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4、セックスなしでも問題ない!〈泉水目線〉

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「……へっ……?」
「あ……っ」


 ——え……付き合って? 付き合ってください? ……って、な、な、な、何を口走っとねん俺ーーーー!!? 


 と、内心盛大に焦ったが、時すでに遅し。
 口から出たものはもう取り消せない。泉水の全身からは冷たい汗がたらたらと流れ始めている。

「……あ、あの……それって、どういう……?」
「えっ……あ、あ……それは、その、」

 当然のごとく、一季は麗しい両目を見開いて、信じられないものを見るような目つきで泉水を見つめている。そうして驚いている表情もすこぶるかわいい……と目尻がトロンと緩んでしまいそうになるのだが、つい今しがた自分が口にしてしまった言葉に、誰よりも驚いているのは泉水である。

「あの……い、痛いです……」
「……うおっ!! す、すんません!!」
「ま、まずは鼻血……拭きませんか? あの……シャツすごいことになってますし」

 がっしりと一季の手首を掴んでいることに気づき、泉水は大慌てで手を離した。触れた手首のか細さと、柔らかなぬくもりに、ドクンドクンと心臓が暴れまわっている。一季の差し出すティッシュで鼻を押さえつつ、立て続けにやらかしてしまった己の暴挙に、泉水は戸惑うばかりであった。

「すみません……」
「今のは……さっき話してたショッピングモールに付き合って欲しいとか、そういう意味、ですかね……?」
「え? い、いや! そういう付き合って、っていうのとはちゃうくて! 俺は……その……っ」

 何をどう説明すればいいのか分からなくなり、泉水はぽりぽりとうなじを掻いた。すると一季はその場にすっと正座をして気まずげに目を伏せると、頬を染めてこんなことを言った。

「塔真さんは、ゲイなんでしょうか……?」
「えっ!? い、いや……そういうわけじゃない、と思いますけど……」
「あ、そ、そうですよね! そういうふうに見えませんもんね!! じゃあ、どうして……」

 一季のほうもしどろもどろといった様子である。一季を困らせてしまっていることに罪悪感を禁じ得ないが、ここで引き下がっては男がすたる。

 一季の優しさ、美しさ、そして儚げな色っぽさ……その全てに陥落し、気づく間もなく一目惚れしていた。それ紛れも無い事実なのだから。


 泉水はごくりと息を飲み、意を決して口を開いた。


「お、俺……嶋崎さんに一目惚れしてしもたみたいで……」
「ひっ、ひとめぼれ!? 僕にですか!?」
「い、いきなり、すんません! 初対面やのにこんなん言うて……!」
「あ、いえ……」
「でも俺、嶋崎さんのこと見た瞬間、むっちゃきれいなひとやなって思ったんです。それと、嶋崎さんの優しさに、めちゃめちゃ感動したというか」
「はぁ……」
「そ、それに……なんでそんな、寂しそうな顔してはんねやろって、気になってしもて。お、俺でよかったら、色々話聞いたり、憂さ晴らしに飲みに行ったりとか、なんていうか……って、それって別に友達とでもできることかもやけど、でも……そういうのとちゃうくて」
「……」


 ——うわああああ俺、何をさっきからワケ分からんこと言うとんねん!! ドン引きやん!! 嶋崎さんドン引きしたはるやんかぁあああ!! さっきから俺のこと全然見ぃひんし、めっちゃ困った顔してはるやん! 「どうしよう気持ち悪い……ホモの家に上がり込んじゃったよ……こわい」とかって思ってるけど帰るって言い出せへんくて困ってる顔やんんんん!!


 ——あああああ死にたい、どうしたらええんやこの窮地!! 


と、内なる泉水は、羞恥と混乱のあまり床にゴンゴンゴンゴン頭を打ち付けるしかないのだが、その時、一季がふっと口を開いた。


「……ぼ、僕なんかで……?」
「え」
「僕でよければ……その、構いませんよ?」
「……えっ!?」


 一季がおずおずと口にした台詞に、泉水は愕然としてしまった。


 ——な、な、なんやて……? 


