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番外編『トライアングル』

〈1〉空目線

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こんばんは、餡玉です。
本日より番外編を8話、毎晩21時に更新します!

累と空、そして賢二郎、三人のお話です。
じりじりしながらも、少しずつ、それぞれの関係性について答えを見つけていけたらいいな……というような内容です。
よろしければ、春の気配を感じながら、のんびりお付き合いいただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします!




 ˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚



 
 体育館のステージ脇に鎮座したグランドピアノから、数年前に大流行した卒業ソングがしっとりと奏でられている。
 その音色に合わせ、何度も練習したフレーズを歌いながらも、空の視線はピアノ奏者へ向いている。

 いや、空だけではない。今日、卒業の日を迎える卒業生はもちろんのこと、今、卒業生へ送る歌を歌っている二年生たち、そして卒業生の保護者たちの視線も、もれなくピアノ奏者に釘付けだ。

 情感たっぷりに卒業ソングの伴奏をしているのは、空の恋人である高比良累だ。この日のために磨き上げられたグランドピアノに、金髪碧眼の美少年という取り合わせはさすがのように絵になっている。

 ——ヴァイオリンだけじゃなくて、ピアノまで弾けちゃうんだもんなぁ……。

 幼い頃は、ピアノとヴァイオリンの両方を習っていた累だ。ヴァイオリン一本に絞ってからも、時折息抜きのようにピアノは弾いていたらしい。ブランクがあるようだが、「あんまり練習時間が取れなかった」と言う割には危なげのない仕上がりで……というかむしろ完璧な出来栄えである。

 つい一週間前、本来のピアノ伴奏者である女子生徒が、インフルエンザにかかってしまったのである。全クラスの合同練習の時にその知らせが舞い込み、誰が代理を務めるのかとざわついた。ピアノを弾ける生徒はたくさんいる。だが、卒業生を送り出すという晴れの舞台で、しかも練習期間はたったの一週間で伴奏を完成させることができるかと言われると、尻込みする生徒が多かった。

 そんな中、累がひょいと手を挙げたのである。遠く離れた場所で累の立候補に気づいた空は仰天した。高二になり、空は文系、累は理系とクラスが離れてしまっていたので、挙手している累の姿はずいぶんと遠かったのである。

 体育館の前方へ進み出た累を見て、女子生徒たちが密やかに興奮し始めているようすが、さざなみのように伝わってきた。累の音楽的センスについてはよくよく分かっているつもりだが、果たしてこの条件下でピアノ伴奏なんかやって大丈夫なのか……!? と、空は若干ハラハラしていたものである。

 音楽担当の男性教師に楽譜を渡され、「いけるか!?」と尋ねられた累は、ざっと楽譜を一読し、「何度も聴いているので大丈夫だと思います」とクールに頷いていた。

 そしてその場であっさり、伴奏を完成させていて——

 卒業生たちの咽び泣きを耳にしながら、空は改めて、累の器用さに驚かされたことを思い出していた。しかもグランドピアノの似合うこと似合うこと……。こりゃ来年もますますモテまくりそうだなと、空は内心ため息をついた。

 高二になると文系理系のコース分けがあり、空と累は同じ教室で授業を受けることはなくなった。空は文系でA組、累は理系のE組と、校舎の端と端に振り分けられてしまったのである。

 累はブツブツ「空が心配だな……また妙なのに絡まれないといいんだけど……」等々過保護なことを言っていたものである。しかし、恋人としての濃度が上がり、ふたりきりの甘い時間を少しずつ蓄積してきた結果か、高校生活にもすっかり慣れた結果か、徐々にそういう過保護発言は減っていった。

 理系クラスでも、空意外に気の合う友人ができたことも、累にとっては良かったようだ。すっかり日本での高校生活に馴染み、普通の男子高校生らしい生活を送ることができている。

 卒業生を送るための歌は、切なくも清々しいメロディのクライマックスを迎えた。空の隣で歌声を響かせていた女子生徒の声も震え始めた。卒業する先輩たちの多くが、ハンカチで目元を押さえている。

 そして美しい余韻を残しながら、ピアノの音が体育館の中に溶けて消えてゆく。
 窓から差し込む春の陽に照らされ、金色の髪がきらきらときらめている。その眺めは、宗教画さながらの神々しさだな……と空は思った。



