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しおりを挟むランジは自身の置かれている状況を話し始めた。
療養期間は親子水入らずの穏やかな時間を過ごせたこと。
一年ほど前にランジの母が亡くなり、父に屋敷へ呼び戻されたこと。
「兄が家を継ぐことは決まっていたが、俺が戻ってくることを面白く思わない連中は大勢いた。家督なんて興味ないのにな」
ランジの曇った表情とこの家に来た時の状況を考えると、激しい攻撃を受けていただろうことは容易に想像がついた。
「家の実権は兄が握っているし、俺のことは呪いと傷のせいで野垂れ死んでいると考えているだろう」
淡々と話しているが、簡単に自身の死という単語が零れてしまうほどにひどい仕打ちを受けていたことが窺える。
「まあ、この家は森の奥にあるし人はほとんど寄り付かない。ランジが来られたのも奇跡的なくらいよ」
「必死で覚えたんだ。あの時の帰り道、絶対にまた来ると誓って」
神妙な表情をするランジ。
「また難しい顔になってる」
彼の眉間の皺を親指でぐいぐい伸ばす。
「好きなだけ居ていいわよ」
わずかに彼の表情が和らぐ。
「あ、でもちゃんと働いて返してもらうからね?」
「ああ、もちろんだ」
真剣な返事が返ってくる。
冗談っぽく言ったつもりだったのに。
デジャヴ。
◇
「やっとこの季節が来たのね!」
商人が来たベルを聞き、荷物を回収したレンリはうきうきと家に入った。
「どうした?」
「年に一回のお楽しみが届いたのよ」
ランジはわけがわからないといった顔をしている。
「夕飯の時に振る舞うわ」
汗ばむ季節が去り過ごしやすい気候になったこの時期、毎年レンリが仕入れるものがある。
「うん、今年も良い香り」
ボトルに詰められたワイン。
何年も熟成させるものもあるが、これは毎年出る品種。
さっぱりと軽く飲みやすい。
普段あまり酒を嗜むわけではないが、この時期のワインだけは毎年楽しんでいる。
「ワインか」
食卓でランジはすぐに気が付いた。
「飲める?」
「ああ」
「よかった」
互いのグラスにワインを注ぐ。
「それじゃあ、乾杯。今日もお疲れ様」
「ああ、レンリもお疲れ様。乾杯」
グラス同士をかちりと合わせ、ひと口含む。
今年のものは少し酸味が強めだ。
「美味しい」
「ああ、良い酸味だ」
前々から感じていたが、ランジとは食の好みが合う。
なので毎回の食事で味付けに悩むことがない。
酒の好みも合いそうだ。
今日ばかりは食事をしながらの業務連絡は取りやめ、食前に済ませておいた。
食事とお酒を最大限楽しむために、今日ばかりは仕事のことは忘れたい。
事前に仕入れておいた、いつもより少し上等な小麦粉でパンを焼いておいた。
香ばしい香りが立ち込めている。
オリーブオイルに塩を入れ、そこにちぎったパンをちょんと付け口に運ぶ。
程良い塩気と小麦粉の香りがワインに合う。
ランジを見ると目を輝かせながら咀嚼していた。
この食べ合わせも好みが合ったようだ。
酔っているようには見えないが、心なしか普段より表情が柔らかい。
メインのパスタやサラダを食べながら談笑する。
楽しくてすぐに酔いが回ってきた。
「あ、そうだ。また花冠作ってよ。あの時本当に嬉しかったんだから」
「もちろん、いつでも」
「やった! 今はなにか花あったかな」
「花じゃないがコリウスがある」
葉の色が鮮やかで綺麗な植物だ。
「いいわね。作ってよ」
ランジの手を掴み引っ張る。
「今からか? もうじきに陽が落ちるぞ」
太陽は沈みきっているわけではないが、うっすらと辺りが見えるくらいの光量しかない。
「今!」
いつもより陽気なレンリの様子に、酔いが回っていることを察したランジはおとなしく従う。
「あの時みたいだな」
「え? なに?」
アルコールでふわふわしていて、ランジの言葉を聞き取ることはできなかった。
「足元気を付けろって言ったんだ」
ランジの手首を掴んでいた手を解かれ、逆に指が絡め取られる。
「転ぶと危ない」
引っ張られていただけのランジはレンリの横に歩み寄った。
彼の掌の大きさと熱さにきゅっと心臓が切なくなった。
「行かないのか?」
急に立ち止まり胸に手を当てるレンリ。
「ぁ、行く」
覗き込んできた黄金の視線で我に返る。
鼓動が収まらないまま、ランジと花壇へ向かった。
幸いにも足元や手元はしっかり確認できるくらいには明るさがあった。
目的の植物を手際よく摘み、ランジはその場で器用に編んでいく。
「ほら」
出来上がった冠がレンリの頭上に乗せられる。
「ほんとにすごいわ、ランジ」
「これくらいなら今のレンリなら作れるだろう」
「そうだけど……ランジに作ってもらったのが良いの」
嬉しくて両手で冠に触れた。
「そうだ、他にもなにか……」
編んで、と言おうと彼を振り返った。
ぐらりと視界が揺れる。
自分が思うよりアルコールが足にきていた。
すぐに彼の手が伸びて来て腰を抱き寄せられる。
転倒は免れた。
が、ランジに抱き寄せられ、間近に彼の顔。
とうに陽は落ち辺りは暗いが、すでに慣れた目はしっかりと彼の表情を捕らえる。
「レンリ」
まっすぐな瞳。
「好きだ」
彼の唇から紡がれた言葉に胸が高鳴る。
「二十年前ここに来た時からずっと」
「っ……」
どくどくと心臓が強く打ち、頬に熱が集まってくる。
「再会してさらに気持ちが強くなった」
手が引き寄せられ、彼の唇が指先に触れる。
「好きだ。今も昔も、ずっと」
指に口付けたままの彼と目が合う。
逃すまいとするもう一方の腕はがっちり腰に回っている。
密着する体温が心地いいのに、うるさいほど高鳴る胸が苦しい。
絡む視線が嬉しくて、なのに見つめられるとそらしてしまいたい矛盾に駆られる。
至近距離が恥ずかしくて離れたいのにもっとくっついていたい。
なぜこんなにも両極端な感情が同時に湧くのか。
「っふふ」
相反する思考の意味に気付き、レンリは思わず吹き出した。
「……なんだ」
目の前のランジが眉間に皺を作った。
怒っているのではなく少し不安になっている時の表情。
彼に抱くこの気持ちはただの友愛ではない。
「なあんだ、そっか」
「だからなんなんだ」
ますます彼の眉間が険しくなる。
「私、ランジのこと好きになってたんだなって思って」
彼の体がぴくりと跳ね固まった。
見たこともないほど目を見開きレンリを凝視している。
「自分から言ったくせになんでそんなに驚いてるの」
「いや……」
暗闇でもわかるほど彼の頬が赤い。
「まさか、すぐに返事をもらえるとは思っていなくて」
「見切り発車もいいところね」
「無邪気に笑うレンリが可愛くて、つい……」
「っ」
優位に立っていたと思ったのに、不意打ちでときめかされてしまった。
「嬉しい。好きだ、レンリ」
嬉しげに細められた黄金の瞳は少し潤んでいる。
「私もよ、ランジ。好き」
じわりと胸に温かさが広がる。
「レンリ……」
甘く掠れた声。
切実な声色で名を呼ばれ、そのまま唇が寄せられる。
触れ合う彼の体は節張っていて硬いのに、唇は柔らかかった。
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