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1巻
1-1
しおりを挟むプロローグ
僕が魔力を持たないただの人間だったとしたら、今頃何をして暮らしていただろう。
子どもの頃の夢は、騎士になること。
世間を知らなかった僕は、努力すれば何にでもなれるという謎の自信があった。
だが、大人になればいやでもわかる。
この世には、努力だけでは叶えられない夢があるということが。
◇ ◆ ◇
「やれやれ、今回のは一段とでかいなぁ……」
腰まで海水に浸かりながら高く掲げた両手の先に、極彩色の巨大な魚が浮かんでいる。
体長は十メートルといったところか。
胴は丸く、大きな尻尾が薄衣のようにゆらゆら揺れるさまは優雅ではあるが、ギョロリとなかば飛び出した大きな目はちょっと……いや、かなり不気味だ。
また、その魚型魔獣はただ浮いているわけではない。
派手な鱗に覆われた魔獣の体は、透明な立方体の何かに包み込まれている。
非難がましい目で僕を睨んでいる魚型の魔獣を閉じ込めているのは、キューブ状の巨大な氷塊だ。
これが僕の魔力――氷属性の魔法でつくりあげた氷の檻である。
漁場を荒らし、人をも襲うというこの巨大な魚型魔獣に、港町の人々は酷く苦しめられていた。魔獣が人を捕食せずとも、こんなものが漁場をうろついていては仕事になるはずもない。
そういうわけで魔獣退治の命令が国王より下ったわけだが、只人――魔力を持たない人間たちで構成された討伐隊では対処できなかった。この魔獣があまりに大きすぎたせいだ。
そこで呼ばれたのがこの僕、氷の魔術師ことノクト・ロラ・シャルダンというわけだ。
掲げた両手に力を込め、拳を握る。
僕の動作とともに巨大な氷は鈍い音を立てて粉々に砕け散り、中に封じられていた魔獣は黒い煙となって霧散した。
海面に立ち込めていた霧が晴れ、凪が戻る。
あとに残ったのはずぶ濡れの僕だけだ。
ついさっきまで大時化だった海が嘘のように、まばゆい太陽が港町を照らしている。
「あれが噂の〝氷の魔術師〟か……。凄まじいな、あんなでかい魔獣を一瞬で消し飛ばすとは」
「なんという禍々しさ。あいつが俺たちの敵に回ったら、一瞬でしまいだぞ……」
ざわ、ざわ……と背後でさざめく声が、僕の耳に忍び込んでくる。
僕はそれを聞こえないふりをして、海水を含んで頭に張りついているフードを上げ、濡れそぼった黒髪を手櫛で後ろに流した。
一部の人間が『神の祝福』を受けて魔力に目覚めるように、獣や鳥、魚や昆虫などにも、こうして魔力が宿ることがある。
魔力を得て巨大化した獣たちを、この世界では魔獣と呼ぶ。
おとなしいものもいるが、凶暴化した魔獣は人々に害をなすため、討伐対象となる。
主に魔獣討伐に駆り出されるのは、国王に忠誠を誓った騎士たちだ。
彼らはあらかじめ魔力が流し込まれた武器――魔法具を使って魔獣を倒す。
たいていはそれで片がつくのだが、稀に出現する巨大化した魔獣には歯が立たない。
そういうときに僕の出番がやってくるわけだが、感謝の言葉は聞こえてこない。慣れてはいるが、悲しいものである。
「さて……今日の仕事はこれで終わりか」
濡れたローブを引きずりながら浜に戻ると、兵士たちが一斉に僕から距離を取った。
こういう反応にももはや慣れっこだ。……いや、慣れたと思いたいだけかもしれない。
人々から僕に向けられる視線は、どこからどう見ても好意的なものではない。
好奇もあれば嫌悪もあり、恐怖もあり――彼らの視線は、小さな棘のようにちくちくと僕を刺す。
昔はそういった視線を浴びることが苦痛で常にフードをかぶっていたが、もうやめた。
僕は世のため人のためにこの力を使っている。なのになぜ、僕がこそこそしなくてはならないのかと開き直るに至った結果、今は堂々と顔を晒して歩いている。
といっても、僕は皆に恐れ慄かれるような強面をしているわけではない。
背丈は一七〇センチほどで、痩身。足首までを覆うローブに身を包んでいたら、女性と見間違えられてしまいそうな体型だ。
僕に金髪碧眼の華やかな容姿がそなわっていたならば、ここまで人々から気味悪がられることはなかったかもしれない。
だがあいにく僕は濡れたような黒髪で、瞳は淡い空色だ。
