を反らしたのは、元帥だった。

「これほど若くて、美貌の男だとは知らなかった。アーシャが惚れるのも無理はない」

 レイモンドはふっと笑みを浮かべた。

「クレイトス元帥、それはどういう意味ですか?」
「言葉通りだよ。アーシャからキミのことはよく聞かされていた。まるで恋人のことを話すような口振りだった。しかし…」

 クレイトスは頭を振る。

「自分など足下にも及ばないデキた男だと絶賛していたから、わたしは頭の中で勝手にキミの像を造り上げていたようだ…」
「俺はそんなに想像と外れていましたか?」

 クレイトスはああ、と苦笑する。

「もしかして、アーシャを片手で押さえつけられるようなごつい男を想像しておられたのですか?」

 くすくす笑いながらレイモンドが言う。

「きっとアーシャの誉めすぎですよ。俺の足下にも及ばないなんて、ただの謙遜。アーシャは思考力もあるし、冷静な判断ができる。行動力もある。どんなことでも安心して任せられる。アーシャは飛びきり優秀な男です。大切にしてください。そうしてくださらないなら…」
「大切にしないなら…?」

 アーシャをあきらめた意味がないと言いたかったのだが、レイモンドははぐらかした。

「そうですね、どうしましょうか。俺はもともと品行方正な人間ではないですから…」

 瞳にちらりと剣呑な色を浮かべてみせる。

「脅しているのかい?」
「ええ。そう取ってもらっても結構です」
「恐いな。だが、心配はいらない。わたしはアーシャを買っている。決して疎かに扱いはしない。……これで、いいかい?」

 レイモンドはエメラルド・グリーンの瞳をひたと据えてクレイトスを見つめた。
 クレイトス元帥の言葉に嘘はないと判断する。堂々とした態度は、さすがに連合宇宙軍の最高位である。この男に任せておけばアレクセイは能力を引き出してもらえるだろう。
 俺よりもずっとアレクセイのためになる、とレイモンドは思った。

「はい。アーシャをよろしくお願いします」

 スッと下げられた頭に、アレクセイはもちろん、クレイトス元帥も目を見張った。

 アレクセイが敵わないと言ったはずである。何と器の大きな男だろう。自分から離れていった元部下のことを、敵対する組織である連合宇宙軍の上司に、よろしくお願いしますと頼めるとは…。
 頭を下げている今の方が、睨み付けていたときより、ずっと威厳があるとクレイトスは思った。

「それじゃあ、俺はこれで失礼します。アーシャ、最後に会えてよかった」

 そう言うと、レイモンドはひらひらと手を振って去っていった。


 レイモンドが遠ざかっていくのを見ながらクレイトスがぽつりとつぶやいた。

「敵には回したくない男だな」
「はい」
「キミのことを評価しているようだ」
「いえ…、僕はあの人の評価に値するようなことは、何一つできませんでした」

 クレイトス元帥は器用に片眉を上げて反対の意思を表してから、それにしても、と話題を変える。

「わたしはこれでも連合宇宙軍の元帥なのだが…、見事に脅してくれた。軍人だけでなく、一般人にも一目置かれているのに、あの男には通じなかったようだ。
 なあ、アーシャ。脅されたとき、わたしは正直、イエスの答え以外、口にできなかった」
「申し訳ありません、クレイトス元帥」
「…、なぜ、アーシャが謝るのだ?」
「い、いえ…。つい習慣で…」

 クレイトスはくちもとに苦い笑いを刻む。
 それは、アレクセイが今でもレイモンドのものであると気づかされた瞬間だった。だが…、あの男は自分にアレクセイを託したのだ。

「あの男は、キミよりも若いのだろう?」
「はい。確か、2つ下です」
「組織を束ねるのに、年齢は関係ないのだな」

 海賊にしておくにはもったいない。あの男が宇宙軍に所属していたら、今すぐにでも元帥を譲りたいと考えている自分に、クレイトスは驚いた。アレクセイを元帥に推すには若すぎると思っていたのに。
 もちろん、連合宇宙軍の元帥に海賊の総督を抜擢するなどということは、問題外だが…。

「ええ…。最初に出会ったとき、あの人は13歳でしたが、それでも僕は、この人は人の上に立つように生まれてきた特別な人間だと思いました」

 いつまでもレイモンドが消えていった方向に視線を据えているアレクセイに、クレイトスが区切りをつけるように声をかけた。

「行こうか、紹介しておきたい男がいるんだ」
「はい」

 アレクセイは素直に答えたが、頭からレイモンドが消えることはなかった。


 その日の深夜になっても、アレクセイの頭からレイモンドは消えなかった。
 ベッドに横になっても、思いはすぐにその人へと飛ぶのだ。いつまで経っても眠りは訪れない。
 仕方がない、コーヒーでも飲もうとキッチンに入る。
 本格的にコーヒーを淹れることなど久しぶりだと不思議に思う。レイモンドと一緒にいるときは、どんなに忙しくても、毎日のようにコーヒーを淹れていた。
 とっておきの豆をミルに入れて丁寧に挽く。粉をセットし、サイフォンに水を入れて火をつける。コポコポと音がし、ふわりとコーヒーの香りが立ちのぼってきた。

『アーシャの淹れるコーヒーはおいしいね』

 そう言ってもらいたいがために、豆も道具も最高級のものをそろえていたのだ。
 執務室のソファでコーヒーを飲みながら、いろいろな話をした。たわいない軽口から、コスモ・サンダーの行く末まで。
 そう言えば、『俺は二度と恋はしない。おまえに応えることはできない』と言われたときも、コーヒーの香りが漂っていた。
 昔のことを思い出しても虚しいだけだ。アレクセイは首を振る。

 目を閉じて、パーティでの出来事をなぞってみる。
 レイモンドの声、首を傾げる様子。笑みを浮かべたくちもと。そして、交わした会話。クレイトス元帥とにらみ合った瞬間のきつい視線。ひらひらと振られた手。
 そして…。『会えてよかった』と言ったレイモンドの言葉を幸せな気分で思い出す。

 だが。
 レイモンドは、最後に、と言ったのではなかったか。最後に、と…。

 サーッと顔から血の気が引いていく。あれは、もう二度と会わないというレイモンドの宣言なのだ。アレクセイは打ちのめされた気分だった。
 あきらめていたはずだったのに。二度と会えないと覚悟していたのに。会ってしまうと、それ以上をと心が望む。
 馬鹿だな、僕は。
 あの人はクレイトス元帥に、アーシャのことをよろしくお願いしますと言ったではないか。連合宇宙軍で頑張るように、ということだろう。
 なだめても、なだめても、心がイヤだと言う。レイモンドのもとへ戻りたいと言う。今さらそんなことが、できるわけもないのに。

「……ああっ!」

 一人の部屋でアレクセイは声をあげ、立ち上がった。思い過ごしだと打ち消してもにわかに不安が膨らむ。
 レイモンドは、コスモ・サンダーをきちんとした組織にして、自立できるようにしなくちゃ、俺の仕事は終わらないと言っていた。その人が今日、『基礎はできた』と言ったのだ。

 もしかして…。
 レイモンドは自分の仕事が終わったと思っているのではないのか。それなら、最後に、の意味が違ってくる。
 アレクセイは確信していた。レイモンドが今でもマリオンを、マリオン様だけを慕っていることを。だから、気づいてしまったのだ。

「イヤだ! そんなことはさせない。絶対に!」
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