セックスなしでもいいですか?

餡玉(あんたま)

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5、何でここに……?

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 ——はやくおわれ、はやくおわれ、はやくおわれ……。


 薄暗い部屋。磨かれたフローリングの床に映る、色とりどりの光。
 床に滴る、一季の汗と涙。痛みを逃すために浅い呼吸をくりかえしていたせいで、喉がカラカラに乾いている。


 四つん這いされ、腰を掴まれ、突き上げられる。
『俺のこと好きなんでしょ? 何が怖いの?』と、感情を人質にされ、無理強いされた、虚ろな行為。それが、初めての性体験だった。


 ——痛い、苦しい……。こんなの、いや。でも、セックスを拒んだら、捨てられる。それはいやだ……!


 ——気持いいって、思わなきゃ。僕だって、好きなんだ、好きなんだから、気持いいんだ……。


『何泣いてんの? せっかく抱いてやったのに』



「……うはっ……!!」


 悪夢を見ていた。
 パジャマにしているTシャツはぐっしょりと汗で濡れ、肌にべったりと張り付いている。その感覚があまりに不快で、一季はたまらずシャツを脱ぎ捨てた。そしてベッドの上で膝を抱え、身を守るように縮こまる。


「……なんで、今頃こんな夢……」


 ——優しくて素敵な恋人ができたばかりだっていうのに、どうして昔の夢なんか……。


 一季はゆっくりと顔を上げ、カーテンの向こうに透ける朝陽を見つめた。コバルトブルーのカーテンの向こうにはきっと、まばゆい青空が広がっているに違いない。


「……もう忘れたと思ってたのに」


 初恋の相手との、初めてのセックスの記憶。
 それが自分の不感症の根源であろうということに、一季はとっくに気づいていた。


「……はぁ……起きなきゃ……」


 今日は月曜日だ。仕事がある。いつまでも寝ているわけにはいかない。


 ——塔真さん、何してるんだろ……。


 二日前にできたばかりの新しい恋人だ。彼の笑顔を思い出すと、一季の胸はどきどきと高鳴った。過去の夢のせいで冷え切っていた心が、ふんわりと溶けてゆく。

 スマートフォンを見てみると、当の泉水からメールが届いてた。『おはようございます。今日から新しい職場に初出勤となります。お互い、頑張りましょう』という、事務連絡のようなメールであった。泉水の不器用な真面目さを感じる文章に何となく気が抜けて、一季はふっと笑ってしまった。

「そういえば、塔真さんて何の仕事してるんだ? 引っ越しの時、そういう話しなかったな……」

 ごろんとベッドに寝転がってスマートフォンを見上げながら、一季は独り言を口にした。本棚の本を見る限り、何かしら理系の職業であるようであったが、バリバリの文系出身の一季には理解不能な日本語(あるいは英語)ばかりが背表紙に並んでいたため、質問することさえできなかったのだ。

「頭、いいんだろうなぁ……。しかもあんなかっこいい人が、僕に一目惚れをしてくれるなんて、夢だったらどうしよう。ぐだぐだ酔っ払って寝ちゃったあと、長い夢を見ていただけなのかも……」

 ちなみに昨日は休日だったが、泉水とは会っていない。引越しの片付けが明け方までかかってしまったため、次の日はのんびり身体を休めることにしたのである。

 泉水はしきりに恐縮していたが、一季にとって、二人で黙々と作業する時間はとても楽しいものだった。片付け終えた部屋であたたかいコーヒーを飲みながら、テレビの配線を繋いでいる泉水の背中を見ていると、これまで感じたことのない穏やかな安らぎを感じた。だが幸せを感じると同時に、小さな不安が、一季の胸にちくりと刺さる。

 泉水は容姿端麗で、すばらしく紳士的だ。女性にモテないはずはない。
『セックスなし』の清い交際が、一体いつまで続くのだろう。身体で繫ぎ止めることもできない一季に、いつかは飽きてしまうに決まってる。そして今度は、普通に女性と交際するかもしれない。そしてそのまま、泉水は一季のことなどすっかり忘れて、ごくごくまっとうな人生を歩んでいく——……。きっとまた、置いていかれてしまう。