もう何年もまともに笑っていないせいで表情筋がすっかり強張ってしまい、気づけば鉄面皮になってしまった。
どちらかというと童顔に近い顔立ちをしていると思うのだが、表情をうまく作れない。そのせいで、さらに誤解を招きやすくなってしまっている気がする。
砂浜で海水を吸ったローブをしぼっていると、騎乗の指揮官が近づいてきた。
どさりと目の前に落とされたのは、金貨の詰まった布袋だ。
これが僕の働きへの対価である。
「用は済んだだろう。ほら、さっさとここから消えてくれ」
馬上から注がれる冷ややかな視線を受け止め、相手を見上げる。
ひときわ立派な甲冑に身を包んだ男はびくっと怯んだように一瞬目を瞬き、目玉だけ動かして明後日のほうを向いた。
――たまには感謝されたいものだけど、仕方がないか……
思わぬ形で魔力に目覚めてしまった僕は、強制的に魔術師として国に仕えることになった。
だが、仕事を始めてからこっち、誰かに礼を言われたためしはない。
虚しいような寂しいような思いを抱えつつ、僕は無言で布袋を拾い上げた。
「言われなくても消えるさ。まぁ、困りごとがあればまた呼ぶといい」
返事はなく、指揮官はなおも硬い表情のまま僕の動向を窺っている。
ここはせめて愛想笑いのひとつでも浮かべておくかと思い、口の片端を無理やり吊り上げて――僕は微笑んだ。
すると指揮官は「ヒッ」と妙な声を上げて露骨に顔を強張らせ、馬とともに二、三歩後ずさる。
……どうやら愛想笑いは失敗したようだ。
気まずくなった僕は無言でスッと笑顔を引っ込め、兵士たちを刺激しないようにゆっくりとその場を立ち去ろうとした。
すると、背後に群れていた兵士たちがさっと僕を避けて道を開けた。
いきなり目の前にできた道を通らないわけにもいかない。
気まずさを抱えたまま、僕はあえて堂々とした足取りで、大勢の視線を一身に浴びながら馬車のほうへと歩を進めた。
防波堤近くに停められた一台の馬車に乗り込もうとしたそのとき、建物の陰からことのなりゆきを見守っていたらしい街の人々の視線に気がついた。
兵士たちと同様、僕を見る彼らの目にはさまざまな表情が見え隠れしている。
だがひとりだけ、ふくよかな母親の陰から僕を見上げている小さな少年の瞳にだけは、憧れを含んだようなきらめきが見て取れた。
声は聞こえなくても「すごーい!」と言いたげにキラキラしている少年の表情を見ていると、心が少しあたたまる。
今の僕には、それだけで十分だ。
彼のおかげで、また数か月は生き延びられる。
笑顔を返そうかどうか迷っていると――ぬっと僕の視界を遮って、ふたりの兵士が目の前に立ち塞がった。
草色の質素な兵服に身を包んだこの大柄な男たちは、僕の監視役だ。
そのうちのひとりが、有無を言わせぬ威圧的な眼差しとともにこう言った。
「ノクト様、枷をお早く」
「……はいはい、わかってるよ」
急かされるままローブのポケットから銀色の腕輪を取り出し、手首に通す。
これは僕の魔力を抑制する枷だ。『封魔の腕輪』と呼ばれている。
魔力を封じる力を持つ特別な金属でつくられたもので、繊細な彫刻の施された美しい逸品だ。
これはもともと、罪を犯した魔術師を捕縛するときに使われていた。魔力をもって抵抗することを防ぐためにと開発された魔法具である。
咎人を抑え込むためにつくられたものを、僕は日常的に装備するよう命ぜられている。
万が一、僕が魔力暴走を起こして御者や街の人々を傷つけてしまわないよう、任務のとき以外は必ず装着しておかねばならない。
馬車に乗り込むやいなや、どっとのしかかってくる眠気に目を擦りながら、僕は小さな窓からのぞく景色を見るともなく眺めた。
第一章 突然の再会
ここは水の王国、エルシャルオン。
国土の南側には鮮やかな青い海が広がり、王宮の周囲には石造りの端正な街並みが広がっている。
人々の移動や物資の輸送のために整備された水路のつくりも美しく、この風景を楽しむために他国の人間がエルシャルオンを訪れるという。水に溢れたこの土地にはその加護も厚く、火や風、大地の魔力よりも多大な恩恵を受けている。
街のそこここには白亜の石で造られた噴水があり、噴き上がる水が芸術的な軌跡を描く。
夜になると、噴水を囲む魔法石が青や緑の光を淡く放ち、水面に揺れる光がまるで星空のように街を彩る。とても洗練された街だ。
僕の住まいは、街並みの洒脱さで有名な城下町からずっと離れた寂しい山間にある。
国からあてがわれた古い木造の家は酷く狭いけれど、十年住み続けた僕の憩いの場所だ。小屋の前には広い畑があり、そこに菜園を作って暮らしている。
魔獣討伐の依頼さえこなければ、とても静かな暮らしだ。
今日も任務を終えるやいなや、小屋へ連れ戻される。
馬車に並走していた監視役の兵士たちの視線を居心地悪く感じながら、僕は馬車を降りた。
「お疲れ様でした。ノクト様、今夜もおひとりで過ごされるので?」
――……やれやれ、またか。
慇懃無礼な口調で話しかけてくる兵士の顔をチラリと見やる。
案の定、ふたりの監視役は卑しげな笑みを浮かべながら、僕の全身を眺め回していた。
僕の強さを知らない者はいないため、彼らが僕に手を出してくることはない。
ただ、僕が任務時以外で魔力を使えば厳罰に処されるということも、彼らはよく知っている。
その規制のせいで何を言われても僕が無抵抗だとよく知る彼らは、言葉で僕をからかうのだ。
――まあ、こんな辺鄙な場所で僕の見張り役だ。暇なのはわかるが、つくづく鬱陶しいな……
僕はため息をつき、「ああ。それがどうした」と短く答えた。
「ひとりの夜はお暇でしょう? 何をして過ごされるんです?」
「このあいだも、色っぽい声が聞こえてきてましたよねぇ。ひとりでどんなお楽しみを? よろしければ、俺たちが見ていて差し上げましょうか?」
監視兵たちが、いよいよ面倒なことを言いはじめた。
僕は内心舌打ちをして、じろりと男たちを睨めつける。
だが彼らは怯えるどころか「おっ、こっち見た!」「せっかく可愛い顔してんのに、もったいねぇよなぁ」と好奇に目を輝かせ、さらに卑しげな笑みを浮かべるのだ。
――不愉快だな。他に楽しみはないのか、こいつらは……
文句のひとつでも言い返せたらいいようなものだが、 僕を値踏みするような男たちの視線を浴びると、否応なしに過去の屈辱を思い出してしまう。
そのせいで何も言い返せず、余計に悔しさが募った。
――だめだだめだ、こんな奴らのことなんて気にするな。心を乱すと、魔力暴走を起こしてしまう……
「……うるさい、黙れ。僕に構うな」
それだけを喉の奥から絞り出すように吐き捨てると、僕は小屋の中へ転がり込み、背中でバタンと扉を閉めた。しっかり錠を下ろすことも忘れない。
監視兵たちが僕の声を聞いて何を誤解しているのか知らないが、あれは喘ぎ声ではなく呻き声だ。
この肉体には不相応なほど豊富にある魔力量のせいで、力を使うたびに古傷が酷く痛むのだ。
魔力を封じる腕輪の力を借りて魔力を自由に操れるようになったものの、この痛みだけは消える気配がない。
しかも、歳を取るごとに悪化している。
そして今日の任務でも、かなりの魔力を使った。
じくじく、じくじく……痛みの気配が近づいているせいで余計気が立ってしまい、ねばっこい視線を僕に投げつけてくる男たちに憎しみさえ感じてしまう。
重たい身体を引きずって暖炉に火を起こすと、任務のときに着るように与えられた軍服とローブを脱ぎ捨てた。
下穿き一枚になって橙色の炎が揺らめく暖炉の前で膝を立て、両腕で身体を抱きしめる。
そして、鎖骨から胸へと刻まれた四本の大きな傷跡を指先でなぞる。
十五歳の頃、僕は魔獣に襲われた。
それが魔力覚醒のきっかけだった。
エルシャルオンでは、魔力が覚醒した者はすぐに王宮に召されることになっている。
そして王都で教育と訓練を受け、国家に仕える魔術師として働かねばならないのだ。
魔術師になど、僕はなりたくなかった。
けれど、魔力を持つ者は魔術師となり、王家に仕える以外の選択肢はない。従わざるを得なかった。
もし僕が普通の魔術師だったなら、それはそれで幸せだったかもしれない。
この国では、魔力を持つ者は『神の祝福を受けし者』として大事にされる。
高い身分を与えられ、国じゅうの民から敬われる存在となる。
せめて、僕もそっちだったなら――……魔術師として生きる日々に、こうもうんざりはしなかったかもしれない。
いくら苦しくても、この力を使うことで誰かが喜んでくれ、僕を褒めて認めてくれるなら、きっとこの生活にも耐えられた。
