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第3章
1 苦手な理由
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その日の夕方。
僕は一心不乱にトイレを磨いていた。
緊張を紛らわせるために、ごしごし、ごしごしと……
◇
放課後、澄斗はあっという間に教室から消えていた。
てっきり何時にどこで待ち合わせ——などの打ち合わせをするものだと思っていたのけど、結局面倒になって帰ってしまったのかもしれない。
きっと、そういうやつなのだ。
うっかり絆されてしまうところだった。危ない危ない……
澄斗という人物を初めて認識したのは小六のころ。
彼は当時から賢くて活発で、学級委員長なんかもノリで気軽に引き受けてしまえるようなデキる児童だった。
おまけに足は速い優しいし、友達は多いし頭もいい。僕とは正反対のスーパー爽やか小学生だ。
澄斗にまつわる記憶をひもとくと、こんなエピソードを思い出す。
秋の修学旅行で訪問先に持っていく千羽鶴をクラス全員で折ることになった。
だが不幸なことに、僕は十二歳になってもツルが折れなかった。
『え~うそ! 朝霞くんまだ折れないの!?』『あたし幼稚園のときに覚えたけど?』と嘲笑われ、折ったら折ったで『え、下手すぎ! うちの保育園いってる弟のほうが上手いんですけど』と僕の折った鶴を晒しものにされ、なけなしの自己肯定感がゼロになった。
そのときも、周りの注目をすべてかっさらっていったのは澄斗だった。
恥ずかしくて泣きそうだったけど、泣いたらもっとからかわれるから必死で我慢していた僕の目の前に、颯爽と澄斗が現れた。
『なに笑ってんの? おれも去年まで折れなかったし、今もへただけど?』っといって、すこぶる下手くそな折り鶴を女子の目の前にずいと突き出す。
お世辞にもツルには見えないその芸術品で、『なにそれ下手すぎ~!』『もはや違ういきものじゃん!』と、ひとしきり女子を笑わせた。
そしてそのあといつになく低い声で「ツルなんて折る機会がなかったら一生折れなくない?」と、凄むように微笑みかけていたっけ。
すると、それまで意地悪な顔で僕をからかい倒していた女子がコロッと態度を変えた。
『そ、そうだよね~! 日常生活で鶴とか折らないもんね!』といって女子たちは澄斗の機嫌を取り始め、さらには『もうふたりまとめて鶴の折り方教えてあげるよ!』という流れになった。
あのとき、澄斗はどういうつもりであんなことしたのだろう。
大勢に囲まれて馬鹿にされている僕がよほど哀れで、庇ってやろうと思ったのだろうか。
もしそうならお礼をいうべき場面だったのかもしれないけれど、自分の情けなさにすっかり卑屈になっていた当時の僕は、澄斗にひどく腹を立てていた。
僕が持たないものを全てを持っているやつから憐れまれた。
求めてもいないのに施しを受けたような気分になって、僕はさらに惨めになった。
小六になって一丁前に人目を気にするようになっていたせいもあるだろう。この頃から、ことあるごとにしゃしゃり出てくる澄斗の存在が、ものすごく鬱陶しくなった。
澄斗が誰にでも分け隔てなく優しいのはわかる。でも、僕のことは放っておいてほしい。
だって、おまえみたいに目立つやつが近づいてくるだけで、できない僕がひときわ目立ってしまうのだから——……
中学の入学式の日、どこからともなく聞こえてきた噂で、澄斗がよその中学に進んだのだと知った。
それを聞いて僕はほっとした。
静かな中学生活が送れることを、喜びさえした。
だが高校の入学式の日。
ずらりと並んだ新入生たちの中に、ひときわ背が高く、華やかでやけに目立っているひとりの生徒の姿があった。
そばに並んでいた女子たちは皆、『あのひとかっこよくない……?』『うそ、あれ本条くんじゃん!』『やば、今もめちゃくちゃカッコいい~』と、興奮を抑えきれない様子で澄斗を気にしていた。
そのとき僕はもうなにも感じなかった。
高校の生徒数は中学の倍だ。派手にイケイケに成長した澄斗と地味極まりない僕の生活が交わることなど、微塵もないと思っていたから。
だけど、蓋を開けれてみると澄斗と僕は同じクラスで。
向こうは中学三年間こっちにいなかったブランクなど感じさせないくらい、あっという間に人気者になっていて。
僕は中学の頃よりもずっと、ただの空気みたいな存在になっていて——……
(きっとそうだ、僕との口約束なんてただのノリ。面倒くさくなったんだろうな、どうせ)
部活に遊びにと忙しそうな澄斗が僕のうちでご飯を作るなんて、やっぱりありえないんだ。
少し残念に思いつつホッと安堵していたら、スマホが震えた。
アプリアイコンに、珍しく通知がついている。
タップすると、朝方追加されたばかりのアイコンが最上位に表示されている。
澄斗のアカウントだ。『適当に食材買って行くよ。俺の得意料理でもいい?』『なにか食べれないものとかあったっけ?』と質問が入っている。
本当にうちに来るのかと衝撃を受けた。
しかも本当にご飯をつくろうとしていることにもまだ驚いた。ノリとか冗談で言っていたわけじゃなかったのか……と。
ぎこちなくやりとりをしながら僕は超特急で家に帰り、大慌てで部屋の掃除をした。
リビングのソファに山盛り溜まっていた洗濯物を自分の部屋に投げ込み、キッチンのシンクに雑多に置いていた皿を超速急で洗う。
ついでに埃の積もったコンロを拭き、ゴミ袋はマンションのゴミ捨て場に持っていき、とにかく見えるところだけでもスッキリさせた。
そしてごちゃごちゃとだらしなく散らかった玄関を掃除して、なんとか客人を招いても不愉快でないだろう程度には綺麗になった。
あとはトイレだ。トイレは面倒すぎて、母さんが入院してからまともに掃除をしたことが一度もない。
「……よし! ピッカピッカ!」
完璧に磨き上げられたトイレや床、ペーパーホルダーなどを眺めて大満足しつつ、僕は手の甲で汗を拭った。
この数年、来客なんてほぼなかった我が家に澄斗がやって来る——……やっぱりうまく想像できなくていまだにうっすら緊張している。
大急ぎで軽くシャワーを浴びると、約束の十八時半になった。
そしてほんとうに、澄斗が我が家にやってきた。
僕は一心不乱にトイレを磨いていた。
緊張を紛らわせるために、ごしごし、ごしごしと……
◇
放課後、澄斗はあっという間に教室から消えていた。
てっきり何時にどこで待ち合わせ——などの打ち合わせをするものだと思っていたのけど、結局面倒になって帰ってしまったのかもしれない。
きっと、そういうやつなのだ。
うっかり絆されてしまうところだった。危ない危ない……
澄斗という人物を初めて認識したのは小六のころ。
彼は当時から賢くて活発で、学級委員長なんかもノリで気軽に引き受けてしまえるようなデキる児童だった。
おまけに足は速い優しいし、友達は多いし頭もいい。僕とは正反対のスーパー爽やか小学生だ。
澄斗にまつわる記憶をひもとくと、こんなエピソードを思い出す。
秋の修学旅行で訪問先に持っていく千羽鶴をクラス全員で折ることになった。
だが不幸なことに、僕は十二歳になってもツルが折れなかった。
『え~うそ! 朝霞くんまだ折れないの!?』『あたし幼稚園のときに覚えたけど?』と嘲笑われ、折ったら折ったで『え、下手すぎ! うちの保育園いってる弟のほうが上手いんですけど』と僕の折った鶴を晒しものにされ、なけなしの自己肯定感がゼロになった。
そのときも、周りの注目をすべてかっさらっていったのは澄斗だった。
恥ずかしくて泣きそうだったけど、泣いたらもっとからかわれるから必死で我慢していた僕の目の前に、颯爽と澄斗が現れた。
『なに笑ってんの? おれも去年まで折れなかったし、今もへただけど?』っといって、すこぶる下手くそな折り鶴を女子の目の前にずいと突き出す。
お世辞にもツルには見えないその芸術品で、『なにそれ下手すぎ~!』『もはや違ういきものじゃん!』と、ひとしきり女子を笑わせた。
そしてそのあといつになく低い声で「ツルなんて折る機会がなかったら一生折れなくない?」と、凄むように微笑みかけていたっけ。
すると、それまで意地悪な顔で僕をからかい倒していた女子がコロッと態度を変えた。
