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3 死者の気配!?
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「な、ない。ないよ」
「わかりました。ではひとまず、この家に霊が集まってこないようにします」
「なにっ!? 本当か!?」
ダイニングチェアの横に置かれた黒いランドセルから、天緒は黒い布に包まれた何かを取り出した。
それは一本の筆だった。使い込まれた象牙のような軸に、すでにたっぷり墨を含んでいるかのような穂は、黒い艶を湛えている。くすんだ乳白色の軸には行書体の文字のようなものが彫り込まれていて、小学生が毛筆の授業で使うには渋すぎるデザインに見える。
「……それは?」
「ここに集まってきている大半は、意思を持たない浮遊霊ですので、おそらく自然に輪廻の輪の中へもどっていかれると思います。ただ中には少し危険なものもいますので、ねんのため、この家には結界を張っておきますね」
「ん? けっかい……? あ、うん……お願いします」
何を言っているのかまったくわからなかったが、律は素直にこくりと頷く。
すると天緒は、ひと目で愛想笑いとわかる笑顔をニコッと浮かべ、黒い毛氈に挟み込んであった白い和紙を取り出す。
そして、さらさらと得体のしれない紋様——簡単にいうならば、いわゆる『悪霊退散』の時に使うようなお札を書き上げた。子どもの小さな手が、まるで熟達した書道家のような文字を。
——……? ??? この子はいったい何だ? 何者なんだ……?
これが漫画の世界なら、律の頭上にはいくつものクエスチョンマークが浮かんでいることだろう。
天緒は書き上げたお札を満足げに眺めたあと、すっと立ち上がってつるんとした膝小僧を払う。……そんなに我が家のリビングは埃っぽかっただろうか。
「これをリビングの壁にはっておいてください。ではぼくは、これで」
やることは済んだといわんばかりに、天緒はさっさと筆を片付けてランドセルを背負い、律の前から立ち去ろうとする。
天緒がこの家に上がり込んできた時から狐につままれたような気分だ。
律は慌てて、天緒の小さな肩をぐっと掴んで引き止める。
「い、いや待っ……ちょっと待った! 君はいったい何なんだ!? 一体何者なんだ!?」
立ち止まった天緒が、横顔で律を振り仰ぐ。
鮮やかな鳶色の瞳にすっと妙な鋭さが混ざり込むのを垣間見た気がして——……律は弾かれたように手を離した。
「す、すまない。子ども相手に大きな声を出してしまった」
「いえ……ぼくもいけなかったですね。大した説明もせずにおせっかいをやいてしまって」
天緒はくるりと身体ごと律を振り返り、きゅるるんとしたあざとい笑顔を浮かべた。ついさっ見せた瞳の鋭さを覆い隠そうとするようなわざとらしい笑顔だが、可愛らしいのでまぁいいかという気分になる。
「実はですね、ぼくの実家は、京都にあるお寺なんです」
「ほう、寺」
「はい。うちの寺は代々浄霊をなりわいとしてきました。ぼくも小さいころから、普通のひとには見えないものが視えます」
「はあ……なるほど」
小さい頃って、今も小さいじゃないか——と胸の中でつっこむ。律はフローリングに正座して、天緒と視線を合わせた。
「だから君は、お札を作って悪霊を寄せ付けないようにしたりできる、ということか」
「悪霊といっても、ここに集まっているのは悪い人ばかりじゃありませんよ。ちょっと道に迷って、あなたのところに引き寄せられてしまっただけ。かすみのような存在の人もいます」
「ほうほう、なるほど。……ん? 引き寄せられた?」
坊主の説教を聞くような気分で相槌を打っていた律は、ぴたりと動きを止める。
「その言い方は、まるで僕が幽霊を引っ張り込んでいるように聞こえるが?」
「はい、じっさいそんなかんじなので」
「え? いやいや、そんなわけないよ。だって僕には霊感なんてものはないし」
「でも……」
戸惑う律の全身を瞳の中に映すように、天緒の視線が動いた。
混乱するあまり目眩がしてきた。ずり落ちかけるメガネを震える指で押し上げる。
すると天緒が、幼い声でゾッとすることを言った。
「あなたには死者の気配を強く感じます」
「……は?」
「つまり、あなたは呪いを受けているということです」
「の……呪われてる? 僕が?」
「心当たり、本当にないんですか? ぼくにできるのは、この場所に取り憑いている人たちを浄霊して、お部屋を静かにすることくらいです。放っておいたらまた、霊はあなたのそばに集まってきますよ?」
「そ、そんな。てかなんなんだ呪いって!? それもいっしょに除霊してくれよ!」
律はまたもガシッと天緒の肩を掴んだ。
今度こそ迷惑そうな顔で見上げてくる天緒に涙目を向け、恥も外聞もかなぐり捨て、律はがばりと土下座した。
「怖いことを言いっぱなしで帰らないでくれ!! 金はいくらでも払うから、その呪いを解いてください!!」
「そういわれましても。あの、頭をあげてください」
土下座していた頭を上げると、天緒のつるつるの膝小僧が目の前にある。正座した天緒がそっと律の肩に触れた。
「わかりました。きちんと調査をしてみますので、顔をあげてください」
「ほ、本当か……!?」
「でも、まずは家に戻らねばなりませんので、五分ほどお待ちいただきます」
「わ、わかった。……五分でいいのか?」
床に這いつくばったまま首を傾げる律に、天緒はこくりと頷いた。
「ぼくの家、先生のお隣なので」
「わかりました。ではひとまず、この家に霊が集まってこないようにします」
「なにっ!? 本当か!?」
ダイニングチェアの横に置かれた黒いランドセルから、天緒は黒い布に包まれた何かを取り出した。
それは一本の筆だった。使い込まれた象牙のような軸に、すでにたっぷり墨を含んでいるかのような穂は、黒い艶を湛えている。くすんだ乳白色の軸には行書体の文字のようなものが彫り込まれていて、小学生が毛筆の授業で使うには渋すぎるデザインに見える。
「……それは?」
「ここに集まってきている大半は、意思を持たない浮遊霊ですので、おそらく自然に輪廻の輪の中へもどっていかれると思います。ただ中には少し危険なものもいますので、ねんのため、この家には結界を張っておきますね」
「ん? けっかい……? あ、うん……お願いします」
何を言っているのかまったくわからなかったが、律は素直にこくりと頷く。
すると天緒は、ひと目で愛想笑いとわかる笑顔をニコッと浮かべ、黒い毛氈に挟み込んであった白い和紙を取り出す。
そして、さらさらと得体のしれない紋様——簡単にいうならば、いわゆる『悪霊退散』の時に使うようなお札を書き上げた。子どもの小さな手が、まるで熟達した書道家のような文字を。
——……? ??? この子はいったい何だ? 何者なんだ……?
