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1巻
1-3
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ビキン!! と冷たく硬質な音があたりに響く。
同時にセスの身体がびくりと強張った。
「っ……!? ノ、ノクトっ……!?」
「……あ、ああっ!?」
セスの背に回していた手から魔力が溢れ出し、ひっつきあった僕らの身体をひとまとめにして氷の中に閉じ込めてしまっている。
僕らふたりの上半身をがっちりと覆うのは、環状の分厚い氷だ。
突然出現した氷に上半身を囚われてしまったことに驚いたらしく、セスが「うわっ……!」と小さく声を上げた。
――や、やばい……!!
王宮内で魔法を使うなど言語道断。処罰対象になる行為だ。
すぐさま氷を砕こうと意識を集中したが、激しい動揺のせいで力の制御がうまくできない。
それが余計に僕を焦らせる。
「ご、ごめん!! 悪気はないんだ、すぐに解くから……!!」
「つ、冷たい……本当に氷だ。すごいね、ノクト」
「いや、感心してる場合じゃ……!」
セスを抱きしめたまま凍りついている自分の腕をなんとかしようともがきつつ、深呼吸して平静を取り戻そうと頑張っていると……顔のすぐそばで銀色の光がぎらりと閃く。
僕は仰天して、自分で作った氷の戒めの中で思わずセスに抱きついた。
「これはいったいどういうことです? 王宮内で騎士を攻撃するとは」
若い男の声が威圧的に響き渡る。
恐る恐る背後を向くと、燃えるような赤毛の男が、剥き出しの殺意も隠さず僕を睨みつけていた。
この男もすらりと背が高く、冷たく整った美形だ。
彼の切れ長の双眸は、僕に向けた刃と同じくらい鋭くて、物騒で――……怖い。
「ま、待て! 違う! セスを攻撃するためにこんなことをしてるわけじゃないんだ!」
「黙れ!! おのれ、こんなところで魔術を使うとは……!! これは国家に対する反逆だぞ!!」
「だから違うって……!」
「落ち着きなさい、レナード」
すると今度は、もうひとつ落ち着いた男の声が聞こえてきた。
見上げると、四十歳前後らしい男が立っている。
胸元にはたくさんの勲章。
上がり眉とはっきりした二重まぶたが凛々しく、誠実そうな印象の男だ。
僕を前にして怯む様子もなく、泰然としている。……が、青白い光を湛えた短剣を僕に突きつけているところは若い騎士と同じである。
年嵩の騎士は困惑丸出しの視線で僕を見つめたまま、静かな口調でこう言った。
「ノクト様、まずは落ち着いてください。これは上からの命令なのです、あなたの魔力が暴走したときは取り押さえよと」
「ぼ、僕は落ち着いてる! だからその物騒なものを下げてくれ」
「まずはセスを離してやってください。刃を下ろすのはそれからです」
「わ……わかった」
もう一度セスを見上げると、白い頬が薔薇色に染まっている。
いけない、身体を冷やしすぎて熱が出ているのかもしれない。
僕は慌てて、自らの手のひらに力を集めた。まずはこの氷を砕かなくては。
「セス、すまない。冷たいよな、すぐなんとかするから」
「ぅ、ん……俺は大丈夫だよ。もうちょっとこのままでも……」
「何を呑気なことを! すぐ離れるから、ちょっと我慢しててくれ!」
刃を向けられながら必死で氷を砕こうと頑張るが、気が散ってその作業は捗らなかった。
にこにこ微笑みつつも、ときどき寒そうに震えるセスに抱きついて奮闘する僕を眺める騎士たちの視線は、氷に負けず劣らずとても冷たかった。
◇ ◆ ◇
「私はダリオン・ガウス・オーグスタ。今回の魔獣封印隊の隊長を務めさせていただきます」
「……僕はノクト・ロラ・シャルダンだ。どうぞよろしく」
ぼそりと愛想なしにそう述べるも、年嵩の騎士、ダリオンは気を悪くするそぶりはない。
朗らかな口調で「よろしく。ではご説明いたします」と言い、明朗に微笑んだ。
ようやく氷を砕いたあと、僕は庭園の東屋で任務の説明を聞いた。
今回の任務の同行者は、王宮騎士団の彼らだという。
王宮騎士団は、国王を守護する近衛騎士団に次ぐエリート集団だ。
王族が外遊する際警備にあたったり、危険度の高い魔獣が現れたときに派遣される部隊である。
彼らは、魔力の宿った剣や弓矢を使って魔獣と戦う。
平民から募った一般兵たちは触れることさえ許されない、高価かつ危険な武器を使うため、王宮騎士団は特に厳しい訓練が課されている。
そうとうな武闘派集団だが、男爵家以上の子息しか王宮騎士団に所属できない。僕はそこに、少しだけ引っ掛かりを覚えた。
僕と同じく孤児だったセスが、どうやって王宮騎士団に入れたのだろうか……
だが、ダリオンの説明を聞くうち、そんな懸念はあっという間に忘れ去ってしまった。
「こ、国外!? エルシャルオンの外に出られるのか……!?」
「ええ。行き先は、同盟関係にあるアルナディア王国です」
「アルナディア……!!」
彼らが同行する次の任務は、魔獣の封印。
しかも胸が躍ることに、僕にとってはじめての国外任務だ。
アルナディア王国はエルシャルオンより北にある小さな国。そこは険しい山々に囲まれた国土の三割が平地で、そこには近代的な街並みが築かれていると聞いたことがある。
