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16 黄泉の国
「ナウマクサマンダ バザラダン センダンマカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カン マン!」
天緒の声がわんわんと頭の中にこだまする中、ふっと部屋の中の空気が変わった。
さっきまで、律は確かに過ごし慣れた我が家にいたはずなのに、まばたきをひとつする間に目の前の風景が一瞬にして変化している。
白い靄に包まれた見覚えのある風景が、律の目の前に広がっていた。
「……え?」
「ここは異界。黄泉の国です」
「っ……」
天緒の静かな声が、のっぺりと聞こえてくる。遮るもののない広い空間にいるはずなのに、天緒の声は響かず空気に吸い込まれるようだ。
仰ぎ見上げた空は乳白色。地平の先まで覆い尽くすような白い霧のせいで、一、二メートル先の景色もおぼつかない。
律はよろめきながらあたりを見まわす。
「す、すごい。どうして……こんなことが」
「ぼく自身が行きたいところへ行くわけじゃないんです。この石がもつ縁を頼りに、異界へ渡るんです」
「この石が……」
小さな手に握られたあの石が、ぼわりと淡く発行しているように見えた。律が拾い上げたときと同じように。
天緒が恭しく差し出した石を、律はそっと手に取った。
こわごわ触れたその石は、不思議とほんのりぬくもりを持っている。
——……なんだろう、この感じ。
安堵する。この石が手元に戻り、律はひどくホッとしていた。
だがわけがわからない。自分自身の心の動きが理解できない。
すると、律の足元に絡みついていた夜見がぴょんと離れて、大きく伸びをしはじめた。
「さーて、河原に石を返しに行くんだろ。とっとと背中に乗れ」
「え? いや、背中に乗るったって……」
こんな小さな猫の背中に乗れるわけないだろうと言いかけたそのとき——……ぼふん、とかすかな音とともに夜見の姿が変化した。
一度も二度もは通った道だ。もう動じることはないだろうと思ったが……。
「え。夜見……、さん?」
夜見が、見上げるほどに大きい。ものすごく大きな猫になっている。
たとえるなら、アフリカゾウくらいの大きさだ。ものすごくでかい。
「わぁ……そんな姿にも化けられるのか……」
「ここは長居すべき場所じゃない。ほら、パッと行ってパッと帰るぞ。乗れ」
夜見はぺたんと腹を地面につけて伏せの姿勢になった。
「そう、夜見の言う通りですよ。息苦しくないですか? ここ」
「そういえば……」
「ここはね、生きている人間がいていい場所じゃないんです。……さあ、すぐに石を戻しにいきましょう」
律の部屋にいたときに石から臭った不快な匂いが、律の鼻腔をねっとりと侵していく。うっすらと香るのは線香のような香りでありながら、生き物が腐ったような饐えた臭いも入り混じっている。決して深呼吸して胸いっぱいに吸い込みたい空気ではなく、律はシャツの袖を伸ばして鼻を覆った。
ひらりと夜見の背中に飛び乗った天緒が、律に向かって手を差し伸べる。
「夜見はあの川の場所が分かるのか?」
「ええ、わかりますよ。夜見はね、蓮堂家代々の守護獣なんです。この子は決して道に迷わない。現世に戻る道標になってくれる」
「守護獣……? わ、わかったよ」
天緒の小さな手を握り、おっかなびっくり律も黄泉の背中に乗る。夜見が身を起こすと、ふわふわの毛皮の下に、しなやかな筋肉の動きを感じた。
「じゃあ行くぞ! 振り落とされるなよ!」
タッと夜見が地面を蹴る。
靄を切り裂いて風のように駆けてゆく夜見の背中にしっかりとしがみつきながら、律はとうとう考えるのをやめた。次から次へと情報が叩きつけられ、律の頭はすでにオーバーヒートしかけている。
——うん、ネタだ。これは取材の一環だ。うん、そうだ。この状況を、創作に生かすんだ。
そうやって自分を納得させていると、夜見の背に跨った天緒がふと横顔でこっちを振り返った。
「先生、あまり周りを見ないようにしてください。いいですね」
「え? せっかく物凄い体験をしているのに?」
「先生を惑わせるものが現れるかもしれません。ですが、それは先生の心が作り出した幻影です。本物じゃない」
「……? あ、ああ。わかったよ」
いやに強く念を押され、気圧されつつ頷いた。握りしめた石は、律の手の中でなおも淡く発光している。
まるで、生きているかのように。
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