    +



「累、今日はお疲れ」
「うん、ありがとう、空」

 そしてその日の帰り道。二人は久しぶりに、帰り道を共にしていた。
 今日は部活が休みなので、下足室で待ち合わせをしていたのである。

 空は部活、累はレッスンと、なかなか二人きりで過ごす時間が持てないのは相変わらずだ。しかも同じクラスではなくなってしまったため、一緒に過ごす時間は格段に減っている。

 だが、昼休みはたいてい一緒に食事をし、そのあと少しだけ……人目を忍んでいちゃいちゃすることもある。息継ぎのように短い時間の逢瀬だが、それでも大丈夫だと思えるくらいには、ふたりの関係は安定している。

 通学路に並んだソメイヨシノの枝に、ふっくらとした蕾がつき始めている。今年はどこで花見ができるかな……とぼんやり考えつつ、空は隣を歩く累を見上げた。

「俺たちももう高三かぁ……早いねぇ」
「ほんとだね。そういえば……空は、進路、どうするの?」
「俺?」

 つい一週間前、三者面談が行われたのである。ちなみに面談に訪れたのは壱成だった。

 高三ともなると、具体的な進学先などを明確にさせてゆかねばならない時期だ。昨今の大学事情に詳しい壱成のほうが良い話し合いになるだろうと、彩人が面談を任せたのだ。

「累は当然、高城音大に行くんだよね? いいなあ、もうがっつり行き先が決まってて」
「うん……まぁね。けど、学科試験もあるから、若干不安ではあるんだけど……」
「あ、そっかぁ」
「空は保育士になりたいんだよね。大学か専門学校かで悩んでたろ? 面談、どうだったのかなと思って」

 そう、空の将来の目標は、保育士になることだ。
 いつか累とともに『ほしぞら』へ訪問したあたりから、空は保育士になりたいと考えるようになっていた。

 そこはかつて自分が多くの時間を過ごした場所だ。たくさんのことを学び、守ってもらった場所だった。そのおかげで、空はこうして健やかに育ち、兄も仕事を続けることができた。

 空もまた、誰かの助けになり、子どもたちを守り育てることのできる大人になりたいのだ。

 はじめは専門学校へ進むことを考えていた。目的が決まっているのだから、保育士資格を取れればそれで良いと思っていたのである。

 だが彩人は、空に大学進学を勧めてきた。兄が昔から「空には壱成みたく、真っ当な道を歩いて欲しい」と望み続けていることはよく理解しているのだが、大学と専門学校では学費が段違いである。そこまで兄に甘えてしまっていいのだろうかと、空は迷っていた。

 だが壱成も「専門学校もいいけど、幅広く学べる大学へ行っておいた方が、のちのち空くんのためになるんじゃないかと思う」と言った。壱成の言葉に頷きながら、彩人は「学費のことなら心配しなくていい。それに、学生の間にしかできねーこともあるだろ」と空を諭したのだった。

 そして付け加えるように、「専門行ったら、累くんが四年間学生やってんのに、お前は二年で社会人になるんだぞ? 学生と社会人とじゃ生活時間も全然違うし、気持ちも違う。お前らなら大丈夫だとは思うけど、そんな急いで大人にならなくてもいーんだから」と……。
 兄たちは空の将来のみならず、累との関係のことまで考えていてくれたらしい。それが、とても嬉しかった。

 その家族会議を経て、空は大学進学を決めたばかりなのである。

「一ノ谷大学の教育福祉学部が、第一志望。壱成の母校なんだけど、俺じゃちょっと偏差値足りないから、もっと勉強がんばんないといけないんだけどね」
「壱成さんの母校か、いいね。そういうの」
「へへ、だろー?」
「一大なら、ここから電車で三十分くらいか。僕と同じ路線だし、これならちょっとは安心できるし」
「安心て。……まったく、累はいつまでたっても過保護なんだからなぁ」
「仕方ないだろ」

 空はやれやれとため息をつきつつ、累を見上げる。すると累はするりと空の指に指を絡めて、ちょっとばかり含みのありそうな笑みを浮かべた。

「……空、今日これからうちに来ない?」
「えっ……でも、レッスンは?」
「夜からだから。まだ時間もあるし」

 累の指先が、つないだ空の手を思わせぶりに撫でる。累によってじっくり丁寧に快楽を覚え込まされた空の身体は、たったそれだけの感触でも、じんと熱を孕んでしまうのだが……。

「……今日のレッスン、石ケ森さんもいるんでしょ?」
「え? ああ、うん……」

 空の問いに、累が少し申し訳なさそうに頷いた。
 こうして累との時間が順調に、穏やかに重なっているのにもかかわらず、空には相変わらず石ケ森の存在が気がかりなのである。

