26 / 32
第二章
傷跡を越える愛
しおりを挟む
陽光あふれる外出を終え、夕食を済ませた後の静かなリビング。
窓の外には深い夜が広がり、室内には暖かなランプの灯りだけが灯っている。
ソファーに並んで座る二人。
黒崎は膝の上で自分の指を何度も組み替え、何かを言いよどむように視線を彷徨わせていた。
「……あの、さ。……佐藤さん」
ふいに零れたその声は、今までの丁寧な、どこか一線を引いた『私』の言葉ではなかった。
佐藤が驚いて隣を見ると、黒崎は耳まで真っ赤に染めながら意を決したように真っ直ぐ佐藤を見つめ返した。
「……『俺』、ずっと怖かったんだ。
また誰かに触れられたら、あの時の痛みが、冷たい銀の感触が戻ってくるんじゃないかって」
黒崎の指が、今はもう何もない耳たぶを無意識になぞる。
「でも、今日は違った。
佐藤さんと歩いて、笑って……。
音がしない自分の身体が、すごく自由だって分かったから」
黒崎は佐藤のシャツの袖を、幼い子供のようにぎゅっと掴んだ。
「佐藤さんのこと、もっと近くで感じたい。
……『コレクションの黒崎』じゃなくて、『ただの、男としての俺』を……受け入れてほしい。
……俺、佐藤さんと繋がりたいんだ。
……だから、抱いて。
あの男の記憶を、全部あなたの体温で消してほしいんだ」
「黒崎くん……。……いや、そうだね。
『俺』と言ったね。
……私はずっと待っていたよ。
君がその傷跡を抱えていても、私に預けてくれる日を。
……君を傷つけるためではなく、君を愛するために、私の体温をすべて君に捧げよう」
佐藤は穏やかに微笑み、彼の呼びかけに応えるように一人称を脱ぎ捨てた黒崎を優しく包み込むように抱き寄せた。
「もう敬語も、無理に作った礼儀もいらない。
君が『俺』に戻れたこと、それが何よりも私は嬉しい」
佐藤の手が、黒崎の背中をゆっくりと撫で下ろす。
そこにはかつてリングが通されていた跡が、小さな、けれど確かな凹凸として残っていた。
「傷跡は消えることはないかもしれない。
けれど、それは君が生き抜いた証だ。
醜いものなんかじゃない」
「……っ、……うん。佐藤さんが触れてくれるなら、もう、怖くないから」
黒崎は佐藤の胸に顔を埋め、深く息を吸い込む。
そこにあるのは消毒液の匂いではなく、佐藤という一人の男の、落ち着く体温。
寝室のベッドに横たわると、シーツの柔らかな感触が黒崎の肌を優しく迎える。
かつて冷たく孤独なベッドの上で、無理やり「穴」を開けられ異物を通され尊厳をズタズタにされた屈辱。
けれど今、重なる佐藤の重みには痛みも命令もない。
佐藤の唇がかつて銀の環に囚われていた黒崎の唇を、慈しむように塞ぐ。
首筋へ、胸元へ、そしてかつて「展示」の対象とされていた場所へ。
佐藤は一つひとつの傷跡をなぞるように、丁寧に熱い口付けを落としていった。
「あ……っ、……あ……」
黒崎の口から漏れるのは、苦悶の悲鳴ではなく甘く切ない吐息だった。
身体の奥底から突き上げてくるのは支配される恐怖ではなく、愛されているという確信。
「……佐藤、さん……好きだ。……俺、生きてて……よかった……」
「…愛しているよ、黒崎くん」
身体を繋いだ瞬間、黒崎の頬を涙が伝った。
それは過去の痛みを洗い流すような、清らかな涙。
チリチリと鳴る銀の音は、もうどこにもない。
ただ、二人の荒い呼吸と、互いの名を呼ぶ声だけが、静かな夜の部屋に響いていく。
───二人の体温が混じり合い、ようやく心からの繋がりを感じ始めた矢先のことだった。
佐藤が優しく腰を沈めるたび、黒崎の眉が微かに跳ねる。
天童によって無理やり広げられ重い銀の環を長年通されていた粘膜は、人よりもずっと薄く、脆くなっていた。
どれだけ愛情を込めた愛撫であっても繰り返される摩擦は、癒えきっていない深部の古傷を容赦なく刺激する。
「くっ……、あ……っ……」
黒崎はシーツを強く握りしめ、溢れそうになる「痛み」の声を喉の奥で押し殺した。
(……言っちゃだめだ。せっかく佐藤さんと一つになれたのに。
嫌がられたくない。壊れていると思われたくない……!)