 ノンケの男は気まぐれだ。
 初恋の男がそうであったように。


 優しげな恋人が出来たことに幸せを感じつつも、一季はまだ、泉水のことを心からは信用できていないのだ。


「まぁ……そんなこと、今から考えても仕方ないか」


 一季はうーんと伸びをして、着替える前にシャワーを浴びようと、バスルームへと向かった。



 +


 一季の勤務する英誠大学は、難関国立大学である。全国各地から、知力・学力・運動能力に優れた学生たちが集まる学び舎だ。 

 もうすぐ英誠大学の入学式。右も左も分からない新入生たちがわんさか大学にやって来る。教務課に所属する一季にとって、この時期はある意味戦争だ。学生たちは『分からないことは教務課に』と教えられるため、新入生は大波のように教務課に質問に訪れる。彼らの疑問を聞き、適切な場所で相談に乗ってもらえるよう導いていかねばならないのである。
 それに一季は、新入生オリエンテーションの企画を任されている身でもある。そのため、今後数日はかなり慌ただしい毎日を過ごすことになりそうだ。

 教務課は、一番学生と近いポジションで仕事をすることになるため、若者との関わりがとても多い。今回一季が担当している『新入生オリエンテーション』も、在学生たちと協働して企画を練ってきたものである。

 こういった課外活動の企画や運営をはじめ、入学料・授業料・奨学金などに関する業務、また中学校・高等学校との教育連携などなど、学生たちが心穏やかに勉学に励むことができるよう、環境を整えるのが一季らの仕事だ。学生の悩み相談の窓口となったり、アルバイトや就職などの相談に乗ることも多いため、とにかく毎日忙しい。

「はぁ……」
「あれ~? 嶋崎さんどうしたんすか~? 便秘っすか?」
「……違う。ちょっと嫌な夢見て、テンション下がってるだけ」
「へぇ、どんなどんな?」
「秘密」

 仕事中にもついついため息が漏れてしまう。今日は大講堂で入学式の準備に取り掛かっているところだ。
 この忙しい時期に、過去を思い出してうつうつしてはいられない。

「ところで、当日ステージ上に生ける花のことなんだけど」
「ああ、家政科の前森教授がやってくれるそっすよ」
「そう、よかった。あとで僕もお礼言っとかなきゃ」
「喜ぶでしょーね、前森教授、イケメン好きだし~」
と、バインダーをめくりながら淡々と話しているのは、後輩の田部貴彦たべたかひこである。去年設備管理課から教務課に異動となり、一季の隣のデスクにやってきた。

 田部の外見はほぼほぼホストだ。社会人にしてはやや長めの栗色の髪の毛は、いつでもビシッとキマっている。綺麗にセンター分けされている前髪が乱れているところを、一季はまだ一度も見たことがない。ピアスこそしていないが耳たぶには大小の穴が空いているし、履いている靴も常人のものより尖り気味だ。

 しかし性格はなかなか真面目で、奥二重のすっきりとした目を細めて笑う顔は、意外なほどに可愛らしい。しかも背は高いし、要領はいいし、人を乗せるのもうまいため、教授陣や学生らからのウケがいいのだ。田部は主に、アルバイトや下宿先の相談・紹介といった業務にあたっているのだが、人を見る目があるのか勘がいいのか、適材適所に人を回すことに長けていて、学生たちからの満足度はとても高いのである。

「それより嶋崎さ~ん。今週末合コンあるんすけど、行かねっすか?」
「行きません」
「ちょ、即答とか!! ねぇ、たまには一緒に行きましょうよ~。嶋崎さん、彼女いないんでしょ?」
「彼女、はいないけど……」

 彼女はいないが、泉水という恋人ができたばかりだ。嵐山のように一季をセフレ扱いするような男ではなく、優しくて誠実な、穏やかな存在。バーでたまたま出会ってその日のうちに男根を突っ込んできた嵐山とは、人種が違う。

 そういえば、嵐山は今年度も英誠大学で講義を持っていたはずだ。ここには、週に二日ほど勤務してくるだけで、残りの日は他大学や専門学校で授業を持っていると聞いているが。


 ——うう、会いたくない……。あの人、結局あのガチムチ営業マンと付き合ってるのかな。


 あの日見てしまったガチムチ同士の睦みあいを思い出し、一季は再びげんなりしてしまった。そして同時に、ついつい思い出してしまう。今朝見た夢のことを……。


「……さん、嶋崎さん? だいじょぶっすか? 昼ですよ。戻りましょーよ」
「へっ? あ、あ……うん、そうだね」
「あ~あ、腹減ったぁ~。新入生、可愛い子いっぱい来ますかね~?」
「ここへ来る子たちはわりと真面目な学生が多いから、田部くんが好きなタイプはいないかもね」
「いやいやいやいや! 俺ぇ、わりと真面目系のオタクっぽい子も好きっすよ? その子をだんだん俺色に染めていくのが快感~っていうか」
「ふーん」
「あっ、全然興味ない!」

 一季が興味を示そうが示すまいが、田部はとにかくよく喋る。おとなしい一季からすれば、何をそんなに話すことがあるのだろうかと不思議になってしまうほどだ。しかし、こうしてぺらぺらと喋ってくれると、一季としても気が楽だ。

 田部の好みを聞かされながら、教務課のある一号館への廊下を歩いていると、事務室の前に人だかりができていることに気づいた。何故か珍しく、女性職員のキャッキャッという黄色い声が廊下に響き渡っている。

「あれあれあれ~~? ひょっとして、俺が戻ってくんの待ってんすかね~!? 入り待ち? 的な? いや~マジ照れるっすわ~~!」
と、ウキウキしながら、田部はすっと内ポケットから櫛を取り出して、髪の毛を整え始めた。このポジティブさには感心するしかない。

「いやいや、そんなわけないだろ。ほら、誰か来てるんだよ」

 女性職員に取り囲まれているのは、すらりとした長身のスーツの男だ。広い肩、しなやかな背中のライン、そして髪の毛の感じ。その後ろ姿に、一季はどうも見覚えが……。

「……と、塔真さん?」
「え?」

 そう呼びかけると、スーツの男が振り返った。その男の顔は、どこからどう見ても塔真泉水である。濃灰色のスーツをスマートに着こなした泉水が、教務課のドアの前に立っているのだ。

「嶋崎さん!? え、なんでここにいてはるんですか……!?」
と、泉水もまた仰天したように一季を見つめ、群がる女性の群をかき分けて一季のもとまでやって来た。そして、淡いブルーのワイシャツの袖をまくり、首からネームホルダーを引っ掛けている一季の全身を見回して、ぱちぱちぱちと目を瞬いている。

「こ、ここで働いてはるんですか!?」
「えっ、あ、はい……。教務課の職員なんです」
「そ、そうなんや……!!」

 驚きつつも嬉しそうに破顔する泉水を見上げる女性職員たちの目が、もれなくハート形になっているのを一季は見た。確かに、スタイルのいい泉水は、まるでモデルかと言うほどにスーツがよく似合っていて、ものすごく格好がいい。ついこの間、鼻血を出しながらしろどもどろになっていた姿が嘘のように、今日の泉水は素敵である。


 ——うわぁ……ほんとに、かっこいい……。こんな人が、僕の恋人……? うわあ……。


と、一季がぽやんと泉水に見蕩れていると、田部が横からヒソヒソと話しかけて来た。

「知り合いっすか?」
「えっ!? あ、あ、うん。……あの、塔真さんは、なんでここに……?」
「そういえば、仕事のこと話してなかったですよね」

 泉水はちらちらと田部を気にしつつも、胸ポケットから名刺入れを取り出した。そしてそこから一枚名刺を取り出し、スマートな動きで一季に差し出す。

「今日もらったばっかりなんです。どうぞ」
「あ、どうもご丁寧に……」

 受け取った名刺には、『英誠大学工学部建築学科 准教授 塔真泉水』と書かれていた。

「じゅっ……じゅんきょうじゅ……!?」

 一季は目をまん丸にして、ちょっと困ったような顔で微笑んでいる泉水を見上げた。
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