 累は凱旋公演後も、いくつか公演をこなしてきた。インペリアルシティコンサートホールでの演奏は音楽界でも高く評価され、ニコラが契約しているクラシック音楽レーベルからCDまで発売されている。

 ヴァイオリニストとしての腕前もさることながら、この華やかなルックスだ。話題が話題を呼び依頼が殺到する時期もあった。だが、そこは母親のニコラが、ガッチリと累を守った。

 ニコラはまず、自身がヴァイオリニストとして所属し、取締役としても名を連ねている音楽事務所に累を引き入れた。そして累専用のマネージャーを用意し、取材や公演の依頼をうまく捌いているらしい。
 累はまだ高校生で、学業に集中せねばならない時期でもある。全ての依頼を受けるわけにはいかないのだ。

 そんな中、累が次に引き受けたのは、京都・南禅寺で行われるコンサートへの出演だった。

 ただし、そこには累一人が招待されたわけではない。なんと石ケ森賢二郎までもが参加するらしく……空は心中穏やかではいられないというわけなのである。

 賢二郎は去年、『日本クラシック音楽コンクール ヴァイオリン部門』なるもので優勝を果たした。累の説明によると、日本国内では最大規模のコンクールであるということだ。そこで優勝するということは、今後ヴァイオリニストとして活躍していく上で相当なアドバンテージになる、と。

 しかも賢二郎は、大学一年生でありながらプロオケに加わり、累の凱旋公演にも参加していた。さらには開催地の京都は賢二郎の故郷。それで、声がかかったらしい。

 ちなみに賢二郎は、今年の夏から三年間、海外留学することになっている。『日本クラシック音楽コンクール』に優勝したことで、ウィーンにある高城音大の提携校から声がかったのだ。

 累と賢二郎の間に物理的な距離が開くと分かって——空は、正直少しホッとした。と同時に、そんな自分に対して、無性に腹が立った。

 累のことを心の底から信じているし、賢二郎のことを疑いたくない。けれど、音楽で結ばれた二人の『絆』が見えてしまう分、やはりまだ、複雑なのだ。

 空が押し黙ってモヤモヤしていると、累が怪訝そうな表情で首を傾げた。

「前から思ってたんだけど……空と石ケ森さん、会ったことなかったよね?」
「えっ!? えっ、えーーと、まぁ、学園祭のステージで、何回か目は合った、かなぁ」
「ああ……あの時は客席が近かったもんね。……それでか」
「うん……なんで?」
「たまに石ケ森さん、空のことをよく知ってるような口ぶりになるような気がしてさ。気のせいかな」

 累に隠し事をしているのは、正直すこし、しんどいものがある。
 だが、あの時聞いてしまった賢二郎の気持ちを胸にしまっておくことの方が大事な気がして、空は累に何も言えないでいた。

「空……?」
「えっ? あ、なに?!」
「あの人のことは気にしなくても、大丈夫だから。そんな顔しないで」
「い、いやいや全然!? 俺は全然気にしてないから! 累は練習に集中してよ。春休みに入ったら、すぐ京都だろ?」

 空が若干ピリピリしていることに気づいているらしく、累は眉を下げて神妙に頷いた。自分の狭量のせいで、毎度毎度累にこんな顔をさせてしまうのは申し訳ないのだが……空も、まだそこまで大人にはなれていない。

「いいじゃん、京都。俺も合宿さえなければ、見に行きたかったなぁ」
「うん……残念だよ。一緒に観光とかしたかったな」
「観光かぁ~いいなぁ、楽しそう」
「いつか、ふたりでどこか旅行にも行きたいね」
「わぁ、いいね! どこがいいかなぁ」

 複雑な気分だった空だが、楽しげに旅行の計画などを話し始める累の横顔を見ていると、少しずつ心が晴れてゆく。 

 繋がったままだった累の手をぎゅっと握り返してみると、累は花が綻ぶように微笑んだ。この笑顔を見ていると安心するし、あまりの美しさにぽうっとなってしまうのはあいかわらずだ。

「ちょっとだけ……寄ってこっかな」
「ほんと?」
「あ、でも、ちょっとだけだから! レッスン前にご飯も食べなきゃいけないだろうし……」
「うん、分かった。ちょっとだけ」

 累の指先に力がこもるのを感じ、胸がドキドキと高鳴ってゆく。

 これはちょっとだけでは済まないかもな、と思う空である。
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