機械産業がさかんで、さまざまな技術者が工房を構えて腕を振るっているらしい。
機械と光魔術を組み合わせた土産物が面白いことで有名で、かねてから一度訪れてみたいと夢想していた土地でもあった。
アルナディア王国は通称『光の国』とも呼ばれ、光属性の魔力を持つ魔術師たちがたくさんいる。
この国の夜を照らす魔法石は、すべてアルナディア王国から仕入れたものだ。
夜になると色とりどりの光に照らされて輝く噴水の仕掛けも、アルナディア王国の職人とエルシャルオンの魔術師たちが協働してつくりあげたものである。
僕は幽閉に近い状況で暮らすことを強いられているため、時折無性に新たな風景を見たくてたまらなくなる。自由に好きなところへ行きたくなる。
そんなことが許されるわけがないとわかっているからこそ、今回の国外任務には胸が躍った。
「アルナディアは我が国とは比べ物にならないほど人口が少なく、軍事力が高くはありません。その代わりに高度な機械技術と魔法でつくりあげられたからくりが王宮を守っているそうですよ」
「そ、そんなものがあるのか!? すごすぎる……!!」
城を守るからくりなんてものはエルシャルオンには存在しない。
どんな外観をしているのか、どれほどの大きさなのか、どのように動くのか、まるで想像もつかなかった。
そもそも僕は他国を自由に行き来することなどできない立場だ。任務なんてとっとと終えて、アルナディアの国の風景をじっくり見てまわりたいものである。
「面白そうだなぁ。早く見てみたいね、セス」
「っ……ええ、そうですね」
ついわくわくしすぎて、隣に立つセスをパッと見上げた。
するとセスはやや驚いたように目を見張ったあと、花が咲くように微笑んだ。
その笑顔はあまりにも麗しいが、どことなく幼子をあやすような甘さが含まれていて、無邪気にはしゃぎすぎてしまった自分が恥ずかしくなった。
軽く咳払いをしてベンチに座り直し、僕は務めて冷静な声で「それで、今回の同行者があなた方、ということですか」と丁寧に問いかける。
「ええ。今回の任務は外交的な意味合いが強いので、我々王宮騎士団が同行いたします」
セスは微笑みを収めて居住まいを正し、改まった口調でこう言った。
「ひと月後には我が国の王太子ハルジ様と、アルナディア王国の第三王女、エレーナ様との婚姻の儀が執り行われます。今後の二国間関係のためにも、今回の任務は失敗が許されません。ノクト様におかれましては、くれぐれも任務に励まれるように――と、国王からのお言葉です」
「ああ……そういえば、そんな話があったような」
国に関わるめでたい話題だ。こればかりはさすがに僕の耳に入っていた。
どうりでいつになく王宮内が騒がしいわけだ。
十六歳の誕生日を迎えたばかりのハルジ様と隣国の姫との婚姻に、王宮内の誰もが浮かれている。
「また、国王はアルナディア王国の技術力をとても高く評価しています。今回の任務が滞りなく進めば、アルナディア王国との国交はより盤石なものとなるでしょう」
――外交目的とはそういうことか。荷が重いなあ……
うっかり僕が任務に失敗すれば、貴いふたりの婚儀に水を差してしまいかねない。
水を差すだけならまだしも、アルナディアの王が怒って婚儀自体が消えてなくなってしまったら――……ぞっとするような思いつきを慌てて振り払い、僕は「なるほど、承知した」と言って頷いた。
「大丈夫、ノクト様のお力をもってすれば容易い任務ですよ。いつものようにお力を振るってくださればよい。それに今回は討伐ではなく封印任務です。私は魔術に詳しいほうではありませんが、ようは凍っている魔獣をもう一度厳重に凍らせるだけなのでしょう?」
「ええ、まあ。簡単に言えばそうですね」
余裕めいた口調でダリオンがそう言うが、魔獣の再凍結などこれまでやったことがないので不安はある。
二十数年前の大戦時は世界中が騒がしく、人間の殺気や火薬の臭いに過敏になっていた魔獣たちは、今とは比べ物にならないくらい凶暴だった。それまでは魔獣たちもあえて人間に近づいてこようとはしなかったが、この時ばかりは戦地や人里にふらりと現れ、たくさんの人間を襲ったのだ。
大戦時は軍事力を有していたアルナディア王国は、やはり高い技術力をもって他国からの侵略を防いでいた。
だが人間の侵入は防げても魔獣の侵入は防げない。
アルナディア王国の辺境地にある洞窟に封じ込められているのは、そのとき倒しきれなかった魔獣であるという。
温暖な気候のエルシャルオンとは違い、アルナディアは寒冷地帯にある。魔獣が封じられた洞窟は標高が高く雪深い場所にあり、重防寒装備をしていなければ吐息さえも凍りつくほどに寒い場所らしい。
アルナディアの王国軍と戦い、深手を負った魔獣はその雪山にある洞窟へ逃げ込み、自分自身を凍結させ眠りについた。冬眠状態となることで、自らの肉体を修復しようと考えたのだろう。
以降そこにはさらに鉄壁をもって封印し、常に見張りを立たせて有事に備えていたらしいのだが、最近になって洞窟の奥から獣の唸り声のようなものが聞こえてくるようになったというのだ。
ここ数年は気温が高い時期が続いているため、魔獣の凍結が解けてきているかもしれない――ということで、氷属性の魔力を持つ僕に助けを求めたのだという。
