奥手淫魔と世話好き魔法使いが両想いになるまでの話

山吹花月

文字の大きさ
12 / 14

11 受け入れる、望まない拒絶

しおりを挟む
 肌に触れるなにかの感触に意識が浮上する。ノエルと交わった後に眠ってしまったようだ。
「ん、起きましたか?」
 腕にふわふわしたものが触れている。ノエルがティーアの腕を取り、なにかをあてがっている。お湯に浸したタオルのようだ。
「はい、これで終わりです」
 額に彼の唇が触れ、ちゅっと軽い音を立てて離れる。
 髪を撫でるノエルの指先がゆっくり滑っていく。柔らかな指使いが繊細な硝子細工を扱うように優しくて、気まずいやら恥ずかしいやらで咄嗟にそっぽを向いて彼の視線から逃れる。
「片付けてきますね」
 ふっと笑う気配がして、もう一度こめかみに彼の唇が触れた。
「う、ん……」
 うまく返事が出来ずにぎこちない声になる。ノエルの指が毛先を梳き離れていった。
 遠のく足音の後、扉が閉まる音がするまで呼吸を止め自身の動揺を押し隠した。
 激しく脈打つ鼓動がばれていないことだけを祈り、ティーアは深く息を吐いた。



「で? あの可愛い恋人君は?」
 ティーアは含んだ紅茶を吹き出しかけた。
「ほんとに子犬みたいでびっくりしちゃった」
「こっ子犬!?」
 友人のイザベラとカフェでお喋りをしていた最中、唐突に切り出された。
 ここまで近状報告や仕事の情報を共有したり、いつも通り魔法使い仲間兼友人としてのとりとめもない会話をしていた。そこへいきなりノエルのことであろう話題が飛び出し、なんともまぬけな声が出た。
 以前街中で遭遇したことはあったが、イザベラへノエルの話をしたことはない。“子犬”と比喩をした覚えはあるが、子犬が実際は成人男性であるとか関係性など情報は伝えていない。
「この前の挙動で仲が良いのは充分伝わったけど。試すような真似して悪かったわ」
 彼に興味ないから安心して、と生温かい視線が送られむず痒い恥ずかしさに襲われる。
 恋人。ノエルとの関係はそう呼べるものなのか。あの“大切”の意味を本人に問う勇気はまだなかった。
「え? 付き合ってるんだよね?」
 ティーアの沈黙にイザベラが鋭くつっこむ。
「……あ、え、いや……」
 彼女の問いにはっきりとしないあやふやな言葉しか出てこなかった。
 ノエルは優しい。だが、互いの好意を確かめ合うような言葉は交わしていない。彼の挙動から、少なからず大切に扱われているのだろうとは感じる。それがどういった意味を持つものなのか、面と向かって聞いたことはない。
「あんたまたクズ男に捕まってるんじゃないでしょうね!?」
「えっ!? いやいや! 違う違う大丈夫!」
 おそらくイザベラの言う“クズ男”の分類にはならないだろう。
 ノエルにとって、大切に扱うのはただの食事に対する敬意。ティーアたち人間のように特別な意味は成さないかもしれない。そう考えたところで、ちくりと胸が痛んだ。もやのような不快な感覚が、思考と心臓の辺りを支配していく。
 これまで彼は淫魔らしいこと、すなわち“食事”をしておらず、反応したのはティーアだけだと言っていたことを思い出す。
 元々とてつもなく偏食で、今まで好みの料理に出会えなかったのかもしれない。そこに現れた、彼にとって美味しい食事というのが偶然ティーアだったというだけなのか。やっと見付けた好みのご飯を手放したくないが故の挙動かもしれない。
 食事の提供、と体の関係を自身が割り切れるのなら問題はない。だが、現在進行形で思考は混乱し、薄暗くて重苦しい負の感情が体中を支配し始めているのがわかる。
「また自分を犠牲にして、相手に尽くしすぎたりしないでよ?」
 イザベラの声から、心底ティーアを心配していることが窺える。
「ま、なんかあったらいつでも来ていいから」
 肩に軽くイザベラの手が置かれる。二回ぽんぽんと触れ、頬がきゅっとつねられた。
「抱え込みすぎない。ちゃんと相手と話し合う。ひとりで我慢しない。わかった?」
 自覚のないうちに自分を犠牲にし過ぎだ、とイザベラにはよく怒られる。
 そのたびに引き止め、相談に乗り、ティーアの幸せを思い後押ししてくれる。
「ひ、ひゃあい……」
「よし」
 頬をさすり痛みの余韻をなだめていると、無性にノエルに会いたくなった。現状彼との関係性は恋人とは言い難い微妙な様相だが、少なくともティーア自身は特別な感情を抱いている。やっと自身の恋心を受け入れる決心が出来た。
 正直、彼への好意を認めるのは怖い。だが、認めないと進めない。
 ノエルを困らせたくはなかった。互いに心地いい距離感で生活をしていきたい。そのために、この想いをどうするのか、少し考える時間が欲しかった。
「今日はもう解散にしようか」
「えっ?」
 イザベラが席から立ち上がる。いつもふたりで会う時は、夜にはバルに繰り出しワインを楽しんでいた。普段と違う行動にティーアは困惑する。
「早くわんちゃんに会いたいって、顔に書いてあるわよ」
「っ……!」
 さすがとしか言い様のない洞察力に頭が下がる。
「不器用なあんたのことだから、気持ちを伝えるのに苦労するとは思うけど、ちょっとずつ頑張んなさいな」
 彼女の笑顔に勇気付けられる。いつも味方でいてくれるイザベラの存在は救いだ。
「ん、ありがとね、イザベラ」
 イザベラの計らいにより、日も高いうちに早々に解散となった。