これが漫画の世界なら、律の頭上にはいくつものクエスチョンマークが浮かんでいることだろう。
天緒は書き上げたお札を満足げに眺めたあと、すっと立ち上がってつるんとした膝小僧を払う。……そんなに我が家のリビングは埃っぽかっただろうか。
「これをリビングの壁にはっておいてください。ではぼくは、これで」
やることは済んだといわんばかりに、天緒はさっさと筆を片付けてランドセルを背負い、律の前から立ち去ろうとする。
天緒がこの家に上がり込んできた時から狐につままれたような気分だ。
律は慌てて、天緒の小さな肩をぐっと掴んで引き止める。
「い、いや待っ……ちょっと待った! 君はいったい何なんだ!? 一体何者なんだ!?」
立ち止まった天緒が、横顔で律を振り仰ぐ。
鮮やかな鳶色の瞳にすっと妙な鋭さが混ざり込むのを垣間見た気がして——……律は弾かれたように手を離した。
「す、すまない。子ども相手に大きな声を出してしまった」
「いえ……ぼくもいけなかったですね。大した説明もせずにおせっかいをやいてしまって」
天緒はくるりと身体ごと律を振り返り、きゅるるんとしたあざとい笑顔を浮かべた。ついさっ見せた瞳の鋭さを覆い隠そうとするようなわざとらしい笑顔だが、可愛らしいのでまぁいいかという気分になる。
「実はですね、ぼくの実家は、京都にあるお寺なんです」
「ほう、寺」
「はい。うちの寺は代々浄霊をなりわいとしてきました。ぼくも小さいころから、普通のひとには見えないものが視えます」
「はあ……なるほど」
小さい頃って、今も小さいじゃないか——と胸の中でつっこむ。律はフローリングに正座して、天緒と視線を合わせた。
「だから君は、お札を作って悪霊を寄せ付けないようにしたりできる、ということか」
「悪霊といっても、ここに集まっているのは悪い人ばかりじゃありませんよ。ちょっと道に迷って、あなたのところに引き寄せられてしまっただけ。かすみのような存在の人もいます」
「ほうほう、なるほど。……ん? 引き寄せられた?」
坊主の説教を聞くような気分で相槌を打っていた律は、ぴたりと動きを止める。
「その言い方は、まるで僕が幽霊を引っ張り込んでいるように聞こえるが?」
「はい、じっさいそんなかんじなので」
「え? いやいや、そんなわけないよ。だって僕には霊感なんてものはないし」
「でも……」
戸惑う律の全身を瞳の中に映すように、天緒の視線が動いた。
混乱するあまり目眩がしてきた。ずり落ちかけるメガネを震える指で押し上げる。
すると天緒が、幼い声でゾッとすることを言った。
「あなたには死者の気配を強く感じます」
「……は?」
「つまり、あなたは呪いを受けているということです」
「の……呪われてる? 僕が?」
「心当たり、本当にないんですか? ぼくにできるのは、この場所に取り憑いている人たちを浄霊して、お部屋を静かにすることくらいです。放っておいたらまた、霊はあなたのそばに集まってきますよ?」
「そ、そんな。てかなんなんだ呪いって!? それもいっしょに除霊してくれよ!」
律はまたもガシッと天緒の肩を掴んだ。
今度こそ迷惑そうな顔で見上げてくる天緒に涙目を向け、恥も外聞もかなぐり捨て、律はがばりと土下座した。
「怖いことを言いっぱなしで帰らないでくれ!! 金はいくらでも払うから、その呪いを解いてください!!」
「そういわれましても。あの、頭をあげてください」
土下座していた頭を上げると、天緒のつるつるの膝小僧が目の前にある。正座した天緒がそっと律の肩に触れた。
「わかりました。きちんと調査をしてみますので、顔をあげてください」
「ほ、本当か……!?」
「でも、まずは家に戻らねばなりませんので、五分ほどお待ちいただきます」
「わ、わかった。……五分でいいのか?」
床に這いつくばったまま首を傾げる律に、天緒はこくりと頷いた。
「ぼくの家、先生のお隣なので」
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