黒崎くんと佐藤さん

金魚

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第二章

対等な関係

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「嫌だ」と叫び子供のように泣きじゃくる黒崎を、佐藤はただ静かにその震えが収まるまで抱きしめ続けた。

​しばらくして、黒崎が恐る恐る顔を上げた。

彼の瞳には、「主人に逆らった」という罪悪感と、それ以上に「なぜ自分はまだここにいられるのか」という困惑が浮かんでいる。

​佐藤は黒崎の視線を避けることなく、穏やかに微笑んだ。

​「黒崎くん。
さっきの『嫌だ』という言葉……それは、君が自分自身の心を守った証拠だ。私にとっては、どんな感謝の言葉よりも嬉しい」

​「……でも、私は、あなたの施しを受けている身です……。命令を聞かず、わがままを言うなんて……」

​黒崎はまだ、自分を「価値を提供しなければならないモノ」だと思い込んでいた。

佐藤は首を横に振り、彼の両手を包み込むように握った。

​「いいかい、黒崎くん。

私たちは、主従じゃない。
もちろん、私が君を救った『救世主』でもない。

……私たちは、ただの対等な人間同士だ」

​「……対等……?」

​黒崎にとって、それは天童の世界では存在し得ない、概念そのものが欠落した言葉だった。

​「そう。私が君を助けたのは、私がそうしたかったからだ。君が私に恩を返す必要はない。
……もし君が、今日私が作ったスープが不味いと思えばそう言っていいし、私が君の心に踏み込みすぎだと思えば、怒ってもいいんだ」

​佐藤は立ち上がり、棚から一枚のメモ用紙とペンを取り出すと黒崎の前に置く。

​「今日からは、一つの実験をしよう。
君が私を『ご主人様』や『佐藤様』と呼ぶたびに、私は君に100円を請求する。
……そして君が、私のことを呼び捨てにするか、あるいは対等な人間として呼ぶことができたら、私が君に100円を払う」

​「えっ……? そ、そんな……」

​「これは、君が誰かの所有物ではなく、自分の意志で誰かと繋がるための訓練だ。

君は私のために生きているんじゃない。
君は、君が明日何を食べるか、どこへ行きたいか、何がしたいかを決めるために生きているんだよ」

​佐藤は眉を下げ、茶目っ気たっぷりにウインクをして見せた。
その瞳には、憐れみではなく、一人の人間に対する敬意が宿っていた。

​「黒崎くん。鏡を見てごらん」

​促されて鏡の前に立った黒崎は、自分の姿を見つめた。

そこには、銀のピアスがいくつか外され、ガーゼが痛々しく貼られた姿がある。

しかしその下にあるのは、天童が愛した「完成された玩具」ではなく、泣き腫らした目をして今まさに自分の足で立とうとしている、不完全で、だからこそ生々しい一人の青年の姿だった。

​「……私の、顔……」

​「そう。それが君だ。
……誰かに飾り立てられた君じゃない、君自身の姿だ。

美しくて、脆くて、そして誰よりも強い。

…私はそんな君と、対等な人間としてこれからの時間を過ごしたいんだ」

​黒崎は鏡の中の自分と、その背後に立つ優しい医師の姿を交互に見つめる。

「対等」という言葉の重み。

それは自由であると同時に、自分を自分で肯定しなければならないという、新しくも温かな責任だった。

​「……さとう……さん」

​「うん、なんだい?」

​「……お腹が、……空きました。
……今日は、甘いものが……食べたい、です」

​黒崎が初めて誰かを悦ばせるためではなく、自分の欲求を口にした。

佐藤は今日一番の満面の笑みを浮かべ、黒崎の肩にそっと手を置く。

​「最高の提案だ。……よし、とびきり甘いケーキを買いに行こう。

二人分、ね」

​二人の間に、ようやく「人間」としての絆が芽生え始めた。
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