 自宅の玄関の前でティーアは立ち尽くしている。
 慣れ親しんだ家なのに、ノエルがいると考えるだけで緊張してしまう。
 恋を認めた途端ここまで動揺するものだろうか。過去を振り返ってもここまで混乱したことはない。自身が思いの外色恋に無垢であることに気付き、ひとりで照れてしまう。
 だが、いつまでも突っ立っているわけにはいかない。扉の前で深呼吸をし、気合を入れたティーアは勢いよく室内に入る。
「あっティーアさん、早いですね」
 入室早々ノエルと遭遇した。さっき入れたはずの気合は霧散し、心臓は痛いほど跳ね上がる。
「きっ今日は早めに解散になってね!」
 声は裏返り視線は泳ぐ。おそらく顔も真っ赤だ。
「よかったらなにか軽く作りましょうか? チーズあるので簡単なものならすぐ……」
「いいよ大丈夫! も、もう寝るから! おやすみっ!」
「そうですか、おやすみなさい」
 寝るにはあきらかに早い時間だが、これ以上ノエルと会話を続けられる自信がなかった。幸いにもノエルは不審に思っていないようだ。
 足早に自室に戻り後ろ手に扉を閉める。ひとりの空間になり、ようやく深く息を吐けた。無意識に肩にも力が入っていたようで、こわばった体が脱力していく。
 いつも通りの穏やかなノエル。ほっとしたような、自分だけ意識してしまい恥ずかしいような、目まぐるしく流れていく感情に翻弄される。
「う……どきどきする……」
 心臓の辺りが痛いような苦しいような気がする。走ってきたせいかな、とそれっぽい理由を付けてみる。そんなわけないことは自分が一番わかっていた。
 まともに目を見て会話することもできなかった不甲斐なさに落胆する。互いにいい距離感を、だなんて余裕をかましていた少し前の自分を殴りたい気分になった。
 ノエルとどんな関係になりたいのか。この感情をどう処理するのか。今までと同じ生活様式で問題はないか。いくつもの課題が脳内を駆け巡る。
 考えれば考えるほど思考が混乱し、わけがわからなくなってくる。
 なにより、自身の初心さに動揺し恥ずかしくて仕方がない。
「ああもうっ!」
 フル回転でヒートアップした脳はすでに冷静な判断力を失っている。これ以上考えても埒が明かない、そう諦めすべてを放り出しベッドにもぐりこんだ。