「ちょ、ちょ……ちょ待ってください……。そ、それって、俺と、俺と付き合ってくれはる……ってこと……ですか?」
「は、はい……」
「……っ!?」

 それはそれで大混乱な事態である。
 泉水はぐわんぐわんと脳みそが揺さぶられるような思いをしつつも何とか正気を保ちつつ、一季のことを正面から見つめた。

「き、キモくないんですか? いきなり男に告られてんですよ!? だ、大丈夫ですか!? こんな、初対面のワケわからん男といきなり付き合うとか、危険なんちゃいますか!?」

 自分から告白しておいて一体何を言っているのかとセルフツッコミをしつつも、泉水は混乱したまま一季にそんなことを尋ねていた。

 すると一季は伏せていた目線をゆっくりと持ち上げ、頬をほんのりと染めて小さく頷く。色香漂う一季の所作に、泉水は危うくまた鼻血を垂らしそうになった。

「……だ、大丈夫です。塔真さん、すごくいい人なんだろうなって、僕も思いましたし」
「ほ、ほんまに……!? え!? ほんまですか……!? 俺、男なんですよ!?」
「あ、はい……それはあんまり、気にならないっていうか」
「ま、まじすか……」


 ——天使? 天使なん? だっていきなり男に告られること自体、普通の男にとってはただの迷惑行為やん? せやのに、おおらかに俺を受け入れて、付き合ってくれようとしてはるんやで? この人、なんでこんなに優しいんやろ……人間ってそこまでできるもん? できひんやろ? 嶋崎さん優しすぎて涙出て来るわ……ほんま天使やん。童貞拗らせた可哀想な俺の前に遣わされた、大天使やんか……。


 泉水が感動のあまり涙ぐんでいると、一季がすっと背筋を伸ばし、じっと泉水を見つめてくるではないか。思わず泉水もビシッと姿勢を正した。


「あの、でも、ちょっとお願いしたいことがあるんですけど……」


 一季はそう言って、また気まずげに目を伏せてしまった。何か物言いたげにしつつも、それをなかなか言い出せない様子で、口を開いては閉じ、何やら逡巡している様子である。


 ——お、お願いしたいこと……って、何!? お、俺、何でもしたんで……!! 嶋崎さんと付き合えるんなら、俺、何でも言うこときく……!!


 泉水が鼻息を荒くしていると、一季は慎重な口調で、ゆっくりとこう言った。


「……セックスはなしでも、いいですか?」
「んっ? ……せ、せっ……っ……?」
「あ、あの、僕、抱かれるのはちょっと、難しいっていうか……」
「だ、抱く……!? って、あの、てかそんな、せっくす……って」


 ——ちょ、ちょ、ちょお、落ち着けや俺!! 『セックス』って言葉に動揺しすぎやろ中学生かボケェェエエ!! もう二十八やろ!! ええ大人やろ!! 今日日きょうびの小学生でももうちょいマシな反応するわ!! 死ね!! もう死ね俺!!


「と、塔真さん? 顔真っ赤ですけど、大丈夫ですか!?」
「はっ……。だ、大丈夫です、すみません……ていうか俺、男の人に告白とか一目惚れとか初めてやから、全然そんなことまで考えてへんかったって言うか……それでちょっと、動揺を……」
「あ、そ、そうですよね! すみません、いきなり飛躍しすぎたことを言ってしまって」
と、一季もまた真っ赤になってあたふたし始めている。泉水は慌てて首を振り、「そんなことないです! だ、だい、大事なことですもんね……!」と言った。


 ——しかし……いきなり男に告られて、セッ、セックス(小声)のことまでちゃんと気が回るなんて、大人やな……。ていうことはや、明らかにこの人は非童貞なんやろな……。こんだけ美形なんやもん。俺とは違ってスマートに女抱いたりとかしてはるんやろな……う、うわ……エロ……。


 もわもわと脳内に浮かぶのは、一季がベッドの上で見知らぬ女を抱いているイメージである。ただでさえ色気のある男なのだ。きっと、そういう行為をしている時の一季の表情は、ことさらにセクシーなのだろう。

 上気した白い頬、艶っぽい唇から漏れる吐息。こんなにもたおやかな雰囲気を漂わせているが、女を抱く時は意外と雄々しいのかもしれない。形のいい唇を吊り上げて、「ふふ、もうイキそう……? いいよ、イッても……」なんてことを囁きながら、荒々しく腰を振るのだろうか。


 ——ぅくっ……! なんというエロスや……!! 