「アルナディアは終戦後、国内にて命を奪う行為を禁止しています。魔獣に対しても例外はなく、討伐ではなく封印してほしいとのことです」
「そう……。承知した」
責任重大な任務とはいえ、国外に出られると思うと心が弾む。
すでに封じられている魔獣を改めて凍結させる任務ならば、さほど難しいものではない。何も起こらなければ、つつがなく仕事を終えることができるだろう。
「よくわかりました。出発はいつになりますか?」
「このあとすぐエルシャルオンを発つ手筈となっています。準備はこちらですべて整えていますので、ご安心を」
「こ、このあとすぐ……」
忙しいことだが、今にも魔獣が目覚めてしまいそうだという状況のようだし、あまりのんびりはしていられない。
セスに促されるまま立ち上がり、僕らは連れ立って東屋をあとにした。
第二章 お互いの過去と今
「ノクト! ここだよ! 薬草がいっぱい採れるとこ!」
「へぇ、すごい。よく知ってたね、こんなとこ」
林の樹々が切れ、いつしか視界は広く拓けていた。
もうすぐそこまで春が近づいているとあって、雪解けの水があちこちに水溜まりを作り、土を踏み締めて走るたびにパシャパシャと微かな水音が林の中に響く。
「院長様に聞いたことがあったんだ。切り傷には、この野原に咲いてる薬草がよく効くんだって。ノクト、このあいだ薪割り失敗して指を切っちゃったでしょ」
「え?」
僕のために傷薬を? 僕は少し驚いて、隣にいるセスを見た。
幼い頃はつむじを真上から見下ろすくらい身長差があったのに、十歳になったセスの目線はすぐそこだ。綺麗なかたちをした翡翠色の瞳が間近にある。
朝から妙に出かけたがるからどうしたのかと思っていたら、こういう理由だったのか。
――僕のために、薬草を集めたかったってことか……
ここ最近のセスはいつもこんな感じだ。
小さな怪我でもすぐに手当てをしてくれる。僕が少し熱を出せば「動いちゃダメ!」と言って僕を無理やりベッドに寝かせる。
幼かった頃のセスは身体が弱く、僕はしばしばつきっきりで看病をしていた。これはきっと、そのお返しをしてくれているのだろう。
セスの成長を目の当たりにして、僕はひそかに感動していた。
しゃがみ込んで薬草を探しているセスの背中を眺めながら、胸に感じるくすぐったさを噛み殺す。
僕が育てた……といったら大袈裟だけど、煤で汚れ、痩せ細ったぼろぼろの姿で孤児院にやってきた頃から世話をしてきたセスが、こんなにも優しく健やかに育っている。
これを喜ばずに何を喜べというのか。
「ほら見て、これだよ!」
「薬草ってアケボノ草のことか。へぇ、こんなところに群生してたんだ」
せっせと薬草を摘みはじめたセスのそばにしゃがみ込んだそのとき。
ズン……!!
雷鳴のような轟音が、地面を揺るがせた。
僕らは素早く顔を上げ、あたりを見回す。
「な、何? ねぇノクト、なんの音だろう」
「わからない。……でも、何か変だな。急いで戻ろう」
「うん……」
僕は咄嗟にセスの手を握って踵を返した。
だが、そんな僕らの行手を遮るように、突如として地面が大きく爆ぜる。
僕らは雪解け水でぬかるんだ地面に尻餅をついた。
目の前にぬうっと姿を現したのは、一頭の魔獣だった。
グォオォオオオォオ――――ン!!
大きな狼のような姿だった。
大人の男の人よりもひとまわりは大きい。
黒い靄のようなものが獣の全身を包み、まるで黒い炎に包まれているように見えた。
ビシャ、とぬかるんだ地面を踏む四つ脚には鋭い鉤爪が生えている。長く伸びた鼻梁の下には鋭く切れ込んだ大きな口。そこに並ぶのは、鋭く尖った禍々しい牙――……
あまりの恐ろしさに僕らは声を失って、呆然と魔獣を見上げた。
考えなくてもわかる。魔獣に出くわしたら最期。喰われて死ぬ。
僕らはここで、食い殺される。
――死ぬ? こんなところで僕らは死ぬのか?
戦争で親を殺されても、村を焼かれても、僕らはこうして生き延びたのに?
「……ノクト……」
掠れて震えるセスの声を聞き、僕ははっと我に返った。
恐怖に歪み、血の気の引いたセスの顔。
鮮やかな翡翠色の瞳から一筋の涙が流れていく。
――だめだ、だめだ!! 僕がセスを守るんだ。こんなところで死なせてたまるか……!!
腰に帯びていた護身用の短刀を勢いよく引き抜き、魔獣に向かって片手で構える。
そしてもう片方の手でセスの腕を引っ張って、無理やり立ち上がらせた。
「セス、いいか、今すぐ逃げろ。僕がこいつを引き止めるからお前は逃げろ!!」
「っ、そんな! ひとりで逃げるなんて……!」
「つべこべ言うな!! いいからとっととここから離れ……」
突如として襲われた重い衝撃に息が止まった。
ふと我に返ったとき、僕はぬかるんだ地面に突っ伏していた。
視界が赤い。
胸のあたりが焼けつくように痛かった。
どくん、どくんと心臓が拍動するたびに血が溢れ、ぐらぐらと視界が揺れる。
ここで死ぬかもしれないが、かまわない。
セスが逃げ出す隙を作り出せたのならそれでいい。
……だが、泥の中でなんとか身じろぎをして顔を上げた僕はゾッとした。
セスが僕を庇うように立ち塞がっている。
逃げるどころか護身用の短刀を小さな手に握りしめ、魔獣に立ち向かっていこうとしている。
見開かれた双眸から涙を溢れさせ、白い頬を泥で汚して。
――逃げろって言ったのに……!!
「セ……ス……にげ、ろ……にげ……」
そう叫びたかったけれど、まともな声にならない。
死の恐怖に顔を歪ませながらも決死の覚悟で魔獣に向かうセスのか細い背中を目の当たりにした瞬間、全身からざぁっと血の気が引いた。
視界が血の色に染まり、腹の奥から激しく突き上げるような何かを感じた。
「うぁあああああああ――――!!!!」
ぬかるんだ地面に爪を立て、なりふりかまわず声を上げた瞬間、地面という地面から鋭い氷柱が無数に突き出す。
僕の激情に呼応するように、魔獣にやられた爪痕から流れ出していた血がぐつぐつと熱く滾る。
これまでに感じたことがないような激しい力が全身を駆け巡る。
耳を擘く魔獣の咆哮とともに、黒々とした巨躯から赤黒い血飛沫が上がる。
しんと静まり返った平原には、鋭く尖った氷柱の群れ。
そこに、対峙していた魔獣の亡骸が串刺しになっている。
それらは陽光を受けてキラキラと美しく、禍々しく輝いていた。
「ノクト……ノクト、しっかりして……っ」
無我夢中だった。何が起きたのかわからなかった。身体が熱くて、痛くて、何も考えられない。
ただわかるのは、セスが無事だということ。
顔をぐしゃぐしゃにして泣いているけれど、セスに怪我はなさそうだ。
僕は、心底安堵した。
「ノクト、ねえノクト、死なないで……すぐ、誰か呼んでくるから……!」
魔獣の咆哮はきっと孤児院にも届いている。そんな顔をしなくても大丈夫だ。
僕は力なくセスを見上げて微笑んだ。
――……セスが無事でよかった。
そう告げたつもりだったが、声になったかどうかはわからない。
奈落の底へ吸い込まれるような脱力感に襲われて、僕の意識はふつりと途切れ――……
◇ ◆ ◇
十年前、魔獣に襲われた日を境に離れ離れになっていたセスが、すぐそばにいる。
大人になって騎士となり、僕のそばに――……
馬を並べて国境へ向かいながら、僕は飽きることなくセスの全身を眺めていた。
艶やかな黒毛の馬に跨り、前方を見据えるセスの横顔の凛々しさ。
手綱を取る手の男らしい美しさ。
詰襟の軍服も腰に帯びた剣も、何もかもセス専用にあつらえたかのようによく似合っていて格好がいい。
――すごいなぁ。僕が想像していた以上に立派になっててびっくりだなぁ……
「どうしましたか? ノクト様」
あまりにもジロジロと無遠慮に見つめすぎたか、セスがこっちを向いて微笑んだ。
「あ、いや……さっき凍らせてしまったところは大丈夫かなと思って。赤く腫れたり凍傷になったりしてないかな」
「平気ですよ。服の上からでしたし」
人目を気にしてか、セスはふたたび僕に敬語を使っている。
前方にはダリオン、後方にはレナード、そして隣を馬でゆくのはセスである。
さっきやらかしたせいか、背後にいるレナードの視線がぐさぐさと突き刺さるように痛い。彼はきっと、僕を忌み嫌うタイプの人間なのだろう。
チラチラと背後を気にしていたら、当のレナードが僕の視線に気づいて眉毛を吊り上げた。
「何かご用ですか? ノクト様」
「い、いや……なんでもない。さっきは迷惑をかけてしまって、悪かったよ」
「……。まぁ、あなたの危険さをこの目でしっかり確認できてよかったと思いますね」
しおらしく謝罪したものの、レナードの反応は冷ややかだ。
釣り上がった眉毛と同じくらい目つきを鋭くして僕を睨みつけている。
とりあえず、さっきの僕の暴走については秘密にしておいてもらえるようだ。
あの出来事を見ていた人間はほかにおらず、外国での任務前に僕を失うのはさすがに困るという事情もあってのことだ。
ただ、温厚そうなダリオンはともかく、レナードが僕に向ける露骨な警戒心で背中がヒリヒリする。背後から斬りつけられやしないだろうかと冷や汗をかいていると、セスがくるりと振り返り、無言の笑顔でレナードをじっと見つめた。
するとレナードは不機嫌そうにそっぽを向く。
「ノクト様、怖がらなくて大丈夫ですよ。レナードはああ見えてすごく真面目なので」
「そ、そう……。いや、別に怖がってはいないけど」
「レナードは正義感が強く、腕が立ちます。安心して護衛を任せてくださればよい」
馬の蹄音を快調に響かせながら、今度は前方からダリオンがそう言った。
その一言に、僕は小首を傾げる。
「僕の護衛? 魔獣封印隊の間違いでは?」
「封印隊ではあるのですが、同時に我々はノクト様の護衛です」
「そうなんですか?」
「ええ。アルナディアの任地で先遣隊と合流し、ノクト様の術をもって魔獣を封印する。それまであなたを護衛するのが我々の任務ですからね」
僕の問いかけにダリオンが横顔でそう答える。その答えは意外だった。
てっきり、僕を逃亡させないための見張りといった役回りで僕に同行していると思っていた。
さらにダリオンは「そうはいっても、我々の中で一番お強いのはノクト様ですけどね。あははは」と言って笑った。
「あの……というか、僕相手にそこまで丁寧な口調で話さなくてもいいですよ」
「そうはいきません。本来、あなたがた魔術師のほうが我ら騎士よりも位が高い。あなたに対して横柄な態度を取る兵士もいると聞きますが、それがバレたら懲罰ものですよ」
「はぁ、でも僕は普通の魔術師とは違いますから」
「いえ、同じです。あなたも他の魔術師と同様、神の祝福を受けし者だ。道中しっかりお守りいたします」
迷いのない口調でそう述べるダリオンに同意するように、隣でセスも深々と頷いている。
僕はダリオンの後頭部を見つめ、「……ありがとう」と言った。
こんなふうに、普通の魔術師のように丁寧に扱ってもらうなんてはじめてだ。
胸の奥がくすぐったく、情けないことに少し目の奥が熱くなった。
だが背後ではきっとレナードが不服げな顔をしているに違いない。お世辞にも目つきがいいとは言えない彼の視線が怖いので、ここは振り返らないでおこう。
滲みそうになる涙をごまかすために、僕は隣をゆくセスを何の気なしにちらりと見やる。
するとセスはすぐに僕の視線に気づき、花が咲くように微笑んだ。
その優しい笑顔の麗しさたるや……あまりの眩しさにくらくらする。
同時にセスの身体がびくりと強張った。
「っ……!? ノ、ノクトっ……!?」
「……あ、ああっ!?」
セスの背に回していた手から魔力が溢れ出し、ひっつきあった僕らの身体をひとまとめにして氷の中に閉じ込めてしまっている。
僕らふたりの上半身をがっちりと覆うのは、環状の分厚い氷だ。
突然出現した氷に上半身を囚われてしまったことに驚いたらしく、セスが「うわっ……!」と小さく声を上げた。
――や、やばい……!!
王宮内で魔法を使うなど言語道断。処罰対象になる行為だ。
すぐさま氷を砕こうと意識を集中したが、激しい動揺のせいで力の制御がうまくできない。
それが余計に僕を焦らせる。
「ご、ごめん!! 悪気はないんだ、すぐに解くから……!!」
「つ、冷たい……本当に氷だ。すごいね、ノクト」
「いや、感心してる場合じゃ……!」
セスを抱きしめたまま凍りついている自分の腕をなんとかしようともがきつつ、深呼吸して平静を取り戻そうと頑張っていると……顔のすぐそばで銀色の光がぎらりと閃く。
僕は仰天して、自分で作った氷の戒めの中で思わずセスに抱きついた。
「これはいったいどういうことです? 王宮内で騎士を攻撃するとは」
若い男の声が威圧的に響き渡る。
恐る恐る背後を向くと、燃えるような赤毛の男が、剥き出しの殺意も隠さず僕を睨みつけていた。
この男もすらりと背が高く、冷たく整った美形だ。
彼の切れ長の双眸は、僕に向けた刃と同じくらい鋭くて、物騒で――……怖い。
「ま、待て! 違う! セスを攻撃するためにこんなことをしてるわけじゃないんだ!」
「黙れ!! おのれ、こんなところで魔術を使うとは……!! これは国家に対する反逆だぞ!!」
「だから違うって……!」
「落ち着きなさい、レナード」
すると今度は、もうひとつ落ち着いた男の声が聞こえてきた。
見上げると、四十歳前後らしい男が立っている。
胸元にはたくさんの勲章。
上がり眉とはっきりした二重まぶたが凛々しく、誠実そうな印象の男だ。
僕を前にして怯む様子もなく、泰然としている。……が、青白い光を湛えた短剣を僕に突きつけているところは若い騎士と同じである。
年嵩の騎士は困惑丸出しの視線で僕を見つめたまま、静かな口調でこう言った。
「ノクト様、まずは落ち着いてください。これは上からの命令なのです、あなたの魔力が暴走したときは取り押さえよと」
「ぼ、僕は落ち着いてる! だからその物騒なものを下げてくれ」
「まずはセスを離してやってください。刃を下ろすのはそれからです」
「わ……わかった」
もう一度セスを見上げると、白い頬が薔薇色に染まっている。
いけない、身体を冷やしすぎて熱が出ているのかもしれない。
僕は慌てて、自らの手のひらに力を集めた。まずはこの氷を砕かなくては。
「セス、すまない。冷たいよな、すぐなんとかするから」
「ぅ、ん……俺は大丈夫だよ。もうちょっとこのままでも……」
「何を呑気なことを! すぐ離れるから、ちょっと我慢しててくれ!」
刃を向けられながら必死で氷を砕こうと頑張るが、気が散ってその作業は捗らなかった。
にこにこ微笑みつつも、ときどき寒そうに震えるセスに抱きついて奮闘する僕を眺める騎士たちの視線は、氷に負けず劣らずとても冷たかった。
◇ ◆ ◇
「私はダリオン・ガウス・オーグスタ。今回の魔獣封印隊の隊長を務めさせていただきます」
「……僕はノクト・ロラ・シャルダンだ。どうぞよろしく」
ぼそりと愛想なしにそう述べるも、年嵩の騎士、ダリオンは気を悪くするそぶりはない。
朗らかな口調で「よろしく。ではご説明いたします」と言い、明朗に微笑んだ。
ようやく氷を砕いたあと、僕は庭園の東屋で任務の説明を聞いた。
今回の任務の同行者は、王宮騎士団の彼らだという。
王宮騎士団は、国王を守護する近衛騎士団に次ぐエリート集団だ。
王族が外遊する際警備にあたったり、危険度の高い魔獣が現れたときに派遣される部隊である。
彼らは、魔力の宿った剣や弓矢を使って魔獣と戦う。
平民から募った一般兵たちは触れることさえ許されない、高価かつ危険な武器を使うため、王宮騎士団は特に厳しい訓練が課されている。
そうとうな武闘派集団だが、男爵家以上の子息しか王宮騎士団に所属できない。僕はそこに、少しだけ引っ掛かりを覚えた。
僕と同じく孤児だったセスが、どうやって王宮騎士団に入れたのだろうか……
だが、ダリオンの説明を聞くうち、そんな懸念はあっという間に忘れ去ってしまった。
「こ、国外!? エルシャルオンの外に出られるのか……!?」
「ええ。行き先は、同盟関係にあるアルナディア王国です」
「アルナディア……!!」
彼らが同行する次の任務は、魔獣の封印。
しかも胸が躍ることに、僕にとってはじめての国外任務だ。
アルナディア王国はエルシャルオンより北にある小さな国。そこは険しい山々に囲まれた国土の三割が平地で、そこには近代的な街並みが築かれていると聞いたことがある。
機械産業がさかんで、さまざまな技術者が工房を構えて腕を振るっているらしい。
機械と光魔術を組み合わせた土産物が面白いことで有名で、かねてから一度訪れてみたいと夢想していた土地でもあった。
アルナディア王国は通称『光の国』とも呼ばれ、光属性の魔力を持つ魔術師たちがたくさんいる。
この国の夜を照らす魔法石は、すべてアルナディア王国から仕入れたものだ。
夜になると色とりどりの光に照らされて輝く噴水の仕掛けも、アルナディア王国の職人とエルシャルオンの魔術師たちが協働してつくりあげたものである。
僕は幽閉に近い状況で暮らすことを強いられているため、時折無性に新たな風景を見たくてたまらなくなる。自由に好きなところへ行きたくなる。
そんなことが許されるわけがないとわかっているからこそ、今回の国外任務には胸が躍った。
「アルナディアは我が国とは比べ物にならないほど人口が少なく、軍事力が高くはありません。その代わりに高度な機械技術と魔法でつくりあげられたからくりが王宮を守っているそうですよ」
「そ、そんなものがあるのか!? すごすぎる……!!」
城を守るからくりなんてものはエルシャルオンには存在しない。
どんな外観をしているのか、どれほどの大きさなのか、どのように動くのか、まるで想像もつかなかった。
そもそも僕は他国を自由に行き来することなどできない立場だ。任務なんてとっとと終えて、アルナディアの国の風景をじっくり見てまわりたいものである。
「面白そうだなぁ。早く見てみたいね、セス」
「っ……ええ、そうですね」
ついわくわくしすぎて、隣に立つセスをパッと見上げた。
するとセスはやや驚いたように目を見張ったあと、花が咲くように微笑んだ。
その笑顔はあまりにも麗しいが、どことなく幼子をあやすような甘さが含まれていて、無邪気にはしゃぎすぎてしまった自分が恥ずかしくなった。
軽く咳払いをしてベンチに座り直し、僕は務めて冷静な声で「それで、今回の同行者があなた方、ということですか」と丁寧に問いかける。
「ええ。今回の任務は外交的な意味合いが強いので、我々王宮騎士団が同行いたします」
セスは微笑みを収めて居住まいを正し、改まった口調でこう言った。
「ひと月後には我が国の王太子ハルジ様と、アルナディア王国の第三王女、エレーナ様との婚姻の儀が執り行われます。今後の二国間関係のためにも、今回の任務は失敗が許されません。ノクト様におかれましては、くれぐれも任務に励まれるように――と、国王からのお言葉です」
「ああ……そういえば、そんな話があったような」
国に関わるめでたい話題だ。こればかりはさすがに僕の耳に入っていた。
どうりでいつになく王宮内が騒がしいわけだ。
十六歳の誕生日を迎えたばかりのハルジ様と隣国の姫との婚姻に、王宮内の誰もが浮かれている。
「また、国王はアルナディア王国の技術力をとても高く評価しています。今回の任務が滞りなく進めば、アルナディア王国との国交はより盤石なものとなるでしょう」
――外交目的とはそういうことか。荷が重いなあ……
うっかり僕が任務に失敗すれば、貴いふたりの婚儀に水を差してしまいかねない。
水を差すだけならまだしも、アルナディアの王が怒って婚儀自体が消えてなくなってしまったら――……ぞっとするような思いつきを慌てて振り払い、僕は「なるほど、承知した」と言って頷いた。
「大丈夫、ノクト様のお力をもってすれば容易い任務ですよ。いつものようにお力を振るってくださればよい。それに今回は討伐ではなく封印任務です。私は魔術に詳しいほうではありませんが、ようは凍っている魔獣をもう一度厳重に凍らせるだけなのでしょう?」
「ええ、まあ。簡単に言えばそうですね」
余裕めいた口調でダリオンがそう言うが、魔獣の再凍結などこれまでやったことがないので不安はある。
二十数年前の大戦時は世界中が騒がしく、人間の殺気や火薬の臭いに過敏になっていた魔獣たちは、今とは比べ物にならないくらい凶暴だった。それまでは魔獣たちもあえて人間に近づいてこようとはしなかったが、この時ばかりは戦地や人里にふらりと現れ、たくさんの人間を襲ったのだ。
大戦時は軍事力を有していたアルナディア王国は、やはり高い技術力をもって他国からの侵略を防いでいた。
だが人間の侵入は防げても魔獣の侵入は防げない。
アルナディア王国の辺境地にある洞窟に封じ込められているのは、そのとき倒しきれなかった魔獣であるという。
温暖な気候のエルシャルオンとは違い、アルナディアは寒冷地帯にある。魔獣が封じられた洞窟は標高が高く雪深い場所にあり、重防寒装備をしていなければ吐息さえも凍りつくほどに寒い場所らしい。
アルナディアの王国軍と戦い、深手を負った魔獣はその雪山にある洞窟へ逃げ込み、自分自身を凍結させ眠りについた。冬眠状態となることで、自らの肉体を修復しようと考えたのだろう。
以降そこにはさらに鉄壁をもって封印し、常に見張りを立たせて有事に備えていたらしいのだが、最近になって洞窟の奥から獣の唸り声のようなものが聞こえてくるようになったというのだ。
ここ数年は気温が高い時期が続いているため、魔獣の凍結が解けてきているかもしれない――ということで、氷属性の魔力を持つ僕に助けを求めたのだという。
「アルナディアは終戦後、国内にて命を奪う行為を禁止しています。魔獣に対しても例外はなく、討伐ではなく封印してほしいとのことです」
「そう……。承知した」
責任重大な任務とはいえ、国外に出られると思うと心が弾む。