 
 結局、空が白むまで脳内に不毛な考えが渦巻いていた。満足に睡眠をとれないまま朝食の時間を迎える。正直なところもう少し寝ていたいが、昨晩お酒を飲んでいないのに起床が遅いと、ノエルにいらぬ心配をかけてしまうだろう。それはティーアの望むところではない。部屋の鏡で最低限の身だしなみを整えキッチンへと降りていく。
「あ、おはようございます。ティーアさん」
 ノエルはすでに食事の準備を始めていた。瑞々しい満開の笑顔に迎えられる。今朝はその微笑みがいつもより眩しく見える。
「あ、うん、おはよ」
 直視できずに目を逸らす。そんなティーアの様子を気にすることなく、ノエルはテーブルに食事を並べていく。ほとんどの準備が整っていてティーアの仕事が見当たらない。取り決めたわけではないが、食事の準備はふたりでするのが日課となっていた。慌てて彼に駆け寄るが、ノエルが持つ皿ですべて整う。
「ごめん。全部やってもらっちゃって」
 なにも出来ることがなかった。手持無沙汰で視線をさまよわせていると、頬が彼の大きな手に包まれた。水仕事をしていたせいか少し冷たい。
「気にしないでください。好きでやってるんです」
 額にキスが降る。しっとりと押し当てられた唇は、甘く吸いつき音を立てて離れた。
「ん、ちょっと顔色良くないですね。大丈夫ですか?」
 こつん、と額が合わせられた。一気に近付いたノエルの顔にかっと頬が熱を持つ。
「ちょっと熱い、かな。体調どうですか? しんどいとか、なにかありますか?」
 柔らかく輪郭を撫でていく指が優しい。
「っ……ちょっと寝不足なだけ」
 まともにノエルを見られなかった。顔ごと逸らしてしまいたいが、頬が囚われ動かせない。目を伏せ視線だけでも逃亡を試みる。
「んっ」
 閉じた瞼に柔らかくキスが降った。大袈裟に肩が跳ね声が洩れる。みるみる体温が上がっていくのがわかった。
「やっぱり熱いですね。風邪のひき始めかも。ご飯食べたらもうひと眠りしてください」
 ノエルの親指が目尻を撫でる。愛おしむような手つきに、きゅっと心臓が悲鳴を上げる。
「食べましょう。ご飯」
 微笑んだ後、彼は体を離した。急に外気が冷たく感じて心細くなる。
「どうしました?」
 ティーアの様子に気付きノエルは小首を傾げる。
「っ、ううん、なんでもない!」
 精一杯の笑顔を取り繕う。結局、ノエルを直視することができないまま朝食の時間は終了した。

「ティーアさん、本当に大丈夫ですか?」
 食後、ノエルの言う通りもう一度眠って体を休めようと考えたが、どうにも目が冴えてしまった。なにもせず横になっているだけだと余計な思考がぐるぐると回る。逆に仕事をして手を動かしていた方が気が楽、ということでいつも通り仕事に精を出している。ノエルとふたりで作業するのは気まずいが、目の前の仕事に没頭していればその気持ちも幾分か和らいだ。
「うん、平気だよ」
 普段よりも作業の進捗は遅い。そのこともありノエルは心配そうにティーアの様子を窺っている。まだまっすぐ視線を合わせることに気恥ずかしさが大きい。近付いた距離が気まずくて後退る。
「……あっ」
 急に動いたせいでめまいがした。睡眠不足で痛む頭がくらくらする。うまく踏ん張ることが出来ずに体がぐらついた。
「ティーアさん!」
 ノエルの手が伸びティーアの腕を捕まえた。強く引かれ、重心が落ち着いた体は転倒を免れた。
「っ!」
 目の前にノエルの顔がある。かっと頬に熱が集まり、咄嗟に彼の胸を強く突き放してしまう。頭上で息を詰める気配がする。無意識の行動とはいえ、手を貸してくれた相手への態度にしては失礼すぎる。
 やってしまった、そう思って顔を上げた時にはもう遅かった。眼前のノエルの瞳は見開かれ、ショックを受けているのは明白だった。
「ぁっ違うのノエ、ル……」
 急に膝から力が抜ける。
「ッティーアさん!」
 視界が暗転して体が支えられなくなる。ノエルに抱き留められた気配はするが、瞼と思考が重くて理解が追い付かない。
「大丈夫ですかティーアさんっ! どうしよう医者に、いやまず薬を」
「……ぅ、へい、き。横に、なる……だけで……」
 ほとんど開かない視界から見えたノエルは顔色が真っ青だった。これではどちらが病人かわからない。そんなことを考えたところでティーアは意識を手放した。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

【短編】淫紋を付けられたただのモブです~なぜか魔王に溺愛されて~

双真満月
恋愛
不憫なメイドと、彼女を溺愛する魔王の話(短編)。 なんちゃってファンタジー、タイトルに反してシリアスです。 ※小説家になろうでも掲載中。 ※一万文字ちょっとの短編、メイド視点と魔王視点両方あり。

拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました

星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎ 王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝―― 路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。 熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。 「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」 甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。 よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、 気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて―― しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!? 「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」 年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。 ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。

新人メイド桃ちゃんのお仕事

さわみりん
恋愛
黒髪ボブのメイドの桃ちゃんが、働き先のお屋敷で、旦那様とその息子との親子丼。

十歳の花嫁

アキナヌカ
恋愛
アルフは王太子だった、二十五歳の彼は花嫁を探していた。最初は私の姉が花嫁になると思っていたのに、彼が選んだのは十歳の私だった。彼の私に対する執着はおかしかった。

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

処理中です...