 一季のセクシャルな一面を妄想しかけただけで、泉水は盛大に鼻血を噴きそうになった。が、なんとか耐えた。

「あ、あの。本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫! 大丈夫です!! そ、それに、セックス(小声)しないってのも……俺は、OKっすから……!」
「え? 本当に?」

 パッと顔を上げた一季が、驚いたようにそう言った。そうしてまっすぐに見つめられるだけでドクドクと心臓が跳ね回るが、泉水は必死に平静を装って、ぎこちなく笑って見せる。すると一季の表情が、ほんのりと緩んだ気がした。

「お、俺も男性と付き合うんとか初めてやから、何をどうしていいかも分からへんし。せやし、ぜ、全然大丈夫ですよ!」


 ——って、女と付き合うたこともないけどな……。でも、この人の前でいきなり童貞の恥を晒すなんて、俺には無理や……!! 隠し事なんてしたないけど、カッコ悪すぎて無理や……!!


 心の中で頭を抱えつつも、泉水はもう一度微笑んだ。
 泉水が笑うと、どことなく寂しげな一季の表情が少しずつ少しずつ、雪解けのようにひらいていくように見えるのだ。それがとても、愛おしく感じるのである。

「ありがとうございます。……嬉しいです、すごく」
「えっ、ほ、ほんまですか?」
「はい。今日は……ちょっとつらいことがあったばかりなので。あなたみたいな人に一目惚れしてもらえるなんて、嬉しいなって」
「そやったんですか。それでちょっと、寂しそうに見えたんですね。俺でよかったら、話聞きますよ?」
「あっ、でも、よくあることなんで! 大したことじゃないので、大丈夫です。それより、早く荷物片付けちゃいましょうか。もうすぐ0時だし」
「うわっ、もうこんな時間やったんや!」

 腕時計を見下ろして慌てている泉水のそばで、一季がくすりと笑った。目を上げると、ダボダボのトレーナー姿で正座をして、優しい眼差しで泉水を見ている一季と目が合う。


 ——くぅうぅうぅ……何やこれ……むずがゆい……。笑うとめっちゃ可愛い、めっちゃくちゃ可愛いなこの人……!!


 一季がそこにいるだけで、雑多な部屋がまるでお花畑のように見える。ふわふわと心が軽く、どきどきと胸は高鳴り、口元が勝手に緩んでにやけてしまいそうだ。

 にへらと緩んでしまいそうになる顔を必死で引き締め、泉水はビシッと正座をして膝の上に拳を置くと、一季に向かって頭を下げた。

「……ふ、ふつつかものですが、よろしくお願いします」
「あ、いえ、こちらこそ。……っていうか、不束者って。ははっ」
「あー……なんかちゃいますよね。あはは~何言うてんねやろ、俺」
「面白い人ですね、塔真さんて」
「う、うそやん……! お、俺はそんな、そんなおもろいこと言えるような関西人とちゃうくて……!!」
と、照れまくりながら両手を振っている泉水を見て、一季がまた花のように笑った。

 その笑顔を見ているだけで、泉水は天にも昇りそうな気持ちになった。こんなにも優しく美しい人が、泉水のそばにいてくれるというのだ。
 こんな幸せなことがあっていいものかと、実は夢なのではないかと、自分の頬を思い切りつねってみたい衝動に駆られてしまう。

 それほどまでに、泉水はすでに初恋に溺れていた。セックスをするかしないかということなんて、この際どうでもいいことのように思えた。


 しかし、童貞である泉水はまだ知らない。


『セックスはなし』という取り決めが、のちのち泉水をどれほど悶絶させるかということを。
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