すでに封じられている魔獣を改めて凍結させる任務ならば、さほど難しいものではない。何も起こらなければ、つつがなく仕事を終えることができるだろう。
「よくわかりました。出発はいつになりますか?」
「このあとすぐエルシャルオンを発つ手筈となっています。準備はこちらですべて整えていますので、ご安心を」
「こ、このあとすぐ……」
忙しいことだが、今にも魔獣が目覚めてしまいそうだという状況のようだし、あまりのんびりはしていられない。
セスに促されるまま立ち上がり、僕らは連れ立って東屋をあとにした。
第二章 お互いの過去と今
「ノクト! ここだよ! 薬草がいっぱい採れるとこ!」
「へぇ、すごい。よく知ってたね、こんなとこ」
林の樹々が切れ、いつしか視界は広く拓けていた。
もうすぐそこまで春が近づいているとあって、雪解けの水があちこちに水溜まりを作り、土を踏み締めて走るたびにパシャパシャと微かな水音が林の中に響く。
「院長様に聞いたことがあったんだ。切り傷には、この野原に咲いてる薬草がよく効くんだって。ノクト、このあいだ薪割り失敗して指を切っちゃったでしょ」
「え?」
僕のために傷薬を? 僕は少し驚いて、隣にいるセスを見た。
幼い頃はつむじを真上から見下ろすくらい身長差があったのに、十歳になったセスの目線はすぐそこだ。綺麗なかたちをした翡翠色の瞳が間近にある。
朝から妙に出かけたがるからどうしたのかと思っていたら、こういう理由だったのか。
――僕のために、薬草を集めたかったってことか……
ここ最近のセスはいつもこんな感じだ。
小さな怪我でもすぐに手当てをしてくれる。僕が少し熱を出せば「動いちゃダメ!」と言って僕を無理やりベッドに寝かせる。
幼かった頃のセスは身体が弱く、僕はしばしばつきっきりで看病をしていた。これはきっと、そのお返しをしてくれているのだろう。
セスの成長を目の当たりにして、僕はひそかに感動していた。
しゃがみ込んで薬草を探しているセスの背中を眺めながら、胸に感じるくすぐったさを噛み殺す。
僕が育てた……といったら大袈裟だけど、煤で汚れ、痩せ細ったぼろぼろの姿で孤児院にやってきた頃から世話をしてきたセスが、こんなにも優しく健やかに育っている。
これを喜ばずに何を喜べというのか。
「ほら見て、これだよ!」
「薬草ってアケボノ草のことか。へぇ、こんなところに群生してたんだ」
せっせと薬草を摘みはじめたセスのそばにしゃがみ込んだそのとき。
ズン……!!
雷鳴のような轟音が、地面を揺るがせた。
僕らは素早く顔を上げ、あたりを見回す。
「な、何? ねぇノクト、なんの音だろう」
「わからない。……でも、何か変だな。急いで戻ろう」
「うん……」
僕は咄嗟にセスの手を握って踵を返した。
だが、そんな僕らの行手を遮るように、突如として地面が大きく爆ぜる。
僕らは雪解け水でぬかるんだ地面に尻餅をついた。
目の前にぬうっと姿を現したのは、一頭の魔獣だった。
グォオォオオオォオ――――ン!!
大きな狼のような姿だった。
大人の男の人よりもひとまわりは大きい。
黒い靄のようなものが獣の全身を包み、まるで黒い炎に包まれているように見えた。
ビシャ、とぬかるんだ地面を踏む四つ脚には鋭い鉤爪が生えている。長く伸びた鼻梁の下には鋭く切れ込んだ大きな口。そこに並ぶのは、鋭く尖った禍々しい牙――……
あまりの恐ろしさに僕らは声を失って、呆然と魔獣を見上げた。
考えなくてもわかる。魔獣に出くわしたら最期。喰われて死ぬ。
僕らはここで、食い殺される。
――死ぬ? こんなところで僕らは死ぬのか?
戦争で親を殺されても、村を焼かれても、僕らはこうして生き延びたのに?
「……ノクト……」
掠れて震えるセスの声を聞き、僕ははっと我に返った。
恐怖に歪み、血の気の引いたセスの顔。
鮮やかな翡翠色の瞳から一筋の涙が流れていく。
――だめだ、だめだ!! 僕がセスを守るんだ。こんなところで死なせてたまるか……!!
腰に帯びていた護身用の短刀を勢いよく引き抜き、魔獣に向かって片手で構える。
そしてもう片方の手でセスの腕を引っ張って、無理やり立ち上がらせた。
「セス、いいか、今すぐ逃げろ。僕がこいつを引き止めるからお前は逃げろ!!」
「っ、そんな! ひとりで逃げるなんて……!」
「つべこべ言うな!! いいからとっととここから離れ……」
突如として襲われた重い衝撃に息が止まった。
ふと我に返ったとき、僕はぬかるんだ地面に突っ伏していた。
視界が赤い。
胸のあたりが焼けつくように痛かった。
どくん、どくんと心臓が拍動するたびに血が溢れ、ぐらぐらと視界が揺れる。
ここで死ぬかもしれないが、かまわない。
セスが逃げ出す隙を作り出せたのならそれでいい。
……だが、泥の中でなんとか身じろぎをして顔を上げた僕はゾッとした。
セスが僕を庇うように立ち塞がっている。
逃げるどころか護身用の短刀を小さな手に握りしめ、魔獣に立ち向かっていこうとしている。
見開かれた双眸から涙を溢れさせ、白い頬を泥で汚して。
――逃げろって言ったのに……!!