しかし医師として、そして誰よりも黒崎を観察してきた一人の男として、佐藤がその異変を見逃すはずもない。
「……黒崎くん、止めるよ」
佐藤は動きを止め、黒崎の身体を壊さないようゆっくりと離れた。
「あ、……っ、なんで、佐藤さん。俺、大丈夫だから。まだ、できるから……!」
黒崎は必死に縋り付こうとするが佐藤はそれを優しく、けれど断固として拒み、黒崎の火照った頬を両手で包み込んだ。
「嘘をつかなくていい。……粘膜が痛むんだろう?
君を傷つけるために抱いているんじゃないんだ。
私の顔を見て」
佐藤の目は叱っているのではなく、ただ悲しそうに揺れていた。
「……ごめんなさい。……俺の身体、やっぱり変なんだ。普通の人みたいに、ちゃんとできなくて……っ。
せっかく外してもらったのに、まだあの男の『跡』が邪魔をするんだ……」
黒崎の目から、悔しさと情けなさが混じった涙がこぼれ落ちる。
佐藤は震える黒崎を力強く抱き寄せた。
「変なものか。君は何も悪くない。
……酷使されてきた場所に、今すぐ『普通の幸せ』を強要してしまった私の配慮が足りなかった」
佐藤は黒崎の背中を、落ち着かせるようにゆっくりとさすり続ける。
「今日はここまでにしよう。繋がることだけが愛じゃない。
君の痛みに気づきそれを分かち合うことも、私にとっては大切な営みなんだ」
「……でも、佐藤さんは……我慢、してるだろ?」
「ふふ、医者を甘く見ないでくれ。
君が痛みを堪えて顔を歪めるのを見る方が、私にとってはよっぽど辛い。
……いいかい、黒崎くん。焦らなくていいんだ」
佐藤は黒崎の耳元で、囁くように言った。
「ピアスがあった場所の傷が癒えるまで、何度でも、何年でも待つ。
……君が『痛み』を忘れて、ただ『快い』と思えるその日まで。
今夜はこうして抱き合って眠るだけで十分だ」
黒崎は佐藤の腕の中で、ようやく身体の力を抜いた。
かつてなら痛みを訴えればさらに酷い仕打ちが待っていた。
けれど今は痛みを伝えれば、それ以上の優しさが返ってくる。
「……ありがとう、佐藤さん。……あったかい」
「おやすみ、黒崎くん。……明日は君の身体に優しい食事を作ろう」
チリチリという音のない、静寂に包まれた夜。
二人は肌を合わせたまま、傷ついた過去を少しずつ温かな体温で上書きしていくように、深い眠りに落ちていった。
窓の外には深い夜が広がり、室内には暖かなランプの灯りだけが灯っている。
ソファーに並んで座る二人。
黒崎は膝の上で自分の指を何度も組み替え、何かを言いよどむように視線を彷徨わせていた。
「……あの、さ。……佐藤さん」
ふいに零れたその声は、今までの丁寧な、どこか一線を引いた『私』の言葉ではなかった。
佐藤が驚いて隣を見ると、黒崎は耳まで真っ赤に染めながら意を決したように真っ直ぐ佐藤を見つめ返した。
「……『俺』、ずっと怖かったんだ。
また誰かに触れられたら、あの時の痛みが、冷たい銀の感触が戻ってくるんじゃないかって」
黒崎の指が、今はもう何もない耳たぶを無意識になぞる。
「でも、今日は違った。
佐藤さんと歩いて、笑って……。
音がしない自分の身体が、すごく自由だって分かったから」
黒崎は佐藤のシャツの袖を、幼い子供のようにぎゅっと掴んだ。
「佐藤さんのこと、もっと近くで感じたい。
……『コレクションの黒崎』じゃなくて、『ただの、男としての俺』を……受け入れてほしい。
……俺、佐藤さんと繋がりたいんだ。
……だから、抱いて。
あの男の記憶を、全部あなたの体温で消してほしいんだ」
「黒崎くん……。……いや、そうだね。
『俺』と言ったね。
……私はずっと待っていたよ。
君がその傷跡を抱えていても、私に預けてくれる日を。
……君を傷つけるためではなく、君を愛するために、私の体温をすべて君に捧げよう」
佐藤は穏やかに微笑み、彼の呼びかけに応えるように一人称を脱ぎ捨てた黒崎を優しく包み込むように抱き寄せた。
「もう敬語も、無理に作った礼儀もいらない。
君が『俺』に戻れたこと、それが何よりも私は嬉しい」
佐藤の手が、黒崎の背中をゆっくりと撫で下ろす。
そこにはかつてリングが通されていた跡が、小さな、けれど確かな凹凸として残っていた。
「傷跡は消えることはないかもしれない。
けれど、それは君が生き抜いた証だ。
醜いものなんかじゃない」
「……っ、……うん。佐藤さんが触れてくれるなら、もう、怖くないから」