だけど実際は誰も彼もが僕の力を嫌がり、近づいてこようとはしない。
唯一かけられる声も、ああいった手合いのものだけだ。本当にうんざりさせられる。
僕に求められているのは力のみ。
只人では手に追えない危険な魔獣が出現したときにだけ呼ばれる都合のいい存在として、僕は飼い殺しにされている。
「はぁ……、う……っ……」
少しずつ、痛みの波が迫ってくる。
僕は慌てて立ち上がり、壁に造りつけた薬棚に手を伸ばした。
木棚に並んでいるのは、茶色い小瓶に入った鎮痛薬だ。庭で育てている薬草から自ら調合した水薬である。
ひんやりした小瓶を握り締めると、少しだけホッとする。
頽れるように暖炉の前に座り込み、僕は水薬を一気にあおった。
馴染んだ苦味が口の中に広がり、喉を滑り落ちてゆく。
これを飲んだから痛みがこないというわけではない。
ただ、少し痛みを軽くすることができるだけだ。
薬を飲まずに放置すれば痛みのあまり悲鳴を上げて、この狭い小屋の中をのたうち回らなくてはならない。
痛みで自我を失えば魔力暴走を起こす可能性があるが、任務のとき以外に魔力を使えば厳しい罰が待っている。
かといって、僕を看病する者はいない。
お偉方の一部は僕の力をもっと有効活用したいと考えているようだが、さっさと僕を消してしまいたいと考えている人々のほうが多数なのだろう。
『封魔の腕輪』の着脱が僕の裁量に任されていることをずっと疑問に思っていたけれど、今はその理由がよくわかる。
彼らは、僕を死刑にする理由をつくりたくてたまらないのだ。
僕が魔力暴走を起こして只人を傷つけたり、兵士のからかいに怒りを爆発させて攻撃を仕掛けるような行為をしてくれたなら、僕を処刑する理由ができる。
僕を消すための大義名分が生まれるというわけだ。
だがわざわざそんなことをしなくても、この禍々しい氷属性の魔力に肉体がもたず、そのうち僕は死んでしまうだろう。
たったひとりで、孤独の中で僕は死ぬ。
それは決定した未来だ。それがいつになるのかはわからないけれど、そう遠い未来ではないという予感はある。
そうなる前に、会いたい人がいる。
とはいえ、その願いが叶うはずもない。任務のときだけこの小屋を離れることが許される僕には自由がなく、会いたいに人に会いにいくことさえ叶わない。
――セス……
血に濡れた僕の手を握る少年の顔を、まぶたの裏に想い描く。
愛らしい顔を涙でぐしゃぐしゃに濡らし、嗚咽しながら助けを呼ぶ少年の姿を。
セスは五つ歳下で、孤児院でともに育った。
僕にとって、本物の弟のように大切な存在だった。
幼かったあの日、薬草摘みに出かけた僕らは魔獣に襲われた。
そしてそのときに、僕は魔力に目覚めたのだ。
幼いセスを――大切な存在を守ろうとしたそのとき、僕の中に眠る力の種が萌芽し、爆ぜたのだ。
「……ぅ……はぁ、はぁっ……」
この力に目覚めてから十年。
あの日以来、セスとは会えていない。
「大丈夫だよ、セス。僕は平気だ……こんな傷、薬を飲めばすぐに治るからね……」
そこにはいないセスの姿を思い描きながら、僕は掠れた声でそう呟く。
孤独と痛みに震える日々を、僕はこうして乗り越えてきた。
懐かしい表情を記憶の中から呼び起こし、僕の手を握るセスの姿を夢想する。
くるりとした大きな目は、色鮮やかな翡翠色だった。
太陽や蝋燭の光を受けてセスの瞳がきらめくたびに、書物でしか見たことのない宝石を手に入れたような気分になった。
二十歳になったセスは今もきっと、キラキラと輝く綺麗な目をしているに違いない。
両目をふちどる長いまつ毛も、耳の下で切り揃えた柔らかい髪の毛も、けぶるような金色だった。
セスが身動きするたびにセスの周りの空気がキラキラと輝き、彼がそこにいるだけで僕の毎日は明るくなった。毎日が楽しくて、幸せだった。
活発で負けん気が強く、でも思いやりがあって優しいセス。
彼が今ここにいて僕の手を握っていてくれたなら、こんな傷の痛みなどあっという間に消えてしまうのに……
「うっ……く……はぁ、はぁっ……」
だんだん座っていることさえつらくなり、倒れ込むように絨毯の上に横たわる。
裸体をちくちくと刺す硬い絨毯の感触はお世辞にも心地よいとは言えないが、もはやベッドに這い上がることさえ億劫だった。
ゆっくりと薪を舐めるように大きくなってゆく炎が、僕の真っ白い肌を赤く照らしている。
重たいまぶたを薄く開いて赤々と燃える暖炉を見つめながら、僕は絨毯の上で胎児のように丸くなった。
痛い。
全身がじくじくと疼く。拍動に合わせて少しずつ痛みが激しくなり、僕はさらに小さく身体を丸めて目を閉じた。
魔獣の歯牙で怪我をしてから十年が過ぎた。
それほど長い時間が経っているのに、この痛みはまるで癒える気配がない。
小さく縮こまったまま、僕は左胸の傷を手のひらで強く押さえた。
薄い筋肉に覆われた胸元に、赤く盛り上がった筋状の傷が四本。
それは、鎖骨から鳩尾のあたりまで長く伸びている。
いまだ生々しくくっきりと浮かび上がった傷は、白い肌の上にあって酷く醜く、禍々しい。
そして魔力を使ったあとは、傷自体が拍動するかのように痛みを帯び、毎回僕を苛むのだった。
――会いたいなぁ……。セスはどうしてる。どんな大人になっているだろう……
セスの存在が唯一の希望だ。
寒い、痛い、苦しい、つらい。
だけど、僕の手を握ってくれる者は誰もいない。
むなしく伸ばした白い指先のむこうに、橙色の炎が燃えている。
毛布を引っ張って身体に巻きつけると、僕は記憶の中のぬくもりを想いながら目を閉じる。
感触を伴わない炎のぬくもりを抱きしめながら、四肢を縮めてひとりで眠った。
◇ ◆ ◇
小屋に戻り、痛みに耐えながら眠ること数日。
自作した鎮痛薬を飲んでこんこんと眠り、ようやく起き上がることができるようになったかと思ったら、王宮への呼び出しを受けた。
――ったく……病み上がりだというのに人づかいの荒い……
王都中央に鎮座する高台、その上に建つエルシャルオンの王宮は、陽光を浴びてひときわまばゆく輝いていた。
壁面は白く、その上には丸みを帯びた青い屋根が美しい。
噴水と水路で飾られた街並みの中心に佇む白亜の王宮の壮麗さもまた、王都の見どころのひとつだ。
ただ、天気がいい日の王宮はあまりにも眩しい。眩しすぎる。
壁も床も白いため、これでもかといわんばかりに太陽の光を反射するのだ。
普段薄暗い小屋で暮らしているせいで、まともに目を開けていられない。
切れ長の目をもっと細くしながら魔術師のイトリーの後ろを歩きつつ目を擦っていると、どんと何かにぶつかった。
「おっ、おい! そんなに近づくな! もっと距離を空けて歩け!!」
「ああ……はいはい、ごめんごめん」
「まったく! 気をつけろよなっ!」
僕にぶつかられたイトリーは大仰なほどに飛び上がり、サッと僕から距離を取った。そして、いまいましげな顔で睨みつけてくる。
それもそばかすの散った頬を真っ赤にしつつ顔を歪め、僕に触れたローブをこれ見よがしにさっさと叩きながら、だ。
そういう嫌味ったらしい仕草に苛立つが、僕は無言でイトリーの後頭部を睨みつけるにとどめた。
その気になれば、腕輪をしていてもイトリーの後頭部に小さなつららをぶつけることなど造作もない。だが、そんなことをしたら処刑されてしまうのでやめておく。
イトリーは僕と同じ二十五歳で、水属性の魔術師――いわゆる〝水の魔術師〟だ。
エルシャルオンに生まれる魔術師は、皆が例外なく水属性の魔力を帯びている。
水の動きを操れるため、治水工事の補助にあたったり、水の出ない国に水を運んだり、王宮で祝い事があるときは水を噴き上げて場に華を添えたりする。
いかに高く、いかに美しい軌跡で水を噴き上げられるかで能力の優劣が決まるらしい。
平和なものだなと、僕はそれをいつも少し生ぬるく思っていた。
ちなみにイトリーの両親は漁師だ。
幼い頃に魔力に目覚めたイトリーは王宮に召され、両親には国からたくさんの金が渡された。
彼の両親にとっては自慢の孝行息子だろう。
〝水の魔術師〟として国に仕えるイトリーは僕と違って里帰りもできるし、王族に次ぐ高い地位をも与えられている。
だから、大きな問題を起こさない限り人生は安泰だ。――不公平すぎて悲しくなってくる。
一方僕のような氷属性の魔術師は、数百年に一度、ここエルシャルオンに突如として現れる稀有な存在である。
ただただ氷属性の魔術師というだけならば、おそらくここまで嫌われはしなかっただろう。
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