『そ、そうだよね~! 日常生活で鶴とか折らないもんね!』といって女子たちは澄斗の機嫌を取り始め、さらには『もうふたりまとめて鶴の折り方教えてあげるよ!』という流れになった。
あのとき、澄斗はどういうつもりであんなことしたのだろう。
大勢に囲まれて馬鹿にされている僕がよほど哀れで、庇ってやろうと思ったのだろうか。
もしそうならお礼をいうべき場面だったのかもしれないけれど、自分の情けなさにすっかり卑屈になっていた当時の僕は、澄斗にひどく腹を立てていた。
僕が持たないものを全てを持っているやつから憐れまれた。
求めてもいないのに施しを受けたような気分になって、僕はさらに惨めになった。
小六になって一丁前に人目を気にするようになっていたせいもあるだろう。この頃から、ことあるごとにしゃしゃり出てくる澄斗の存在が、ものすごく鬱陶しくなった。
澄斗が誰にでも分け隔てなく優しいのはわかる。でも、僕のことは放っておいてほしい。
だって、おまえみたいに目立つやつが近づいてくるだけで、できない僕がひときわ目立ってしまうのだから——……
中学の入学式の日、どこからともなく聞こえてきた噂で、澄斗がよその中学に進んだのだと知った。
それを聞いて僕はほっとした。
静かな中学生活が送れることを、喜びさえした。
だが高校の入学式の日。
ずらりと並んだ新入生たちの中に、ひときわ背が高く、華やかでやけに目立っているひとりの生徒の姿があった。
そばに並んでいた女子たちは皆、『あのひとかっこよくない……?』『うそ、あれ本条くんじゃん!』『やば、今もめちゃくちゃカッコいい~』と、興奮を抑えきれない様子で澄斗を気にしていた。
そのとき僕はもうなにも感じなかった。
高校の生徒数は中学の倍だ。派手にイケイケに成長した澄斗と地味極まりない僕の生活が交わることなど、微塵もないと思っていたから。
だけど、蓋を開けれてみると澄斗と僕は同じクラスで。
向こうは中学三年間こっちにいなかったブランクなど感じさせないくらい、あっという間に人気者になっていて。
僕は中学の頃よりもずっと、ただの空気みたいな存在になっていて——……
(きっとそうだ、僕との口約束なんてただのノリ。面倒くさくなったんだろうな、どうせ)
部活に遊びにと忙しそうな澄斗が僕のうちでご飯を作るなんて、やっぱりありえないんだ。
少し残念に思いつつホッと安堵していたら、スマホが震えた。
アプリアイコンに、珍しく通知がついている。
タップすると、朝方追加されたばかりのアイコンが最上位に表示されている。
澄斗のアカウントだ。『適当に食材買って行くよ。俺の得意料理でもいい?』『なにか食べれないものとかあったっけ?』と質問が入っている。
本当にうちに来るのかと衝撃を受けた。
しかも本当にご飯をつくろうとしていることにもまだ驚いた。ノリとか冗談で言っていたわけじゃなかったのか……と。
ぎこちなくやりとりをしながら僕は超特急で家に帰り、大慌てで部屋の掃除をした。
リビングのソファに山盛り溜まっていた洗濯物を自分の部屋に投げ込み、キッチンのシンクに雑多に置いていた皿を超速急で洗う。
ついでに埃の積もったコンロを拭き、ゴミ袋はマンションのゴミ捨て場に持っていき、とにかく見えるところだけでもスッキリさせた。
そしてごちゃごちゃとだらしなく散らかった玄関を掃除して、なんとか客人を招いても不愉快でないだろう程度には綺麗になった。
あとはトイレだ。トイレは面倒すぎて、母さんが入院してからまともに掃除をしたことが一度もない。
「……よし! ピッカピッカ!」
完璧に磨き上げられたトイレや床、ペーパーホルダーなどを眺めて大満足しつつ、僕は手の甲で汗を拭った。
この数年、来客なんてほぼなかった我が家に澄斗がやって来る——……やっぱりうまく想像できなくていまだにうっすら緊張している。
大急ぎで軽くシャワーを浴びると、約束の十八時半になった。
そしてほんとうに、澄斗が我が家にやってきた。
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