黒崎は佐藤の胸に顔を埋め、深く息を吸い込む。
そこにあるのは消毒液の匂いではなく、佐藤という一人の男の、落ち着く体温。
寝室のベッドに横たわると、シーツの柔らかな感触が黒崎の肌を優しく迎える。
かつて冷たく孤独なベッドの上で、無理やり「穴」を開けられ異物を通され尊厳をズタズタにされた屈辱。
けれど今、重なる佐藤の重みには痛みも命令もない。
佐藤の唇がかつて銀の環に囚われていた黒崎の唇を、慈しむように塞ぐ。
首筋へ、胸元へ、そしてかつて「展示」の対象とされていた場所へ。
佐藤は一つひとつの傷跡をなぞるように、丁寧に熱い口付けを落としていった。
「あ……っ、……あ……」
黒崎の口から漏れるのは、苦悶の悲鳴ではなく甘く切ない吐息だった。
身体の奥底から突き上げてくるのは支配される恐怖ではなく、愛されているという確信。
「……佐藤、さん……好きだ。……俺、生きてて……よかった……」
「…愛しているよ、黒崎くん」
身体を繋いだ瞬間、黒崎の頬を涙が伝った。
それは過去の痛みを洗い流すような、清らかな涙。
チリチリと鳴る銀の音は、もうどこにもない。
ただ、二人の荒い呼吸と、互いの名を呼ぶ声だけが、静かな夜の部屋に響いていく。
───二人の体温が混じり合い、ようやく心からの繋がりを感じ始めた矢先のことだった。
佐藤が優しく腰を沈めるたび、黒崎の眉が微かに跳ねる。
天童によって無理やり広げられ重い銀の環を長年通されていた粘膜は、人よりもずっと薄く、脆くなっていた。
どれだけ愛情を込めた愛撫であっても繰り返される摩擦は、癒えきっていない深部の古傷を容赦なく刺激する。
「くっ……、あ……っ……」
黒崎はシーツを強く握りしめ、溢れそうになる「痛み」の声を喉の奥で押し殺した。
(……言っちゃだめだ。せっかく佐藤さんと一つになれたのに。
嫌がられたくない。壊れていると思われたくない……!)
しかし医師として、そして誰よりも黒崎を観察してきた一人の男として、佐藤がその異変を見逃すはずもない。
「……黒崎くん、止めるよ」
佐藤は動きを止め、黒崎の身体を壊さないようゆっくりと離れた。
「あ、……っ、なんで、佐藤さん。俺、大丈夫だから。まだ、できるから……!」
黒崎は必死に縋り付こうとするが佐藤はそれを優しく、けれど断固として拒み、黒崎の火照った頬を両手で包み込んだ。
「嘘をつかなくていい。……粘膜が痛むんだろう?
君を傷つけるために抱いているんじゃないんだ。
私の顔を見て」
佐藤の目は叱っているのではなく、ただ悲しそうに揺れていた。
「……ごめんなさい。……俺の身体、やっぱり変なんだ。普通の人みたいに、ちゃんとできなくて……っ。
せっかく外してもらったのに、まだあの男の『跡』が邪魔をするんだ……」
黒崎の目から、悔しさと情けなさが混じった涙がこぼれ落ちる。
佐藤は震える黒崎を力強く抱き寄せた。
「変なものか。君は何も悪くない。
……酷使されてきた場所に、今すぐ『普通の幸せ』を強要してしまった私の配慮が足りなかった」
佐藤は黒崎の背中を、落ち着かせるようにゆっくりとさすり続ける。
「今日はここまでにしよう。繋がることだけが愛じゃない。
君の痛みに気づきそれを分かち合うことも、私にとっては大切な営みなんだ」
「……でも、佐藤さんは……我慢、してるだろ?」
「ふふ、医者を甘く見ないでくれ。
君が痛みを堪えて顔を歪めるのを見る方が、私にとってはよっぽど辛い。
……いいかい、黒崎くん。焦らなくていいんだ」
佐藤は黒崎の耳元で、囁くように言った。
「ピアスがあった場所の傷が癒えるまで、何度でも、何年でも待つ。
……君が『痛み』を忘れて、ただ『快い』と思えるその日まで。
今夜はこうして抱き合って眠るだけで十分だ」
黒崎は佐藤の腕の中で、ようやく身体の力を抜いた。
かつてなら痛みを訴えればさらに酷い仕打ちが待っていた。
けれど今は痛みを伝えれば、それ以上の優しさが返ってくる。
「……ありがとう、佐藤さん。……あったかい」
「おやすみ、黒崎くん。……明日は君の身体に優しい食事を作ろう」
チリチリという音のない、静寂に包まれた夜。
二人は肌を合わせたまま、傷ついた過去を少しずつ温かな体温で上書きしていくように、深い眠りに落ちていった。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる