異聞白鬼譚

餡玉(あんたま)

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第三幕 ー厄なる訪問者ー

十四、舜海の過去

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 人々が朝餉を終えて一日の仕事を始めた頃、道場では稽古が始まり、若い男達がぞろぞろと城へとやって来ていた。

 舜海は上座に座って、二日酔いに痛む頭を押さえている。

「おはようございます、おお、舜海様、お久しぶりでございます。もうお体はいいのですか?」

 若い門弟の一人が、そんな舜海に声をかけた。
 舜海は虚ろな目で、爽やかに挨拶をしてくるその男を見上げると、

「おお、身体はな。昨日祝杯あげたら二日酔いや」
「ははっ、病み上がりにはきつかったのですねぇ。無茶をなさる」
「いつまでも千珠にだけ任しとくのも気が引けるしなぁ」
「千珠さま、とても丁寧に稽古を見てくださいましたよ。あんなに強く美しい方に稽古を付けてもえるなんて、嬉しい限りです」
「ん、そうか。俺のいいひん間になんや人気もんやな」

 竹刀を担いでにこやかに笑う男に、舜海はちょっと笑みを返した。千珠がちゃんと人間の中で居場所を得ていることを再び実感し、嬉しかったのだ。

「しかし近くで見れば見るほど美しい方ですなぁ、慣れるまでは大変でした」
「……まぁなぁ、確かにあいつの顔はきれいやなぁ」
「おい、顔だけきれいみたいな言い方するな」

 二人の後ろに、腕組みをした千珠が立っていた。舜海と若い門下生はびくっと肩を揺らし、
「うわ! びっくりした!」と声を立てた。

 千珠は舜海を見下ろし「何だその顔。まだ酒が抜けてないのか」と、冷ややかな目を向ける。

「やかましい。あの不愉快な男のせいや」

 舜海は不機嫌な顔になると、あぐらを組んで膝の上に肘を付くと、顎を載せた。

「では千珠さまが今日の稽古を?」

 門下生は少し嬉しそうな表情を浮かべる。近くで素振りをしていた数人も、その会話を聞いているようだ。

「ああ、舜海がこんなだからな。今日も俺が見る」

「よろしくお願いいたします!」

 近くにいた数人の男達が一斉にそう言い、表情も明るく、いそいそと再び素振りを始めた。舜海はそんな様子を見て憮然とする。

「なんや、俺の居場所がなくなっとるやないか。おいこら! 今日は俺や! 俺が稽古付けたるからな!」と、道場中に大声でそう言い放ち、よろよろと立ち上がって木刀を担いだ。

 道場中に落胆の空気が流れたのは言うまでもない。千珠はそんな皆の様子を見て、少し笑った。

 門下生たちに素振り二百回を言い渡すと、舜海は上座に立って稽古を眺めている千珠に歩み寄る。

「お前、俺がおらん間にすっかり人気者やないか」
「まぁね」

 千珠は表情も変えず、さらりとそう言った。

「もっと嬉しそうにしろや。まぁええか。……で、あの陰陽師は?」
「牢から出して、仕置部屋で術を解く方法を調べさせている。柊がついてる」
「そうか。お前の体調は?」
「どうもないが……力は入らないな。やはり跳べないし、剣にも重さも速さもない。今朝兼胤に絡まれた時も、何もできなかった」
「え! あいつになんかされたんか!?」

 舜海が急に大声を出したので、近くにいた門下生が驚いて二人を見た。舜海は気まずそうに手を上げて何も無いと伝えると、再び千珠を見た。

 千珠は、近くで大声を出されたため、耳を押さえながら迷惑そうな顔をしている。

「別に何もされてないけどな、俺と手合わせしたいそうだ」
「あいつ、いけしゃあしゃあと……。力が戻ったらぼこぼこにしたれよ」
「そのつもりだ。あと、身体の手合わせもしたいそうだ」

 舜海はぎょっとして、黙り込んだ。しばらく後、少し震えながら小さな声で呟いた。

「……ぶっ殺す」
「放っておけよ。これからは一人ではいないようにするさ」
「絶対やぞ。くそ、あいつほんまに気に食わん!」

 舜海は右手で作った拳を左手に打ち付けると、苛立ち険しい顔をした。

「何かあったのか? 昔」

 尋常ではない舜海の様子に、千珠はそう尋ねた。舜海は稽古の様子を見ながら、少し黙る。

「……俺がまだ十になるかならへんかの頃に、初めてあいつが城に来たんや。あいつは周防国の城主の次男坊で、すでに身体はでかくて力も強くて、戦い方も知っとった。でも俺は、まだ野良犬みたいな貧相な餓鬼でな、殿や留衣と一緒に稽古はしとったけど、なかなか芽がでぇへんかった」

 舜海は、へばっている門下生に一声喝を入れると、低い声で続けた。

「ある夜、俺は寺へ戻る道しな、あいつとその子分みたいなやつらに待ち伏せされて、ぼっこぼこにされてな。俺みたいな汚い坊主が、あいつらと一緒の場所で稽古したりしてんのが、気に食わへんかったんやと言われた。俺は、何もできひんかった。……悔しかった」
「……」

 思えば、初めて聞く舜海の昔話だった。千珠はじっと舜海の声に耳を傾ける。
 千珠が舜海に出会った頃、舜海はすでに強く、この国の中でも確固たる地位があった。そうなるまでに、こんな惨めな過去があったとは。

「それからやな、俺は無我夢中で修行した。剣術も、体術も、法術も。あんな奴に、二度と負けたくなかった」
「そうか……」
「俺は強くなった。あいつと二度目に出会ったとき、俺はあいつに喧嘩ふかっけて、負かしてやった」

 舜海は遠い目をしていた。

「でもな、あいつはこう言いよった。どんなに力が強くなったって、所詮野良犬は野良犬だと。自分のように、国を動かすことはできないだろう、ってな。まぁただの負け犬の遠吠えやったんやろうけど、当時の俺にはその言葉が無性にひっかかってな」

 舜海は苦い顔で稽古を眺めながら続けた。

「生まれが違うからな。俺はただの貧農の子で家族もおらん。奴は生まれながらに一国の城主の次男坊。前お前にも言われたけど、昔はもっと回りに引け目を感じてたわけや。それをずけずけと指摘する、兼胤のことが大嫌いやった」
「……」

 千珠は何と言っていいか分からず、舜海の横顔をじっと見つめるだけであった。舜海は、ちょっとはっとすると、千珠を見ていつものように笑った。

「すまんな、変な話聞かしてもうて」
「いや……お前にそんな時があったなんてな」
「それなりにな。まあ昔は昔、今は今やから、お前がそんな困った顔せんでええ」

 舜海は千珠の頭をぽんぽんと軽く叩くと、素振りに悲鳴を上げている門下生たちの中に進み、喝を入れて回りだした。それはいつもの、あっけらかんと明るく、豪気な舜海の背中だった。

 千珠はそんな背中を見ながら、昨年の自分のことを、ふと思い出していた。
 舜海と光政がいなければ、今の自分はない。この心地良い居場所もない。

 光政にも伝えたように、舜海にももっと感謝の気持ちを伝えたいのに、彼のその明るさが逆に千珠を照れさせてしまうのだった。

 気持ちというのは、何と見えにくく、伝えにくいものか。

 千珠はもどかしい思いを腹に収め、門下生たちの修行に励む姿をひとりひとり見つめながら、千珠も指導に入っていった。
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