「セ……ス……にげ、ろ……にげ……」
そう叫びたかったけれど、まともな声にならない。
死の恐怖に顔を歪ませながらも決死の覚悟で魔獣に向かうセスのか細い背中を目の当たりにした瞬間、全身からざぁっと血の気が引いた。
視界が血の色に染まり、腹の奥から激しく突き上げるような何かを感じた。
「うぁあああああああ――――!!!!」
ぬかるんだ地面に爪を立て、なりふりかまわず声を上げた瞬間、地面という地面から鋭い氷柱が無数に突き出す。
僕の激情に呼応するように、魔獣にやられた爪痕から流れ出していた血がぐつぐつと熱く滾る。
これまでに感じたことがないような激しい力が全身を駆け巡る。
耳を擘く魔獣の咆哮とともに、黒々とした巨躯から赤黒い血飛沫が上がる。
しんと静まり返った平原には、鋭く尖った氷柱の群れ。
そこに、対峙していた魔獣の亡骸が串刺しになっている。
それらは陽光を受けてキラキラと美しく、禍々しく輝いていた。
「ノクト……ノクト、しっかりして……っ」
無我夢中だった。何が起きたのかわからなかった。身体が熱くて、痛くて、何も考えられない。
ただわかるのは、セスが無事だということ。
顔をぐしゃぐしゃにして泣いているけれど、セスに怪我はなさそうだ。
僕は、心底安堵した。
「ノクト、ねえノクト、死なないで……すぐ、誰か呼んでくるから……!」
魔獣の咆哮はきっと孤児院にも届いている。そんな顔をしなくても大丈夫だ。
僕は力なくセスを見上げて微笑んだ。
――……セスが無事でよかった。
そう告げたつもりだったが、声になったかどうかはわからない。
奈落の底へ吸い込まれるような脱力感に襲われて、僕の意識はふつりと途切れ――……
◇ ◆ ◇
十年前、魔獣に襲われた日を境に離れ離れになっていたセスが、すぐそばにいる。
大人になって騎士となり、僕のそばに――……
馬を並べて国境へ向かいながら、僕は飽きることなくセスの全身を眺めていた。
艶やかな黒毛の馬に跨り、前方を見据えるセスの横顔の凛々しさ。
手綱を取る手の男らしい美しさ。
詰襟の軍服も腰に帯びた剣も、何もかもセス専用にあつらえたかのようによく似合っていて格好がいい。
――すごいなぁ。僕が想像していた以上に立派になっててびっくりだなぁ……
「どうしましたか? ノクト様」
あまりにもジロジロと無遠慮に見つめすぎたか、セスがこっちを向いて微笑んだ。
「あ、いや……さっき凍らせてしまったところは大丈夫かなと思って。赤く腫れたり凍傷になったりしてないかな」
「平気ですよ。服の上からでしたし」
人目を気にしてか、セスはふたたび僕に敬語を使っている。
前方にはダリオン、後方にはレナード、そして隣を馬でゆくのはセスである。
さっきやらかしたせいか、背後にいるレナードの視線がぐさぐさと突き刺さるように痛い。彼はきっと、僕を忌み嫌うタイプの人間なのだろう。
チラチラと背後を気にしていたら、当のレナードが僕の視線に気づいて眉毛を吊り上げた。
「何かご用ですか? ノクト様」
「い、いや……なんでもない。さっきは迷惑をかけてしまって、悪かったよ」
「……。まぁ、あなたの危険さをこの目でしっかり確認できてよかったと思いますね」
しおらしく謝罪したものの、レナードの反応は冷ややかだ。
釣り上がった眉毛と同じくらい目つきを鋭くして僕を睨みつけている。
とりあえず、さっきの僕の暴走については秘密にしておいてもらえるようだ。
あの出来事を見ていた人間はほかにおらず、外国での任務前に僕を失うのはさすがに困るという事情もあってのことだ。
ただ、温厚そうなダリオンはともかく、レナードが僕に向ける露骨な警戒心で背中がヒリヒリする。背後から斬りつけられやしないだろうかと冷や汗をかいていると、セスがくるりと振り返り、無言の笑顔でレナードをじっと見つめた。
するとレナードは不機嫌そうにそっぽを向く。
「ノクト様、怖がらなくて大丈夫ですよ。レナードはああ見えてすごく真面目なので」
「そ、そう……。いや、別に怖がってはいないけど」
「レナードは正義感が強く、腕が立ちます。安心して護衛を任せてくださればよい」
馬の蹄音を快調に響かせながら、今度は前方からダリオンがそう言った。
その一言に、僕は小首を傾げる。
「僕の護衛? 魔獣封印隊の間違いでは?」
「封印隊ではあるのですが、同時に我々はノクト様の護衛です」
「そうなんですか?」
「ええ。アルナディアの任地で先遣隊と合流し、ノクト様の術をもって魔獣を封印する。それまであなたを護衛するのが我々の任務ですからね」
僕の問いかけにダリオンが横顔でそう答える。その答えは意外だった。
てっきり、僕を逃亡させないための見張りといった役回りで僕に同行していると思っていた。
さらにダリオンは「そうはいっても、我々の中で一番お強いのはノクト様ですけどね。あははは」と言って笑った。
「あの……というか、僕相手にそこまで丁寧な口調で話さなくてもいいですよ」
「そうはいきません。本来、あなたがた魔術師のほうが我ら騎士よりも位が高い。あなたに対して横柄な態度を取る兵士もいると聞きますが、それがバレたら懲罰ものですよ」
「はぁ、でも僕は普通の魔術師とは違いますから」
「いえ、同じです。あなたも他の魔術師と同様、神の祝福を受けし者だ。道中しっかりお守りいたします」
迷いのない口調でそう述べるダリオンに同意するように、隣でセスも深々と頷いている。
僕はダリオンの後頭部を見つめ、「……ありがとう」と言った。
こんなふうに、普通の魔術師のように丁寧に扱ってもらうなんてはじめてだ。
胸の奥がくすぐったく、情けないことに少し目の奥が熱くなった。
だが背後ではきっとレナードが不服げな顔をしているに違いない。お世辞にも目つきがいいとは言えない彼の視線が怖いので、ここは振り返らないでおこう。
滲みそうになる涙をごまかすために、僕は隣をゆくセスを何の気なしにちらりと見やる。
するとセスはすぐに僕の視線に気づき、花が咲くように微笑んだ。
その優しい笑顔の麗しさたるや……あまりの眩しさにくらくらする。
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